今日の一言 (バックナンバー) '2012年1〜12月

 

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12/31(月) 瞑想合宿が始まると、瞑想インストラクターの他に兼務する仕事が多く、本欄の原稿をアップすることは到底不可能である。
 「今日の一言」と内容的に差別化されないまま、書きやすいツイッターが中心になってしまった。
 また、いまだにツイッターの原稿はお読みになっていない方も多いので、過去のツイッター原稿を適宜抜粋し、空白が続いた本欄にアップさせていただきます。

 

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12/30(日) <奮起てよ。怠けてはならぬ。善い行ないを実行せよ。ことわりに従って行なう人は、この世でも、あの世でも。安楽に臥す。>【真理のことば「(ダンマパダ)13竏窒P69」岩波文庫】

 

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12/29(土) <ブッダの勝利は敗れることがない。この世においては何人も、かれの勝利には達し得ない。ブッダの境地はひろくて涯しがない。足跡をもたないかれを、いかなる道によって誘い得るであろうか?>【真理のことば「(ダンマパダ)14竏窒P79」岩波文庫】

 

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12/28(金) <正しいさとりを開き、念いに耽り、瞑想に専中している心ある人々は世間から離れた静けさを楽しむ。神々でさえもかれらを羨む。>【真理のことば「(ダンマパダ)14竏窒P81」岩波文庫】

 

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12/27(木) <世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない>【真理のことば「(ダンマパダ)13竏窒P70」岩波文庫】

 

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12/26(水) <熟した果実がいつも落ちるおそれがあるように、生れた人はいつでも死ぬおそれがある。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)1竏窒P1」岩波文庫】

 

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12/25(火) <「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が(自分の)生命をあてにしていてよいだろうか? 若い人々でも死んでいくのだ。竏鋳jでも女でも、次から次へと竏秩B>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)1竏窒W」岩波文庫】

 

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12/24(月) <朝には多くの人々を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝には或る人々のすがたが見られない。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)1竏窒V、8、11」岩波文庫】

 

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12/23(日) <『(施しの食物を)得たのは善かった』『得なかったのもまた善かった』と思って、全き人はいずれの場合にも平然として還ってくる。あたかも(果実をもとめて)樹のもとに赴いた人が、(果実を得ても得なくても、平然として)帰ってくるようなものである。>【ブッダのことば「(スッタニパータ)3竏窒V12」岩波文庫】

 

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12/22(土) 問題の上司たちに、気合を入れて慈悲の瞑想をしたのではないか、と訊いてみた。
 そんな覚えはない、と言う。
 一人だけではない、複数の者に同時に起きた変化だった。
 良い瞑想をすると、心がきれいになる‥‥。
 無意識に出力される心の波動が、合宿後、一変していた証し。

 

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12/21(金) 金星を上げたような素晴らしい瞑想合宿を終えた方の、その後を追跡してみた‥‥。
 ビフォー・アフターを訊ねられ、この何ヶ月かを振り返って、ああ、そういえば‥‥と、瞠目すべき報告をした。
 何度も反発したり衝突してきた苦手な上司たちが皆、揃いも揃って優しくなったのだという‥‥。

 

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12/20(木) 知的な理解が、無意味なのではない。
 正しい方向へ、確かな第一歩を踏み出すことができたのだ。
 さらに清浄道に歩を進め、真実に分け入っていく‥‥。

 

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12/19(水) 知的に理解しても、心が変わるわけではない。
 知覚する瞬間、情報処理をする瞬間、意志決定をする瞬間、反応行動が起ち上がる瞬間は、鋳型のようにパターン化された心が反射的に反応してしまうからである。

 

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12/18(火) 知的に理解しても、心が変わるわけではない。
 思考や概念を司る脳領域での変化はあるが、深層意識を司る世界にまで情報が及ばないからである。

 

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12/17(月) 楽受を満喫しながら、身も心もふやけていくのも良い。
 苦受を味わいながら、学びを得ていくのも、また良い。
 至福の日々も、苦難の一瞬一瞬も、どちらも過ぎ去っていく‥‥。
 壊滅していくものがあり、生じていくものがある‥‥。

 

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12/16(日) 避けようのない業の帰結を受け切っていく覚悟に揺るぎはなかったが、目の前に2つの道が続いていた。
 ネガティブな事態を柳に風‥‥と無抵抗に受容してしまう道。
 与えられた苦を、能動的に乗り超えようと全力で対応する道。
 初期化とリセットの作業に奮闘するのも、問題解決に万策を講じながら苦闘するのも、どちらも同じことで、失うべきものを失い、虚しさと苦受を味わえば完結する不善業‥‥。

 

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12/15(土) 膨大な時間を費消して、パソコンの問題を解決することができた。
 だが、あっさり最初から初期化して再構築する道を選んでいても、おそらく要した時間は変わらなかったのではないか。
 これは、私にとって、何度も繰り返された定番の不善業なのだ。
 どの道、時間と労力を空費させられ、虚しさを味わうことは避けようがなかったと心得ている。

 

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12/14(金) たかがパソコンの、取るに足りない瑣事にしか過ぎないが、現象世界とはかくの如しである。
 切に願えば、それは必ず遂げられ、具現化する構造。
 希望を持って生きていきなさい、という教訓にするのもよい。
 諦めなければ、そうなるだけの業が満ちるまで、前向きの努力を重ねることになるだろう。

 

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12/13(木) 複数のサポートセンターから「初期化以外にはない」と宣告されていたが、やはり無理だったか。
 万策尽き、もう、この辺りで潮時か‥‥と思いかけた。
 だが、当初から「絶対に、この難問は解いてみせる」と明確な意志(チェータナー)をもって言い聞かせてきた。
 心身が充実してきたので、最後にもう一度、猛烈なスピードで脳内検索をかけていくと、ついにヒットした!
 突然、劇的な逆転ホームランが飛び出したように、問題は一気に解決し、完全に原状回帰させることができた。
 達成感があった‥‥。

 

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12/12(水) 情報や金銭が失われる苦ではない。
 諸々の設定やメールの分類など、煩瑣な再構築の労力と時間が惜しい。
 どんな苦を、どのように感じるか‥‥。
 苦受を受ける、まさにそのポイントに、作られた業が推定される。

 

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12/11(火) パソコンにトラブルが発生。
 すべてが無に帰してしまう初期化だけは避けたい、と悪戦苦闘している。
 時間を空費させられる、相も変わらぬ不善業。
 ‥‥いかようにもがけども、しょせん因縁の然らしむるところだ。
 受けきっていく覚悟と静かな諦観‥‥。

 

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12/10(月) この世の事象を丸ごと全体、ありのままに捉えることは難しい。
 何もかも、本当は、混沌としたゴッタ煮のカオス状態だ。
 人もまた、ミラーボールのように多面体なのだ。
 どの面を選んで認識するか。
 取るべきものと捨てるべきもの、注意を注いで認識する側面と目を背ける側面。
 エゴの立場から、自動的にまとめ上げられていく認識世界。
 ネガティブな世界も、ポジティブな世界も、編集の力による‥‥。

 

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12/9(日) 夢を追い、ゴールを目指して全力でダッシュしている日々の充実。
 外界の対象に向かって突き刺さっていく意識の矢印‥‥。
 全てを失い、絶望と失意のどん底に転落して初めて、己の内面に向けられる内省的視点‥‥。
 幸福であれ不幸であれ、苦境であろうが順境であろうが、見た瞬間の自分、聞いた瞬間の自分、感じた瞬間の自分‥‥の心と体の状態に気づき、サティを入れていくヴィパッサナー瞑想……。

 

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12/8(土) 「この世には、ドゥッカ(苦)とドゥッカを癒す道しかないのだよ‥‥」と言っていたアチャン‥‥。

 

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12/7(金) 快を求める心は、「貪り」という煩悩に結びつきやすい。  苦を乗り超えようとする心は、清浄道に導かれやすい‥‥。

 

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12/6(木) 同じことは、飽きる‥‥。
 同じ強さの刺激に、不満を感じる官能。
 受け取った刺激の意味を変換する、高度な精神の営みがなければ、「少欲知足」は難しい‥‥。

 

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12/5(水) 強烈な快感であればあるほど、脳神経細胞のシナプスは、快感ホルモンの受け皿を減少させる傾向がある。
 最初と同じ強さの快感では、物足りない‥‥と感じる所以である。
 快楽の刺激はエスカレートし、欲望は肥大する‥‥。

 

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12/4(火) 快楽の記憶はたちまち薄らぎ、楽受系の事柄は、どんなことも当たり前になっていく‥‥。

 

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12/3(月) 食べる物がある。寒さがしのげる。かけがえのない家族と一緒に暮らしていける……。
 そんな当たり前の、ささやかな幸福が、どれほど得がたいことか。
 有るのが難しい、有り難い、ありがたいことだったのだ……と、すべてを失った時に、痛切に思い知らされる‥‥。

 

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12/2(日) 悲しさが身に沁みているがゆえに、等身大の同じ立ち位置から、傷ついてきた人、苦しんできた人達に手を差し伸べることができる。
 万感の想いを込めて悲しみを分かち合うことができる。
 上から目線の傲慢さが微塵も混入しない、存在の深き渕から発せられる「悲(カルナー)」の瞑想‥‥。
 悲しみの昇華。
 苦の聖化。
 真の慈悲‥‥。

 

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12/1(土) 悪意があってのことなら、それなりの受け止め方もあるだろう。
 愛情も善意もあってのことだったが、‥‥愚かだった。
 傷つき、苦しんできてしまった歳月が音を立ててきしむ。
 悲しい子供達と大人達の上に、小雪が降りかかる‥‥。
 汚れちまった悲しみに‥‥。

 

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11/30(金) A【最も愛着のある著書はこの「瞬間のことば」かもしれない。瞑想に深く参入した時点で、音楽も美術も文学も全て捨て去ったが、この本には消しがたい美意識や感性が洩れ漂っている。なるほど、こういう資質だったか‥‥。歳月が流れ、この本が他人のもののように視えてきた‥‥】

 

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11/29(木) 同じ原稿をツイッターにも書いたのだが、ホームページしかご覧にならない方のために再録する。
 @【CDブック「瞬間のことば」は現在、アマゾンでしか購入できない。そのアマゾンでの在庫が切れているが、間もなく購入可能になる。ネットに入ってみると、なんと10倍もの値段の付いた中古品が出ているのを知りショックを受けた。絶対にツイートしなければ‥‥と思った。しばらくお待ちください】

 

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11/28(水) 不幸であっても、幸せであっても、やがて終焉を迎える……。
 終わっていく。
 変滅していく。
 相似形の再生産もあるが、同じことを繰り返す虚しさもある。
 しょせん、この世のこと……という達観。

 

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11/27(火) 意志(チェータナー)が業を形成していく世界だ。
 揺るぎない熱意があれば、総力戦の努力が維持されていく。
 諸々の悪を避け、人に苦しみを与えることなく、あらゆる機会に実行されていく善行が波羅蜜となって集積されていくだろう。
 断じて諦めることなく切に願うことは、必ず遂げられていく‥‥。

 

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11/26(月) 野生の馬が調教されていくように、ワイルドな人の心も調えられていく。
 欲望や怒りがどれほど暴れ回ろうとも、戒を遵守することによって。

 

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11/25(日) 「微塵の疑いもなくヴィパッサナー瞑想を実践すると決めた‥‥」と静かに、キッパリと述べた初心者の方もいる。
 潔い、真っ直ぐな気持ちが伝わってくる響きだった。
 初心忘るべからず。
 何年経とうが、瞑想が上手くいこうがいくまいが、迷いなく貫き通されていく意志‥‥。

 

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11/24(土) 何十年修行しても悟れない。
 思い余って、入水自殺していく最中に悟りを開くことができた‥‥。
 そんな仏弟子が何人いたことだろう。
 あの時代に出家し、ブッダの直接指導を受けていた比丘が怠ける筈はないだろう。
 それでも、本気の本気になれたのは、死が現実のものになっていく瞬間だった‥‥。

 

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11/23(金) 短期合宿が始まろうとしている。
 この2泊3日の合宿のためだけに、アメリカから参加される方もいる。
 先日の1Day合宿に参加された方も、複数の病と戦いながら命がけで来日し、一日瞑想会→朝日カルチャー講座→1Day合宿と不可思議な力に催されたかのように縁がつながった。
 こちらにそんな意図があった訳ではないのだが、来日最初のダンマトークがたまたまその方の人生最大のテーマを射貫くものだったという。
 大きな成果が得られた‥‥と、涙ながらに打ち上げで所感を述べられていた印象が深い。
 日数が問題なのではない。
 真剣な心だ‥‥。

 

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11/22(木) 時が、悲しみの先端を鈍くしていく‥‥。
 あれほど苦しかった苦難の時代が、今では懐かしい完全燃焼の日々にも思いなされてくる。
 古い昔のどんな写真もセピア色に褪せていくように、無常の彼方に消え去った苦楽の経験は、どれもこれも皆、夢のようだ‥‥。
 一切を等価に視る‥‥。

 

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11/21(水) 苦しみに満ちた逆境の価値が腹に落ちるなら、平穏な日々や、束の間の幸福に感動する瞬間が薄っぺらなものに見えてこないだろうか。
 ‥‥こうして、人は「捨(ウペッカー)」の心を整えていく‥‥。

 

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11/20(火) 逆境を乗り超えようとして、人は完全燃焼の全力投球ができる。
 途方もない智慧が閃き出るのは、絶対絶命のピンチに追い込まれた時だ。
 束の間の命が輝く時‥‥。

 

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11/19(月) 不幸な境遇のどん底で、苦受を受ける一瞬一瞬、己の積み重ねた不善業が現象化して消えていくのだ。
 不善業が解消されていく、負債返しの瞬間‥‥。
 なす術もなく、ただ苦しむだけの人生にも意味がある。

 

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11/18(日) 逆境は、人の心を豊かにしてくれる。
 痛切な苦の体験には、情報として第一級の価値がある。
 苦しんでいる人たち、悲しい人たちと同じ目線、同じ地平に立って、純粋な共感の手を差し伸べることができるではないか。
 悩み苦しむことには、意味がある‥‥。

 

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11/17(土) 無重力の宇宙空間では、負荷のかからなくなった骨も筋肉も深刻なダメージを受けてしまう。
 強烈な重力に耐えるように設計され、進化していった人体。
 一切のストレスとドゥッカ(苦)がなくなれば、人の心はふやけるだろう‥‥。

 

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11/16(金) 千年の至福に、極楽の日々を夢見て、営々と無数の善業を積み重ねていく人もいるだろう。
 それが具現化したかのように、順風満帆、苦しい人間関係もなければ、嫌な出来事に遭遇することもない、人も羨む恵まれた人生がまれに展開することもある。
 ‥‥そんな幸運に恵まれた人は、いつ、どうやって、心を成長させていけばよいのか‥‥。

 

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11/15(木) 快感ホルモンを受容する受け皿の構造上、より強い快楽の刺戟が訪れなければ、現状と同じ快感のレベルすら維持できないのだ。
 快楽が頽廃に向かう所以である。

 

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11/14(水) 至福千年の極楽世界が、現実のこの世に到来するものだろうか。
 あり得ないことだが、もし平和と悦楽の日々が延々と続けば、さらなる刺戟と快楽を求める人の心は頽廃に向かうだろう‥‥。

 

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11/13(火) 一切皆苦の苦しい人生だからこそ、楽しいことだけが延々と続く夢のような日々を夢想するのではないか‥‥。
 中国に伝来した仏教は、歴史の動乱のなかで何度も滅びそうになったが、浄土宗だけはかろうじて命脈を保ったという。
 どうあがいても、この世での幸福など夢見ることすらできない、苛烈を極める地方で最も強く信仰された死後の極楽浄土‥‥。

 

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11/12(月) 輝いた瞬間もあった。
 不幸のどん底で喘ぐような時代もあった。
 どちらも、自分の人生を飾ってくれた掛け替えのない日々だった‥‥。
 そう、腹に落ちてくるのは、苦の経験から学び取る真実に目が開かれた時‥‥。

 

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11/11(日) そんな風に終了した関西の瞑想会だった。
 この日参加された同じメンバーが、再び集うことは絶対にないだろう。
 たとえ完全に同じ顔ぶれの人達がある日、ある時、同じ場所に結集しても、もはや同じ心で同じ瞑想をし、同じ心境でその場に居合わせることのあろう筈はないのだ。
 何事も、その時、その日、その時代に起きた事のかけがえのなさ‥‥。

 

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11/10(土) ブッダのダンマとその方法論であるヴィパッサナー瞑想によって、人生の苦しみから解放されていく人達が必ずいると信じ、17年もボランティアで続けてきた一日瞑想会‥‥。
 この日初めて瞑想会に足を運んだ方々も多いのに、この瞬間、会場全体が暖かいファミリーのような雰囲気に包まれた。
 全員が一斉に「喜(ムディター)」の瞑想に入ったかのような、優しい共感が感じられ、あたり一面、金色に光り輝いたような気がした‥‥。

 

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11/09(金) 個人インストラクションの終盤に、司法試験合格にいたるまでの顛末が述べられた。
 この日のダンマトークのテーマが「毒になる親と苦の聖化」だったこともあり、親との確執が続く中でいかに孤独な苦しい闘いを続けてきたかが披瀝された。
 莫大な借金を抱え、苦境に孤立していく中、「もう諦めようかと思ったこともあったのですが、親からも見放されたような自分を、先生だけがいつでも必ず励ましてくださったのでした‥‥。ありがとうございました‥‥」と声を震わせた。
 ‥‥そうだったのか。
 詳細な事情はつゆ知らず、これまでの歳月が一瞬にして脳裏を過ぎり、万感の想いに胸が熱くなった。
 会場全体に熱を帯びた感動的な雰囲気が盛り上がり、全員で祝福する拍手が鳴り響いていた‥‥。

 

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11/08(木) 雨天にもかかわらず盛況だった関西瞑想会。
 感動的な光景があった。
 その前に、9月11日のツイッター原稿を紹介します。
 「ついに合格!の朗報を聞いた瞬間、 目頭が熱くなるほど嬉しかった。‥‥瞑想会に毎月足を運び、布施や善行を重ねながら挑戦し続けてきた司法試験。やっとその悲願が成就したのだ‥‥」。
 その彼が、瞑想会にやって来た‥‥。

 

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11/07(水) ツイッターには毎日原稿を書いているのだが、そのとばっちりを受けて「今日の一言」のアップが滞っている今日この頃‥‥。
 すみません。
 「グリーンヒル瞑想研究所でツイッター」↑をクリックするとご覧になれますので、本欄が更新されていない時は、グリーンヒル瞑想研究所のツイッターに来てください。

 

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11/06(火) 「‥‥短期合宿が終わり、新宿に向かう道を少し瞑想モードで歩いていると、通いなれた周りの景色がものすごく鮮明に、明るく、まぶしく、ハイビジョンのように美しく目に映り、これから瞑想するために、講座に行かれることがとても幸せに感じられ、思わず涙が流れてしまいました‥‥」
 ‥‥と、書かれた方がいる。

 

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11/05(月) 怒りも、貪りも、高慢も、嫉妬も、恐怖も、我見に執着するのも、極度に凹み落ち込むのも‥‥、煩悩が暴れまわる時、その背後で糸を操るように破滅に導いているエゴ‥‥。

 

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11/04(日) 実体のない虚妄な印象に過ぎないのだが、プライドという名のエゴ妄想が、全てを破壊していく‥‥。

 

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11/03(土) 物理的に生起した事象は、ただそれだけのことであって、人の思惑を超え、法として存在しているだけである。
 現実の出来事を経験した瞬間の苦楽を整えたければ、カルマを良くしていく他はない。
 経験の意味が確定された瞬間に感じられる幸・不幸は、心の問題である。
 心が浄らかになり、認識に革命が起きれば、どんな人生も肯定できるし、あるがままのその姿で、輝くのです‥‥。

 

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11/02(金) 心が同じなら、人生もこれまで同様だろう。
 心が変われば、経験の意味が変わり、異なった認識は世界を一変させる‥‥。
 怒りと怨みのフォルダーに保存されていた記憶が、感謝のフォルダーへと、その保存場所を変えていく。
 やがて、現実の流れそのものが好転し、名実ともに世界が変わっていく引き金を放つ瞑想‥‥。

 

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11/01(木) 速効性があるのは、慈悲の瞑想。
 五戒を守る決心をした瞬間から、ブレない判断基軸を得た意志決定に迷いがなくなる。
 善行をすれば、自分は無用な存在ではない、と自信が生まれてくる。
 懺悔の瞑想は、ネガティブな過去の縛りから解放させてくれるだろう。
 どのような事実もありのままに承認するサティの瞑想は、智慧の源泉‥‥。

 

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10/31(水) 仕事や人間関係など、ドゥッカ(苦)に強いられて瞑想に着手する方が少なくない。
 当然のことながら、襲来する苦のほとんど全てが、とどのつまり、心の汚染に端を発する煩悩反応の所産であったことに気づいていく。
 どうすれば良いのか‥‥、ヴィパッサナー瞑想には、ドゥッカ(苦)をなくすための処方箋が豊富に用意されている。

 

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10/30(火) 顔が変わったわね‥‥と驚かれた人。
 優しくなった‥‥と家族に言われた人。
 仕事が八方塞がりだったのに、合宿後1ヶ月経過すると、顧客との関係も従業員の関係も全て好転、肩こりが消えた人。
 緊迫した関係の家族から勧められたお菓子を、「ありがとう。‥‥でも、今はいいわ」と自然に断ることができた自分にショックを受けた人。
 瞑想会に出かけることに猛反対していた家族から、「瞑想会に行きなさい。長期の合宿にも、本当に必要なときにこそ行った方がよいのでは‥‥」と言われるようになった人‥‥。

 

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10/29(月) 泊まらない1Day合宿が始まって1年になるが、予想を上まわる素晴らしいプログラムになった。
 参加人数は限られてしまうが、通常の瞑想会や講座とは比べものにならない密度の濃さがある。
 参加者全員への慈悲の瞑想、歩く瞑想や座る瞑想の徹底、日常生活の一挙手一投足が瞑想であるという理解、特に食事と喫茶の瞑想、個室でのマンツーマン面接、ダンマの話題に絞られた打ち上げ‥‥等々。
 通常の短期合宿に比肩する成果を得られていく方が少なくないのに驚いている‥‥。

 

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10/28(日) 瞑想の成果は、修行現場での体験だけで量れるものではない。
 サティの洗練やサマーディの達成よりも、日常生活のさまざまな局面で心の反応パターンがどのように変化したか‥‥が重要である。
 物事の受け止め方や考え方が浄化されていかなければ、心の清浄道としての瞑想とは言いがたい‥‥。

 

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10/27(土) 混沌とした現象のゴッタ煮状態の中に、必然の力で展開する因縁の流れを読み取る力を「智慧」と呼ぶ……。

 

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10/26(金) 苦楽を超えて、一切を天から与えられたものとして受け止めることができれば、どのように展開した人生も肯定できるだろう‥‥。

 

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10/25(木) 病院を出て、空っぽの腸管が最初に吸収した食事は、蕎麦とビタミン系のサプリメントだった。
 その数時間後の身と心の整い方は素晴らしく、まるで断食明けのようだった。
 PCに向かい山積した仕事を処理していると、透明感に体が貫かれ、沈々たる静けさが心に拡がっていくのに圧倒された。思わずその場で瞑目し、瞑想を始めてしまった。
 三宝に祈りを捧げ、ダンマとの融合感覚に浸りながら、展開する意識の流れを眺めていた‥‥。

 

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10/24(水) 体調が悪く、どんよりと意識が濁っている状態で、良い瞑想をするのは至難の業である。
 心を研ぎ澄ませていくのと同じように、身を整えることが瞑想の一部なのだ、と心得なければならない。
 色法(身体現象)は、心とカルマと環境因子と食物によって生起してくる。
 そのように、瞑想は、体調とそれを決定する食事と心的状態と業によって展開していく‥‥。

 

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10/23(火) 大腸の内視鏡検査をした。
 下剤をかけ空っぽになった自分の腸管が映し出されるのを、リアルタイムで見ていた。
 ポリープも腫瘍も傷んだところもまったくなく、とてもきれいですよ、と担当医に感心された。
 良い瞑想をするために、無塩に近い減塩、食物繊維、腸内細菌に優しい発酵食‥‥等々、癌にはなりづらい食習慣が長く維持されてきた。
 100%に近い自信があったが、果たして予想どおりの結果だった。
 瞑想は、心をきれいにするだけではなく、体も整えていく‥‥。

 

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10/22(月) <怒り無きによって怒りに勝ち、善によって不善に勝ち、布施によって物惜しみに勝ち、真理によって妄語者に勝つ。>
 【パーリ語仏典「ダンマパダ」4竏窒Q23 中山書房仏書林】

 

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10/21(日) <実に多くの人々は恐怖に駆られて、山あるいは森・園・樹・神社などに出掛け、心の依り所とする。>
 【パーリ語仏典「ダンマパダ」4竏窒P88 中山書房仏書林】

 

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10/20(土) <ダイヤモンドが堅きルビーを打ち砕く如く、自分自身でなされたる悪行は、自分より生じ、自分の中で生成され、智慧のない人を破砕する。>
【パーリ語仏典「ダンマパダ」12竏窒P61 中山書房仏書林】

 

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10/19(金) <青春時代に梵行をしなかった老い人、あるいは財産を得る努力をしなかった老い人は、弓から放たれ落ちる矢の如く、昔の不精進に嘆きながら臥せる。>
 【パーリ語仏典「ダンマパダ」11竏窒P56 中山書房仏書林】

