今日の一言 (バックナンバー) '2014年1〜12月
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12/31(水) 眼にウロコを付けたまま、自分の所業について、最期まで気づかずに死んでいく人もいる。
自覚しなくても、さまざまな場面で激しく反応し、意志(チェータナー)が出力され、カルマが垂れ流されてきた事実は変わらない。
「なんで、私だけ、こんな目に遭わなきゃならないの!」という叫び・・・。
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12/30(火) 理想論に眼が眩み、こうすべき、ああすべきの「べき論」に囚われ、現実の自分から眼を背けていく・・。
その誤った認知の上に築かれていくプライド。
周りの者には見抜かれているのに、自分だけが勝手に思い込んでいる「自己像」を守ろうとして、苦しみの原因を作り続けている日々・・・。
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12/29(月) 「劣善の優しさ」も「冷たい優しさ」も「愚かな優しさ」も、否定している訳ではない。
それで良いのだ。
いや、仕方がないではないか。
人はみな因縁が違う。
まず自分の現状を承認し、最終的な完成形に向かって清浄道を歩んでいけば、必ず素晴らしい人になっていける・・・。
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12/28(日) 3人の子供を連れていた彼女は、その瞬間、我が子にも見知らぬ外国の青年にも、同じ母の心になってしまった・・・。
その無差別平等性が「ウペッカー」と呼ばれる「捨」の心だ。
妨害しているものが脱落すると、誰にでも顕わになってくる。
自他を差別し利己的になるエゴの感覚が・・・。
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12/27(土) ウィーンの街の一角で途方に暮れていた私に、救いの手を差し伸べてくれた、あの美しい母親の温かさ、優しさは忘れがたい。
普段は凡夫なのかもしれないが、崇高な母の眼の光を湛えていた・・。
憐れむ心と、無差別平等な心(ウペッカー:捨)と、慈悲の心に一瞬、貫かれていたのではないか。
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12/26(金) 赤の他人だから、純粋な慈悲の心が発露しやすいのかもしれない。
夫婦や親子のような濃密な関係になれば、お互いに独占欲や束縛、過剰な期待、義務感、不満や我執などが、 どぶのように流れ込む・・・。
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12/25(木) 「愚かな優しさ」は、悲しい。。
人を思いやり愛する心は混じりけがないのに、膨大なエネルギーを捧げ尽くしているのに、ただ相手を悪くして、苦しめ、嫌がられる結果になっていく・・。。
どうしてそうなってしまうのか、何が悪いのか、どうしてよいのか、解らない・・・。
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12/24(水) いつでもどこかに怒りを隠し持っているので、「冷たい優しさ」という矛盾した印象を残す人もいる。
不幸な生い立ちがあり、トラウマが乗り超えられていない悲しみもある・・・。
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12/23(火) 相手のことなど本当はどうでもよく、ただ自分が徳を積みたい、幸せになりたい、という一心で善行に励む人もいる。
劣った善なので「劣善」と言う。
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12/22(月) 外国人彼氏から、白い兎の顔つきマフラーをプレゼントされた女性があまり嬉しそうにしなかった。
すると翌日、色違いのピンクを買ってきたという。
これは大変と、大袈裟にキャーキャー喜んでみせた。
でないと、次は茶色の兎が来るかと思って。
構造的理解を阻むもの→「執着」。
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12/21(日) 遊ぶだけ遊べば、そんな遊び自体に飽きがきて、人生の通過儀礼を一つ卒業する。
うわべの現象から、その本質を見抜く構造的理解が生じると、同じ欲望や執着を繰り返す情熱は失われていくからだ。
その智慧が人生全体に及べば・・・、人は解脱を目指し、本格的な瞑想修行に着手する。
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12/20(土) 残高がなくなったなら、これから徳を積み、また預金をしていけばよいではないか。
愚かな欲に突き動かされ、人が嫌がることを止めなければ、ゼロの残高が赤字負債に変わるだろう。
苦しい現実にガックリ肩を落とし、落ち込む猿もいる。
未来に目を向けて立ち上がる賢い猿もいる・・・。
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12/19(金) 宇宙銀行に莫大な預金があったのを忘れていた人が、便利なATMの存在を知り、「願望実現本店」と「引き寄せ支店」で二度に渡って現金化しました。
それを見ていたお猿さんが、同じATMで必死に番号を入力しましたが、何も出てきません。
残高が無いので、おろせないようです・・・。
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12/18(木) とは言え、瞑想会を休んだので、ちょっと気が退けている。
罪滅ぼしに、普段の10倍ぐらい気合いを入れて日常生活のサティを入れている。
道場の中をあちこち移動し、食事を作り、宅配便を受け取り、生ゴミを庭に埋め、買物に往復する歩行やキーボードに触れた指の感覚にサティを入れ・・・。
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12/17(水) 単行本執筆を優先し、一日瞑想会は公認インストラクターの代講とした。
後から続く者は、こうして現場の経験を重ねながら育っていく・・。
必然の力で展開したことは、すべて正しい。
・・と、認知を変えていくしかない。
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12/16(火) 思考を止めさえすれば良いのだろうか。
例えば、サマタ瞑想のサマーディに没入すれば、世間からも煩悩からも完全に離脱する。
だが、禅定から醒めれば、考え方も心の反応パターンも元の木阿弥に戻る。
静止画像と融け合う至福に終わりが来て、再開される日常モード ・・・。
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12/15(月) 瞑想は合宿に入ってなんぼの世界・・と言ってきた。
その合宿を中止しなければならないのは忍びないが、本の執筆のためにやむを得ない。
何かを生み出すためには、何かを犠牲にしなければならない。
両方とも上手くやれる力量がなければ、仕方がないではないか。
今は、己の非力を悲しむこともない。
自分の持ちあわせた器量で生きていくしかない・・・。
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12/14(日) 「この世のことなんて、どうでもいい。私は悟りにしか興味がありません」
「あなたが求めているのは、思考で考えた悟りです」
「嘘です。 私は本当に悟りたいのです」
「それなら概念の世界を一切捨てなさい。本気でこの世から出離する覚悟があれば、妄想は止まるでしょう・・」
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12/13(土) 「なぜ私は、サティの瞑想が続かないのでしょうか?」
「この世のことに囚われているからです」
「私は、この世を捨てたいと思ってます」
「それなら、思考にサティを入れ、見送りなさい。
思考の中身は全てこの世のことです。
概念の世界を世間と言います。
あなたは、世間が大好きなのです」
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12/12(金) どのような苦しみも、脳内に固着した「渇愛」という名の執着が手放されれば、終わるだろう。
望みのものが手に入り、報復に成功し、「夢が叶う」場合もある。
諸般の事情と因縁の流れを見て、「妄執だった・・」と静かに諦める場合もある・・・。
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12/11(木) 春秋社版「CDブック ブッダの瞑想法 瞬間のことば」が刊行されました。
内容は旧版と同じです。
車の運転や台所仕事をしながら、耳で聴く本として利用される方が多い。
CDをかけると、子供がおとなしくなる、という方もいます。
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12/10(水) 嫌なものがイヤではなくなっていくプロセスが、心の成長である。
お膳を引っくり返す。
斬り捨てる。
戦争を始める・・・。
ストレートに怒りを露わにするのは、幼稚なことだ。
環境ではなく、認知を変え、心を変え、生き方を変えていく・・・。
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12/9(火) これは、手のかかる、厄介な人だな、と溜息を吐きたくなるような修行者もいる。
だが、例外なく、そんな苦労したインストラクションを通して、最も深い学びを得ることになる。
善きにつけ悪しきにつけ、出力したエネルギーに比例した甘美な果実、もしくは苦い果実を刈り取らされる法則だ・・。
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12/8(月) 諸法無我の対極にあるのは、我を張り、私が俺がと自慢し、差別し、人を見下す、エゴイズムの世界だ。
駆け巡る思考、多発する妄想、荒ぶる心、昂り、暴れまわる心・・。
その興奮と混乱が静まり、心に沈黙が拡がっていくと、見えてくる存在の本質、この世界の真相・・・。
瞑想しよう・・・
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12/7(日) 無量無数無辺の諸々の力に支えられ、助けられ、関連し合って生きている一瞬一瞬なのに、なぜ、その消息(諸法無我)が分からなくなるのだろう・・・。
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12/6(土) 仕方がない。
やってしまったことだ。
起きてしまったことではないか・・・。
潔く引き受けていく覚悟があればよい。
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12/5(金) 突き進もうとする推進力があり、抵抗する空気や水や諸々の存在がある。
本能の命令を発する脳があり、抑制する脳がある。
愛する心も感謝する心も本物なのだが、恨む心も憎む心も併存し、並立している。
矛盾が常態の世界で、断固として出力してしまった結果の中に、あなたはいる・・・。
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12/4(木) 自分を変えたい、変わりたい、と思えばこそ修行を目指したのではないか。
だが、心の奥底では、本当は変わりたくないのだ。
変わりたい・・でも、変わりたくない・・。
矛盾するどちらの心も、真実・・・。
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12/3(水) 台風一過の秋空を見上げると、幼い頃、この世には空というものがあり、白い巨大な雲海が浮かんでいる事実に圧倒され、立ち尽くしていたのを思い出した。
未知の世界と人生に分け入っていく、不安と期待と畏怖・・。
仏教のお陰で解明できた諸々の謎を、最後に検証する死の瞬間が楽しみだ・・・。
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12/2(火) 泥沼の苦をもたらす煩悩があるから、解脱がある。
「煩悩がなかったら、どうやって解脱するのだ」とブッダは言う・・・。
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12/1(月) 苦の中に、苦をもたらした原因がある。
ドゥッカ(苦)の真実を洞察した者が解脱する・・・。
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11/30(日) 概念を駆使する能力がもたらした泥沼から救い出してくれるのも、ラベリングという一瞬の概念を用いるサティの瞑想・・・。
ダンマの世界のリアル感と、その認識を確定する一瞬のラベリングの往還・・・。
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11/29(土) 他を圧倒する智慧の光のまばゆさに目が眩んだかのように、リアル世界の質感が見失われていく・・・。
マンネリ化は、概念を形成する能力の宿命だ・・。
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11/28(金) リアルな感覚的真実の意味を抽象し、概念でまとめ上げる能力が人間の智慧の源泉だ。
その光り輝く能力が、妄想で苦しむ泥沼に人を突き落とす・・・。
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11/27(木) 「膨らみ・縮み」と繰り返されているが、完全に同じ腹部感覚は、二つとしてない。
一瞬一瞬のその感覚のかけがえのなさが心に沁みるときのサティもあれば、ただラベリングが唱えられているだけのマンネリ化したサティもある。
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11/26(水) いつだって、二度とあり得ない一瞬一瞬なのに、なぜ、その掛けがえのなさに鈍感になっていくのだろう・・・。
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11/25(火) 合宿が終わると、瞑想者の人生の本質に参入し、仏教のダンマを提示することができたかもしれないという秘かな感動を覚える。
一切皆苦の世界にありながらも、いつの日か苦を超克できる道が続いているということ。
一期一会であろうとも、その日は意思疏通できた静かな喜び・・・。
