『素晴らしきヴィパッサナー瞑想との出会いに感謝!』
                                                    磯崎 富士雄

 

  この『月刊サティ!』の読者の皆さんの中には、瞑想に出会って人生が変わったという方が多いのではないかと思います。実は私もその例外ではありません。なぜ瞑想に興味を持つようになったのか、その経緯を振り返ってみたいと思います。
  子どものころから、一人っ子でカギっ子という家庭環境の中、一人で物思いにふけることが多い時間を過ごしました。やがて、中学生になり、フロイトの著書やシュールレアリズム絵画に触れ、「人とは何か」「人の心の奥底には何があるのか」「自分はいったいどこから来てどこへ行くのか」、そんなことに疑問を抱きながら、青春時代を過ごしました。
  大学生の時、1970年代末から1980年代初めにかけて、ちょうど世の中は精神世界ブームと言われる状況で、平河出版社から雑誌『メディテーション』が創刊され、青山にメディテーションセンターがオープンしました。自分もこの時初めて瞑想を体験しました。当時、山田孝男の著書『瞑想入門』(現在『瞑想のススメ』と改題改訂して出版されている)が瞑想における座右の書でした。また、大学の哲学の講義で、プラトンやニーチェと並ぶ哲学者の一人としてブッダが紹介され、初めて原始仏教に触れることができました。中でもマッジマ・ニカーヤ(中部経典)に記された「筏のたとえ」が鮮明に記憶に残っていますが、「お釈迦様」として神格化されない人間ゴータマ・シッダールタの存在に大きな衝撃を受けました。また、原始仏教が「葬式仏教」と揶揄される日本の仏教とはかなり違うという印象を持ちました。
  しかし、この時に原始仏教への理解がさらに深まることはなく、ユング心理学やインド哲学、特にウパニシャッド哲学に傾倒していきました。時折、瞑想はしていても当時はサマディや神秘体験を意識した瞑想、すなわちサマタ瞑想にしか心惹かれませんでした。とはいえ、最近知ったことではありますが、日本にヴィパッサナー瞑想が広く知られるようになったのは、意外に歴史が浅く、日本ヴィパッサナー協会が瞑想センターを開設し、スリランカからスマナサーラ長老が来日された1989年以降のことのようです。
  仕事では、異文化に興味があったことから、大学卒業後に専門教育を受け、日本語教師になりました。その1年目の夏休みに憧れの地インドを初めて訪れました。首都デリー、タージマハルで有名なアグラ、ガンジス河中流の聖地ベナレス、ブッダの初転法輪の地として知られるサルナート、そして、ビートルズもその足跡を残すガンジス河上流の聖地、リシケシュへと足を延ばしました。リシケシュではガンジス河畔のアシュラム(ヒンドゥー教の僧院)に数日間滞在し、ガンジス河を眺めながら瞑想をするという最高の時間を過ごすことができました。その後、人の体を治療する仕事に興味を持ち、鍼灸や気功を学びました。仕事も日本語教師から鍼灸師へと移り変わっていきましたが、仕事に没頭する傍ら、瞑想に対する熱意も次第に冷めていきました。
  10年余り鍼灸師の仕事を続けてきましたが、40代になって人の体に関わることだけでは飽き足らず、人の心に関わる仕事をしていきたいと思うようになりました。そして、大学院に行って心理学を学び、その後、職場の心理相談という今の仕事に就きましたが、同時に瞑想への関心が再び湧いてきました。そして、自宅近くの禅寺で坐禅を始めました。何年か坐禅に通いましたが、回数を重ねるにつれ、日本の伝統的な仏教に対する疑問を抱くようになりました。
  坐禅の時にも唱え、日本の仏教、特に密教や禅宗で重要な経典とされる『般若心経』の内容が知りたくなり、調べてみました。すると、『般若心経』はブッダの死後に作られた経典であり、ブッダ本来の教えとは大きく違うものだということを知りました。そして、原始仏教の流れを汲み、スリランカや東南アジアに広まったテーラワーダ仏教と、日本を含め、東アジアに広まった大乗仏教とは、大きく異なることがわかりました。ブッダが伝える本来の教えが知りたい、瞑想を極めたいという思いが強くなりました。気が付けば、世の中は大学時代以来の精神世界ブームとも言える、マインドフルネスがブームとなっていました。
