合宿でのヴィパッサナー瞑想体験集
〈匿名希望Bさん(女性 通訳・翻訳業)の体験記から〉
◎コペンハーゲンは大型バスに乗って行け!
まず初めに、今回のリトリート中、裂帛の気迫をもちましてご指導頂きました地橋先生、スタッフ担当のお母上様、南の国におわせます善知識、私の修行を支えてくださいました全ての生きとし生けるもの、ともにつどった修行者・法友、また家族に感謝申し上げます。
1日目
先生には、足裏にサテイを張り付けてグリーンヒルの丘を登って来るように、といわれていたけれど、どうしても世俗の瑣事に絡め取られて、ゼンマイの巻き戻ったサティのまま、千葉の家を出た。この日朝、千葉はとても暖かく、つい羽織っていたカーディガンを脱ぎおいてきたのが失敗のもと、京王線が高尾山に向かって勾配を上げる頃、肌に寒さを感じたとたん、風邪を引いてしまった。このことが、後々まで響いて、修行内容に悔いを残すようになるとは、修行経験の浅い私には、そのとき、知る由もありませんでした。
道場につけばもう午後食はないので、新宿でお昼を頂き、京王線に乗車。車内で今回一緒に道場に入るI氏と遭遇、すこしおしゃべり。めじろ台駅に到着後、先に改札を出ようとしていたI氏の「バスがきているよ!」という声を聞いて、私は思わずはっとした。というのも、こういう場合、考えられる私の心のアクションは、二つ。一つは、乗り遅れまいとして必要以上に焦ること、そして、もし乗り遅れてしまったなら「うまくバスを引き留めなかったあんたが悪い」とばかりに、同行の者を(心内で)なじること。これまでの経験上、心がどちらかにドミノを倒して行くことは知っている。そばにいるのは、これから10日間も一緒に道場で過ごすことになる法友、のっけから、彼に不愉快な思いはさせたくないし、自分も嫌悪の心で研究所に着くなんて愚を犯したくない。そう思った途端、「法友に不愉快な思いはさせてはならない、自分のアクサラをくい止めよう」という決意が立ち上がった。すると、その決意とともに、何と半睡状態だったサティがすっくと立ち上がったのである。
「バス(見た)」「本当に来ている(思った)」「急がなくては(焦っている)」「精算機はどこだ(探している・焦っている)」「見あたらない(困っている)」「ゆっくりさがせば必ず見つかる(思った)」「見つからない(焦っている)」「駅員はどこだ(探している)」財布の感触、お札の感触、「おつり早くしてくれ〜(焦っている)」「お釣りもらえた(欲)」「Iさんが私の荷物持ってくれれば、私走れるのに(譴責)」「改札(通った))」「バス(見た)」「歩いている(足裏感覚)」「バスのステップ(見た)」「ステップ登る(足裏感覚)」と、すべての動作、感情に、マインドフル、サティが入っていく。おかげで、バスに乗り遅れることもなく、I氏に不愉快な思いをさせることもなく、自分も落ち着いてバスに乗れた。ヴィパッサナーが生活に中に生きる瞬間の、修行者の幸せ。
寺田センターバス停では、今回一緒に修行に入ることになっている、千駄ヶ谷の瞑想会でも見かけたことのあるI嬢と一緒になり、三人でグリーンヒルの丘を登る。研究所に到着後、スタッフとして毎日の二度の食事、お風呂など、修行者の身の回りのお世話に獅子奮迅の働きをされる先生のお母様にご挨拶、2Fでオリエンテーション。男性女性各二名が初参加、日が暮れかかる頃、初心者のサティの指導と、リピータの復習がお手洗いの前で再現され、ヨーイン・ドン、沈黙行が始まった。