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11/24(月) その不可思議な力とは、例えば、身体の中から喜びと感謝の念が湧き起こり、瞑想者と接する一つ一つのことに感動し、思わず手を合わせたくなってしまう・・・。
そんな感覚だという。
ひいては、合宿のみならず、ご縁をいただいた全てのもの、一切の状況に、感謝を捧げたくなる 感覚・・・。
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11/23(日) その直観に狂いはないだろうが、確証もなく断定するのは、事実をありのままに観る瞑想にふさわしくない。
スタッフに確かめると、まさにその瞬間、全身全霊で瞑想者の皆さまに祈りを捧げていたと言う。
彼女にも分からぬ不可思議な力が働いて、合宿が始まると慈悲モードに突入するのだと・・・。
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11/22(土) 早々と昼食を終えて、座禅室に入った瞬間、仏前にひれ伏して祈りを捧げるスタッフの姿に衝撃を受けた瞑想者がいる。
参加者の瞑想が進むことをひたすら祈る、 ピュアな慈悲の波動に圧倒されたのだという・・・。
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11/21(金) 出家の下見に、再びタイに飛び立った若者が言う。
・・・三宝に対する信も、今や親に感謝するようなリアルなものになりました。
エゴの存在感も希薄です。
この者(自分)が彼の地に無事に着きますよう、善き縁に恵まれますよう、と他人事のように祈っています。
大変心地良い感覚です。
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11/20(木) 人の時間を奪ってきた私が、虚しく時間を空費するのは避けがたいことである。
当然のことが我が身に起きているのであって、人は、いつでも、どの瞬間も、自分にふさわしい事象を経験しているのだ。
善因には善果の、悪因には悪果の、苦楽の一瞬一瞬が、ただ通り過ぎていく・・・。
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11/19(水) 台風による遅延で、乗換のたびに長時間待たされた。
帰宅すると、タブレットの不具合に数日来の悪戦苦闘、結局、初期化しても改善せず、端末交換となった。
また設定し直し、再構築に時間を費消しなければならない。
溜息も怒りも、ない。
ただ、そうする。
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11/18(火) キャリーバッグがずぶ濡れになっていた。
中身を取り出し、ドライヤーで乾燥させ、再び元に戻していった。
時間がもったいないとは思わなかった。
意味もなく生き、意味もなく死んでいくのが人生ではないか。
一切皆苦の生死を、無限に繰り返していく輪廻転生・・・。
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11/17(月) 台風が直撃し豪雨が降りしきる日に、10月の瞑想会は行なわれた。
そんな嵐の日に、遠方から参加された方が何人もいるのに驚かされた。
サンガ出版から刊行された「実践!仏教瞑想ガイドブック」を見て来られたらしい。
情報発信の力を改めて感じた。
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11/16(日) もし完全に思考を止めることができれば、流れ落ちる悲しみの涙は止まるだろう。
もし愚かなエゴ妄想を止めることができれば、悲しみの涙を流すことがない・・・。
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11/15(土) もしサティの瞑想に本気で取り組むならば、罵声も賞讃も侮蔑も、淡々と見送られていくだろう。
どうしても考えごとの世界を捨てられず、我執が鎌首をもたげ、上下関係で人を見下し、屈辱の怒りに震え、思い通りにならないと、悲しみの涙に暮れる・・・。
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11/14(金) 旧「瞬間のことば」は、グリーンヒルHP「今日の一言」の最初期の原稿の抜粋だ。
2001年以来、毎日書き継いできたので、膨大なストックがある。
もし今回の春秋社版が好調であれば、続編をシリーズ化する企画も出ている。
タイ修行篇、老母介護篇など、腹案を練ってはいるが・・・。
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11/13(木) CDブック「瞬間のことば」は一般書店の流通には乗らない本だったが、不思議な人気があり、これまでに第6版まで版を重ねた。
同じ内容の新装版が、春秋社から10月20日に刊行された。
タイトルは「CDブック ブッダの瞑想法--瞬間のことば」。
出足はなかなか好調とのこと。
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11/12(水) 傷ついた人と心底から共感し合えるのは、傷ついたことのある人たち・・・。
人は、傷ついた数だけ優しくなれる法則・・・。
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11/11(火) その日初めて出会った参加者も多い1Day合宿なのに、感動的な打上げとなり驚かされることがしばしばである。
直近に起きてしまった不幸を、冷静に見事な構成で物語られた方、泉から溢れ出るようにポロポロと落涙しながら、凛とした声で来し方を語られた方、過不足のない客観視で淡々とネガティブな自己を開示された方・・。
語り部の才能なのか、瞑想の力なのか・・・。
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11/10(月) 虐待の連鎖があり、優しさの連鎖があり、愚かさの連鎖があり、智慧の連鎖がある。
人生をどのようにスタートさせるのか。
それを決めたのは、自分の過去世の宿業だったのではないか・・。
どれほど困難な茨の道も、正しく、きれいに生きていけば、必ず、美しく整えられていく・・・
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11/9(日) ここまで来るのに、どれだけの人のお世話になったことだろう。
常に、どの瞬間も、諸力に助けられてきたお陰さまではないのか・・。
誰にも頼らず、自分の力だけで生きてきたと言う人達・・・。
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11/8(土) 憧れの10日間合宿に入ったものの、ビッグな体験はなく、淡々と瞑想して下山する人もいる。
日帰りの合宿なのに、ダンマに打ちのめされ、人生の流れが変わるほど衝撃的な「1Day合宿」となった人も少なくない。
種蒔きも、育成も、開花も、収穫も、熟成も・・等価な流れと心得、歩み抜いていく。
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11/7(金) これといった特別なこともなく、日々淡々と瞑想修行に励んできた努力が実を結び、合宿で花開く・・・。
短期合宿なのに、大きな成果が得られる不思議は、当然至極のことだった・・・。
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11/6(木) 瞑想合宿では、四六時中超スローで動き、一挙手一投足の全てにサティを入れていく。
ゆっくりと食卓に着く瞑想者に配膳中、スタッフが味噌汁の鍋の前で直立し、次の指示を待っていた。
眼を閉じて禅定感に浸る姿には、静けさと優しさが漂っていた。
その後姿を拝むように、合掌した他のスタッフが祈りを捧げていた。
厨房に訪れた、束の間の静寂・・・。
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11/5(水) サティを入れたつもりでも、本当に自己客観視ができているだろうか。
プライドの傷つくことや目を背けたい事実には、通常サティが入らない。
なんとかサティが入っても、エゴの視座から強引にコジつけたような苦しいラベリングだったりする。
ヴィパッサナー瞑想は、厳しい・・・。
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11/4(火) 女性が幸せにならなければ、人類のドウッカ(苦)はなくならないだろう。
傷ついたまま、愚かなまま、子育てをしてしまうからだ。
誰も、母から生まれ、母に育てられていくしかない。
チェーンメールのように、傷つく人、 愚かな人、 悲しい人が、際限なくコピーされていく・・・。
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11/3(月) 奪うことしか考えられなかったのは、心の底に怒りがあるからではないか。
愛をくれ、と怒っている者に、優しさを恵むことはできない。
人を押しのけてでも愛を得ようともがき、誰からも愛されなくなっていく。
目が眩み、苦海に巻き込まれ、引きずり込まれていく・・・無明。
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11/2(日) 本当は、自分の幸せのために、人を利用することしか考えてこなかったのではないのか・・。
それなのに、今になって、誰とも心が通じ合わない・・と、孤独を嘆くのか・・・?
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11/1(土) 傷が深かっただけ、喪ったものもある。
主要な幹は甦ったが、2本の幹を自ら枯死させての苦しい蘇生だった。
痛ましいが、深傷を負ったがゆえの勲章と考えよう。
何事も、自ら体験したことしか、真の共感にはなり得ない・・・。
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10/31(金) 一枚残らず葉を落としたクロモジはさらに深刻で、枯死するものと覚悟していた。
一縷の望みを託して、根本にせっせと生ゴミを埋め、土壌を豊かにした。
すると、再び葉を付け始め、危篤に陥った子供が奇跡の生還をしたかのように嬉しかった。
手間暇かけ、世話をした出力に比例する感動・・
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10/30(木) あれから何ヵ月経っただろうか。
シマトネリコはすっかり元気になり、今では、シンボルツリーのアオダモを抜き、20種類ほどの庭木の中で一番背が高くなった。
サヤサヤと乾いた葉擦れの音を立てながら、風に揺れ、陽の光に燦めいている・・・。
苦しみの乗り超えられる日が、必ず、来る。
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10/29(水) 枯木同然になったシマトネリコだが、自分から葉を落とせる間は、必死で生きようとしているのだから大丈夫なのです、と植木職人に言われた。
苦しかったろう、辛かったろう。
よう頑張って、ここまで生きてきたね・・。
自傷行為を繰り返している女性達にも、そう言ってあげたい・・・。
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10/28(火) ヴィパッサナー瞑想によって、どれほど多くの方々が、苦しい人生の流れを変えていくことができたことだろう。
その感動が、私の情熱を支えている・・・。
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10/27(月) 梅雨時に咲き誇った紫陽花は、翌年まで花を付けない。
いかんともしがたい自然の摂理ゆえに、時季の風情と無常を感じてきた。
ところが中秋の名月を観た数日後に、なんと再び紫陽花が咲く・・?!
庭の片隅で覚えた不思議な無常観・・・。
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10/26(日) 同じことを性懲りもなく繰り返すのには、訳がある。
お決まりの妄想が立ち上がり、判で押したように同じ反応が繰り返されてきたのではないか。
目を背けるので、恐怖が、化け物のように肥大する・・。
ありのままに直視すれば、甘美な妄想に煽られた欲望の構造が露わになる・・・。
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10/25(土) 逆鱗に触れられ、急所を突かれたように、そこだけはどうしてもコントロールできなくなってしまう「アキレス腱」がある。
ダンマもカルマもブッ飛んでしまう。
抑えられない。
止められない。
わかっているのに、また、やっちゃった・・。
真の決意が生じるまで、泣くしかない。
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10/24(金) さまざまな善行をして徳を積んでいるのに、なぜ不善業も作り続けるのだろう・・。
幸せな瞬間に感動し、過酷な現実に打ちのめされる日々・・・。
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10/23(木) 不善業が作られているのに、欲に眼が眩んだ愚か者は、止めようとしない・・・。
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10/22(水) 最後まで集中を切らさず、東京瞑想会を終ることができた。
食事会も盛り上がり、先程までの公開インストラクションと同じテンションで話していると「なんでそんなに元気なのですか?
普通、疲れてヘロヘロになりますよね」と訊かれた。
ダンマに身を委ねると、不思議なパワーが入ってくる。
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10/21(火) 過去の罪業感や自責の念から解放されるために、「懺悔の瞑想」がある。
もうよい、と感じるまで、心の中で謝るだけ謝り、泣くだけ泣いてお詫びをする。
無知ゆえになされてしまったのだ。
理法を知らなかったことを恥じ、もう二度と同じ過ちは繰り返さない、と未来に目を向ける。
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10/20(月) 事実が、人を打ちのめすのではない。
その出来事を、どのように受け止め、認識し、己の経験としていったのか・・。
自滅する者がいる。
復讐を誓う者もいる。
「悲」の瞑想を深めていく者もいる・・・。
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10/19(日) 真実を見れば、眼が眩む。
暗黒の恐怖にも、耐えられない。
欲望と怒りに束縛されながら、薄暗い部屋で生きていくしかない?
