日常生活でのヴィパッサナー瞑想体験集
ヴィパッサナー瞑想を日常に生かす(1)
〈E..S.さん(40代女性 東京都)の体験記〉(H12.11)
1.自己イメージの囚われからの解放
私は、現在実家の父が経営している赤帽の仕事を手伝っております。
父も高齢になってきましたので、その助手という形での仕事です。
今年の春頃から、毎日早朝、東京のある大きな鶏肉屋さんの配送を承っております。一日平均30軒、その時により配送する量はまちまちですが、重いときは 1軒で50s以上になることもよくあります。しかし、父も当初は元気でしたし、私はあくまで助手でしたから、重いと言ってもそれほど苦になりませんでし た。
ところが、人生は「無常」だということを知る事態が起きました。
73才の今まで、本当に大きな病気一つしなかった父が突然「大腸癌」の手術を受けることになったのです。
まったく予期せぬ事態に、父はもちろん、私もそして鶏肉屋の社長さんご夫妻も大変戸惑われました。と申しますのは、この仕事は、ピンチヒッターを簡単に頼むことができにくい内容なのです。
いったん覚えればいつものルートを配送するだけの仕事なのですが、積み込み 前の作業も鶏肉屋さん独特の仕事があり、持参する品物は、鶏肉の他に各種の鶏卵等もありますので、そういう細かい作業を漏れなくやるのにはかなり神経を使います。
男性でも1週間と続かずにお止めになった方もいらしたそうです。他に5人の配送担当がいらっしゃいますが、皆さん手一杯の件数を抱えていらっしゃいます。
また、現場の職人さん方もお得意さんの件数が多いので早朝から大変お忙しく、急に父の仕事を他の方に替わってもらうわけにもいかない状況でした。
私は、当然父の代理を勤めるつもりでしたが、お店では、女の私ではとても無理ではないか、と思われたようでした。
私は社長の奥様に
「父が元気になるまで私ががんばりますから、よろしくお願いします」
とお話しました。すると奥様は
「うちの店の仕事は重たいし、大変でしょう?……」
とおっしゃいますので
「だいぶ慣れましたので、大丈夫ですから」
とお答えしました。すると
「女の細腕でねえ……」と言われ、そのときの奥様の言葉の感じでは、
私が男の人でさえ大変な仕事をしているのは、あたかも私の主人に働きが無く、生活が四苦八苦しているから何が何でもこの仕事を続けなくては生活できないのだわ……、
と思っていらっしゃるようで、なんとなく見下されたような感じがしました。
女なのに何でこんな仕事を、という軽蔑が入っていたようでもあり、一瞬「怒り」を感じたのですが、そのとき「怒り」「妄想」「高慢」とサティが入りました。すると、サーッと冷静な状態に戻ることができ、気にならなくなりました。
つまり、この奥様がどんな妄想をされても、それに私が振り回されることはないのだ、と気づいたのです。
そして、自分の自己イメージの「高慢さ」にも同時に気づきました。
私は大きな事業をしていた家で育ち、その後商家に嫁ぎ、ずっと人を使う立場で生活を送って参りました。ですから、いくら父の仕事とはいえ、今のようなエプロンをかけ、長靴を履き人に使われるような仕事は、私の自己イメージにはほど遠いことでした。
私は、この奥様との会話で、私自身がこういう肉体労働の仕事自体を本当は軽蔑していることに気づきました。
私は、もっと格好いいスーツを着てする仕事の方が似合っている、と思っていました。
ですが、本当にそうなのかどうか、過去を振り返って考えますと、今の仕事ほど、人間関係のトラブルの少ない仕事はないのです。
鶏をさばく現場の方々も、配送のお仲間の方々も、そしてお帳場の方々も、皆さん気持ちの良い方ばかりで、職場でよくある意地悪や、妬み、そねみをされた 経験が、この半年間皆無といってよいほどなのです。働いておいでの方々が、男性が多いということもあると思いますが、人間関係のストレスが少ない仕事だと 気づきました。
短期間ですがOLの経験もある私は、その種のストレスがどれほどつらく、心身の疲労を増すことか身をもって知っているだけに、この気づきは私の大きな収穫でした。
