合宿でのヴィパッサナー瞑想体験集

 

 

〈山守由紀さん(30歳、神奈川県)の体験記から〉

 

月へ行くより、ヴィパッサナー瞑想

 

 10日前の12月28日2時に、グリーンヒルに足を踏み入れた「私」が少しだけ懐かしい。
 その時までの「私」は「偏った視座」という分厚いレンズのメガネを掛け、また「しかるべき理想・目標に向かっての努力」が重い鎧となって私の体に覆いかぶさっていたことに全く気付かず、毎日毎日あくせくと動いていた。しかし理由は分からなかったが、だんだんと視界が曇り、だんだんと体が重くなってきていたことに薄々ながら感じ始めていた。職場の皆に迷惑をかけることは十分承知していたが、心の底から「どうしてもリトリートに参加したい」という強い気持ちが沸き、早々と4カ月も前から申し込みをした。
 今、グリーンヒルを後にした私は今でもぶ厚いメガネをかけ、気づかない重い鎧もまだまだたくさん着込んでいるであろうが、でもそのメガネを掛け、着ていたものがただの鎧に過ぎなかったということを知った私の衝撃と感動は、言葉では言い尽くせない。あえて言葉にすれば、それは、たぶん月面旅行に行って帰ってきたことよりもはるかに大きいものだったに違いない。
 それほど私にとっては30年間の人生をひっくり返す10日間だった。

 

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 「しかるべき理想に向かっての努力」こそが善、と考えていた私は、学生の頃から、能力開発に興味を持ち、さまざまなものに手を出した。またそれらを行う時は、必ず集中力が達成の決め手となるため「集中力こそ美徳(=偏った視座)」と、その向上に磨きをかけた。その甲斐あってか、集中力には多少なりの自信がついたし、またそのおかげで成果も出してきた。そのため今回のリトリートも心のどこかで「私は集中力があるから大丈夫」と思っていたような気がする。ところがこれらのせいで「ヴィパサナーには最も不向きなタイプ」であったのだ。
   私の合宿は二段構えで、まず合宿の前半で不向きなタイプの症状が数多く現れ、次に心の随観を始めた後半にその意味が解明され「月面旅行を超える衝撃」へと展開していく。
   初日。オリエンテーション。今回のリトリートはリピーターが多く、ちはし先生に習うのが初めて同然というのは私のみと知る。まず一人一人ラベリングを音声化してドアの開閉にサティを入れる練習をしたが、初心者の私はちんぷんかんぷんなことをした。
   「初心者が10日も来るのは間違いだったかな」とも思ったが、初心者だからこそ10日間ぶっ続けで習わなければ修得できないのでは…、気にせず頑張ろうと自分に言い聞かせた。
   そしてその夜は必死に歩く瞑想。[離れた][進んだ][触れた][圧][離れた]……。と、その時「あれ?」何か変な感じがした。「なんだか私、足が離れる直前に『もうすぐ離れるぞ?』と予想してるようだな。いいのかな?」。
   分からないことがあったらどんな些細なことでもいいからすぐに質問しなさい、とおっしゃった先生の言葉を思い出し早速それについて質問。ところが思っていた以上に厳しく「それではいけません。思い出した過去も、予想した未来もヴィパッサナー瞑想の対象ではありません。その情況なら〈予想している〈とラベリングするならよいでしょう」と告げられた。「ええ?そんなにいけないことを私はやっているのか!?でも勝手にやってしまうんだけどな……」。その後は必死に「今」心が感じたことに集中し、予想が起こらないよう努力した。しかし実はこの時の「予想癖」の発見が私の「月面旅行を超える衝撃」の第一歩であったのだ。

 