しかし、この頃から何と、鼻がむずむず、もぞもぞ、体調が悪くなって来たのである。サティを入れ続けようとしても「ズービー」「ズービー」。その度にサティが途切れ途切れて、サティを入れに来たのか、鼻をすすりに来たのかわからなくなってしまった。一日目は、サティ最悪で就寝(でも、風邪そのものには全く嫌悪が出ない自分を、誉めてやりたい。途切れ途切れのサティでも、家でテレビ観ているよりはいいのだし、建水の掃除当番が出来れば、クーサラになる。もし寝込んだなら、お粥をすすって寝禅をすればいいじゃないか、と潔く腹をくくったからである)。
2日目
引き続き「随念・ヴィパッサナー」の復習ということで、「アラハン」「きたない」「死ぬ」「しあわせ」等を入れていく。しかし、「ズー」「ビー」で、サティは中断、中断、中断……、何と手も足も出なくなり、茫然自失。瞑想にとって、体調を整えることがいかに大切か、調整の失敗は命脈にとどめを刺す死活問題であることを、痛感する。
朝のダンマトークのとき、先生が他の修行者に笑いかけると、なぜか「(先生を)見た」とは入らないで、「いいなあ(嫉妬)」。私に笑いかけてくれたときは「見ている」。これを暫くやっていて、あることに気がついた。これは大変不公平なサティの入れ方だわ。私は、先生が私に目を向けてくださったときは「見ている」とサティを入れて、「ウンウン、そうそう」と肯定的に認定し、先生が私以外の人に目を向けているときは「けしからん」と否定的に認定している訳で、これではまるで幼稚園以上小学生未満。ああ、人はこうやって、嫉妬の海に、怒りの海に溺れていくのか、そう思ったとたん、背筋に寒気が走ったのは、あながち風邪のせいばかりではなさそうでした、ね。(これからは、ともに学ぶ幸せのサティをいれよう!)
3Fで歩行禅。私は歩行禅は目をつむって、壁伝いにやりたい。その方が体感をよく感じ取れ、サティがどんどんクリヤーになっていくからである。ところが、何を勘違いしたのか、ターンするとき、壁とは反対側にターンしてしまった。そのとき、運悪く、男性が一人、歩行禅室の入り口に立った。すると「あっ、壁を取られる」との思いに巻き込まれ、サティが入らなかったその刹那、全身の状況が万華鏡のように変化した。時系列的には、まず「しまった、壁から離れなければよかった」という後悔。次に「この壁を取られたくない。早くタッチしよう(陰の声・ラグビーやってんじゃないのよ)」と思った瞬間、全身から一斉にホルモンが放出され、身体は「よーし、陣地の取り合い、一丁やったろうじゃないの」の戦闘モードに入ったのである。全身にホルモンが放出される瞬間の感触は、珊瑚やフジツボが、満月の夜申し合わせたように、一斉に卵胞を海中へ放出するときのように、頭のてっぺんからつま先までの全ての細胞の一つ一つが全開し、戦闘態勢に入ったのがはっきりと分かる(そう、細胞は同期反応するのである)。そして、次の刹那には、その汚れた身体の影響を受けた心が、欲と怒りで大きく膨張し、かつ真っ黒になっているのが観えた。
そしてこのことが、私に一つの記憶を呼び起こさせた。私は余程カルマが悪いのか、2年前、癌で入院・手術。「おまえは明日にもすぐに死ぬ」と看護婦さんからいわれたとき、私の全身の細胞の一粒一粒がそれぞれに意志を持って「死にたくない!!(正確には、我々は生存を続けたい、杜絶・断絶だけは何が何でもイヤだ、イヤだ。なぜだって?生きたいに理由なんかない!!)」と、一斉に同期して絶叫した、そのときと同じ感触なのだ。
