『数百万円つぎ込んだ果ての瞑想』 徳龍童子

 

  5年前のちょうど今頃、私は計3回の手術を受け、トータル一カ月余りの入院生活を経験しました。最悪一歩手前で何とか踏み止まったものの、どうしてこういう人生なのかと自らを呪う術もありませんでした。少なからず死というものを考えざるを得ない状況の中で人生観の転換を期待したものの、凡夫にはそんなことは起ころう筈もなく、自らに降りかかった「苦」を、ただ淡々と受け入れるだけでした。
  退院した後は、さらに現実世界の「苦」に対時しなければなりませんでした。私が12年前に起業した会社の経営のことでした。何とか勢いで起業して、ある程度のところまでは来たものの、決して平坦な道のりではありませんでした。経営者の方なら誰でもが経験する売上の問題、資金繰り、営業活動、人事面での問題など、頭を悩ませない日の方が少ないものです。そして、解決策を求めてマーケティング、営業研修、自己啓発セミナーなどありとあらゆる勉強会に参加してきました。
  関連の本やCD、 DVDを買いあさり、出来る限りの知識、情報を追い求めました。これまでに費やした額は数百万円以上になると思います。しかし、その効果といえば、一時的なものであり、過ぎ去れば、また新しい知識、情報を求めて彷徨い歩く状況でした。経営にとって、あるいは人生にとって何が本当に大切なものなのか、知識としての真理はいくらでも得ましたが、肚に落ちるまでの納得の行く答えが見つかることはありませんでした。
  仕事も会社経営も全てこの世の出来事の一部であるに過ぎないと頭ではわかっていても、実感として認識する余裕が全くありませんでした。その結果、常にイライラ、怒り、心配、不安に苛まれ、その一時を紛らせるためにアルコールの力を借りなければなりませんでした。その結果が大病へとつながって行ったのです。
  カルマの法則を理解し始めている今だからわかることも、当時は全くの無明の世界にどっぷり浸っている我が身には、ただ闇雲に様々なことに手を出し、もがき苦しむだけしかなかったのです。
  そんなある日、毎月定期購読している日経のビジネス誌の中に、ある記事が目に留まりました。「一日10分の瞑想で、ストレス解消!」それまでのビジネス中心の記事には、まったく見あたらなかった内容で、20代の頃に瞑想の体験を持っていた私には、とても興味を引かれるものでした。そして、その記事の内容にちょっとしたカルチャーショックを受けたことが、さらに私を引き付けることになりました。それというのも、ヴィパッサナー瞑想、サマタ瞑想、サティなどというそれまでの私の瞑想の知識には全くなかった言葉を見つけたからです。
  歩く瞑想?それまでの瞑想に対する概念が打ち砕かれる思いでした。早速、地橋先生の本やDVDを購入して独習を始めました。そして、すぐに東京の一日瞑想会に参加、10月からは朝日カルチャーの講座も受講し始めました。家族が寝静まった深夜、10分間の歩く瞑想と坐る瞑想は、今まで経験してきた瞑想とは違って、とても新鮮な気持ちで実践することが出来ました。しかし、一日10分というのは、あまりに早とちりで、しまった!と思った時には既に遅かった(笑)。
  清浄道のためには、善行、慈悲の瞑想、懺悔の瞑想、五戒を守るなど、やるべきことが盛り沢山です。しかし、そうこうしているうちに、なぜか会社の業績も向上して行きました。これは、偶然なのか、あるいは、本当にヴィパッサナー瞑想の効果なのか、実際のところわかりませんでした。これまでにしてきたマーケティングの手法が徐々に成果として現われてきたのか、瞑想修行の効果なのか、はっきりとした実感は持てませんでした。
  このことは地橋先生にも、何度かレポートさせていただきました。不善心所にならないこと、善行を続けることとアドバイスを頂きました。そして、出来ることから善行を続け、不安、心配などが心に生じた時には、サティを入れて不善心所にならないようにしました。また、気分的に深く落ち込む時には、「それなら、この機会にヴィパッサナー瞑想を試してみようではないか。本当に効果があるのかどうか、いいチャンスではないか!」と、ある面開き直りました。そして、徹底的にヴィパッサナー瞑想の実践をしました。瞑想、善行はもちろんのこと、通勤時間の往復2時間以上は、CDやDVDのダンマトークをウォークマンで聴き、慈悲の瞑想も事あるごとにしました。特に五戒のお酒を飲まないことは、私の健康管理にとっての大義名分となりました。
