『同情されたくない』 小田絵里子

 

  私がヴィパッサナー瞑想と出会ったのは、4カ月前のことでした。念願だった結婚もし、仕事も順調で特に悩みがないはずなのに、なぜかふとつらい気持ちになることがあり、友人に相談してみたのです。すると地橋先生の講座を勧められ、早速受講したところ、これこそ私に必要なことだと感じました。
  その後1DAY合宿に参加し、面接でしっかりと歩く瞑想を指導していただき、足の裏の感覚をより繊細に感じられるようになりました。瞑想がますます面白くなってきた合宿3日後のことでした。
  友人達にバイバイと挨拶していると、いつの間にか感情まで繊細に感じられるようになっており、胸の奥のほんのわずかなつっぱりに気が付きました。そして突然、「同情されたくない!」と勝手に言葉が飛び出してきたのです!
  あまりに意外な感情に驚きながらも、「独りで帰るのを寂しく感じていると思われたくない」と思ったのだとすぐに理解でき、さらに「これまでの手に負えない怒りも、全てこの感情が原因」と出てきたのです。
  なぜか抑えられなかった怒りの原因が、まったく怒っていない時に思わぬ方向から理解できたことに感激しました。「同情されたくない!」というのがなぜ怒りの原因なのかは、まだ分かりませんでしたが、自覚できたことですっかり怒りにくくなれたように感じたのです。
  後日、このことを体験記としてまとめていると、今度は微かにいつも流れている音楽のような感情があることに気付きました。「‥‥幼い私が素晴らしい事をし、両親を喜ばせることが出来て誇らしい‥‥」→「それが原動力」と、また言葉が飛び出してきたのです!
  確かに、離れて暮らす両親には自慢話ばかりしており、泣き言を言った記憶はまったくありません。「そんなに私は<強がり>?‥‥それだ!」と急に謎が解けたように感じました。
  しかし、幼い頃の<両親が喜ぶ=素晴らしい自分>という想いが原動力となって努力してきたからこそ、今私は幸せなんだということにも気付き、怒りの原因をたどって何と<両親への感謝>へ行き着いたのです。
  「それならこれは怒りの原因だけど、悪いことではないのでは?」と疑問に感じた瞬間、「そのままでいいんだ!気を付けたら!」と一気に解釈が変わり始めたのです。「両親からもらった幸せになるための能力も、使い方を間違えばストレスにもなる。<つらい気持ち>はその能力が頑張りすぎて自分にダメ出ししていたからだ。それなら悩みの<食べ過ぎ・寝過ぎ・散らかし過ぎ>を嫌悪するのも本末転倒だ。そもそも食べ過ぎてはいないのに、自ら悩みを作り出していた」と気付いたのです。
  自業自得のストレスを解消するためにたくさん寝ていたのでしょうが、瞑想の効果もあってか気持ち良く起きられるようになっていました。また、完璧に片付けたいとこだわり過ぎていたことに気付き、整理するために散らかしていたものを片付けただけで、部屋は既に綺麗になっていました。
  「瞑想中の雑念、気の遣い過ぎ、心配し過ぎ等、自己嫌悪していたことにも、ただサティを入れて見守ればいいんだ!」そう思うと、ジワーンと温かい気持ちになり、余計な力が抜け、そのままの自分を受け入れようと思えたのです。
  その後、仕事中に「焦っている」と気付いた時、以前は「成長してない!」と嫌悪感が伴っていましたが、今では「真面目に頑張れている、けど、適度にしよう」といったように、考え方自体が変わっていきました。
  さらに、自分自身を受け入れられたからか、他人を嫌悪しにくくなり、誰と会って楽しく気疲れしなくなったのです。
  ヴィパッサナー瞑想を始めた頃には、嫌悪感自体が出にくくなるんだとも、それがこんなに楽なことだとも想像すらしていませんでした。瞑想者の皆さまの修行が進むことを祈りながら、これからもますます瞑想に励みたいと思います。