『作務衣のボランティア』 沙門全道

 

  ふだんから、頭を剃り、作務衣を着て、雪駄を履いて、過しています。誰が見ても坊主です。少ない風体なので、ジロジロ見られることもあります。一度会うと、二回目には思い出していただけることが多いようです。ですから、前に来たときに何をしたかがベースとなって、次の出会いが始まります。いつも現世での輪廻を思いながら振舞っています。
  私は、次のようなボランティアをさせていただいています。東日本大震災の避難所訪問・電話相談、自殺対策に取り組む僧侶の会での遺族の分かち合いの会・自死希念者からの手紙相談、老人ホームでの傾聴。法話や傾聴のときには、作務衣の上に改良衣を重ね絡子(略式の法衣・袈裟)を掛けます。
  僧侶や法衣に嫌悪感を持つ人がいます。福島“いわき”の避難所を訪れたときは気難しそうな顔つきの人には予め挨拶しました。歌や笑いの出し物の間に、「慈悲の瞑想」を紹介しました。避難が続くなかで、チョッとしたことでトラブルになると開いていたからです。
  その後個別に話を伺いました。とくに、一人ぼっちの人と話すよう心がけました。
  なお、ここには、地震・津波で被害を受けた人たちばかりではなく、原子力発電所の放射線漏れ事故で避難させられた人たちがいます。東京電力や行政の対応が良くないとして怒りをブツケられ戸惑うこともあります。でも、たいていの方は瞑想の話を好しとされ、個別に話ができることを喜ばれ、来て良かったと思いました。
  心の中の悲しみを訴えられることが少ないのは、体育館でプライバシーがないからでしょうか。
  五月連休中に、震災死による遺族からの相談を受ける電話が設けられ、電話を受けるボランティアにも加わり始めました。肉親が津波で行方不明でニカ月近くなっても先へ踏み出せないでいると訴えられる人がおられ、震災報道を見ていままでの精神障害が悪くなった人もおられました。
  でも、深刻な悩みや苦しみを聴くとこちらまで辛くなり、みずからの死別の悲しみは気にならなくなります。
  クーサラを始めたのは、母と弟とが相次いで肺炎で死に、心が乱れて事故に遭ってからです。地橋先生が勧められている多布施(佐賀)で池上先生の集中内観を受けました。離れて住んでいたため、亡くなった人に尽くし足りなかったのではと悔やむよりは、代わりにいま困っている人のために自らの身や心を布施することが大切と思うようになりました。
  クーサラして感謝されると自らが力づけられます。日常内観を続けて、手のかかる肉親が亡くなって肩の荷が降りたと思っていることにも気が付きました。おかげでクーサラできて充たされて生きられるので、母・弟に感謝しています。
  また、ヴィパッサナー瞑想に集中できないときに、その因を内観による心の随観で気づき、手放すことで中心対象の無常を観られるようなりました。
  坐禅は、40年前勤め先での人間関係でトラブルがあって仕事に差し支えるので、自らを変えてみようと思って始めました。道元禅師の「只管打坐」を30年間も励んだのに、坐禅中は心が静まっても覚りにはほど遠く、日常生活の変り方は足りないと思うようになりました。
  10年ほど前から、釈尊の瞑想を試みようと上座部仏教の瞑想を始めました。ヴィパッサナー瞑想で、指導者に瞑想状況を話して助言を受け、瞑想が進みました。数年して、腹の膨らみ縮みあるいは鼻の穴を出入りする空気に集中することで、三昧に入れることがありました。それでも、常に心が鎮まる覚りに行き着くまでは至りませんでした。
  グリーンヒルで日本人から日本語で指導を受けられるようになり、地橋先生の的確な応答により腑に落ちるようになりました。また日常内観するようになり、ヴィパッサナー瞑想が進みました。ありがたいことです。