日常生活でのヴィパッサナー瞑想体験集
ヴィパッサナー瞑想を日常に生かす(2)
〈MI生(大学准教授、54歳)の体験記〉(H13.1UP)
1.ご飯も毎日、瞑想も毎日
「1日10分なら自分にも毎日出来るかもしれない」
1996年10月、朝日カルチャーの講座の第一回目に地橋先生が言われたことへの感想であった。
それよりほぼ1年前に「テーラワーダ仏教協会」を知って会員となっていたが、かくべつ堅い決意をして瞑想に励もうと思ったわけではない。
それまで大乗仏教系統の教えをはじめとして、縁の赴くままに勉強したりしなかったりを繰り返して30年ほどが経っていた。
それぞれの教えに良いところはあったが得心のいかないところもあり、また生来の気質からか心身を忘れて打ち込むということもなかった。
けっこう醒めた目で経験し見てきた。いま思うとそれがかえって幸いし、引き返せないところまで進んでしまうことを阻んでくれたように感じている。
回り道だったことは確かだけれど、仏教の手ほどきをしてくれたこと、そして教えの神髄はどこにあるのだという思いを次第に育んでくれたことは有り難く思っている。
50歳を前にしてようやく縁が熟し、ヴィパッサナー瞑想と出会うことができたが、それまでの少々痛みを伴う経験から得た結論はただひとつだった。
カルマを超えるのに「自分の外に存在するものに頼ってはならない」ということである。
地橋先生の『ブッダの瞑想法とその理論』という朝日カルチャーCtr.の講座には確か「本当の仏陀の教えをわかりやすく!」というキャッチフレーズがあり、それに惹かれて参加した。
だから当初の目的は仏教の“勉強”にあって、“実践”は二の次、三の次であった。それまで
「瞑想を毎日するように」
なんて聞いていなかった(ように思う)し、たとえ聞いていたとしても
『えーっ、自分には無理だ』
と結論が先に心に浮かんだろうからである。
それが講座の初回に
「1日たった10分でもかまいませんから、毎日やってください」
と言われてしまったのである。
「もしレストランに入ってメニューだけ眺めて出てきてしまったらどうですか?…瞑想の講座を受講して、講義だけ聞いて実践しないのはそれと同じです。どんな日でもご飯は毎日必ず食べるでしょう? 同じように瞑想も毎日やってください」
『うーん!』
と唸った後に少々安易に考えた。
『1日10分なら自分にも出来るかもしれない』と。
それにしても“1日10分”と言うのはなかなかいい線をいっていると思う。
それより短くては特別に時間を取ったという気にはなりにくいだろうし、何かひとつのことに取り組んだという実感が乏しくなるだろう。
30分〜40分と言われてははじめから“毎日”への挑戦はあきらめてしまうかも知れないからだ。そして
『1日たった10分なのだから、続けなかったら男の沽券に関わる。何が何でも毎日やってやろう』
と多少意地になってみたり、また
『こんなことして何になるのか。本当にこの先に(そんなに簡単に−無限の生を繰り返さずともという意味で−)悟りがあるのか』
と、期待と不安の混じり合った複雑な気持ちであった。
2.大学の講義の最中に……
’96年の秋以来、雑念、睡魔、そして特にしつこい雑念と闘いつつ−ときには仲良くしつつ−歩行と座禅瞑想を続けてきた。
もし唯一誇れることがあるとすれば、1日も休まなかったことぐらいである。
結局、仏陀の教えは(今更という向きもあるかも知れないが)実践してこそのものであったし、日常におけるさまざまな縁が順逆を含めてなるべくようになって行く−大きな調和のうちにある−んだなということも、実践を通して次第に実感されてきたことだった。
自分の心の反応の仕方がちょっと変わったことに「おや!」と気がついたのは、講義中に学生の私語や礼儀を知らぬふるまいに接するときであった。
以前には注意する時などけっこう感情が顔に出たし、心臓が脈打っているのがわかり、講義をもとのペースにもどすのが一苦労であった。
だいたい注意などしたくないのである。
したくないものをするから変に意識してしまって、声も多分うわずっていたに違いない。