私は、今まで仕事に差別感を持ち、さらにその人の着ているもので人の価値を判断している自分の愚かさに、ハッとしました。
この気づき以来、私はそれまで以上に毎朝この仕事を楽しくさせていただいております。
2.異様なお店でのサティ
その1で書きましたように、私は毎日いろいろな飲食店や企業の社員食堂、または大きな病院の厨房などへ鶏肉を配達しております。
どの店舗の厨房もきれいで清潔なところが多いのですが、一軒だけ例外的に、汚なさ、異様さNo.1というお店がございます。
そのお店は、大の男の父でさえ入るのをためらわれる程のお店なのです。
しかし、父も娘の私に運ばせるのは忍びないと思い、いつも仕方なくその店に品物を運んでくれました。
私は、気楽に助手席で待っていたのですが、突然の父の入院中は、否が応でもそのお店に入らなくてはなりませんでした。とにかく、話しにならない酷さなのです。
まず、入り口の看板からして異様なのです。
2人の女の人が着物ともチャイナドレスともつかない長い服を着て、(その看板がただの墨書きであり、さらに古くなっているため)むき出した歯がお歯黒で こちらを向いてニターと笑っているのです。「いらっ、しゃーーい……」ヒュードロドロという音が聞こえてきそうな異様な雰囲気が漂っているのです。
私は、まずこの看板を見て、足がすくみました。
「ここはいったい何屋なの?!」
とても飲食店とは思えない看板なのです。
さらに悪いことに、その店は薄暗い地下なのです。
父が入院した初日、私は恐る恐るその店のドアを開けました。
するとドアを開けた瞬間に目の前に飛び込んできたのは、毛を抜かれ、逆さに吊された鶏の人形でした!
「ドキッ!!!」
として心臓がバクバクしてしまいました。
同時になんとも言えない不快な臭い!
「電気のスイッチ! スイッチ!」と焦るものですから、なかなかスイッチが分からず(物陰に隠れている…)、やっとの思いで電気がつきました。
ホッとしたのもつかの間、今度は真っ赤な壁に描かれた大目玉の壁絵が目に飛び込んできました。ここでまたまた心臓がバクバクバク!!
心を静めながら冷蔵庫(低い位置にある)に向かうと、冷蔵庫の上の真っ白なまな板の上に、茶色い小さなゴキブリたちが、我が世の春というがごとく、山になって遊んでいました!
「ギャー」と大声を上げそうになり、鶏肉を落としそうになりました。
とにかく早くここを出たい!というパニック寸前のところで、なんとか品物を冷蔵庫に納品しました。とにかく早く早く…、と思い、かがめた腰を上げた その瞬間、一枚の絵に身体が硬直してしまいました。
それは、仰向けに裸で寝ている女性を、裸の男性がまたがって手にナイフを持ち、今まさにその女性を殺そうとしている絵でした!!!
私は、自分が殺されるような錯覚に囚われ、本当にパニックを起こしておりました。心臓が破れそうなほど激震する動悸のなか、やっとの思いで、地上に戻りました。
……車のハンドルを握っても、あの悪夢のような状況が繰り返し思い出され、今すぐ自宅へ飛んで帰って、シャワーを浴びたい気持ちでした。
父が、あんなに嫌悪していた理由がようやく分かりました。
「……どうしよう。明日もまたここへ届けなくてはならないし、また次の日も……。他の男の人に替わってもらいたいなあ……。他の人とルートが違うから、この店 だけ替わってもらうこともできないし……。どうしよう……。毎日これではとてもやりきれないし……。お父さん早く退院してくれないかしら……」
と、もう次の日の心配が始まっていました。と同時に
「なんであんなに汚くしておくのかしら。……よりによってあんなグロテスクな絵を飾るなんて、ここの店主はちょっ とおかしいんじゃない?……信じられない!」
と、心は嫌悪と怒りでいっぱいでした。
次の日、またこの恐るべきお店へ行くことになりました。
信じられないことですが、このお店から、毎日結構注文が入るので、行かざるを得ないのです。(ここへ来るお客さんの気が知れない!)
