『死と奇跡と救い』I. E.
「抗癌剤治療をしなければ7週間、やれば44週間生存というデータがあります」。「腺癌」という診断がついた日に主治医からそう告げられました。2016年5月のことです。当時麦生(むぎお)は15歳。人間なら76歳の高齢猫です。重い副作用の可能性もある抗癌剤治療を選択する気にはなれませんでした。
私にとって麦生は特別な子です。ペットは家族も同然と言いますが肉親との縁が薄く孤独な私にとって麦生は楽しい同居人であり、人生の伴侶であり、この上なく大切な我が子でもあり、唯一無二の家族以上の存在でした。そんな麦生が7週間後、この世からいなくなるかもしれない・・・。前々からペットロスについては心配していましたが、その前に死と向き合わなければならないのだと気づきました。私は生き物を飼った経験がありませんでした。愛する存在が死にゆく姿を自分は直視できるだろうか。最期の瞬間まで飼い主として麦生の命を全うさせてあげられるだろうか。強くなりたいと心の底から願いました。
初めて1day合宿に参加したのは麦生が大腸にできた腺癌を手術した2016年の12月でした。腫瘍の切除には成功したものの開腹のダメージは大きく、様々な身体の不調が襲ってきて気の抜けない日々が続いていました。私が何より恐れていたのは癌の再発でした。どこに再発するかはわかりませんが、おそらく手術はできません。高齢猫に与えるダメージを考えるとリスクが大きすぎます。それでも私は迷うだろう。一縷の望みを託して手術という選択をするかもしれない。飼い主のエゴだと思いました。死生観を持っていないから迷うのだと思いました。
何が起きてもどんな過酷な状況になっても、麦生らしく死が迎えられるようサポートしてあげたい。そんな思いでネット情報を集め、地橋先生の1day合宿に辿り着きました。そこで私は一人の女性参加者と出会います。振り返りの時間でのその方の発言に心惹かれるものがあり、合宿終了時にどちらからともなく挨拶をし、名刺を渡したところ、後日メールをいただきました。この出会いが私にとっては奇跡とも言える幸運であったと後に知ることになりました。
手術から1年が過ぎる頃、原因不明の下痢を押さえる薬が見つかり、問題は慢性腎不全のみとなりました。徹底した食餌管理と新薬が効を奏し、腎不全はステージ2の後半で進行が止まったかのように見えました。ところがその手術から2年が過ぎた頃、麦生の体調は悪化していきました。自力ではほとんど食事をしなくなり、しゃっくりをするようになりました。不穏なものを感じた私はしゃっくりの回数を記録しました。単発だったのが連続になり、その間隔が狭くなり、血痰のようなものを吐いたため、麦生への負担を押して病院で検査をしてもらいました。癌が肺に転移しており、「もう何もできません。早ければ1か月位だと思います」と主治医に宣告されました。
本当の意味で死生観が問われたのはこの後です。麦生は呼吸困難の発作を起こし、息が出来ず部屋中をのたうち回り、苦しさに耐えかね倒れました。私はただ見守るしかできませんでしたが、ふと1day合宿で出会った女性のことを思い出しました。彼女は呼吸器内科の専門医だったのです。既に主治医から余命宣告を受けており、遠からず死が訪れることは私も受け入れていました。ただ、壮絶な発作を見ていたので楽に逝かせてあげたかった。そのために出来ることは何でもしたかった。すがる思いで彼女にメールを送り、アドバイスをお願いしました。彼女は専門医として肺癌の末期患者の身体の中で何が起こり、それが外からはどう見えて、臨終の際の患者がどんな感覚なのか、痛いのか、苦しいのかなどをメールで克明に伝えてきてくれました。人間と猫の違いはあってもメカニズムは一緒でしょうと。そしてとてもわかりやすく私がやった方が良い事とやらない方が良い事を教えてくれました。
2018年11月25日午後4時過ぎ、3回目の呼吸困難の発作が起きました。不思議とこれが最後の発作になると私にはわかりました。小一時間程して呼吸が落ち着いたのでコンビニに麦生が好きだったヨーグルト飲料を買いに行きました。専門医のアドバイスのおかげで私は最期までもう少し時間があることがわかっていました。9月以降は食欲が廃絶し、強制給餌になっていましたが24日からはそれすら与えられない状態でした。それでも私は麦生が大好きだったチュールとヨーグルト飲料を最後に食べさせたかった。自分の口から食べる姿を最後に目に焼き付けておきたかったのです。本当に不思議なのですが、麦生はむさぼるようにヨーグルト飲料を飲み、大好きだったチュールを何度もペロペロと舐めてくれました。