 

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10/18(木) <『わたしに子供がいる。わたしには財産がある』と思い、愚者は悩害される。実に自分すら自分のものではないのに、いかなる理由で子供が、いかなる理由で財産が自分のものであろうか。>
 【パーリ語仏典「ダンマパダ」5竏窒U2 中山書房仏書林】

 

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10/17(水) 掃除をしなければ、部屋が散らかっていく。
 お風呂に入らないと、体が汚れ、垢まみれになっていく。
 自然放置された人の心は、混沌に向かう。
 純真だった少年少女の心は、ただ生きていくだけで汚れていき、やがて老醜をさらして死んでいく‥‥。

 

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10/16(火) 心がきれいな時は、よし、心の清浄道をしっかりと歩んでいこう、と決意する。
 心が汚れてくると、瞑想会にも講座にも行きとうない、鬱陶しいわ、と感じ始める。
 強い刺激が欲しくなり、欲望や怒りの興奮に巻き込まれたくて、無意識に求めてしまっているのに気づかない。
 気づきたくもない。
 ‥‥あとは一気に坂道を転がり落ちていくばかりだ。
 ドゥッカ(苦)に激突し、叩きのめされ、打ちひしがれて我に返るまで‥‥。

 

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10/15(月) ああ、心が汚れてきた‥‥と自覚できるのは、まだ心がきれいだからだ。
 真っ黒になると、それがすっかり当たり前になり、普通に怒ったり威張ったり貪って、それがどうした‥‥、煩悩がなくなったら人間でなくなるやないか‥‥と開き直ったりする。

 

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10/14(日) 朝と夜のリピーターの方々が同じことを異口同音に仰っていた。
 講座が始まると2週間に1度のペースだが、前クールの最終回から1ヶ月余、間が空くと心が持たない。すっかり汚れてしまい、不善心所が出まくりでした‥‥。
 よう解りますねん。
 17年間の統計にはっきり出ています。
 講座や一日瞑想会で心が洗われても、善心所モードで居られる賞味期限は約1週間。
 翌週は必死で努力して保持するのがやっと、3週目は息も絶え絶え、4週目になると心は真っ黒に汚れ、すっかり凡夫モードになってしまう‥‥と。

 

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10/13(土) さしもの夏の強き光も力を失い、透き徹った秋の涼気が漂っている‥‥。
 瞑想するのに、最も良い季節ではないだろうか。
 今日から、朝日カルチャー講座。
 「朝の瞑想」と「夜の瞑想」のクラスで、お会いしましょう。

 

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10/12(金) 精進のエネルギーがなければ、瞑想も修行もどんな事も、やり遂げることはできない。
 苦しい中、必死でがんばる時に、「この私が‥‥」が顔を出す。
 エゴレスで、ただ、がんばるのだが、‥‥それが難しい。
 諦める‥‥。
 断念し、我執が落ちていく展開。
 「諦める」という名の自滅するエゴ‥‥。
 「諦」には「悟り」の意味があり、四つの聖なる真理は「四聖諦」と呼ばれる。

 

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10/11(木) 打つ手が完全になくなる。
 何をしようにも、もうエネルギーがないのだ。
 この、いかんともしがたい展開にまで追いやられて、やっと、エゴが白旗を掲げて撤退していく‥‥。

 

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10/10(水) 妄想が激減し、やっと瞑想が楽しくなってきた人がいる。
 「妄想を容認せず、厳密に見送っていく。その決意が大事」とのインストラクションを支えに、がんばることができたという。
 それでも、まだ妄想が完全に鎮まりきった訳ではないというので、「この程度はよいだろう、と微かな思考でも容認しないこと。妄想に対して甘いと、元の木阿弥になります」と伝えた。
 すると、何がなんでも思考を止めようとして、逆に不調になり、ガタガタに崩れはじめた。
 ついには、「妄想、止まれ!」と心の中で叫んでしまった。
 当然のことながら、事態はさらに悪化した。
 ヘトヘトになり、万策尽き果てたときに、一転、静かな瞑想が淡々とできるようになり、安息感に包まれた最高の時が流れたという‥‥。

 

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10/9(火) エゴ感覚が働けば、都合の悪いことからは目を背け、気に入った部分にことさらの注意を注いでしまう。
 偏向が生じる。
 本音が隠される。
 虚妄なエゴを喜ばせる観察が進行していく‥‥。

 

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10/8(月) 上っ面の心とは、何だろう。
 自我意識がどこかに伴った、エゴの心である。
 思考をしている自覚がないままに、極めて短い思考が閃いて、エゴ感覚をもたらしている‥‥。

 

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10/7(日) 「眠気」とサティを入れるが、消えない。
 「妄想」とサティを入れる。
 消えない‥‥。
 上っ面の心は「当たらずとも遠からず」程度には気づくことができるが、経験している丸ごと全体を捉えて客体化する力はない。
 表面は見えるが、本質洞察には至らない‥‥。

 

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10/6(土) 現状をありのままに対象化してラベリングしているのに、事態は一向によくならない。
 物事の本質をピンポイントで射抜くサティが入れば、パタリとその状態が終焉するはずなのだが‥‥。
 サティが空振りになってしまうのは、人の心は矛盾を孕んでいるからだ。
 表層の心が認識しているものと深層意識の本音とが、しばしば矛盾し相反するのだ。

 

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10/5(金) ヤル気も努力も精進のエネルギーも必要不可欠であり、一所懸命がんばることに何の問題があるわけではない。
 欲望や期待や不安など余計な仕事のために、心の中で二重に課題が遂行されている状態が良くないのだ。
 無心になれば、強い力が本来のやるべき仕事にのみ向かっていく。
 最高のパフォーマンスがなされる‥‥。
 いかなる思考の介入も許さず、単発のイメージや思念が出現した瞬間に、サティで撃ち落とさなければならない所以である。

 

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10/4(木) どんなスポーツも芸事も仕事も、この点に関しては共通である。
 努力し、必死でがんばらなければ、どんなことも成就しないのは言うまでもない。
 汚れた心をきれいにするのは並大抵のことではなく、不屈の闘志で困難な道のりを歩み抜いていかなければならない。

 

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10/3(水) 良い瞑想ができる。感動する。また、やりたい!‥‥と思う。モチベーションが一気に高まり、必死でがんばる‥‥。力んで、集中すればするほど上手くいかない。何度やっても、似たり寄ったりの展開にしかならない‥‥。
 「狙っている限り、同じ体験が再現されることはないよ。期待が不善心所の欲望になっているのだから、善心所が揃った時にのみ展開される良い瞑想はできません。諦めなさい。セオリー通り<一所懸命、淡々と>とやるしかないのです」
 ‥‥それは、頭では解っている。分かってはいるが、肩に力が入り鼻息が荒くなっている本心は納得していない。
 「わかりました。もう狙いません。淡々とやります」と答えてはみたものの、欲がくすぶり続け、溜息が洩れ、肩を落として暗くなる‥‥。イライラする。悲しくなる。‥‥よし、また、がんばろう‥‥いや、淡々とやろう。そう思うのだが、モヤモヤが渦巻いて、浮かない顔での混乱が続いている‥‥。暗くなる。不安になる。ダメだったら‥‥とネガティブな妄想が去来する。マインドレスになり、サティが入らない‥‥。

 

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10/2(火) 例外的ケースもあった‥‥。
 波羅蜜の徳ポイントは十分だったが、待ちに待った3年ぶりの長期合宿に気がはやり、期待と欲を制し難く、負のスパイラルに巻き込まれて沈んでしまった‥‥。
 残念だが、致し方ない。
 珍しいことではなく、よくあることだ。
 善心所が整えば必ず瞑想修行は進み、不善心所モードから脱却できない限り絶対に瞑想は良くならない。
 当たり前の常識的結論だが、今回ほど如実にそれを検証した合宿はなかった‥‥。

 

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10/1(月) 10日間合宿が終わった。
 今回はスタッフやリピーターが多く、初日から気合の入った修行モードに突入していた。
 長年貯めてきた徳のポイントを費おうと秘かに期するところのある方や、ドゥッカ(苦)に強いられて背水の陣の真剣な方ばかりだった。
 修行が進むのは波羅蜜の力‥‥と言い続けてきた。
 今回も見事にセオリー通りの展開となり、やれやれと安堵した。

 

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9/30(日) <善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ。>
 【真理のことば「(ダンマパダ)9竏窒P16」岩波文庫】

 

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9/29(土) <智慧のない愚かな人たちは、放逸に耽り、智慧のある賢者は、不放逸を最上の財産のように守る。>
 【パーリ語仏典「ダンマパダ」2竏窒Q6 中山書房仏書林】

 

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9/28(金) <他人の誤り、他人の為したこと、為していないことを見つめてはならない。自己の為したこと、あるいは為していないことだけを観察すべきである。>
 【パーリ語仏典「ダンマパダ」4竏窒T0 中山書房仏書林】

 

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9/27(木) <誰に対しても粗暴な言葉で話す事なかれ。言われた人々は、汝に言い返すだろう。実に憤激の言葉は苦である。その仕返しが汝に触れる。>
 【パーリ語仏典「ダンマパダ」10竏窒P33 中山書房仏書林】

 

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9/26(水) <なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、高ぶって放逸(わがまま)なる者どもには、汚れが増す。かれらには汚れが増大する。彼等は汚れの消滅からは遠く隔たっている。>
 【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)4竏窒P9」岩波文庫】

 

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9/25(火) <起きるべき時におきないで、若くて力があるのに怠りなまけていて、意志も思考も薄弱で、怠惰でものうい人は、明らかな智慧によって道を見出すことはない。>
 【真理のことば「(ダンマパダ)20竏窒Q80」岩波文庫】

 

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9/24(月) <うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りがあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には実りがある。>
 【真理のことば「(ダンマパダ)4竏窒T2」岩波文庫】

 

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9/23(日) <うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りのないものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。>
 【真理のことば「(ダンマパダ)4竏窒T1」岩波文庫】

 

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9/22(土) 仏教に感動したのだ、という。
 五戒を守ることの新鮮さ。
 悪因悪果・善因善果こそが、この現象世界を貫いている法則性であるという衝撃‥‥。
 原始仏教の実証性や明快な説明等々に、すっかり魅了されてしまったという。
 瞑想はできていなくても、考え方と行動が変われば、日々の経験世界が変容するのも自然なことである。
 歳月が流れ、立派な仏教徒になり、信は深まっていく一方だったが、肝心のサティの瞑想は、基本すら覚束ない不正確なやり方をしてきたことにガーン‥‥。

 

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9/21(金) 集中が良いわけではない。
 正確なサティの瞑想ができているわけでもない。
 毎日最低10分間程度の瞑想ノルマを果たしてきただけに過ぎない。
 それなのに、なぜ、何年も瞑想会に通い続けられたのだろうか。
 そう訝りたくなる人もいる。

 

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9/20(木) サマーディという名の快楽にサティを入れ、見送らなければならない。
 ドゥッカ(苦)を観なければならない。
 心の便所掃除をしながら、清浄道を歩まなければならない。
 いわゆる瞑想だけではなく、反応系の心の修行に取り組まなければならない。
 そんな厳しいヴィパッサナー瞑想を正しく実践するよりも、変性意識状態の快楽を楽しんでいたい‥‥。

 

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9/19(水) 何年も瞑想を続けてきたが、やっと合宿に参加した結果、長い間不正確に瞑想してきたことに気づいて愕然とした人が何人いたことだろう‥‥。
 そんなに多くの人が、なぜ、いい加減な瞑想を長く続けられてきたのか。
 サマタ瞑想を楽しんでいただけに過ぎない。
 そんな人が一番多いだろうか。
 集中が良くなってくるにつれ、変性意識状態の中で惹き込まれていく非日常的な楽しい世界‥‥。

 

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9/18(火) 一日瞑想会や朝日カルチャー講座の初心者指導を受けなければ、合宿に参加することはできない。
 だが、たった一度の講習で瞑想の基本を完璧に覚えられる人はほとんどいない。
 瞑想に限らず、どんな芸事でもスポーツでも、たった一度の講習やレッスンで、新しい技能を完全に体得できる人がいるだろうか。
 限りなく0点に近い人から満点に近い人までさまざまなグラデーションだが、100点の人はまずいない。
 合宿でマンツーマンの指導を受けると、それが露呈する。
 正しく修正され、レッスンを繰り返し、何度もうなずき直しながら、徐々にサティの瞑想の回路が脳に配線されていく‥‥。

 

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9/17(月) 心の反応パターンを組み替えていこうと総力戦を挑まない限り、我執も、好き嫌いも、喜怒哀楽も‥‥、残り続け、変わらないだろう。
 サティが連続すれば一時的停止はできるが、それだけでは、反応系のプログラムを根本から破壊する理解も智慧も生じないだろうということ。
 ヴィパッサナー瞑想が、総合的なシステムと言われる所以である。

 

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9/16(日) 強引にサティを入れ続ければ、マインドフルに心を管理することができる。
 だが、瞑想が上手くいくのも一時的であり、永遠に、ではない。
 サティが入らなければ、油断をすれば、マインドレスになれば、妄想に巻き込まれれば‥‥、不快なものには目を背け、甘美な官能の世界には痺れるように溺れ込もうとする‥‥。

 

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9/15(土) 情動に刺戟され、感傷に身を任せたわけではない。
 すぐに立ち直って、淡々と不燃物のゴミをまとめてはいった。
 だが、淡々とサティが連続するのは条件が良いからであり、反応系の心が強く執着しているものにサティを入れるのは難しいだろうということ。

 

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9/14(金) さらに、介護が最も厳しかった頃の母のマグカップを手にすると、情動脳が激しく揺さぶられた。
 封印していた記憶が溢れ出し、官能に訴求するような落涙感にサティを入れたくない‥‥と感じた。
 母親の末期の瞬間も、苛酷だった介護の日々も、「顔面のかゆみ」や「(車が走り去る)音」のサティと何が違うというのだろう。
 全てを等価に観て、淡々とサティを入れ続けるのが、ヴィパッサナー瞑想者ではないか‥‥。

 

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9/13(木) 台所収納が空になり、額縁や人形ケースを解体したところまでは順調だった。
 おや、こんなところに‥‥と発見した水枕の口金を外そうとした瞬間、あまりにも鮮明に浮かび上がった幼児期の記憶に圧倒され、サティが乱れた。
 水枕の中で融けていく氷の音を聞きながら、真夜中に湿布する父母の手に身をゆだねている幼兒の私‥‥。

 

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9/12(水) 母が死んだ実家の残務整理。明け方4時までかかった。
 20袋以上の不燃ゴミをまとめた。
 懐かしい食器や花瓶、鉄製の置物などを見ると、記憶の海が撹乱される。
 我が家の歴史と個人史の断片が、ひっくり返され、飛び散ったかのようだ。
 ‥‥情緒が刺激されそうになるが、淡々とサティをキープしていく。

 

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9/11(火) 嫌で嫌でならなかった環境が、人間関係が、自分の身体的特徴が、能力が、これまで生きてきた人生が‥‥、もし嫌ではなくなったなら、受け容れることができるようになったなら、いや、愛することができるようになったなら‥‥。
 嫌う心、否定する心、拒絶する心、自己嫌悪する心、‥‥要するに、怒りの心が無くなれば、もう苦しみはないではないか。

 

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9/10(月) なぜ、心がきれいになれば、苦しみはなくなっていくのだろう‥‥。

 

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9/9(日) 心を浄らかにしていくための、ヴィパッサナー瞑想だ。
 センセーション(身体実感)に集中するだけでは、心の清浄道はなかなか進まない。
 サティの基本をマスターしたならば、心を随観しなければならない。
 汚い心に気づいて、一つひとつ手放していく‥‥。
 汚染された心が諸悪の根源となり、人生苦を自ら招いてきたのではないか‥‥。

 

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9/8(土) 自分の汚い心にうちのめされそうになったら、「(愚かな)プライド」「慢」とサティを入れる。
 「落ち込み」→「暗澹たる思い」→「(どうしようもない阿呆だ)と思った」‥‥等々のサティを入れてもスッキリしなかったら、その瞬間に巻き込まれている感情と、蠢いている思考を仕分け、どのイメージや思念に反応して情動が立ち昇ってくるのかを観察する‥‥。

 

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9/7(金) 自分がどれほど愚かで、汚い心だったか‥‥。
 それを思い知らされていく日々が清浄道‥‥。

 

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9/6(木) 欲望と怒りと無知に汚染された心になると、苦しみのオンパレードになっていく。
 あらゆる苦から解脱していくために、仏教は存在している。

 

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9/5(水) 本当は苦しいのに、恐ろしい現実の渦中にいるのに、幸せだと錯覚している人たちもいる。
 無明の人、火宅の人‥‥とも言われる。

 

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9/4(火) 心がきれいな人は、どこかで幸せに、ひっそりと暮らしているだろう。
 心が汚れている人ほど、真剣に道を求め、学び、行じようとする‥‥。

 

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9/3(月) 油断していても、不意を突かれて本音の本心が露わになっても、悪しき反応が起きない人は幸いである。
 煩悩を止めるためのサティではなく、悪しき心の反応パターンを根本から組み換えるためのサティ‥‥。

 

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9/2(日) サティが速ければ、良いのだろうか?
 嫌悪や怒りや欲望のスイッチが入る前に、サティが入れば、後続は断たれるだろう。
 煩悩を一時停止させてしまうサティの威力である。
 だが、もしサティが遅れれば、あるいは入らなければ、イライラするし、ムカつくし、欲望に眼が眩んでいく‥‥。

 

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9/1(土) 六門(眼耳鼻舌身意)から入力された情報が処理され、既存の脳内データと照合された結果、意志決定され、反応として浮かび上がってくる‥‥。
 その複雑な脳内プロセスを、心は、光のような高速度で駆け抜けていく。
 刹那に生滅変化していくどの時点で、気づきの一瞬が起ち上がったのか‥‥。

 

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8/31(金) 腹の底からその存在を肯定し、受け容れているものもある。
 大嫌いなのだが、まだ嫌悪の情動脳にスイッチが入っていなかっただけのものもある。
 本当は、嫌悪や怒りが起ち上がっていたのに、それには気づかずに「音」「思考」‥‥とサティを入れていただけではないのか‥‥。

 

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8/30(木) 思考を止めて、ただあるがままに、今の瞬間に気づくサティの営みは、一見同じに見える。
 だが、サティの瞑想の進化は、承認する力にある。

 

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8/29(水) コンプレックスは「怒り」に分類されるだろう。
 「優越感」は貪り系だが、「劣等感」はその対象が気に食わず、否定し、打ち消そうとする「怒り」が基本の感情になっている。
 長年に渡って否定し、毛嫌いしてきた無礼をお詫びし、ごめんなさい、ありがとう、と懺悔の瞑想ができた時点で、コンプレックスを受け容れ、和解しているのではないだろうか。
 受容する心になれた時、コンプレックスを食い尽くしてくれる妖怪が現れたという夢……。

 

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8/28(火) するとその夜、不思議な夢を見た、という。
 口が耳まで裂けた女の妖怪が、新幹線の床から首を出し、女性乗客の足を呑み込んで膝まで食べていたのだ。怖くてその場を逃げ出したが、後ろから誰かがトントンと肩を叩く。恐る恐る振り向くと、あの口裂け妖怪が立っていた‥‥。
 足を食べる妖怪とは、コンプレックスを食べてくれて、長年の悩みから解放してくれる存在と解釈してよいのではないか……。

 

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8/27(月) 足にコンプレックスのある人が、熱心に歩く瞑想をしているうちに、「こんなにがんばって歩いてくれている足さんを、今まで嫌ったりして、ごめんなさい」と謝りたくなった。
 心から自分の足に懺悔の瞑想をして、感謝の念を捧げた。
 前日のダンマトークで、懺悔について聞法していたことが一因だったが、歩行瞑想中に、何十年も自分を支え続けてくれてきた「足」にひどいことを思ってきた‥‥と反省し、懺悔の瞑想につなぐセンスの良さに感心した。

 

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8/26(日) 10日間合宿の終盤になると、このまま続けたいな、帰らんといて‥‥と思うのが常である。
 久しぶりの合宿だったが、今回も同じ反応だった。
 同じ釜の飯を食べ、同じ屋根の下で起居を共にしていることもある。
 だが、一心不乱に瞑想してきた誰もがしだいに佳境に入り、尻上がりに良くなっていくのに立ち会っていると、その心の変容を見届けたくなるからだろう。

 

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8/25(土) 先生から評価されたい、ほめられたい……と、良いレポートや上手くいった話ばかりしていく瞑想者がいる。
 成功の要因を解説してもらうことはできるが、多くの場合は、望みどおりにほめられ、満足感とウヌボレを味わいながら意気揚揚と面接室を後にする……。
 急に偉くなったように、他の瞑想者を上から目線で見始める人も少なくない。
 苦しければ苦しいほど、コンプレックスが強ければ強いほど、「優越感」「高慢」とラベリングするのが難しい‥‥。

 

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8/24(金) グリーンヒルでは、参加者全員に対して一日に2度、慈悲の瞑想をするのが義務づけられている。
 それなのに、居眠りしている参加者を見た瞬間、「冷笑」というラベリングが浮かび愕然としました‥‥とレポートした人がいる。
 情けない自分の汚れた心など気づきたくもないし、それを報告するのはもっと嫌だとためらう人が多いのだが、悪びれずに語る態度に好感が持てた。
 ……そう、人の心はそんなものだから、落ち込むことはないよ。
 どうしたら慈悲の瞑想が本気モードでできるか、ピンポイントに絞り込んだ緻密なインストラクションが展開していった……。

 

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8/23(木) 教えられるのが上手い人と下手な人がいる。
 あるがままを観るヴィパッサナー瞑想では、正直に裏も表も見せた、ありのままの修行レポートが一番の教えられ上手である。
 上手くできたケースも失敗した事例も、経験したとおり、正確に報告すると最良の指導が受けられる‥‥。

 

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8/22(水) 八王子の道場では3年ぶりとなる10日間合宿が終わった。
 最後に全員で9月の参加者のために掃除作務をし、三々五々下山していった。
 ‥‥スタッフも帰り、誰もいなくなった道場には、凛々たる浄らかさがみなぎり満ち渡っていた。
 その森閑とした清浄たる気配に圧倒され、しばし立ち尽くしていた‥‥。

 

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8/21(火) 利根の人もいれば、鈍根の人もいる。才能があるのもないのも、とどのつまり過去世の修行の結果である。できない人が諦めずに修行を続けているうちに、ある日、急に瞑想ができるようになっていく‥‥。そんな姿を目撃すると、揺さぶられるような感動を覚える‥‥。

 

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8/20(月) 教え甲斐のある瞑想者たちが、夜を日に継いで、一心不乱に修行をしている‥‥。人生の大きなターニングポイントに立っている人たちもいる。その心の変容に立ち会える感動なのだろうか。余力を残さずに与えれば与えるほど、逆に、無限の力が湧き上がってくる‥‥。

 

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8/19(日) 疲れきった表情で帰宅の電車に揺られている人たちの心には、その日一日の出来事が浮かんでは消え、消えては浮かびしているにちがいない。
 心の矢印が過去に向かえば、放出され、失われ、消費されていったものを無意識に確認し、疲れた事実が意識されるだろう。明日に向かう心は、疲れを知らない‥‥。

 

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8/18(土) 最悪であればあるほど、ジタバタと、見苦しく、虚しく抗い続けてさらにヘトヘトになっていくのが人の常である。
 ‥‥だが、静かに客観視ができている限り、必ず最良の展開になっていくと、サティの瞑想の力を信じる。ただ力を脱き、受身に徹し、淡々と今の瞬間に気づきの心を伴わせていく‥‥。

 

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8/17(金) 調子の悪い時の方がむしろ、サティには良いのだ。
 オレが、私が、とがんばるエゴが鳴りをひそめる。気負わない。挑まない。猿知恵でハカライをしない。
 見えても、聞こえても、感じても…ただ淡々と、受身に徹して気づいていくだけになる。サティの極意「ウペッカー(捨)」の心に近づいていく‥‥。

 

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8/16(木) ‥‥最悪な状態でも、サティが入るのではない。
 最悪の時だからこそ、サティを入れるしかないのだ。
 全てのことに、ノーラベリングの素早いサティが入っていくと、どんな事態も、ただそれだけの状態になる‥‥。

 

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8/15(水) 理論的理解→修練&検証→納得・諒解感→技術的正確さ→習熟→職場や生活空間で発揮される「気づき」の威力(サティ瞑想)→‥‥。

 

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8/14(火) 全てが終わってみれば、誰でも冷静さが戻り、客観視できるだろう。
 ……事の渦中にいながら、ありのままに客観視するための技法がサティの瞑想。

 

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8/13(月) 合宿中なので、「今日の一言」の新作を書く余裕がない。
 ツイッターでリツィートされた原稿を転載して穴埋めとさせていただきます。
 天が、全てを見ている。‥‥どう思われても、よいではないか。

 

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8/12(日) もうひとつ。
 合宿下山後、気分の切り替えが早くなったというレポート。
 「‥‥相手との電話で、傍から見たら揉めてるな‥‥という状況で電話を切った。
 しばらくして、また同じ相手から電話が来た。
 話を聞き始めると、『別の件での話だけど‥‥』という。
 すると、さっきの案件ではあれほどゴチャゴチャしていたのに、完全に切り離されて話すことができた。
 受話器を置くと、『あれ、自分馬鹿になったのかな?さっきまで揉めてたの、この人だよね。全然気持ちを引きづらないな‥‥』と思った」

