『気づきの瞑想で超えたいこと』 匿名希望
初めてヴィパッサナー瞑想に出会ったのは、今から7年程前になります。当時は、父が急逝して一人になった母のケアをしながら、起業した夫の仕事を手伝い、同時に義母との同居も始まって何年か経った頃で、気がつくと、私は自分の居場所が無くなったような感覚に襲われてパニックの発作を繰り返すようになっていました。
そんな時、書店でふと手に取ったのが初期仏教の瞑想の本です。「苦から救われる瞑想がある?」それから先はまるで導かれるように、朝日カルチャーの講座で地橋先生に出会い、受講することになりました。
瞑想をして心の奥底が浮き上がってくると、いつも人の目を気にして過剰に反応しながら自分自身を苦しめている私に気づくようになりました。初めての短期合宿で、先生から「お母さんや義母さんとの確執で苦しむのはすべて因果の法則によるものです。やはりその原因は自分にあるのです」との指導を受け、考えてみると、子供の頃、母はいつも私の耳元で「ほら人が見ているよ。ちゃんとしなきゃ笑われるよ!」と囁いていたことを思い出しました。大人になるにつれて、私はいつの間にかそんな母を疎ましく思い、嫌うようになっていたのです。
佐賀で1週間の内観を受けた際には、幼い頃の病気がちな私を心配そうに上から見ている父と母がありありと目に浮かび、私のための雛飾りや七五三の晴れ着姿などが次々と想い出されてきました。こうして内観を終えた時には、いつもどこか不安を感じていた自分の心が、幼い頃の根っ子のところで父母に繋がったという実感が湧き上がり、安心感と感謝で胸が一杯になっていました。
その後、ヴィパッサナー瞑想を日常的に続けていると、パニックの発作もほとんど起きなくなっていきました。また苦手な人に会う前に心を込めて慈悲の瞑想をすることで、緊張せずに自然体で接することができ、場の空気も和むというのを何度も経験したのは驚きでした。
けれども、母のケアで講座に通えなくなると、徐々に瞑想からも遠ざかってしまい、日々の生活の中でまた怒りや不安で心が汚れていくのを体験しました。このようなことはもう繰り返したくない、必ず心を綺麗にして安心したい。その思いをしっかり持って再び瞑想を始め、幸運にも1Day合宿に参加することができました。
現在、週末には母の所に通い、母の若い頃や、私の幼い頃の思い出話をして過ごします。また、夕食を一緒に取りながら、義母の話に耳を傾けます。こんな風に穏やかな気持ちで母に接する日がくるなんて・・・。気づきの瞑想に出会い、地橋先生に教えていただいたお蔭と、心から感謝しています。
二人の母も高齢になり、あとどれだけ一緒に過ごせるだろう。しっかり心を通い合わせて、ありがとうと伝えたいと考えています。まだまだ迷いが多く、不安定で自信の持てない私ですが、因果の法則をよく理解し、瞑想をして丁寧に毎日を過ごしていきたいと思っています。
−皆様が幸せでありますように−