『苦の中に菩提心あり』宝田 誠

 

1.ヴィパッサナー瞑想に出会う前の人生
  自分の辿った道が法施となり皆様の修行の一助になればと祈念し寄稿させて頂きます。   私の学生時代は、絶対真理の探究や願望実現のため、禅定体験による超人化を目指すことが興味の対象でしたが、定力がなかったので中途半端なもので終わりました。今思えば戒定慧の三学の中で定のみに取りつかれていた時代だったと思います。
  社会人になり大乗仏教を社是とした会社に縁があり転職しました。その会社は、宗教と経営を一体化した新しい会社を作ろうとしていた初代社長が亡くなり、その次男が二代目として事業を承継する時期だったので、二代目の社長と一緒に会社の財務の健全化を数十年に渡って取組みました。
  会社での修行は、朝礼の代わりに経典を読誦し、また、年明から毎朝七時に三部構成の経典を一時間読誦し十三日間かけて完読するというものでした。十三日間皆勤するためには精進力と、経をかなりの速さで読むため集中力も必要でしたが、修行としての達成感もあり自信も持てました。そして、それが生きる上での精神的支柱になっていたと思います。

 

2.初期仏教との出会い
  私が初期仏教に初めて出会ったのはスマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』を読んだ49歳の時です。そこには曖昧なところはなく合理的で、実際どのように修行をしていけば解脱に到達でき、また解脱や涅槃の概念が世俗的な言葉で平易に説明されており衝撃を受け、仏教に対する認識が変わったことを今でも覚えています。その後、大乗仏教と初期仏教の相違点や、どちらが釈尊の伝えたかった真理に近いのかなどの考察を続けました。
  51歳の時には、アビダンマ講義を受け、座禅も取り入れ、死をいつでも受け入れられる境地に近づいてきたと思い込んでいました。しかし2011年3月11日の大震災で、生に対する執着から死への恐怖が生まれ、自分は死を大変恐れており心の浄化も進んではなく、ただ理想のあるべき状態を夢想して心に貼り付けていたに過ぎなかったと気づいたのです。それから放心状態となり、震災のショックを引きずりながら日常の生活や仕事に追われ、修行は一時中断状態となりました。しかし釈尊の教えから離れないように日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌などを読み、情報の切断だけは避けていました。

 

3.ヴィパッサナー瞑想との出会い(転機)
  そのような時、二代目社長の兄弟間に問題が起こり、私も巻き込まれ奮闘するなか、第二の父と慕っていた二代目社長が亡くなり、また、私の実父も亡くなり、頼りの部下も退職し環境的にもかなり追い詰められ、60歳を間近に、ついに自律神経を患い血圧サージとなりふらつき感と不眠に悩まされました。その治療のため人間ドック、漢方、鍼灸、整体など色々なものを試してみましたが、たいした効果はなく、結局かかりつけ医の変更をして薬を見直し一時の安静を得ました。
  しかしこの時、過呼吸や脈動異常による死の恐怖を体験してから、このまま死んではロクなものに転生しないと心底恐怖しました。そして、この病苦の真因は心のあり様から来ていると思い、これからは初期仏教を軸にした本格的な瞑想修行を実践し、少しでも死近心を良質なものにして来世に繋いでいこうと思い定めました。病苦があったからこそ病苦から逃れようと必死になり、ヴィパッサナー瞑想の修行を本格的に始動できたことは人生の終盤で最大の果報を得たと言えます。
  ヴィパッサナー瞑想は、それまで『大念処経』などの経典を読んで独学で行なっていたので、本格的に取り組むにあたり、師の選択を慎重に行ないました。気をつけたことは、自分を正覚者と言う方、慢心のある方、論理性や一貫性のない方は避け、実践経験があり、人格者である方の講演や講習会に参加しました。
  しかし今まで人に学んだことがない者が未知の講習会などに参加するには、相当な意欲と精進力が必要でした。いつも何かの障害が起こり、心が萎え、行けない理由探しを始めるという、いわゆる「掉挙」の散乱状態になりました。そんな時は、理由はどうあれ身体だけその場所に運ぶことを実践しました。それから先はやめるなり帰るなり心の自由に任せることにしたのです。
  健康面での不安もありましたが、脈や血圧が上がり倒れたらそれまでのことと割り切ることにしました。実際にその場に行くと身体は辛くても精神的にスッキリし、「行って良かった!」といつも思いました。ダンマの力や「場」の力が働いていたのでしょうか。それ以後、心がどんなに「掉挙」になっても身体だけは会場に運ぶことを実践しています。

