『第二の人生を開くヴィパッサナー瞑想』 稲葉青治

 

  朝日カルチャーで地橋先生にご指導して戴いてから2年、東京瞑想会に参加させて戴くようになってから1年半経ちました。今までを振り返ってみたいと思います。
  3年程前に定年退職しました。そのしばらく前から退職後はそれまで趣味としてきたことを心ゆくまで楽しむつもりで、それなりに準備をしてきました。しかし実際に退職してみると、他にするべきことがあるように思えました。今まで重要だと思っていたことが、どうでも良いことで、どうでも良いと思っていたことがとても重要なことのように思えました。生活のテンポが遅くなったためでしょうか、今まで気付かなかったことに気付くようになったような気がします。それ以来、仕事としてきた技術とは違う分野(哲学、宗教、歴史等)のことを勉強しています。
  仏教については定年前に4年程京都に住んだこともあり、日本の仏教について多少勉強していました。定年の少し前に、原始仏教の本に触れる機会があり、お釈迦樣の真の教えは南伝仏教にあるのではと漠然と感じていました。
  さて定年後1年程して、たまたま立ち寄った本屋で地橋先生の本が目に留まりました。『ブッダの瞑想法』を読み納得することが多く、Web会のホームページから朝日カルチャーの瞑想の講座があると知り、早速受講しました。それ以来少しずつ瞑想をして、昨年の2月に初めて東京瞑想会に参加しました。昨年は余り参加できませんでしたが、今年は瞑想の時間を延ばしたいと考え、できるだけ参加しています。
  瞑想をするようになってからの変化ですが、劇的なことは無いのですが、少し変わったのかなと感じることはいくつかあります。ただ退職してゆったりとした生活になったことが影響している部分もあると思われ、瞑想をしなかったときとの比較が明らかでないので多少割り引いて考えた方が良いかもしれません。
  @1日の出来事を明瞭に記憶できるようになりました。私は心配性で鍵をしたか、元栓を閉めたか等心配になって、よく戻って確かめたりしていたのですが、最近は鍵を閉めた時等の状況が明瞭に思い出されるので安心します。日常の行動を常にラベリングできなくても、なるべく気付きながら動作をしているためでしょう。ただ記憶は段々薄れるようで長期的な記憶に役立っているかどうかは判りません。
  B寝る前に慈悲の瞑想を行う時、初めのころは最後まで唱えられなくて、私の嫌いな人々・・・のあたりで眠ってしまうことが多かったのですが、今は最後まで何回でも唱えられます。
  B落ち着かない時、元気が出ない時は、きちんと坐れなくても、椅子に腰かけて10分間の瞑想でも、霧が晴れてすっきりするような気がします。映画を見たり、音楽を聴いたり、美味しいものを食べるより効果的で、役に立っていると感じます。
  C気管支喘息の持病があるのですが、瞑想を始めてからこの2年間発作を起こしていません。薬も 4種類から1種類へと減りました。瞑想がどの位効いたのか判りませんが、坐る瞑想で腹部の微妙な感覚を捉えようとすると自然とゆっくりとした深い呼吸になるのが良いのではないかと考えます。
  D元々妄想好きの質だったようで、よく考え事をしていて乗り越したり、通り過ぎたりすることが多かったのですが、最近は余りしなくなりました。
  E地橋先生のお話で、ラベリングにどういう言葉を選ぶかということが重要である、ということの意味が判らなかったのですが、脳科学の本を何冊か読むうちに言葉は単なる記号ではなく、思考、記憶、感情と深い関係があることが判り納得できました。特にエピソード記憶等の映像も言葉に分解して記憶しているというのは驚きです。最近は注意深く言葉を選んで使うよう心がけています。自然とテレビ等のメディア、宣伝・広告等は正語に反することばかりなので避けるようにしています。
  まだ瞑想がきちんと出来ているとはとても思えません。また、仏教の教えについても、四聖諦、七覚支、八正道、十二縁起等の理解はほとんど出来ていません。しかし長年、科学技術の仕事をしてきた者から見ると、お釈迦様の教えは論理的、科学的であるように思えます。瞑想が生活の役に立っているのは確かだと感じます。妄想を止め、貪・瞋・痴の汚れを落とし、自我を捨てることは至難なことで、どこまで出来るか自信は無いですが、少しずつ瞑想と経典の勉強の時間を増やして精進し、雑事に煩わされず、さわやかに生きたいと考えています。合掌。