合宿でのヴィパッサナー瞑想体験集

 

 

〈匿名希望さん(男性)の体験記から〉

 

◎癌と闘いながらの瞑想

 

合宿にいたるまでの経緯(その1)

 

 私は、いわゆる一流大学を出て、いわゆる一流企業に勤務する男性です。年齢相応にそれなりの出世もしつつあるところでした。
 また、私生活においても、10〜20代のころから、心身・環境面(家庭・職場)でのいろいろな浮き沈みはありましたが、最近ではそれなりに世俗の対処方法を覚え、一応の安定を得つつあるところでした。そろそろ結婚して身を固める頃かな、等と考えて、自分なりの幸せな生活を模索する日々でした。

 

 しかし、その表面上安定した生活の裏では、他人に対する強い不信感と、そんな自分を拒否する強い自己否定感を常に感じ続けていました。刑法に触れるような大きな犯罪を犯した事はありませんが、他人に対して虚勢を張り続け、その場しのぎの細かい嘘をつき続けてきた人生であったように思います。

 

 たとえば、大学学部の選択、友人・恋人との付き合いなど、自らの意志で選択し、努力の末に手にした事であるにもかかわらず、それを手にしてしまうと、なぜか何もかも気に入らなくなるのです。
 大学入学後は、勉強もろくに手をつけず、酒を飲み、何となくサークル活動等で暇つぶしをする日々でした。
 友人・恋人との関係も粗略になり、「こいつらは馬鹿じゃないのか」との思いを持ちつつも、一方では彼らに見捨てられるのが怖く、上面だけの付き合いを続けていました。
 軽蔑と自己嫌悪を心に強く抱きながら、それから目をそらし続けてきた日々でした。

 

 そんな中、何の気無く健康診断を受診したところ、胃癌に罹患していることが判明し、あわただしく入院・手術となりました。そして、術後の病理検査の結果、手術自体は成功であり、肉眼及び画像検査で見る限り、癌組織はすべて切除できたとのことでした。しかし、癌という病気の性質上、微少な癌細胞から再発する可能性は高く、予後不良(いわゆる5年生存率2割程度)であろうとの診断が下りました。医師によると、再発予防のために、抗癌剤の内服なども行えるが、決め手となるほどの効果は到底見込めない(やらないよりは良い程度)との事でした。

 

 さすがに精神的にもショックは大きく、何とか事態を好転させる手立てがないかとの思いが湧いてきました。しかし、そこで初めて慌ててヴィパッサナ瞑想の門をたたいたわけではありません。後述しますが、私は数年前にもヴィパッサナ瞑想を数ヶ月程度行っていた事があります。ごく短い経験ですが、おそらくこの方向にこそ、これまでの自分の人生上の諸問題を解決する道があるのだろうとの予感を得ていました。そして、短い期間の間にも、瞑想により生活上の諸問題が少しずつ解決してくる気配を感じていました。
 しかし、自分の内面に深く踏み込むことを恐れ、当座しのぎのままうやむやに瞑想を中断してしまいました。しかし、いつか自分の人生に正面から見据え、いままで目をそらし続けてきた問題に直面せねばならない日が来ると感じ続けてきました。

 

 そんなときに、全く思わぬ形で生命の危機に直面する事となりました。それは、ここに至って瞑想に取り組むのは、私の人生の流れ上必然だ、と実感した瞬間でした。いわば、私のそれまでの人生は、この合宿にいたるまでの伏線であったとも思えます。

 

 おもえば、私はそれまでの人生の中で味わってきた、様々なドゥッカを通して、ヴィパッサナ瞑想における重要な2点のファクターを実感として認識していました。具体的には、下記の2点です。

 

 A.日常生活におけるサティの重要性
 B.因果応報ということ

 

 それぞれの経緯を以下に記します。

 

 A.日常生活におけるサティの重要性

 

 私は、10代〜20代にかけて、なんとなく常に孤独感を感じていました。

 

 数年前のことです。職場の部下として、ある女性職員が配属されました。彼女とはその後3年間席を隣にする間柄でした。
 私は、なぜか彼女が全く気にくわず、仕事ぶりなどが大いに不満に感じ、その間つらく当たり続けたものです。仕事ぶり自体は普通であった思います。しかし、良くできた面には全く目が行かず、失敗や短所ばかりが気にかかり、いつも冷笑的な態度を見せていました。今で言うパワハラ的指導であったといえます。