 

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8/11(土) ストレスを和らげるために、罪悪感を免れるために、プライドを守るために、自己イメージを崩さないために、人は、鈍感になって、あるがままの真実にスモークをかける‥‥。

 

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8/10(金) こんなレポートもある。
 「‥‥朝の通勤時、駅から職場までを歩いている時、小雨が降ってきた。
 <(雨が)当たった><(水滴を)感じた>と雨の一粒一粒が感じられ、新鮮だった。
 <リトリート明けだと、雨って、こんな風に感じるのか‥‥>と、楽しかった‥‥」

 

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8/9(木) 現在の一瞬を知覚しながら思考を止める瞑想は、処理速度の悪くなったゴミだらけの頭を再起動させる‥‥。

 

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8/8(水) 合宿の最中に鮮やかな瞑想体験を得られ感動する方もいるが、下山後に成果の現れる方も少なくない。
 仕事の処理速度が上がった、即断即決ができるようになった‥‥、などというものが代表的なものだが、こんなレポートもある。
 「合宿が終わった翌日、今まで見たことのない初めての書類に目を通すことになった。
 何だこれは……。どこから見れば……と瞬間的に戸惑いがあったものの、すぐに段落化(インデント)され、系統立てて書類が読めてくる。
 『あぁ、ここからここのブロックは、上のブロックのコピーか、上との違いはココとココ……』と普段なら情報量の多さに圧倒され、投げてしまう書類も読み取ることが出来た‥‥」

 

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8/7(火) 「(短期合宿の)翌日からの仕事では、手が止まるたびにサティが入り、一つ一つの作業に対して『好き・嫌い』とジャッジしながら進めている自分や、苦手な人への電話では受話器を上げる度に『恐れ』や『不安』を感じながら掛けていることを発見することができました‥‥」
 こんなレポートをされた方がいる。
 日々積み重ねられていく自己客観視のマインドフルネスが、心を変え、人生の流れを変えていくだろう。

 

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8/6(月) それが、永遠に続くわけではない、と呟いてみる。

 

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8/5(日) 「今日の一言」が更新されていない日にも、ツイッターでは何事か呟かれている。
 ツイッターは、ユニークなシステムゆえに情報の伝播がホームページとは異なるが、瞑想とダンマの情報を発信する原則は変わらない。
 もし、「今日の一言」が更新されていなかったら、↑の「ツイッター」をクリックしてください。
 フォロワーに登録しなくても、ツイートされた原稿は読むことができます。

 

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8/4(土) 煩悩を刺激し、欲界に取り込もうとする情報は至るところに充満しているが、心の清浄道を目指す瞑想には、その正反対の情報が必要だ。
 瞑想に縁の付いた皆さまの修行が進むように、瞑想が好きになるように、人生が整い、心が浄らかになりますように‥‥と祈りつつ、及ばずながら、ささやかな一言を毎日したためていこうと思ってきた‥‥。
 その「今日の一言」がとどこおり、更新されない日が続くとは‥‥。

 

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8/3(金) 「今日の一言」を続けてきたのは、瞑想やダンマについての刺激がないと、瞑想修行のモチベーションを維持するのが難しいと熟知していたからだった。
 心は常に変滅している。
 どんな情報もすぐに古びてしまい、飽きてしまう。
 新奇性を求めてやまない心は、常に情報に飢えているのだ‥‥。

 

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8/2(木) 「今日の一言」を書き始めて12年目になる。
 当初はタイトル通り「一言」の短文が多かったが、次第に長い文章が増え、とても「一言」とは言えなくなってきた。
 そうなると「気安く呟く」ようには書けなくなったが、それでも毎日必ず更新してきた。
 新しい原稿がアップできない時には仏典の引用に頼ったりしながら、毎日更新の原則はかろうじて貫かれてきた。
 しかし、亡き母の介護が過酷を極める頃から、その原則も大幅に崩れた。
 何事も一度崩れたものを元に戻すのは容易ではないが、なんとか正したい。

 

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8/1(水) ツイッターを始めて約4週間になる。瞑想やダンマ系の情報のみならず、案内やお知らせ、身辺雑記など何でもありの自由度から気安く原稿が書ける。
 「今日の一言」のアップロードはグリーンヒル・スタッフの手を煩わせているが、ツイッターは自分でいつでも投稿や削除ができる。
 27日で38本の原稿をサクサク書いているのに、本欄は1週間も更新されていない。毎日書くので「今日の一言」ではないか‥‥と反省している。

 

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7/31(火) どれほど素晴らしい瞑想体験をレポートしようとも、絶対に鵜呑みになどしないで、その瞑想者の生活態度全般を長期に渡って追跡調査しながら、本物の体験だったか否かを判断するとも言われていた。
 その厳しさたるや、さすが‥‥と感心した。

 

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7/30(月) ウ・パンディタ・サヤドウは、質問を予め紙に書かせてダンマトークの最後に回答する形式を取っていたが、くだらない質問をしようものなら、完膚なきまでに論難されてしまう。
 微塵も激高することなく、質問を吟味し、緻密な論理を展開しながら徹底的に圧倒していくのだ。
 「ここまで言われちゃうんだ……。怖ーっ」
 と震えあがったことがあった。

 

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7/29(日) 「いいか。ウ・パンディタ・サヤドウは怖いぞ。質問する時には、絶対に知的論議をやるな。必ず、自分自身の瞑想体験を踏まえた上で、質問するんだぞ……」
 と耳打ちしてくれた通訳のドイツ人比丘。
 ミャンマー語と英語をマルチリンガルのように使いこなす優しい方だった。

 

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7/28(土) 瞑想に限らず全てのことに当てはまることだが、どんなシステムも基本中の基本を完全に理解し、一ミリの疑問も迷いもなく、その真髄を徹底的に習練し体得すれば、システムの原理が自ずから働き、どのような局面にも即応できるものだ。
 いわば、自分自身がシステムの原理と化しているので、何が来ようとシステムの力で解き明かしていける。
 構造的理解が完全に腑に落ちるまで、余すことなく執拗に質問攻めにするのがよい。
 「よく質問する者に、智慧が生じる」と、論書は言う。

 

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7/27(金) アラビア半島の国から、わざわざ2泊3日の瞑想合宿に参加された方がいた。
 インドや赴任先の外国でヴィパッサナー瞑想に触れる機会を得ていたが、なぜ遠路はるばる日本のリトリートに入ったのだろうか。
 「日本語で、指導を受けたかった……」
 なるほど。
 いわく言いがたい瞑想体験を外国語でレポートしなければならない。
 アチャンやサヤドウの語られる言葉がさらに英語に通訳される。
 面接の時間も回数も少ない……。
 外国の寺で瞑想修行する隔靴掻痒がいかばかりかを痛感してきた身には、よくわかる。

 

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7/26(木) 1年間ぶっ通しで修行しても、なんの体験も得られず、心もまったく変わっていない瞑想者には驚いたが、その数が少なくないのには、さらに驚いた。
 仕事を辞め、憧れのミャンマーで半年間、瞑想三昧の日々を送ったものの、サティの基本すら覚束ない状態で帰ってきた日本人もいた……。
 情報の行き届かない時代だったが……。

 

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7/25(水) 雨安居の伝統から来るのだろう。
 ミャンマーのサヤドウ達は、3ヶ月が瞑想リトリートの基本と考えている方が多い。
 「1ヶ月では、難しい……」と、ウ・ジャナカ・サヤドウも仰っていた。
 グリーンヒルで合宿を始めた頃、「ミャンマーの3ヶ月を、10日間で!」というキャッチフレーズを使っていたことがあった。
 瞑想の密度、サティの徹底的持続、綿密なインストラクション、そして波羅蜜が熟していれば、3ヶ月に比肩する10日間もあり得る……。

 

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7/24(火) 全てが無常に変滅する。
 その瞬間、まごうかたなく真実だったものが、次の瞬間からゆるやかに真実ではなくなっていく……。
 「永遠不滅の絶対的真理」という妄想……。

 

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7/23(月) 10万年前にホモサピエンスが出現して以来、人類の身体も脳の形態も容量も変化していない。
 つまり現代人の心も知的能力も、石器時代人のものと変わらないのだ。
 仏教は、このホモサピエンスにとっての真理であって、手長ザルやオランウータンやトゥーマイ原人(700万年前)には猫に小判だろう。
 仏教は未来永劫に渡って、不滅の真理だろうか?
 多分そんなことはない。
 人類が著しく進化し、あるいは退化して、心も体も煩悩も知能も変わり果ててしまえば、仏教も無意味になるだろう……。

 

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7/22(日) かくして、ものごとの認識の仕方が変わり、発想が、反応が、生き方が変わり、心が浄らかに変容していくことが真の仏教の実践ではないか。
 ダンマを学ぶ人は多い。
 信仰する人はもっと多いかもしれない。
 知的理解や信心ではない、法の実践……。

 

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7/21(土) 説かれてきた教えを信奉するのではない。
 事実をあるがままに観察し、本質的理解から理法をつまびらかにしていく。
 実験や統計によって検証し、瞑想と内的体験によって脳の深部にまで情報が手渡され、体の隅々へと浸透する。
 その理法が行動と生き方全体に表現され、人と関わり、諸々の善行が淡々と実践されていく……。

 

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7/20(金) いつの時代にも、正確な事実の観測に基いて、普遍的な法則性を導き出そうと心がけてきた人たちが科学の歴史を作ってきた。
 ブッダの説かれたダンマも、そうした科学の手法に酷似している。
 事実を正確に観る。
 本質を洞察し、普遍的な理法を覚る。
 そのダンマに基づいた生き方と心の設定の仕方は、誰が試みても、苦が軽減されるという同様の結果が得られる。
 信仰ではなく、事実の実証性……。

 

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7/19(木) 物事は心に基づく……と説かれた言葉は、2500年の歴史に耐えてきた「真理」である。
 そのように、ブッダの提示したダンマに揺るぎない信を定めてはきたが、果たして未来永劫に渡って不変の真理であり続けるのだろうか……。
 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
 実際に悠久の時間が過ぎ、無常に変化していく事象の流れを観測し続けなくては、本当のところは分からないだろう。

 

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7/18(水) 人体にはいまだ未知なる領域が果てしなくひろがっていて、医学の通説などは、新しい法則性の発見によって常にくつがえされてきた歴史ではないか。
 患者に強い影響を及ぼしてしまう権威ある立場の先生方が、現時点での知見と常識によって、ネガティブな断言をされるのはいかがなものか。
 この世のことは、ことに人の体にまつわることは、心ひとつでどのようにでも変化していく可能性があると示唆されるべきではないか……。

 

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7/17(火) 歩行に伴う痛みが軽減してきたものの、座禅のポーズが取れなかった。
 それこそが一番の目標なのだと伝えると、「リハビリでは、それは不可能なんですよ」と理学療法士に言われた。
 なぜ無理なのか、その説明に筋が通っていなかった訳ではないが、また、その言葉を耳にしながら暗然たる想いが過ぎっていく一瞬がなかった訳ではないが、スポーツ整形外科を後にした時には、ケロリとして寿司を食べていた……。
 物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される……。

 

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7/16(月) グリーンヒル瞑想研究所での合宿が再開されたが、階段の多い建物なので、痛めていた膝が気がかりだった。
 まだ違和感が残り、無理な姿勢を取ると痛みが走ることもあるので、常に細心の注意を払ってきた。
 しかし、リハビリの甲斐があり、完治する日が必ず到来するだろうと確信を深めている。
 「これは治りません」と絶望的な宣言をした整形外科医と理学療法士がいたが、まったく意に介さず、完全治癒のイメージを揺るがすことがなかった……。

 

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7/15(日) 燃え盛る太陽の季節に、命が爆ぜ、恋が生れ、生殖が営まれる自然の摂理。
 ダイナミックに振動する存在の世界には、歓喜も至福も輝きもあるが、その絶頂が極められた果てに続く倦怠と不満足性という名のドウッカ(苦)。
 美と若さに輝いた束の間の命の、老いと衰えと死……。
 生成と崩壊のサイクルに振動する世界から撤退し、沈黙と永遠の静けさを目指す瞑想……。

 

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7/14(土) 激しい陽差しの夏になると、なぜか心が外向的となり、海や山やアウトドア志向になりがちである。
 だが、タイやミャンマー、スリランカのトロピカルな気候の下で瞑想修行に専念してきた者には、夏こそ心の矢印を自分自身に向けてマインドフルになる内向の季節に思われる。
 今日から、朝日カルチャー講座の新シリーズが始まる……。

 

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7/13(金) 心が変われば、反応が変わる。
 反応が変われば、カルマが変わり、人生が変わっていく……。
 たとえ膨大に蓄積された不善業ゆえに、環境も、人生の流れも、過酷な状態が続いたとしても、心が折れることも苦しむこともない。
 不満も、怒りも、落ち込むこともなく、我が身に起きる日々の事象を、ありのままに、淡々と受け取っていくだろう。
 己の宿業をことごとく引き受けていく覚悟を定めた心は、自分に与えられた人生を最高のものとしてありがたく、爽やかに、謙虚に、ひっそりと輝く……。

 

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7/12(木) まず心のドブさらいをし、天に向かって恥じるところのない心で、きれいな土台、正しい基礎の上に立ち、今の瞬間に集中する。
 その時にこそ、真の智慧が閃きあらわれてくる……。
 これを、「戒→定→慧」の三学という。

 

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7/11(水) あったがままの過去を潔く認め、受け容れることができた時から、解放が始まる。

 

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7/10(火) 黒かった事実が認められず、逃げれば逃げるほど、心は否定する仕事に躍起になるだろう。
 自覚されない無意識の領域で、いつでも何かを否定し、打ち消そうとしている心がある。
 「対象を嫌う心」と定義される<怒り>が、通奏低音のように鳴り響いている……。

 

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7/9(月) 事実をあるがままに承認する力が、智慧の源泉……。

 

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7/8(日) 真っ黒だった自分を直視するのは、辛い、過酷な修行である。
 プライドがズタズタになるので、到底やりたい仕事ではない。
 忌まわしい過去から目を背けるために、楽しいもの、綺麗なもの、浄らかなもの、聖なるもので心を一杯にしようとする。
 信仰にのめり込み、美しい瞑想対象に合一しようと必死に集中する……。
 かくして、抑圧の構造が完成し、穢れから巧みに目を背ける方向に心のドミノを倒し続けるマナシカーラが働き続ける……。

 

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7/7(土) 汚染された心が、浄らかな方向へと転じる最初の瞬間は、「決意」が生じた時である。
 これからは、悪を避け、善をなしていこう、と心が定まった時から、全てがゆるやかに変わり始める。
 心の清浄道を歩み抜く決意が、心底から生じた時に、真っ黒いマナシカーラが明転し、理の如くに善なる方向を目指し始める……。

 

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7/6(金) 落下する滝のように、一瞬一瞬おびただしい数の情報が心に飛び込み、次々と心のドミノを倒しながら欲の方へ、怒りの方へ、悪の方へと向かっていく……。
 そんな煩悩に充ち満ちた真っ黒な心は、いつ、どのように、浄らかな心に変容していくのだろうか。

 

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7/5(木) どこから始まった流れであろうとも、理の如くに、正しい方へ、源の方へ、本質の方へ……とドミノを倒していく力がある。
 「如理作意(ヨニソ・マナシカーラ)」と言う。
 浄らかな心の証しである。
 反対に、どんな連想も情報も、最後には貪瞋痴の煩悩にまとめ上げられていくドミノの倒れ方がある。
 私たち凡夫に共通の汚染された心、その諸悪の根源である「非如理作意(アヨニソ・マナシカーラ)」という。

 

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7/4(水) 生きている限り、脳内活動は四六時中止まることがない。
 エゴの裁量や自覚がまったく及ばない次元で、常に、心の中を超光速のドミノが倒れていく……。
 眼耳鼻舌身意の六門から飛び込んでくる情報が、瞬時に既存の脳内データに結びつき、一つのイメージが次のイメージに繋がり、言葉が、思念が、連想が……、次々と発火しながら脳内を駆けめぐっていく。
 その一連の流れを司り展開させている力を「マナシカーラ(作意)」という。

 

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7/3(火) 起きてしまった事実は変えられないが、心は変えられるということ。
 解釈が変わり、認識が変わり、発想が変わっていく……。
 オセロが引っくり返るように、経験の意味が真逆に一変する……。
 恨みのフォルダーに放り込まれていた記憶が、感謝のフォルダーに納め直される。
 嫌いな人のグループの中にいた人が、いつの間にか親しい人のグループにまぎれ込み、慈悲の瞑想が捧げられていくように……

 

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7/2(月) たとえ嫌悪すべき忌まわしい事実だったとしても、それを浄らかな認識に組み替えていくのが清浄道である。
 人は必ず間違いを犯すし、煩悩に衝き動かされて愚行をしてしまうものだ。
 不善業を作った事実は変えようがないが、そのまま放置すれば心は汚れたままとなるだろう。
 だが、懺悔の瞑想をして、己の非を認め、同じ誤ちを繰り返さないことを誓い、これからは正しくきれいに生きていくならば、心は浄らかになっていく……。

 

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7/1(日) 欲望と怒りの経験、暗い記憶、ネガティブな情報は、今の一瞬を汚染させるだろう。

 

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6/30(土) いったい何が、一瞬一瞬の正確な情況把握を可能にし、正しい決断と意志決定に導いているのだろう。
 学んできたこと、経験してきたこと、これまで生きてきた過去の全てが束になり、まとめ上げられた情報の力による。
 どの瞬間にも、過去は現在と交差し、今、この一瞬を輝いて生きることができるのは、過去の力による……。

 

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6/29(金) 過去の記憶をことごとく葬り去ってしまえば、過去から自由になれるのだろうか。
 医学史上、最も深刻な記憶喪失は、7秒後には一切の記憶を失ってしまう英国人元指揮者だろう。
 見舞いに来た妻が帰った途端に、なぜ見舞いに来てくれないのだ……と留守電が入る。その留守電を残したことを忘れて、えんえんと同じメッセージが留守電に入り続ける……。

 

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6/28(木) 無常に崩れ去っていったものばかりなのに、いかんともしがたく終ってしまったことなのに……、なぜ、過ぎ去った事象に束縛され、苦しみ、今の一瞬の判断や意志決定にまで影響されてしまうのだろう。

 

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6/27(水) 事実なのだから、過去は変えようがない……。
 そう思い込んだ事実が、その人にとっての「真実」になっていく。
 眼からウロコが落ちるまでは、過去は揺るぎない不動の真実に見える。
 だが、物事の見方も人生観も世界観も変われば、絶対だったはずの事実がまるで別物のように思い出されてくる。
 何でもないと思っていた自分の過去が許せなくなり憤りを覚える人もいれば、恨み続けてきた忌まわしい日々が黄金のように輝き出す人もいる……。

 

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6/26(火) 煩悩に苦しむ私たちに、無傷な心はなく、ネガティブな記憶を持たない人はいない。
 起きてしまった出来事に人は傷つき、過ぎ去ってからも、思い出しては怒りを覚え、怨みや悲しみの情念が去来する。
 事実は変えようもなく、起きたまま、在ったがままである。
 過去の事実を変えることはできないが、しかし、認識を変えることはできる。
 エゴの視点から見ていた事実が、ダンマの視点から眺められる……。
 心の清浄道とは、そういうことである。

 

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6/25(月) サティの瞑想が、「過去からの逃避」になっている人たちが少なくない。
 心が汚染されている人ほど、「反応系の心に問題などない。過去はすべて過ぎ去ったことではないか……」などと言う。
 「私の心は過去に囚われ、まだ汚れています」と自覚のある人は、心の清浄道を正しく歩んで行けるだろう。
 今の瞬間に力業で集中し、必死でのめり込み、サマーディだ、瞬間定だ、と瞑想が進むことにこだわっている人たちがむしろ危ない。
 快楽に溺れ「現実逃避」をする人が多いように、現在の瞬間に釘づけになって「過去逃避」をしようとしている人たち……。

 

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6/24(日) 多くの人が過去に縛られている。
 これまで生きてきた自分の人生に、恥じるところ、悔いるところ、否定すべきところは何ひとつなく、我が人生の全てを完全に受け容れ、絶対肯定できる、と言えるだろうか。
 母に対し、父に対し、すべての家族に対し、友人や仕事仲間、恋仲だった人、上司や後輩など、これまでに自分が結んできた人間関係は、ことごとく良好な印象とともに記憶のフォルダーに収められ、安定し、揺らぐことはないのだろうか。
 心にトラウマ(心理的傷痕)やかすり傷は残っていないか。
 劣等感は、後悔は、恨みは、悲しみは、嫌悪は、過去に対する忸怩たる想いは……すべて手放され、皆無なのか。
 ……もしそうなら、反応系の心は真っ白で、潜在意識にもさらなる深層意識にも問題は何ひとつ残されてはいないだろう。
 無意識に抑圧しているものが何もないのだから、現在の瞬間にすべての注意を100%、完全に注ぎきれる体制が整っていると言える。

 

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6/23(土) 誰もが現在の瞬間に集中しようと思っている。
 ヴィパッサナー瞑想に限らず、「今、ここ!」「Be! Here! Now!」等々、現在の瞬間に心を釘づけにしようと日夜修練に励む人達が世界中にいる。
 なぜ「修練に励む」かと言えば、何もせず普通にしていたのでは現在の瞬間に心を止めることが難しいからである。
 人の心というものは常に妄想が充満していて、過ぎ去ったことを思い出しては暗転し、明日のことを思い煩い、捕らぬ狸の皮算用で胸を高鳴らせている……。

 

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6/22(金) @瞑想の基本的理解と心構え、A正しい修行技術、B日々の継続、C瞑想の前提である五戒、等々は必要条件だが、それだけでは十分ではない。
 D反応系の心に汚染が残っていれば必ず頭打ちになるし、E「波羅蜜」と呼ばれる徳がなければ、瞑想をさらに進めていくことはできない。
 この瞑想者がセオリ竏鋳ハり今の瞬間に淡々と集中できたのは、諸々の条件をバランス良く整えていたからだと思われる。
 C五戒に基づいた生活だったことは言うまでもなく、@ABについては既に述べた。
 特筆すべきは、最大の難関であるD反応系の修行にあまり問題がなかったことだろう。
 必然の力で然らしめられたかのように、稀有な瞑想が淡々となされていった要因は、ここにあったかもしれない。

 

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6/21(木) それにしても、なぜ、このような稀れに見る美しさを呈しながら、基本中の基本を確実に実行していくことができたのだろう。
 さらなる背景が広がっていた。
 第一に挙げるべき要因は、普段の生活の中でしっかり瞑想ができていたことだろう。
 今年3月の千葉短期合宿に参加するため、この瞑想者は毎日1時間弱の瞑想を自宅で続けながら備えていたが、その合宿が終っても気持ちが乗っていたので、そのまま同様の瞑想を続け今回の合宿につなぐことができた。
 仕事と生活に追われながら瞑想する厳しさを心得る者にとって、これは並大抵のことではない。
 だが、成功の要因はそれだけではなかった……。

 

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6/20(水) ただ、基本中の基本が確実に実行されていただけ……という結論は、ひどく私を喜ばせた。
 これが、ヴィパッサナー瞑想の魅力だとも思った。
 握り拳の中に隠されたものは何もなく、ただ一所懸命、淡々と、誰にでも開かれているセオリー通りに実践していった果てに、1度目も2度目も、寸分たがわぬ正確さでやり遂げられていった瞑想の一瞬一瞬の美しさ……。

 

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6/19(火) これも、素晴らしいことだ。
 今できること、やるべきことだけに集中し、余計なことは一切考えない。
 「今、ここ」に専念するヴィパッサナー瞑想の核心が淡々と実行されていった結果、ゆくりなくも難しい課題がクリアーされていた。
 思わず見惚れてしまうほど美しかった、あのサティの瞑想の背景には、神秘的なことや特別なことは何もなく、おそろしくシンプルな原理が働いていただけであった……。

 

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6/18(月) なぜ、強力な精進のエネルギーと淡々とした「捨(ウッペカー)」の精神が、見事なバランスで整えられていったのか。
 もう一つ要因があった。
 課題を与えられれば、野望抑えがたし、となるのが人情である。
 この瞑想者は、小さな達成を一つひとつ積み上げていくことによって、余計な妄想の介入を阻止したのだという。
 与えられた課題をいかにクリアーするか、とは考えず、こんな難題はたぶん無理だろう、そんなことよりも、今できることを確実にやり遂げたい。
 経験上、細大漏らさずの集中を、2往復なら続けられる。
 それが達成された時、よし、あと1往復だけなら何とかなるかもしれない。もう1往復がんばろう。
 それも首尾よく達成されると、そうか、では、あと1往復チャレンジしてみよう……。
 こんな風に、今できること、できそうなことを確実に、粛々と完成させていくことに徹していたのだ。

 

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6/17(日) 間違った前提→不正確な理解→妄信→爆発的なエネルギーの発露→悲劇的結末……の流れも、いたるところに見受けられる。
 誰もが、「私は正しい」「これこそが真理の道だ」と思い込んでいる。
 互いに掲げた「正義」と「正義」とが激突する。
 無明の闇から立ち昇る善意と善意が傷つけ合う……。

 

