ヴィパッサナー瞑想の関連用語
(「瞬間のことば 語釈」から転載)
【あ】
アートマン:自我。真我。永遠不滅の本体。仏教では、アートマンの存在を認めていない。(「諸法無我」「無我」参照)
阿羅漢【あらかん】:全ての煩悩を滅ぼして聖なる修行を完成した聖者。(「聖者」参照)
歩く瞑想【あるくめいそう】:ヴィパッサナー瞑想の「身随観」の一方法。歩くことによって生じるセンセーション(身体実感)を感じ、気づいていく瞑想法。(「ヴィパッサナー瞑想」参照)
【い】
因縁【いんねん】:ものごとを生じさせる原因と条件。因は直接的原因、縁は間接的条件、補助原因。
【う】
ヴィパッサナー瞑想:現実の事象をあるがままに観察していく瞑想法。2500年前、釈尊(ゴータマ・ブッダ)は、この瞑想法によって悟りを得られた。観察対象によって、「身随観」「受随観」「心随観」「法随観」がある。長部第22「マハー・サティパッターナ・スッタ(大念処経)」、中部第10「サティパッターナ・スッタ(念処経)」等に基づく。「観」と漢訳される。
「ウダーナヴァルガ」:釈尊(ゴータマ・ブッダ)の教えを集めた原始仏典のひとつ。「無問自説経」。『ブッダの 真理のことば 感興のことば』(中村元訳、岩波文庫)のうち「感興のことば」の部分。
ウペッカー(捨) → 「慈悲」参照
【え】
エゴ:自己主観の中心となるもの。自我感。我執。
【お】
怨憎会苦【おんぞうえく】:嫌悪の対象、憎らしい人に出会ってしまう苦しみ。怒りの心が原因。
【か】
戒【かい】(シーラ):不善が生じないように身(身体的行為)・口(ことば)に気をつけること。倫理的規範(「五戒」参照)
餓鬼道【がきどう】:転生後に生まれる世界のひとつ。この世界に生まれると、常に飢渇に苦しむ。永遠の不満足感に苦しむ領域(「輪廻」参照)
過去世【かこせ】:現在の生(現世)よりも前の生。(「輪廻」参照)
我執【がしゅう】 → エゴ
渇愛【かつあい】:喉が渇いたときに水を求めるような、欲求する心。欲望の対象を貪り求め、生存に執着し、気に食わない対象を破壊したいと欲求する心。
カルナー(悲) → 「慈悲」参照
カルマ(業):行為。また、自分の将来に影響を及ぼす自分の行為の余力。身・口・意(こころ)の行い、及びその行いの結果をもたらす潜在的力。
【く】
苦【く】 → ドゥッカ
クーサラ(善行):未来に良き果をもたらす、善い行い。不善心所の煩悩とは無縁の、浄らかな心でなされる行為。
苦受【くじゅ】:感受のひとつ。肉体的・精神的に苦痛を感受すること。感受には、苦受・楽受・不苦不楽受の三種がある。
【け】
解脱【げだつ】:全ての煩悩を完全に滅し去り、あらゆる苦しみから解放され、輪廻転生を繰り返す迷いの生存からも解放されること。
原始仏教【げんしぶっきょう】:釈尊(ゴータマ・ブッダ)在世時代から部派仏教が分裂する前までの仏教。「初期仏教」ともいう。テーラワーダ仏教に受け継がれて現在に至っている。
【こ】
業【ごう】 → カルマ
五戒【ごかい】:在家者が守るべき五つの戒め。すなわち、(1)生き物を殺さないこと。(2)与えられていない物を取らないこと。(3)不倫など、性的な過ちを犯さないこと。(4)嘘をつかないこと。(5)酒を飲まないこと。
【さ】
サティ:気づき。現在の瞬間をとらえる心。「念」と漢訳される。
サマーディ:心を一定の対象に集中させ、統一していった究極の合一感。主客未分の融合感が極まった意識状態。漢訳では「三昧」と音訳される場合と、「禅定」「等持」と意訳される場合とがある。
サマタ瞑想:心をひとつの対象に集中させる瞑想法。瞑想対象として随念・不浄観・無色界禅など40種類が知られている。一般的な瞑想は、このサマタ瞑想である。「止」と漢訳される。