 

 当時は「気にくわないから気にくわないのだ」と、当然と思っていました。現在冷静に考えてみると、なぜそこまで彼女を嫌っていたのか、釈然としません。客観的に見ても、彼女には性格的にも意固地な面がありましたが、そこまで嫌うほどのことでは決してありません。

 

 思い返してみると、これまでの人間関係においても、同様に、他人の欠点ばかりが目について腹が立ってしょうがないということが多々ありました。目上の者や同輩に対しては、その気持ちを押し殺して、表面上を取り繕うのですが、部下・後輩・家族等の文句を言いやすい立場の人に対しては、冷たい態度をぶつけ続けてきたのです。

 

 そんなパワハラ指導が2年ほど続きましたが、彼女も内心での不満を募らせている様子をみせながら、健気にも私の指導に従ってくれていました。
 しかしあるとき、ついに彼女も耐えかね、私のやることなすことすべてに対して逆上するパニック状態に陥ってしまいました。そこに至り、さすがに私も一応態度を改めたのですが、時既に遅く、もはや私の指示にもまったく従わず、制御不能の怒りを(私のみならず)周囲にぶつけるようになってしまいました。

 

 それまで、私自身もパワハラ的指導に内心では強い後ろめたさを感じていたため、彼女の反撃に際して、まったく立場が逆転してしまい、自分自身が精神的に参ってしまいました。また同時期に、職場環境に変化があり(後述)、仕事が大幅に忙しくなったことに対して対応できず、そのストレスでうつ病で3年間ほど通院する結果となりました。

 

 私はもともと完璧主義的な傾向があったのですが、病中はその傾向が異常に強くなりました。仕事を始め、万事最善策をとらないと気が治まらなくなり、他人の考えを冷静に聞いたり、次善の策を考える余裕などが失われてしまいました。
 その結果、仕事中に、他人の些細なミスに対して、異常に腹が立ったり、自分の思い通りにならないことに対して異常な失望感を感じるようになりました。
 私自身の変化を受けて、周囲も腫れ物に触るような扱いをするようになり、身の置き場を自らなくしていきました。
 四六時中焦燥感の中いらいらし続け、不眠症にもなり、さすがにおかしいと自ら感じて精神科を受診しました。なお、薬物療法の結果、3年ほどでほぼ元の精神状態に復帰でき、周囲の態度も自然と軟化してきました。

 

 上記の罹病及び回復の体験から、鬱病とはすなわち、「妄想に「とらわれ」てしまい、日常におけるサティの能力が失われる状態」と自分なりに定義出来ました。周囲の状況が何も変わらなくても、サティを入れるだけで自分の心身がとても楽になり、自分自身が変化することができるということ、さらに、自分が変化することによって周囲の状況が自然と変化することを、身をもって知ることが出来ました。

 

 B.因果応報ということ

 

 私が鬱病になる1年ほど前から、職場の同じグループに、躁うつ病の持病を持つ方が転任されてきました。
 当時の私の上司はその方とかつて同僚であったこともあり、その方のことを軽くあしらうようなそぶりがありました。私自身はその方とは特に面識もなかったのですが、上司の尻馬に乗り、同様の態度をいつしかとるようになっていきました。結局その方は、転任後の業務および周囲の環境の変化に対応できず、持病を悪化させて休職することとなりました。

 

 その方が休職した穴埋めとして、私の担当業務が大幅に増加したことと、前述の部下からの大反発が、鬱病発症の大きなきっかけとなったものであります。他人の精神的健康を奪った結果として、自らの精神的健康を失う結果となり、まさに因果応報と当時から自分自身でも感じておりました。

 

合宿にいたるまでの経緯(その2)

 

 鬱病の治療中、前項のA・Bに至った根本的原因を発見・解決すべく、ある内観研修所にて、集中内観に2回挑戦しました。1回目にはある程度の成功をおさめたのですが、2回目は、3日目くらいから異常な眠気に襲われ、得るところなく終わりました。

 