 

4.出会った後の生活や人生の変化(修行への取り組み)
  60歳前後で日本テーラワーダ仏教協会での初心者への実践指導や地橋先生の朝日カルチャー講座で初めてきちんとした歩きと坐るヴィパッサナー瞑想のやり方を学び、以後11カ月が経ちます。勤務も修行時間を増やさねば罰が当たるような恵まれた条件となりました。
  修行は長くやれば良い結果になるというものではないのですが、それでも時間を費やせばその分は必ず蓄積されていくと思っています。お釈迦様が数え切れない輪廻を経て悟られた真理を追体験しようとするのだから、時間はかかるものと思い定め一歩一歩前に進むしかないと思います。
  現世で残された時間は自分が思っているよりはるかに短いのですが、瞑想の成果を得ようとあくせくするのは逆に欲に囚われ後退してしまうものだと思います。人間に生まれることは至難なことで、健康で、思慮深く、さらに法に出会い、瞑想の時間を持つことはとても有り難いことだと思います。もちろん様々な障害や欲望に邪魔され修行から遠ざかり濁業悪世に身を委ねても、一度修行した経験者はきっと戻って来ると思います。立ち止まってゆっくり考えてみる時間も大切な修行の一部だったと、遠回りしてしまった自分は今思っています。

 

5.瞑想により心がどのように成長したか
  うつ病は、心が作った妄想という心身を蝕むエネルギーなので、妄想が起こらないようにサティで後続を切断し、それでも湧き起こる妄想には対立しないで、そうなのか、と受容してあげることでそのエネルギーは留まらず流れて消えていくものだという実感が、曖昧ではありますが掴めかけている気がします。
  また、現実で押さえ込んだ怒りなどが夢で実現し、怒り狂った夢を見ようとする時、これは怒りで不善業だ、と、それを制御する自分が現れるようになりました。
  最近、雨の降る日に公園で歩く瞑想をしていると、足裏の血流が鮮明に感じられ、数分でしたが落ち着いた楽を感じ、雲の上を歩いているかのような気持ちの良い感覚になりました。また、雨からの連想で過去に家族と喧嘩した時のことを思い出し、瞋恚の感情が沸き起こった瞬間、足元が滑って転びそうになりました。瞋恚の不善業が今の歩行時の瞋恚を縁として正に実現したことを体感できた瞬間でした。
  カルマは常に蜘蛛の巣のように張り巡らされ、今の怒りや欲や愚かさはその縁となり、同種のカルマを集めて実現させてしまう。正に、この心身は「業異熟体」なのだという深い洞察ができました。
  病苦はほぼ克服したとはいえ油断するとすぐに揺り戻され、体も心も諸行は無常に変滅し苦に向かっているのだから、常に怠ることなく精進努力せよとお釈迦様から言われている気がします。今は朝日カルチャーの講座と1dayセミナーで地橋先生のご指導と個人面談を受け充実した修行生活が送れています。
  還暦でやっと満足のいく修行法にたどり着いた今、常に不断の精進力を持ってダンマに触れ続けていける環境と体力づくりを残りの人生の最優先課題として、衆善奉行・諸悪莫作を念頭に一所懸命コツコツと捨の心で修行し、常に今に気づいていきたいと思っています。