その後、麦生は昏睡状態に陥り、専門医がおっしゃった通りの経過をたどり、翌11月26日に私の腕の中で息を引き取りました。知識がなければ私は取り乱して麦生に何もしてやれなかったと思います。しかし、これから何が起こるかを詳細に理解していた私は専門医のアドバイスに従い、やった方が良い事を心を込めて麦生にしてやることができました。彼女にはどれだけ感謝しても足りないほど感謝しています。そして麦生を思って参加した1day合宿での出会いが2年後、麦生の臨終に際して奇跡的な幸運として私にめぐってきた不思議にも感謝を禁じ得ません。
麦生が亡くなって1か月後、私は2回目の1day合宿に参加しました。手術後2年半も生きてくれて、看病をさせてもらえて、最期は私の在宅時に私の腕の中で見送ることができたのに・・・、私は辛くて、苦しくてたまりませんでした。私はただ麦生のことを懐かしく切なく思い出し、永遠の不在を純粋に悲しみたかったのです。しかし当時の私は麦生を思い出すことすらできなかった。苦しくて辛くて息苦しく身体が震え出すような状態でした。
亡くなる半年前から麦生は自力で食べなくなり、強制給餌が必要になりました。強制給餌は猫にとっても飼い主にとっても過酷です。「生き物として自然な生と言えるのか」という罪悪感に苛まされるからです。止め時は飼い主しか決められず、それは死を意味します。私は強制給餌が上手く、麦生もそれほど嫌がる風ではなったのですが癌が肺に転移してからは息苦しいのか嫌がるようになりました。目を見開いて声に出さないミャアで嫌だと訴える麦生の姿に「食べなきゃ死ぬんだよ」と私も泣きながら食べさせたことが思い出されてなりません。苦しくて苦しくて、1day合宿に行けばなんとかなるかもしれないと思い参加しました。
地橋先生との面談でありのままを話したところ先生が仰いました。「あなたがやったことが正しかったのか間違っていたのかは誰にもわかりません。しかし、あなたはその時、愛猫のために正しいと思ったことをしたのだから、それは正しかったのだと考えるべきです。もし間違っていたのなら、あなたが死を迎える時に、自分がやったのと同じことをされて苦を受けるでしょう。それが因果と言うもので、ただそれだけのことです」。
そうか、そうなのだなと思いました。強制給餌に関する苦しみは一瞬にして消えました。間違っていたのなら死ぬときに報いが来るのだから、それまでは後悔する必要はないのだ。罰してもらえるという考えに私はとても救われました。因果の大きな法則に委ねればよいのだと理解しました。
以上が1day合宿で私が得た奇跡と救いの話です。途方もなく大きな幸運だったと思います。それなのに相変わらず私は瞑想もたまにしかやっておりません。ただ、麦生が亡くなるまでの半年間、私は「今、この時」に真剣に向き合っていました。強制給餌の療法食をシリンジに詰める時、薬やサプリメントを計量してオブラートに包む時、私は目の前の作業に細心の注意を払い、何も考えず、心を込めて手を動かしました。
死の2週間ほど前の晴れた日の夕方、麦生を毛布にくるんで抱っこしてベランダに出ました。これが最後のベランダ散歩になると分かっていましたが、悲しむことはせず、目を閉じて風の匂いに鼻をゆっくり動かす麦生の顔を見ながら私もまた風を感じました。小さく上下する麦生のお腹を見て、それが失われることを嘆くのではなく、今生きている麦生だけを感じていました。あの時のように「今、ここ」だけを感じながら、また今を生きることができるようになれるだろうか・・・。
麦生のいない世界はやはり寂しくて、虚しくて、宇宙に漂い続ける塵になったような気分になることがあります。でもこれが私が望んでいた純粋なペットロスなのであれば、今はこの気分を味わうしかありません。
麦生のいない世界できちんと生きて行く。これが今の私の課題です。外に出て、人と関わり、人を信じ、人を愛し、人に愛されて生きろと麦生に言われているような気がします。死の前の麦生は体重も半分以下になり、やせ細ってしまいましたが、身体の苦痛も死も受け入れた哲学者のような面持ちでした・・・。(完)