 その後、2度の転勤を経て、仕事もそれなりにこなせるようになりました。また、仕事に対して無理をせず、多少の手抜きをすることを覚えたため、うつ病を再発させることもなく、それなりに平穏無事な日を送っていました。
 その間にはヴィパッサナ瞑想の存在を知り、「これだ!」と思い、朝日カルチャーの講座を受講してみたこともありました。予想通り、瞑想を少しずつでも毎日行うことで冷静さを少しずつ取り戻していくことができるようになりました。ただ、残念なことに、少々体調がよくなり、仕事もこなせるようになるにつれて、瞑想からも離れてしまいました。

 

 しかし、問題の根本的解決には至っていないという感はあり、いずれ問題に直面せねばならぬ日が来るだろうとは、薄々予感していたところです。
 その後、予感通り癌発見となり、冒頭の記述に至ることとなりました。

 

○合宿の状況(1日目)
 午後に入山。「風邪・インフルエンザ・ノロウイルスなどに感染するのでは・・・」「睡眠時間が短いけど体力的に大丈夫かな・・・」などと、健康面に対する細かい不安で頭がいっぱいでした。
 以前参加した一日合宿などと同様に、型どおりに歩行練習を行いました。普段ろくに練習していないこともあり、「進んだ、触れた・・・」などとやってもまるで手ごたえがありません。定力不足を感じました。

 

○合宿の状況(2〜3日目)
 ダンマトーク中に、過去世での悪行(殺人等)が私の病気の原因である旨のお話がありました。前述したとおり、仏教的因果論そのものについては基本的に妥当なものと承知していましたが、過去世の悪行といわれてもピンとこないのがそのときの気持ちでした。
 そもそも輪廻転生とは、仏教の基本的概念であり、修行を進める上で避けては通れないものとのことでしたが、なにぶん直接的にその存在を認知・証明することはその性質上不可能ですので、釈然としない面がありました。

 

 夜の面接で、このことについて先生に相談したところ、下記の要旨により、懺悔の瞑想をすることを勧められました。
・輪廻が存在するか否かということは、この現象世界で知覚できるような方法でもって、その存在を証明することは不可能である。
・しかし、仏教においては輪廻が存在すると考えないと、種々の事柄が説明できない。
・私が過去世において殺人等の生命に関わる罪を犯したと、ひとまず「仮定」して、その上で懺悔の瞑想をしてみてはどうか?
・輪廻の存在については、懺悔の瞑想をしてみてから考えてみてはどうか?

 

 早速その晩に、懺悔の瞑想を試みました。現世と連続して過去世が存在していて、そこで私が罪を犯したと、あくまでも「仮定」のうえで試みてみました。すると、不思議なことに、思い当たる節がありすぎて、思わず涙してしまいました。おそらく強姦殺人でもやっていたのではないかとも思えてきました。

 

 なお、その日の手帳には「心の中で悪行を行うことは、実行したと同じこと」と、懺悔の瞑想の感想をメモしていました。チェータナーに関する重大な実感だったと記憶しています。しかし、最終日を迎えた段階ではその真意を思い出すことができません。合宿中は瞑想に専念していたつもりでもこの有様ですから、日常生活において瞑想を継続・深化し続けることの重要性についてはからずも思い知らされました。
 ちなみに、サティの瞑想は特に深まりませんでした。

 

○合宿の状況(4〜5日目)
 サティの瞑想はなかなか進みませんでした。一言でいえば、法と概念の弁別について完璧主義であるあまり、思考モードに陥ってしまっていたのです。
 例えば、靴ひもを結ぶような複雑な動作をする際に、どのようにラベリングしたらよいのか?などと、細かいことが気になってしまい、その間はサティがお留守になっていました。
 そのため、面接でこのことを指摘され、「よくわからなければ「結んだ」でよいのだ」、「サティを切らさぬことを第一に考えよ」との指摘を受けました。よくわからないまま進めるということに、若干釈然としない面もありましたが、思考モード中はサティが切れているという指摘には納得できたため、ひとまずよくわからないままでもサティの継続に注力しようと決断できました。

 