そんなことは、ない。
妄想を排除し、勇を奮ってありのままに視れば、 闇にも、マバユサにも、耐えられる。
真実を受け容れた瞬間、力がみなぎる・・・。
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10/18(土) 今の状態がずっと続いていくような・・そんな幻想を抱いてしまうのは、なぜなのだろう。
この世に存在する全てのものが無常に変滅しているのに、妄想の世界では、同じ印象が再生産される。
現実から、眼を放す。
すると、恨みも愛執も悲願も決めつけも、同じ脳内データで反復されていく・・・。
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10/17(金) 愛を貪り過ぎて、失っていく人たち・・。
幸せを弄んでいて、壊れてしまった・・と泣き叫ぶ人たち・・・。
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10/16(木) 合宿が始まると、一気にテンションが上がり、脳が全開状態になってくる。
「では、どうすればいいのですか?」などと訊かれても、瞬時に答が浮かぶ。
伝えながら『ほお、上手いこと言いよるな・・』などと自分でワクワクしている。
解析→閃き→伝達→共感→展望→達成感→三宝への感謝・・・。
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10/15(水) 頭でっかち」は、「知ってはいるが実行できない」という、ただの状態である。
嫌われるのは、偉そうにペラペラ喋るからだろう。
淡々と研究に徹している学者は、臭くない。
傲慢さがないからだ。
知識を誇ってしまう劣等感を見抜き、嫌悪や反発を覚えるこちらのエゴを自覚する・・・
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10/14(火) 考えて理解し、考えて判断し、考えて意志決定する。
その思考がまとめ上げた世界に君臨するのは、この「私」、エゴである。
認知の一瞬ごとにも、エゴ感覚がセットで伴ってしまう。
見たのは私、聞いたのは私、感じたのも、考えたのも私・・と、自動的に、無意識に出現するエゴ・ワールド。
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10/13(月) よく考えてダンマを理解し、知的な判断力を働かせて正しい行動を選択する。
立派な、正しい生き方である。
だが、とっさの反射や本能、あるいは幼少期の刷り込みは、脳の新参者の指令など簡単に無視するのだ。
思考や理性だけで苦から解脱できるなら、ブッダは瞑想を説かなかっただろう。
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10/12(日) 「苦を感じた瞬間、悪い業が消えているのよ」などと因果論を語りながら、カチンと来て、怒りのメールを書きまくる。
侮辱されたと、本気で仕返しをする。
冷静な時は「悪を避け、善をなす」のだが、反射的な行動の制御が利かないのだ。
頭デッカチを脱却するには、瞑想するしかない・・・。
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10/11(土) 良質の茶葉をたくさん採取するには、栄養を奪う花は邪魔なのだ。
過剰な施肥に、永遠を幻想したかのような茶の木も、やがて老いに襲われる。
栄養はあっても吸収する力を失った老木は、一斉に花を咲かせるのだという。
美も蜜も生殖も拒んで、生存を続けてきた者の、末期の敗北宣言か・・・。
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10/10(金) 不完全な者同士が、互いに欠落した部分を補完し合うように、結ばれ、花を咲かせ、有性生殖を営むのだろう。
あまりにも豊かに自己完結し、みずから発光し始めた者たちは、花も実も命も形あるものは残さず、ただ法のみを提示して消えていく・・・。
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10/9(木) 肥料が多く、栄養過剰になった茶の木は、花を咲かせなくなる。
施肥が打ち切られ、放置された茶の木は、再び開花する。
撒水過剰の果物は、水っぽい。
枯死寸前まで水分を抑制された果実もトマトも、極度に糖度が増し甘くなるのだ。
抑止を心得、欠乏に耐えたものが、甘く、美しく、花開く・・・。
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10/8(水) 春爛漫の真っ白い木蓮が、なぜか真夏の炎天下にたった一輪だけ花開いた・・。
3週間前に大幅な枝落としをしたのが一因か。
瞑想の秘訣は少食にあり!なのだが、今回も10人中3人の瞑想者が断食をした。
敢えて盛んな樹勢を削ぎ、生を貪らず、苦に耐えた果てに、花開く・・・。
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10/7(火) 思考モードにどっぷり漬かり、まるでカウンセリングを受けに来たような合宿の前半だった。
だが、やっと心の整理がつき、反応系の修行が一段落すると、最後に渾身の力で瞑想に没入することができた。
10年以上修行してきたが、これ程の厳密さで純度の高いサティを入れたことはなかったと言う。
そんな短期間では通常あり得ないのだが、その瞳の星のキラキラが印象深かった・・・。
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10/6(月) 外国のどの僧院でも、真剣な瞑想者の眼は、不思議な光り方をし始める。
修行期間ではなく、思考を厳密に止めている度合いに比例しているらしい。
人相が悪く、どんよりと濁った眼のヨーロッパ系瞑想者が、3カ月後、少女漫画の星の瞳のように、キラキラと美しい輝きを湛えていたのに驚いたことがある・・・。
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10/5(日) 「10日間合宿は、短期とは比べ物にならないほど、皆さん、顔が綺麗になりますね」
合宿スタッフ達が口々に驚嘆の声を上げていた。
眼がキラキラと光るように美しくなった方のビフォー・アフターが、特に印象的、と付け加え 「どうしてですか?」と訊かれた 。
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10/4(土) 「なぜ楽しいのか、解りました」と後半担当のスタッフが言った。
プレッシャーもあるし、まだ不慣れなので戸惑いもあり大変だが、瞑想者のお役に立てると思うと、なんとも言えない楽しさが込み上げてくるという。
瞑想が進みますように、この合宿が皆様の幸せな良い人生につながりますように・・と切に願いながら調理し、道場を整えていく・・・。
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10/3(金) 後半担当のスタッフとの引き継ぎが終わり、元料理人の若者は遅い昼食を独りで摂っていた。
通りかかると、「先生、何かお菓子をいただけますか?」
作務衣の袖を肩までまくり、頭にバンダナを巻いた若者は、とっておきの菓子を食べながら、小さな声で「ああ、やりきった・・」と呟いていた。
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10/2(木) 森林の修行者に戻れる見込みが遠のいた今、瞑想合宿の日々は最高に楽しい。
瞑想者の修行が日一日と深まっていく消息に立ち会うのは、楽しい。
苦しかった人生、幸薄き私・・とかたくなに思い込んできた認知がガラガラと崩れ、白黒映画が色鮮やかな動画に一変していくのを見るのは、楽しい。
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10/1(水) グリーンヒル合宿スタッフを一人で執りしきるのは相当ハードな仕事だが、そういう伝統となってきた。
8月の合宿を担当したスタッフが、その単独仕事に初挑戦し、驚異的なスピード感覚で見事に全うした。
昼食の仕込みがあるのに、朝の法話も欠かさず聞法し、参加者に混じり長時間、瞑想する余裕まで示した。
「スタッフの方が私たちと一緒に修行してくれて感動しました」
と面接で涙ぐみながら語る参加者もいた・・・。
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9/30(火) 愚かな悪を重ねる。カルマが悪くなる。苦境に陥る。欲しいものが得られない。不満がくすぶる。
妄想する。執着が募る。目が眩む。滑稽な思い込みを始める。厚かましくなる。傲慢になる。復讐してやりたい怒りが露わになる。自己チューの冷たさが加速する。
悲しい、愚かな負のスパイラル・・・。
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9/29(月) 痛い目に遭い、屈辱に震えながらも、その意味が解らない悲しさ・・。
苦受を受けるたび、誰に向けてよいのか分からない怒りに充血する。
鬱憤を晴らそうと悪いことを企み、さらに不善業を重ねていく。
自覚されない猿知恵と愚かさ・・・。
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9/28(日) 「あなたのことだよ」と言われるまでわからない。
言われても、否定し「なんで私なのよ!どこが、そうだって言うのよ!」とキレまくる。
☆「恥を知らず、烏のように厚かましく、図々しく、人を責め、大胆で、心の汚れた者は、生活し易い」(ダンマパダ18ー244)
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9/27(土) 「浅はかな愚人どもは、自己に対して仇敵に対するようにふるまう。悪い行ないをして、苦い果実を結ぶ」
☆ 「愚かな者は、悪い行ないをしておきながら、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。火に焼き焦がされた人のように」
・・え!
まさか、私のこと!?
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9/26(金) ブッダは言う。
☆「旅に出て、もしも自分に等しい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならぬ 」
☆「愚かな者は、悪いことを行なっても、その報いの現われない間は、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける」
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9/25(木) 下品で、汚ならしくて、イヤらしい人でも、必然の流れで道が着いたなら、受け容れていくのが全託だ。
不善業ゆえに、どうしようもなく条件が悪くなった哀れな人ではないか。
だが、煩悩を露わにし、瞑想を侮辱し、ダンマに泥を塗ることを始めたら、受け容れる必要はない。
縁を切ってよい。
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9/24(水) 通り魔の振りかざす刃は、一瞬にして身をかわす。
心邪なる者は放逐し、薄汚れた者の醜い欲望に、犯されてはならない。
生起した出来事を見境なく丸呑みするのは、全託ではない。
心を汚さない。後味の悪いことは拒絶する。悪を避け、善をなす。
理法に貫かれるからこその即断即決・・・
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9/23(火) 必然の力で生起してきたことは、ことごとく受け容れていく。
そう心を定めると、ネガティブな事象が二転三転しながら、絶妙な落としどころに決着していくものだ。
予想だにしない展開に、思わず微笑を禁じ得ない日々是好日になっていく。
ダンマに一切を委ねきる「全託」は楽しい・・・。
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9/22(月) 真夏日の強い陽射しを全身に受けると、ミャンマーの森林僧院での修行の日々が思い出された。
昼食後の短い午睡から覚め、丁寧にサティを入れて深紅のハイビスカス茶を喫すると、一足一足林道を踏みしめながら禅堂に向かった・・。
夏こそ瞑想の季節・・・。
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9/21(日) 住み慣れた旧市街から駅南の新興住宅地へ引越した人が洩らしていた。
「この辺では、ご近所の絆が乏しく、挨拶すらしない方もいるんですよ」
同じ下館なのかと、耳を疑った。
田畑を整地し、新参者同士が住宅を寄せ合って暮らしても、歳月のもたらす洗練は、まだのようだ・・・。
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9/20(土) 人が長く住んでいる地には歴史があり、礼節があり、作法があり、マナーがある。
野蛮さやエゴイズム、冷酷さが剥き出しになるのを嫌うのが文化である。
古い祭の伝統を伝えてきた小さな田舎町だからこそ、互いに見守り合う力が、戒める力、律していく力となって、人の優しさを育んできた。
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9/19(金) 母性愛丸出しの笑顔を絶やさないウェイトレスのおばさんにも、親戚のような錯覚を覚えてしまう。
自転車に乗ると、さあ、行きなさい、と街角で譲ってくれる車が本当に多い。
東京ではあり得ない無防備さで、安心しきって街を歩いている。
下館の街の優しさは、何に由来するのだろう。
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9/18(木) 行きつけのファミレスで、思わず見惚れてしまった。
なんでこんなに明るい笑顔で笑えるんだろう・・と不思議になるほど、楽しそうに、仲良く食事をしている中年の夫婦とその母親らしき3人。
母娘なのか嫁姑なのか、コロコロと小さな笑い声を立て続けている様子が、本当に、幸せそうだった。
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9/17(水) 圧巻は、その翌朝、大神輿のみが、勤行川の水中で御祓の川渡御をするのだ。
全てのお飾りを取り外し、 本体に新しい晒を巻き付け、川に飛び込んだ男達が水中で揉み、担ぎ、穢れを浄めていく。
神社に戻り、庫入りの儀式が終わると、爆発的な非日常のエネルギーは1年間の眠りにつく・・・。
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9/16(火) 最終日の夜、各町内の全ての神輿が続々と結集し、順次、羽黒神社を三巡しながら宮入を果たしていく。
神前正面で高々と持ち上げられる神輿の武威を帯びた美しさが、灯火に照らし出され、闇の中に浮かび上がる。
猛々しい祭の興奮が作法に抑制され、美しく、力強く、祭礼の儀を完成させていく。
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9/15(月) そんな風に、抑止されることなく、もっと、もっと・・と高められ、極められ、エスカレートしていく愚かしさと恐ろしさを諭すかのように、下館祇園祭りの終わり方は、華やかで、力強く、厳粛で、浄らかな美しさがある・・・。
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9/14(日) やがて祭りの興奮が絶頂に達した時、 なぜか重さ1トンの大神輿が突然、落とされる。
死者や怪我人が出ることも珍しくなかった。
男達の沸騰するエネルギーが最高潮に達した瞬間、リーダーも合図もなく、一斉に共有された破壊の意志。
絶頂から奈落に急落する凶々しさ、怖ろしさ・・・。
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9/13(土) 平成になり、重量では日本一を誇る2000kgの神輿も作られた。
昔からの大神輿は重量1000kgだが、興奮が極まって暴れ神輿状態になった時の迫力は凄かった。
華麗なお飾りをユサユサと鳴らし、独特の揺れ方をする偉容は、荒ぶる神が躍動するかのような力感と畏怖と感動に満ちていた。
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9/12(金) 遠雷のように響き渡る祭り太鼓と、下館自慢の大神輿の壮麗な渡御。
大人達の興奮が爆発し、祝祭の非日常性に陶酔していく光景に、心底圧倒されていた幼かりし頃・・。
溢れ返る思い出も、シャッターを押す感覚も、客観視されてしまう今・・・。
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9/11(木) 悟りにはほど遠い凡夫であっても、リトリートに入った瞑想者は誰でも、心がピカピカになる。
昼夜を問わず、欲や嫌悪や慢の妄想を離れるからだ。
煩悩を生み出す思考が止められ、たとえ一時的であれ浄らかになった心は、合掌し、お辞儀をするに値するではないか・・・。
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9/10(水) 「かつて合掌の作法を習ったが、形だけに過ぎなかった。でも今、瞑想者の姿を見ると、合掌したい衝動に心底から駆られてしまう。この気持ちが、比丘を礼拝する原点では ・・ 」 と、彼女は言う。
出家があってこそのテ−ラワ−ダ仏教。
そして、修行する姿こそ、比丘の原点・・・。
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9/9(火) 重い苦を抱えてリトリートに入った方々の真剣さが、合宿全体のテンションを高めていく。
静かに、黙々と歩く姿に、どこか沈痛な、悲壮な美しさが漂っている。
そんな参加者ひとり一人に丁寧な慈悲の瞑想を捧げ、夜座をするスタッフの姿もまた神々しい輝きを放っていた・・・。
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9/8(月) 合宿が始まると、瞑想に専念しようとする参加者の想いが一つになって、道場には聖なる雰囲気が張り詰めていく。
「皆さまに、思わず心の底から合掌したくなり、泣きそうな気持ちになってしまうのです。どうしてなのでしょうか?」
とスタッフの一人に訊かれた。
それこそ、瞑想道場の最高のオモテナシではないか。
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9/7(日) 全身でのめり込んでいたことに、 ハッと気づく瞬間・・・。
思考モ−ドに入っていた事実を対象化する視点の導入。
自己客観視が、化け物のように肥大していく妄想の泥沼を終わりにする。
サティの瞑想は、苦の根本を断ち切っていく・・・。
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9/6(土) 何事も、静かに、淡々と、清潔な距離感が保たれるものは、永く続いていく。
汁気を失い、鍋底に焦げ付いていった煮魚のように、もっと、もっと・・とエスカレ−トし、すべてを失っていく・・・。
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9/5(金) 蜘蛛の糸が切れ、真っ逆さまに奈落に落ちていく者もいる。
救いの手が、多方面から何度でも差し伸べられる人たちもいる。
人世のために我が身を犠牲にし、善きことを重ねてきた人々は、自ら貯えた徳のポイントを費って苦境を脱していく・・・。
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9/4(木) 復讐の怒りに我が身が焼かれていることに気づけない人、自己チュ−の視座をどうしても手放せない人、何がなんでも・・と執念に目が眩んでいる人たちに、たとえ一筋のダンマの光が射しかけられても、虚しくスル−していくだろう。
救い難い者たちを、ただ黙って見守る仏の眼差し・・・。
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9/3(水) 人を苦しめてきた報いとして、過酷な人生を歩まざるを得なかったのではないか。
その因縁の流れを正しく読み解くことができず、怒りの刃を振り回す者たち。
積年の恨みをはらすように、人を踏みにじりながら、快感を貪る者たち・・・。
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9/2(火) 人の畑に乱入し我が物顔で作物を貪る獣のように、抑圧された慢があれば、人は、鈍感になっていく・・・。
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9/1(月) 劣等感があるので、異常なまでの執着になっていることに気づくことができない。
そんな渇愛に目が眩んで、人は、全てを失っていく・・・。
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8/31(日) 何事も、痛い思いをしなければ、腹に落ちない・・・。
愚か者は、高い授業料を払うことになる・・・。
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8/30(土) ネットからグリーンヒルの合宿に申し込まれた方に返信を差し上げても、届かないことが少なくない。
特に携帯から申し込まれた方に多い。
PCから送信されたメールは自動的に受信拒否する。
そんな設定を知らずにしているケースもある。
あなたは、大丈夫ですか?
