『仏教聖地巡礼 インド・ネパール七大聖地の仏跡巡り』H.Y.

 

  ブッダの教えを学んでいく中で、ブッダはどのような場所で生まれ育ち、覚りをひらいたのか興味が次第に増していきました。そしてインド・ネパールにはブッダにまつわる八大聖地というものがあると知り、一度は行ってみたいと思っていました。今回、インド・ネパールの七大聖地に行ってきましたので、ご報告させて頂きます。

 

0.事前準備
 せっかく行くのであれば、八大聖地全てを周りたいと思いました。しかし八大聖地のツアーを探してみたところ、ツアーの取扱いが非常に少なく、あっても15日間のような長期ツアーしかありません。半月も仕事を休む訳にもいかず途方にくれましたが、幸運にも9日間の七大聖地のツアーを見つけました。行く聖地が一つ少なくなってしまうのですが、八大聖地に固執して行かないほうが一生後悔すると思い、参加することにしました。
 それから、七大聖地はどのような場所なのかを調べることにしました。スマナサーラ長老の『ブッダの聖地』という文庫本を購入し、旅行前に読んで学びました。原始仏教の観点で書かれており、長老が聖地各地で説かれた説法も収録されています。旅行中も読み返し、聖地をより深く理解する上で、大いに役に立ちました。
 インドとネパールは入国に際し、ビザが必要です。単純往復であれば到着ビザでも入国可能ですが、聖地巡りではインドとネパールを陸路で出入国する必要があるので、事前にマルチビザを申請する必要があります。インドのビザ申請は5×5cmの写真が必要で、背景については白色以外は不可など、細かい規定があります。その為、写真屋で撮影してもらい、旅行会社経由でビザ申請を行いました。
 荷物は通常の海外旅行と同じですが、今回は坐布とマットを持っていくことにしました。坐布とマットがあれば、ホテルの部屋で座りの瞑想と歩きの瞑想ができます。また今回のツアーは、聖地の一つであるブッダガヤーで坐禅の時間が組まれていました。是非、本場の聖地で自分の坐布を使って座りの瞑想を行いたいと思い、スーツケースに詰め込みました。

 

1.第1日目
 航空会社はエアインディアというインドの国営会社で、成田空港からの出発です。
 通常であれば航空機の搭乗開始は約30分前ですが、エアインディアは約1時間前からの開始です。搭乗ゲート前でツアー客全員に対し、添乗員さんからの簡単な説明を聞いた後に、航空機に乗り込みます。
 成田からインドの首都デリーまでは約9時間のフライトです。長距離のフライトなので、機内ではドリンクサービスや昼食及び軽食がありました。普段、お酒は飲み会以外は一切やめていますが、空の上でお酒いかがですか言われると飲みたい誘惑にかられます。しかし、この聖地巡りの間は酒一滴も飲まないぞ、と決意してきたのでジッと我慢です。お酒の代わりに、のどが乾いたので紅茶を頼んだのですが、なかなか出てきません。これがインドの航空会社の接客レベルかなと思いましたが、あまりイライラしないようにしました。映画や音楽などの機内サービスは使わず、終始「ブッダの聖地」を読み返して、聖地への思いを新たにしました。
 デリーに到着したのが日本時間で午後9時、現地時間で午後5時半です。日本との時差が3時間半なので、腕時計を現地時間に合わせます。この日は空港近郊のホテルに宿泊しました。

 