  それまでは得てきた仕事の知識や技術が空回りしてなかなか結果として現れなかったものが、瞑想の実践から、人生全般の流れが滞ることなくスムーズになったことによって、効果的に働きだしたのかもしれません。過ぎ去れば、全て必然、必要なこと、過去にした失敗の数々はすべて今の自分に生かされていると言えるのかも知れません。
  そして、12月には過去最高の売上、通常落ち込む1月も何とか順調にやり過ごし、2月は稼働日の少なさも影響し多少の落ち込みがありました。しかし、3月には特需もあり、さらに最高の売上を記録し、お蔭様で現在も順調な売上で伸び続けています。
  商売人としてお客様に喜んで頂くためには、研修や本で得た知識は確かに正しいことを言っているのかも知れません。しかし、上っ面のことをやっても一時的であり、継続しにくいものです。智慧として活かすためには、慈悲の心でお客様に接することによりはじめて、本心からお客様に喜んで頂けるのだと思えるようになりました。毎日お客様へお送りするハガキの一枚一枚に慈悲の瞑想の言葉を発するようにしています。
  その成果なのかどうか、これまでの小手先のテクニックを弄することに四苦八苦せずとも、リピーターのお客様が増え、新しいお客様も増えて来ているように感じています。また、ブッダの教えは、経営の判断や日常生活での判断を行うときの大きな指針となるので、あれこれ悩むことも減りその分ストレスも軽減されます。会社を通して、本当の意味での世のため、人のために、我が身を捧げることの楽しみを享受出来る一歩を踏み出すことが出来た、と最近思っています。「私が、(本当に)幸せでありますように!」と慈悲の瞑想の冒頭の文章が始まるように、私からで始まる「幸せ」がなければ、人の幸せを願う心の余裕が育たないのだとわかり始めました。
  家庭面においては、子供(男の子二人)に接する態度が変わりました。それまでは必ず叱ると同時に手が出てしまっていたのですが、今では声で叱るにとどまり、直接手で叩くことはほぼ皆無になりました。子供は親にとっての写し鏡だということを芯から理解することが出来るようになりました。親の怒りが子供の怒りとして現われる。子供の将来を憂うる前に、現在の我が身の心に気づくことがいかに大切なことであるか、ということに気づかされました。そして、それまでは、仕事の多忙さを言い訳に家のことはほとんどしなかった私も、お風呂やトイレの掃除、食器洗いなど、出来るだけ家事もするようにしています。
  善行は、道端のゴミ拾い、近所の施設周りの草取りなど、出来る範囲で始め、定期的に寄付するなど、善行ノートをつけながら毎日続けています。善行を行うことは、自分の行動に対する確かな自信となる効果があると思っています。特に、仕事を行う上で、これだけのことを行っているのだから、良い成果が必ず現れるという確かな実感です。俗物的な考え方ですが、こう考えることによってモチベーションが上がります。そして、現象として良いことが起こった時ほど、意識的に、一層善行に励むように心掛けています。
  まだまだ煩悩の塊の未熟な初心者ですが、出会って7カ月での体験を書かせていただきました。実感として、ヴィパッサナー瞑想の効果はとても速いと思っています。それは、私がヴィパッサナー瞑想の体験が進んでいるというのではなくて、今までに私が経験した研修やセミナーと比べて、その効果の出方がとても速いと感じています。そして、持続的です。また、会社の経営にはお金がつきものですが、お金の問題もすべて、人の心の問題に根差したことだと今さらのように実感している今日この頃です。
  いくらかでも日々の仕事に活かせればというのは、本来の仏教の道を極めようとする方からすると、あまりに俗物的なのかも知れません。しかし、このことがきっかけで、ヴィパッサナー瞑想に出会えたことは、私にとって残された人生を全うするのに相応しい生きる拠り所になっております。
  この時期に、この年齢で出会っていたからこそ、これからも一所懸命続けていこうという気特になれるのだと思っています。もし、これがもっと若い時ならば、飽きっぽく新しもの好きの私にとって、きっと一過性のこととしてやり過ごしてしまったかも知れません。この年齢で出会えたことに、とても縁を感じています。
  今回、体験談を書かせていただく機会をいただきましたことに深く感謝いたします。ありがとうございます。