『検証しながらの瞑想実践』H.Y.

 

  ヴィパッサナー瞑想を始めて以来、心が徐々に解放され、楽になっていると感じています。その反面、自分を振り返ってみると、引っかかっている気持ちの一つに、他人に認めてもらいたい気持ちが強いと改めて思いました。
  瞑想に出会う前ですが、大学のOB会の世話人をやっていたことがあります。世話人はOB会の組織運営を行い、仕事はOB総会の準備や会費の集金など多岐に渡ります。大変でしたが、やりがいのあるものでした。そのやりがいとは、仕事を達成したというよりも、人の為に役に立ったという気持ちが強く、結局は人に認めてもらいたいという思いが昇華したものでした。居心地の良い反面、その心地良さをさらに得ようと仕事を頑張っていました。当時はそうした心の矛盾に対し、本当は何が正しいのか、そもそも改善すべき事象なのか、何も分かりませんでした。
  初めてマインドフルネス関係の書籍でグナラタナ長老の本を読んだ際、ここに今までの人生の疑問を解決してくれる道があるのではないかと思ったときは衝撃的でした。原因分析とその背景、そして方法論が書かれていたからです。理路整然に論理展開され、そのやり方まで明確に提示されているとは、晴天の霹靂でした。それ以来ヴィパッサナー瞑想にかなり興味を持ち、それから地橋先生・スマナサーラ長老はじめ多くの本を読みあさりました。
  ただ瞑想を始めるには抵抗がありました。自己流でやると癖がつくので、瞑想会に通って学んでから始めた方が良いのは頭でわかっているのですが、瞑想会に行く決心がなかなかできません。瞑想自体が胡散臭いという思い、宗教はお金もうけであるという先入観、世話人での反省があったからです。そのため原始仏教をしっかり学んでから、一人で瞑想を始めていこうと思っていました。
  そういう思いで原始仏教を学んでいたのですが、スマナサーラ長老にお会いしたいという思いが衝動的に生まれました。この世のありのままを直観するとはどのようなことなのか、それを日本で指導される原始仏教の第一人者の方に直に会ってみたかったからです。そこで長老が主催する朝日カルチャーセンターの講座に出ることにしました。カルチャーセンターであれば、宗教色は強くないのではないかと思ったからです。そして長老の講座を聞いて、瞑想を始めなければという決心が生まれました。瞑想修行を始めるのであれば、日本の中でも瞑想実践の第一人者である地橋先生に教えを乞おうと思い、朝日カルチャーセンターの講座で瞑想を学び始めました。
  今では瞑想を胡散臭いと思っていた気持ちはなくなりました。心が軽くなるという効果を実感すれば、瞑想に対する疑いはなくなっていきました。
  また宗教は金もうけであるという思いもあったのですが、原始仏教ではそれが無いことも私の心の中で実証されました。多くの原始仏教の本を読みあさっている時に、上座部仏教の組織運営はどうなっているのかを調べたところ、教団が経済活動をしていないことを知りました。信徒からの布施で成り立っているのであれば、その信徒たちはどのような信仰心で布施しているのかと疑問が湧きました。彼らが心の奥からお布施したいという気持ちでやっているのを知ったとき、世の中にはこのような人々がいるのかと驚きました。また布施する行為がブッダの教えにつながっていて、自分や周りの人々を幸せにしていくことにつながることを知りました。
  実際に私もお布施をやってみたいと思い、やってみると効果を感じました。最初はお金ではなく、人への奉仕を行いました。大学時代の世話になった先輩に迷惑をかけたせいで長年音信が途絶えていました。そこで全く関わりのない職場の人に、自分が迷惑をかけてしまったことを償うような形でお世話しました。すると音信が途絶えていた先輩から連絡があったのです。たぶん一生お会いすることはできないと思っていたので、これには驚きました。
  日常生活では布施をするように心がけていますが、普段は良くなってきているかなという程度です。しかしある日、募金の振込をしにATMのボタンを押した瞬間に、歓喜が全身を駆け巡ったことがありました。これは生涯でも滅多にないすごい体験だと実感し、布施への信が生まれるきっかけにもなりました。
  世話人での反省ですが、あるとき私が役に立って皆さんから感謝されることがありました。他人に認めてもらいたい気持ちが心の奥で生起されるのがわかりました。すぐに喜んでいるとサティを入れると、昔のように喜びや頑張ろうという衝動が少なくなってきました。それ以来、自分の気持ちが落ち着いてきていると感じています。
  今までは瞑想や宗教に興味があっても信じられず、宗教理論を学びそのエッセンスを見つけることで、真実を知ろうとしていました。その反面、このやり方では見つからないとも心の隅で感じていました。ヴィパッサナー瞑想と出会い、これこそが真の道だと自分の心の中で思っています。この思いを確信に近づけるために、まずは戒の修行を重視して頑張っていきたいと思っています。