『奪う人から、与える人へ』 匿名希望

 

  私の弟は中学の頃、「いじめ」がきっかけで、不登校になりました。さらに、高校の時に「強迫神経症」が悪化し、高校を中退して以来、現在も 「引きこもり」状態が続いています。
  これまで、弟は二度の自殺未遂に加え、交通事故にも二度遭い、家族内暴力の時期もあり ました。 こうして、当初の 「強迫神経症」という診断は、「境界例(=統合失調症と健常状態の境目)」に変わりました。
  弟の「引きこもり」問題に対して、当初は母が奔走。その後、訳あって母の取り組みが中断した後は、父が、私に促されて、引きこもり支援のNPOに何力所も通いましたが、事態は何ら好転せず、行き詰まっていました。
  そのうち、今度は、母が大病を患った後、足が立たなくなり、介護を要する身となってしまいました。そのため、父はNPO通いを中断せざるを得ませんでしたが、それを知った私は、「お父さんは、能力はあるのに、いつも“やる気がなくて”、その結果、成果が出せない」と<認識>して、<怒り>を覚えました。
  そこで、今度は、私が、弟の「引きこもり」問題を解決するための手立てを探し回り、 2010年、ついに「原始仏教」と出会いました。そこには、まさに求めていた「正しい生き方」が説かれていました。目を見開かれるような思いがし、これだ!と思いました。
  それからは、原始仏教に関する本を読み漁り、法話を聞く日々でした。そんな中、原始仏教には「正しい生き方」のみならず、そのための実践方法もあるようだ、ということが分かってきました。そこで2011年末に、一日瞑想会に参加しました。以後、弟と母に向けた「慈悲の瞑想」と「サティ」を入れる練習をし、その翌年、短期合宿への参加が決まってからは「歩行禅」にも取り組み始めました。
  そして、この合宿中に転機は訪れました。面接で地橋先生に、「お父さんが、弟さ んの引きこもり問題を解決できないのは、“やる気がない”からではなく、不得手な問題のため、“対処力がない”からではないか」と言われたのです。その瞬間、私の過去の<認識>の枠組みが、ガラガラッと、音を立てて崩れました。
  さらに合宿終了後、それが、私の独自の<認識>であって、その<認識>に基づく、 「<怒り>の反応パターン」を私自身が繰り返していることを明確に示す事件が、起きました。
  当時の勤め先で、別の女性社員と組んである業務を行う場面がありました。その業務は、この女性社員には不慣れなもので、その結果、ミスがいくつもありました。そのミスを目にした私は、とっさにサティを入れる間もなく、<怒り>で一杯になりました。
  そのまま帰宅すると、今度は、腰痛が出ました。 私は、<怒り>を覚えると、腰痛になるのです。この腰痛を何とかしようと「歩行禅」をしたところ、突然、洞察が入って、バサッと、腰痛が消え去ったのです。つまり、その<怒り>は、当日の出来事それ自体への<怒りではなく、実は、父に対する過去の<怒り>に由来するものだったのです。
  ところが、この合宿の後参加した「内観」で、私の過去の<認識>が、完膚なきまでに引っくり返されることになります。
  人は、過去の事実を、感情とともに、記憶に収めます。「内観」は、過去の事実と 感情のセットを、現在の自分の目(心)で、感情を抜きに過去の事実のみに基づいて、<真実>を検証していくものです。瞑想合宿後に参加した内観で見えてきた過去の事実によって、私は、衝撃の<真実>を知りました。
  私は、ある事件をきっかけに、父を嫌うようになりました。その事件は、私が小学六年のときに起こりました。 父が、突然、会社を辞め、借金をして商売を始めたのです。まもなく、店はたたみ、大きな借金だけが残りました。
