合宿でのヴィパッサナー瞑想体験集

 

 

〈越智弘美さん(主婦・埼玉県)の体験記から〉

 

優しい沈黙の日々

 

 今、私が味わっているこの『静けさ』とお別れするのが残念でなりません。
 グリ−ンヒル合宿に参加させて頂き、完全な沈黙行の静けさの中で過ごす日々は、生まれて初めて経験する素晴らしいものでした。

 

 道場全体になんとも言えない暖かさが感じられ、人は沈黙の中では、こんなに優しくなれるものなのか、と感動すら覚えておりました。
 後になって分ったことですが、これは修行者全員が念入りな慈悲の瞑想をお互いに毎日送り合っていたからのことでした。

 

 修行というものにただムードで憧れ、ヴィパッサナー瞑想のやり方が身につけば…、という程度の動機で申し込みました。
 地橋先生の説明を聞いているうちに、メンドウだな、という気が起こり、最初の3日間は辛いだけで、脱落しないようにガンばるのがやっとでした。

 

 おまけに合宿参加前日、ギックリ腰になり、痛みと不安が最高度に達した4日目の面接では
 「痛みを消そうと狙うのはヴィパッサナーではありません。痛みという現象をただ観察するだけです」
 と突き放されました。

 

 喫茶テーブルでお茶を飲みながら
 『この痛みは諦めるしかないのだ』
 と思った時、胸のあたり一面がオレンジ色の靄に包まれました。
 『あ。これは怒りかな』
 と思い、「怒り」とサティを入れた瞬間、フッと体が軽くなり、腰半分ぐらいに感じていた痛みが十円玉ほどに縮小しました。
 『え!?なに、これ?』と、その時は正直、不思議さで一杯でしたが、翌日、先生の説明を伺い、妄想だらけの心が肉体的な痛みを何十倍にも肥大させていたこと、だから心の状態にサティが入った瞬間、心が作っていた痛みが消失したことに納得がいきました。

 

 その朝、掃除をしていると、通りがかった先生に
 「パイプを握る感覚、押しながら腕がのびていくこの感覚を実感して」
 と教えられた瞬間、
 『ああ。なんだ。これなのか』
 と腑に落ちるものがありました。
 それまで長い間、体の実感てホンマにこんなでいいのだろうか?と、常に疑問が晴れないままのサティだったのです。
 それからはトイレも、洗面も、すべてに気持ちよくサティが入るようになり、一人、クスッと笑ってしまいました。

 

 それに続く朝食では、お味噌汁のお椀を両手に持った瞬間、暖かさの実感が一直線に心に響き、
 『ああ。これが暖かさというものなのだ』
 と味わいながら、涙があふれ出てきて『涙。涙』とサティを繰り返しました。
 その後の動作も歩行禅もサティの流れがとぎれず、これなら一日中続けられると期待しましたが、昼食時に切れてしまいました。

 

 妄想の多かった私でしたが、教えられたとおり歩行禅に細かくサティを入れていくと、妄想が出てもセンテンスにまでならず、思考が形成される直前の靄のようなものに気づきが入り、
 『ああ。こうして思考を消していくんだ』
 と実感しました。
 また、犬の鳴き声に、ワン!「聞いた」ワン!「聞いた」と、サティを三回入れたとき
 『あ。妄想の種がない!ゼロだ』
 と感じ、気づいた瞬間、サティを入れると、現象は消える、妄想は起らない、と確信した瞬間もありました。

 

 洗面所で一人ゆっくりサティを入れているとき「(歯ブラシを)持ち上げたい。(手を)のばしたい」と、体に動作を命じる言葉が目の前に浮かび、
 『先生が言われたインテンション(意志)へのサティとはこのことか』
 と分かり、インテンション、ゆっくりした動作、動きを感じ終わっての気づき…と、一連のサティの流れが明確に捉えられる楽しさで、時間を忘れるほどでした。
 しかし人が入って来られ、あ、急がなくちゃ、と焦った瞬間、サティの流れが切れ、その後同じ経験ができないまま私の合宿は終りました。

 

 1日中サティを切らさないように、と先生が強調されていた大切さを痛感しました。
 今後もここで学んだことを忘れないように、修行してゆきたいと思います。美味しい食事、素晴らしい修行環境……。 
 本当にありがとうございました。