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8/29(金) グリーンヒルの瞑想普及活動は、20年前の朝日カルチャー講座から始まった。
一切の宗教儀礼を省略し、瞑想の本質だけを提示することによって敷居が低くなったのだろう、初めて瞑想の奥深い世界に縁がついた方々は数えきれない。
これほど長く続く講座になろうとは、感慨無量・・・。
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8/28(木) 劇薬には鮮やかな効果もあるが、副作用も強い。
断食の場合、副作用ではないが効果に比例して危険度も高まる。
生半可な知識で断食をやれば、失敗するだろう。
私も危うく死にかけたことがあった。
やらない方が良かったという結果も珍しくない。
伝統のある専門道場がよい。
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8/27(水) 52時間で断食を解く予定だったが、町内の暑気払いの寄合があり、55時間になった。
果物+野菜ジュース+ヨーグルト+カンパン等のエネルギーが、静かに体に拡がり始めた。
さあ、これからがゴールデンタイムだ。
解毒された体の透明感が、異様なまでに意識を明晰にする・・・。
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8/26(火) 健康時の断食と病気治しの断食には、大きな落差がある。
解毒がキツイ時は、一日に何度も泥のように眠りこけてしまう。
断食によって白血球が急増する事実は検証されており、免疫力が一気に強化される所以だろう。
爆睡に陥るのは、ウイルスや黴菌と死闘を繰り広げているからだろうか。
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8/25(月) 断食を開始して45時間、脱力感が深まっていくが、それに比例して解毒も確実に進行しているのが解る。
体の節々にネガティブな体感が残存する間に断食を解けば、必ずブリ返す。
毒を以て毒を制する医学とは異なり、免疫と自然治癒力を急増させる断食は万病に卓効を奏する。
今は、ただ待つ・・。
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8/24(日) 五反田の講座当日、喉が痛く、最悪の体調だった。
何事もないかのように悠然としていたが、無事に終り胸を撫で下ろした。
「ワークショップは想像以上に有意義でした。そして不思議な安らぎを得ることができました」
そんな所感もいつも通り耳に入る。
責務を果たし、今、断食をしている。
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8/23(土) 6人の理髪師がシャキシャキと鋏を鳴らす店で、散髪中に突然、全てのものに完璧にサティが入り始めた。
バリカンの電動音、ラジオの声、髪の毛に入っていく櫛の感覚、シャンプ−の流水音、一瞬の思考とその10倍の連想・・・。
小気味の良い無努力のサティは、抜群の体調に起因していた・・・。
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8/22(金) 五反田でのヴィパッサナー瞑想ワークショップが定番化してきた。
単発の講座で終わるつもりだったが、なぜ、ヨーガ教室で仏教の瞑想が実践されるのだろう。
かつては『ヨ−ガ・ス−トラ』を拠り所にサマタ瞑想を修行し、「体調を整えることが、良い瞑想の秘訣」と強調してきた。
思えば、いかにもふさわしい縁であった・・・。
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8/21(木) 執着していたものに心底から諦めがつき、完全に手放すことができたとき・・量り知れないパワーが入ってくる・・・。
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8/20(水) 起きたことは、すべて正しい。
良い瞑想ができるのも、その瞑想が暗転していくのも、ただそうなっていく要因と諸々の条件が出そろった必然の展開だった。
良い状態も、悪しき状態も、起きた通り、経験された通り、ありのままに観ていく瞑想・・・。
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8/19(火) 水中の魚類も、地を這う虫も、空を飛ぶ鳥も、誰もが己の分をわきまえながら、公平に、平等に、棲み分けているのが命の世界だ。
その、生きとし生けるものに注がれる仏の慈悲の眼差しに、分けへだてはない。
だが、糞壷にうごめくウジ虫と、笹の葉を食むパンダは、同じ場にはいられない・・・。
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8/18(月) 一堂に会した修行僧を前に、ブッダは、初夜が過ぎ中夜が過ぎても沈黙したままだった。
ア−ナンダが説法を懇請すると「この中に心の汚れた比丘がいる。良き稲の中に悪草が生えているように」と仰せられた。
モッガラ−ナが神通力で2人の不浄の比丘を特定し、門外に放逐すると説法が始まった。
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8/17(日) 見渡す限り拡がっていたミャンマ−の樹海も、夕陽の残光に燦めくタイの寺の金色の棟飾りも、優しいスリランカの風光も・・淡く、遠く、薄らいでいく。
いつまでも鮮烈に、深く心に焼き付いているのは、お世話になった人、語り合った人、共に修行した人々である。
・・法友に勝るものはない。
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8/16(土) 1Day合宿が終わった。 参加者の方々が胸の内を披瀝されていく打ち上げが終わる頃、とても良い感じの親和感に座が包まれていた。
たった一日の合宿なのに、長期に勝るとも劣らぬ雰囲気だった。
瞑想合宿は楽しい・・と、静かな至福感が心に拡がっていく・・・。
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8/15(金) 仏法僧への三宝帰依で、多くの日本人が躓くのは「帰依僧」である。
上座部比丘サンガの実像が、いまだ不明だからである。
それではテ−ラワ−ダ仏教の「信」の構造が正しく伝えられることはない。
落合比丘が、原著に加筆補筆し、多くの図版を添えて一本をまとめた所以だという。
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8/14(木) タイ・チェンマイの落合比丘が3年の歳月をかけて和訳された「テ−ラワ−ダ仏教の出家作法」が贈られてきた。
ヴィパッサナー瞑想も仏教の本質も、尊い比丘集団によって支えられ、伝えられてきたことに、改めて襟を正した。
在家の卑小な存在に過ぎないことを、忘れてはならない・・・。
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8/13(水) 眼前のクライアントはそっちのけで、どうしたら仕事中にもサティが入るだろう・・と腐心している瞑想者に会ったことがある。
自分のことしか関心のない「エゴイスト」とラベリングすべきだろう。
本義を忘れていることに気づけない「愚かなサティ」「慈悲なきサティ」・・・。
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8/12(火) 「この気持ちで接客すべきだったんやな、昔のあの店でも・・」
と、彼は独り言のように呟いた。
接客や臨床の現場では、お世話する相手に、100%の気持ちが向けられるべきである。
次の瞬間、その「完全燃焼」していた自分に気づくサティが入れば素晴らしい・・・。
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8/11(月) 打上げの宴では、作務衣に前掛けをキリリと締め、ドリップ・コ−ヒ−を丁寧に淹れては、瞑想者一人ひとりに運んでいた。
「この美味なコ−ヒ−を、修行の終ったあの方々に差し上げたい、と心から思いました」と挨拶をしていた。
善行の善果を己に期待する劣善の要素は、微塵も感じられなかった。
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8/10(日) 元料理人だった若者が、タイで出家する覚悟を決めた。
衣を着るに値する力を急速につけてきたが、さらに2〜3年かけ、準備万端整えるという。
できる限り波羅蜜を積んでおこうと、短期合宿のスタッフを手伝った。
料理を始める直前、味噌汁や調理の鍋に合掌し、三宝に祈る姿に心打たれた。
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8/9(土) ささやかな希望と、天の意志と、宿業に組み込まれた情報がピタリと重なり合い、必然の力で展開してくる事象の流れに身を委ね、一切を受けきっていく生き方・・・。
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8/8(金) 血の臭いを嗅いで興奮する鮫や肉食動物のように、怒りを覚えた瞬間の、血の沸騰する感覚が大好きな人たちもいる・・・。
怒りという強い興奮状態にのめり込まないと、ワクワクしない歪んだ混乱。
その結果襲われる、未来の苦受が想定できない暗愚・・・。
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8/7(木) 智慧に向かって開かれていくために、人の眼を叩く苦もある・・・。
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8/6(水) 鬱々と累積していった不満と怒りが、暗い歪んだ欲望を肥大させていく・・・。
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8/5(火) 邪まな欲望に目がくらみ、人は自滅していく・・・。
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8/4(月) たとえそれが、霊示や神示など異界の存在からのメッセージであっても、同じ構造である。
常識を働かせ、ダンマに照らし合わせて、法に基づいた判断をくだすべきである。
拠りどころとするのは、理法のみということ。
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8/3(日) 尊敬して耳を傾け、素直に従っていくのは良い。
だが、神格化し、崇拝が始まれば、ヴィパッサナー瞑想者にふさわしくない。
崇拝とは、妄想の絶対視のことだからだ。
命じられれば、999人の命を殺め、群衆に劇薬をバラまくことも厭わなくなる。
人に依らず、法を拠りどころにする・・・。
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8/2(土) 正確にサティが入る一瞬、その人が認識するのは、純粋に客観視された世界だ。
自己チュ−なエゴの世界とはちがう。
聖者には聖者の世界があり、凡夫には凡夫の世界がある。
煩悩に汚れた心は日々、苦しい人生を生きることになる。
心が浄らかになれば、認識する世界が変わり、解脱する。
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8/1(金) 嫌なものを押しつけられてきたと恨んでいる人は、愛されてきた確かな事実があっても、優しくなれない・・・。
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7/31(木) 瞑想には、場の力、徳の力、共に瞑想をする人の暗黙の力が働いている。
独り犀の角のように歩むのは難しい・・・。
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7/30(水) どれほど愛されても、不満のある人は優しくなれない・・・。
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7/29(火) 周囲からの愛をほぼ独り占めしてきたのに、エゴイストで冷めたい人が、なぜこんなに多いのだろうという疑問・・・。
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7/28(月) 愚かだったのは残念なことだが、真実相を正確に把握できなかったに過ぎない。
それ以上でも以下でもない、ただの状態である。
どうしようもない馬鹿な私・・・と括るのは正しくない。
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7/27(日) 桃の実を付けた庭木を見た瞬間、石ころや枯草の印象と同じにはならなかった。
色が何もない未完成の庭に紅一点、可憐な桃花を見るたびに心がちょっと温かくなった。
あのハナモモに実が・・と記憶が重なり、法から離れた瞬間、情感が胸に拡がっていった。
人生は一場の夢・・・。
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7/26(土) 現在の瞬間に過去の印象が折り重なって、人生の哀歓が生まれてくる。
もし一切の記憶を失えば、過去が何もなくなり、自我も人生の全体も崩れ去るだろう。
苦しみも喜びも何もない、ただ今だけの世界・・・。
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7/25(金) 早春の庭に花を付ける木は一本もなかったが、紅一点、花桃の若木だけが鮮やかなピンクの花を満開にして輝いていた。
その細い枝に、小さな桃が実を結んで膨らんでいた・・・。
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7/24(木) 7台目のエアコンが設置され、これで道場の空調は全て整った。
だが門柱、表札、郵便受け等々外構工事はこれからで、喫茶コーナーの冷暖房遮蔽カーテンも発注したばかり。
いつまで経っても、道場整備が終らない。
歩く瞑想の時間は死守しているが、読む時間、書く時間があまりにも少ない。
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7/23(水) よく見れば、本当は苦しいのに、なぜ楽しいと錯覚してしまうのだろう。
「転倒相」という名の混乱と興奮と愚かさ・・・。
いくら無我論がわかっても無くならない我執。
不浄なものが甘美に見え始め、無常無常と知りながら永遠の存在を夢見てしまう・・・。
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7/22(火) 願望実現のくだらなさは、自分を不幸にする愚かなことを願ってしまうからだ。
燃え盛る炎に飛び込んでゆく虫のように、人は自ら不幸を引き寄せ、苦海に飛び込んでいく・・・。
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7/21(月) 苦の発端は、甘美な蜜の味がする・・・。