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 2日目。少しずつ歩く瞑想中に「予想癖」は顔を出さなくなってきた。しかし今度は座る瞑想が問題だった。お腹の膨らみ、縮みが感じられないのだ。そうなるとサティを入れる対象がなくなるので当然眠気が起こり、ZZZ……。んー、困った。「仕方ない。諦めて歩く瞑想をしよう」と、この日はほとんど座る瞑想をせず、歩く瞑想ばかり。おかげで足腰が鍛えられたような塩梅だ。
   が、座る瞑想がそんな調子なので、たとえなんとかできる歩く瞑想中であっても先生が側に来ると、緊張し、途端にセンセーションが感じられなくなり、ただゆっくりと足を動かしているだけとなる。夜の面接で座る瞑想で困っていることについてお聞きすると、「まあどうしても分からなければ、歩く瞑想と立つ瞑想だけでも修行できないこともありません」とのご指示。でも本当は座る瞑想もできた方がいいんだろうな、と思いつつもやっぱり感じられないので、翌日の3日目も歩く瞑想と立つ瞑想ばかり行っていた。
   歩く瞑想の方は、さすがにこればかり行っていたせいか、だんだん楽しくなってきた。右足左足の繰り返しではなく、一歩一歩が新しい一歩に感じられた。また初日よりもセンセーションもよくわかり、特に「圧」の時、まるで新雪の上を歩くかのように、絨毯の中に足が心地よくのめり込んで行く感じがした。
   座る瞑想ができなくても歩く瞑想がうまくいき始めていたので、私としては3日目のこの日少し気分が良かった。
   しかしながらそんな気のゆるみを先生はしっかり見抜かれていたのだろう、その夜の面接時、食事中に妄想が多いことを厳しく指摘され、これが私にとってはショックだった。なぜなら食事のサティは問題ないと思っていたのだ。相変わらず緊張しながら面接をしていた私はわけが分からなくなってしまい、思わず涙が出てきてしまった。こういうことは一度起こると止まらない。おなかの膨らみ縮みが未だに分からないことも思い出し、さらに悲しくなり、それまでは一度も「帰りたい」と思ったことはなかったのだが、このときばかりは「来るんじゃなかったー」と強く思った。 
   しかし、こんな些細なことに動揺し涙を流してしまう私を先生にお見せできたことも、「月面旅行を超える衝撃」を得る重要な要因であった。
   4日目の朝食。面接で指摘を受けた後の最初の食事である。かなり緊張したし、集中もした。しかしセンセーションをよく感じ、サティが切れないように、と努めるとそれまでに比べ食べるスピードが遅くなってしまう。他の方々は、もっとゆっくり入念なサティをされているように感じたが、皆さま全部食べないので、残さず食べたい私よりもどうしても早く席を離れてしまう。(そうは言ってもすでに1時間は経過しているのだが)。他の方全員が去った時、私は半分しか食べていなかった。部屋に私と先生だけが残り、この状態で食べ続ける勇気がなかったので全部食べたいのを我慢し、私も席を離れた。こうやって周囲を気にするところも私の心癖であることには、この時もちろん気づいてない。
   悲しみが増せば増すほど、悪い方へとどんどん展開していく。合宿前半の私にはこれらをサティによって消す力は全くなかったので、もうただ妄想し、朝食後のダンマトークも真剣に聞く気が起きなかった。
   暗い気分のまま、1時間、2時間と経ち、それなりにサティは入れ続けていたが、昼食がもうすぐやってくると思うと、それをきっかけに妄想。しかし、これじゃぁいかん!とさすがに腹を決めた。この時、先生が始めにおっしゃった言葉を思い出したのだ。「ここでの食事は楽しむためのものではない。修行です」と。
   頭ではよく分かっていたし、楽しもうとは全く思っていなかったのだが、食事中つい「全部食べないと体がもたないよなー」とか、「甘い物を食べると修行の妨げになるのでは」と思いながら食べていたことに気づいたのだ。「先生は無執着の心を育てる、とおっしゃったよな。そうか、私は思っていた以上に食に執着あるんだ。全部食べられなくても死ぬわけでもないし、いいや!」と開き直ることができ、一気に気が楽になった。その後の昼食はどれくらい食べたのかよく覚えていない。
   その日の午後は気持ちがすっきりしたのか、歩く瞑想中のサティの持続性やセンセーションの感じ方は一番良かった。1時間半続けてできたときは「少しは成長したかな?」とちょっと嬉しくなった。
   夜の面接では気持ちがさっぱりしていたのかあまり緊張していなかった。が、予想はしていたが、面接終了時、前日の「涙」の理由について聞かれてしまった。私はこの質問にはあまり答えたくなかった。質問に答えようとするとまた涙が出そうになるのだ。「どう言って良いか分からなくなると、自分でもなぜだか分からないが涙が出る癖が小さいころからある」と自分としては軽く答えた。先生からは「その時もサティを入れなさい」と言われ、ま、そうだろうな、と思っていたのだが、この涙の件もしつこいようだが、翌日より起こり始める「月面旅行を超える衝撃」の大切な要因となっていた。
   他にも月面旅行を超える衝撃の要因となるものが、前半のあちこちに起こっていた。たとえば、その時はただ、不思議だな、としか思っていなかったのだが、ドアの開閉時、サティをいちいち入れていたから気づいたのだが、なんだか無駄な動きが多いように感じた。例えば、完全にドアを開いていないのに、入ろうとしたり、スリッパを脱いでないのに、出ようとしたり、「感じる」→「サティ」を繰り返していると、どうも私の動作の順番がおかしいのだ。布団を敷くときもそうだった。なんだか動いている割にはなかなか敷けないのだ。変だなーと前半中は思っていた。