死を宣告されたとき、私は「細胞レベル」で死にたくないと思うと同時に、「暗闇の中を一人で旅立つのは余りに恐ろしい。この住み慣れた三次元世界に、ずっとずっといたいよ〜〜」という思いが生起したが、これは前者が細胞レベルの有貪の叫び、後者は、無明による心の叫びではないかと思われる。グルメだ、観光だって楽しんでいる有情の人生、これでなかなか、きついもんがあるよねえ。(しかし、壁一枚の為に死闘を演じるなんて、私は恥ずかしながら、まだまだ、タイタニックには乗れそうもない)
火灯し頃、同室のE嬢が、虫の羽音を聞いて「キャー、私、虫が怖いの」と叫んだ。「(…オイオイ、おしゃべり厳禁だよ〜〜。たとえモスラが飛んでこようとも、ガメラが飛んでこようとも、ここではしゃべっちゃだめなのよ〜〜。ここの先生はモスラよりもガメラよりも何倍も怖いのよ〜〜)」と一人ごちつ、「よし、ここは一つ、リピータの貫禄を見せてやる」と思った次の瞬間、先生の千駄ヶ谷でのダンマトーク「削減経」を思いだしていた。まず「よし、私は恐怖しない者になろう」と決意。「ブーン(聞いた)」「虫だ(思った)」「壁に止まった(思った)」「体(回った)」「歩く(足裏)」「まさかゴキブリではないだろね(嫌悪)」「コキブリさん、ハラスメントごめん(懺悔)」「カメムシだ(見た)」「カメムシなら素手で捕まえられるぞ(安心)」「捕まえた(感触)」「虫がおびえている(感じた)」「安心させてやろう(慈悲)」「虫をなでる(感触)」「歩く(足裏)」「窓を開ける(音・桟の感触)」「気をつけて飛んでいってね(慈悲)」……としっかりサティが入っていく。席にもどって、座禅再開する頃、五人兄弟の末っ子で、人一倍甘えん坊な私が、これで大した「姉御」になった気分。心に吹く風はなぜか非常にさわやかであった。
そして、翌日の面接のとき、先生から「決意」の大事さを教えられ、実感とともに、ダンマを胸に収めることが出来た。
3日目〜7日目(内容順不同)
幸い風邪もだんだんによくなり、「随念・ヴィパッサナー」もそこそこ入っていくが、立ち上がりが悪いと、いくら後でがんばっても、もはや取り返しがきかないこともわかってくる。体調を整えるというのは、すなわち、時間との戦いでもあったのだ。自分の軽はずみな行為(カーディガンを家においてくる)に少し後悔したけれど、悟りにとって体は非常に大切な道具であることがわかり、いい勉強になった。なるほど「沙弥から長老にはなれぬ」もの。
朝のダンマトークで、先生が認知科学の「失認」について述べられ、私は、10年程前に読んだ本の体験を思い出してうれしくなった。私が読んだのは、たぶん認知科学のはしりであったと思われる「妻を帽子と間違えた男」という本で、この本から私は一つの啓示を受けたのである。それは、確か一人の男性が何らかの理由で脳に傷がつき、そのため「妻を帽子と間違えて」持ち上げ、かぶろうとする認知学的症例の紹介であった。とても滑稽な行為、気の毒に思うけれど、では、振り返って私の脳に「傷」が無いと誰が保証することができるだろうか。実は私の脳にも傷があって、私が夫と思っている人が、本当は帽子だったという可能性は無いだろうか?もしも、全人類の脳のある箇所に、寸分違わぬ同じ大きさ深さの傷があったなら、人類は共通の悪夢をそれと知らずに共有していることになる。いや、そんなことはないと誰が保証することができる?老子荘子がいうように、まさに我々は「胡蝶の<悪>夢」を見ているのではないのか?急げ、覚者たらん、と。(しかし、決意の割には、すっかり寄り道をしてしまった、俗世の瑣事にいそしんで)。