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7/20(日) 自分自身を対象化し、客観視するマインドフルネスがあればよいのだろうか。
邪なサティがあり、智慧のないサティもある。
対象をどのように認識し、判断するのか。
正しい、ダンマに基づいた、洞察のサティの確立と血肉化を目指す・・・。
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7/19(土) サティの瞑想を始めた瞬間、それまで想いの世界にどっぷり浸りきっていた自分に気づかされる。
悪夢から醒めたようではないか。
たとえ一日にたった10分間でも、この自分を客観視する視点を持つことなく、どうやって我が身を律していくことができるのだろう・・・。
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7/18(金) いかなる宿業も、新たな意志をもって作る新業によって超えよ、とブッダは言う・・・。
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7/17(木) 毒親の世代連鎖を食い止めるためにも、瞑想が必要不可欠なのではないか。
必ず乗り超えていく決意と、ネガティブな瞬間に気づく心と、生きていく拠りどころとなる理法があれば、 どのような人生の流れも変えていけるのだと心得る・・・。
(1)チェ−タナ−(初志貫徹)
(2)サティ(自己客観視)
(3)ダンマ(判断基軸)
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7/16(水) 親になる資格のない人が、なぜ子供を作るのだろう・・・。
毒親の下に生まれてきた人たちの悲しみに接するたびに、命の残酷さを想わずにいられない。
毒親たちもまた、毒になる親の下で苦しい生涯を送ってきたのだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………
7/15(火) 全てを見通すことができる人たちもいる。
神通第一と称された目連尊者は、刺客に襲われること2度、そのたびに神通力を用いて逃げた。
だが、過去世の因縁を読み解き、逃げ切れない重業の所在を知り、3度目の襲来には自ら凶刃を受け、入滅した・・・。
天の道とは、宿業の別名ともなる。
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7/14(月) 生起した出来事を、機械的に全て受け容れてしまえ、ということではない。
通り魔の振りかざした刃から身をかわさないのは愚者である。
だが、逃げ切れなかったら、それは、ただそういうことだったのだ。
天が与えた道とし、不善業が一つ消えたことに感謝しながら、悠々と死んでいけば良い。
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7/13(日) 不安がないのは、何が起きても、それで好い、と受け止めていく覚悟が定まっているからだろう・・・。
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7/12(土) この街の人々がどれほど純朴か、熟知しているからだろうか。
下館の街を歩いていると、家族と一緒にいるような錯覚に陥っている。
独り暮らしなのに、こんなに無防備で安心しきっていて、よいのだろうか。
いつ、どこを探しても、不安な心がまったく見当たらない・・・。
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7/11(金) お馴染みとなった「仕事帰りの自主瞑想会」は、毎月第3水曜日が定番。
毎回参加するリピーターを中心に、この瞑想会が縁となった絆が生まれつつあります。
白銀も黄金も玉も何せむに、優れる宝、法友にしかめやも・・・。
………………………………………………………………………………………………………………
7/10(木) 耳にタコができるのではない。
右の穴から左の穴へスル−していくのだ。
言われた瞬間、『ああ、また、あれか・・』と分かった気になっているが、心には何ひとつ響いていないのだ。
だが、諦めることなく、手を変え品を変え、何度でも同じことを言い続け、トドメを刺すまでのこと・・。
………………………………………………………………………………………………………………
7/9(水) 素晴らしい才能を持ち、正確な技法を体得し、修行環境も整いながら、慢の煩悩ゆえに自滅していった数多くの人達よ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………
7/8(火) とは言え、正確な技術で瞑想修行をやり尽くした、などとのたまえる人がいるだろうか。
修行が進まないのは、甘い、ゆるんだ瞑想しかできていないからだ。
合宿のマンツーマン指導で、ほとんどの方が技術的に修正されているのが現状だ。
正確な技法の習得+衆善奉行の波羅蜜・・・。
………………………………………………………………………………………………………………
7/7(月) 身体を整え、心に刺さった妨害要因を除去し、技術的にやるべき修練を徹底したなら、その先、どう瞑想を進めればよいのだろう。
あらゆる善行に努め(衆善奉行)、波羅蜜の後押しする力に頼るしかない。
人に恵まれ、神々(デーバ)に愛され、環境全体に助けられ、支えられていく調和の相の下に。
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7/6(日) 職人の誠心誠意な仕事ぶりに感動した。
絨毯を剥がし、原因を見つけ出し、ビスを撃ち尽くすや調達に飛び出していく。
まるで合宿スタッフのように私を「先生」と呼び、なんとしても直そうとしてくれている。
こんな風に道場が出来上がっていくのか、と三宝に感謝せずにはいられなかった。
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7/5(土) 絨毯を施工した表具職人が「俺が見てやる」と現れた。
ハンマーで床板を叩きながら、横木の位置を探り出し、200本近くのビスを打ちまくり、見事に直してしまった。
謙虚で、腕が良く、笑顔を絶やさない職人が請求した金額は、\12000+消費税だった。
ただ同然ではないか・・!
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7/4(金) 新道場にのっけから問題が生じた。
2F歩行瞑想室の窓側を歩くと、うぐいす張りの廊下のように軋み音が鳴るのだ。
全員から指摘されたが、修理の見積りは、到底支払えない莫大な金額だった。
部屋の使い方を変えるしかないと覚悟したが、予想もしない不思議なことが起きた・・。
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7/3(木) 新緑に陽が射してくる瞬間、命の讃歌が聞こえてくるような妄想が浮かぶ・・・。
紫蘭の花弁が陽光に輝き、庭石に安置された黒いカンボジア仏の沈黙が鳴り響く・・・。
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7/2(水) なぜ庭を見ていて飽きが来ないのだろう。
日々、刻々と変化しているからだ。
枯木同然だった枝に青葉が茂り、萌えいずる新緑となって風に揺れ、陽光に燦めいている・・。
真紅のツツジの勢いが衰え始め、根本には老残の落花が散乱する。
物言わぬ庭に迫る、無常の残酷さと美しさ・・・。
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7/1(火) 優しく、静かな口調で、何度説明しても、ネガティブな事実を指摘されると、プライドが傷つくとキレるのが不可解だった。
それなら止めればいいのに、止めないのも、さらに不思議だった。
できない人を出来るようにさせるのが、インストラクターの仕事である。
よーし、と指ポキポキ。
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6/30(月) 瞑想が正しくできていないと指摘すると、「プライド傷ついた!」とキレまくった人がいた。
ありのままの事実を直視する瞑想を習いにきたのではないのか。
事実を認めると傷つくプライドの虚妄さ。
嘘でもいいから人に良く思われると嬉しがるエゴ妄想。
偽りの栄光。
虚栄・・・。。
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6/29(日) 合宿が始まった時には固い蕾だった屋久島石楠花が、皆が下山する日、真っ白に花開いていた・・・。
玉砂利や舗石のような無機物ですら、陽の射し方や雨滴や泥や落葉などに千変万化する。
花も新緑も樹形も美しく変容して楽しませてくれるが、病葉となるものも枯死するものもあり、雑草や絡みつく蔦などに犯されていくものもある。
そんな人の思惑をはるかに超越して、命のあるものも命の営みのないものも、 無常の法則に貫かれている・・・。
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6/28(土) それでは身が持たない、と皆に心配されるが、当人は、連日3時間余の睡眠時間でまったく疲れることなく、終始心から楽しんで仕事をしていた。
不思議なパワーが全身にみなぎり満ち、頭は冴え渡り、何を訊かれても瞬時に答が浮かんだ。
ダンマの力としか思えない・・・。
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6/27(金) 下館道場は、全ての点で八王子よりもバージョンアップされ、使いやすいと皆が言う。
特に別棟の面接室は、防音性に優れ、清潔感も美しさも好評を博している。
個人インストラクションが、人生の流れが変わる機縁になる方も少なくない。
今回、心置きなく面接の仕事に徹することができたのも、環境の力が一因だったかもしれない。
深夜12時直前に最後の面接が終わった日もあった・・・。
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6/26(木) 下館道場初の長期合宿は、生涯忘れ得ぬ感動とともに終わった。
たった10日間なのに、人生のターニングポイントとなった瞑想者がこれほど続出するとは思いも寄らないことであった。
記念すべきオープニングの合宿が、過去最高のものになろうとは、何よりの祝福と感じた・・・。
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6/25(水) 同時進行で9つの物語が静かに展開していくのが合宿だが、どんな合宿にも必ず終わりが来る。
「一所懸命、淡々と」修行してきた成果が実を結んでくるのは、いつも、いよいよあと1日、2日のタイミングだ。
修行が佳境に入ったレポートが連続する。
花火大会のフィナーレのように、次々と夜空に花開き、炸裂する・・・。
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6/24(火) 欲しくてならない時には得られず、どうでもよいと思えた時に、不思議に手に入るものだ。
欲しい、欲しい、という強烈な渇愛が、自然に来るべきものの到来を妨げている。
執着の手を放すのを待っていたかのように「放てば、手に満てり・・・」。
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6/23(月) いかようにもがけども、しょせん、起こるべくして起きることのみが生起し、消滅していく。
苦しいのであれば、理法を腹に落とし込み、怒りを手放し、欲望を見送っていく。
因縁が心底から受け容れられ、諦めがつけば、心がスーッと軽くなり、力が脱け、安らかになっていく・・・。
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6/22(日) あくせくしないで、スタッフを増やせば良いではないか。
そうしたいのだが、スタッフを増員した分、9名の瞑想者枠を減らさなければならない。
入山したい方が多いのだから、そんなことはできない。
道場主がマルチに何役もこなせばよいのだ。
それが、グリーンヒルの歴史だった・・・。
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6/21(土) グリーンヒル道場での合宿は、一人何役もこなさなければならない。
昨夜は23時過ぎに面接が終り、3時間ちょっと寝て起床の鐘を鳴らす。
朝食の配膳が終わるとダンマトーク。
終わるや、昼食の不足品を買いに自転車を飛ばす。
昼の配膳が終わるとメールチェックをして、また面接が始まる・・・。
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6/20(金) 下館に着いた。
寺男の到来を待っている。
合宿直前の慌ただしい準備はいつものことだ。
大変と言えば大変だが、免疫ができている。
戦争のように走り回るが、心は悠然としている。
さーて、久しぶりの合宿だ。
指をポキポキ鳴らし、ワクワクしている・・・。
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6/19(木) 下館新道場で初めての長期合宿が始まったのは、もう2ヶ月近く前のことだ。
振り返ってみる。
前夜の朝カル食事会が盛り上がり、終電での帰宅は到底無理、日暮里泊。
始発に乗る予定だったが、ハッと気づくと、電気を点けたままゴロ寝していた。
下館に向かう車中でツイッターをアップする。
10時に寺男が来る。
合宿用品の買い出し、備品設置、準備を整えなければならない。
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6/18(水) 六門に届いた情報は必ず、心に概念ワールドを形成し、そのネガティブな妄想で人は自滅していく。
生存が続く限り、苦楽の受は、間断なく聖者たちにも経験されている。
如来とは、妄想(パパンチャ)を離れた者たちという定義・・・。
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6/17(火) 人は、他人を滅ぼすことはできない。
ただ自滅の構造があるばかりだ。
地獄のような苦況にあろうとも、聖者たちの心が折れることはない。
たとえ殺害されても、従容として涅槃に入っていくばかりだろう・・・。
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6/16(月) 「下館の方が瞑想しやすい。八王子とは比べ物にならない」
「庭が綺麗・・」
「面接室が最高!」
と、打上げで賞讃の所感が述べられたが、まだ不備も多い。
あとひと仕事・・・。
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6/15(日) そこで尊師は修行僧たちに告げた。
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
【生起する一切の事象は、変滅し、崩壊していくものである。
サティを失わずに、怠ることなく、修行を完成しなさい】