また、面接時に、反応系の修行として、合宿終了後に、内観に再チャレンジすることを勧められました。その趣旨は下記のようなものです。
・過去に部下との確執があったのは、幼少期に母親との確執があったことが遠因なのではないか?
・内観のスタート地点は母親との関係を見つめなおすことなので、それを解決できれば芋づる式に、過去の部下等との確執を解決できるのではないか。
 この指摘については、まったく同感でした。かつて2回にわたって内観に挑戦したのも、この指摘内容の通りの問題があることを自覚していたためです。

 

○合宿の状況(6日目)
 サティの瞑想はこの日も特には深まりませんでした。さすがに若干焦りが出てきたため、面接時のその旨を報告したところ、作務をすると瞑想が深まる傾向があると、アドヴァイスをいただきました。
 ひとまず消灯後に、喫茶スペースのテーブル、カップボードの清掃を1時間ほど行いました。清掃中は、淡々とサティを入れながら、体を動かしていただけでしたが、その後、茶を飲んで一服していると、不思議なことに「皆の共有スペースの掃除ができた上に、おいしい茶まで飲めて実にありがたい」という気がしてきました。
 そこで、カップボードに並んでいるカップを眺めながら、他の参加者の方々一人ひとりに対して、慈悲の瞑想を行ってみました。
 すると、「この人は遠くから家族と離れて合宿に参加してこられたのか、大変だな」、「この人はあまり体調がよくないようだが、忸怩たる思いだろうな」、「この人もいずれ病気で死ぬのだな」など、すべての人がそれぞれの悩み苦しみを持っているということが、初めて身に染みて理解でき、「○○さんの悩み苦しみがなくなりますように」と衷心から願うことができました。

 

 自己が囚われている悲しみ・苦しみを客体化して、「この人も自分と同じようにドゥッカを背負っているんだな」と発想を転換させることによって、慈悲の瞑想に格段の進歩があったと感じました。
 作務の効用に驚いたものです。

 

○合宿の状況(7〜8日目)
 7〜8 日目は達成ゲームを行いました。この日はどうも心身に切れがなく、集中力が持続しませんでした。前日夜には相当の集中の高まりがあっただけに、この日の達成ゲームにも内心では期するものもあったのですが、意に反して集中が高まらず忸怩たる思い・焦りを感じたものです。

 

 連続2時間のサティを目標に設定されたのですが、相当甘めに見ても40分くらいが限界でした。夕方ころには、どうしても集中が続かず、疲労困憊して床に伸びていたところ、ちょうど面接に呼ばれました。
 面接では、集中が高まらないのは、食事・喫茶時の糖分補給の量が多すぎるためだと、強く指摘されました。確かに、節食の重要性については、地橋先生の著書にもはっきり記載されていましたし、合宿中にも全員に向けてたびたびお話を受けていたところです。
 当日までの食事量は、出された食事の8〜9割方を食べていました。また、喫茶時には、黒糖・プロテイン・ミロ等をその都度摂取していました。しかし、これで栄養摂取量が多すぎるとは考えもよらず、むしろ、胃切除後の消化・吸収不良による低栄養状態を心配していました。

 

 ここでの指摘内容は主に下記のとおりです。
 イ:昼食後には基本的に糖分を摂取しない。
 ロ:低血糖の予兆を感じたら、すかさず糖分を摂取すればよい。
 ハ:栄養管理には自分自身の試行錯誤・工夫が必要。胃切除後という特殊状態であっても、それはなおさら同様である。
 ニ:合宿という貴重な機会が与えられ、重大な決意を以て参加しているはずなのに、少々の節食ができないために、成果をフイにするのでは本末転倒である。

 

 上記ハ・ニの指摘を受けて、いわゆる図星を突かれた感がありました。「胃切除後は栄養確保が必要」という考えは、一般常識的には妥当性があるものでしょうが、合宿中にその考えに固執することは、思い込みにとらわれて、心身のコンディションに対するサティが入らなくなった状態であるといえます。この指摘はまさに正鵠を射たものと感じました。
 しかし面接終了後には、どうにも釈然としない、もやもやとした不快感が残りました。「地橋先生の指摘は確かにもっともだ。しかし先生は胃切除については専門ではないのだから、それほど断定できるのであろうか?もっとやさしくいってくれても良いのでは?」などという考えが浮かんできました。

 

