『四つめの山に出会う』 M.K.
2ヵ月ほど前、私は急に腰痛になりました。この腰痛は心因性だとすぐにわかりました。日常生活でトラブルが起こり、もうこんなことが続くのは嫌だと思い、思い切って人生を転換したいと、糸口を求めて悶々と格闘していた中でそれが起きたからです。
アドラー流にいえば、「現実に直面するのが嫌だから、私は腰痛を作り出した」ということになると思いました。現実に向き合うのが嫌でたまらないから、私の脳は身体のトラブルを起こし、不安や怒りや憎悪など心の葛藤を強制終了した・・・。腰痛でも、喘息でも、ヘルペスでも何でもよかったのだなと思い、脳のやり口にアゼンとしました。
まる2週間、寝返りもできず、エビのようにベッドに丸まって過ごしました。出口が見えず、不安で気が滅入っていくので、寝たままひたすらロールレタリングをしました。
ロールレタリングというのは、特定の相手に対し手紙を書く、という形の心理療法です。「小さな私から母へ」「高校生の私から母へ、その年の大晦日のこと」「母から私へ」など、その時の自分になりきって本当の思いを書きます。ネガティブな感情をむき出しに書きなぐる感じで、ナマの気持ちを紙にぶちまけるのがポイントです。一方的であろうが、読むにたえない罵詈雑言であろうが、おかまいなし。投函するわけではないので、噴き出してくるものをどう書こうと、本人も知ったことではないのです。
ロールレタリングをするのは、これが初めてではありません。これまで何度かトライしましたが、うまくいったことはありませんでした。それどころか、内観をしても自力の認知療法を試みてもどうにもなりませんでした。今から思えば、その時点では無意識に自分を抑圧してしまい、ホンネを吐露するに至らなかったからではないかと思います。
私には越えるべき山が3つあります。実母と妹の問題、婚家にまつわる問題、そして夫との課題です。それらは相互に絡み合っており、何から手をつけたらいいのかも見えませんでした。しかし、この2週間のロールレタリングで心に化学変化が起こりました。母と妹に対する気持ちが初めて緩んだのです。二人の影は薄くなって、遠ざかりました。母も妹も、そして私も、お互いに仕方がなかったのだと素直に思えたのです。「受け容れる」とはこういうことなのか、と心に落ちました。
唐突に思えましたが、それは2週間のロールレタリングだけで起こったことではなく、縁あってブッダの瞑想の講座に出るようになってから今日までの積み重ねの結果ではなかったかと、後になって気づきました。
この2年半、毎日10分の歩く瞑想を続けてきましたが、さしたる進展もなく、智慧もわかず、妄想にまみれてじたばたするばかり、忸怩たる思いがあります。「苦」のカラクリは論理的にはわかるような気がするけれど、適切なサティも入らず、瞬時に「反応」にまで至ってから「ああ・・・」と気づき自己嫌悪に陥る、その繰り返しにゲンナリしていました。
一方、地橋先生のダンマトークと瞑想合宿でのご指導、講座のインタビューなどから、深い示唆をいただきました。加えて、法友の方々からはあふれるほどの価値ある情報をいただいてきました。そういうことがあって、このたびのことがあり、大元の山が小さくなったのだとわかりました。
そして、これには続きがあります。4番目の山がせり上がってきたのです。それは自分という問題です。これまでいくら検証しても、相手がまちがっているとしか思えませんでした。けれど実際は、頼まれもしないのに相手に合わせて被害者意識をホコリのように溜め込み、慢の心を肥大させていったこの私自身が、ネガティブなものを引き寄せ、かってに苦しんできただけではないのかと気づき、戦慄しました。そのせいか、第2、第3の山はかすんでしまいました。迷路をさまよったあげく、自分が変わらなければ何も変わらないという、基本の「キ」にたどりつきました。
瞑想を続け仏教を学ぶ、今後はこの両輪で自分自身という課題に取り組んでいこうと思います。法友の皆さまに心から感謝し、幸いをお祈りします。