これが、修行を続けてきた者の最後の言葉であった。(涅槃経)
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6/14(土) 【アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。
どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。
正しい目的を実行せよ。
正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ】(涅槃経)
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6/13(金) グリーンヒル瞑想研究所@下館の道場開きをしてから、もう2ヶ月にもなるのか。
特別なセレモニーは一切行なわず、スタッフ限定の1Day合宿を普通に実施して、こけら落としとした。
飲食とお喋りの儀礼的行事をする暇があるなら、樹の下で、廃屋で、瞑想せよ・・と、ブッダなら仰せになられたのではないだろうか。
弟子たちには、ご自身の葬儀よりも、その日、その瞬間の瞑想修行に専念せよと告げられた御方だった。
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6/12(木) 瞑想をすれば、頭が良くなっていく。
記憶力もアップするし、ものごとの良し悪しや事の本質が瞬時に分かるようになっていく。
脳内環境がクリーン化されていくからだ。
知識と経験、「サティ」という名の気づき、正確な現状認識、ブレることのない判断基軸・・・。
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6/11(水) 道場の中も外も、例えば、塀の色や材質、敷石、庭木の一本、その位置にいたるまで、膨大な決め事の数に圧倒される。
人生は「選択」である。
正確に、素早く判断しなければ、日が暮れてしまう。
死んでしまう。
だが、瞑想者は誰でも、即断即決の能力が高まっていく・・・。
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6/10(火) その究極のゴールを目指しての瞑想であり道場なのだが、現象世界に留まるかぎり、煩瑣な一瞬一瞬に耐えなければならない・・・。
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6/9(月) 夢のない熟睡状態が永遠に続くのはどうだろうか・・・。
存在を終了した寂滅の安楽・・・。
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6/8(日) と、呟いてはみたものの、実状はとても終了宣言どころではない。
所有しているものは全て、煩いの種である。
道場も、人も、自分の体も、生きている限り一瞬一瞬、否応なしに反応していく「意識」も・・・。
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6/7(土) 道場移転も完了しつつある。
庭もほぼ完成し、塀の補修も着工した。
まだ整えるべきものが多々あるが、合宿再開の日をもって「移転」の打ち止めとしたい。
生きていく限り、永遠に不備は出現してくるだろう。
現象世界の不完全性は、無常の別名でもあり、ドゥッカ(苦)の別名・・・。
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6/6(金) 【仕事帰りの自主瞑想会】の詳細。
日暮里駅徒歩10分☆谷中初四町会館2F☆18時〜20時30分☆参加費500円
参加資格→グリーンヒル一日瞑想会or朝カル講座等で初心者指導受講済みの方。
終了後食事会で情報交換。
平日の夜、瞑想者の仲間と、ただ静かに瞑想をする空間・・・。
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6/5(木) ヤンゴンの寺で修行していた頃、毎日夕暮れの同じ時間に、黙々と1時間余の瞑想をして帰っていく人がいた。
痩せて背が高く、サラリーマン風だった。
今日は集中が深いな、と後姿に現れている時に限って、サヤドウの指導を受けている風情だった・・・。
日本でも毎月日暮里で開かれている「仕事帰りの自主瞑想会」・・・。
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6/4(水) そうするのではなく、そうさせられているかのようだが、どのような重圧にも逆らい、電車道から徐々に脱線していく自由がある・・・。
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6/3(火) どのような自由にも、制約があり条件がある。
意志決定にはプロセスがあり、前提があり、欲望も悲願も執着もプライドも、社会の要請も環境が強いる力もある。
自分の意志が自覚される0.5秒前に、脳内活動が開始されているのも当然のことだ。
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6/2(月) 必然の力が展開し、人は出会うべきものに出会い、回避すべきものから身をかわしてすれ違っていく。
一切が設計されつくし、運命として定まっていたのだろうか。
展開してくる事象には全て、そうなるだけの原因エネルギーが働いている。
苦受楽受を経験する一瞬は避けがたい必然だが、1000分の1秒後に反応する意志には自由がある。
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6/1(日) 瞑想に縁がつくきっかけは人さまざまである。
人の紹介、本や映像、SNSやインターネット検索など、偶然の情報のように見えても、カルマ的には必然の力が働いていたのではないか。
ダンマの世界に分け入っていけば、人生の流れが一変する・・・。
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5/31(土) 考え方が違い、生き方が違い、出力してきたエネルギーが異なるのだから、カルマが異なるのも、千差万別の事象を経験することになるのも当然のことではないか。
苦しい人生であっても、我が身に起きる一切の事柄を受け容れ、悪を避け善をなし、正しい反応を貫き通していけば、必ず道は開かれる・・・。
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5/30(金) 後悔し、不善心所モードになるのか、ならないのか、は当人しだいである。
やってしまったこと、起きてしまったことは、仕方がないではないか。
ネガティブな体験こそが人を成長させるのだ、と心得て、ダンマに基づき、なすべきことをなしていけばよい・・・。
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5/29(木) なぜ、そんなことが我が身に起きなければならなかったのか。
その意味が正しく読み解けなければ、「理不尽」と感じるだろう。
自分のしてきたこと、してこなかったことを、正しく心に留めているならば、いかなることが起きようとも、我が身にふさわしいことばかりだ・・・。
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5/28(水) 心にやましさがあれば、無意識に隠蔽しようとするだろう。
サティ(気づき)が入らなくなる所以である。
瞑想者は、きれいに生きていかなければならない。
【戒】という名の倫理に支えられた瞑想・・・。
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5/27(火) 武器を見れば闘争が連想され、ヌードを見れば愛欲が連想され、仏像を見れば、ダンマが連想される。
外乱の一撃によって、パタパタと倒れていく心のドミノ・・・。
環境を整えれば、心が守られる。
聖なる情報の上書きで消されていく微弱な煩悩・・・。
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5/26(月) 降り注ぐ雨の中の仏頭・・。
なぜ仏の顔は見飽きることがないのだろう。
サティを止めた心に果てしなく拡がる、瞑想とダンマの世界・・・。
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5/25(日) 庭の木蓮が連日、大量に落花している。
美しく花開いた白い大輪の花弁が、無残に変色し散乱している。
美しいものを愛でるかぎり、醜悪な残骸も処理しなければならない。
苦楽も美醜もワンセットだ。
他人の家の花木なら現実をただ静観するだけだが、人は所有したものに束縛される・・。
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5/24(土) 貧弱な庭のヘソに、仏頭を据えると、モニュメントの妙味が感じられた。
下足用の沓脱石でも、至高の存在を安置することができる。
限られた材料や劣悪な條件を運命と心得、悠々と受け容れていく・・・。
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5/23(金) なぜ、物言わぬ花なら、ただ存在していてくれさえすれば良い・・と心から思えるのだろう。
静かに、淡々と愛し、世話をし、優しくしてあげるだけではないか。
愛する者の期待と要求に圧し潰されていく「慈悲」・・・。
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5/22(木) 胡蝶蘭が贈られてきた。
取り出した瞬間、これ以上はない愛情とケアを受けながら育てられてきた波動を感じた。
最高級品にのみ付けられる「プレミアム」タグが付いていた。
花に対してなら、見返りを求めない純粋な愛を注げるのではないか・・。
「慈悲」に育まれてきた存在の美・・・。
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5/21(水) 移転後の道場整備に終日協力してくれたスタッフの方々のおかげで、なんとか合宿再開の見通しが立ってきた。
庭の全面改造も始まり、遠からず外構も整っていく。
サマーディやサティの瞑想にはほど遠い、この世の雑務とも言えるが、諸々のエネルギーの協働に諸法無我の消息が顕わになる・・・。
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5/20(火) 失敗しても、成功しても、その後の人生に苦楽が断続していくことに変わりはない。
失敗も一時的、成功も一時的だ。
失敗から敗者は多くを学ぶが、勝者の奢りは身を破滅させていく。
失敗も成功も、総じて、苦楽の分量は同じではないか。
成否は等価と視る捨(ウペッカー)。
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5/19(月) 「倫理と勇気と潔さだけでも良いのではないでしょうか?」
「思考によっても正しい決断は導かれますが、クサくなる人もいます」
「<瞑想>が加わると、何が違うのですか?」
「なすべきことが、ただ法としてなされていくので、<正しい決断をした私>の印象が脱落します。奢らない・・・」
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5/18(日) 答は、全て自分の中にある。
問題の中にすでに答はある、と言ってもよい。
煩悩が邪魔をして、正解を選ぶことができず、決めることもできないだけではないか。
必要なのは、倫理と瞑想と勇気と潔さ・・・。
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5/17(土) 1Day合宿が終わった。
自覚される疲労感はなかったが、気づけば、ホットカーペットの上でゴロ寝し朝になっていた。
下館に直帰し、庭の敷石、樹木、歩行レーン等々の検討をしなければならない。
庭師の親方は、幼馴染みの野球部の後輩だ。
良きパートナーなら、どんな仕事も楽しい。
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5/16(金) 下館では目下、重要な所用が多く、その目的意識が歩行への専念を妨げる。
その夜は、瞑想のためにスーパーまで歩いたのだ。
往復とも人っ子一人会わない熟知した夜道に新奇性はなく、視覚や聴覚に注がれる注意が、歩行感覚に集約される・・・。
当たり前過ぎて、書くのも恥ずかしい。
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5/15(木) 下館でも多目的歩行瞑想をしたが、散漫に流れあまり上手くいかない。
同じ日の深夜、12時まで開店しているスーパーへ歩く瞑想で向かった。
八王子の川辺と同じ、質の高い瞑想が再現できた。
なぜなのか、要因を分析してみた・・・。
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5/14(火) 魚沼の銘菓を携え、母の主治医だったN先生に引越しの挨拶をした。
介護に踏み切った当時が髣髴となった。
東京からの電話相談に、もう独り暮らしできる状態ではない、と明言された。
町内の班長さんからも、同じことを言われた。
一つの意志が定まっていくまでの因縁の宇宙網目・・・。
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5/13(火) 自覚しようが、しまいが、記憶していてもいなくても、形成された業の因果は、必ず帰結する。
再生した次の生で、首を傾げるにちがいない。
「なぜ、こんなに不遇なのだ?」
「なんて自分はツイているのだ」
訳も分からずに業を作り、苦楽の経験をし、それも夢のまた夢になっていく・・・。
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5/12(月) たとえ正確にサティが入り、現実を正しく認知したとしても、時が、美しく、悲しく、変容させていってしまう記憶の世界。
サティがなければ、エゴの思い込んだ世界が、ただデタラメに編集されていく。
真実も、我執の世界も、やがて忘却の彼方に忘れ去られ、無明の闇の中に没していく人生・・・。
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5/11(日) 寿司屋からスーパーまでのわずかな距離が歩けなくなり、踏切の前で一休みする母の寂しそうな姿が去来した。
介護を始めたばかりで、何をどうして良いのかも分からず、ただ途方に暮れるばかりだった。
落涙感で喉が詰まりそうになった・・。
鮮明な情報、熱い反応、こぼれ落ちていくサティ。
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5/10(土) 道場移転後の整理が終らず、多忙な日々だが、安住の地に暮らす充足感と喜びがある。
記憶の脳を多用する私には、どこを見ても歩いても脳内情報が氾濫するように湧き上がり、飛び回り、高速度の法随観にワクワクする。
鮮明な古い記憶に満ち満ちている故郷で暮らすことの意義・・・!
