『「母のせい!」ではなかった』 M.M.
「私の場合、母を恨むことでもう安定しているのでいいんですが・・・」
「いいえ、それは絶対によくないことです」
地橋先生の瞑想会に参加するようになって3カ月たった頃、先生はきっぱりとそうおっしゃいました。戸惑いつつもうれしかったです。本心ではそう言ってくださる師をずっと探していたのだと思います。それから一年半たった今、その言葉の真意を実感することができました。
私が生まれた時、父親は大学の助教授で、母親は洋装店を経営していました。当時、母の店はとても繁盛していて、一日の売上げが父の一カ月分の給料と同じだったそうです。母は土日も休まず毎日夜中まで働いていたため、私の世話は日中はお手伝いさん、夕方からは父がしてくれていました。父は細かいことによく気がつく温厚な明るい性格で、私を愛情深く育ててくださいました。食事、お風呂、着替え等の身の回りの世話はもちろんのこと、小鳥を飼ったり、ピアノを一緒に習ってくれたり、休みには必ず動物園や海に連れて行ってくれました。
そんな父が、私が八歳の時に病気で亡くなり、私の生活は一変しました。朝はひとりで支度して登校し、帰宅後塾へ行き、夕飯はお手伝いさんが作ってくれたものをひとりで食べて、夜遅い母の帰りを待つ日々が続きました。そのストレスで、外ではイイ子を演じていても、家に帰ると近所のお菓子屋で買い食いし、テレビを見たいだけ見て、窓からオシッコしたりしていました。そして母の洋服の臭いを嗅いで寂しさを紛らわしていました。
当時母は、隣近所とは喧嘩してしまうし、やっと慣れた頃にお手伝いさんを替えてしまうので、私はいつも不安でした。その上変質者のような男性から私に変な電話が2年間続いていたのですが、誰にも言えずに怯えていました。また、当時としてはまだ珍しい中学受験の為に、日曜日も塾に行かされていて、母への不満は溜まるいっぽうでした。
そしてとうとう、風邪で寝込んでいる私を置いて店に行ってしまう母を見送った時、「この人の老後は絶対に看ない」と心に誓ってしまったのです。そして「こんなに辛いのに我慢しているのだから、両親のいる温かい家庭で育った人には絶対に負けたくない、そのためなら何をしても許される」とまで思うようになってしまいました。
この思いをベースにして生きてきたので、ろくな人生ではありませんでした。受験失敗、いじめ、新興宗教、自己啓発セミナー、歪んだ異性関係・・・と続き、その全てから逃げるようにして26歳で結婚。結婚してしばらくは今までの辛い過去はリセットされたかのように思われましたが、それは必死で蓋をして隠していただけで、無くなってはいませんでした。その証拠に、その後も不妊、二度の流産、夫の病気と悪いことが続きました。そして誓いどおりに母を寂しい老人病院へ入れ、その一年後に母が亡くなると、その後7年間は毎晩のように遊び歩きました。そして、挙げ句の果てに投資で失敗し、唯一心の支えにしていた貯金を半分以上失いました。そして体調を崩し、めまいの病気になりました。
そんな時、ちょうど今から4年前に出会ったのが原始仏教でした。ダンマとその実践法に惹かれ、今までの生活を改め、早速瞑想を始めました。しかし妄想だらけで一秒もお腹の感覚に集中できていない、というのが本音で、限界を感じ、もっとしっかりと瞑想を習いたい、と思っていた矢先に知ったのが地橋先生の講座でした。
そして本のあとがきにあった『父親との間に確執があり・・・』という文章に目がとまり、この先生なら私の苦しみを理解し、乗り越える道を示してくださるのではないかと思い、申し込みました。
先生の丁寧なご指導のもと、瞑想中の妄想の殆どが怒りと不安であるとわかりました。そしてサティを入れ続けているうちに、ものすごい発見をしました。それまで自分は時々怒っていると思っていたのですが、そうではなくて、「サティを入れている時以外はずっと怒り続けていた!」のでした。そして、この瞑想をやる動機も、あの「負けたくない」という子供の頃からの思い以外の何物でもないことに気づき、愕然としました。そして、「土台ができていない上に家を建てても駄目です」というお言葉を先生から頂き、内観に行くことを決めました。
内観では過去の出来事を一つずつ違う角度から観ていくので、今まで考えなかった事実がどんどん浮上してきて、自分のエゴで作り上げたストーリーの書き換えが自然となされていきました。子供の頃病気で寝込んだ日は決して1日ではなく20日くらいはあったはずです。そして母と近所の医者に行った記憶もでてきました。・・・ということは、母は確かに1日は私を置いて店に行ってしまったけれど、あとの19日は家にいて看病してくれていたのかもしれない。そして父親が一緒に習ったピアノも、小鳥も、遊びに連れて行ってくれた費用も、全て母親が働いたお金から出ていたのでした。
また、母は父が教授になるまでと思い、必死で働いていたので、父が急死したことにショックを受け、周囲の人との関係がうまくできなくなっていたのではないか。中学受験も父親の果たせなかったものを子供に託したのではないか・・・。まるで次から次へとオセロのように思い出がひっくり返されていきました。母はその時できる限りのことを私にしてくださっていたのです。もう母を恨む理由も、人に負けたくないと思う理由もなくなりました。そして身体中の力が抜けました。
その一年後に二回目の内観を終え、3カ月たった今、日常内観を続けています。私の場合、歯みがきのように毎日続けないとすぐに元の姿に戻ってしまうからです。
最近はやっと、瞑想でお腹の感覚に集中できる瞬間が感じられるようになりました。今はまだ瞑想が怒りの見張り番の役目でしかありませんが、いつしか本当の解放である解脱に到る手段としての役目を果たせる時が来ると信じて、瞑想、内観、善行を続けていこうと思っております。
やっと清浄道の入口に立てたところです。こんな未熟者ではありますが、先生、そして法友の皆様、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。