『瞑想わらしべ長者』 T.O.
道端のゴミを拾うとか、人に親切にするといったいわゆる「善い行い」の集積のことを波羅蜜と呼び、それが瞑想の決め手となると知り、智慧と倫理は別物ではないかと思っていたので不思議な気がしました。グリーンヒルで瞑想を始めて3年ほどになりますが、今やそれらは渾然一体であると確信を持っています。
瞑想を始めて間もないある日、ゴミ置き場で犬の糞が異臭を放っていました。善行の例として「他の人の犬のうんちを拾う」とあったので「やってみようかな」という気になりました。紙の切れ端ですくって、捨てました。そのことを瞑想会で報告すると、「じきにわらしべ長者のようになりますよ」と言われました。
「金塊でも拾うのかな」とぼんやり思って家に帰ると、部屋がいつもより綺麗なのです。奇跡が起きたのでしょうか。違います。私が掃除したのでした。「ゴミ置き場の糞を拾うのに自分の部屋が無茶苦茶に散らかっているのは何か変だ」そう思って掃除したのです。
片付いた部屋は怠けるのに不向きで、瞑想には向いていました。弁当ガラ、雑誌、割り箸、ゲーム機、空き缶、ペットボトル等が散乱していたフローリングは歩く瞑想のスペースとなりました。瞑想する時間が増えるうちに、もっと詳しく知りたいと思うようになりました。
そんな折、10日間合宿に1名分空きがあるとアナウンスがあり、経験の浅い私にもできますか、と訊ねたところ、「まっ、大丈夫でしょう」と先生が仰られたので、半ば飛び入りのような形で間近に迫った合宿に参加させて頂けることになりました。
「決め手は波羅蜜・・・」という言葉をまた思い出し、合宿前に何か善行を、と思い、初めて献血に行きました。人の為に針を刺されて、痛い、恐い思いをする意味が分からないと思っていましたが、待合室で、偶然持っていた「感興のことば」のたまたま開いたページにこう書いてありました。
『執著する心がなくて施し与える人は、幾百の障害に打ち勝って、敵である物惜しみを圧倒して、勇士よりさらに勇士であると、われは語る』
帰りがけ、絶縁状態だった家族と連絡を取りたいと痛切に思いました。あらゆる人間関係に嫌気がさした私は、誰にも会いたくないと思い、数年の間、都会の片隅で痴呆のように暮らしていました。家族に会いたいと思わないこともありませんでしたが、いまさら会わせる顔が無いという思いから、一生このまま、だれにも知られず虫けらのように死ぬのだと自暴自棄になっておりました。
しかし今まで少しずつ積み重ねた瞑想の効果からか、自身が作り上げた最悪のシナリオは「妄想」に過ぎないのではないかと思えるようになっていました。よしんば父は事業に失敗し首を吊り、母は精神を病んで狂乱状態、姉の結婚は破談、全て私のせいだと恨みまくる妹、そのような事態になっていようとも、「自分の撒いた種だ」「ツケを支払う時が来た」と、事実を受け入れる勇気がまだ私にあったことも驚きでした。あるいは瞑想によって育まれたというべきなのかもしれません。
サティを入れながらダイヤルをしました。「 (ボタンを)押した、押した」「 (呼び出し音を )聴いた、聴いた」と、今まで怖気づいて出来なかったことがサティの技術で克服されていきました。姉の「もしもし」という声に最後のサティを入れた後は、駅前のパチンコ屋の前で土石流のように詫び言を述べる自身はさすがに客観視できませんでした。
私が描いた最悪のシナリオはまさに「妄想」であり、現実には、父の事業はすこぶる順調、三期連続黒字決済とニコニコしており、母とはしばしば旅行に出かけ夫婦円満、姉婿は私のことなど気にしておらず、妹はただ私のことを心配していました。
犬の糞を拾うことが数年来の懸案を晴らすにまで至りました。金塊は手に入りませんでしたが、抱きしめていた「妄想」という糞を捨てることが出来ました。ヴィパッサナー的わらしべ長者は執着を無くしていくという形で幸せを得て、その極まるところに「悟り」もあるのかな、と思いました。この道をどこまでも歩んで行きたいと、今、心から思っています。