『真の自分の姿を受け入れて』 匿名希望

 

  ヴィパッサナー瞑想と出逢い、今までまったく見えていなかった自分の姿に気づかせて頂きました。わが身に起こる事柄は自ら種を蒔いたものだと分かっていても、いざ自分のことになると我執(エゴ)が邪魔をして驚くほど何も見えないものだと実感しました。
  瞑想を始めてからしばらくして、私は佐賀の内観研修所に行くご縁を頂きました。
  初めて屏風の内側に座り、母に対する自分を調べ、さらに父について調べて行くと思いもよらなかった記憶の蓋が開き、そこから衝撃的な気づきを得ることになりました。
  小学校低学年の時、父の会社の専務にはお子さんがなく、私を養女に請われたことを父から聞かされました。しかし、10歳にも満たない子供の私にその事実は衝撃が強く、受け止め方が分かりませんでした。
  思春期頃から、私は一切の生活の糧を担っている父に対し、自分の都合の良い部分では甘え、私を思っての忠告は一切聞き入れず、やりたいことを誰にも相談せず、全て一人で決めてきました。母からも冷たいと言われるほど父を嫌い、何か言われても聞いた振りをして無視するという冷酷な態度をとってきました。
  内観をしていくうちに私は自分の冷酷さ、醜さに涙が溢れて止まらなくなりました。あの時、父が誠心誠意に断ってくれたから私は本当の両親の愛情の中で育ててもらえたのに。それなのに、1度も会ったこともない専務のお宅に貰われていたらどんな生活が送れたのかと財力面のみ比べるような妄想までしていたのです。自分はなんという酷い娘だろう。父にお詫びしなければ、と心の底から思いました。ところが直後の面接では、さっきまで打ちひしがれ罪深さに大粒の涙を流していたのに、先生の前では語尾を濁してしまい、自分の冷酷さを告白できなかったのです。
  そのことを先生は見逃さず、「本当は分かっているのじゃろう?」と優しく私に問いかけて下さいました。先生にそう言われて、私は身体の中心から来る振動を感じ、身体がブルブルと震えて止まりませんでした。まさに自分の我執を認めた瞬間だったと思います。それは内観4日目、午後3時のことでした。その後は身体が楽になり、さらに内観が進みました。
  さらに5日目から嘘と盗みを調べるにつれ私は恐ろしく大きな罪に気づかせて頂きました。
  私は結婚が遅くてなかなか子宝に恵まれず、辛い不妊治療に踏み切った結果、やっとの思いで43歳で初めて妊娠することが出来ました。幸い悪阻も軽く経過は順調そうに思われましたが、突然悲劇に襲われ、私のお腹に宿った命はわずか18週でこの世を去ってしまいました。自分は何故このようなことが起こってしまったのか、その答えをずっと探し求めていました。
  我が子を喪ったことがきっかけとなり、地橋先生の著書に触れ、仏教を学ばせて頂くようになりました。内観で、お釈迦さまの教えに従いながら、ありのままの事実を認めてゆこうと進めていき、私は自分の罪を問い詰めた後に一筋の道に辿りつくことが出来ました。
  私は今までに多くの人の心・・・まごころを踏みにじり奪って来ていたのです。長い間目を背け続けてきた自分の真の姿に、やっと気づかせて頂きました。私という者は人間の面をした悪魔です。そのことを、あの子が命がけで私に教えてくれたのだと思っています。あのときお医者さまから言われた「貴女は何も悪くない。今回は運が悪かった」という言葉を支えにし、残りの人生を何も気づかぬまま過ごすことなど、今の私にはまったく考えられません。罪に与えられた苦だと認めて生きていく方が何倍も幸せだと思えるからです。
  全てのご縁を繋いでくれた生命に、言葉でたとえようのない感謝で私は満たされています。
  罪悪感と無常観、この二つを交互に深めることで自然に感謝と謙虚さが増すのだと教えて頂きました。これからいっそう瞑想に励み、自分の心を綺麗にしていけるよう清浄道に励みたいと思います。