昨日の記憶が蘇り、またパニックを起こしそうになりました。
「もしかしたら、この店の中で殺人事件があって、私が入って行ったら、血みどろの死体が転がっているのでは……」
本当にそんなことがあってもおかしくないような異様な雰囲気があるのです。
しかしよい解決案が浮かびました。
「そうだ、この状況をヴィパッサナーで乗り越えよう。先生はいつも『苦受(苦痛)が多いときほど、ヴィパッサナーの修行にはよいチャンスなのですよ』とおっしゃっている。それなら、ここでサティがどれだけ入るかやってみよう」
と、意を決してそのお店に入っていきました。
まず、看板を「見た」「嫌悪」とサティを入れ、地下の階段を踏みしめながら「右、左、右、左」と下りていきました。
ドアの所で、「(頭上の電気のスイッチを)押した」
「(カギを)入れた、回した」
「(ドアに)ふれた」「(ドアを)開けた」
「(ものすごい悪臭に)におった」「嫌悪」
「(鶏の宙づり人形を)見た」
「(部屋のスイッチを)捜している」「あせっている」
「恐がっている」「(スイッチを)押した」
「(早く冷蔵庫に入れたい)と思った」
「(ゴキブリの大群を)見た」
「(ゴキブリを踏みたくない)と思った」
「(冷蔵庫のドアを)開けた」「(鶏肉を)入れた」
「(スイッチを)押した」「(電気が)消えた」
「(ドアを)閉めた」「(カギを)入れた、回した」
「右、左、右、左」
と、サティを入れながら階段を上って来ました。
昨日のパニックが嘘のように、驚くほど心が静かでした。
昨日は、見たことにも、考えたことにも、五感にふれたことに全くサティが入らなかったため、心がすぐさま妄想の世界に没入してしまっていたようです。
この体験を通してそのことがはっきり分かりました。
以前、ちはし先生が
「ブッダは、人の心は、三毒に冒されている、とおっしゃっています。
三毒とは、貪り、怒り、無知の心です。
どんな人でも例外なく三毒の心を持っていますが、あなたの場合は、傾向として『怒り』のタイプかもしれませんね。物事に反応するときに≪対象を嫌う心≫が反射的に起ち上がりやすい傾向があるということです。そういうクセをつけただけのことですが。
不快感→嫌悪→怒り……と、不善心が成長していきますので、なるべく早い段階でサティ(気づき)を入れて見送ってしまうように努めてください。≪怒 りの心≫と戦ったりせずに、ただ『怒り』『怒り』と気づくことによって手離していくのがヴィパッサナー瞑想なのです」
と、ご指導いただいたことを思い出しました。
その時は「私はそんなに怒りや嫌悪が強いかしら?」と半分疑問だったのですが、今回の経験で自分の心に潜んでいる「怒り」や「嫌悪」が、これほど自分の心と身体を苦しめるものなのか、ということを仕事の現場で体験させていただきました。
そして、とっさに反応してしまう『怒り』や『嫌悪』にいつでもサティが入るようになれば、苦しみのない人生が本当にあり得るのだということ。そのために もしっかりヴィパッサナーのトレーニングを積ませて頂きたい、と決意を新たにするきっかけになりました。
こういう貴重な体験をさせてくれたこのお店は、本当にありがたいと思いました。
常識的には、嫌悪の固まりになって当然のような場所にいて、ただサティ(気づき)を入れているだけなのに、心は静かにおちついていられたのです。
心が反応しなければ、苦が苦でなくなってしまう、と何度もお聞きしておりましたが、本当のことでした。
「苦は絶好の修行チャンス」と、先生がおっしゃったのは「こういうことだったのか」とあらためて理解することができました。