『人生が集約する瞑想』R.Y.

 

  私は61歳女性、瞑想を始めて7年になります。正直言ってあまり出来の良くない瞑想者です。地橋先生が「素晴らしい瞑想体験が羅列されている原稿よりも、失敗談や瞑想が遅々として進まない話の方が、誰にとっても身近で共感を呼ぶものです」と勧めて下さいましたので、それでお役に立てればと、拙い筆を取りました。
  私が瞑想を始めたのは、娘が試験に落ちてばかり、しかも心がけが悪い。夫はテレビを見てばかり、当然コミュニケーションがない。ぜんぶ相手が悪いと心の中で責めていましたが、これは私に問題があるのではと思ったからです。その2〜3年前に『瞑想クイックマニュアル』を知人から頂いて読んでいました。少し読んで「これだ!私がずっと求めていたのはこれだ!」と思っていました。しかし、それでなぜか安心してしまいました。実際に実行し出したのは自分に問題がある?と気づいてからです。
  瞑想を始めたばかりの頃には一生懸命出来ましたが、少し慣れると、妄想や散漫な心や退屈や慢の心で行き詰まりました。エゴワールドへの執着が強いのではないか・・と、瞑想会で先生に言われてもいました。
  瞑想を始めて2年目の頃、2泊3日の短期合宿に参加しました。「歩行瞑想をしてみて下さい」と先生に言われました。少し歩行瞑想したものの見られていると意識すると、集中力はぶっち切れ、「出来ません」とふてくされて坐り込んでしまいました。でもそうしながらも、昨夜も遅くまで、そして今朝も早くから音がしていたのを思い出しました。多分先生とスタッフの方が準備して下さっている音でした。こんな私の為にあんなに一生懸命・・と思うと感謝の心が自然に湧いてきて、涙ぐんでしまいました。瞑想は集中力を欠きましたが、素直に感謝できたのが嬉しく今も思い出します。感謝の気持ちが湧いてから、少し気合を入れて瞑想するようになったかと思います。
  瞑想を始めると妄想が山のように出てきます。その奥にはものすごい恨みのような怒りがあり、さらにその奥の院には怖い顔をして立ちはだかる父の姿がありました。私の心の奥底にわだかまっていた父のイメージでした。
  父は私を大変可愛がってくれました。しかしその可愛がり方は、私の先回りをして、悪いことから私を守り、父が良いと思う方へ導こうとするレールを敷くものでした。要するに過保護なのでした。それは心地良い時もありましたが、成長と共に窮屈で息詰まるものとなっていきました。成績は良い点を取れ、映画や歌は低俗、美術館はOK、など戦前の古めかしい教養主義でした。あまりにも古すぎて時代に合わず、次第に私は父を殺したいと思うくらい憎むようにさえなっていました。しかし父は全く気付かず、良い事をしていると完璧な自信を持っているかのようでした。
  私の希望は、真っ向から否定しないで、私の意見を聞くだけでも聞いて欲しい、私の自由や意志を尊重して欲しいというものでした。良いことも悪いもことも経験したい、そして自分で判断したいというものでした。
  「お父さんの姿は、前世のあなたの姿と考えるのです。自分が過去にしてきたことを、今度は逆の立場で受けることになるのがカルマの法則です」と瞑想会で地橋先生に言われました。
  びっくりして目が覚めました。前世の私というのは理屈としてよく分からないのですが、腑に落ちるものがありました。腹の立つことに、私と父は似ているのです。「イヤだ!嫌いだ!こんなの自分の人生じゃない!」と怒りまくっていたのに、私の今の幸せはやはり父の恩恵によるものが大きいと認めざるを得ませんでした。父に感謝せざるを得ません。
  考えれば、父も祖父に同じような仕打ちを受けていたのでした。もっと虐待に近く酷いものでした。お父さんはどんなに辛かったか!私など比べものにならない!守って欲しかったし、良いことをいっぱいしてもらいたかったんだ・・。父の立場を思いやることが出来て初めて父を赦せると思いました。
  私は、「一生懸命育ててくれてありがとう」と父を抱きしめることが出来ました。
  「そう言われたら嬉しいわ。本望や・・」、うれしい言葉が父から返ってきました。
昔から、訳もなく寂しい、疎外感のようなものを何となく感じていました。どうしてこんなにしーんと寂しいのか? どうしてこんなにひがみたくなるのか不思議だったのですが、わからないままでした。母のことを思っても、母に不満はないはずでした。