昼食時、視力がものすごくよくなって、お盆の上、吸い物椀の中の、汁に浮かぶ1mmくらいの光の粒子(と思いますが)の一粒一粒がはっきり見える。雪の結晶の角を取って丸くしたようで、結晶の細かい枝々も全部見える。キラキラ、キラキラと、とても・とても・とても美しい。でも、先生は「見てはいけない、即刻、中心対象に戻れ」。なんとまあ、ヴィパッサナーの「酷薄なる修行法」であることか。大乗者が「阿羅漢は冷血漢」となじったのは、こんな所にも原因があるのではなかろうか。しかし、感受を決然と捨断出来なければ、阿羅漢どころか、預流向にもなれないだろう、と私は思う。
翌日の昼食時、今度は一転視力に支障がきたしたように、いやに視界がぼやける。目の前の修行者の着ているセーターの模様が分からない。庭の草花の像がぼやけ、ゆらぎ、二拍ほどおいた後、ようやく像を結んだ。その瞬間、中国出張中に聞いた「気功師は世界を霧状として見ている」という風聞を思い出した。ならば私の身に起こっていることは、物質は意識を持って見たときに波動から粒子になるという素粒子理論「コペンハーゲン解釈」の体験かと、ついうれしくなってくる(いや、ただの老眼だったりして。コペンハーゲンへの道は茨の道、そう簡単に行けるとは思えない)。
食事をしながら、目の前にD君の姿。私の息子よりまだ若い、あどけない高校生のような青年。ヴィパッサナーが好きで来ているのか、心に問題があって来ているのか、後者なら、どうか今回の沈黙行で、成果を得て帰ってほしい。そう願いつつ、サティを入れ続けていると、突然、彼への無条件の憐憫、愛情があふれ出て、思わずサティ、パーリ語で「カルナー」。考える間もなく突然、パーリ語のサティが飛び出したのには、我ながら驚く。私は、仕事柄しばしば中国、台湾へと出張するし、東南アジア大好き人間、語学の習得には興味がある方だけれど、まさかパーリ語でサティやるとは思わなかった。私は関西弁が得意なパーリ語でサティする北京語の通訳を職業とする台湾人、アレレ、何だか頭が痛くなってきた。
8日目
鼻をすすりつつの「随念・ヴィパッサナー」の復習もいよいよ終わり、今日はスリランカ方式の手ほどきを受ける。これまでの実感に頼って言葉を選んでラベリングしていくマハーシ方式ではなく、ラベリングは眼耳鼻舌身意の六門を直接「眼識!耳!鼻!舌!身!意!」と入れていく。慣れないため、意識か身識かで迷って1,2拍ほど遅れたりと、時々失敗することもあったが、マハーシと違って、ラベリングの用語選びに余計な神経を使わなくてもいいだけ、センセーションに没入することが出来、サティがより緻密になってくるのが分かる。そして、音節の多い日本語がまどろっこしく感じられて、ラベリングを一音節の中国語「眼(yan)耳(er)鼻(bi)舌(she)身(shen)意(yi)」に切り替えたとたん、サティの質が一変した。いや、その威力のすごいこと。一瞬の感覚や意念にラベリングを入れたとたん、ラベリングしている間の何刹那分、感覚をまったく感じることが出来なくなり、感覚、ラベリング、感覚、ラベリング、と完璧に時系列が成立していく。いやはや、余りのことに涙がこぼれ、この方式を開発したスリランカ人がブッダと同じくらい尊く思えて、遙かインド洋に浮かぶ真珠に向かって合掌、瞠目しないではいられなかった。
しかし、子音と母音の組み合わせによる多音節の日本語では、完璧な時系列性を成立させにくく、どうしてもサティの茫漠性を払拭できないというのはどういうことだろうか?前にコンピュータ理論を学びに来た中国の大学院生の通訳を担当したとき教わった専門知識に、「パルスをバスに乗せる」という表現があった。「バスに乗せる?」「デジタル化したパルスを?」「どうやって?理解不可能」と指導教官にSOSを出すと、「まあ、そう深く考えないで、そのまま『バスに乗せる』と直訳してください」とのこと。(その「バス」を本物のバスの概念化したものと誤解して、パルスというお客様が大型バスに乗っているイメージで通訳していたのは、ご愛敬。後で間違いに気がついて一瞬青ざめたけれど、バスとは母線のことであった。すみません、通訳代半分返します)。
