日常生活でのヴィパッサナー瞑想体験集

 

 

ヴィパッサナー小さな日常体験集
〈サティが与えてくれた感動と喜び〉

 

されど…短期合宿  ささやかな後日談 (F.K.さん 女性 東京都)

 

 「怒り!」
 無意識に絶妙なタイミングでサティが入った。
 その途端、シャボン玉がパンッとはじけるように一瞬にして怒りが消え去り、驚いたことに暖かいやさしい思いが溢れてきた。

 

 「あの人は夜勤明けで疲れていたんだ。」

 

 私は病院勤務である。検査担当で、仕事上看護婦さんとのやり取りも多い。
その朝は、担当看護婦の連絡ミスでちょっと面倒な仕事が二度手間になってしまい、患者のどっと押し寄せる朝の時間帯、いったい何人の患者を待たせることになることか気が気でなくなる状況だ。

 

 「仕事の段取りが狂って押せ押せになっちゃう!」

 

 いつもだったらカチンときて舌打ちの一つも出てきてしまうところなのだが、その時は違った。
自分の都合なんかより、夜勤明けの彼女の方に思いは飛ぶ。「今日はこのまますぐに家に帰れるのだろうか。」(夜勤明けでも状況によっては昼頃まで勤務し続けることも多々あるのだ。)

 

 これらのことは一瞬にして起こった。初めて参加した短期合宿終了翌日の朝のことである。そしてその一瞬ののち、「サティが入るってこういうことなの か!」「サティがバシッと入るとこんなふうになれるんだ!」ということをその時初めて自分自身で認識できたのだ。
数々の体験記や先生のお話しの中から、漠としたものはあったものの自分自身の体験を伴った実感は、ダイレクトに強く私を感動させた。日常生活の中、怒りが 一瞬にして(無理やりでなく)消え去るということはなんと気持ちの良いことだろう。その上、「慈しみ」のおまけ付きときている。

 

 「この私がこんなふうになれる?怒りと傲慢に満ち溢れたこの私が?こんなにシンプルでストレートなやさしさがあったのか?」

 

 なんだかくすぐったいような気恥ずかしさと同時に、かつて一度も経験したことがないほどのとても幸せな気持ちに包まれて、物や金では得られない無上の喜 びを感じることができたのだった。(本来ならこの至福感にもサティを入れて見送るべきなのは今では十分わかっている。ただし、サティを入れられるか入れら れないかは今だ甚だあやしいところであるが…。)

 

 たった2泊3日の短期合宿かもしれない。されど…の思いを実感した朝の出来事であった。

 

 

複雑な心理・・イライラの中身は? (M.S.さん 男性 千葉県)

 

 「怒っている。」 「怒り。」とサティを入れてもイライラが静まらない。

 

 家族とちょっと口論になってしまい、イライラを止めようとサティを入れたのだが、ほとんど変化なし。

 

 そこで、もう少し心をよく見よう、と思ってラベリングの言葉を変えてみる。
  「……自己嫌悪している。」 「……後悔!」

 

 この「後悔。」というラベリングが入った途端、さっと心が静かになっていた。
 どうやら、怒り→なんでこんなくだらない事で怒っているんだ→後悔→イライラという一連の反応を起こしていたようだ。確かに毎度、毎度、決まりきったラベリングでは駄目、というのは本当だと実感した。