2.第2日目
 この日から七大聖地巡りが本格的に始まります。最初は祇園精舎で有名なサヘート・マヘートに向かいます。早朝午前7時のエアインディアの国内線で、デリーからラクナウというインド北部の地方都市まで移動です。前日に添乗員さんからモーニングコールが午前3時半と言われ、ずいぶん早いと思いながらも、実際に電話が鳴ったのは午前3時でした。添乗員さんの話だと、ホテルのフロントが時間を間違えて電話してしまったのだそうです。さらに午前7時起床の他のツアー客にもモーニングコールがかかるなど、日本であればクレームになりそうな対応です。このようないい加減な対応や接客は、インド滞在中に頻繁に発生しました。しかし聖地巡りに来ているのに、インド人の接客態度に腹を立てて不善業を作ってはいけないと思い、極力気にしないようにしました。
 早朝にホテルを出ると、空気がなんだか曇っています。最初は霧かなと思いましたが、大気汚染で曇っているとのこと。近年の経済発展で、中国以上にデリーも大気汚染が進んでいました。バスで到着したデリーの空港は、人で混雑しています。空港内は搭乗券を所持している人だけが入場できるシステムです。このツアーでは航空会社のチェックインは個人ごとに行う為、受付カウンターで窓側の座席を希望しました。ラクナウまでは約1時間のフライトです。フライト中はヒマラヤの山々を見ることができ、ブッダもこの山々を見て生まれ育ったのかなと思いを馳せました。
 ラクナウ到着後、ツアーのバスに乗車します。バスには添乗員と現地ガイドのほかに運転手とヘルパーの計4人が乗務します。運転手さんは運転のみで、ヘルパーさんが車内の維持管理全般と車外の交通整理を担当します。日本だと運転手さん一人で充分だと思いますが、インドの交通事情は悪く、他の車両の急な車線変更や路上で暮らしている野良牛や野良犬がバスに飛び込んできそうになったとき、ヘルパーさんが追い払う役割があります。乗ったバスは外国人観光客向けのバスですが、座席のシートベルトが壊れていたり、バスのクラクションを交換して昔の暴走族が鳴らしているような大きな音に改造したりと、最初は日本との大きな違いにびっくりしました。しかし、次第に慣れてくると、これがインドスタンダードだと思い込み、不思議と気にならなくなりました。
 バスで約4時間ほどで、サヘート・マヘートに到着しました。サヘートとは祇園精舎のことで、マヘートとは舎衛城でコーサラ国の首都を指します。二つ合わせて一つの聖地で、八大聖地の一つとされています。
 ちなみに仏教の聖地は、四大聖地と八大聖地にグループ分けされています。四大聖地はブッダの生誕・成道・初転法輪・涅槃の4つの聖地で、ブッダが定めたものです。八大聖地は四大聖地に加え、後世の人々がブッダゆかりの4つの場所を聖地に追加して、八大聖地として定めたものです。
 1)ルンビニ     :ブッダ生誕の地
 2)ブッダガヤー   :ブッダ成道の地
 3)サールナート   :初転法輪の地
 4)ラージャガハ   :竹林精舎(マガダ国)
 5)サヘート・マヘート:祇園精舎・舎衛城(コーサラ国)
 6)サンカッサ    :ブッダ昇天・降臨の地
 7)ヴェーサーリ   :ブッダ入滅宣言の地
 8)クシナーラー   :ブッダ涅槃の地
 今回のツアーで行かなかった聖地はサンカッサです。サンカッサはブッダが兜率天にいる生母マーヤー王妃に説法する為、ブッダが昇天・降臨した場所です。他の聖地は史実に基づいていますが、サンカッサだけは史実になく、伝説上の聖地とされています。仏跡ツアーの中でも、サンカッサに行くツアーはかなり少ないとのことです。聖地の中ではあまり重要度が高くないこと、他の聖地からかなり離れており大幅な移動時間を要することが、通常の仏跡ツアーから除外されている理由と考えられます。

 