その教授の受け売りではありますが、「バスに乗せる」とは、光ファイバーに、可能な限り多くのパルス信号を乗せるために開発された方法で、発信された「1(ある)・0(ない)・1(ある)・0(ない)」二進法のパルス信号を、一旦ばらばらに分解し、他から発信されたパルスを適宜混合しながら母線=バスに送り出し、受信のときには、夾雑パルスを排除して、元の意味のある情報に戻す技術をいうらしい(私の理解する限り、光ファイバー電話回線はそうなっている。アナログ送信の銅線と違って、光ファイバーはパルス送信であり、ゆえにこの技術を使って、一時に非常に多くの情報を流せるようになり、電話代が安くなった、はずです)。このことから、日本語の「かんがえた」の「か…ん…が…え…た」の「…」には、刹那刹那、別の情報を持つパルスが挿入され得ることが想定され、これがヴィパッサナーの観察対象が茫漠性を帯びてしまう一つの理由ではないかと思われる。このことを踏まえていうならば、ラベリングには極力、夾雑物の混入を防御できる一音節のもの、特に「母音単音型」のものが俄然、有利になってくるものと思われるが、如何であろうか。
私は認知科学については、「妻を帽子と間違えた男」を読んだだけで、その後取り立てて勉強したわけではないので、単なる推定、帰納の範疇を越えないけれど、私達の脳内も、このデジタル処理とアナログ処理が瞬時に選択され、経験されているのではないかと、修行体験上そのように考察される。先生にまたまた「この、くず箱あさり」と叱り飛ばされそうだが、以下疑問を少々。
集中が良いときのアナパナは、意識が鼻先から離れないから、音が耳に届いてパッサが生じている時でも、音に引きずられること無く、アナパナを続けながら音も聞くという同時進行体制になる。これは、まさに、パルスをバスに乗せている状態、情報はA(アナパナの息)B(音)A・B・A・B…という順序で送り届けらているのだが、その余りの高速性によって、自分にはまるで二つの情報を同時に受け取り、体験しているように感じられているのだと解釈できる。ところが、油断が生じると、鼻先を見ていたはずの意識が一瞬無意識状態になったかと思うと(有分心に墜ちる?)、次の瞬間は「丸ごと音を聞いている意識状態」になる事がある。これはA(息)→C(無意識)→B(音)→(中心対象へ戻らなくては!)→A・A…というふうに表現できる。今私の疑問は、このBは、パルスであるかアナログであるかという問題ある。どうやら同じBであっても、前者のBはパルス、後者のBはアナログに思えて仕方がない。ま、こんな事、頭で考えても仕方がないか。先生のおっしゃる通り、修行、修行、修行あるのみ。
あるとき、眠気に「引きずり込まれる」とサティを入れると眠気が消え、その後は眠気が激減した。最近、瞑想が楽しくなってやる気が出てきた上に、眠気に対するサティがより的確になって来たのかも知れない(ちなみに今回は、夜坐も朝坐も以前より多少ともよく出来た。以前、タイのワットでアチャンに「そんなに寝ては目が腐るぞ」とチクリ注意を受けた時からみたなら、えらい進歩だ〜〜。アチャンの4時間睡眠を神様のように思ったけれど、実は、彼もサティをしていたに違いない!)
