『めぐる因果を受け入れて・・・・・・』 T.H.
私は、六十歳代の男性で現在も会社勤めをしております。
ヴィパッサナー瞑想のきっかけは集中力がつき、効率的に仕事などがこなせるのではないかという功利的な動機と、上座仏教の新鮮な考え方に興味を覚えたからでした。
それからヴィパッサナー瞑想関連の本を読んだり、講義を聞いたりして、さらに興味が増し、自分で「サティの瞑想」の真似ごとをし始めましたが、あまり上手くいかず、調べていくうちに地橋先生の朝日カルチャー講座にたどり着き、今に至っております。
瞑想を始めて二年余りの少ない経験ですが、エピソードを二つご紹介したいと思います。
まずはじめに、五戒の中の禁酒についてです。普段お酒をたしなんでいる方にとって、いきなり禁酒が必要といわれても、すぐに止めることは一般的になかなか難しいのではないでしょうか。
ご多分にもれず、私もお酒が大変好きで、かつお付き合いもあり、回数と量こそ減らせましたが、なかなか一気に止める事はハードルが高かったです。しかし、法話や上座仏教の書物から戒定慧のプロセスをより深く学ぶにつれ、改めて断酒の意識を高める必要性を強く感じ、今ではほぼ100%近くお酒を止める事が無理なく出来ております。
また、徐々にお酒の世界から遠ざかるにつれ、健康面や時間の過ごし方等でお酒を飲まない生活上のメリットを感じるとともに、避けがたい宴席でもソフトドリンクでお付き合いする術も身につけてきました。
次は、「因果論」についてです。初めの頃は因果・因縁に関しては、半信半疑が正直な所でしたが、最近は本当に法話通りのことが自分の身に起こっており、理論が実証されつつあります。
具体的な話として、少し前のある夕暮れ時ですが、バス停でバスを待っている際に、かばんの中の物を探してゴソゴソしている内にバスが来たので、そのままパスに乗り、降りた後に、小銭入れを落とした事に気がつきました。ちょうどその時は、中にちょっとしたメモリアルの貴金属が入っており、慌てて元のバス停に戻って辺りを探したのですが、既に夜も更け始めていた事もあり、その時は見つかりませんでした。警察にも届け、再度日中も探したのですが、結局は出てきませんでした。
実は、その数十年も前の事ですが、くだんのバス停近くの駅のプラットフォームで、朝の通勤時に偶然極細の貴金属の鎖を拾得しました。その時は、私も通勤で急いでいたために届けることはせず、そのまま持ち帰り、正直な所をいうと結局面倒臭くなり、そのままにしてしまいました。それが因果応報で、時を経て自分の身に起こったように思います。
また、私は学校を卒業して以来、長らく勤務した会社を数年前に、早期退職しました。その後の身の振り方については、当時はっきりとは決めておらず、のんびり好きな事でもしようかとおおざっぱに考えておりました。すると、退職後ニカ月程経ってから、退職の数年前に偶然街で再会して以来、交流していた中学時代の友人から間接的に就職の紹介の話が舞い込んできました。結局数カ月後にその話がまとまり、現在もその会社に縁があり、お世話になっております。
実は就職に関しては、私自身比較的若い頃からこれまで、複数の方に間接あるいは直接、お世話した事があります。それは個人的な関わりの中で、お役に立てればという気持ちが主だったと思います。思い起こしてみると、それが廻り廻って、さらに縁に触れ、私に戻ってきたようにも思えます。
他にも良きにつけ悪しきにつけ、この因果の法則が私自身に起こって来ており、過去ラッキーと思っていた事や、不運と思っていた事も、因果論で紐解くと必然だったのかなと、かなり今では得心しております。そして身施・財施・法施の布施をこれからも努める必要を深く感じております。
また、起こった事はすべて自分のカルマとして受け止めると云うポジティブ思考も少しは出来始めているのかなと思います。卑近な例ですが、電車に乗るのを間に合わせたい時も、もし乗車できなくてもそれで良いと、気が急く事がじょじょに減ってきております。たとえ逃した場合であっても、その縁で本を読む時間が出来たり、思わぬ誰かに会えたりという、良い側面もあるという方向に気の持ち樣が変わってきています。
まだまだ日暮れて道遠しで、ヴィパッサナー瞑想の総合的体系のごく一部をかじり始めたばかりですが、一歩一歩亀の如く、歩みを進めていければと現在は考えております。
皆様が幸せでありますように。