『心の治療としてのヴィパッサナー瞑想』 岡野悠
私が瞑想を始めたのはうつ病で苦しんでいた時期でした。大学院でうつ病を発症してから瞑想を始めるまでの4年間に、5回病院を変えてさまざまな医師の診察と薬を試しました。しかし一時的に症状が落ち着くことはあっても完治には程遠く、当時は仕事や人間関係の些細な問題でもひどい抑鬱状態に陥りました。不眠・吐き気・食欲不振・腹痛から始まり、何も手につかなくなるほどの強烈な不安や、自分にできることは何もないのではないかという自信喪失にたびたび陥り、肉体的・精神的にひどい苦しみに苛まれる生活がもう何年も続いていました。
そうした病苦の最中、ふと本屋でヴィパッサナー瞑想について書かれた本に目を留め、事実をあるがままに見るという従来の信仰型の宗教とは異なる原始仏教の考え方に興味を持つようになりました。それから瞑想や原始仏教の本を読み漁り、それらを参考に一人で瞑想をやるようになりました。
初めて坐る瞑想をした時のことをよく覚えています。本に書いてある通りに「膨らみ」「縮み」とラベリングを入れようとしたのですが、妄想・雑念が次から次へと際限なく出てきてラベリングどころではありませんでした。自分がいかに無意識の間に膨大な量の妄想をしているのかに気づき、文字通り愕然としました。それからできる限り毎日、起床後、通勤時間の電車の中、入浴中、就寝前など細かい隙間時間を見つけてはヴィパッサナー瞑想と慈悲の瞑想をするようになりました。
そうした自分を客観的に見つめるというヴィパッサナー瞑想を一年くらい続けていくうちに、瞑想中以外の普段の日常動作の中でも、自分の心の状態を客観的に気づけるようになりました。それにともなって、自分の中で無意識的に繰り返されてきた、抑圧されていた感情や思考のパターンが浮き上がって見えてくるようになりました。
それは「自分が大学院でアカデミックなキャリアを棒にふったこと」への怒りであり、「自分はそうした環境の犠牲であり、ただ耐えるしかないのだ」という被害者意識の拡大再生産でした。
私は、被害者としてあるかのように他者の言動を受け取り、語り、そして周りに振る舞うことによって、何年もの間心の病を引きずり続けていたのだということに気づかされました。ある意味では、私は自分自身で否定的な感情を何年間ももてあそんできており、その結果、自分自身が病気であり続けることを選択してさえいました。繰り返された思考パターンはやがて本人のアイデンティティの一部となり、ものごとの解釈の仕方、つまり人生で何を経験するかを規定していたのです。
そうしたネガティブな思考パターンが自分を苦しめている仕組みが見えてくると、自然と手放すことができるようになりました。手放すようになった結果、以前からずっと苦しめられていたうつ病の症状が消えていき、いつのまにか完治していました。うつ病は再発率が高く、私のように長期に渡る場合には統計的に9割近くが再発するということを考えると、まさにヴィパッサナー瞑想を続けたことの驚くべき成果であると思います。
うつ病の完治とともに自然ともっと本格的に瞑想に取り組もうという気持ちが生じました。そのため基本的に独学で瞑想していたのをやめて、直接の指導を受けることにしました。昨年の秋から東京瞑想会、1Day合宿、朝日カルチャーセンターで地橋先生から指導を受けるようになり今に至ります。
ヴィパッサナー瞑想を通じて、私は自分のネガティブな心のパターンのある部分に関しては治すことができました。しかしまだまだ自分の心には治すべき部分が多くあるのを感じています。これからもヴィパッサナー瞑想を続けていき、心の清浄道を進んでゆきたいと思います。