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5/9(金) 【仕事帰りの自主瞑想会】毎月1回(水)18:00〜20:30@谷中初四町会館(日暮里駅徒歩10分)参加費500円→終了後、食事会あり。(詳細はHP参照)
瞑想する人々の姿が、お互いの手本となる。他人の真剣さに衝撃を受ける。煩悩を手放し、エゴの超克を目指す。同じ空間と波動と意識を共有する・・・。
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5/8(木) ダンマ系の刺激なくして、瞑想は続かないだろう。
瞑想は、煩悩に逆らい本能に逆らって、命の営みの対極にある静けさを目指していく。
同じ道を行く友と、鼓舞してくれる情報が不可欠だ。
それ故に、平日の夜に瞑想のために集う場が開かれた。
「仕事帰りの自主瞑想会」・・・。
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5/7(水) 一切のものが無常に変化していく構造の世界である。
人の心も事象も、変わらないわけがない。
瞑想会で高まったヤル気が、下落していくのは当然のことなのです。
だから、モチベーションを高め、ヤル気を賦活させるシステムの中に身を投じなければならない。
さて、どうしますか・・・。
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5/6(火) ロックされた洗濯機の蓋が閉まると、洗濯の全工程が完了するまで開くことができない。
そのように、善き友に囲まれ、ともに瞑想をし、善き行ないをする環境の流れの中に我が身を投げ入れてしまう智慧・・・。
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5/5(月) 心が汚れているからこそ、敢えて善行をやるのです。
我が身が行なう善き行為が、一瞬一瞬、腐った心を正していく。
自分の口から出る善き言葉が、自らの心を浄化していく・・・。
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5/4(日) マイナスの遺産だった母の借金を完済することができた。
「沙門果経」の喩えを思い出した。
病気が治った人も、牢獄から出られた人も、解放された奴隷も、危険な荒野を渡り終えた人も、新たに得たものは何もないが、静かな喜びと達成感と満足感がある。
煩悩が除去された時・・・。
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5/3(土) 電気も水道もない森林僧院の夜は、暗い灯油のランタンか蝋燭の灯で瞑想する。
手動のツルベで井戸水をくみ上げ、薪の火で大鍋の湯を沸かす。
血を吸いに来る蛭を払いながら、川の流れで水浴し、重労働の洗濯をする。
窓を閉め忘れれば猿に室内を荒らされ、蚊も蟻も蛇も油断できない・・・。
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5/2(金) この世を泡沫の如く陽炎のごとく観じて手放していく教えに身を捧げつつ、ベランダ、庭、家具、備品の調達、処分する物の仕分け、膨大な各種手続き等々に忙殺される。
この世に留まるというのは、そういうことだ。
もし苦を感じるのであれば、残余の不善業が消えていく瞬間・・・。
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5/1(木) ダンマの資料も読めず執筆もできず、道場移転騒ぎと事務処理だけで日が暮れていく。
遥かな過去世から出家を繰り返していた、とスリランカの寺で言われた。
在家には在家の、出家には出家の苦があるが、もし僧院の長などになれば瑣事に忙殺されることは必至。
何処へ行こうとも、一切皆苦。
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4/30(水) 通常業務で目一杯なのに、さらに引越しという土石流に翻弄され押し流されていく日々。
旧居の物の処理も新居での荷解きや整備も、一人では何もできず、ただ大勢の人に助けられ整っていくが、ダンマのためにこれほど煩瑣な俗事をしなければならない在家の悲哀。
望んだのか、徳がなかったのか。
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4/29(火) グリーンヒル道場の引渡しが完了した。
合宿で何度も瞑想してきたハウスクリーニングのプロも応援に入った2人も、万感の想いを込めて最後の仕事をしてくださった。
手厚く看取られて逝去していく人のように、八王子の道場は終焉し、その実体は新たな器となる下館に再生していった・・・。
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4/28(月) 心を変え意識を変えるためには、環境を変え情報を更新しなければならない。
旅に出る。
新しい人に会う。
新しい道を歩き、新しい店に入る。
一度認識が確定すれば、視点は固定化する。
自問自答→対話→会議→ブレインストーミング・・・。
情報をかき混ぜる。
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4/27(日) どのような関係にも、必ず生別があり死別がある。
気まずい別れや喧嘩別れをすれば、最後のネガティブな印象で全てがまとめられ、完結していくだろう。
憎しみ合った瞬間も真実であり、愛し合い尊敬し合い高め合った瞬間も真実だった。
本当に経験されていた一瞬一瞬の確認・・・。
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4/26(土) 八王子の最終引渡しが4日後に迫り、最後の粗大ゴミ処理をした。 レンタカーを借りるスタッフが、焼却場の閉まるギリギリの時間にしか来られない。
間に合わないかもしれない。
だが、奇跡的に午前中の仕事が中止、担当者が寝坊したのだという。
天の助けのようだった。
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4/25(金) 瞑想を教え始めて20年になろうとしている。
いまだに、その情熱に衰えも翳りもない。
瞑想者の修行現場で、具体的に、生々しく、露わになっていくダンマの真実性と瞑想の効果。
日々、その感動を新たにしているからだろう。
1Day合宿が終わった・・・。
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4/24(木) 八王子で暮らした23年間・・・。
前半は自分自身の修行、後半は瞑想合宿の道場として、誰もが聖なるものを目指していた。
その地にふさわしく、立つ鳥跡を濁さず、きれいに立ち去ると心に決めていた。
粗大ゴミなど残務整理が終わったら、ハウスクリーニングをプロに依頼し、最高の引渡しにしたい、と。
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4/23(水) 左膝を痛めた、とツイッターで呟いた。
すると「安穏でありますように。痛みがなくなりますように」と書き込んで下さった方がいた。
そのツイートを読ませて頂くと、御自身も膝を痛めた経験が呟かれていた。
我が痛みは、他者の痛みに共感する原点。
発露する「悲(カルナー)」
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4/22(火) 腰痛は、果たしてコブラのポーズですぐに治った。
靭帯の炎症が退いてきたからか、左膝の痛みも半減した。
関節に問題があっても必ず治す。
やる気やモチベーションを司る脳部位とリハビリの進み方は、関連性が深いのだ。
諦めなければ、脳は補完する作業に入る。
心が、全てを変えていく・・・。
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4/21(月) ものごとは心に基づき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも浄らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。
ーー影がその体から離れないように。
(ダンマパダ第一章ー2)
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4/20(日) その翌日は、7人のスタッフが仕事を分担し、倉庫のような状態が見る間に整えられていった。
日が暮れる頃にはほとんど片付き、道場移転は一日にして大きく進んだ。
この1年、皆でプランを練り、脳内に共有してきたものが、ついに現実世界に姿を現したのだ。
そんな達成感を分かち合った。
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4/19(土) 引越荷物の山の中で膝を痛め、スタッフの協力が頼みの綱だったが、大雪に見舞われ、電車も止まり、車も出せず、誰も身動きが取れないという。
救助隊の到来を諦めた孤独な遭難者の趣だが、なんと、この雪の中、予定の時間に到来した者がいた。
新道場の寺男を引き受けてくれた元引越のプロだった。
なぜか彼の自宅近辺は、雪の影響がなかったのだという・・・。
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4/18(金) 腰の痛みはコブラのポーズというヨーガで治す自信があった。
問題の左膝は、靭帯に炎症を起こしている感覚がある。
捻りが入った時に疼痛があるので、 関節にも何かがあったのかもしれない。
苦受は、不善業が消えていく姿だ。
必ず治すと決めればそうなることを立証したい。
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4/17(木) 冷蔵庫が届き、洗濯機も届き、その搬入のために山積みされた引越段ボールをたくさん運ばなければならなかった。
膝が痛い。
明日なら、助っ人が大勢来るのに・・。
食べる物がない。
降りしきる雪の中、重い荷物を背負って往復する・・・。
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4/16(水) 東京よりも寒い下館の、山と積まれた段ボール箱の狭間で、エアコンのない震え上がる一夜が明けると、雪が降りしきる中、発注していた備品が次々と届いた。
「こんな雪の日に工事する人はいませんよ」
と嫌がる業者に必死で懇願し、なんとかエアコンが2部屋だけ設置された。
素手で工具を使いながら、室外機を取り付けていく業者の頭が雪で白くなっていく・・・。
本当にありがたく、その姿に、心の中で手を合わせていた。
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4/15(火) 引越は無事終ったが、2日間で重い物を運ばざるを得ず、腰と左膝を痛めてしまった。
病み上がりの右膝を無意識にかばおうとして左膝に負荷がかかったようだ。
捨てるべきものの選別が終らぬまま梱包の日を迎え、作業を傍観している訳にはいかず、つい無理をしてしまった・・・。
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4/14(月) 短い午睡のつもりだったが目覚ましもかけずに眠りこけ、「は!」と気づくと業者が到来する10分前。
慌てて飛び起きたが、まだ整いきっていない。
どうしよう・・と途方に暮れたが、なんと、大雪の余波で雪かきをしないと引越の車が入れないという天の助け。
お陰で洗顔、身支度、朝食を済ませ、なんとか搬送トラックの出発まで漕ぎ着けることができた。
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4/13(日) 嵐のような日々だったが、道場の移転も完了しつつある。
2ヶ月前の引越し当時のことを振り返ってみる。
常に〆切や諸々のスケジュールに追われてきた日々だったが、処理すべき案件があまりにも多過ぎて、今回の引越しも徹夜で孤軍奮闘の体たらくとなった。
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4/12(土) 新しいものが生まれてくることは、旧いものが壊れていくことである。
破壊の中に、創造の本質が組み込まれている。
それが、無常に変滅していく世界の基本構造である。
ネガティブな出来事に遭遇した時には、何かが生まれてくるために必要なプロセスだったのではないかと考えてみる・・・。
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4/11(金) かつてない大雪に見舞われ、朝日カルチャーの午後からの全講座が中止となったことがある。
昼の食事会が終わるや、まだ電車が動いているうちに、と家路を急いだ。
駅頭に足止めされることもなく、無事帰れただけで、こんなに「ありがたい」と感じられるのが意外だった。
雪のおかげで、ささやかな幸福感が得られた。
家があるだけで。
ただ帰宅できただけで・・・。
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4/10(木) 電化製品もITもなかった縄文人だったが、与えられた日々に満足し感謝を捧げていたかもしれない。
家族を統率するゴリラのリーダーと至近距離で対面した学者が、人間を超えた崇高な精神のようなものに触れ、感動したという。
苦しい人生かもしれないが、心を整えれば、幸福になれるよ・・・。
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4/9(水) 願ったことが、たやすく成就する人もいる。
なかなか実現しないで、苦労する人もいる。
善業を積み重ねてきた徳のある人と、正反対の悪業を重ねてきた人が、同じ結果にはならないのだ。
だが、ブレることなく出力される心のエネルギーは、やがてすべての負債を返し、事を成就させていく。
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4/8(火) 音楽批評の吉田秀和が昨年、98歳で亡くなった。
前日に22枚の原稿を書き上げ、その日の昼まで仕事をし、心臓発作で夜には急逝されたという。
左右両脳の働きも身体の運動性も、最後まで自ら律していた。
見事な人生の幕の引き方だが、午後からは瞑想し、禅定に入ったまま入滅できたら!
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4/7(月) なぜ、膝を治すと断固たる決意をしたのか。
日一日と歩けなくなっていく老母の介護をしたからだろう。
心に決めたとおりになっていくのが人生だ。
この世を去る最後の瞬間まで、私は、自分の身は自分で処すると決めた・・・。
切に願うことは、必ず遂ぐる也、と古人も言う。
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4/6(日) 母の存命中よりも、亡くなってからの方がはるかに多く母の印象が心を去来するようになった。
母を喪うことによって、自分の人格や心に量りしれない影響を及ぼしていた事実が、逆に、顕わになったからだろうか。
死者は心の中で生き続けていく・・・。
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4/5(土) その自信は、業の構造を心得ていることに由来する。
この世の事象は、因果法則に支配され、無常に変滅していく。
未来に経験する出来事は、自分の心が作り出していくものだと人に説いてきた。
1ミリの疑念もなく願い、意欲しているのだから、「治る」のは当たり前なのだという確信・・・。
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4/4(金) 強い心とは、「必ず治す」と揺るぎない確信を持ち続けることだ。
最初の病院で「治りません」と言い放った医師。
坐禅が組める状態に戻りたいと目標を伝えると、「それは無理です」と断定したリハビリの療法士。
一瞬、心が翳ったが、すぐに完全無視、『よし、治してやる』と意を貫いてきた。
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4/3(木) 膝が悪化して以来、夜の多目的歩行瞑想を控えていた。
買物の必要に迫られ、3週間ぶりに5000歩ほど歩いた。
痛みを感じることなく、普通に歩くことができた。
靭帯に炎症を起こしていたが、安静にしていたのが効を奏したようだ。
身体の復元力を加速させたのは、強い心の力だろう。
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4/2(水) 身近な家族からの評価は、最も信頼度が高い。
すべてが丸見えだからだ。
ペットなど動物の直感も、正確に人の心を読む。
しかし、近過ぎて近親憎悪の妄想に苦しむ者もいる。
ネガティブな記憶がこびりつき、トラウマに苦しむ犬もいる。
エゴ妄想を一掃するには、サティの瞑想・・・。
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4/1(火) 家族に隠して瞑想会に来ていた人達。
初めての合宿から帰宅するや、玄関先で罵声を浴びせられた妻たち。
耐え忍びながら瞑想を続けてきた方々が、やがて異口同音に報告する。
反対していた家族が、一転、瞑想会に行ってこい、そろそろ合宿に入るころではないか、と言うようになりました云々・・・。
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3/31(月) 背負いきれないほどの苦は、やって来ない。
天に向かって吐いた唾の量と、落下してくる液体の量は比例する。
苦しめる力と耐える力、与える力と受け止める能力。
・ ・・何事も、器の大きさ次第。
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3/30(日) 行きずりの人、見知らぬ人、赤の他人だからこそ、純粋に優しくできるのだ。
大切な人ほど、愛も憎しみも強烈になっていく。
我執ゆえに、薄汚れていく優しさ・・・。
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3/29(土) 泥んこになって、再び瞑想病院に戻ってくる人達もいる。
瞑想の真髄に触れ、生き方が変わり、人生の指針となってブレることのない人達もいる。
煩悩の世界でやり残したことを納得のいくまで検証した人が、不動心を定めていくのが順番だ。
自分の心に正直に、今、踏むべき道を行けばよい・・・。
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3/28(金) 宿願だった苦が乗り超えられると、急速にヤル気を失い、瞑想を使い捨てにする人たちも多い。
課題や目標がなければ、モチベーションを保つことができないからだろうか。
それ以上深入りすれば、煩悩の世界に戻れなくなる・・と直感的に感じているからだろうか・・・。
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3/27(木) ドゥッカ(苦)がなければ、本気になれないのだろうか。
瞑想の真価を検証し大きな成果を得ているのは、圧倒的に、苦しんできた人たちである。
徹底的にやり抜く情熱は、苦況を脱しようとする真剣さに由来している。
やはり、苦は喜ぶべきか・・・。
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3/26(水) 自分の血を流して勝ち取ったもの、苦しんで苦しみ抜いて自ら乗り超えたものが、本物となる。
生きていく原点となる。
どんな理法も、千差万別の条件に即して適用されるしかないからだ。
与えられたものを受けきっていけば、誰も真似ることのできない自分の輝きを放つ・・・。
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3/25(火) 歩行瞑想を中止すると、炎症を起こしたような感覚が治まった。
やはり歩き過ぎて過重負担になっていたか。
膝に爆弾を抱えてしまったが、それゆえに、歩く・座る・屈む・立ち上がる・等々、身体が動くいかなる瞬間にも、脚の感覚に厳密な気づきが入る。
苦は師と心得る・・・。
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3/24(月) 素早くサティを入れ、悲しみを見送っていくことはできるだろう。
だが、受け止めきれない現実を抱えてしまった心は、払っても、払っても、止めどなく悲しみを再生産させてくる。
ただ気づいて見送るだけのサティには、限界がある。
心が真実に変わっていくために、洞察の衝撃を目指す・・・。
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3/23(日) ある日突然、配偶者を喪った方々から、何度も同じ質問をされた。
「<悲しみ>とサティを入れるべきなのでしょうが、うまく入りません」
「強引にサティを入れて見送らなくて良いのです。
泣くべき時には、泣きなさい・・・。
存分に悲しみに浸り、昇華させた方がよい場合もあります」
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3/22(土) 不動産売買、リフォーム工事、引越見積、処分する物、調達する物、電話電気ガス水道解約、変更、引越、片付け、新規登録、合宿布団の丸洗い、ベランダ工事、作庭プラン、終わらない備品調達、その他諸々・・・。
最も苦手な雑務が洪水のように押し寄せてくる日々。
「聖人は俗務に従わず」というが、ほど遠い悲しき在家の煩瑣・・・。
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3/21(金) 優れたものを取り込み、至高の状態を獲得していくのではない。
悪いもの、余分なもの、阻害しているもの、汚いもの、よろずのものをことごとく手放していく究極の引き算・・・。
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3/20(木) 膝が悪化し、歩行を控えている。 リハビリのために始めたのに、歩き過ぎて逆に痛めたのかもしれない。
完璧な姿勢保持と、流れるように変化していく全身のセンセーションを捉える快感にのめり込んでいた。
正しく歩いている限り問題ないが、曲げたり立ち上がったりすると、痛ッ・・!
