『我が家のダンマトーク』 K.N.

 

  主人が月1回のヴィパッサナーの瞑想会に通い始めたのは、今から10年ほど前のことでした。いつも、洗い立ての白いシャツのような顔をして帰ってくるのが印象的でした。でもその頃は、帰ってきても口数は少なく、どんなことをしているのか私にはわかりませんでした。
  若い頃の主人は、普段はまじめで優しく、面白い人ですが、ひとたび自分がバカにされたり、軽い扱いを受けた時は、急に激しく怒ることがありました。それで、私や子どもはとても怖い思いをした記憶があります。
  仕事もとてもまじめに、一生懸命取り組んでいました。ところが、時折職場の人と衝突するのです。主義主張の違う人に対して意見を言わずにはおれない様子で、相手に対して、言ってはならないことを言ってしまい、その人の逆鱗に触れる感じでした。そして、結局謝らないといけなくなり、周りの方々のお世話になって、なんとか収まるというパターンでした。そんなことが2年に1回くらい続いていました。それは、瞑想会に行き始めても、まだ続きました。
  変化がおきたのは、今から3〜4年前、子どもたちが家を離れ、夫婦だけで夕食を食べるようになった頃でした。主人が、瞑想会での「地橋先生のお話」を、食事をしながらよく話してくれるようになりました。話題は自分たちのその日あったことを色々話すのですが、例えば、「相手の行動に腹が立つことがあった日は『怒りは全てを破壊する』。うまくことが運ばなくて落ち込んだ日は『否定からは何も生まれない』。また、人から怒りをぶつけられた日は『今までに自分がした行いが返ってきただけ。因果応報。しかし、これで過去の悪行が1つ消えるのだから、祝いコーヒーを飲むといい』」など、地橋先生はこういう風におっしゃったよと教えてくれるのです。
  このような夕食時のダンマトークが、毎日のように続きました。特に、「祝いコーヒー」は何杯飲むのかというほど頻繁に話題にのぼり、私たちが人様にどれだけ怒りをぶつけてきたかをはっきり認識することとなりました。この頃から、ピタッと主人は職場で揉めることがなくなりました。
  この変化はほんとに驚くべきものでした。この夕食時の会話で、私たちの心が少しは掃除され、怒り系の心に歯止めがかけられたように思います。そして、この平穏な日々がありがたいと感じる毎日を過ごさせていただいています。
  現在、私も瞑想会に参加させていただくようになって1年になります。主人から何年も地橋先生のお話は伺っているし、本も読んでいるので、自分はすぐ良い瞑想ができるものと思いこんでいました。ところがそれは大変な思い上がりで、話に聞くのと実際にするのとは大違いで、サティをいれて一瞬一瞬気づくことは非常に難しいことがわかりました。しかし、主人もがんばってきたのだからと思い、毎日10分の瞑想を続けました。
  そうしたところ、自分の妄想だらけの心が、徐々にあらわになってきました。私は、人とのコミュニケーションで、自分の方が正しいと思うことが多く、また相手の話が自慢話に聞こえることがよくあることに気づきました。それに「高慢」とサティが入り、愕然としました。そして、一人っ子で大事にされ、小さい頃からピアノを習って、周りからほめられ、チヤホヤされてきた自分が見えてきました。
  いつも何かしら不安で落ち着かなかったのは、常に自分が相手より上に立ちたい、自分のプライドを保ちたいという高慢な気持ちが原因だったと腑に落ちました。今は以前より少し謙虚な気持ちでいることができています。そうすると、まわりの方たちも優しく助けてくださることが多くなったように思います。
  しかし、まだまだ心の清浄道の道のりは遠いです。今後も、日々精進していきたいと思っております。