 

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 いよいよ合宿後半、5日目の朝。初心者もインテンションと心の随観をするよう説明があった。他にもまだ修行メニューがあったんだーと、ちょっと嬉しくなる。
   ……その時、ダンマトーク中であるにも拘わらず、私の隣に座っていた方が何のためらいもなく「今、眠くてしようがなかったのでサティをやってみたら、眠気が取れました」という喜びを自然に先生に伝えた。それを聞いた瞬間、私の中で「羨ましいな」という気持ちが沸いたことに気づいたのだが、次の瞬間には「そうだ。たった今、心の随観を今日から行ってください、と言われたばかりなんだから、サティしてみよう」と思い「羨ましい」とサティしたところ、その思いがそのままの状態で止まった感じがし、それ以上に展開しなかったのだ。「あれ? いつもなら、羨ましいと思った後には必ず『いいなぁ』と思うのに…」と、全く嫉妬せずにいられる自分が不思議に感じられたのだ。ちなみにこの間たぶん5秒位だろう。不思議だなー、不思議だなー。でもまだモヤモヤっとした気持ちが残っているからこのままそれを随観してみようと思い、ダンマトーク後もそのまま部屋でモヤモヤを見続けた。
   ……羨ましい、私はあんなふうに先生にスッと自分の気持ちが言えない。「不安」とサティを入れたが、モヤモヤは変らない。違うか。「心配」。やはりモヤモヤは変らない。違うか。んー。ダメダメ。ねらっちゃダメ。あるがままの心を見なくては。んー。んー。
    「恐怖!」
   と、サティした瞬間、まるで台所だと思ってドアを開けたら、その向こうは海だった!というくらいの衝撃で、パアーッッッッと、いきなりモヤモヤが消滅し、その驚きに思わず閉じていた目を開いてしまった。これには本当に驚いた。そして次に「なんで<恐怖>なんだ!?」と不思議に思った。「心配」でもなく「不安」でもなく、なぜ<恐怖>なのか。と思いつつもそのままサティを続けると、その原因が出てくる、出てくる……。
   幼い頃、厳しく育てられた(と自分で感じていた)ことで常に「叱られるのでは」という「恐怖」。また両親より認められたいために、学校で勉強をがんばり、好成績を収めるのだが、それにより友人たちから妬まれる「恐怖」。幼い頃のシーンが次々と出ては「見た」とか「と思った」とサティを入れ続けた。しかし面白いことに、原因が出てきても、それに対し、嫌悪感も悲しみも起こらず、そうだ、そうだ、と納得に近い感覚で次々と随観できたことが不思議だった。また逆に随観する度に何か曇っていた物が晴れていく感じがして、とても楽しかった。
   衝撃はさらに続いた。その後の歩く瞑想中、先生が来て、心の中にモヤモヤっとした緊張が発生しても「恐怖」とサティを入れると、スーッ……と消えてしまうのである。一瞬忘れる、と言った感じに近いかもしれない。で、歩く瞑想に戻る。「すごいなー。すごいなー」と静かに感動。ところが面白いことに、その後何度か先生が視界に入り、気になった時はこの「恐怖」で消えていたのが、その後消えなくなってしまった。むむむむ?しかしこういう時も〈あるがまま〉を見るんだよな、と心の随観をすると、今度は、「期待!」で消滅。その時の私は、面接で先生になんと言われるか、という恐怖はなく、きっと誉めてもらえるに違いないという「期待」から来る妄想だったのだ。改めて、その瞬間瞬間で心を見ることの大切さを実感した。
