『ヴィパッサナー瞑想に出会って』(紫苑)
ヴィパッサナー瞑想に出会い、私は、自分の身体を実体のあるものとして実感できるようになりました。
五十歳を過ぎた頃、突然「一過性健忘症」という聞き慣れない病気に罹りました。医師によると、ストレスや疲労が要因となり、特に身体の変調をきたす更年期の女性が多いとのこと。再発は少なく命に関わることはないとの診断でしたが、夢遊病のような言動をくり返す私の様子に、家族はパニックになったようです。
本人は半日の記憶が飛び、夢のような断片的なことが頭の中をめぐり、倦怠感が残りました。当時、仕事も私生活も順調で、身体も絶好調と過信し、日々フル回転で動いていました。自分の身体を客観的に感じられない私に、脳がストップをかけたのかもしれません。このことがきっかけで、家人が朝日カルチャーセンターの「ヴィパッサナー瞑想」の受講を勧めてくれました。
日々の生活の中で、手足を車のドアにはさんだり、家の中でも気づかないうちにぶつけて青アザを作ったり、小さなケガは日常茶飯事のことでした。些細なケガや火傷は、幼い頃、戯れに小さな生き物の命をもて遊んだことのカルマと納得しましたが、自分の身体への気遣いが足りなかったことに気づきました。気づきの瞑想を始めてから、少しずつですが、切り傷や青アザが減ってきたような気がします。長い間雑な扱いをしてきた自分の身体に詫び、労(いたわ)りたいと思います。
「ヴィパッサナー瞑想」に出会って気づかされたことがもう一つあります。子供だった私を、長所も短所も丸ごと受け止め、慈しみ愛して育ててくれた家族に対し、感謝の思いが湧いたことです。当たり前のように思っていたことを恥じ、今の自分の礎を作ってくれた祖父母、父母に感謝することが出来ました。この5年ほど、ひとり残った認知症の母を介護するために毎週実家に通っています。昔話や季節の移ろいを語り合うことがささやかな恩返しであり、私にとっても喜びになっています。
退職後は、仕事に追われることも職場の人間関係からも解放され、心穏やかに暮らせると思っていましたが、「苦」は姿を変えて次々と現れて来ます。まだまだ、怒りの虫が治らず、自分の未熟さにつくづく嫌気がさします。でも、生きている証しと気を取りなおし、瞑想をしています。以前よりは、わずかながらも、早めに怒りを手離すことができるようになりました。行きつ戻りつですが、少しずつでも心が浄化するよう自分自信を戒めていきたいと思います。
家族が目覚める前に歩く瞑想をし、悩める息子と餌を求める野鳥たちに慈悲の瞑想をして私の一日が始まります。
生きとし生けるものが幸せでありますように。