  「父の商売」事件に、母は動転して実家に助けを求め、母の実家が借金を返済したのですが、その後、生活は一気に困窮。母は、いつも暗い顔で溜息をつきながら、家計簿をつけていました。食事も貧しくなり、あるとき、母が「あなた達に食べさせるものが、もうこれしかない」と言って差し出した小さな玉子焼きが、今も忘れられません。そのとき、「貧乏はイヤだ!!(怒り)」、「もっとお金さえあれば!!(欲)」と、強烈に思いました。次いで、「その原因を作ったのは父だ!」と<認識>したのです。
  以後、私は、父に事あるごとに辛く当たるようになりました。
  その数年後、今度は、「父の株式投資」事件が起こりました。父は、勝手に自宅の土地と建物を担保に銀行から借金をして、株式投資を始めたのです。さらに数年後、その損失が数百万円に上ることが判明。
  このときもまた、慌てふためいた母が、実家の叔父と相談しました。ところが、今回は、母の実家ではなく、当時社会人として既に働いていた私が、貯金を取り崩して、父の借金を全額返済することになったのです。が、借金返済後、父から謝罪の言葉や借金返済の意思表示はなく、私は、そんな父に激しい<憤り>を感じました。
  そして、借金返済の後、二度にわたって、弟が自殺未遂をしました(「弟の自殺未遂」事件)。
  ところが、内観が進むにつれて、一転してこのような事件が次々と起きたカラクリが、見えてきました。
  一つ目は、「愛情飢餓」です。内観でまず注目したのは、父が会社員だった頃、仕事で上司と衝突して左遷された父が、浮気を繰り返していた時期があったことです。
  「父の商売」事件は、この「父の左遷」事件、「父の浮気」事件の後に、発生していたのです。
  つまり、当時、小児喘息で病弱だった私が、本来父に流れるべき母の愛情まで<独占>していたことにより、父は、徐々に「愛情飢餓」状態に陥っていたのです。
  そうだったのか・・・。父は、「“やる気がなくて”、成果が出せない」のではなく、「愛情飢餓ゆえに“やる気が出せなくて”、成果が出せなかった」のだ。この<真実>を知って、私は愕然としました。
  二つ目は、私の<欲>と<怒り>に駆られた言動です。例えば「オーブンレンジ」事件。当時社会人だった私が、家のためにオーブンレンジを買ったときのこと。そのレンジを嬉しそうに見ている父を見て、私は<怒り>を覚え、父に「お父さんが経済的に頼りないから、私が(代わりに)こういうことをするのだ」と言い放ったのです。
  内観でこの事件を思い出したとき、実は、こうした私の<欲>と<怒り>の言動こそ、父に、「家族の信頼を得るために、もっとお金を!」という思いを引き起こし、それが「株式投資」事件につながったのだと、その因果関係が分かったのです。
  その瞬間、私は、慟哭しました。 「父が悪い、という<認識>は、間違っていた。本当に悪いのは、この私の方だった。私の<欲>と<怒り>が、父を「株式投資」に向かわせ、その事件のストレスが、弟を自殺に追いやったのだ。私は、何てことをしてしまったんだろう!これを、一体どうやって償えばいいんだろう!」
  <懺悔>の嵐が、私の心を襲いました。しばらくして<懺悔>の嵐が収まると、心が静かに定まりました。
  「私は、これまで、“求める人”そして“奪う人”でしかなかった。これからは、“与える人”になろう」
  そして、最後には、こんな<欲>と<怒り>にまみれた愚かな私を見捨てず、終始、愛情とやさしさ、思いやりを与え続けてくれた父や母、弟に、<感謝>の思いが、どっとあふれました。そして、その瞬間、ハッと気づいたのです。
  「そうか…。私があの家に生まれたのは、私にはないやさしさや思いやりを、父や母、弟から学ぶためだったんだ・・・。ありがとう。本当にありがとう。おかげで、私は、生まれ変わることができました」
  あるがままの今の自分を観るサティの瞑想と、過去の事実をありのままに観ることで、猛省を促し、過去の感情への執着から解き放つ、懺悔の瞑想・・・。両者を見事に併せ持つ、「ヴィパッサナー瞑想」という偉大なシステムに導かれ、これからも、心の清浄道を歩んで行きたいと思います。