   この気づきのおかげで、体にも顕著に反応が出た。リトリートの前半中ずっと寒かったので、コートまで着て修行をしていた私の体温が上がったのだ。コートを脱ぎ、おまけに裸足で歩く瞑想ができるほどになった。恐怖に縛られていた私はずっと緊張状態で血液の流れが悪くなっていたようだ。
   さらに何よりもうれしかったのが、あれほど分からなかったおなかの膨らみ縮みが感じられるようになったのだ!!!これには驚いた。と同時に「あーこれで座る瞑想ができる!」と本当にホッとした。
   「恐怖」についてはまだまだ根が深そうに感じたので、さらにつきつめて見ることにした。やはりそれは私の中に非常にやっかいな反応プログラムを多く生んでいた。
   その中でも最もひどいものが、1日目の歩く瞑想中に発覚した「予想癖」である。
   これは恐怖を回避するための私の防衛手段であったことが先生との面接で判明した。できるだけ前もって先のことを予想し、失敗したときの恐怖と叱られることへの恐怖を避けるわけである。しかし予想に反したことが起きると、極度に緊張してしまうことになる。先生との数回前の面接で涙を流してしまったのは、まさにそのせいだ。
   先生より「即興で生きることはとても大切です」と言われたとき「本当にそうだよな。私は全然それができない」と強く強く感じた。本当にこれは心に響いた。ずーっとずーっと憧れてきた生き方だったから。涙を出していなければ、これは分からなかったであろう。もちろん、何か物事をする前に「準備」することはとても大切なことだ。準備が悪いわけではないのは十分承知している。しかしそれに執着してしまうと、いつも先のことばかり気にし、今、現在のことに集中できないことになる。思えば、私は何かあらたまって話す前に、必ず頭の中で何を言うか「リハーサル」をする癖があった。特に、翌日心の随観で分かったのだが、何かまずいことをしたとき「言い訳」を一生懸命頭の中で行い、またどう言い訳しようかと無意識にリハーサルをしていることが分かった。リハーサルしたくないんだけど、知らぬ間に頭の中でやっている。と同時に終わった後も復習していることに合宿後気づいた。リハーサルに対する不快感はあったのだが、小学1年の時からのことなので慣れきって感覚が麻痺していた。
   この「予想癖(リハーサル癖)」を消すことができれば、物心ついたときからの私の行動パターンを根本から覆すことになるわけで、その結果起こる人生の快適さはどれほどのものになるだろうと、まったく予想できないだけに、この嬉しさと感動は30年間生きてきて初めて味わう種の感動だった。
   「予想癖」は常に先を心配しているので、別の言い方をすれば焦りやすいと言える。非常に焦る性格であることはすでに十分承知していたので、今回のリトリートの目標に「焦りをなくしたい」と書いたぐらいだったのだ。そしてこれが合宿前半に感じた、ドアの開閉時や、出入りのときの、無駄な行動の多さの原因だったわけである。
   他にもこんな笑えることがあった。おなかの膨らみ縮みが分からなかった私だが、なんと息を吐いたあと、無意識に早く吸おうとし、吐ききらないうちに吸っていたのだ。これには我ながらあきれた。だからだんだんとおなかの動きが小さくなっていき、次第におなかの動きは止まってしまうのだ。いやはや恐るべし「予想癖」。
   このようにサティにより自己理解が深まっていったので、面接で「心の随観を中心に行うように」と指示を受けた。おなかの膨らみ縮みも感じられたことだし、他にどんなことが分かるのだろうと後の5日間がとても楽しみに感じられた。

