『生活に沁みていった瞑想』 関根かつゆき
ヴィパッサナー瞑想と出会い、2年が経ちました。この 2年で私にどんな変化があっただろうか?と考えました。
怒りが少々、いや大分減った。気持ちの許容量が増え、慌てる精神状態が減った。とにかく「なんとかしなきゃ」と思っていたことが減少し、「良い」と思えることが増えた。そう感じます。以前は気持ちに余裕がなく、すぐ焦ったりしていました。実際12年前に電車の中でパニックになり「パニック障害」と診断されたこともあります。
私の場合、直ぐ行動に出たのが良かったと思います。書店で地橋先生の本が目にとまり、帰宅しネットで調べたら自宅から近い場所で月例瞑想会を行っていると知り、「よし、近くだし自転車で行ってみよう」くらいの気持ちで瞑想会に参加。そしてその2カ月後には短期合宿に参加できる・・・と今考えると、恵まれすぎてました。ありがたいことです。
若いときは、どちらかというと宗教的なものにアレルギーをもった、ちょっとモノを斜めにみる癖のあるタイプでした。というのは私が小学生、中学生のとき両親が続けて癌で病死、そうすると周りで、何か新興宗教的な勧誘の空気が漂い、子供心に何か「嫌だな・・・」と心に残ってしまったのかもしれません。
歳の離れた兄がいたのですが、その兄も精神的な病に犯され、数年前、孤独死。小さい時から「病気と死ばっかりだな・・・」なんて感じていました。ただその思い出がどうしようもない思い出ばかりかというとそんなことはなく、どちらかというと楽しい思い出が多いのは不思議です。両親、兄弟に感謝の気持ちが起こります。
そんな境遇からか、高校の進路相談の時、担任が「君はお坊さんになってみる気はないの?」と何回か開かれました。自我が出てきた思春期、当然答えは「ありません」でした。でも今思うに、担任は当時の私に他の学生とはちょっと違うタイプを感じていたのかもしれません。
瞑想会に参加して一番驚いたのは地橋先生のインストラクションぶりでした。実は私も、物、技術を数えるインストラクターを仕事にしているため、先生のエネルギーには圧倒されました。私といえば、「・・・だからしょうがない」的な感覚で、「仕事だからしょうがない」「お金を貰ってるんだからしょうがない」「プロなんだからしょうがない」等、何か理屈をつけて仕事をしていたような気持ちになり反省させられました。先生に「納得し、理解してもらうことです」とアドバイスされました。この言葉は慈悲の心とやさしさに溢れていて、その後の支えになっています。
原始仏教や瞑想の実践はこの後から始めたので超初心者ですが、比較的早く合宿に参加できたことや、月例や自主瞑想会での先輩や法友の方の姿勢が励みになり、瞑想が習慣化したのは嬉しいことです。
また、先生をはじめ皆さんが、充実した瞑想を進めていくための食事方法や健康面の知識がもの凄く、仏教というのはオールラウンドだな、と感じています。
「一切皆苦」「苦諦」という言葉を知った時、何故かほっとした、と言うか「ああ、やっぱりそうだったのか・・・」と心が軽くなったことも驚きでした。
漠然と感じていたが、釈然としない事柄を原始仏教は理路整然と説明してくれました。それらを超えていく方法論やシステムまで完成されているとは、ショックでした。この段階で自然と「受け入れよう」という気持ちが強くなり、自分の気持ちの中で仏教が大きな存在になってきました。
ウォーキングが日課だったので、ついでにゴミを拾う。そうすると、帰って来てからの瞑想の集中が良かったり、それを狙ってやるとイマイチだったり、でもやらないよりは拾ったほうが良い・・・なんて考えながら少しでも善行していこうと思っています。日々の生活のなかで慈悲の瞑想をいつも心がけ、日々瞑想ができる環境に感謝し、地橋先生が言っておられた「仏法のある世界」にいることに感謝し、生活していければと思っています。
瞑想の実践はトントン拍子に成果が出るとは最初から思っていないので、らせん階段をゆっくり、少しずつ上って行くように、と心がけています。気がついたら、「こんなに景色の良い山の頂上にいたんだ」なんて思う日がいつかくると良いのですが。
気がついたら、「こんなに景色の良い山の頂上にいたんだ」と思える日が必ずやってくるのを信じて・・・。