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6/16(土) なるほど。
 新しい課題に対する期待もプレッシャーもあるだろうが、湧き上がってくるはずの妄想には目もくれず、ただひたすら基本の実行に専念していたか……。
 この当たり前なセオリー通りの仕事が、なかなかできないのが実状なのだ。
 なぜ、この瞑想者には、それができたのだろうか。
 それは、やるべき仕事の意義を完全に理解し、その重要さについて徹底的に心得ていたからだろう。
 何事も上手くできないのは、いや、迷いなく、全ての注意を傾け尽くして専念できないのは、よく解っていないからだ。
 「疑」を晴らしてくれる正しい理解。理解によって揺るぎなく定まっていく「信」。「信」に支えられて自然に発露する「精進」のエネルギー……。

 

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6/15(金) 「特別なことは何もしないで、ただ基本のステップをセオリー通りにやろうと決めていただけです。<離れた>→<進んだ>→<触れた>→<圧>→…の各ステップの前後に間を取って、溜めを作り、余韻を感じる。……あれが、やはり基本だと思っていますので」
 と内情を説明されたが、音楽の喩えが言い得て妙だった。
 「ドラムの場合、ダブルストローク、パラディドル……とだんだん複雑になっていきますが、基本中の基本である<一つ打ち>が完璧に打てることに尽きるんです。
 そのように、歩く瞑想も、余計なことを考えずに、基本の「離れた」→「進んだ」→「触れた」……各ステップの一つひとつのセンセーションを、どこまで完璧に捉えられるか。感覚が生起してくる最初の瞬間、その変化のプロセス、そして滅の瞬間に至るまで、とにかく丁寧に実感し、集中しようと思っていました……」

 

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6/14(木) これほど見事なサティを目の当たりにし、その美しさの由来を問いたださずにはいられなかった。
 一体どのような意識の張り方をして、2時間余の長丁場を「一所懸命、淡々」と乗り切っていったのか。
 首尾一貫した精進のエネルギーと静けさの絶妙なまでのバランスは、どこから来ていたのか?
 その答は、驚くべきものだった。
 いや、あまりにも当たり前な、当然過ぎる答だったと言うべきか……。

 

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6/13(水) 一所懸命がんばっているのに、強引なエネルギーがほとばしる力業の印象は微塵も感じなかった。
 サマーディに没入しきった忘我の表情も、信仰タイプの神がかりの雰囲気も、常人とはかけ離れた特別なものは何もなかった。
 ただ、絶妙のバランスが印象深かった。
 初めての経験に、当然のことながら興味と喜びを覚えていただろう。
 その結果、精進のエネルギーが高まるのもセオリー通りである。
 しかし、それ以上でもなく以下でもない分量と強さで、淡々とした静かさが全身に満ちているように見えた。
 「喜」「精進」「軽安」「集中」「捨」など諸々のファクターが、「サティ」の心所に統合されている稀有な光景に、思わず見惚れていたのだろう。

 

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6/12(火) 「熱心に取り組んでいるうちに、順調に展開していくのが楽しくなってくる。
 それでいて、何ごとも所詮この世のことと達観しきった無関心が同居している。
 興味と無関心、活性化と沈静化、そして、対象との合一感覚が対象を客観視する距離感と拮抗する……。

 

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6/11(月) 「精進」そのものが悪いのではない。
 怠惰を打ち破るにも、どんな物事を成就させるためにも、そして瞑想にも必要不可欠のファクターである。
 ギラギラと精進がひとり突出して暴れまわるのがよくないのだ。
 矛盾の統合が、ヴィパッサナー瞑想である。
 相反する諸々のメンタル・ファクターが絶妙のバランスで統合されていく瞬間に、瞑想は最も高い領域に参入していく。
 精進のアクティブなエネルギーは、心に満ち渡っていく静けさの度合いと等しく釣り合ってバランスが取られなければならない……。

 

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6/10(日) こうした課題を与えられると俄然ヤル気が出て、物凄い精進のパワーを発揮する人が多い。
 だが、過剰な精進の力がほとばしる様子はあまり美しいものではない。
 強引な力業でねじ伏せようとする荒々しさに、野卑な印象が伴う。
 何がなんでも結果を出そうと無理矢理がんばる背景には、エゴの欲も垣間見えてくる。
 存在しているものの本当の状態を、ありのままに観る瞑想の本質にそぐわないものがあるのではないか……。

 

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6/9(土) 機械仕掛けのロボットのようなテンポの正確さが疑わしかったので、さまざまな追求を厳しくかけてみた。
 しかし、一瞬一瞬のセンセーションのリアルさを実感し続けていたことに間違いはなかった。
 最初に達成した2時間3分は決してビギナーズ・ラックではなかったことが見事に証明されたと言えよう。
 2時間余の長丁場を、最初も2回目も同じクオリティーでやり抜けたことが類まれなことだった。
 思わず見惚れてしまうほどの、彼のサティの美しさは何に由来していたのだろうか……。

 

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6/8(金) 何はともあれ、課題の2時間がギリギリでクリアーされていたのは慶賀すべきだった。
 問題は、歩行に伴うセンセーションを正しく実感し続けていたか否かである。
 サマーディが高まってくると、多くの瞑想者がヴィパッサナーから脱線し、サマタ感覚に陥っていくのが通弊である。
 「離れた」→「進んだ」→「触れた」→「圧」→と一日中繰り返しているうちに、いつの間にか脳内イメージとして焼き付いた印象の方に集中が高まっていってしまうのだ。
 リアルな現場の感覚を毎回取り続けるよりも、無常の法則を受けない脳内コピーの方が、楽だし心地よいし集中しやすいし快感ホルモンが分泌されてくるし……、かくしてサマタ瞑想に陥っていく人が後を絶たない……。

 

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6/7(木) やがて祈りが成就したかのように、絶妙のタイミングで終わりの瞬間がやって来た。
 瞑想者の心の中で暗黙に発せられているラベリングが聞こえてくるかのような足取りだったが、壁際の折り返し点で最後の一歩を置こうとした瞬間、プツンとサティの切れるのが見て取れた。
 ああ、終わった……という波動が伝わってくるのと同時に、ゆっくりと首を回してこちらを見た眼と私の眼とが合った。
 『よくやったね、さあ、面接室へおいで』と言葉にはしなかったが、手指のジェスチャーで示し、最後の面接が始まった。

 

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6/6(水) 慈悲の瞑想を参加者全員にも拡げると、自ずから「捨」の瞑想へと展開していく。
 合宿のプログラムが遅れれば、ただ遅れただけのことであって、予定どおりに進行してもしなくても、何が良いのか悪いのか、本当のところは解らないし、どうでもよいのだとも言える。
 所詮この世のことは何が起きても起きなくてもそれで良いし、起こったことは、全て正しいのだ。
 この瞑想者も、他の修行者も、道場の中も周囲の情況も、この世の一切の有情無情が、絶対的調和の相の下に、ただなすべきことがなされ、本来のあるべき姿に整い、ダンマが顕わになりますように……。

 

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6/5(火) 何度面接に呼びに行っても、静かな美しいサティに乱れが生じる瞬間を見出すことができなかった。
 人の気配の消えた能面のような面持ちで、目を閉じ、淡々と、彫刻が音もなく移動するかのような歩行瞑想だった。
 最後の一人になった面接に誘いたいのだが、こちらから声をかけ、これ程のサティを人為的に壊すことは到底できなかった。
 最終法話の時間が迫っている。
 この稀有な瞑想がさらに続いて欲しかったが、一刻も早く面接も終了させなければならなかった。
 いかんともしがたく、腕を組み、慈悲の瞑想をしながら、見つめていた……。

 

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6/4(月) 言葉を交わし概念のやり取りをする会話中にもサティ・モードを続けることは至難の業で、ほぼ不可能とみてよいだろう。
 したがって合宿の面接では、瞑想の集中が破れている修行者を選んで招来するよう配慮をしている。
 翌日は最終日となり、瞑想修行も正午までとなった。
 「一瞬もサティを切らさずに2時間以上」という課題に再び挑んでいたその瞑想者は、いつ目撃してもまったく付けいる余地のない見事な瞑想をしていた。
 初回に達成した時と同様、一挙手一投足から純粋なサティが浮かび上がってくるかのような雄姿だった……。

 

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6/3(日) 厳密にサティを入れ、法と概念が仕分けられても、次の瞬間、真実だったものが、ただの過去の情報となり、妄想の素材の一つになっていく。
 情況も、人の心も、時代も、世界も、無常に変滅していく……。
 崩れていく事象、色褪せていく真実……。

 

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6/2(土) 事実をあるがままに観る能力には個人差がある。
 修行などしなくても、公平に、客観的な物の見方が、自然にできる人がいる。
 生来の資質もあるが、とどのつまり、そういう脳の使い方をしてきたからである。
 難しいタイプもいる。
 言葉やイメージなど概念に反応する度合いの激しい人。
 自分の立場からしか物が見えない自己中心性の強い人。
 ひとたび信が定まると、身も心も委ねきって、怒涛のようにのめり込んでいく人……。

 

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6/1(金) 真実の状態を正しく観る人もいれば、真実を信仰する人もいる……。

 

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5/31(木) 本物だと確信している限り、偽の体験は、当人にとっては真実であり続ける……。

 

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5/30(水) サマーディが高まってきてからのレポートは、さらに深刻である。
 通常意識でも、心の中のイメージと現実を見誤るのは日常茶飯事で、多くの人の人生苦の源になっている。
 それに輪をかけ、極度に集中が高まったサマーディの状態になってくると、しょせん脳内イメージに過ぎないものが極めてリアルに、生々しい現実感覚を帯びて心に迫ってくる。
 その内容が、長年求め続け待ち望んできたものであるならば、事実誤認が起きてしまうのも無理はない。
 欺く意志など毛頭なく、大真面目に本気のレポートをしているのだ。
 とはいえ、そのレポートを真に受けていたのでは、正しい適切な方向づけを提示するのは難しい。
 多くの苦い経験から学んだことである。

 

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5/29(火) 先生に良く思われたい、気に入られたい、と誇張した表現や嘘の混じったレポートをする人は、さすがにヴィパッサナー瞑想では少ない。
 いやしくも、あるがままの事実の世界と、心が作リ出した概念の世界とを厳密に仕分け、真実の状態をたじろぐことなく洞察していく瞑想を、自分の意志で選んで着手したのだ。
 偽りのレポートをして褒められる虚しさほど、ヴィパッサナー瞑想にほど遠いものはない。
 誰も、「本当のこと」をレポートしているのだ。
 ただ、それが紛うかたなき事実から来るものだったのか、思考から来るものだったのか、自分でも分からずに報告しているだけに過ぎない……。

 

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5/28(月) 長年の経験から、期待はできなかった。
 まれに無欲で臨めても、なんらかのアクシデントが発生して、結局できないのが通例である。
 たとえそれだけの実力があっても、カルマが悪ければ、事が成就することはないものである。
 ……ところが、この瞑想者は、一瞬もサティを切らさないで2時間以上クリアーするという難題を、見事に再びやってのけた。
 ホンマかいな……と疑うのは当然である。
 瞑想者の自己申告のレポートを鵜呑みにして次のインストラクションをしていたのでは、とんでもないことになる。
 必ず我が目で現場を観て、当人のレポートがどこまで正直かつ客観性のある正確なものだったかを検証しなくてはならないだろう。

 

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5/27(日) 「もう一回やってみましょう。同じことが再現できたら、マグレではなく本当に実力だったことが証明されるよ。明日の昼まで、まだ時間はたっぷりあります。たとえできなくても、余力を残さず、全力を出し切って下山できるのは清々しいものです」と励ました。
 がむしゃらな精進の力業でもぎ取ったような達成は、もう一度渾身の力を振りしぼることができれば可能だろう。
 しかし、この事例のように「一所懸命、淡々と」のセオリー通りの瞑想をもう一度繰り返せる人はほとんどいない。
 必ず欲が出るのだ。
 何度でも快を繰り返し求め、不快を避けようとするのが生命の大原則である。
 素晴らしい成果が得られ、達成感を味わった者が、夢よもう一度、と二匹目のドジョウをまったく狙わず、初回と同様に淡々と無欲かつ無心で事に臨める……。
 そんなことは通常あり得ないのだが、しかし、それこそがヴィパッサナー瞑想者の目指す方向だろう。

 

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5/26(土) 理想の具現化や目標の達成が悪いわけではない。
 弊害も多く、それゆえにドゥッカ(苦)も発生してしまうということだ。
 眼前の事象をありのままに観て、その本質と因縁の流れが正しく読み取れるならば、そして、我執を捨て、ただ必然の力に従いきっていくことができる時に、人は最高の仕事をする。
 そのための、ヴィパッサナー瞑想。

 

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5/25(金) どのような現象も、無量無数の因果が働いた必然の展開だったのだ。
 一所懸命、淡々と、なすべきことがなされ、当人にとっては記念碑となる成果が得られた。
 だが、素晴らしい達成であればあるほど、また繰り返したいと欲が出て、「無欲」という初期条件が崩れていくのも人情である。
 狙えば狙うほど二度と同じ体験が起きることはなく、堂々めぐりの袋小路に何年も迷い続けている人もいる。
 ああ、もうこの体験は二度と起きなくても良い。ただ自分にできることを淡々とやっていくだけだ……と心から諦め、手離せる心境になると、不思議にまた同じ体験が再現されるのもパターン化している。

 

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5/24(木) 面接の番がきたので呼びにいくと、座る瞑想の最中だった。
 正面に立って眺めているとちょうどサティが切れたので、階下に来るよう指示した。
 当人は、「なんでこんなタイミングよく、サティが途絶えたのがわかるんだろう……」と不思議がっていたが、テレビの時報が鳴るように、サティ→サティ→サティ→プツン……という感じで終焉していくのが見て取れた。
 聞けば、きれいに2時間連続してきたサティがちょうど切れたところだったようだ。
 お見事!

 

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5/23(水) 集中力が抜群…というタイプでもなく、事前アンケートには自分でも「普通」に丸をつけていた。
 この課題に初めて挑むビギナーの無欲さが幸いしたのかもしれない。
 「自分でもびっくりするくらい感覚がよくなり、こんなに多くなるのかと思うほど細かなサティが次々と入っていき、そのうち集中度が増していきました」と述懐していた。
 完全に心を開いて安心していられる仲間と、同じ空間を共有しながら瞑想できる喜びも要因の一つである。
 40日前に参加した千葉の短期合宿の余韻が消えやらぬタイミングも良かった。
 「3月の合宿に参加するため一日40縲・0分家で瞑想した。その後も気持ちが乗っていたので同様の瞑想を続け、そのまま今回の合宿に参加した流れが良かったと思います」
 と、本人が物語るように、修行というものは確実に蓄積され、やがて花開く日がやってくる……。

 

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5/22(火) 一人の瞑想者が印象的だった。  その歩行瞑想の姿からは、人間が消えて、ただ一つひとつの「サティ」だけがクッキリはっきり浮かび上がってくるかのように見えた。
 眼を閉じて、ひと足一足のラベリングがこちらにも聞こえてくるような正確な足取りで、壁沿いに静々と歩みを続けている姿は、柔らかいシリコンのような素材でできた機械仕掛けのようでもあった。
 ド迫力の集中で一気呵成に2時間のノルマ達成後、精根尽き果ててダウンしてしまうタイプとは程遠いものがあった。
 その静かな印象は、彫刻が音もなく移動していくかのようにも見え、平素見慣れていた顔が能面のように端正な容貌に変わっていた。
 長年多くの瞑想者の修行に立ち会ってきたが、これは綺麗なサティだな……と思わず見とれてしまった……。

 

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5/21(月) 24時間体制のサティを7日8日と続け、集中力の熟したタイミングでこの課題に着手するのが恒例だったが、今回は合宿2日目の朝からスタートした。
 一瞬のサティも切らさない緊迫した瞑想を、最低2時間以上持続させなければならない。
 遠くで急ブレーキの音がする。車のイメージが浮かぶのは許されるが、バイク好きの友人が跳ね飛ばされている光景が浮かんでから「音」「聞いた」とサティを入れたのでは遅い。サティを一つ落としているので、リセットして最初からやり直しという厳しさ。
 この修行を厳密に達成するのは至難の業で、ほとんどの人は10分もできない。イメージが次のイメージと繋がってアウト、脳内で文章が2つ続いてアウト、とリセットの連発となる。
 しかるに、2泊3日の短期合宿なのに、現象→サティ→現象→サティ→の厳密な連続状態を一瞬も途切れさせることなく2時間突破を見事にやってのける人も現れた……。

 

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5/20(日) この修行が始まると、道場内の空気が一変する。
 音を消した動画のように、超スローで階段を昇り降りし瞑想室を黙々と往復している姿からは、人間というより「サティ」という名の動物のような雰囲気が漂ってくる。
 人の気配が消えた温もりのある生きものが、夕闇の迫った座禅室で静かに音もなく呼吸しながら座り続けている……。

 

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5/19(土) この課題に取り組むと、多くの人が「今まで本当のサティができていなかったことに気づきました」などという。
 一瞬もサティを切らさない厳密さに挑戦してみると、基本中の基本である「法と概念の仕分け」すら実はおぼつかないものだったことに愕然とする……。
 断片的な思考や一瞬の判断、所感等々をすべて完璧に対象化するサティは、このような仕掛けを施されないと全うするのが難しい。
 どんな思考も必ず対象化して思考だったと確認する原則。
 思考モードを徹底して離れた世界に留まり続ける「忍耐」の修行……。

 

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5/18(金) 初心者はまず、Aのサティの持続性を心がけるのが良いだろう。
 純粋なサティを入れている瞬間だけは、妄想だらけのエゴモードを一時的に離れることができている。
 たとえ思考やイメージが浮んだとしても、出現した最初の瞬間に確実にサティを入れ続けて、イメージとイメージ、思考と思考の団子状態にしないのがポイントである。
 今回の合宿では、この厳密なサティの持続性を課題にした。
 10日間合宿でも、終盤に提示される課題である。

 

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5/17(木) 幸福を追い求め楽受を満喫しても、深い叡智が得られることはなく、心が成長することはあまりない。
 必然の力で展開した失敗や挫折やさまざまな苦しみこそ、やがて智慧の発現に結晶していくであろう掛けがえのない現場なのだ。
 苦の現状をあるがままに受け止め、その由来を心得、真相を究めていく。
 ドゥッカ(苦)がなければ、悟りの公式である四聖諦も開かれず、仏教に足を踏み入れることもできない。

 

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5/16(水) 智慧と直結したBのような高度なサティは、仏教を総合的に実践し、諸々の条件が整った完熟状態にならないとあり得ない。
 集中は訓練できるが、智慧は人生全般に関わるので自然に熟していくのを待つしかなく、もし意識的に目指すのであれば、まず自分に与えられた人生をしっかり生きることだ。
 一切の事象は因果の帰結であり、いかなる人のどのような人生もそれ以外にはあり得なかったのだ……。

 

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5/15(火) 妄想だらけの頭では、純粋に現在の瞬間を捉えるのは容易ではない。
 さらに難しいのは、自分自身の体の現象や心の現象を対象化し、客観視することである。
 もし、@のサティの基本が正しく実践できたなら、自己中心的なエゴを乗り超える仏教の真髄に参入していくことができるだろう。
 妄想に巻き込まれず、今の瞬間の自分に気づいてラベリングすることはできるが、果たしてどこまで正確に「客観視」ができ、「対象化作用」が機能しているだろうか。
 形どおりにサティを入れることはできても、そのクオリティはピンからキリまで千差万別である。
 サティの成長を目指す……。

 

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5/14(月) サティが甘ければ修行は進まない。
 サマタ瞑想で最も重要なのは「サマーディ(三昧)」という集中のファクターだが、ヴィパッサナー瞑想では「サティ」という現在の瞬間に気づく力が基本である。
 サティの成長には3つのポイントがある。
 @今この瞬間の自分の状態を対象化し客観的に気づく要素。
 Aその気づきのモードを切れ目なく連続させる持続性の要素。
 B集中と智慧のファクターが連動することによって、対象の本質を直観する洞察の要素。

 

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5/13(日) 今回の短期合宿は、参加者全員がグリーンヒルのスタッフだったので、気の置けない身内のような感覚でスタートした。
 見知らぬ人と打ち解けるまでには多くのエネルギーが費消されるが、それは推測や配慮、心配、不安など膨大な妄想が無意識のうちに脳内を駆けめぐることでもある。
 そんなマイナス要因が最初から除かれ、お互いに気心の知れた法友として安心感と親和的な雰囲気に包まれていた。
 徳を積んできた波羅蜜の力を証しするような目覚しい成果を得た方が多かったが、これもその要因の一つだろう。

 

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5/12(土) 母の介護と葬送に一区切りついたものの、まだ膨大な残務整理が山積している中で、3年ぶりに八王子のグリーンヒル瞑想研究所での合宿を再開した。
 その日を待ちわびながら、グリーンヒルのダンマ活動を支えてきてくださった方々にも恩返しをしなければならない。
 手始めに4月末の連休に、2泊3日の短期合宿を行なった。
 完全な沈黙行に徹し瞑想のみに専念するリトリート体制では、共に瞑想をする者同士がさまざまな影響を相互に受け合うものである。
 優秀な瞑想者が多いと全体のレベルは高くなり、居合わせた者は強い力で引き上げられていくような印象を受けるだろう。
 逆もまた真なりで、引き上げるエネルギーと引きずりおろすエネルギーはしのぎを削り合っている。

 

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5/11(金) 瞑想は、孤独な営みである。
 たった一人で世界全体と対峙しているかのような思考が去来するのもごく普通のことである。
 同じ空間を共有しながら瞑想する者の間に不和があったり、見知らぬ人に対する緊張や不安があれば、ネガティブな妄想が連なる妨害要因になるのは言うまでもない。
 縁あって共に瞑想する人々に対して、丁寧な慈悲の瞑想をしなければならない所以である。

 

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5/10(木) それはないだろう、という確信がある。
 心の底に何かが抑圧されていれば、なんとなく重たい嫌な感じや、濁った感覚が一瞬、駈け抜けていったりするものだ。得体の知れないネガティブな印象がふと浮かび上がってきたりもする。
 だが、心のさざ波が静まり、一面に見渡されてくる水底のどこにも、何もない。
 目を閉じてさらに耳を澄ませ、降り積もった柔らかい土中の奥深くまで感じてみても、秘められた悲しみやネガティブな印象が押し込められている形跡はなく、シンとして晴朗な感覚が広がっている……。
 母の死が受容されているのは確かなことのように思われる。

 

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5/9(水) 津波に家族を呑み込まれ、ひとり生き残った被災者が語る。
 「家族を喪ったのに、涙ひとつこぼれなかった。……7ヶ月経って、初めて涙が流れ落ちた」
 別の被災者は、こう語る。
 「感情を閉じ込めていた1年だった。何も考えないように過ごしてきた。今になって、やっと音楽が聴けるようになった。悲しい訳でもないのに、ポロッと涙が出て、自分でも不思議に感じた……」
 心の奥底に深い悲しみが封印されたまま、仕事に生活に復興に忙殺され時が過ぎていく……。
 母の死を受け容れているがゆえに悲しみに襲われることがないと書いたが、やがて私も「悲しみの二番底」に引き込まれるのだろうか……。

 

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5/8(火) 「怒り」は「対象を嫌う心」と定義されるが、「悲しみ」もその質や程度によってさまざまな段階があるものの、怒り系の心に分類されるだろう。
 愛する人の死を受け容れたくないと拒否し、喪失という現実を打ち消し嫌う心が根底にある。
 いくら否定し嫌ったところで、動かしようもない事実は認めるしかなく、受け容れざるを得ないのだが、でも、悲しい……。
 「悲しみ」は否定であり、攻撃性の乏しい消極的かつ内閉的な怒りである、と言うこともできる。ネガティブな現実を受け容れざるを得ないのだが、嫌で嫌でならない……という心の葛藤状態。
 どれほど忌まわしい現実であっても、それが完全に受容された瞬間、悲しみは姿を消す……。

 

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5/7(月) 「きぬ聖苑」という名の火葬場に着くと、機械的なテンポで淡々と事が進行し、別離の感傷に耽る暇もなく、母の遺体は火葬炉の中に送り出されていき、2時間後には人の形に白く焼き上がった骨の残骸に変わり果てた……。
 骨揚げをしても、骨壺に納まった母の遺骨を前にしても、悲しみはなかった。
 死者への執着も事ここに及べば吹っ切れるのが一般的だと言われるが、もとよりそのような印象が去来することもなかった。
 母の死はすでに受容され、私の中で完了していたものと思われる。

 

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5/6(日) 私の人生にとって最重要人物だったお方との永訣の朝だった。
 花で埋め尽くされた棺の小窓が閉じられると、母の遺体は子や孫や親族の手で、住み慣れた居室から出棺されていった。
 門の外には近所の方々が勢ぞろいし、襟を正して立ち尽くしていた。
 「皆様、母の葬送のために結集していただき、心より篤くお礼を申し上げます」
 と喪主としての挨拶をし、深々とお辞儀をした。
 霊柩車の助手席に同乗すると、母の亡骸を載せた車は静かに滑り出していった。
 命が途絶え、母の生涯に終止符が打たれ、生前の面影を留めていた物理的な痕跡も完全に抹消されようとしていた……。

 

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5/5(土) 母の遺体を火葬に附す日がやってきた。
 死に装束を施した遺体には、今なお圧倒的な存在感があった。
 集合した親族によって次々と手向けられていく花が、母の棺を美しく飾っていった。
 母の死を受け容れられずに執着する感覚は皆無だったが、美術品の散逸を惜しむかのように、花に飾られ美しさと静けさがいや増した遺体を灰にしてしまうのが切なかった。
 母を喪った事実ではなく、母の生涯が凍結したかのような凛としたデスマスクが物理的に滅び去ってしまうことへの愛惜……。
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5/4(金) <傍らに立って、かの神は、次の詩句を以って、尊師に呼びかけた。
 「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」
 (尊師いわく、竏停・)
 「かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、、顔色が明朗なのである。
 ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。
 竏停・刈られた緑の葦のように」>
 「神々との対話」 サンユッタ・ニカーヤ第1集 第1篇 第1章 第10節 P20」