 

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 このような発見の喜びの中で後半はスタートし、座る瞑想、歩く瞑想、心の随観と変化を感じつつ、充実した時間を送っていたのだが、まだひとつ引っかかるものがあった。前々から時々あったのだが、慈悲の瞑想中に睡魔に襲われることがあり、少し困っていたのだ。
   心の随観や、普通の座る瞑想をしている最中はあまり眠気が起こらないのに、慈悲の瞑想を始めると、知らぬ間に妄想に巻き込まれていたり、眠ってしまったり、ということが起こる。私は冷たい人間なのだろうか…と悩んだりもした。よし!それなら慈悲の瞑想をしながらサティを入れてみようと思い立った。
   いざ始めてみると、やっぱりどうしても「生きとし生けるものが幸せでありますように」が最後まで言えない。本当に面白いくらい言えないのである。
   この言えない状態をさらに見つめてみた。急に「幸せになってほしくない!」というサティが入り、その瞬間モヤモヤッとしたものがパァーッと晴れた。ええ!!!私はそんな冷たい人間なのかぁ?さらに引き続き随観。次々と思いが出てくる。他人に認められるには自己向上しかない、と信じていた私は、無意識に自分が上にのし上がるために他人を蹴落としたい願望があったのだ。だから人の幸せは私を不幸にすることになる。両親から認められるには「できる人間」にならなければならない、という思い込みがいつのまにか他人からも認められるには「できる人間」になるしかない、と信じるようになり、そして他人が幸せでは困る、となってしまったのだ。
   ところが実は他人だけでなく、自分に対しても慈悲の瞑想ができなかった。なぜか「私が幸せでありますように」と言えなかった。
   これも観察してみると、これまで発見した様々な私の心癖と密接にからんでいた。
   「幸せでありますように」と言えない心をよく見ると、「幸せ」というイメージの裏に何か黒い空気のようなモヤモヤが漂っていて、幸せとは似ても似つかない印象があったのだ。そして「我慢」という言葉がひらめき、サティを入れたら、なんとそれがパッと消えたのである!
   私にとって「我慢」することが幸せにつながる、と考えていたことに気づかされたのだ。
   我慢して勉強、我慢して仕事を頑張る、遊びたいのを我慢する。その目的は「他人から認められる人間」=「私は幸せ」である。だから「他人から認められる人間」とはどういうものか、はっきりすればするほど、我慢ができるので、いつも理想を追求し、尊敬できると感じる人を目標とし、自己啓発書を繰り返し読んでは、理想を頭にたたき込み、頑張ってきた。逆に言えば、理想、目標がないと、行動の原動力が生まれてこないのだ。それがないと、急に忍耐のない、ちゃらんぽらんな人間になってしまう。これらはかなり以前から自覚があったし、だからこれを防ぐためにも「何かに向かって突き進むことは良いことだ」と心から思っていた。
   もちろんこれが悪い事ではないのは十分承知している。良い、悪いはない。「全てが等価値」と繰り返し先生に教わった。ところが私の場合は元をただせば全ては「恐怖」から始まっており、そこから逃れるための強制的な幸せイメージなのだ。よってそのイメージに反するものは否定することになり、フィットするものには強い執着が生まれる。すなわち「偏った視座」というメガネを通して全てを見ているわけだ。また、自分自身を強く矯正しているので<あるがまま=自然体>とはほど遠く、非常に苦しみを感じる。それでも首尾よく幸せイメージが実現すれば安らぎを感じるのだが、依然としてその背後には「恐怖」が常に存在しており、「恐怖」がくるたびに逃げまどわなければならない。無理やり作り上げられた「幸せ」は続かないものだ。
   これらをサティは教えてくれた。
   私の心癖は自分を幸せにすることもできず、他人の幸せを願うこともできず、このまま生きていたら本当に恐ろしいひどい女になっていたに違いない。改めてヴィパッサナーとの出会い、合宿に参加できたことに感謝する。
   そんなわけで、慈悲の瞑想をしながらサティを入れていくと、自分では気づかない心の醜いところが判ることから、友人や知人、親族などに対して行うとどうなるかを片っ端から試してみた。
   やはり面白い発見があった。
   思いつくまま一人ずつ慈悲の瞑想をし、順調にできていたのだが、とても仲の良い友人K子を思い浮かべ「K子が幸せに…」まで来たときに、次の「なれますように」が言えなくなってしまった。「むむ、もう一回」と集中して言おうとしたら、なんと
   「K子は幸せでいいなぁ……!!」
   と思いもよらない言葉がスルッと飛び出してきてしまったのだ!「えええ!!?」これにもまたびっくり。さらに随観すると理由が判明した。K子は可愛く、誰からも愛される人気者で、私の目からはK子が非常に幸せに見え、羨んでいたのだ。だから幸せになってほしいと願うことなどできなかったのだ。私ってなんてひどいやつだ、と思いつつもやはり自己理解ができたことが嬉しく、その後はちゃんとK子にも慈悲の瞑想ができるようになった。

 

   後半の合宿について、心の随観ばかりを書いてしまったが、喫茶や歩く瞑想でも前半になかった変化が出た。
  私はなぜか喫茶でインテンションの練習をするのが好きで、集中すると「手を伸ばしたい」「伸ばした」「触れたい」「触れた」と心をだいぶ見ることができた。が、いったん集中が途切れると見えなくなる。面白い。この「……したい」は、あまりにも瞬間なので、0.1ミリ間隔でメモリが刻んである定規を見るような意識と集中で行っている感じがした。
  他にも8日目の歩く瞑想中、突然床が立て揺れ地震のように上下に動き始めすごく驚いた。つとに聞く「ニミッタ」というものらしい。
   最終日。
   サティの連続状態を2時間続けるという「2時間達成ゲーム」をこの日行うことになる。目標好きの私にとっては却って目標があることは、本当の〈あるがままの状態〉になりにくく、つい「ねらって」しまう。絶対にサティを落とさないぞ、とか、集中を切らさないぞ、とか。そしてこの「絶対にサティを落とさないぞ」「集中を切らさないぞ」には「と思った」のサティはすっかり忘れられ、状態はどんどんおかしくなる。だから全然続かない。前日の歩く瞑想の時の方がはるかに続けてできた。
   そういうわけで、1時間試しただけで、この達成ゲームはあきらめた。と同時に合宿最終日に改めて、私の反応プログラムの根深さを痛感し「ヴィパッサナーに最も不向きなタイプ」と言われたのを納得した。でも、やるしかないし、不向きなタイプだからこそ、できるようになった時の喜びは大きいに違いない。時間がかかると思うけれども、これからも頑張ろう、と最終日に思えたことは大変良かった。