ところがあるとき、一人の学生がだいぶ遅刻して講義中の教室に入って来て、目の前を横切っていくのに感情が波立たないのである。本当は<見た。見た>とラベリングできれば完全なサティになるのだろうが、そうできた訳ではなかった。
しかし遅れたうえに何を勘違いしているのか、堂々といった風情で図々しく着席するのが目に入っているのに
『礼儀を知らないな』とは思いつつも
〈来た〉
〈歩いている〉
〈あそこに座った〉
と平静で観察している自分を見ているのである。
私語を注意したあともサッと講義に戻れる。
これはどうしたことか……。
まだヴィパッサナー瞑想を始めて間もないのに、しかもたった10分の日がほとんどなのに、いつのまにか心が変ってしまっている自分に新鮮な驚きを覚えた。
学校の会議であれ、家族との触れ合いであれ、どんな場であっても自と他との関わりが複雑についてまわる。
多分どんな職場にでも波長の合わない人はいるものだろうが、特に面白くない記憶からはいやな感情がよみがえる。
「本当はいけないんだよな」
とは思いつつも、つい
「全くエコ(ロジー)が濁るとエゴになるものだ」
などと語呂合わせで批判していたりしてしまう。
ただ、そんなときにも
「いまこんな感情が湧いている」
「湧いていた」
ということが、けっこう自覚されるようになってきたのだ。
「怒っている」
「残念に思っている」
「さびしく思っている」
「不安に思っている」
「あせっている」
「うらやましく思っている」
「負担に思っている」
「苦々しく思っている」
「落胆している」
「不満に思っている」
「期待している」…等々。
ときには
「わくわくしている」
「喜んでいる」
など肯定的なものもあるが、大方は精神衛生や健康に良くないネガティヴなものばかりである。
しかし、自覚されないよりはましであると考えて、少しでもそれらの根を断つように努めたいと思う。
今生でそうしなければ、なんのために生まれてきたのかわからないからだ。いろいろ考え方はあるだろうが、今生のチャンスを逃してはならないと思う。 瞑想中の雑念と闘うときも、このことを心に命じるようにしている。
3.分っちゃいるけど、やめられる
やればできるという例をひとつ。
昨年3月15日(あとで学生が“サイゴ”と語呂合わせをしてくれた)をもって断酒した。
一番の動機は、やはり五戒を完全に守りたいということであった。かねてより〈戒を完全に守ると瞑想修行が進む〉と地橋先生から言われてはいたが、あまり厳しくおっしゃらないこともあり、聞き流してしまっていた。
テーラワーダ仏教の特色は、戒を守り、倫理的にきれいに生きていくことが基本であることも知っていた。その通りだと思い
〈殺さない〉〈盗まない〉〈不倫をしない〉〈嘘をつかない〉
の4つの戒は厳密に守ってきたつもりだが、5番目の〈不飲酒戒〉になると、もともとそれほど飲む方ではなかったこともあり、『戒』としてあまりピンときていなかったのだ。
日本のお坊様も〈般若湯〉と称してお飲みになられる方が多い。
この時も断酒をしようなんていうつもりは毛頭なかったし、できっこないと思っていた。
ところが、断酒してから2年になるという人の話を聞いて、なぜかふと
「自分もやってみようか、もしかすると簡単かも知れない」
と思ってしまったのである。
「5番目の戒も守りましょうね」
と毎回のようにヤンワリと言われ続け、聞かされ続けていた情報がいつのまにか心の中で熟していたのかも知れない。
≪どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである≫
という仏陀の言葉も思い出される。
〈不飲酒戒〉を開始したときに唯一心配だったことは、懇親の場をしらけさせるかもしれないということだった。
しかし、案ずるより生むが易く、全くの杞憂であった。はじめから
「飲まないんです」
と言っておけば、決して無理に勧められることもなく(その点では周りに節度があるので有り難い)、飲んでいる人はそのうち隣が飲もうと飲むまいと全く気にしなくなるからだ。
これからは状況が変わったとき(例えば外国で勧められたとき)が一つの試練になると思うが、“戒”が無理なく自然に守られてしまうようになることが理想だとすれば、一歩でもそれに近づくよう努めていこうと思う。