お昼の食事に階段をそろそろと降りる。フッと何かがにおう。「鼻(bi)」とサティ。そこで、奇妙なことが起こった。次は「このまま放っておくと、心は妄想してしまう(正確には妄想と接触する、か?)」「それは無駄なことだ、徒労だ」「妄想へと展開するサンカーラから逃げよう」と心はものすごい勢いで、中心対象に駆け戻ってしまったのである。
先生には、「においというのは、利害得失に関してはニュートラルであることが多く、こういう現象が起きやすい。これからも、他の門でこういう後退がどんどん起きるといいですね」というコメントを頂いた。とてもうれしい。ところが、同じ事が引き続き、今度は耳で起こった。カーカーとカラスの鳴き声で、「耳(er)」とサティ(すでにカラスと分かっているのでは、もはや妄想している訳だけれど、ここの当たりは、今の私の能力では説明し切れないので、微妙なずれはとりあえず無視)。そうするとまた「対象が何であるかという判断をしたくない(判断するだけ無駄・徒労)」という心が起こり、心は中心対象に駆け戻って行った。
そう、私たちの心は、あまりに無防備に現象に駆け寄るものだから、まるで赤子の手をひねるが如く、ころりころりと騙されて、毎日がラララ夢の中。何世も何世も、生まれ変わり死に変わりして、このように馬鹿みたいに騙され続けてきたのか。そう思うと、悔し涙があふれ出てた。しかし、涙にはサティが入らず、えーい、ままよ、サティはお休み。何万光年、何億光年も騙された続けて来た自分が悔しくて、悔しくて、ほろほろ泣いた。しかし、修行日の浅い私でもこのような体験が可能ならば、修行成った阿羅漢の心は、一体どうなっているのだろう、涅槃を対象とするとはどういうことなのだろうか、ますます知りたくなってくる。
サマーディ状態なのか、昼食後、階段を上がるとき、自分の大腿部の関節がゴリゴリ回転しているのが身体部分にテレビを見るようにありありと「観えた」。私は「心眼では?」と主張したが、先生は、心眼でみたのでなく、自己の体感イメージを脳内に映し出しただけ、とのインストラクション。
午後、面接を待っている間の座禅で眠気がでる。眠気は大きくなったり、小さくなったり。「しあわせ」のラベリングを入れるが消えない。じっと眠気を見ていると、「私は今日は面接の順番を確保するためにあえて昼寝をしなかったのに、まだ呼んでもらえない。待ちくたびれたわい。こんなことなら昼寝しとけばよかったなあ」とばかりに「すねている心」が観えた。そこへ同前の「しあわせ」とサティを入れると、眠気はたちまち消えた。このことから、先生から、ラベリングそのものより、現前ダンマの本質を「観た」ときに、それは消えるのだということの説明をいただいた。そして、存在の本質を知り、それに咎を観て離れること、それが仏教の修行だという事も。
また、ラベリングが非常にうまくいったと思った瞬間、目の前が一瞬、真っ暗になった。心をラベリングに使ったので、時系列的に眼識がなくなったのかと思ったが、先生は貧血だろうとおっしゃる。低血糖値昏倒癖は、この所治っていたが、また出たのかしらん。今の私にはよく分からない。解釈を留保する。
9日目
しょっぱな風邪で出遅れた分、なかなか着火まで行けそうにない(もっとも、私には先生のおっしゃる「着火」とは具体的には何をさすのか、まだ分からないのだけれど…)が、実質最後の一日、悔いのないように精一杯がんばろうと気持ちを引き締める。ただ、スリランカ方式、昨日習ったばかりのほやほや、サティ連続3時間×2(毎回出される宿題)達成は無理だと思い、やみくもにきばるようなことはしなかった。