 

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 長々と記したこれら一連の気づきと喜びは、私にとってはどれもこれも「月面旅行を超える衝撃」と言っても全く大げさではないのだ。
   「来月、月面旅行とヴィパッサナー合宿10日間、どちらか行けるとしたら、どっちに行く?」
  と訊かれたら、今の私は間違いなくヴィパッサナー合宿10日間を選ぶと思う。月面旅行に行っても私は変わらないし、幸せになるわけではないから。
   最後に、この10日間を改めて振り返ると、長年、自分探しの旅をしてきながら完成させることができなかった私だが、しかしこのたった10日間のヴィパッサナー瞑想合宿で、まるで「どうすれば幸せになれるか」という頭の中のジグソーパズルが次々と合わさっていき、どんどん絵が現れて完成してくる……!と、そんな感動の日々だった。
  もちろん長年、行ってきた様々な自分探しのトレーニングは全て価値があったし、それらがあっての今の私なので否定するもりは全くない。すべては等価値である。
   ただ、今までと違ったものの一つに「瞑想ができるためには、反応系の心の回路を組み替えなければならない。そうしないと必ず妄想が起こり、結果的に瞑想ができないだろう」という先生のダンマトークだった。私のこれまでの自分探しの経験だと、まず瞑想して何かイメージをし、そのイメージで回路を組み替えていく、という発想しかなかったが、そうではない世界、一切のコントロールをしない世界を基礎にする技法があるのだと感じた。よって今後もセンセーションの観察と心の随観を平行して練習し、より良い瞑想ができるようになっていきたい。
   「恐怖」の源であった厳しいしつけをした両親だが、今はとても仲良くやっている。両親と3人で旅行や食事に行くのも珍しくない。問題だったのは、現在の両親ではなく、また昔の両親でもなく、しつけによって私の記憶に残った「厳しい」という印象だけなのだ。現実の真の姿と心に作られた印象のギャップ。それはこの10日間の合宿の前半と後半でのちはし先生に対する印象の変化にも感じられる。法として実在している現実ではなく、心のなかに生まれていく〈私だけの印象〉がドゥッカ(苦)を生み出していく原因なのではないか。そうお釈迦さまは説かれていたのだ、と私はこの合宿を通して理解している。
   「(常にサティを入れるぞ)と思った」「(無執着)と思った」「(全ては等価値)と思った」……と、これからもずっとサティを続けていきたいと思う。
   ちはし先生、お世話になりました皆様、本当にありがとうございました。

 

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 ここらからは余談です。ヴィパッサナー以外で感動したこと。
   ちはし先生が布団を押入から出し、階下の部屋に持っていくときの動きの早さと正確さにものすごく感動しました。今までいろいろなダンサーを見て、美しい動き、重心の取り方を見てきましたが、別の次元でした。すみません、面接中だったのでサティを入れず、すごいなーと見とれてしまい、どんどん反応のドミノが倒れてしまいました。でももう一回見たいです。
   先生のお母様も今年80才というお歳でありながら、すごく足腰が強いのに大変驚きました。掃除機もって颯爽と一階から三階まで上っていく姿にサティを入れつつ感心しておりました。
   この体験談を電車の中で書いているとき、面白いことが2回も起りました。乗車した時点では座席が空いていなかったので「座れないから書けないなぁ」と思ったら前の席に座っていた方が駅でもないのに立ち上がりどこかに行ってしまいました。そんなわけでありがたく座らせてもらい書くことができました。また別の電車に乗ったときも、はじめはぎゅうぎゅうに座っていたのでパソコンのキーボードをうまく叩けなかったのが、これまた偶然隣の人が子供に代わり、らくな体勢で書かせてもらえました。ありがたいことでした。