 

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5/3(木) 人は、今の瞬間の事実に苦しんでいるのではない。
 消え去ってしまった現実は、もはや「過去」という名の妄想に過ぎない。
 苦しみは、その「過去」にしがみつき、囚われ、執着する精神から発生してくる……。
 それゆえに、聖者たちは、今のことだけで暮らしている……。

 

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5/2(水) 日々経験する一瞬一瞬の出来事が、刹那刹那に消滅して、記憶のフォルダーに雪崩れ込んでいく。
 その記憶された情報の整理の仕方が「生きる」ことだ、と言ってもよい。
 落下する滝の流れのように、一瞬一瞬、脳内滝壺の記憶世界に集積されていく現実……。
 かつては現実だった「過去」に縛られて、人はドゥッカ(苦)の人生を生きていく。
 もし、心を空っぽにして、あるいは、過ぎ去った一切の出来事の情報から解放されて、今の瞬間瞬間を生きることができたなら、人生苦のほとんどは無化され、存在というシステムの苦だけが残るだろう。

 

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5/1(火) いい歳こいて、何をバカなことを……と笑われそうだが、純白の棺に横たわって静かに眠っているような母の姿を前にすると、母の生き甲斐にまでなった愛しい人形たちに別れの挨拶をさせたくなった。
 死にまつわる儀式は、残された者の想念世界を整えるためのものである。
 そして、生きることは、過去の記憶をどのように整理していくかの問題でもある。

 

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4/30(月) 母の認知症治療の一環として始めた人形セラピーだったが、いつの間にか母にとって福助たちは本当の家族同然の存在と化していった。
 即興の腹話術をしてきた私の想念世界にも膨大な思い出が層をなしている。
 小さな子供たちに言い聞かせるように、「さあ、今夜で、お母さんとも永遠のお別れだよ。最後の挨拶をしなさい」と言い、自分で福助を操りながら答えた。
 「はい。……お母さん、長い間、いや短い間かな、可愛がってくださって、ありがとうございました。福助も豆太郎も、お母さんと一緒に暮らさせてもらって本当に幸せでした。
 お母さん、生まれ変わっても幸せになってね。福助、来世はお母さんの子供に生まれたいな、と何度も言いましたよね。もし耳たぶの大きい子が生まれたら、福助だと思って可愛がってくださいね。
 お母さん……、さようなら。ありがとうございました」

 

 

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4/29(日) 遺体が残っている間は遺族の心の中で「死」は完成しないと言われ、日本人は特にその傾向が強いという。
 確かに、生前の面影を生々しく留めた遺体には圧倒的な存在感があり、遺族の心を整理するために、何らかの儀式や儀礼を執り行なって「終了感」をもたらすのは理にかなっているだろう。
 雨戸を閉ざした寒い部屋にドライアイスに挟まれて横たわっていた母の遺体は、まだ美しさを失わなかったが、その肌に触れれば氷のように冷たく、柔らかかった耳たぶもカチカチに冷え固まって「死」の現実を突きつけてくる。
 火葬に附す前夜、福助と豆太郎に母との告別をさせ、記念の写真を撮影した。

 

 

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4/28(土) いつ出会ってもニコニコ笑顔で、純朴と人の良さでは右に出る者がいない近くのお爺さんが、近所の方々と連れ立って最後の別れに来られた。
 控えめな方だったが、この時も終始無言で末席に佇んでいた。
 白巾が外され、母の死顔を見るや、眼を真っ赤にし、喉仏をヒクヒクさせながら、ただただ悲しみに暮れていた。
 最後まで一言も喋らずに帰られたが、ストレートに伝わってくる哀悼の真情に、私の眼にも涙が溢れて流れ落ちそうになった……。
 「共感」の力を感じた。
 2年間、挨拶と微笑以外には何も話したことがなかった方だが、最愛の家族と心ゆくまで和みあった後の一体感のような感覚が残った。
 誰もいなくなり、母の遺体と私だけが独り取り残されたが、いつまでも心が温かかった……。

 

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4/27(金) 母に残された大事な絆だった近隣の人々に、今生の別れとなる最後の見舞いに来てもらうべきか否か悩んだ。
 だが、痰の除去などで苦悶の表情を続ける母の姿を人目にさらすのは残酷すぎるのではないかとの思いを捨てきれなかった。
 まだ生々しい存在感を伝えてくる母の遺体が残っている間に、親しかった近所の方々に心おきなく別れを惜しんでいただくことができたのは、火葬までに与えられた十分な時間のおかげだった。
 一人で来られた方も連れ立って来られた方々も、誰もが母のデスマスクの気品と美しさに讃嘆の声を上げられた。
 普段は挨拶以上の話は滅多にしないのに、母の死が仲立ちとなって、近隣の方々と深く話すことができた。
 死は、即座に転生してしまう当人ではなく、残された者のために存在する……。

 

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4/26(木) 人間の本性の醜さをこれでもかと露呈させる大都市という構造。
 長い歴史と伝統の中で、できるだけ苦を少なくして過酷な現実に耐えていこうと、さまざまに進化させてきた生きていくための知恵……。
 実家の界隈は特別だよ……と多くの人に言われたが、少ない人口でお互いに助け合い見守り合いながら育んできた優しさこそが人類の歴史だったのではないか。
 食料を分け合い共同で子育てをしなければ、とうの昔に絶滅していた人類。
 その700万年の歴史の中で、都市化という異常な暮らし方が徒花のようにはびこったのはたかだか1000年にも満たないのだ。
 苦の本質に向き合ってしか生きていけないが故に、種として育まなければならなかった人類のもう一つの側面について考えさせられた介護の日々であった……。

 

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4/25(水) 長生きをすれば、友人も親族も次々と死んでいき、一人取り残されていくのは避けられない。
 老いの苦を構成している要因の一つである。
 最後に残されるのは隣近所や町内会の人々だが、郷里に住んで2年、東京のような大都市と田舎との落差の大きさは衝撃的だった。
 生まれ育った土地には先祖代々続く家も多く、生涯住み続けていく共同体が互いに思いやる暗黙の気遣いと優しさに心を揺さぶられた。

 

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4/24(火) どんな命も事物も現実の存在というものは、苦の本質を無言で突きつけてくる。
 それは、厳密な手続きで妄想を排除していくヴィパッサナー瞑想の修練を重ねなければ、見えてこないものだ。
 無明の闇に覆われた心が不正確にとらえた現実。それが記憶に収められると、さらに余分なものが捨象され整えられた印象となり、金色の夕陽のように美しく甘美な、過ぎ去った遥かな日々として浮かび上がってくる……。
 長い年月をかけてじっくりと熟成していく飲物のように、記憶が年代物になればなるほど印象のデフォルメが進行し、甘美さが極まっていく……。
 そんなことも、母の死によって改めて教えられた。

 

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4/23(月) 「**ちゃん、遊ぼ!」と、子供時代にはただ会いたいので素直に訪ね合うことができたのに、長じると事務的な用件や必要がなければ間遠になっていく関係……。
 久しく会っていなかったのに、母の死が取り持ってくれた親族との再会は、懐かしい過ぎ去った日々を次々と目が眩みそうになるほど美しく浮かび上がらせてくれた

 

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4/22(日) そのM家の次女と三女が連れ立ってお悔やみに訪れて、母のために涙を流し死を悼んでくれた。
 M家との60余年に及ぶ親交の深さには親族以上のものがあり、お互いに心を完全に開くことができた。
 私たちは母を追憶しながら、堰を切ったように、幼い頃の懐かしい記憶を語り始めた。
 一つの記憶の断片は他のさまざまな出来事や情景と結びつき繋がり合い、燐めくように飛び交った。圧倒されたのは、そんな思い出の一コマひとコマの美しい印象と鮮明さだった。
 いったいどこに、これほど鮮やかな記憶が収納されていたのか不思議だったが、タイムスリップに時の経つのを忘れていた。
 かけがえのない人の死を共に悼むとはこういうことなのか……と感慨があった。

 

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4/21(土) 母の親友だったMさんには三人の娘がいたが、長女を癌で喪い自慢の婿にも先立たれ、今は隣接して住む三女と暮らしていた。
 夫のM氏は、過去世の縁としか思えない尋常ならざる愛し方尽くし方で、私を実の息子のように可愛がってくれた。
 いつ伺ってもM氏は愛情と敬意のこもった微笑で私を迎えてくれたが、あまりにも私を可愛がるので嫉妬を覚えるほどだったと、三女が後年笑いながら明かしたこともあった。
 優しくてお人よしで底抜けに明るいM家の居心地の良さは、我が家以上だと感じたことが何度あったことだろう。
 M家の佇まいは、木目の傷や掛時計の文字盤にいたるまで、私の生家と区別がつかないほど記憶に深く刻まれている。
 M氏の訃報に接した時、40歳を過ぎていたのに私は泣き崩れてしまった。
 それほど深い悲しみに襲われたことに驚いたが、父親との間に長い確執があった私は、知らぬ間にM氏の中に父性を託していたのだとその時に理解した……。

 

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4/20(金) 通夜が明けると、弔問の客が次々と訪れてきた。
 母の遺体が火葬されるまでの3日間は、永遠の別れを惜しむために与えられたかけがえのないものだったが、それは、久しく会うことのなかった懐かしい人々との再会のための時間でもあった。
 幼い頃毎日のように遊んだ従兄弟や親族、家族同然に親しかった幼なじみ達が、母の遺体に手を合わせ泣いてくれた。
 溢れるような思い出とお悔やみの言葉に込められた母への真情に、悲しみが一瞬、胸を走り抜けていった。

 

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4/19(木) 苦しい人生が劇的に変化する感動に支えられてもきたが、全てがバラ色の幸福の絵に塗り替わって永遠に続く……などということがあろう筈はない。
 業があれば、苦の現実は苦のままである。
 それゆえに、どんなドゥッカ(苦)も受け入れれば終わっていく…というダンマの確認が繰り返されていった。
 苦楽も失敗も成功も、一切の事象を等価に観て、淡々と無差別平等にサティを入れていく瞑想を続けていくうちに、こんなことを述懐するようになっていた。
 「何もうまくやる必要もなく、苦を避ける必要すらなく、ただ今という目の前にある物事に気づいて、力を出すことを惜しまずに、淡々となすべきことを成していくだけなのだと、美しい春の朝の道を歩きながら実感していました……」

 

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4/18(水) 千葉の海辺の短期合宿で、掌から零れ落ちる洗面の水に衝撃を受けた方は、瞑想に着手して3年半、一日瞑想会や朝日カルチャー講座を何クールも受講されてきた。
 この方のように法と概念が仕分けられる瞑想体験をしても、ただそれだけのことに終わる人もいれば、心の変容につながっていく人もいる。
 心が静まり返ろうが、集中力の極みに達しようが、サマーディも瞬間定もどんな瞑想体験も、智慧の発現に結びつかなければ、心の清浄道が進んでいるとは言いがたい。
 この方の瞑想のモチベーションが一貫して維持されてきたのは、苦しい人生だったからだろう。

 

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4/17(火) 瞑想を始めればすぐに華々しい成果が得られると勘違いするのは、多くの初心者の通弊と言えるだろう。
 初めて瞑想会に来て、「上手くいきませんでした。どうしてですか?」と真顔で訊かれる方も珍しくない。
 一度も触ったことのないピアノやヴァイオリンを初めて習った日に、「どうして上手くできないんですか?」と訊く人がいるだろうか?
 何事も修練を繰り返すことによって、新しい脳回路が形成されていく。
 定着させるのも容易ではないが、維持するのも、さらに進化させるのも大変なことである。
 どんな技能もスポーツも演奏も瞑想も、同じなのだと心得る。

 

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4/16(月) だが、ヴィパッサナー瞑想に正しく着手しても、生来の資質や傾向が手のひらを返したように変わることはない。
 急激な変化には反動があり、一時的な決意や戒めや外圧によって抑え込まれていたものは、やがて形状記憶合金のように元通りになっていく。
 ヴィパッサナー瞑想に出会い、くらくらする程のカルチャーショックを受け、物の考え方も行動も生活も別人のように一変したのだが、1年経ち2年経ちするうちに次第に失速し、浮かない顔で惰性に従っていたある日、忽然と姿を消していくような人もいる。
 ゆるやかに、少しづつ変化していくのが人の心である……。

 

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4/15(日) 「これほど厳密なサティを持続させられるとは思いませんでした。短期合宿だったのでなんとか持ちこたえられました」「いや、疲れました…」と感想を述べた方のほうが多かったかもしれない。
 精進過剰になれば疲労困憊するが、正しいやり方で修行している限り必ず結果がついてくるだろう。
 ヴィパッサナー瞑想を教え始めて17年目になるが、多くの瞑想者がこの瞑想システムの正しさを証ししてくれた。
 すぐに結果を出す人もいれば、何年やっても瞑想体験と呼べるものが得られない人もいた。
 不正確なやり方や自己流にアレンジしている人たちである。
 そんな人たちが正しいやり方に修正すると必ず結果を出してくれたお蔭で、確立されたシステムの力というものに揺るぎない確信を持つことができた。
 成功例も失敗例も、物事の構造的理解を深めてくれる……。

 

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4/14(土) 今回の短期合宿は全体にレベルが高く、今までで一番よい合宿だったのではないかと印象を述べたスタッフもいた。
 初心者らしからぬ熱心な瞑想者がたまたま結集するという僥倖に恵まれた合宿だった。
 歩行瞑想も喫茶の瞑想も、いついかなる時にも緻密なサティをおろそかにしない、迫力ある姿を互いに見せ合うことで、全体の修行レベルが上昇スパイラルに巻き込まれていく。
 さぞやヘトヘトになったであろうと、そんな姿を何度も目撃した瞑想者の一人に、後日訊ねてみた。
 すると、「初めての合宿でしたが、まるで天国にいるような3日間でした。いつまでも修行していたい、下山したくないと思っていました」と微笑みながら答えた。
 過去世がしのばれる……。

 

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4/13(金) それでもインストラクターとしては、上手にレポートをまとめているだけではないか……と疑っておくべきだろう。複数の体験を重ねて検証の精度を増していかなければならない所以である。
 2泊3日の合宿の最終日に、この瞑想者は次のような体験をしている。
 「もう修行できるのもあとわずかとなり、1階の部屋で歩く瞑想をしていたとき、急に障子に陽が当たり、それまでただ白と認識していた障子に、サーッと漉き影があらわになり、複雑な模様がくっきりと見え、それは、グレーのような金色のような、白のようなとても複雑で、光と影が折り重なった不思議な物体に見えました。
 その瞬間、『概念』という言葉が実感されました。障子が白いと思っていたのは、私の『概念』に過ぎなかったのです」
 昼も夜もただサティの瞑想に励むだけの瞑想合宿で、法と概念の仕分けが明確になり始めた瞑想者の初々しい姿が浮かんでくる……。

 

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4/12(木) この瞑想者は、子供の頃からヘレン・ケラーが大好きで、何度も自伝を読み返してきた。
 井戸水が溢れてヘレンの手を伝っていく瞬間に、なぜ三重苦のヘレンがたったそれだけのことで「水」の本質的理解、文字、名前を理解できたのかがずっと疑問だった。
 しかし、千葉の海辺で迎えた合宿の朝、洗面の動作にサティを入れ、蛇口から落下してくる冷たい水を両手に受けた瞬間、長年のその謎が解けたと思った。
 「水」と概念が結びついた衝撃に貫かれたヘレン・ケラーとは逆に、一切の概念と切り離され、ただ法として存在している「水」そのものが意識に触れてきた感動だったが……。
 眼も見えず、耳も聞こえず、口もきけないヘレンが、なぜ、あれほどまでに理解し、表現し、活動し、未来に希望を持つことができたのか。
 三重苦であったがゆえに、六門からの情報を総合し概念にまとめることができず、結果的にヘレンは純粋知覚の法のみを拠りどころにした出発点に立っていたのではないか……。

 

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4/11(水) 7日前に紹介した、仕事能率がスーパーマンのように上がった事例に戻ろう。  この瞑想者がサティを持続させていった潔さは初心者の鑑とも言うべきものだったが、法と概念の仕分けという、もう一つの目指すべき方向でも成果が見られた。
 「……歯を磨き、口をゆすいだ後、顔を洗おうと両手に水を受けたその時、蛇口の水が手に当たり、その水が掌いっぱいに広がり、ふくらみ、波打ち、手の外側を伝って零れ落ちるさまが、スローモーションのように、透明で、つるつる光るゼリーのように感じ、その突き刺すような冷たい感覚が手の中央から外側に広がっていき、一瞬なのに、とても長く感じられました。『水』とサティが入り、今までの私の中の『水』は単なる概念であり、本当の水の姿ではなかったのだと実感していました……」
 まるでヘレンケラーのような体験だったと当人も述懐していたが、法と概念の差異が検証された好例と言えよう。

 

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4/10(火) 脳がクリーン化され仕事効率が上がるだけなら、ただそれだけのことであって、清浄道の瞑想にとってはさしたる手柄でもない。
 サマーディが完全に成立したところで、そんなものは「現世の楽住に過ぎない」と一蹴されてしまう経典もある(→削減経)。
 瞑想で能力開発が進めば、出世して賞讃されるかもしれない。
 その結果、金遣いの荒い天狗になったりしたら、どうするのだろう。
 慢や貪りの煩悩に汚染された心からも、ドゥッカ(苦)が生じる。
 自然に与えられたものはことごとく受け取りながら、淡々と心の清浄道を歩んでいく……。

 

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4/9(月) 孤独な瞑想者は、誰からもどこからもノーチェックゆえに独善的になる。
 考えごと瞑想の産物に過ぎないと気づけなければ、感動して舞い上がる。
 レポートを上手に文学的にまとめる瞑想者もいるし、追跡調査を丁寧にやらないと、見破れないケースもあり得るだろう。
 自分の経験を本物と認定してくれる先生に出会えるまで、あちらの寺こちらの僧院と遍歴する修行者も珍しくない。
 誰からどんなお墨付きが得られようとも、自分の体験を疑い迷っているなら、その実感に忠実であった方がよい。
 見るべきものを正しく見た人に生じる、揺るぎない心底からの確信……。

 

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4/8(日) のんびり考えごとをする思考もあれば、光のように速い思考もある。
 どちらも思考モードであることに変わりはない。
 頭の中に仏教や瞑想の知識を詰め込んだ人が瞑想にハマるのはよいが、一瞬の思考やイメージに無自覚だと困ったことになる。
 思考の産物に過ぎない概念や妄想を、ダンマだ、智慧だと称して自惚れる。
 似非悟りの問題は、ブッダの時代から現代まで連綿と引き継がれている……。

 

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4/7(土) 思考へのサティが甘い人は、何年瞑想を続けていても、指摘されるまで気づくことができない傾向がある。
 だから、本人は妄想などしていないつもりでも、調子が良いと得意になったり、反対に沈んだり落ち込んできたり、飽きてきたり……と微妙な気分の変化がなぜ去来するのか分からない。
 微かな情動が起きていることにすら無自覚なのだ。
 「食べ過ぎたかな?」「あれ、何してんの?」「あの人は、たいしたことないな…」「お、凄えッ…」「ああ、来てよかった…」「ハア…、腹減った…」
 ……こうした断片的な思考を平気で見逃すというより、思考モードが始まっていることに気づいてもいないのだ。
 「妄想は出ていなかったと思います」
 「では、中心対象のセンセーションはクリアーでしたか?」
 「いや、別に普通でした……」

 

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4/6(金) 同じ事例が誰にでも起きるということは、四六時中サティ・モードを維持しようと頑張った人の脳回路に同じようなネットワークが形成されているのだろう。
 妄想という名のゴミやホコリで回らなくなっていた機械がオーバーホールされるように、思考を徹底的に対象化していくサティによって脳の働きがクリーン化される。
 余計な情報処理をする必要がなくなる。
 今の瞬間への集中が良くなる。
 精度がアップする。
 仕事効率が良くなる……。

 

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4/5(木) ほぼ同じ体験を、これまでに多くの方が重ねてきた。
 瞑想の才能には格差があり、持って生まれた資質の影響が大きいが、こうした体験が起きにくい人の特徴は3つある。
 @正確なやり方をしていない。初めて合宿に参加された多くの方が、ここまで厳密に、正確にやるのか……と驚かれるが、セオリー通りやらなければ、当然、成果は出ない。
 A短い思考や妄想の処理が甘い。「なるほどそういうことか……」「こんなんじゃダメだ」等々、短い判断や所感などに無自覚で、思考モードが抜けきれないケース。
 B持続性・一貫性の欠如。やれやれ疲れた…と喫茶のサティを休憩代わりにしている人。就寝前や入浴時に不用意に短い会話を交わしている人。サティに専念もするが、見物モードになって周囲の人や環境を眺めたり、ムラのある人。

 

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4/4(水) このレポートをされた方は、2年前に同じ場所で同じ期間合宿に入られたが、瞑想の学びは得たものの体験としては何も起きなかった。
 今回は厳しくサティ・モードの一貫性を心がけた。前回は、宿舎間の移動距離が長いため、通常モードで歩いたり、超スローで緻密なサティを入れたり、疎と密のムラがあったのを反省し、改めたのだ。
 その修正が上手くいったのは、次のような表現に窺える。
 「時間はたっぷりあるのだから、十分集中して過ごそう。……いつどこで何をしていようと、することはサティを入れるというただそれだけなのだから、たとえどんなに移動に時間がかかっても、何も気にする必要はない、と妙に落ち着いた心持だった」
 さらに、「宿舎から瞑想堂へ向かって歩く瞑想をしていると、かなり集中がよく、体に触れる風、匂い、目に入る景色のそれぞれに、ラベリングが伴うような、伴わないような微妙なサティが入っていて、さらに自分が今悩んでいる仕事のことや瞑想上の悩みなどがうっすらと感じられ、そのどれにも気づいているが、しかしとらわれていないという感じの状態になっていた……」
 これは、非常に微妙な自覚しづらい思考にも厳密に気づきが保たれている見事なレポートであると言ってよい。

 

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4/3(火) 千葉の短期合宿に参加された方からこんな報告が寄せられた。
 <合宿の翌日、山のように溜まった仕事に、しばらくは残業続きになるのを覚悟しながら出勤しました。ところが、なぜか自分でも分からないうちにアレヨアレヨという間に仕事が片付き、3日はかかると思われた仕事がたった1日で完了。翌日もやる気満々で、ガンガン仕事をこなしていたら、部下に言われました。
 「係長、いいですねエ。羨ましいほどですね。お休み取った甲斐がありましたね」
 言われてみて「ああ、修業の成果なんだ」とやっと気づきました。
 今まで慈悲の瞑想で救われたことは何度もありましたが、効率の面で、これほどまでの効果を実感したことはなく、改めてヴィパッサナー瞑想の威力にびっくり。
 このところ物忘れが激しくなっていく一方だったので、瞑想でこんなに明晰になれるなら、もっと修行しようと意欲がモリモリ湧いてきました……>

 

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4/2(月) 人は、必ず誤ちを犯すし、失敗をする。
 あらゆる事象から、学びを得ればよいのだと腹をくくる。
 しょせん夢のように消えていく楽受を貪っても心は成長しないが、ネガティブな事象は痛切な教訓を心に残してくれる。
 人も、物も、出来事も……、無言で、力強く教えてくれている……。

 

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4/1(日) どんなことも、起きたことは正しい……。
 それでよかったのだ。
 それ以外にはあり得ようのない必然の力で、起きるべくして起きたことだったのだと知る。
 どれほど努力しても、そうなるべく定められていた事は、いかんともし難い流れで、結果としてそうなってしまうのだ。
 避けようもない業の力が働いていたのだから、仕方がないではないか……。
 そうなるだけの原因、そういう結果を受けなければならないような事を、かつての自分がしてきたのだから、受け容れる他はない……。
 その苦受を甘んじて受けることによって、苦受を受け容れる一瞬一瞬、それを現象化させていたエネルギーは消えていくし、現れたものは役目を終えて終息していくのだ……と心得る。

 

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3/31(土) 「どうしたら、捨てられないものを捨て、別れられない人と真の別離ができるのでしょうか」
 「事実を事実として認める精神というか、現実を受け容れる能力でしょうね」
 「どうしたら、現実を受け容れることができるのでしょうか」
 「今はどこにも存在しない、ただかつて在っただけのものを手放すことができますか……」
 「大切な人は忘れられません。」
 「心から捨て去る必要はありません。思い出の一つひとつを検証し、どんなネガティブなものも、それが事実だったことを認め、受け容れて、肯定することができれば、心の本来あるべきフォルダーにきちんと納まってくれます。
 そうやって過去が整理されていくと、現実を受け容れる準備が心にできるのです」

 

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3/30(金) 瞑想が終わり、遅れてきた親族も揃ったところで通夜振舞いの寿司を食べながら、期せずして母の思い出や死に至るまでの経緯が堰を切ったように語られ始めた。
 だが、頭の中は、火葬やお別れ会の会葬者など一連のイベントの段取りが去来し、落ち着いて情緒に浸る暇はなかった。
 通夜の客も姉夫婦も皆が帰ってしまい、冷え切った部屋の中でアイスノンに包まれた母の遺体とひとり向き合った。
 火葬場のスケジュールが混み合っていて、母の火葬は3日後の午前だった。
 母と別れを惜しむために与えられたかのような、この存分な時間に心から感謝を捧げた。
 翌日から弔問客が来るたびに母のデスマスクを見せ、溢れるように思い出を語り合い、一人になれば心おきなく母の遺体の前で瞑想し、母との60余年に及ぶさまざまな事柄を総括し、心底からの告別を何度も何度も思い残すことなくできたのだった……。
 悲嘆(グリーフ)を引きずることがなかった所以だろう。

