『夫が教えてくれたこと』 (匿名希望)

 

  昨年の12月に、夫が突然、不慮の事故で亡くなりました。私の人生で、最も衝撃的な出来事でした。
  朝元気に会社に出かけて行った夫が、夜、冷たい遺体となって警察の霊安室に横たわっていました。全身が震え、立っていられない経験を初めてしました。突然、地面が割れて地獄の底に突き落とされたような気持ちです。この世の全てが信じられなくなりました。
  葬儀、事務的手続きなど、日々やらなければならないことに没頭し、夫を喪った悲しみに浸ることができませんでした。ある意味、夫が死んだという事実をどうしても受け入れたくなかったのです。
  「悲しみ」の代わりに心の中に渦巻いたのは、思いもよらなかった感情でした。
  それは、まず、夫の突然の死を知って我が家に駆けつけた母から言われた「今までウチはずっと何事もなく平穏に暮らしてきたのに・・・」という不平めいた言葉から始まりました。
  この他にも、母からは、告別式で「今さっき(夫の)お母さんとお兄さん、お姉さんから『(夫が亡くなったので)これからはNさん(私のこと)をよろしくお願いします』って言われたけど・・・そう言われてもウチだって困っちゃう」と言われました。
  同様に、傷ついた心に塩を塗りこまれるような言葉をいくつか言われたのですが、その全てに悪意は微塵もなく、ただ、感じたままを口にしている様子だったので、聞き流していました。
  ただ、年末に電話がかかってきて「寂しいだろうから泊まりに行ってあげるよ。野菜とか持って行ってあげようか・・・」などと優しく言ってくれるのですが、最後に「本当にお前は、赤ん坊の頃から手のかかる子だった」と半ば呆れたように言われた時、「夫の事故死は私のせいではない!」という心の声が沸き起こり、発作的に「そんなことを言うのなら来なくていい」と言ってしまいました。
  赤ん坊の頃、母の母乳の出が悪くても、母乳しか飲みたがらなかった私は、いつもお腹をすかせて泣いていたそうです。農作業で忙しい父母にとって寝不足の日々が続いたのはかなり辛かったそうです。
  幼い頃から「赤ん坊のお前が泣きすぎて脱腸になり、夜中に小児科の先生を叩き起こして診察してもらったんだ。本当に大変だった」と何度も聞かされました。
  そして、私を苦しめた両親の言葉がもう一つあります。それは、「この家の財産は全て弟のものだから、結婚したらこの家の土地やお金をあてにしてはいけない。お前は、嫁ぎ先で苦労して、ウチにお金を無心しに来たおばさんにそっくりだ。将来そうならないように気をつけろ」と、物心ついた時から何度も言い聞かされました。その言葉は、呪いの言葉のようでした。
  ずっと父親に対して怒りの気持ちが強かった私は、ここ数年父親との関係改善に焦点を絞っていました。父親に対する認知が徐々に変化し、親に対する問題を乗り越えたと浮かれていたところに、今回、夫の死という突然の出来事が降りかかり、母に対して抱いていた心の問題が浮き彫りにされました。
  母親とは良い関係が築けていたとずっと思っていました。父親に受け入れてもらえないと思っていた私は、何がなんでも母親の愛情が欲しかったのです。結婚しても実家に何かあると積極的に手伝いをしてきました。
  夫の事故死という人生で一番心細い時、頼りにしていた母には「何かあったら手助けするからね」という優しい言葉を求めていました。ところが、返ってきたのはその正反対とも思えるものでした。
  「お母さんから拒絶された。私はどうせ厄介者なんだ。呪いの言葉通り、私の結婚は不幸に終わった。なぜ、『お前は幸せになるよ』と育ててくれなかったのか・・・お母さんに対する今までの努力は無意味だった」ぐるぐると心の中にドス黒い感情が渦巻いていました。
  「赤ん坊の頃から手のかかる子だった」・・・この言葉は幼い頃から何度も聞かされたセリフです。その言葉に私は強く反応しました。
  「それはそっち側からみたことでしょう?なぜ、十分なお乳をあげられなくてごめんね、という気持ちになってくれないの?」という積年の思いがこみ上げ、それは怒りの感情に変わりました。気がつくと、お腹をすかせた赤ん坊の私が泣いている映像が頭に浮かんでくるのです。
  「お母さんは、なぜお腹をすかせた赤ん坊の私のことを可哀想と思ってくれずに、自分のことばかり被害者だと思っているの?!」と怒っていました。
  しかし、この「双方に被害者意識」を抱いていたということに気づいた時、自分の中に大きな気づきが生まれました。
  私が一番悲しく感じた母の「お願いしますと言われても、ウチだって困っちゃう」という発言は、私自身の中にあった、「夫を失い、これから子どもたちを一人で育てて行かなければならないけれど・・・本当に自信が無い。不安だらけだ。本当にやっていけるのだろうか。」という強い不安と同じだったのだ・・・と思いました。
  事故後初めて家にかけつけた時に言い放った「今まで平穏だったのに・・・」という言葉を耳にした時、不快感が広がりました。それは、我が家が母の平穏な暮らしを乱す元凶のように扱われていると感じたからです。
  しかし、そう感じた自分自身の心を観た時、「どうして突然死んでしまったの?何故もっと安全確認して行動してくれなかったの?」と亡くなった夫を哀れむのではなく、厳しく責め続けている自分がいることを自覚しました。
  私が嫌悪した母の発言と、自分の中にあった本音が同じものであったことに気づいた時、自分の中の怒りが半減しました。
  「私は何に対して怒っていたのだろうか。自分自身の本音に怒っていたのか・・・」と思いました。母は、私の本音を感知し言葉に表していただけのように感じられました。この世で私が反応することは、すべて自分自身の中にあるものではないかと思いました。
  また、私にとって夫の事故死は理不尽極まりない出来事で、無意識に大きな怒りを抱えていました。その感情はどこにもぶつけることができないものでした。(何をしても夫は戻ってこないので、夫を轢き殺した加害者に対して怒りを持つこと自体虚しいと思っていました)
  「私は出口の無い怒りの感情を母相手に吐き出していたのだ。私は母に甘えていた」という思いが心を占めるようになりました。
  さらに、自分の行動を振り返ってみました。すると、子供たちが探しものなどでとても困っていた時など「だらしないからだよ」と冷ややかにせせら笑っている自分の姿が浮かび上がってきました。私自身、子供が助けを求めていた時、突き放した行動をとっていたことが数多くありました。今回、そのカルマが戻ってきたという捉え方もあると思いました。
  様々な視点から、母との問題を考え、当初抱いていたどす黒い感情は段々薄らいでゆき、心が軽くなっていきました。母とは年末以来、現在に至るまで4カ月の間会っていません。仲直りできたら一番良いのですが、無理して「良い子」にならず、自分の心をじっくりと観察し、自然な流れに身を任せたいと思っています。
  夫が命にかえて教えてくれたことに心から感謝し、今後もさらに自分なりの理解を深めていきたいと思っています。