懺悔【ざんげ・さんげ】:自分の犯した罪を披瀝し、赦しを請い、詫びること。また、悔い改めること。
「サンユッタ・ニカーヤ」:釈尊(ゴータマ・ブッダ)の教えを集めた原始仏典のひとつ。『ブッダの 悪魔との対話』『ブッダの 神々との対話』(中村元訳、岩波文庫)
【し】
シーラ → 戒
慈悲【じひ】:「慈(メッター)」と「悲(カルナー)」を合わせたことば。
慈【じ】(メッター):あらゆる生き物を慈しんで楽を与えたいという心。
悲【ひ】(カルナー):命あるものが苦しんでいるときに、その苦しみを取り除いてあげたいと助けたくなる心。
喜【き】(ムディター):誰かが幸せな状態にいるのを見たときに、心から「よかったね」と共感し、一緒に喜んであげる心。
捨【しゃ】(ウペッカー):全てのものを等価に公平に眺める心。
なお、慈・悲・喜・捨は、限りなく広大に成長させてもよい心なので、「四無量心」と呼ばれる。
慈悲の瞑想【じひのめいそう】:慈・悲・喜・捨を育てていく瞑想法。心を清浄にしていくため、原始仏教ではヴィパッサナー瞑想と並行して行っていく。具体的には、以下のことばを心の中で唱えていく。
〈慈悲の瞑想〉
1.私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願うことが叶えられますように
私に悟りの光があらわれますように。
2.私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願うことが叶えられますように
私の親しい人々に悟りの光があらわれますように。
3.生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願うことが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように。
4.私がきらいな人々も幸せでありますように
私がきらいな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私がきらいな人々も願うことが叶えられますように
私がきらいな人々にも悟りの光があらわれますように。
5.私をきらっている人々も幸せでありますように
私をきらっている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私をきらっている人々も願うことが叶えられますように
私をきらっている人々にも悟りの光があらわれますように。
6.すべての衆生が幸せでありますように
すべての衆生が幸せでありますように
すべての衆生が幸せでありますように。
捨【しゃ】(ウペッカー) → 「慈悲」参照
釈迦【しゃか】:釈迦牟尼(釈迦族出身の聖者の意)のこと。釈尊、世尊ともいう。約2500年前のインドの人。カピラ国の王子であったが29歳で出家し、35歳のときにブッダ(悟った人)となった。以後、80歳で入滅するまで、多くの人々を苦の滅尽に導いた。姓をとって「ゴータマ・ブッダ」とも呼ばれる。
釈迦族【しゃかぞく】:釈尊(ゴータマ・ブッダ)の出身部族。釈尊の成道(悟りを得ること)後、王族を初めとして多くの人々が出家した。釈尊存命中に滅ぼされたという。
執着【しゅうじゃく・しゅうちゃく】:物事にとらわれ、掴んで、手放さないこと。(←→無執着)
正語【しょうご】(サンマー・ヴァーチャー):正しいことば。妄語(嘘)・両舌・悪口・綺語から離れること。八聖道(八正道)のひとつ。
精進【しょうじん】:努め励むこと。悪を断じ、善を修するように努力すること。