 

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3/29(木) 死者は、この世から完全に姿を消すが、残された者の心の中に留まり続ける……。
 死を悼み、死者を弔うのは、生き残った者が別離を受け容れ、悲嘆や混乱や喪失を回復し、明日に向かっていくためのものだ。
 死は、死者にとってではなく、生き残っている者に突きつけられた永遠の課題であり、通夜も葬儀も、そのために設計された装置ではないのだろうか……。
 かけがえのない人の死とともに、量り知れないものが喪われ、壊れていった。
 その死者に向かって、心の中で、真の別れを告げることができれば、残された人生を続けていくことができるだろう……。

 

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3/28(水) 通夜も葬儀も、死者のためではなく、残された親族や友や関係者のためのものである。
 もし死後に生命が存続しないのであれば、死の瞬間に全てが絶無になっているのだから、死者のためにできることなど何ひとつない。
 魂も中有の存在も認めない原始仏教の死生観では、死の次の刹那には、再生の最初の瞬間である「結生識」が接続し、転生後の新たな命の営みがスタートする。
 1秒と経たぬうちに輪廻転生が完了しているのに、夜になってから皆が集まって涙し、亡くなった者のために善き再生を祈る……など理に合わないだろう。
 通夜とは、何だろうか……。

 

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3/27(火) 祭壇に遺影を飾り、24時間持つ花型のロウソクに火が灯され、螺旋の線香が一筋の紫煙を立ち昇らせていく。
 夜になって調達された大きな花束が活けられると、通夜の準備は整った。
 原始仏教を信奉する遺族にとっては、世間の常識的宗教儀礼は意味を持たない。
 当初の予定通り、N子さんやKさんを混じえ最期まで母に寄り添っていた親族を中心に、母の遺体を囲み瞑想をするだけのささやかな通夜をした。
 母を祀る祭壇の前で順番に線香を立て、合掌し、パーリ語で三帰依と五戒を唱和してから、各自が瞑想に入っていく。
 だが、厳密なサティの瞑想に集中すれば、一切の概念を離れた出世間モードになり、通夜の意味をなさなくなるだろう。
 純粋な瞑想ではなく、沈思黙考する黙想に近い形で、死者への祈りと想い出や愛着などの概念を心の中で整理していく営み……。

 

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3/26(月) 「お母さん、きれいな心で美しく死んでいくことが、人生最後の大仕事だよ」と、死をオープンに語り合ってきた2年間だった。
 だが、もし母が断末魔の苦しみに悶え、恐怖や怒りの不善心所で最期の瞬間を迎えることになっていたら、一番の介護ポイントが否定されたような、情けない理不尽な想いを禁じ得なかっただろう。
 まるで、あと一歩で山頂の登攀に成功、という次の瞬間、足を滑らせて転落死してしまうような結末ではないか。
 お母さん、人生の掉尾を飾るように、美しい死顔で旅立ってくれてありがとう。
 過酷だった歳月でしたが、無事ゴールのテープが切れました……。
 白無垢の母の遺体の美しさは、最終ゴールを駆け抜けて走れなくなっているランナーに与えられた、燦々と輝くメダルのようにも見えた。
 そのとき心の中を去来したのは、そんな安堵と達成感だったろうか……。

 

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3/25(日) 姉とN子さんに伴われ、母の遺体が自宅に搬入されてきた。
 葬儀社のN氏の手で、母の遺体は白無垢の装束に包まれ、真珠色の光沢を放つ純白の上掛けの中に横たえられていった。
 まだ微かに温もりが残っている母の遺体には、森閑とした美しさが漂っていた……。
 不思議なことに、悲しみよりもむしろ、安堵感と達成感が混じり合ったような、苦楽で分類するなら「楽」に近い心が感じられた。
 なぜだったのだろうか……。

 

 

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3/24(土) 利益本位のどこにでいる田舎の葬儀屋さんを想定していたのだが、私の担当になったN氏とこれほど話が合うとは思いも寄らなかった。
 母の葬いがすべて落着するまでに数えきれないほど顔を合わせ、打ち合わせを繰り返していくうちに、N氏の人柄、誠心誠意な対応、心地よいソフトな語り口、葬法や仏教についての該博な知識、葬儀の未来についての見識等々にすっかり感心させられてしまった。
 いつの間にか仕事の話が脱線し、時を忘れて話し込んでしまうこともしばしばだった。
 たとえ一期一会のビジネスパートナーであっても、互いに信頼し合って仕事を進めていける感覚が素晴らしかった。
 文房具屋で買物をしている瞬間も、宅配便を受け取っている瞬間も、葬儀の段取りを相談している一瞬一瞬も、小さなキラメキを放ちながら人生のひとコマを飾っているではないか。
 世事に不慣れな私が母の弔いを完了させることができたのは、ひとえにこのN氏に支えられ助けられたお蔭だと心から感謝することになっていく……。

 

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3/23(金) 死を悲しんでいる暇もなく、葬儀社への連絡や病室の明け渡し、遺体を迎える自宅の準備、通夜や葬儀の諸事万端で心はいっぱいだった。
 ダンマにしか関心がなく、およそ世事に疎い私のような者が喪主として総てを取り仕切らなければならなかった。
 のみならず、伝統的な葬式とはかけ離れた独自の葬いを執り行なうので、誰にも任せる余地がない。その途方に暮れそうな感覚は、言葉が思うように通じない外国で、独り犀の角のように修行していた日々を思い出させた。
 だが、困り果てた時に必ずのように不思議なお助けマンが登場してくるのも私の人生には付きものだった……。

 

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3/22(木) 愛する人の死を受け容れることができなければ、喪失の悲しみが宙に浮く。
 静止画像のように死が凍りつき、過去に閉じ込められ後ろ向きに押し出されていく人生……。
 受け容れられない否定のエネルギーが、過ぎ去ったものに釘付けにする……。

 

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3/21(水) 母の介護物語は、クライマックスの死をもって終わりにすることもできるだろう。
 だが、誰にとっても、愛する人の死をどのように弔い、喪失の悲しみにいかに対処していくべきかは、人生の大問題である。
 原始仏教の死生観を拠りどころにしてきた在家の瞑想者が、どのように母親を葬っていったか、もう少し話を続けよう。
 象たちですら、家族だった仲間の死を悼み、毎夜遺体の下に集まり、前足の爪でその遺骨に触れ、喪われた存在をいとおしむかのように鼻先で確かめる仕草をしたりする。
 母系家族の群れを何よりも大切にし、抜群の記憶力を持った象が弔いの集会に集まってくるのは当然のことだろう。
 死者は、残された者の心の中に生き続けていく……。

 

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3/20(火) 点滴を外すまでの母の形相は思い出したくないほど醜く、大きく口を開いた苦悶の表情が消えることはなかった。
 その母が、点滴を外したわずか4時間後に、こんなに美しく、安らいだ静かなデスマスクに変貌しようとは思いも寄らなかった。
 愚かな延命を続けてしまい、母の人生の最期の日々をただただ苦しみ悶えさせてしまったことが痛恨の極みに思われた。
 だが、人生のどのような事柄もプラス思考に転換せよ、と教えてきた身である。
 死の床に伏し、苦受を受け続ける一瞬一瞬、母は、この世で犯した不善業をたっぷり返済し、負債を返した分だけ身軽になってあの世に旅立って行ったのだ……。
 何よりも、ゆっくりと時間をかけて死んでいってくれたお蔭で、残された者たちは心おきなく、存分にお別れができたではないか。
 そう考えて、自分を責めずに、私になし得る最善の看取りができたのだと肯定していこう。

 

 

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3/19(月) 2012年2月1日午後2時22分、母逝去。享年89歳。
 その10分後にKさんが駈けこんできたが、残念なことに間に合わなかった。
 「……お母さん、長い間お世話になりました。いろいろ教えて頂きありがとうございました……」と、まだ母が生きているかのように、悲痛な響きの伴った別れの言葉が母の耳元に叫ばれた。
 死の直前、まだ確かな意識が残っている間に、最後の思いを伝えたかったろうが、Kさんほど母の心に寄り添って介護をしてくれた方はいないのだから、それで良いのだと思った。
 私自身、もっと明確に、ピンポイントで母の死近心に関わりたかったと悔いる思いが去来した。
 しかし、そんな思いが吹き飛んでしまうほど母の死顔は美しく、安らいだ静かな印象を湛えていた……。

 

 

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3/18(日) 膝の痛みに耐えながら右足を滑らせるように病棟を走り、病室に駆け込んだ。
 母はまだ生きていてその顔は見違えるほど美しく整っていたが、明らかに死相が現れ生死の境にいた。
 姉とN子さんが黙って立っていた。
 「お母さん! ひでおだよ。ひでおが来たよ! お母さん、……お別れだね。長い間ご苦労さまでした。良い人生だったね。……お世話になりました。ありがとうね。本当に、ありがとうね。……お母さん、光り輝くところへ旅立とうね。生まれ変わるよ。何も心配ないよ。お母さん!……さようなら。……ありがとう」
 母はまだ息をしていたが、微動だにせず、私の言葉が届いたかどうか定かではなかった。
 静かに、凍結していくように、生きている母が凛として崇高な亡骸になっていくプロセスが、刻一刻、スローモーションのコマ送りのように移動していった。
 駆けつけた副院長が脈を取り、瞳孔反射を確かめ、静かに臨終を宣言した。
 どの瞬間が「死」だったのだろうか。
 命の火が完全に吹き消された遺体となり、私の母だった人の存在はこの世から滅した……。

 

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3/17(土) 眠っているのか起きているのか、静かに眼を閉じている母の寝顔を黙って見ていた。
 昼前に姉が来たので、点滴を外したことを伝えると、ご苦労様という顔で「わかりました」と言った。
 箱ティッシュや若干の備品を補充しなければならなかったので、後を託してスーパーに買物に行き、自宅に戻って昼食の用意をした。
 葬儀に関する諸々のことが脳裏を去来したが、内臓は丈夫だったし長年に渡って健康管理に気を配ってきた母のことだから、まだ1日や2日は持つのではないかとも思っていた。
 午後になり、「母の呼吸の感じがいつもとちがう」と姉が電話をしてきた。
 素人の判断で当てにはならないと思いながらも、遺体を迎えようもないほど散らかった家の中を大慌てで片付けていった。
 母の様子がちがうので来たほうがいいのではないか、ともう一度姉から電話があった。
 「わかった」と言い、自転車で病院に急行した……。

 

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3/16(金) 副院長と入れ替わるように、看護師がやって来た。
 「……では、点滴を外します」と言い、入院以来1ヶ月間続けられ、腕にも足にも打つところがなくなり腹部に打っていた点滴が外されていった。
 発作が治まっていた母は、静かに目を閉じていた。
 ああ、もう、これでお終いになるのだ、と思った。
 まるで私が死の宣告を下したかのような展開になり、自責の念と罪悪感と破壊の印象が未完成のまま1000分の1秒ほど過ぎったが、サティを入れるまでもなく消滅していった。
 母の幸いを考え抜いた結果の判断であり、迷いもブレもなかった。
 時計を見ると、午前10時28分だった……。

 

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3/15(木) 院長と話をしなければ…と思っているところへ、副院長の先生が診察に来た。
 痰がからまって吸引してもなかなか取れず、母はただ痛みにもがくばかりで、穏やかに寝まる時がなくなっていた。
 「点滴を続けても止めても苦しみは同じだと言われましたが、こんなに苦しまなくては死ねないのですか。この期に及んで、どのような処置を取ろうとも、母が元の健康体に戻れる可能性があるのですか。
 母と私は、この2年間死について何度も話し合ってきました。母はとっくの昔から、当然やってくる死を受け容れてきました。
 母も私も、ただ安らかに、穏やかに、最高の形で死んでいけることを望んできたのです。栄養点滴が結果的に延命の措置となり、母に無益な苦しみを与え続けるだけになってはいないのですか。
 家族としても、また母自身も、安らかに生涯を閉じたいと願っているのです……」
 とっさに浮かんだ言葉だったが、静かに、しかし力強く、明確な発音で意向を伝えた。
 人が好さそうでおとなしそうなタイプの副院長は、気圧されたように聞いていたが、「わかりました」とだけ言って足早に立ち去っていった。
 病室には、母と私だけが残された……。

 

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3/14(水) その日も母の容態は変わらず、呼吸が困難になって苦しみ、痰の吸引をすれば身を震わせてもがき苦しんだ。
 母の意識はハッキリしているように見えたが何も反応せず、コミュニケーションはできなかった。
 自宅であれ病院であれ、最高の形で死の訪れを受け容れることが母に残された唯一の仕事だった。
 何度も死のレッスンを重ねてきたし、臨終間近の状態に入ってからも、死の意味を母に繰り返し確認させ、感謝を伝え、もう十分にやるべきことはやり尽くしてきた。
 これ以上母が苦しみを重ねれば、その苦痛ゆえに善き死近心へと繋がらなくなるかもしれない。
 母は吸引に対して怒っているのではないかとKさんは見ているし、姉たちも母のいたずらな延命を望まない考えをとうに固めていた。
 あとは私の責任で決断を下すだけだった……。

 

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3/13(火) 夜になり、それまで静かな呼吸をしていた母に対し、スケジュール通りに痰の吸引を始めた看護師がいた。
 あわてて止めようとしたが、処置が始まっていたのでそのまま見守っていた。
 処置の技術は丁寧で申し分なかったが、母は寝ている子が起こされたようにひどく苦しむことになってしまった。チューブに血が滲み、眼に余ったので、中止させた。
 今後、時間通りの処置はしないでよい。本人が苦しんでいる時にのみ要望するので対応して欲しいと強く申し伝えた。 母はその後、1時間ほど苦しんでやっと静かになった。
 この期に及んで、母に無益な苦しみを与えてしまったことが申し訳なく、守ってあげられなかった己の不明を恥じた。
 発作→吸引→苦しみ……の連鎖が続き、夜更けてやっと母は寝入った。
 Kさんが病室に泊り付き添ってくれることになっていたので、真夜中にいったん帰宅して短い睡眠を取った。

 

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3/12(月) 母の死に立ち会うべき人は集ったものの、今すぐ臨終の時が訪れる緊迫感は薄らいでいた。
 仮眠や昼食などで誰もいなくなった午後、眼を開いた母に語りかけた。
 「お母さん、いよいよお別れだね。長い間、ありがとう。お世話になりましたね。いつも優しくしてくれてありがとうね。お母さんの子供に生まれて、本当に幸せだったよ。いくら感謝しても感謝しきれないよ。
 ……もうすぐ死ぬけど、何も心配ないよ。死ぬのは一瞬のことで、すぐ生まれ変わるからね。安心して、安らかに逝こうね。綺麗なところへ行くよ。明るいところへ、光り輝くところへ行くからね。みんないるから大丈夫だよ。……お母さん、ありがとうね」
 明確な発音で、はっきりと母の耳元に語りかけた。
 今生の別れかと思うと、涙が溢れてきた……。

 

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3/11(日) 痰や咳の発作が治まり、静かに寝入っている母の表情は穏やかで、呼吸をしていなければ死んでいるようにも見える。
 Kさんは家族をすべて自宅で看取ってきたので、経管栄養や胃ろうなどの延命措置は無論、点滴にも疑問を持っていた。
 当人の苦しみさえ伴わなければ、介護する者は点滴を続けさせようと思うだろう。しかし、生命が自然に死んでいこうとしているのを無理矢理食い止めて、苦しみを長引かせムチ打つのは安らかな死を冒涜しているのではないか……と。
 Kさんの家族は全員静かに息を引き取り、最期まで意識は明晰で、お別れもしっかりできたという。
 院長に改めて点滴の有無を訊ねた。
 「点滴は少量で、止めても続けても苦しさはどちらともいえない。もし浮腫みがひどくなるようでしたらその時は点滴を止めましょう。いずれにしても今日か明日だと思います」

 

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3/10(土) 母の全身に玉のような汗が出ていた。
 熱は37.7度なのだが、体表面はそれほど高くはなくても深部は高いらしい。氷枕に腋下にもアイスノンを挟んで冷やした。
 酸素吸入が増量されてももはや肺にはあまり取り込めず、死が間近に迫っているのは明白なのだが、内臓全般が丈夫だったせいか不思議に持ちこたえていた。
 昼になり黄昏ても母の容態は変わらず、痰がからまり呼吸困難になっては激しい苦痛に耐えながら吸引を繰り返していた。
 夜が深まり、そのまま付き添うべきか迷ったあげく、姉夫婦とN子さん達はいったん帰宅することにした。
 母が眠り続けているかぎり、黙って祈ることぐらいしかできないので、Kさんにうながされ、後を託して私も深夜1時に帰宅し、3時間ほど熟睡して5時前に病室に戻った。
 母は生きていた……。

 

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3/9(金) 病院に朝が来るとにわかに活気立ち、機械音や人声が飛び交い、スケジュール通りのケアをする看護師やヘルパー、掃除をする人、洗濯物を集める人、さまざまな人が入れ替わり立ち替わり出入りした。
 こんなせわしない波動に呑み込まれながら、母が最期を迎えるとは思えなかった。死と再生の聖なる瞬間の訪れにふさわしくない。
 臨終に立ち合おうと、姉やN子さん夫婦、Kさん達が続々と集まってきた……。

 

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3/8(木) いよいよその時が来たか、と腹を定め、夜を徹して母を見守っていた。
 心拍数が一時は「50」まで下がり危篤状態になったのだが、4時40分頃目覚めた母の心拍数は「91」に戻り、血圧も「111&50」にまで回復した。
 看護師さん達の仮眠用ソファーを病室に運び込んでくれたので、1時間ほどウトウトしたが、気が高ぶっていて睡眠モードには入れない。
 起き上がると、母が眼を開いていた。
 枕元に座り、母の体に触れ、語りかけた。
 「お母さん、分かる?……だいじょうぶだよ。なにも心配ないからね。安心して、綺麗なところへ行こうね。明るい処、光り輝くところへ行くんだよ。もう、頑張らなくていいよ……」

 

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3/7(水) その夜、眠りに就いてどのくらい経ったのか、病院から緊急電話が入った。
 「お母さんの呼吸が乱れてきたので、すぐに来てください」
 時計を見ると、まだ夜中の2時40分だった。
 飛び起きて身支度をととのえ、自転車で病院に駆けつけると、院長先生、男性看護師、母の知り合いのベテラン看護師が母の病床を取り囲んでいた。
 「お母さん! ひでおが来たよ。分かる?!」と母の枕元で叫ぶように言うと、母はパチリとマバタキをして答えてくれた。
 院長先生が私の耳元で囁くように言った。
 「今すぐではないが、今日中に逝くでしょう……」

 

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3/6(火) 朝日カルチャーの仕事の合間に、母の安否を確かめた。
 熱は38度2分だが呼吸は穏やかで、意識はしっかりしているので、まだ大丈夫そうだという。
 母は、私が仕事をしている情況を理解しているので、帰りを待っているのではないか……と。
 翌日の1Day合宿の最中に入ってきたメールには、熱が下がり氷枕をはずしたが、声をかけても虚ろで反応がない。息づかいは静かで楽になったように見受けられる。足をさすると目を閉じて眠り始めるが、少しの物音にも目を開ける。静かにしている。心配ありません……。
 といった様子が伝えられていた。
 打ち上げが終わると、スタッフが気を効かせてすぐに帰宅できる手筈を整えてくれた。
 帰りの電車の中で、煎餅と駅のコンビニで買った野菜ジュースとカシューナッツだけの夕食を摂った。
 駅に到着したのが22時30分、病院に行ける時間ではなかった。凍てつくように寒い夜だった。
 何はともあれ、母は2日間生きていてくれた……。

 

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3/5(月) 一瞬の予断も許さないこの期に及んで母を捨て置き、東京へ仕事に行ってよいものだろうか、と考えぬ訳ではなかった。
 だが、瞑想モードで得た自分の直観を信じ、週末の朝日カルチャー講座と1Day合宿の仕事を決行することにした。
 姉もN子さんも付き添うし、何よりもKさんに後を託せるのだ。事あらば仕事を中断して飛んで帰る覚悟で2日間留守にした。
 お母さん、待っててくれよ……。

 

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3/4(日) 院長の往診時や夜間には、副院長の先生が診察に来られた。
 痰を抑えるために抗肺炎薬以外のすべての投薬が中止され、酸素吸入の量が増量されたという。
 その日、待ちわびていた介護の天才Kさんがやって来た。
 すぐに母の枕元に座り、手を取るや、「お母さん、辛いね。……苦しいね」と澄んだ声で語りかけた。なんの迷いもためらいもないその響きに、Kさんが一瞬にして母の心に寄り添い共感しているのが感じられ、胸を衝かれた。
 「……大丈夫だよ。楽になるからね。……怖くないよ。大丈夫だよ。気持ち良くなるよ」と言いながらKさんは母の胸をやさしく撫でてあげた。
 涙を浮かべ、安心しきって身を委ねている母の姿を見ると、死にゆく人に対して、一瞬にして家族以上の一体感で一つになってしまう共感能力に心底脱帽した。
 私以上に母の心に寄り添える者はいないという自負があったが、Kさんには敵わない、さすがプロ中のプロと揺さぶられるような感銘を受けた……。

 

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3/3(土) どれほどの介護をしても、愛する者を見送った家族の心には、もっとして上げられたはずだ、あんなことはやるべきではなかった、言わなければ良かった……等々の悔いが残るものだという。
 新しい本の執筆も定番の合宿も、犠牲にできるものはギリギリまで打ち捨てて、母の介護に徹してきた2年間だった。
 全力を揮ってきたつもりだが、御多分にもれず私も、これまで自分のやってきた介護が完全なものだったなどとは到底思えなかった。
 マイナスの側面にのみ、目を光らせてしまうのだ。
 母の介護日誌のようになってきた「今日の一言」の古い日付を読み直していると、がんばっているじゃないか……と自分を褒めてあげたくなるような記述に出会ったりもする。
 無意識のうちに、いかに自分がネガティブな評価を下しているかにハッとさせられる……。

 

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3/2(金) 同じ会話を3度試みた。
 「お母さん、何か話したいこと、伝えたいことある?」→パチリ→「家に帰りたい?」→無反応→「ここ(病院)でも良い?」→パチリ。
 そうか……とホッとする。
 その30分後に再び「家に帰りたい?」と訊く。すると、パチリとマバタキをして「イエス」の意志表示をする。
 「もし死ぬとしたら、病院でも良い?」→曖昧→「家に帰りたい?」→曖昧……。
 「また元気になりたいと思う?」と別の設問をすると→パチリ。
 え?!……そうなのか。死ぬ覚悟を定めた訳でもないのか。
 こうした短い会話も、体位替えやオムツの交換、痰の発作と吸引などで頻繁に中断され、分かりづらくなっていく。
 「何も話さなくても、ここにいてもらいたい?」→パチリ→「誰もいないと寂しい?」→パチリ。
 このやり取りだけは、いつ訊いても常に明快な回答が返ってくる……。

 

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3/1(木) 母の担当だったベテラン看護師さんのお住まいは、母の親友が営んでいたクリーニング店の真ん前だった。見るからに母性あふれるタイプで、母をよく知っていてくれたこともあり、特に親身な看護をしていただいてきた。
 毎日付き添っているので、私もプライベートなことまで何度も話し込んだりした。
 夜勤明けだったその看護師さんが、「今朝起きたら、お母様涙を流していたわよ。何だったのでしょうね」と言った。
 母が家に帰りたいと言った2日後の朝だったが、やはりそのことに関係があったのだろうか……。90分間も呻き続けるような大発作に苦しみ、ただ苦受を受けるために生きているような日々に涙を流したという解釈もあり得るだろう。
 だが、家に帰れないので泣いていた……と解釈すると、罪悪感に駆られるのを禁じ得ない。

 

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2/29(水) 「お母さん、酸素吸入や点滴をやらないとすぐに死んじゃうよ。家に帰っても、こういう機材を揃えて続行するの大変だよね。……たとえすぐ死ぬことになっても家に帰りたいんなら、目パチンとやって」→無反応→「もう少し病院でがんばるんなら、目パチンとやって」→無反応……。
 もう一度同じことを訊き直すと、「病院でがんばる?」にパチンとマバタキをして「イエス」の意志表示をした。
 しかし真意の程はどうなのだろうか。母の意志を問うたのではなく、私の意志を押しつけたのではないだろうか。
 「もう病院はご免だけど、我慢するしかないと思ってる?」と訊けば、パチリとマバタキをしたのではないか……。
 母がどうしても家に帰りたいと言い張ったら、どうするのだろうか。
 そうしてあげたいが、もう私にはできないだろうと心が定まっていた……。
 お母さん、ごめんね。
 住み慣れた家で死にたい……という願いをかなえて上げられないね……。

 