祇園精舎はブッダが雨安居(遊行せず雨期に滞在すること)を過ごされた場所です。日本人には平家物語の冒頭に出てくるので、馴染み深いと思います。経典には祇園精舎にまつわる、以下の有名な話があります。
 舎衛城にはスダッタ長者という裕福な商人が暮らしており、預流果に覚っていた居士(在家のブッダの弟子)でした。スダッタ長者は教団に雨安居の場所を寄進したいと考えていたところ、コーサラ国のジェータ王子(漢訳で祇陀王子)が所有している園林を見つけました。王子に購入したいと持ちかけますが、最初は断られます。
 交渉していくうちに、土地に金貨を敷きつめない限りは売りませんと王子が言いました。それに対しスダッタ長者が買いましたと言いました。私は、王子が売らないと言ったのにスダッタ長者が買いましたという話のやり取りは少し変だと思いましたが、当時のインドではいかなる状況であっても価値を表現した以上は、それで支払うのであれば売買は成立する慣習だったそうです。売る気のない王子は無効だと主張しますが、裁判の末、スダッタ長者に購入の権利が与えられます。その後、スダッタ長者自身が金貨を土地に貼り詰めていきますが、敷き詰めている金貨が無くなってしまいます。スダッタ長者は後で準備して払います、と王子に釈明します。一連のスダッタ長者の真摯な態度を見て、王子はもう結構ですと言い、全ての土地の売却に合意します。
 スダッタ長者は別名をアナータピンディカ居士と呼ばれています。アナータピンディカ(漢訳で給孤独)は、貧しく孤独な者に食を給する善徳者という意味です。経典には、「アナータピンディカ居士の祇園精舎である。持ち主はアナータピンディカ居士である」と記載されています。前所有者である王子の名前を冠した精舎にしたこと、本名のスダッタの名前は出さないところに、スダッタ長者の美徳を感じます。現在の祇園精舎は公園のように整備されており、建物はありません。跡地には建物基礎のレンガが残されており、当時の面影を忍ばせています。そのレンガは当時のものはごくわずかで、大部分は後から積み上げていったものだそうです。
 今回の聖地巡りは、ブッダの残した仏跡を肌で感じて、今後の修行の励みにしたいと思って参加しました。聖地の細かい部分を見れば、史実とは異なる、当時の時代のものではない、など多くの相違点が出てきます。そして聖地巡りの間には、聖地への真偽や聖地にいた比丘のモラルなど、疑う心がその都度出てきました。しかしブッダがこの世に生誕されて、ブッダの教えが今も生き続け、それを伝えてきてくれたサンガがあるから、今この聖地に来たのだと実感しました。疑念はできる限り気にしないようにし、聖地で清らかな喜びを感じることに最大限努めました。
 祇園精舎ではガンダクティと呼ばれるブッダが滞在された部屋に対して、正座で三帰依を行いました。今回は一般の旅行会社のツアーに参加した為、周りのツアー参加者の人たちからは奇異に映ったかもしれません。お寺関係の人ですかとも言われました。しかし今回の聖地巡りは、ただの観光では終わらせたくなかったので、他人がどう言おうがどう思おうが、原始仏教の礼拝スタイルで巡礼を通そうと思いました。
 以前タイに行った際、一日中お寺巡りを行ったことがあります。ダーナ(布施)を行うのが目的で、現地のガイドさんに原始仏教の作法を教えてもらったことがあります。今回はタイで教えてもらったやり方で行いました。具体的には比丘に財施をする、布施箱に財施を入れる、献花の布施をする、三帰依の礼拝をする、聖地では時計周りに礼拝をすることです。加えて、可能な場合は歩きの瞑想、座りの瞑想も行いました。祇園精舎では東南アジアから来ている比丘がいたので、財施を行いました。比丘の方からマネーと要求されたのには面食らいましたが、ここでイライラして疑念を大きくするよりも、聖地で比丘に布施したことは良いことだと割り切りました。
 また祇園精舎にはアーナンダ・ボーディというアーナンダ菩提樹があります。雨安居が終わると、ブッダは覚る可能性のある人を導くために、祇園精舎を離れて遊行に出ていきます。人々は、ブッダが祇園精舎を不在にしているときもブッダの代わりになるものがないか、とアーナンダ尊者に相談しました。アーナンダ尊者はブッダの秘書役で、ブッダの十大弟子の一人です。アーナンダ尊者は菩提樹を植えておけばいいのではと提案します。植える菩提樹は、ブッダが覚りをひらいたガヤーの森の菩提樹を採用することになりました。
 今の樹木は植樹した当時の樹木ではなく、第5世代の樹木だそうです。現地ではこの樹木の周りを3周しました。通常タイだと3周ですが、現地のガイドさんに聞いたらインドでは7周とのことでした。7周はヒンドゥー教の教えだと思いますが、宗教や文化が違えば変わるのかと思いました。ここでは3周できましたが、時間の関係で1周しかできない場合がほとんどでした。その為、1周や半周しかできなかったときは、ブッダへの思いが確かであれば回数は大きな問題にはならない、と自分を納得させることにしました。
 次にマヘートに行きました。マヘートは舎衛城と呼ばれ、コーサラ国の首都だったところです。ブッダの時代には祇園精舎の比丘たちが約15分歩いて、舎衛城にあるスダッタ長者の邸宅に托鉢に行っていました。
 現在、舎衛城にはスダッタ長者の遺構と、阿羅漢になった後にアングリマーラ長老が住んでいた遺構が残されています。遺構はストゥーパと呼ばれます。ストゥーパは、その場所が巡礼者の足跡で踏み消されないようにレンガなどで積み上げられたもので、記念碑のようなものです。ストゥーパには記念碑以外にも仏舎利や阿羅漢を祀ったものもあります。大商人だったスダッタ長者のストゥーパが大きいのは分かるのですが、アングリマーラ長老のストゥーパがスダッタ長者に劣らず大きいのは意外でした。
 アングリマーラ長老のような聖者であれば当時、清貧な家屋に住んでいたと思いますが、後世にレンガがどんどん積まれて、今のストゥーパが大きくなったと勝手に想像しました。昔の人々がレンガを積んだのは、本来はブッダの聖地を守る為ですが、人々は徳を積みたいからとも思いました。経典ではアングリマーラは学友や師匠にそそのかされて、999人の人殺しを犯してしまいます。そして母親殺しの重業を犯す直前に、ブッダが救いの手を差し伸べた人物です。999人という大量殺人は、理由はともあれ大罪です。アングリマーラ長老が覚りをひらくことができたということは大きな意味を持ちます。どんな過去の過ちであっても重業を犯さない限り、今世で諦めることはないことを実証しました。アングリマーラ長老の生い立ちが人々を勇気づけて、ストゥーパが大きくなったと想像しました。
 サヘート・マヘート近郊には日本人が設置した祇園精舎の鐘があります。昔は日本から、多くのお寺の檀家が団体でインド巡礼にやってきました。巡礼者達が祇園精舎に鐘がないことにがっかりした反動かどうかは不明ですが、近年に設置されたものです。せっかく来たので、鐘を大きくつきました。またサヘート・マヘート周辺には各国の寺院等も建立されています。中にはヴィパッサナー瞑想のメディテーションセンターもありました。他の聖地でも周辺には数多くの寺院や瞑想センターがあり、世界の人々の仏教に対する信仰の篤さを感じました。
 聖地巡りの後は、サヘート・マヘート近くのシュラバスティーという町のホテルに宿泊しました。

 

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