『尽日春を尋ねて』 匿名希望

 

  私が原始仏教を知ったのは、今から5、6年前、次兄に勧められたことがキッカケでした。
  その頃の私は、職場でたった3人の部下もまとめられず、日々の業務や会議をこなすことに精一杯で、精神的にも肉体的も限界ギリギリの状態でした。
  夜になれば酒をあおり、ありとあらゆる愚痴や悪口、意識を失うまで飲み続け、そして朝を迎えて出勤する。原始仏教関連の書籍を読んだり、グリーンヒルの瞑想会にも時々参加していましたが、ただ何となくそうしているだけだったように思います。
  そんな中途半端な取り組み方で、何かが好転する筈もありません。 1人で仕事を抱え込み、思い通りにならないストレスを部下たちに向け、憎み、恨み続けました。
  そのうちに仕事の能率は目に見えて落ち始め、やり甲斐も全く感じることが出来なくなりました。身も心もボロボロになり、「私は管理職に向いてないんだ」、そう自分に言い聞かせ、そして職場を去りました。
  退職後 2週間ほどは、抜け殻のような生活でした。
  「このままではダメになる・・・」、漠然とした焦りから導き出されたものは、ミャンマーへ渡り、大学で原始仏教を基礎から学んでみようという決意でした。全ての段取りを整え、あとはミャンマーへ行くだけ、という所までこぎつけました。
  しかし、万全を期す為に受けた人間ドックで、腹腔内 8cm大の腫瘤が指摘されました。検査上は良性が強く示唆されましたが、半年前の検診では全く異常なし。急激に増大したその病変に、勝手に悪性の可能性を疑い、苦しみ、悩みそしてミャンマー行きを中止。
  今思えば、何一つ善行など積んでこなかった私に与えられたチャンスを、自らの思い込みで断念するという、本当に浅はかでお粗末な幕引きでした。
  その後、新しい職場で働き始めましたが、発生する問題はどれもこれも以前の職場でのそれと酷似していました。
  「人生の中でクリアー出来ていない問題は、操り返し生じ同じように苦しむことになります」。地橋先生がダンマトークでお話されていた言葉を思い出しました。
  苦しみの中から再び瞑想を始めましたが、これ程までに業の深い私を取り巻く環境が、そう簡単に変わる筈がありません。
  愚かな私は、苦しみが無くならない原因を、今度は瞑想法や地橋先生に向け始めました。 そして次第にグリーンヒルからは遠のいていきました。サマタ瞑想を試したり、法話が聴けるとあれば、様々な場所へと出かけました。
  しかしどこへ行っても、自分が抱える問題は一向に解決せず、何も変わらないまま苦悩の日々が続き、寂しさと悲しみで心が折れそうでした。
  そんな時、かつて私に温かい笑顔で接して下さった地橋先生を思い出しました。藁をもすがる思いで再びグリーンヒルの門を叩き、先生に泣きながら面接して頂いたことを今も覚えています。ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想の相違点、在家としてのあり方など、先生は私の疑が晴れるまで丁寧にお話して下さいました。
  そして今、再びヴィパッサナー瞑想に取り組む日々です。中途半端な知識の集積、実践を伴わない試行錯誤は、単なる独り相撲でしかなかったと痛感しています。
  一連の経験で学んだこと、それは、仏教に触れさせて頂くご緑に手を合わせ、瞑想できることに感謝する謙虚さがなければ、何も始まらないということです。今までの私は、土足で胡坐をかき、胸の前で腕組みしながら瞑想していた様なものです。
  何かを求めて探し回るのではなく、目の前にあるものに気づくこと。私はやっとスタートラインに立てた気がしています。頭で理解したのではなく、お腹のずっとずっと奥の辺りで、やっとそれに気づかせて頂いた、そんな幸せを今しみじみと感じています。