正知【しょうち】(サンパジャニャー):あらゆる言動に自覚的であること。また、気づいている対象の本質を直観的に理解する心。
諸法無我【しょほうむが】:全てのものは因縁によって生じたものであり、堅固な不滅の実体を有していないということ。あらゆる存在は、因果関係によって生滅している現象に過ぎないと観る仏教の基本認識の一つ。
信【しん】(サッダー):ブッダ(仏)・ダンマ(法)・サンガ(僧団)の三宝や因果・業論、あらゆる善行の価値等に信頼を寄せること。
瞋【じん・しん】:いかり。好ましくない対象に対する反撥。(「貪・瞋・痴」参照)
【す】
「スッタ・ニパータ」:釈尊(ゴータマ・ブッダ)の教えを集めた原始仏典のひとつ。『ブッダのことば』(中村元訳、岩波文庫)
座る瞑想【すわるめいそう】:ヴィパッサナー瞑想の「身随観」の一方法。呼吸時の腹部の動き(膨らみ・縮み)によって生じるセンセーション(身体実感)を感じ、気づいていく瞑想法。なお、「心随観」等でも同じ姿勢をとる。(「ヴィパッサナー瞑想」参照)
【せ】
聖者【せいじゃ】:悟りに達した人。悟りには、順に預流向(預流道)・預流果・一来向(一来道)・一来果・不還向(不還道)・不還果・阿羅漢向(阿羅漢道)・阿羅漢果の八種類の聖位があり、それらに達した人々を聖者と呼ぶ。
預流向:預流果に達しようと誓願し、向かいつつある段階。
預流果:聖者の流れに入った段階。最大で七回生まれ変わる間に阿羅漢になる。
一来向:一来果に達しようと誓願し、向かいつつある段階。
一来果:この世には、一度しか戻ってこない聖者の段階。
不還向:不還果に達しようと誓願し、向かいつつある段階。
不還果:この世(欲界)には戻ってこない聖者の段階。
阿羅漢向:阿羅漢果に達しようと誓願し、向かいつつある段階。
阿羅漢果:全ての煩悩を滅ぼして聖なる修行を完成した聖者の段階。完全に解脱した聖者。
刹那【せつな】:きわめて短い時間。極微の瞬間。
善行【ぜんこう】 → クーサラ
善心所【ぜんしんじょ】:煩悩の含まれない善心を構成する心の要素。浄心所。信(サッダー)・念(サティ)・悲(メッター)・喜(ムディター)など25種に分類される。なお、「心所」とは、作用・状態・性質等の心の属性を表す。(←→不善心所)
センセーション(身体実感):呼吸や歩行など、身体を動かしたり、身体が他のものに触れたりしたときに生じる感覚。このセンセーションに気づいていくのが「身随観」である。(「ヴィパッサナー瞑想」参照)
【た】
ダルマ:「法」の意のサンスクリット語。パーリ語では、「ダンマ」。(「ダンマ」参照)
ダンマ:法。広義では、あらゆる現象。心の対象物。自然の法則。狭義では、真理。ブッダが説いた真理・教え。
「ダンマパダ」:釈尊(ゴータマ・ブッダ)の教えを集めた原始仏典のひとつ。『ブッダの 真理のことば 感興のことば』(中村元訳、岩波文庫)のうち「真理のことば」の部分。「法句経」の名でも知られる。
【ち】
痴【ち】:無知であること。対象の本質がよく見えないこと。(「貪・瞋・痴」参照)
智慧【ちえ】 → パンニャー
地水火風【ちすいかふう】:一切の物質を構成している四つの性質。
・地(質量を作るエネルギー。固さと柔らかさ)
・水(素粒子をまとめるエネルギー。結合力)
・火(寒暖の熱エネルギー)
・風(運動性のエネルギー)。
【て】
「テーラガーター」:釈尊時代の男性の修行僧に関する詩を集めたもの。『仏弟子の告白』(中村元訳、岩波文庫) なお、女性の修行僧に関する詩を集めたものは、「テーリーガーター」と呼ばれる。『尼僧の告白』(中村元訳、岩波文庫)