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2/28(火) もう声は出せないだろうと思っていた母がその日、小さく叫ぶように声を立て、必死に口をパクパクさせて何かを言おうとしていた。
 「どうした? 何かしてもらいたい?」→「イエス」→「体のこと?」→「ノー」→「体以外のこと?」→「イエス」……
 ……マバタキの会話が長引くと疲れてくるので、閃いたことをズバリ提示した。
 「家に帰りたい?」
 母はパチリとマバタキをして「イエス」の意志を表した。
 そうか……。自宅で死にたいという母の念願をかなえてあげるには、今が潮時なのかもしれない。
 しかし、訪問看護師やヘルパーさんの協力を得たとしても、痰の吸引、点滴、酸素吸入、投薬、オムツの交換、2縲怩R時間おきの体位替え……等々を果たしてどこまでやれるだろうか……。
 自分一人が歩くのにも難儀しているのだ。
 自信がなかった……。

 

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2/27(月) 母も私も院長も、延命はしない方針を何度も確かめてきた。
 私の想定していた「延命」措置とは、経管栄養や胃ろうを指している。もし酸素吸入と点滴を止めれば直ちに母は死ぬだろうから、さすがにそれらを止めてくれとは言い出しにくかった……。
 母の看取りに関し、誰よりも腹蔵なく相談できる方は主治医でもケアマネでも家族でもなく、介護の天才Kさんだった。
 認知症の姑を看取り、心臓病の舅を看取り、筋ジストロフィーの夫を看取り、夫の死後やはり筋ジストロフィーだった義妹の介護もしてきた人である。
 身体介護の技術も心のケアも哲学にも一家言を有するKさんに、再び来てもらうことにした……。

 

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2/26(日) 母の顔には不思議なほどシワがなく、女性見舞い客の誰からも「とても89歳には見えない!」とツルツルの顔を褒められてきた。だが、さすがにこの期に及んで頬がこけ始め、耳たぶには細かなシワが寄ってきた。
 その日の母は、開いたままの口から喘ぐような声が洩れ、陸に打ち上げられた魚のように見えた。吸引直後なのにすぐにゴホッ、ゴホッと痰がからまり、引きつけを起こしたように呼吸が停まったり、動物の吠えるような呻き声を立て続けた。
 何度も吸引をかけるが上手くいかず、入院して以来、最も苦しい時間が90分も続き、私は、母の頭に右手を置き、左手で背中をタップし続けていた。
 最後に、鼻から吸引した状態で頭をのけぞらせるように下げて咳をさせ、やっと大きな固まりを吸い取ることができた。
 疲れ果て寝入った母の枕元に座り、苦しむために生を永らえているかのような現状に疑問を感じていた……。

 

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2/25(土) 日を重ねるごとに母の両手は浮腫み、腕には点滴を打つ箇所がなくなり、やがて脚にも打つところがなくなって遂に腹部に打つことになった。
 鼻にチューブを挿し込んで酸素吸入をしてきたが、それでは追いつかずマスク型の吸入に変わった。
 「こんにちは」と福助が現れると母の両目が潤むが、慈悲の瞑想は「やりたい?」にも「やりたくない?」にも無反応だったりする。反対に「イエス」にも「ノー」にも反応して訳がわからなくなったり、マバタキとうなずきが混同して母の心が読めなくなる。
 点滴だけで3週間以上が経過しており、何を訊いても無反応なのは考えるエネルギーがないからかもしれない。「考える力がないの?」と訊くとパチリと答えたこともあった。
 「ただいるだけで良い?」と確かめるとパチリと反応し、ウトウトと寝ては覚めを繰り返す母。……その夢は枯れ野を駆け巡っているのだろうか?
 ときどき目を開いてこちらを見るが、ただ側にいてくれるのを確認するだけで、それ以上の何も考えられないのか……。
 ときどき立ち上がって、母の顔を間近に見つめ、頭をなでたり耳を触ったりしてあげる……。

 

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2/24(金) 母の洗髪をお願いするとすぐに対応してくれるし、看護師とヘルパーの連携によるケアはきめ細やかになされていて申し分がない。
 しかし、最も痛みの伴う痰の吸引を見ていると、丁寧で優しい所作の看護師もいれば、思わず阻止したくなるような手荒な印象の方もいる。同一人であっても日によって異なり、気分やストレスなど精神状態が治療現場に反映しているのが見て取れた。
 痰を取らなければ呼吸が困難になり、口や鼻からチューブが挿入され咽喉を引っかき回しながらタイミングよく上がってきた痰を吸引するのが容易ではない。
 明らかに母は嫌がっていると分かることも多々あるのだが、結局やらない訳にはいかず、これは死ぬ前にできるだけ苦受を受けることによって不善業を消しておくための儀式なのか……と考えこんでしまった。

 

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2/23(木) 晴天の日が長く続いていたが、3日間雨が降り、徒歩で病院に通わなければならなくなった。
 頼みの自転車には乗れず、傘を差し荷物を持って久しぶりに長い距離を歩くと、痛めた右膝が苦しくて霙まじりの路上で何度も立ち往生しかかった。
 自宅で母の介護を続けるのは到底無理な体になっていたのを改めて意識し、絶妙のタイミングで母が入院してくれた不思議さを感じた。
 その母の手足には浮腫みが出て、痰の吸引にもしばしば血が混じり、痛みと苦しさは増すばかりだったが、予告された死は訪れず、今生の別れを告げるべき人にもすべて会ってしまった。
 遠方から見舞いに来る姉にも、他の付き添う者たちにも疲労が見られ、盛り上がったテンションがゆるみ始めたようにも思われた。
 母への感謝も死ぬ瞬間の心得も慈悲の瞑想も何度も繰り返し、さて、何をどうすればよいのか、中途半端な膠着状態の印象だった。
 死が間近のはずなのに、母はなぜ、何のために、こうして生きているのか……。

 

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2/22(水) 母の介護をなんとかここまでやってこられたのは、近隣に住む母の姪N子さんが一貫して介護を手伝ってくれたお陰だった。
 母の入院後も、N子さんはほぼ毎日病室で母に付添ってくれたが、娘同然の情がこもっていた。
 N子さんは、生まれる前に父親(母の兄)が戦死し、幼児期に母親も喪い、祖母の手で育てられてきた境遇だった。私の母と伯母を、N子さんは実の母のように慕ってきたのだから、本当の母娘に限りなく近いものがあった。
 その娘同然のN子さんを、晩年の母はどれだけ頼りにしてきたことだろう……。
 老衰し無力な存在となった母がまさにこの世を去ろうとする時、その母に付添い看取っているのは、かつて可愛がり、真実に愛した者たちだった……。

 

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2/21(火) 「母は昔の人でしたから、子育てに命を懸け、母のすべてを捧げきって愛し育ててくれました。
 子供のために自分を捨てきっているのがひしひしと感じられました。
 優しかった母には、100点満点の愛をいただきました。
 母に愛されたという事実……。
 結局、それでしょうね、私の介護の底力になっていたのは……」
 「やはり、そうでしたか……」
 よく解りましたというようにSさんはうなずかれた。
 「何事も自業自得ですね。人は自分が出力したのと同じものを受け取る法則ですよ……」

 

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2/20(月) 「介護地獄の凄まじさは、身をもって体験した者でなければわかりませんよね。
 親子関係が良くなかった家族は、なんらかの言い訳をして介護をやらないものです。
 親から愛されたと思えばこそ恩返しに看取りをしようと、子は思うものですが、たとえそうした親子であっても、ギリギリのところまで追い込まれた時に、果たしてやり抜けるかどうか難しいところです。
 ……親に不満や怒りを感じたことがゼロの人は恐らくいないでしょう。
 親から95点、いや98点の愛を受けたとしても、わずか2点や5点の微々たる不満やマイナス感情がイザという現場では吹き出てくるのではないでしょうか。
 私の生き方の流儀として、老親の介護は子がやるべきものという信条があります。
 しかし、土壇場になれば理念で押し切れるものではないでしょうね……」

 

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2/19(日) テレパシーなのだろうか。
 電話をしようと思ったまさにその時に、「お母さま、その後いかがですか?」とSさんから電話があった。
 緊急入院し、死へのカウントダウンが始まった時点で、もう二度と母が家に帰ることもデイサービスに伺うこともない旨、伝えてあった。
 施設からすれば死に向かって消えていった大勢の利用者の一人に過ぎないだろうに、母の現状を聞いたSさんは「明日伺います」と即答された。
 翌日、病床に身を乗り出すように声かけをしてくださるSさんに、黙って視線を向けることしかできない母になり代わり、3年間優しく見守ってくださってありがとう、お世話になりました、と礼を述べ、感謝の想いを伝えているうちに泣きそうになってしまった。
 介護と福祉に生涯を捧げてこられたSさんにはキリスト教のシスターの雰囲気が漂っていて、「信仰をお持ちなのですか?」といつか訊いてみたかったが、切り出せなかった。
 すぐに帰られるものと思いきや1時間半も見舞ってくださったSさんから、逆に私が質問されてしまった。
 「ご家族とはいえ、なぜ、そこまでの介護ができるんですか?」

 

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2/18(土) 母が礼を述べ別れを告げるべき最後の人は、3年通ったデイサービスのセンター長だろうと判断していた。
 母の人となりを正確に把握して見守っていただいてきたが、職員にも利用者にも明るく優しい雰囲気が満ちていたのは、Sさんのマネジメント能力に拠るものと思われた。
 母が一番の楽しみにしていたオセロを教えてくれたのもこのセンターだった。
 「利用者の方々に私情を差し挟んではいけないのですが、お母様にはどうしても惹かれるものがあって、特別の思いが入ってしまいました」と述懐されていた。
 そのSさんに会いたいという母のマバタキも明確だった。
 老人介護施設もピンからキリまでだが、自分で自分のことを守りきれなくなっていた母が人生の最後におだやかな時間を安心して過ごすことができたのも、Sさんの統率力があったからである。
 別れの挨拶をしなければならない……。

 

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2/17(金) 翌日の夜、「お母さん、今日はなんだか疲れちゃったので、1時間早いけど帰ってもいいかな?」と訊いた。
 母は、パチリと瞬きをして「帰ってもよい」と意志表示をした。
 弱者への迷いのない反応だと思った。
 誰でも老衰が進むにつれ、歩けなくなり食べられなくなり喋れなくなって、一人では排泄もできず赤ちゃんのようにオムツを使うまでになっていく。
 生存にかかわる全てを人に介助してもらうのが当たり前になり、心もそれに比例して、幼児がえりする傾向が現れると言ってもよい。
 無垢になっていく、と賞賛する考えもあるだろうが、小児的エゴイズムに退行していくと言えないだろうか。
 たとえ無力な存在になり死に瀕していても、母性や母心にスイッチを入れられると、途端に自分以外の誰かを守ろうとし、助けようと反応し、もらうことよりも与えることが第一になってエゴ感覚が弱まっていく。
 いつ死ぬかは時間の問題となった母には、幼児的エゴに帰った状態ではなく、母性の気高さを保持した死近心で逝去してもらいたかった。

 

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2/16(木) 誰が見舞いに来ても母が言葉をしゃべることはないのに、福助と一緒に唱える慈悲の瞑想の文言だけは声帯を震わせ声を出そうとする。
 いったい母は慈悲の瞑想にどんな特別の思い入れがあるのか分からないまま、まったくやれない日や途中で続かなくなり中止する日が増えた。
 死のレッスンもさすがに同じことの繰り返しとなり、一日の大半は眠っているのだが、たとえ目覚めていても互いに沈黙したままどうコミュニケーションを取ってよいのかわからなくなった。
 「お母さん、今日は1時間早いけど、帰ってもいい?」と訊いた。
 すると母は、ダメと首を横に振る。
 「僕がいるだけで、安心するの?」
 大きくパチリとマバタキをした。
 「いないと寂しい?」→パチリ。
 そうか。何も話さなくても、一緒にいるだけでよいのなら、いてあげよう。
 幼児だった頃、たとえ母がかまってくれなくても、家にいるだけで安心することができたではないか……

 

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2/15(水) 認知症は目ざましく好転したものの、母の記憶力の回復は大幅なものとは言えない。それゆえに、これから見舞いに来られる方々を何度も予告し、来訪した方々は折に触れ思い出させて母の記憶を新たにした。
 数時間後には忘れ去られる人もいれば、Oさんのように2日経ってもしっかり記憶に残り、Hさんは3日経っても覚えていた。
 母がKさんの来訪を忘れることはなかった……。
 介護する人や器具によってサポートされれば、人間らしく生を全うすることができるケースは無数にある。足りないものは補いながら生きていけばよいのだ。
 残された時間は、ごくわずかである。死ぬ瞬間まで、母の心が正常に機能する助けになろうと思った。

 

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2/14(火) 1年前の正月にHさんは、桜が咲いて暖かくなったら必ず母を訪ねると約束されていた。こちらから電話をすれば、高齢を押しての見舞いを強いることにならないか気がかりだった。だが、受話器から響いてくる声は若々しく、開口一番、訪問できないまま1年が過ぎたことを詫びられ、「明日伺います」という言葉に真っ直ぐなものが感じられた。
 果たして翌日、母の枕元で「先生!」と呼びかける声を聞いた瞬間、人を思う切々たる心と、70年間も敬慕し続けてこられた思いのたけが直球のように響いてきた。
 改めて、言葉の虚しさと、人の心を打つのはありのままの真情であることに思いを馳せた。
 凛とした声で語られるHさんの生い立ちやご両親との関係を伺いながら、少女だったHさんが生涯を通して母の中に見続けていたものが何だったのか解るような気がした。
 他人でありながら、このHさんほど、母の存在そのものを絶対的に肯定し慕ってくださった方はいないだろう。
 Hさんに一目会いたいと涙を浮かべて母が反応したのも、認知症と老衰で自信を喪失していた晩年の母にとって、かけがえのない心の支えになっていたからではないか。
 私の介護疲れを気づかいお弁当まで買ってきてくださったHさんが、二度と会うことのない別れを惜しみながら去っていくのを、マバタキしかできない母はどのような思いで見送ったのか……。

 

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2/13(月) 当初の想定どおり、2縲怩R日周期で肺炎が治ってはぶり返しながら母の病状は徐々に進行していく。熱が上がれば氷枕で頭を冷やし、呼吸が苦しくなれば酸素吸入が増量される。いつ死んでもおかしくはない状態だが、意識はしっかりしていて小康が保たれている。
 家族は全員、母の死を受け容れる心の準備が整った。会うべき親類縁者の者たちも皆、見舞いに来てくれたが、まだ母には今生の別れを告げるべき人が3人残されているように思われた。
 先だって娘婿に急逝された60余年来の親友がその一人だが、あんなに元気だったのに、脳梗塞で倒れ今は車椅子で完全介護の状態になったという。
 二人目は、まだ若かった母が代用教員をしていた頃の教え子で、70年の長きに渡って母を「先生」と呼んで慕い続けてくださった書家の老婦人である。
 そのHさんが母に寄せる真情は私にもひしひしと伝わり、認知症が悪かった頃の母がHさんの声を耳にするや電話口で号泣したこともあった。
 「Hさんに会いたい?」と訊くと、母は涙を浮かべて強い反応を示した……。

 

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2/12(日) 言葉のしゃべれない幼兒の心を思いやり、サーカスを見せたり動物園に連れて行ったりする若い親のように、私が思いついたことを母に伝え、アレンジされた出来事を黙々と受身で体験していく他はない母。
 思えば、不思議な人生の終末だった。
 眠りこける母のベッドを挟んで、矢継ぎ早に母の思い出を語る旧来の友は、いったい誰と話していたのだろうか。
 母に成り代わったように受け答えをしながら、母と親友の追憶の世界が次々と浮かび上がっては、消えていった。
 思いも寄らぬ母の世界を垣間見るおもしろさに引きこまれ、すっかり聞き上手になって老婦人と心を交わしていたのは、誰だったのだろうか……。

 

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2/11(土) 寝ては覚めを繰り返す母が、Oさんと言葉を交わすことはほとんどなかった。
 すっかり打ちとけて1時間以上話しこんだOさんが「それでは、これで、お暇します」と立ち上がり、母の枕元に立った。
 眠っていた母を揺り起こし、
 「お母さん、Oさんがお帰りだよ。……来ていただいて、本当に良かったね。ありがとう、と言いたいよね。Oさん、お世話になりました、てね。……さようなら、だね」
 福助を操ってきた腹話術の感覚で、とっさに母の気持ちになり代わって別れの挨拶をした。
 「また来ますよ。……元気になってね」
 「お母さん、Oさんに、さようなら、と言いたいよね? ありがとう、と言いたいよね?……言いたかったら、マバタキをして」
 母は、かつての同僚であり親友でもあった人の顔を、赤く潤んだ見開いた目でしげしげと眺め、パチリと瞬きをした。
 「ああ、何でも分かってくださっている……」とOさんは笑みを浮かべた。
 母とOさんが逢うことは、もう、二度とないだろう。
 ……今生の別れだった。 

 

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2/10(金) Oさんの来訪を、母は目を潤ませて喜んでくれた。
 その様子を眺めて、おせっかいなアレンジをしているのではないかという一抹の不安は霧消した。
 入院し死の床に就いてからの母の意識はかつてない明晰さを保ち、認知症という言葉は私の心から忘れ去られていた。それゆえに、マバタキでしか意志表示のできない母が無念でならなかった。
 Oさんは、母とは性格が何もかも反対だったがゆえに、母の謙虚さや忍耐強さに惹かれ、敵を作らず誰の悪口も言わない母に憧れてきたと褒めちぎった。
 しかし誰に対しても一歩も退かずに言いたいことを言う自分に誇りを持っていて、数年前に脳梗塞で倒れ奇跡の復活を果たした物語をNHKのテレビで30分話したことがあると自慢話をされた。
 保健所時代の驚くような母のエピソードをいくつも聞かされ、Oさんを招いて本当に良かったと思った。

 

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2/9(木) 昼過ぎに病室に入ると、熱いおしぼりで母の顔を拭いてあげ、長年愛用してきたVCローションとスクワラン(鮫油)を塗ってあげる。
 死に瀕した母が気持ち好さそうに眼を閉じ、いちばん幸せそうに見える時である。一日中開きっぱなしで汚れた口の中を、歯ブラシで
 丹念にきれいにしてあげるのも喜ばれる日課となった。
 誰かが付き添いにくれば病室を離れ、山積している仕事を次々とこなして病室にもどり、8時になるまでベッドサイドで過ごして帰宅する生活リズムが整ってきた。
 その日は、早い時間に見舞いに来るというOさんを迎えるために、午前中から病室に入った。
 私が間に入らなければ、母とコミュニケーションを取ることはできないだろう。
 母の手足になるだけではなく、母の代わりに、母の人生を生きているような錯覚に陥ってくる……。

 

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2/8(水) 母は定年退職をした後も、嘱託として70歳まで保健所に勤務した。
 最も親しかった管理栄養士の方とは当時から今にいたるまで親交が深く、退職後も母はしばしば泊まりに行ったり、栄養士ご夫妻の車でお花見や新緑、紅葉狩りなどの小旅行に出かけるのを楽しみにしていた。
 同居を始めてから何度も電話をいただいたのだが、母の老衰と認知症を理由に対面する労を取らないできた。
 自分からは何も意志表示ができなくなった母が、有終の美を飾って人生をしめくくることができるか否か、今やすべては私の裁量にかかっていた。
 「お母さん、Oさんに会いたい?」と訊ねると、母の眼が潤み、パチリと瞬きをした。
 77歳になるというOさんと母は、同じ職場で同じ時代を共に生きた戦友のようなものではないか。
 縁ある人に別れも告げず、ひとりこの世を去っていくことはできないだろう。
 母の寝室や居間を探しまわって住所録を見つけ出し、思い切って電話をすると2つ返事で見舞いに来るという。

 

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2/7(火) 長生きをするのは目出たいのかもしれないが、赤子同然の無力な翁や媼になった時、どのように最後の命をつなぎ、人間らしく尊厳を守って死んでいくことができるのだろうか。
 すべては、自ら作ってきた善業と不善業の集積によって決まると心得なければならない。
 人のため世の中のために善いことをしてきただろうか。
 冷たい人間ではなかったか。自分のことしか考えずに人を利用し、迷惑をかけ、苦しませてはこなかったか。
 最後に頼れるのは自らの業のみであり、怖れなければならないのも己の不善業だけである。

 

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2/6(月) デイサービスに通い始めた3年前は、まだ母の体力もコミュニケーション能力も健常者と変わらなかった。それゆえに、誰もが母の謙虚さや協調性や人となりを理解し優しくしてくれた。
 デイサービスに通うことができた最後の日まで、母が大事にされていることが送迎の職員の態度や雰囲気に感じられた。
 一方、初めてショートステイに入った頃の母は、涎を垂れ流し、ほとんど何もしゃべれない状態になっていた。
 この世の縮図ともいえるさまざまな利用者と慢性的に人手不足の職員の間で、母はどのように自分を守り、意志を伝えることができるのか案じられた。
 しかし、母はその施設でナンバーワンの実力を持った男性職員に特に目をかけてもらえ、また、センター長が母と私のケアマネジャーでもあり、私の介護哲学や死生観、具体的な介護アイデア等々を全面的に理解しバックアップしてくれていた。
 口もきけず手足も満足に動かせず、いかんともしがたい無力な存在になり果てた母が、他人しかいない施設で寝起きをしなければならなくなった……。
 だが、こうした背景に加え、姉がショートステイの母を頻繁に訪ねて家族の存在を示してくれたこともあり、母は大過なく守られていたのではないだろうか。

 

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2/5(日) デイサービスでもショートステイでも、総じて母は素晴らしい職員の方々に恵まれたが、どんな優しい関係も家族と同じ距離にまで達することはまずあり得ないだろう。
 血のつながらないKさんから家族以上とも言えるケアと優しさを得られたのは、母の徳の力によるものであり、おだやかで優しかった母の生涯にふさわしいのではないか……。

 

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2/4(土) 母の耳元に顔を近づけたKさんは、かつて母と散歩をしながら歌った懐かしいメロディーを、正確な音程で次々と歌い聞かせていった。
 Kさんが現れると天性の陽の気がこぼれて周囲を輝かせてしまうのが常だったが、今また、全てが母の死に向かってフォーカスしていた病室に一種異様な明るさがみなぎった。
 自らの体によって沈黙を強いられ、何も語れぬ母の脳裏には、まだ元気だったころ、陽だまりの中を行く2人の女学生のように、華やいだ心でシルバーカートを押しながら歌っていた日々が回想されているのだろうか。
 そんな幸福を最晩年の母に与えることができたのは、Kさんだけだった……。

 

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2/3(金) 母の筋肉系の衰えは極限に近づき、手足はおろか指1本動かせず、看護師やヘルパーさんが2、3時間おきに体位を替えて褥瘡を防止している。
 鼻孔には酸素のチューブが24時間挿入され、開っき放しの口は、筋肉系に由来するのか、呼吸が苦しいからなのか。
 だんだん無表情になっていく母の姿は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)が進行していくのを連想させる。
 その日の夕刻、待ちわびていたKさんと母の対面は、終生忘れがたいものとなった。
 「お母さん…!』
 と、呼びかけるKさんの澄んだ声は、聞いた瞬間、心にも体にもゾクッと戦慄が走るような優しい響きに満ちていた。
 母は見開いた目でKさんを認めるや、顔をクシャクシャにして呻くような声を立て、激しく号泣慟哭した。
 空間に響いたのは「お母さん…』というたった一声だけだったが、二人の心に爆発的に広がっていったものに圧倒され、もらい泣きするのを禁じ得なかった。
 30年の歳月と、介護し、介護されてきたこの2年間の万感の想いが一瞬にして爆ぜ、光り輝くかのようだった。
 一瞬にして圧倒的な真情で一つになった二人の心に、どんな言葉が必要だったろうか…。

 

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2/2(木) あれだけお世話になったKさんに対してだけは、母も今生の別れをしなければならないと感じているのではないか。
 たとえ認知症であっても、最愛の家族に対するのと同じように心を許していたKさんを忘れることなどあり得ないはずだ。
 まだ散歩が十分できる体力のあった頃、昼寝から目覚めた母が、微笑みながらKさんに両手を差し出して「起こして……」と甘えていたという絵が浮かび上がってくる。
 飽くまでも自立支援にこだわった私の介護は、母にとって時に厳しいものと映ったかもしれない。
 だが、天才的とも思われるKさんの介護は慈愛に満ち、母の生存本能や情動に直接響くような素晴らしい介護をしてくださっていた。
 そのKさんがやって来る……。

 

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2/1(水) 母の介護がまがりなりにも成功した陰には、多くの方々の有形無形の協力と援助があった。
 中でも、母と30年来のつき合いがあった介護福祉士のヘルパーさんの果たしてくださった役割は量り知れないものがある。
 そのプロの知識と技術に目を瞠ったことは数えきれず、介護プラン等々に関してもケアマネジャー以上に教えられ助けられてきた。
 「お母さん、Kさんに会いたい?」と訊くと、母は即座にマバタキをした。
 「Kさんがお見舞いに来てくれるって。よかったね。……一緒に歌を歌いながら散歩したの覚えてる?」
 もちろん覚えているわと言わんばかりに、母はギュッと力を入れたマバタキで即答した。

 

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1/31(火) 夕方の往診を終えた院長が母の病室に回診に来られた。
 入院して10日以上経過しているが、肺炎が一時的に治ってもすぐに再発し、点滴も酸素吸入も24時間体制で続いている。体内に摂取されているブドウ糖と乳酸ナトリウムと塩化カリウムだけでは栄養が不足し、やがて内蔵が弱り浮腫が現れてくるだろうという。
 母が家に帰りたいと言っている、と院長に伝えると、え、そんな明晰な意識があるのかという表情で驚いていた。
 私の方針としては、ギリギリまで入院を続け、いよいよ今日か明日……になったら、死ぬためだけに自宅に帰らせてもらうことも考えている。もしそうなった時には、タイミングを指示してください、と依頼した。
 母のベッドサイドでの立ち話だった。母に聞こえているかもしれないが、それでよい。母と私は一貫して、死についてオープンに語り合ってきたのだ。
 院長は私の意向を十分に理解し、快諾してくださった 。

