『マトリョーシカ人形と孫悟空』 金子義政
昨年の6月に初めてグリーンヒルの東京瞑想会に参加させて頂いて以来9カ月が経過しました。2回の短期合宿と2回の1DAY合宿に参加しましたが、その間の自分自身の変化を振り返ってみたいと思います。
私はいわゆる関西弁で言う<イラチ>で、すぐイライラし感情的にキレることもしばしばでした。それが祟ったのでしょうか、4年前に、パワハラ上司と巡り合わせ、言葉の暴力を浴び、プライドを傷つけられたと感じた私は怒りの感情を増幅させ、それを溜め込み、体調を悪化させ、入院するハメとなりました。
その後営業部門から負担の軽い事務部門へ転勤となり、現在に至ります。この間、さすがに体に変調を来たした原因の「怒り」の感情を無くしたいとの思いに駆られ、縁あってヴィッパサナー瞑想を知り、グリーンヒルの門を叩きました。
初めて参加した瞑想会では、まさに基本的な歩く瞑想の方法から、これも基本的な五戒を守ることや、貪瞋痴を取り除いていくのが清浄道であることのお話がありました。終了後の食事会では先生より「瞑想会では指導に限界があるので、1DAY合宿に参加したら良いですよ」とのお言葉を頂きました。生憎当月の1 DAY合宿は満員でしたが、丁度短期合宿に1人空きがあるということで早速申し込みました。右も左も分からないまま、期待と不安の入り混じった中での参加でしたが、「何か得るものがある」と妙な予感がしていました。
その短期合宿では、瞑想中に半年前に亡くなった父のことが想い出されました。私は父から抑圧された印象が強く、それが足かせになっていたのか、自分の殻を壊せないのが悩みでした。「親の言う通りにすれば間違いない」と、私の希望などことごとく却下されていたのです。しかし合宿の3日前の朝、坐る瞑想の途中で、「父は私を守ろうとするが故、間違った道を行かないようにとああしたのだ」と自覚され、その刹那、涙が溢れて止まりませんでした。この状態こそが、合宿前に私が感じていた「何か得るもの」だったのだと思います。
合宿の最後の面接で、「下山後は変化を感じますよ」と言われ、いったいどんな変化があるのだろうと思っていましたが、下山後一週間ほど経過したある日、いつものように通勤電車で車窓を眺めでいると、いつもと違って、まるで映画の1シーンのような別世界に感じる瞬間がありました。その時なぜか「ああ生かされているんだ」という想いがこみ上げ、また涙が溢れてきました。その後、あれほど取り憑かれていたマイナスの妄想が激減しました。
ヴィッパサナー瞑想の効果を実感した私は、1日30分以上を目標とし、継続は力なりと、歩く瞑想をメインとして励みました。そうするうちにセンセーションが次第にクリアになり、しばしばその感覚に感動を覚えるようになりました。集中すると、鳥肌が立ち涙が出ることもあったのです。しかしこれが一つの落とし穴でした。この感覚を知った私は、「もっと長時間集中して行って極めたい」と欲が出、10月は1 DAY合宿と短期合宿に連続して参加しました。1DAY合宿では良い瞑想になった感覚があったので、その後の短期合宿は期待が大きかったのですが、初日は全く集中が出来ず、他の参加者の発する音にイライラし、サティも入らず、完全な不善心所モードとなっていました。2日目も最初のうちは同じ状態でしたが、「まあこうやって修行ができるのは幸せなことだ」と居直ると、突然あの鳥肌が立つ感覚が蘇り、涙が溢れてきました。面接でその経過を話すと、先生より「誰でも100%通過する過程です」と言われました。
その後は比較的イライラも無く、精神的に落ち着いた日常でしたが、もう手放したとさえ思っていた「怒り」の感情が蘇ることがあり、1月に再度1DAY合宿に参加しました。先生の面接では意外にも、「瞑想は進んでいる」とのことでした。「人の心は多重構造で、マトリョーシカ人形のように、浄化して一体外れてもまた次の一体が現れる。だけど1体外れる毎に残った人形は小さくなる」と。
内省すると、私の「怒り」の感情は父からの抑圧から逃れられないとの劣等感に因るものと自覚され、その劣等感のある自分を受け入れることにより、イライラなどの不善心所は減ってきたのだと感じます。しかし、「怒りの感情やプライドの元は劣等感」と、ちゃんと先生の本に書いてあるのです。
何回も読み返していたのに、いかに人は自分の都合のいいように認識を編集するものかと納得しました。そしてお釈迦様の手の平で踊っている孫悟空の話を思い出し、苦笑せざるを得ませんでした。私の清浄道もまだ始まったばかり、また次のマトリョーシカ人形が現れるまで地道に継続するしかありません。