  「幼少期の愛着障害の問題がありませんか。本当にお母さんに不満はないのですか?」と先生に訊かれました。
  瞑想していると、幼少期の忘れられない思い出が蘇りました。母と弟がいつの間にかいなくなり、私は、母が嫌っていた祖母(父の継母)の膝に抱かれてテレビを見ていました。私は置き去りにされてこれは大変!と駆け出し、弟にミルクをやっている母を見つけました。そして私もミルクをもらうのでした。ミルク代が嵩むので、母はこっそり弟にミルクをあげていたのでした。私は何も分からず、弟ばっかり可愛がられていると思っていました。その頃母は舅姑に大変いじめられていました。ぼんやりと分かっていましたが、寂しい私は祖母や近所のお婆ちゃんの所に遊びに行って紛らわしていました。
  瞑想会の後、思い切って母に、「小さい頃弟ばっかり可愛いがられて、もの凄う寂しかってんで」と話しました。
  「そら、すまんかったな。実はなあ、お祖母さんに懐くお前が憎らしかってん。虐待しそうやった」
  母が涙ながらに話しました。私はびっくり!幼い頃の私は、聖母マリア様を見るように母を見ていました。母は平凡な人生経験も浅い女性であるというのに。
  大好きなお母さん、想像できないほど辛く悲しい日々だったんだね。私を虐待したってかまわない、それでお母さんの気が晴れるなら・・そんな気持ちが湧いてきて私は母を抱きしめていました。
  言ってもらってスッキリし、得心しました。私の寂しい気持ちの理由が分かりました。いつの間にか寂しさを忘れていました。
  「でもな、おかあちゃんも小さいとき寂しかってん。おばあちゃんが弟を産んだ後、歳の離れた姉さんの嫁ぎ先に預けられてて。小学校に入学するので家に戻ったけど、最初はなにか馴染めなくて、いつも一人で川を見に行ってたんよ・・」
  歴史は繰り返すのだと思いました。
  「平等性に問題があったとしたら、自分も過去に人を差別し、平等に扱わなかったはずなのですが・・」と先生。
  しました!してます!お寺に生まれて、仏道を歩まずんば人に非ず、なんて感じでした。人の欠点を見つけ喜んで、人の不幸に同情しつつ自分の幸せを喜ぶ。人にしたようにされる、です。
  母に命をもらい、父に人生をもらったような気がします。そして、私の悩みは親の悩みでもありました。
  一日瞑想会で歩行瞑想を見て貰いました。「間の取り方がうまく出来ていませんね」と先生。後でどういうことなのか考えていました。間が取れてないって・・。「これは瞑想が全部出来ていなかったんだ!!」「概念で瞑想しているんだ」と気付きました。「ああか?」「こうか?」と考えて感覚をちゃんと取れていなかった。また、ラベリングのあとで次の一歩に移る前に、一拍間を取るのを軽視していました。そう気付いてから、しばらくは感覚が良く取れました。注意されるとは良いものですね。
  「セオリー通りにできているんだけど、瞑想する覚悟のようなものがねえ」。
  最近の1Day合宿で先生に言われました。最後のまとめの時間で、他の参加者の方から、「わざわざ奈良から来られたんですか?どうして?」と聞かれ、「帰りにデパートにも寄れますし」と思わず答えました。照れ隠しの積りでしたが、「私は遊びで瞑想してる!」と思いました。やるぞという心構えは昔から無い。何となくやるのですが、真剣さは少ない。瞑想で流れが良くなると、快楽的なものに溺れていました。瞑想が趣味になり、遊びになっていました。苦しい瞑想を続けるか?やっぱり求めている快楽の方へ行くか?分からなくなって来ました。
  「考えるより、身体に任せよう」と決めました。何も考えず、自然に任せました。すると、日常の瞑想が出来る時が増えました。感覚が少し鮮明になりました。50:50の取り方や中心対象への戻り方が甘かったとも気付きました。
  要するに、身体は瞑想を止めなかったのです。びっくりしました!身体の選択に任せて瞑想を続けることにしました。しかし、気づきは直ぐに薄まり忘れてしまいます。いつまでも変わらないエゴの塊の私が、ドーンと居坐っているようです。ただ、嬉しいことに、家族が穏やかに、幸せそうになってきたのです・・。
  以上がボチボチ瞑想を続けている私の歩みです。また、今回この文章を書くことで、気づいたことや整理出来たことがいっぱいありました。機会を与えて下さって、感謝いたします。