 

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1/30(月) 主治医が予告した死期を過ぎても、母はなぜ持ちこたえているのだろう。
 点滴と酸素吸入と引っきりなしに絡みつく痰の吸引を繰り返しながら生きている母のやるべき事とは……。
 母の人生の最期をどのように演出しプロデュースするのか、すべてが私に託されていた。
 思考を止めて瞑想モードになると、すぐに閃いた。
 母の生涯で最も重要な人たちと最後の別れをするために、母は力を振りしぼって待っているのではないか。……よし、母が最後にもう一度会うべき人を選び出そう。
 母の交友関係を掌握しきれているわけではないが、介護が始まって2年の間に、母を案じて何度も電話をくださった方々は本物だろう。
 几帳面に作成されていた母の住所録から目ぼしい方を見つけ出し、母の現状を電話で伝えていった……。

 

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1/29(日) 声の出ない魚のように、母が口をパクパクさせて何かを伝えようとしていた。眉間に微かなシワが寄っている。
 「どうした? お母さん、痛いの? 苦しい?」と訊くが、マバタキが曖昧でよくわからない。
 「ごめんね。何か、心配? 不安?……死ぬのが怖い?」という問いには反応がない。
 「何かしてもらいたい?」と訊くと、はっきり「イエス」のマバタキがあった。
 さらに問い詰めていくと、精神的な心のことではなく、体のことだという。
 問われたことに「イエス」「ノー」しかできない母の胸の内を知るには、こちらから推測したものを提示するしかない。
 最後にやっとたどり着いたのは、意外なことに「トイレ」だった。
 認知症が進行すれば垂れ流しなど当たり前だろうに、点滴と酸素吸入で死に瀕している母が、尿意を伝えトイレ介助を請うたのだ。
 看護師やヘルパーさんが一日に何度もオムツ交換に来てくれるのだから、そのままでよいのだと納得させた。
 明晰な意識状態で母が死んでいけることを介護生活の目標に定めてきた私にとって、これは母からの最後のプレゼントのような気がした。

 

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1/28(土) 母の入院を聞き及んだ親戚の者が次々と見舞いに来るようになった。
 誰が訪れても、母はその方たちを正しく認識することができていた。
 「お母さん、**さんだよ。わかる? わかったら、マバタキをして……」
 と言うと、母はパチンと目蓋を閉じて心を伝えた。
 意外なことに、入院してからの母の意識はそれまでよりも明晰になり、自分から積極的に意志表示はできないものの、対象認知も情況把握も正確で真っ当だった。
 認知症が好転したことに加えて、点滴と酸素吸入が24時間続いているので、母の脳には純度の高い酸素とブドウ糖が取り入れられている。
 宇宙飛行士の意識がクリアーになるのは純酸素のせいではないかとも言われるが、母の意識の透明度は明らかに増しているように思われた。

 

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1/27(金) 愛念で深く結ばれ一つになっている者の耳には、どんな愛の言葉も虚しく響く……。
 感謝の心も、優しさも、愛念も、安息感も、全てを受け容れる心も……、共感し合えた二つの心の一体感に由来する……。

 

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1/26(木) 正確な言葉の使い方が認識の正確さに対応し、洞察の智慧の閃きに繋がっていく……とラベリングの言葉の重要性を強調してきた。
 だが、言葉に果たしてどれ程の力が備わっているのか……素朴に疑問を感じた。
 乳飲み子と母親の間に言葉が必要だろうか。
 行為によって、態度によって、無言の情緒的共感による黙示によって、そして時には言葉によって、人の心と心が深いレベルで通じ合っていく……。

 

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1/25(水) 病院を出ると、凍てつく冬の夜のなかに放置されていた自転車が痛いほど冷え切っていた。
 ペダルを踏み始めると、風を切っていく耳が千切れそうになるほど冷たかったが、心の中は不思議な満足感と達成感と暖炉のような温もりの感覚に満たされていた。
 明晰な意識状態で生きている母に対し、伝えるべき感謝の言葉を言うことができ、心が通じ合い、思い残すことなく心を一つにできたのだ。
 これで、母がいつ死んでもよい、という心の準備が完全に整ったように思った。
 介護も存分にやり抜いたが、生きている母に対する告別も思い残すことなくできたと感じた。
 さようなら、お母さん……、ありがとう……。 
 恩愛を受けた方に必ず言うべき言葉の力強い黙示の時間を、天が与えてくれた……。

 

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1/24(火) 長い時間、母の眼にしっかりとアイコンタクトしながら、
 「お母さん、産んでくれてありがとう。お母さんの子供に生まれて、本当に幸せだったよ。いつも一貫して優しくしてくれたね。…
…2年間一緒に暮らせて良かったね……」
 と、母と暮らし始めてからの日々を振り返り、様々な思い出を語り、一生分の感謝を心から母に伝えた。これまでに何度も同じ内容のことを話してきたが、母に私の心を伝えるのも、これが最期なのか……と思うと万感の想いが迫ってきた。
 母は、語られる言葉よりも、私の強い眼力と、深層意識での暗黙の情緒的つながりに深く心が結ばれているかのように思われた。
 互いに心が通じ合っている充足感と温度感があった。
 少なくとも私の生涯では、これ以上はない母との共感の時が流れていった……。

 

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1/23(月) その日の見舞客は立ち去り、福助と母と私だけが病室にいた。
「じゃ、お母さん、福助が文言を1行づつ言いますから、心の中で復唱してくださいね。言い終わったら、パチリとマバタキして教
えてね」
 私が幸せでありますように。
 私の悩み苦しみがなくなりますように……。
 と、慈悲の瞑想を始めると、なぜか母の眼から涙が溢れ、流れ落ちていった。
 なぜ母が慈悲の瞑想で泣くのか真意は測りかねたが、集中が途切れず高いテンションを保ちながら終了すると、病室は濃密な親和的雰囲気に包まれていた……。 
 今がその時かもしれないと感じ、明晰な意識状態の母に、最後に伝えておきたかった言葉を言わなければと思った……。

 

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1/22(日) 福助と豆太郎を病院に連れて行き、久々に母と対面させた。
 「こんにちは。福助でございます。……お母さん、具合どうですか?
 ……お母さん、福助のこと、覚えてる?」
 声も出ないし唇も動かない母だったが、福助の顔をジーッと見つめる両の眼が涙に赤く潤んでいくのを眺め、もらい泣きしそうになった。
 福助と暮らした日々を思い起こせば、母にとっても私にとっても、かけがえのない真の家族同然になっていた……。
 「お母さん、福助と一緒に、慈悲の瞑想やりたいですか?……やりたかったら、パチリとマバタキしてください」
 母の眼が大きく瞬いた……。

 

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1/21(土) <みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない>【真理のことば「(ダンマパダ)12竏窒P65」岩波文庫】

 

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1/20(金) そもそも死ぬ瞬間と、その後に連続する再生のメカニズムを司る「業」の法則性には、いかなる者のコントロールも及びようがない。
 人は、他人の業を支配することはできない。
 人は、生きてきたように、死んでいく……。
 死ぬ瞬間の心が因となり、その直後の心が果となって、再生の最初の瞬間である「結生識」を形成しながら輪廻していく……。

 

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1/19(木) 死者を弔い葬儀を執り行えば「成仏する」と表現するが、言葉の原義からはかけ離れた誤用と言わなければならない。
 「仏に成る」とは、一切の煩悩を滅尽させ、究極の解脱を達成することである。いや、それではただの「阿羅漢」状態に過ぎず、そこからさらに途方もない波羅蜜(善業の集積)を体現していった全き存在が「ブッダ」と成るわけである。
 「成仏」とは奇跡の中の奇跡のような一大事であり、凡夫が死んで「迷わずに、成仏しろよ」などと言われる筋合いのものではない。

 

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1/18(水) もし母の御霊がこの世に執着したまま、迷い浮遊するようであれば、禅定に入り感応道交しつつ、テレパシーで理法を諄々と説き諭して納得させるだろう。
 死と再生が一瞬にして接続するという理論からは、そのような霊的存在は六道(地獄・餓鬼・動物・人間・阿修羅・天)の「餓鬼(peta)」界に再生したということになるのだろう。餓鬼の領域も階層構造になっていて、ピンからキリまでさまざまのようである。
 そうした餓鬼の世界に堕ちた女王マリーカは、たった1週間で天界に再生したとも伝えられている。
 死近心が不善心だったために悪趣に堕ちたが、圧倒的な徳の力ゆえに、そのような離善地に長く留まりようがなかったという。
 母の死近心が悪ければ悪趣に堕ちるだろうが、母のトータルの生涯はそれほど悪いものでもない。人の言葉に耳を傾ける素直さは無類のものだった。母と私の間には信頼関係もあった。
 それゆえに、この世に想いを残すことなく、再生した事実を受け容れ、与えられた世界と情況の中でなすべきことをなし、新たに往くべきところを目指すように、と説得する……。

 

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1/17(火) 遺体に仏衣を着せ枕飾りを並べるが、僧侶の読経など一連の宗教儀礼は無意味と考えているので一切省略する。
 例えば、キリスト教を信仰する者には、神道式の「手水の儀」や「玉串奉奠」などの葬祭儀礼になんの意味も感じられないだろう。そのように、同じ仏教系ながら異なった死生観に基づく他の宗派に信仰心が皆無なのだから、無意味なセレモニーは行なわないという考えである。 
 遺族が故人を偲び、夜を通して弔意を表し、最期の別れを惜しもうとするのは人情だろう。
 仏教諸派は無論、神道にもキリスト教にも通夜の概念は存在する。人の心に普遍的な根拠があるからだ。
 だから、通夜はする。やるけれども例えば、家族全員で瞑想し、母の生涯をしのんで弔意と感謝と善き再生を祈りつつ、心の中で各自が別れの儀式を行なえばよいと考えている……。

 

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1/16(月) とっくの昔にやっておくべきだった母の葬儀関係の手配を、いよいよやらなければならなくなった。
 たくさんの資料や情報を送ってくださった方がいたのに、一日延ばしにしてこの期に及んでしまっていた。
 結局、資料の一番目に登場するインターネットの葬儀社にアクセスし、こちらの意向を伝えると、ネットワークになっている近隣の葬儀社から連絡があり、電話で概ねの打ち合わせができた。
 母亡き後に残される家族の死生観は、原始仏教の輪廻転生論に基づいて合致しているので、母の葬送スタイルはあっさり決まった。
 病院であれ自宅であれ母が逝去した夜は、家族と家族同然の親族のみでしめやかな通夜をする。
 翌日、火葬し、同じメンバーで母を弔い、後日、事実上の告別式をお別れ会の形で執り行う……。

 

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1/15(日) その日の夕方、往診から帰られた主治医の院長に、母の病状と今後の見通しについて説明を求めた。
 「……肺炎が治っても、誤嚥や誤飲で再発を繰り返しながら衰えていくでしょう。今週は大丈夫だが、来週は分からない。来週持ったとしても、次の週はなんとも言えない。……帰宅できることはないでしょう。……今ならレスポンスがあるので、遠くの親戚の方をお呼びするなら今がその時かもしれません」
 やはり、そういうことか……と覚悟を新たにしたが、すべては想定の範囲内のことなので、心に動揺や感傷が過ることはなかった。
 父の死期をピタリと的中させた、20余年前の院長の言葉を思い出していた……。

 

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1/14(土) いつ呼吸困難に陥るか分からない母には、3Fの個室よりもナースステーションに近い2Fの二人部屋を個室として使ったほうがよいのではないか。その方が、大部屋に出入りする多くの看護師の目が届きやすいと提案され、母は階下に引越すことになった。
 そういえば昨夜、病院を去ろうとしてフロントで、遺体が葬祭業者の車に搬入される場面を目撃したのを思い出した。
 人の生き死にという激烈な無常が日常茶飯事に目の当たりにされる病院……。
 新たに入院してくる人もいれば、静かに去っていく人もいる……。

 

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1/13(金) 入院した翌日も、褥瘡防止に低反発枕が4個必要となり、自転車で買物に走り回った。急な坂道も変則ギアを使えば膝は痛まず、これほどまでの機動力を発揮してくれるとは思いもよらなかった。
 酸素吸入と点滴に痰の吸引除去をしながら、38度前後の熱が一進一退している母……。
 開いた口を閉じることもできない母とのコミュニケーションは、こちらが問うたことにマバタキで「イエス」「ノー」の意志表示をしてもらう。頭を横振りする否定の意志は分かりやすいが、縦振りが判然としない。うめき声のような声を出すことも唇を動かすことも、めったにない。
 夜、病院を去る前に、何かしてもらいたいことはないかと訊くと、必死で口をパクパクさせ何か伝えようとしていた。
 苦しいの?→「ノー」。痰を取ってもらいたい?→「ノー」。……母の口が「か」と「え」の形に見えたので、家に帰りたいの?と訊くと、パッチリと大きく両眼を閉じて「イエス」の意志表示をした。
 翌日、母は同じことを姪に伝えたらしく、「昨日お母さんが帰りたい……と言っていたわ」と聞いた。
 ……そうか。身体介護の体制が満点の病院よりも、快適度ははるかに悪いだろう自宅での日々を母は良しとしてくれたか……。
 母と私の介護物語もムダではなかったと信じたい。

 

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1/12(木) 20年前に父が病没した頃とは一変し、母は申し分のない完全看護の体制でケアされていた。
 点滴、酸素吸入、服薬、痰の吸引、検温、オムツ交換、褥瘡防止の姿勢替え等々、看護師や介護士が入れ替わり立ち替わり看護してくれる。
 父の時はオムツ替えだけでヘトヘトになったが、今回、付き添いの家族は何もやらなくてよいのだ。
 ただ母の心に寄り添ってあげればいいだけか。天国のようだ……と鼻歌が出そうになった。
 それにしても、流れるような仕事の連係を見ていると、たった一人の身体介護のために、これだけ多くの人々が関わらなければ万全の体制にならないのか、と感慨を覚える。
 母の快適度、介護する者の消耗度を思えば、果たして素人の家族が自宅で老親を介護することは……と疑問も浮かぶ。
 私は、まちがっていたのだろうか……。

 

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1/11(水) 誰もが自分の死期を確実に心得ていたなら、怠惰は一掃され、愚行に時を浪費すること
なく、常に人生の最重要事項が優先されていくだろうに……。
 己の死ぬべき時節を知らない無知と、過去世での自分の所業を完全に忘却した状態でこの世に生まれてくる理不尽さと、因果関係を心得ない愚かさが、無明の根本ではないか……。

 

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1/10(火) 誰もいない真っ暗な家は建物全体が冷え切っていたが、この家でのあの過酷を極めた介護の労苦も、もう繰り返されることがないのだと思うと心底から解放感が湧き上がってきた。
 その正直な反応に、自分がどれほど疲弊しきっていたのかが痛感され、また、この痛めた右膝ではもう母を介助することは難しいのも実情だった。
 このタイミングを事前に知っていたなら、あれもしてあげたかった、これもしておきたかった……と悔いる思いが浮かぶのもセオリー通りだった。
 ともあれ、母の生活を維持する膨大な仕事から解放されれば、末期の母の心のケアに専念できるだろう……。

 

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1/9(月) その夜7時過ぎに姉夫婦が病院に現れた。
 3日後に帰宅するはずなので一番で見れるように、母の状態をメールしておいたのだが、どうやってメールチェックしたのか、予定変更してこちらに向かうとのことだった。
 母は点滴と酸素吸入でなんとか持ちこたえているが、その容態から、自宅に戻ることも回復することもないだろうと感じた。
 ムンクの「叫び」のように常に口が開いていて、歯も口蓋も真っ黒に汚れて酷い状態だった。ショートステイでの歯磨きと口内ケアを何度も頼んできたが、果たして適切な対応がなされていたのか。これでは誤嚥などから肺炎を起こすのも当然ではないか。
 痰が絡まり引っ切りなしに吸引しても呼吸が困難になる母の下を去るのは忍びなかったが、面会は夜8時までなので、姉夫婦とも別れやむなく帰宅した。
 その夜、母の熱は39度6分まで上がったという……。

 

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1/8(日) 当直の看護師と医師の応急処置がなされ、血液検査の結果、発熱と呼吸困難は肺炎に起因するものらしい。
 直ちに入院の手続きをし、必要な備品を取り揃えなければならなくなった。タオルケット、電気毛布、パジャマ3組、バスタオル&フェイスタオル各5枚、ケアシーツ2枚、箱ティッシュ、食事エプロン、吸い呑み、保湿剤……等々。
 徒歩で買物をしてきた者にとって、これだけの品々がどれほどの重量になるかは容易に想像できた。
 長年介護を手伝ってくれてきた母の姪だけが頼りだったが、何度電話しても応答がない。その筈で、暮れから家族と1週間ほど湯治場に出かけていたのだと後日判明した。
 姉の家族も年末から遠出をしていて出払っていた……。
 近辺に、純朴で人の良い親戚もいたが、普段から親密な往き来をしていないのに、こんな時だけ頼る気にもなれない。救いの手を差し延べるのは好きなのだが、救いを求めるのが苦手なのは幼児体験に根ざしていることは昔から自覚していた。
 ……自分でやるしかないだろう。
 かくして、痛む膝でスーパーやドラッグストアを次々とハシゴしながら、たった一人で必要な物を買い揃え、自転車のカゴに入れ、ゴム紐で荷台に積載して何度かに分けて運んだ。
 介護物語の最終章が始まった……。
 【14日から、朝日カルチャー講座新シリーズが始まります】

 

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1/7(土) 瞬時に臨戦態勢のスイッチが入った。
 徒歩5縲怩U分の病院で往診体制を取ったのは、まさにこの情況を想定してのことだったが、満床であれば入院はできない。院長が主治医の病院に入れず、遠方の他の病院に入院するなどという最悪の事態に見舞われるのだろうか……。
 祈りながら電話をすると、果たして個室なら一つだけ空いているという。
 胸をなでおろし、身支度を整え、自転車で駆けつけた病院のフロントで、車椅子に乗った母がケアマネの車から降りてくるのを出迎えることができた。
 ……この日から、自宅に戻れる見込みのない母の入院生活が始まり、手に入れたばかりの自転車が、こんなに早く八面六臂の大活躍をすることになるとは思いもよらなかった……。

 

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1/6(金) 年末年始はデイサービスが休みになるので、ショートステイを検討すべきではないかとケアマネから言われていた。自宅で介護する家族が一人しかいないのだから、共倒れにならないように、と。
 膝を痛めてしまった今となっては、完全な寝たきり状態にシフトする秒読みが始まった母の面倒を、1週間も看続けることができないのは分かっていた。
 あれほど嫌がっていた施設で正月を迎える母が不憫でならなかったが、いかんともしがたい。
 雑煮もおせち料理も注連飾りも、正月用品は何ひとつない元旦を一人で迎えた翌日、ショートステイの看護師からの電話が鳴った。
 母の呼吸が困難になり、痰を何度吸引しても、吸引しきれない。熱も下がらず、食事も連日2割程度しか摂れず、もはや対応しきれないので救急搬送する病院を決めてくれという……。

 

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1/5(木) 数十年ぶりに乗った自転車だが、若い頃は毎日、競輪選手のように乗り回していた感覚が瞬時に蘇ってきた。体で覚えた技能記憶や「手続き記憶」は長期記憶の代表格だが、ペダルを踏んだ瞬間に再起動してきたかのようなレスポンスの良さに驚いた。
 買物も外食も一気に行動半径が拡がり、車と変わらない便利さに楽しくなってきた。
 だが、自転車を降りると杖がなければ歩けないほど膝が痛み、スーパーでは買物カートに寄りかかって足への負担を回避しなければならない現実が立ち返ってきた。
 ホームセンターで杖を買おうとも思ったが、そうすれば、必ず完治させてやるという士気が萎えてしまうような気がして止めた。
 なぜ、神技のような早さで自転車を即買することができたのか。
 その真の意味が露わになったのは、購入した2日後のことだった……。

 

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1/4(水) 膝の痛みによってはペダルを踏めないかもしれない、と言われていたので、店頭のママチャリに試乗してみた。ついで、乗り比べてみろと言われ、店頭に置かれていた専門車に乗って驚いた。前輪に3段ギア、後輪に5段ギアが装備されている中古車だったが、あまりの軽やかな乗り心地に「これは凄い!」と感銘を受けた。ペダルを漕いでも膝は無痛だった。
 見れば、後輪に蓋付きバスケット、ハンドル側にもデニムのバッグが装備され、LEDライトにワイヤー鍵も完備しているではないか。
 これを売ってくれないか、と頼んでみると、店主は「いやあ、それは……ちょっと。……実は、うちのカミさんが使っているものなんで……」と口ごもる。
 こちらは苦痛に耐えながら、やっと自転車屋までたどり着いたのだ。親の介護で膝を痛め、今日の買物にも困っているので今すぐ欲しいのだと言うと、店主に呼ばれて家の中から奥さんが出てきた。
 私の大事なものが取られちゃう……と言いたそうな曇った顔をしている。
 取りあえず、笑わせて顔をほころばせ、事情を説明した。
 人情の厚い田舎のことだ。3万8千円で購入することになり、防犯登録を済ませ、諸々の付属品で完全武装された自転車に跨り店を去った……。
 特段のイメージ法をしたわけではないのだが、希望した要素を全て満たした物が、一瞬にして魔法のように手に入った印象だった……。

 

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1/3(火) 治ってきた右膝を再び激しく痛めてしまった。
 母の介護負担の増悪に加えて、年の瀬に八王子道場の大掃除があり、帰途のバスに乗り遅れまいと重いキャリーバッグを抱えて無理をした時に痛めたのだろうか、母を迎えるための最後の電車に間に合いホッとすると、膝にしたかな痛みを感じた。
 ほぼ治ってきた安心と油断、遠回りしてもキャスターで運ぶべき荷物を、急ぐあまりに徒歩で階段を降りていった強引さ……。
 自業自得だが、痛む足での母のトイレ介助は危うく廊下で共倒れしそうになり、スーパーの買物を両肩にぶら下げて帰宅する責め苦に喘いで何度も立ち止まって息を継ぐ有様となった。
 日が過ぎても状態は変わらず、これでは生活が成り立たないので、痛みに耐えながらなんとか0.7kmほど歩いて自転車屋にたどり着いたのは暮れも押し迫った大晦日だった。
 小さな店舗に並んでいる商品はごくわずかな専門店だが、ここで入手するしかない。こちらの要望を伝えると、入荷は年明けの取り寄せになるという。
 今日の買物どころか、この膝ではタクシーを呼ばないと帰宅できそうもない。
 困ったな……。

 

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1/2(月) 「慈悲の瞑想」の言葉がここまで崩れてしまうのかと驚くような発音だが、母は耳で聞いた一行一行を正確に復唱しようとする。 
 「私が嫌いな人々【も】……」と発音すべきフレーズを福助が【が】と言い間違えると、母の唇から洩れる音も「が」になっている。
 「聞く」→「理解する」→「真似て発音する」という認知の流れがかなり正確なものだと伺い知られた。
 1連目と2連目の「私が…」「私の親しい人々が…」と唱えている時の表情に比べて、3連4連の「私が嫌いな人々…」「私を嫌っている人々…」の表情は、心なしか翳っているように見えるのも正直かつ正確な反応であって、いい加減におざなりの瞑想をしているのではないと推測される。 
 「全ての衆生が幸せでありますように」と最後のフレーズが終わると、「わあ、できた! できた! お母さん、最後までできたじゃない!」と福助が大喜びして母を褒めちぎる。
 「お母さん、慈悲の瞑想をすると死んだ後、天界に生まれ変われるんだって! 良かったね。……死ぬのはちっとも恐くないんだってよ。福助と一緒に慈悲の瞑想をしながら死んでいこうね。福助、天界に再生したお母さんと、また会いたいな……」
 ……こうして、慈悲の瞑想を軸にした新たな死のレッスンが日夜、繰り返され、燃え尽きようとする母の命の最期の「生き甲斐」になったかのようである。

 

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1/1(日) 以来、慈悲の瞑想は母の最大の楽しみとなり、福助に誘われれば、いついかなる時にでも応じて唱えるようになった。
 自宅でもデイサービスやショートステイでも、一日の大半を寝て過ごしているのが母の現状である。
 だが、目覚めた時に、もし母の意識が慈悲の瞑想に集約されていくとしたなら、「最良の死近心」を目指すのにこれ以上はない展開と言ってよいだろう。
 福助との笑い話はただ快感ホルモンが分泌される一過性の楽しみに過ぎず、深く心に残っていくものではない。
 健常な意識が回復したからには、生き甲斐に値する意味のある何かをしなくては耐え難いものだ。
 目が覚めても身動きひとつ取れず、ナースコールのボタンも押せず、人を呼ぶ声すら出せずに、ただ天井が見えるだけの世界……。
 そこへ一条の光が射し込むように、慈悲の瞑想の文言が心に沁み込んでいく……。
 その言葉は、この期に及んで初めて学習するのではなく、かつて息子や娘から何度も教えられ自身も唱えたことのあるものなのだ。
 最愛の母親が人生の終末をしめくくっていくのに、長く仏教の瞑想に関わってきた者としては、願ってもない素晴らしい流れが形成されたと感謝したくなった……。