 図星を突かれると、それを何とかして否定したくなる気持ちが顕れるものです。本質的には正しい指摘と認識しながらも、どうにかして枝葉末節の部分で否定したくなったということでしょう。
 「こんな逆恨みのようなことをしていては話にならん」と思いながら、一階の室に戻ってみると、たまたま、パネルに入ったお坊さんの写真が目に入りました。

 

 その時、ふと、「昨日の夜の要領で、自分のもやもやとした感情を客体化し、受容することはできないだろうか」という考えが浮かんできました。そこで、下記の要領で、慈悲の瞑想を行いました。
 まず、「このお坊さんも、写真に飾られるくらいなのだから、私はたまたま知らないがおそらく大変な高僧なのだろう。しかし、この境地に至るまでの修業時代には、程度の差は当然あれ、私のような凡夫が今感じているのと同質の悲しみ・苦しみの感情を味わったことであろう」と想定してみました。そう考えると、この方の悲しみ、苦しみに共感の思いがわいてきました。そして、「この方がこれらの悲しみ・苦しみを昇華し、その願い(修行を経ての悟り)がかなえられますように」との思いにつながりました。

 

 その祈りを続けていると、この種の悲しみ、苦しみは、今回合宿に参加している法友も、当然抱くであろうドゥッカであることに、ふと気がつきました。ここに気づくと、下記の連想が強く起こりました。
「凡夫たる存在(自己)が修行をするのだから、この悲しみ・苦しみが発生するのはやむをえない」

「私の悩み苦しみがなくなりますように」

「この合宿に共に参加している、法友の悩み苦しみがなくなりますように」

 

 さらに、この悩み苦しみは、瞑想修行者だけでなく、すべての人間が、気付いているかどうかは別としても、共通に持っているものであろうと思い至りました。すると、自然と「生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように」との祈りが、実感を込めてわき上がってきました。
 やはりここでも、自己が現に苦しんでいるドゥッカを、他人の身にも起きているものとして、発想の転換をすることにより、そのドゥッカの原因・性質を客観的に分析することができたと感じました。
 いわば自分のドゥッカを利用して、その反動で瞑想を深めることができるのだ、と気づき、大いに得るものがありました。

 

 慈悲の瞑想後は、気持ちがさっぱりとして、なにか納得がいった心境でした。その余勢を駆ってサティの瞑想(座禅)に移ると、格段に集中が高まっていました。就寝までは間食をやめて、注意深くごく少量の糖分・ミロ等を補給してすごしました。
 その後深い瞑想に入るチャンスと見て、夜座を行いました。腹の動き、音、膨らみ縮み・イメージ・妄想などが次々と立ち現れては消えていく様が大変よく観察できました。それら一つ一つに間断なくサティを入れて叩き落していくといった状態でした。やや大げさに言うと、サティが努力なくとも自然と連続して出てくる、ゲームのような状態でした。

 

 この夜座では、自分が普段無意識のうちにしている妄想(思考の癖)の傾向がわかりました。私は、妄想・空想の中で過去の誰か気がかりな人と頭の中で会話・問答していることが多いようです。今回の例で言うと「先生!節食したら大成功ですよ!明日以降も継続してみます…」などと脳内で本気で会話をしてしまい、これにサティが入らなくなってしまいました。私の妄想の大半はこのタイプ(言語的)なもののようでした。

 

○合宿の状況(9日目)
 ダンマトークで削減経についてご講義頂きました。今後の大方針が明確に示されたと思いました。後はどのようにしてこのモチベーションを維持し続けるか、努力のみならず工夫の世界だと感じました。
 夜の面接前の瞑想ではこれまででもっとも集中した瞑想ができました。
・座禅中、自然と呼吸が深く静かになる。
・意識が非常にクリアになる。
・瞑想中、意図的に思考してみたが、いわゆる思考モードではなく自分で制御可能(観察可能)であった。なおこの時の「思考」とは、無秩序に連想されていく妄想とは明らかに違っていた。
・足の痛みを観察すれば、他の感覚(腹の動き・呼吸)などが消え、腹の動きを観察すると、痛み等他の感覚が消えるようだった。
・あえてラベリングしないことを試みてみた。乱れることはなかった。

 