ラベリングは、多音節の日本語ではまどろこしいので、昨日の内に単音節の中国語に切り替えたが、さらに精度を上げる為、声調に工夫をこらすと、ラベリングのフットワークが格段によくなった。私が使うラベリングは〈意(yi)〉等の母音単音節型と、<眼(yan)>等の子音単音節型なのだけれど、同じ単音節型でも、子音を含むものは、ラベリングにそれだけ多く「心」が消費されるらしく、速断性に欠ける(切れ味が悪い)。そのため、母音単音節型に統一したいという思いはあるのだけれど、何を代替えに持ってくればいいのか、今はまだ見えてこない。しかし、声調は早急に取捨選択したい。なぜなら声調が第三声のものをラベリングに使うと、すこぶる速断性に欠けるのである。たとえば、<眼(yan∨)>第三声、これは歌うように、一旦下がってまた上がる発音のため、消費される時間が、他の声調より長い。それゆえに、高いところから一気に下げきる<意(yi\)>第四声等より、速断性において差が出るということが、スリランカ方式では実感されてくるのである(恐るべし、スリランカ)。だから、ラベリングに第三声は不利であると見て、なるべく使わないようにしたいと思っている。
しかし、刹那心を見るということは、これほどの厳密性を要求されるのかと、唖然、呆然、戦慄が止まらない……。
3Fで目をつぶって歩行禅をしていると、誰かが電気のスイッチを入れた。間髪、閉じた瞼の前を光が走り、〈眼(yan)〉とサティ。次に音が聞こえ、〈耳(er)〉とサティ。エッ、何これ?光が先で、音が後?6畳の部屋の中を走る光速と音速の速度差(雷の発生地点同定の原理)を、私は、聞き分け、見分けた訳?エッ−、エッ−、こんなことが起こるなんて、スリランカ様々、ありがとう、感謝、感謝。
サマーディ状態なのか、壁に手のひらを付くと、壁紙の繊維の一本一本、縦横に織られた様子、凸凹の感触が原寸より以上に拡大されて、まるで顕微鏡で見ているように、ありありとわかって驚く(脳内にもイメージが写る)。人の鼻息を、自分のすぐそばに聞いたので振り向いたが、人はいない。目の前に光が現れて消えてくれない(これにはいつも「なんたる甘ちゃん」と先生に叱られてばかりいるが)等、サマーディが起こっている実感がわく。意識をアナパナにつなぎ止めておく限り、くしゃみも不発、痛みも不発、何もかもが、出来損ないの打ち上げ花火のように、ゆるゆると生じては滅し、生じては滅していく。いつか来るだろう病気による激痛、死の恐怖、死自体もこのように淡々と見送ることが出来るだろうか。有情究極の課題、一日も早くこの宿題が解けますように。
足を超超超スローモーションで上げ、下げていく。少し下げる。動けない。少し下げる。いよいよ動けない。強力なサマーディの為、インテンションを入れない限り体は固まったまま、動けないのだ。この状態の中で、心は苦の状態を知覚すると、苦から逃げたいと思い、その思いによって楽な姿勢へと動き、楽な姿勢を保持することが知れる。が、それも次の瞬間には苦しくなり、次の状態へ変化することを要求する。苦しくなると変化させ、苦るしくなると変化させというふうに、自分自身の盲目的欲求によって、苦・楽・苦・楽の因果の連鎖に追い立てられて、自分が自分を突き転ばすようにして、無始無終のサンカーラの罠に落ちていく。
サーベ・サンカーラ・アニッチャ、サーベ・サンカーラ・アナッタ………。アチャンに先導されて、熱帯の漆黒の夜のしじまに流れゆく、あの心とろけるようなパーリ語とタイ語のチャンティング、ブッダに帰依する人々の心が一つに結ばれていく甘美なる瞬間が私の胸によみがえる。インド以外の民族では、最初にブッダのダンマを受け入れたといわれるモーン族が往時住んだであろう、ブーゲンビリヤの咲き乱れるタイ西部サイヨーク、私を初めて仏道修行にいざなってくれたあの美しい星と森のワット、サンガに幸いあれ。ヴィパッサナーに命をかけた鬼先生率いる、辛夷咲く八王子サンガに幸いあれ。
ブッダ、ダンマ、サンガに稽首敬礼。
ちはし先生に稽首敬礼。