テーラワーダ仏教:スリランカ・ミャンマー・タイ等の国々に伝えられた初期仏教。南伝仏教、上座仏教とも呼ぶ。釈尊(ゴータマ・ブッダ)の教えを忠実に守り、実践する。「テーラ」は「長老」、「ワーダ」は「教え」の意。
【と】
ドゥッカ(苦):苦しみ。思い通りにならないこと。不満足性。「ドゥッカ」という語には、「スカ」(楽)に対する「苦」という意味と、「自分の思い通りにならないこと」という意味とがある。
徳【とく】:立派な行為、善い行いをする性向。人を感化する人格の力。善行エネルギーの集積。
貪【とん】:むさぼり。世間的な物事に執着して貪ること。好ましい対象への執着。迷いの生存の根元としてのむさぼり。(「貪・瞋・痴」参照)
貪・瞋・痴【とん・じん・ち】:「むさぼり」と「いかり」と「無知」。代表的な三種類の煩悩。「貪瞋痴の三毒」と呼ばれる。
【は】
波羅蜜【はらみつ】:悟りを得るための善行功徳のこと。
パンニャー:智慧。物事を正しくとらえ、真理を見極める力。無常・苦・無我の本質直観の智慧。スタマヤー・パンニャー(人から聞いたり学んだりして得た智慧)、チンターマヤー・パンニャー(自分の頭で分析し、理解した智慧)、バーヴァナーマヤー・パンニャー(自分が直接体験して得た智慧)の三種類がある。
【ひ】
悲【ひ】(カルナー) → 「慈悲」参照
【ふ】
不還果【ふげんか】:この世(欲界)には戻ってこない聖者の段階。(「聖者」参照)
不善心所【ふぜんしんじょ】:煩悩に汚染された不善心を構成する心の要素。痴(モーハ)・貪(ローバ)・瞋(ドーサ)・慢(マーナ)など14種に分類される。なお、「心所」とは、作用・状態・性質等の心の属性を表す。(←→善心所)
ブッダ:悟った人、という意味。テーラワーダ仏教では、釈尊(ゴータマ・ブッダ)だけをブッダと呼ぶのが通例である。
【ほ】
法【ほう】 → ダンマ
煩悩【ぼんのう】:心身をわずらわし、悟りの障害となるもの。貪・瞋・痴に集約される。
【ま】
慢【まん】:自分と他とを比較すること。「自分は他より優れている」と考えたり(高慢・過慢)、「自分は他より劣っている」と考えたり(卑下慢)すること。また、「自分と他は等しい」と考えること(過等慢)も「慢」である。
【む】
無我【むが】(アナッター):我ならざること。実体がないこと。(「諸法無我」参照)
無執着【むしゅうじゃく・むしゅうちゃく】:物事にとらわれないこと。執着しないこと。(←→執着)
無常【むじょう】(アニッチャー):一切のものは生滅変化するということ。
無明【むみょう】(アヴィジャー):われわれの存在の根底にある根本的な無知。四聖諦(苦と、苦の生起と、苦の滅尽と、苦の滅尽に至る道)等の真理を理解しないこと。
【も】
妄想【もうそう】:誤った思い。真実でないものを真実であると誤って考えること。
【よ】
預流果【よるか】:八種類ある聖者の段階のうち、初めて聖者の流れに入った段階を指す。最大で七回七回生まれ変わる間に阿羅漢になる。(「聖者」参照)
【ら】
ラベリング:ヴィパッサナー瞑想で、気づき(サティ)を言語化して認識確定すること。また、その時に使うことば。たとえば座る瞑想で、腹部のセンセーションに対して「膨らみ」「縮み」というように、心の中の内語で言語化し、認識確認すること。また、その際使った「膨らみ」「縮み」等のことば。修行の初期段階では、必ずラベリングを使ってサティを入れるようにする。
【り】
輪廻【りんね】:業に従い、6つの生存領域を繰り返し生まれ変わること。輪廻転生。解脱しないかぎり、天上・人間の善趣地、もしくは阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の離善地(悪趣)に生まれ変わる。