 1時間ほどこの集中状態のまま座禅を続けました。集中は当分切れそうになかったのですが、呼吸が非常に深い(呼吸の回数が少ない)ことに不安を感じ、ひとまず中断しようと思いました。急に呼吸を平常に戻すと、体に悪い気がしたので、ごくゆっくり呼吸を戻そうと試みたのですが、その途端に動悸が激しくなり、呼吸が平常になったときには、めまいがして若干の不快感(不安感)が翌日まで続きました。瞑想後はこの疲労のため、しばらく横になってしまいました。

 

 面接でこのことをお話しすると、そもそも自然に集中できているならば、意図的に中断する必要はない旨ご教示頂きました。今思えばもったいないことをしたと思います。

 

 不安感が続いていたので、就寝前に不安感の観察を試みました。といっても不安感の構成因子がよくわからないので、初めに心随観を試みましたが、要領を得ないため手ごたえがなく、中心対象を特に定めない、全身の身随観に切り替えました。すると、異常に肩が凝っていることに気づき、さらに観察を続けていると、筋肉がふっと緩んだ感覚がありました。そこで「ゆるみ」とラベリングすると、肩こりが消えました。また、不安感が3割がた消えたので不思議におもいました。

 

※ 合宿終了後現在に至るまで、この時、身体の観察により肉体の緊張状態が緩和し、苦痛を軽減したいという気持ち(意図)があります。深い集中を伴う瞑想により、心身の緊張はある程度取り除けることは、なんとなく(少しだけ)わかってきたのですが、この「苦痛を軽減して、よい瞑想をしたい」という意図に対するサティを徹底することができず、今後の課題となっていると感じております。

 

○合宿の状況(10日目)
 昨晩からの気分不良はまだまだ続いていました。

 

 最終面接の場で、「元気なうちに、家族・親友等の重要な他者を大事にして生きることが必要だ」とのお話をいただきました。この話を聞いていると、さすがに感傷的な気分となり、涙が出てきました。その時、ふと「落涙感」というサティが自然に入りました。すると、鮮やかに気分が落ち着き、気を取り直してお話の続きを冷静に聞くことができました。
 また、私は人と話をしている途中で、緊張・興奮状態にあるときに、手や腕を意味なく動かす癖があるのですが、その癖に対しても「手を動かしている」とサティが入り、手を止めることができました。

 

 これらの悪癖に対するサティが入ることによって、対話の相手の気分を害するという不善行を削減し、冷静沈着に有益なお話を聞くことができるという善行が自然と達成されたと感じました。
 すなわち、座禅・歩行禅等のサティの瞑想は、日常生活から乖離した「現世の楽住」ではなく、日常の中で、ダンマにかなった生活を実現するための訓練である、とひらめいたのです。その場で先生に、この旨をお話ししたところ、その理解のとおりである旨回答をいただきました。

 

 9日目の夜に、非常に深い瞑想状態に入りながらも、その明瞭な意識の中で「この状態に何の意味があるのだろうか、変性意識状態で不思議な体験をして、遊んでいるだけなのではないか、現世の楽住とはこのことではないか?」などと思考しておりました。
 10日間の最後に起きたこの体験は、この疑問に対して、単なる理知的な理解のみならず、瞑想により解決策を導きだしたものであり、今回の合宿の最大収穫であったと感じました。

 

 その後、上記収穫を得た喜びに、若干浮かれながら、下山前の掃除をしていたところ、ある参加者の方が、仏像を磨いているのが目に入りました。
 その時、間髪を入れず「偶像崇拝者」というサティが入りました。自分でも驚いてしまい、単なる意味のない単語が浮かんだだけではないか?とも思いましたが、自分自身の無意識に図星を突かれたという感じが非常に強くありましたので、これは妄想ではなく、サティであったとおもいます。
 いくらサティが入るようになっても、反応系の修行がおろそかであれば、修行全体としては不十分である旨を、頭では理解していたつもりですが、瞑想によりそのことを思い知らされた瞬間でした。

 

 解散前に、食堂で座談会があり、参加者各位のお話を聞くことができました。瞑想に対する志を持つ方が、日本各地にいて、それぞれの人生を営んでいることを知れたのは嬉しいことでした。
 合宿終了約1年を経た今でも、慈悲の瞑想の際などに、法友の無事を願い、かえって自分自身の励みとさせていただいております。