『暗黒のエゴワールドに差し込んだ一筋の光』 匿名希望
瞑想を始めた頃の私は子育て≠ニいう人生最大の困難な仕事に翻弄され、怒っているか、疲労困憊しているかのどちらかでしかない、貪りや怒りと落胆を交互に繰り返す本当に辛く苦しい毎日を送っていました。子供の事を愛しているのに、取るに足らないほんの些細な出来事がきっかけで、叩き潰したくなるような衝動に駆られることが、度々ありました。
一旦怒りに火が付くと一気に燃え上がり、もう誰にも消せない大火災になります。鎮火した後も長い時間くすぶり続けるしつこくて暗い怒りが、私のエネルギーをじわじわと焼き尽くしていたのでしょう。そして「もうイヤだ。何とかしたい。誰か、誰でも良いから助けて」と全身から悲しみを放出しては、更に悪いカルマを作り、負の連鎖を延々と繰り返していました。
そんな暗黒のエゴワールドに、希望の光を差し込んでくれたのが、ヴィパッサナー瞑想です。自分だけの特殊な感情だと思い込んでいた悩みや苦しみは、お釈迦様によってすでに2600年も前に解き明かされていて、心に表れる悪感情は全て、お釈迦様が記された1510種類の煩悩の中に含まれている。しかもそれらを滅尽する方法まで説かれてあるのだと知った時、もう自分が進むべき道はこれ以外にはない!と思いました。仏教を学べば学ぶほど、その思いは深まるばかりです。
瞑想は2012年6月頃に地橋先生のご著書やDVDを購入して手さぐり状態で始めました。『ブッダの瞑想法』を読んだ直後にサティを入れながら入浴したら、意外と楽しくてウキウキしたのを覚えています。
ある時、子供に対して腹が立ち、お尻を叩いてやるぞとスリッパを手に取った瞬間にサティが入り、プツンッ≠ニいう感じでその感情が消えてしまったことがあります。怒りがすっかりなくなってしまった状態に「こんな事、今までの私だったらありえない」と首をかしげながらスリッパを元に戻しました。
瞑想に着手して以来、怒りに火が付く直前か最悪でも点火直後にサティで見送るという訓練を繰り返し、不慣れな心随観でも運良く原因を突き止められれば根絶して、怒りそのものが弱くなるのだと分かってきました。
同時進行でダンマをたくさん聴くことで私の思考に仏教的な考え方がどんどん染み込んできているので、仏教に出会ってまだ1年余りですが、自分に対しても他人に対しても嫌悪感を抱くことがとても少なくなりました。心がとても自由になったと感じます。頭ごなしに相手を否定する癖はなかなか抜けませんが、サティを入れて一旦黙る≠ニいう技術を覚え、大抵のことは「わざわざ言う程のことでもない」と流せるようになり、そんな自分に時々感動します。とは言え、消えたと思っても何度も何度も再発する異常な激しい怒りに対して油断は禁物です。サティが入らなければ、再び火がついてしまう可能性もまだまだ残っていると思います。
あと、仏教に出会う前にいつも感じていた心配・不安・憂いなどを生み出す犯人は妄想≠セったのだと発見できたことは、日常生活にとても大きな良い変化をもたらしてくれました。ドヨンとした空気が漂い始めてもサティが追っ払ってくれますから。いつも落ち着いていられることに幸せを感じています。
嬉しいことに、今では子供も私が実践する仏教に興味を持ち、慈悲の瞑想をしたり、時々気が向いた時にはサティの瞑想にチャレンジしたりしています。そして慈悲の瞑想の果報でしょうか、学校で友達に「優しくなったね、前はもっと自己中だったのに」と言われているそうです。
これからも心の清浄道であるヴィパッサナー瞑想に一生懸命淡々と励み、仏・法・僧の三宝に身をゆだね、五戒を守り、法友の方々・家族と共に、きれいに生きていくことを誓います。
生きとし生けるものが幸福で安穏でありますように。