  そんな中、その存在を知ったのがマインドフルネスの起源であり、テーラワーダ仏教が伝えるヴィパッサナー瞑想です。サマタ瞑想以外の瞑想法があること、そして、ブッダはヴィパッサナー瞑想をより重視していたことも知りました。人は過去のことを悔やんだり、悩んだり、未来のことに不安を感じたりして苦しみます。それを解決するためには、思考を止め、エゴ中心の見方から離れる必要があります。自分を客観的に、ありのままに観るヴィパッサナー瞑想はそれを可能にしてくれるものです。常に冷静でありたいと願う自分にはピッタリな瞑想法だと思いました。これからの人生を進むための羅針盤(今風に言えば、GPSでしょうか)を得たかもしれない、そんな思いになりました。このヴィパッサナー瞑想が、職場からほど近い朝日カルチャーセンターで学べることを知りました。その講師が朝日カルチャーセンターで20数年来指導を続ける地橋秀雄先生です。早速、地橋先生の著書『ブッダの瞑想法』を読み、去年の春から講座に通い始めました。
  ここで講座の内容を少しご紹介しましょう。講座は、まずダンマ・トーク(法話)から始まります。内容はテーラワーダ仏教の教えにとどまらず、最新の脳科学や心理学などの科学的知見をまじえた幅広いもので、瞑想の実践だけではなく、日常生活を送る上でもとても参考になります。後半は参加者全員で瞑想を行いますが、同じ場を共有するグループでの瞑想は、とても一体感を感じ、瞑想のモチベーションが高まります。
  講座は最後に地橋先生から参加者全員へのインタビューで終わりますが、初めて参加された方のコメントもリピーターの方からのコメントも気づかされることが多々あります。ブッダは法友の大切さを強調していますが、志を同じくする人々との交流はとても刺激を受けます。谷中でのワンデー合宿にも参加させていただきましたが、寺町の静かな環境の中、日常生活ではなかなかできない、朝から夕方まで瞑想を続けるという貴重な時間を経験することができました。地橋先生はもちろん、講座で出会い、学ぶ機会を与えていただいた参加者の皆さんに改めて感謝したいと思います。
  講座に通い、ヴィパッサナー瞑想についての理解が深まるにつれ、日常生活がどんなに自分本位で、怒りやイライラの感情に振り回されているかということに気づくようになりました。ヴィパッサナー瞑想が目指す「自分を客観的に、ありのままに観る」ことは、正に「言うは易く行うは難し」で、そう簡単にできるものではありません。瞑想を続けていても、日によって集中できる日もあれば、あまり集中できない日もあります。とはいえ、「継続は力なり」、続けることが一番です。これからも地橋先生がおっしゃるように1日最低10分でも毎日瞑想を続けていきたいと考えています。
  以上、僕の人生における瞑想との関わりについて振り返ってみました。一度の離婚、二度の大きな転職を経験しても、幸か不幸か、これまで僕は人生にそれほど苦(ドゥッカ)を感じませんでした。しかし、50代後半を迎え、高齢の両親を次々と看取る中、考えが変わってきました。両親が老い、病を患い、そして、死を迎える姿を見て、いわゆる四苦の「老病死」を強く意識するようになりました。どんなに若くて、どんなに美しくても、やがて人は老い、病を患い、死んでいくのです。自分も若い時はいつまでも自分の健康が続き、自分の夢や希望は必ず叶えられるのだと信じていました。しかし、歳を重ねるにつれ、それはエゴが作る幻想に過ぎないのだと気づくようになりました。まさにブッダが説くように一切皆苦、諸行無常であるということが実感できたのです。
  心理学者のユングは、40歳を人生の正午と表現しました。これによると、私の人生は午後5時40分を回ったところです。煩悩も多く、まだまだ穏やかな人生を送れそうにありませんが、これからもヴィパッサナー瞑想を通して心の清浄道に励み、残された人生で少しでも涅槃(ニルヴァーナ)に近づけていければと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。