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3/19(水) まだ移転する前、無人の下館道場の給湯器から漏水しているようだ、と近隣からの通報があった。
リフォーム工事担当者が急送し、応急修繕してくれた。
異常な寒さで破裂したらしい。
植木屋を営む野球部の後輩や小学校の同級生が連携で知らせてくれた。
道場移転を決めた一因は、この篤い人情だった。
寂れていこうとする、静かで、優しい街が、安住の地の印象をもたらす所以だろう。
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3/18(火) 死が確実の病に感染したとわかり、絶望と怒りから、世界中の人に同じ病気をウツしてやりたいと思った人がいるという。
経験した事実がどのように受け止められ、判断され、認識されていくのかは千差万別である。
生身の体験によって焼き付けられた情報は、善の色にも悪の色にも染められ、反応系の心を形成していく・・・。
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3/17(月) 住友三角ビルの壁づたいに、杖をつきながら痛々しく歩いている人の後姿を見た瞬間、全身から「悲(カルナー)」のエネルギーがほとばしり出るのを感じた。
視覚野に入った情報がダイレクトに、私の痛覚を司る神経細胞を刺激したかのような、時間ゼロ秒の速度感だった。
経験データは、瞬間起動する・・・。
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3/16(日) ネガティブな事象には乾杯せよ、と説いてきた。
その時には意味が解らなくても、やがて「そういうことだったか!」と納得できる日が必ずやって来る。
膝を痛めたお蔭で、歩行瞑想の新たな可能性が開けてきた。
のみならず、苦の経験が「悲」の心をどれほど成長させるか量りしれない・・・。
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3/15(土) 爆発的なエネルギーで集中し、ガンバルのが悪いのではない。
これこそ真理だ、絶対だ、と思い込み、のめり込んでいく精神が、ちょっと・・・。
事実ではなく、概念に向かって、怒涛のように掴みかかっていく渇えた心。
やがて目からウロコが落ちた瞬間、集中豪雨がパタリと止む・・・。
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3/14(金) 怒涛のように瞑想にのめり込んできた人は、ある日パタリと豪雨が降り止み、姿を消していく。
人は、悪に対しては慎重になるが、真理や正義には惑溺しやすいものだ。
ダンマの実践にも清潔な距離を保ち、「一所懸命、淡々と」瞑想する・・・
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3/13(木) なぜ、サティの瞑想が必要なのだろうか?
苦の現象に遭遇し、ただ無自覚に苦痛を受けただけでは、苦受を味わった瞬間、怒りが出るからである。
ネガティブな因果が帰結し、負債を返した瞬間、次の不善業を無自覚に再生産してしまう愚かな流れ。
悲しき無明を断ち切っていく、洞察のサティ!
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3/12(水) 痛い、うるさい、臭い、汚い、まずい、気持ち悪い・・・と、苦受を感じる瞬間に、しっかりサティ(気づき)を入れる。
その苦受を味わい、経験する瞬間が、不善業が消えていく瞬間なのだと心得る。
それで一つの因果が帰結し、負債が返済されているのだ、とはっきり自覚して見送っていく・・・。。
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3/11(火) 苦しいことが多ければ多いほど、秘かに喜びましょう。
その苦しみの原因だった不善業(悪いカルマ)が現象化して、消えていきつつあるのですから。
苦受を受ける一瞬一瞬、負債が返済されたのです。
これから必ず良くなっていく。
洋々たる未来がやって来る・・・。
年の始めにも、一日の始まりにも、プラス思考する。
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3/10(月) 法として目に見え、耳に聞こえ、知覚するどこにも「正月」は存在しないし「クリスマス」もない。
野生の動物たちは、祭の興奮も歳時気分も味わうことなく、日々ドゥッカ(苦)の現実に直面している。
在家の瞑想者は、世間から浮いてしまうことなく馴染むこともない距離感で共同幻想を分かち合い、「謹賀新年」などと仲良く挨拶を交わしながら、ひっそりと修行していく・・・。
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3/9(日) 一日10分間の瞑想でも、心は確実に変わっていくし、瞑想効果を検証できるだろう。
だが、瞑想を本格的に進めたければ、リトリート(合宿)に入って修行に徹しなければならない。
新道場は予定通り完成し、物理的な移転も終わったが、瞑想合宿再開までにはもう少し・・・。
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3/8(土) 怒りを発した瞬間、それが未来にどんな恐ろしい苦を招くことになるか・・。
そんな基本的な法の理解もケロリと忘れて、怒りまくってしまったのだ。
これが無明の闇ということか、と溜息をつきながら猛省し、決意を新たにする。
愚行を繰り返しても、必ず心は変わっていく、と信じる・・・。
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3/7(金) 失敗したらしたで良い。
人は誰でも愚行をする。
そのことを通して、そのとき学ばなければならないことがあったのだ・・・と考える。
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3/6(木) 怒ることなど絶対にあり得ないし、許されようもない場面で、怒りを爆発させる人はいない。
怒って当然だと思っている人が、怒っても大丈夫な場面で、格好の相手に向かって、キレまくる・・・。
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3/5(水) 世の中は泡沫の如く、陽炎のごとく、見よ、とブッダは言う。
もしこの世の一切が夢のまた夢、と心底から思えたなら、究極の捨の心が不動のものとなるだろう。
だが、そんなことは、涅槃の衝撃力を使わなければ、あり得ない。
その経験を4度繰り返す阿羅漢のトドメを刺さなければ・・・。
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3/4(火) 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。ーー蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。『スッタニパータ1-1-10』
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3/3(月) 現象世界の一切が、陽炎のごとく、泡沫のごとく、になった方々には執着する心が微塵もない。
その完全な無執着性のゆえに、業が形成されることはなく、ただ六門の機能のみが働く「唯作心」になるという。
阿羅漢のみの心と言われる。
欲望と怒りを司る視床下部などは、どうなっているのか?
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3/2(日) 煩悩が出る。
サティを入れて見送る。
エゴが暴れ、我執が鎌首をもたげる。
一瞬のサティが撃墜する。
反応系の心に汚染がある限り、サティで我が身を守らなければならない。
・・・どのような極限情況に置かれても、常に、究極の捨の心が揺らぐことのない存在とは・・・。
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3/1(土) 普段の生活から遊離することなく、日常モードのまま無我感覚を経験できるのが、サティの瞑想だ。
「現象」→「サティ」→「現象」→「サティ」の流れが続く限り、エゴレスが保たれる。
たとえ我執が顔を出しても、直後の心が「エゴ」とサティを入れるや、一片の思念となって消えていく・・・。
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2/28(金) 完全な無思考状態となる禅定に没入している間も、エゴ感覚は脱落している。
「ゾーンに入る」とアスリート達が称する至高体験も、極めて純度の高い無我感覚だ。
だが、特殊な変性意識状態が醒めれば、思考モードが回帰し、エゴ感覚がぶり返す。
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2/27(木) 何事であれ、上首尾の結果を法の賜物として感謝するのは容易なことだ。
だが、最悪の結果に対しては、ダンマを忘れ我執が露わになったからだ、と自責の念に駆られやすい。
反省はよいが、あらゆる敗因が揃うべくして出揃った結果の失態である。
成功も失敗も等価に観るのが道、と心得る。
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2/26(水) たとえ全力を揮って良い仕事ができたとしても、「私の手柄」という感覚は生じないだろう。
ダンマが自分を通して顕わになっただけではないか・・と感じている心に、傲慢が忍び込むのは難しい。
「全託」の修行は、 捨(ウペッカー)を養っていく・・・。
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2/25(火) 自分自身の言動を「私のもの」と思う瞬間、エゴ感覚が発生する。
その我執を消去する方法の一つに、何か崇高なものにエゴを委ねきる「他力」の修行構造がある。
神でも仏でも三宝でも、何でもよい。
エゴを明け渡す感覚になれば、自我意識を発生させる余計な思考プロセスが止まる・・・。
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2/24(月) これほどのエネルギーを投入して徳が積める日々に感謝しながら帰途に着くのは、今も昔も変わらない。
瞑想会の現場は、どの瞬間も真剣勝負であり、一回性に輝いている。
ダンマに身を委ねている感覚ゆえに、得意になることも失意に落ち込むこともないのだろう。
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2/23(日) 一日瞑想会と1Day合宿が続くと、一瞬も気の抜けない時間が続く。
帰宅しても、メール処理や講義の準備をするうちにたちまち3時。
ベッドの上で座る瞑想。
やるべきことをやりきった完全燃焼の印象と、静かな充実感が拡がっている。
淡々としていて、心には「捨」しか見当たらない・・・。
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2/22(土) キーボードを打つことに、つい夢中になる。
集中すればマインドレスになるのは当然だ。
・・・背筋を真っ直ぐに伸ばし、深い長息を崩さずに、キーボードの感触にもどる。
姿勢を保ち続ける意識に助けられ、客観視の伴った集中が持続する・・・。
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2/21(金) 多くの人達が、今の瞬間に生きることを強調してやまない。
「瞬間」に釘づけになることが尊いのだろうか。
今に集中しているのは、負の要因を引算した結果ではないのか。
過去に縛られず、明日を思い煩うことがない・・・。
空を求めるのではなく、束縛を手放していく道・・・。
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2/20(木) 思考を完全に止めることも、自分を客観視することも、至難の業である。
純度の高いサティが安定するまでには、修行しなければならない。
スポーツや芸の世界でも、何度も何度も血の滲むような練習や 稽古 を重ねた果てに、ある日「できた!」と感動するではないか・・・。
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2/19(水) 「こんな妄想だらけでは、とても修行とは言われへん。こんなん瞑想とは、ちゃう」
「だいじょうぶ。たとえ結果的に思考モードに陥っても、一所懸命妄想を対象化しようと頑張っていたのです。それが瞑想であり、立派な修行です。心は成長します。
実績があるので、心配ないよ」
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2/18(火) 疲れるのは、脳や身体を酷使したからではない。
不善心が、人を疲れさせるのだ。
仕事をしながら、ムカついていないか。
緊張で喉がカラカラに涸れてないか。
ああ、どうしようと恐怖で固まったことは?
「疲れた、疲れた」と呟いた日の不善心をチェックしてみよう。
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2/17(月) 道ばたに転がっている砂利や石ころも、生い茂っている草も枯草も、人の人生にも、意味はない。
ただ存在し、変滅し、流転しているだけだ。
輝いても、輝かなくても、同じことだが、理法に基づき、なすべきことをなしていく。
‥‥存在の世界から解脱していく日を夢見ながら。
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2/16(日) 足の運びも、筋肉の使い方も、姿勢も、客観視も、すべて正確に、正しく歩けているという、本来あるべきものが完結している印象‥‥。
そこから、与えられたものは、ことごとく受け取っていく覚悟が顕わになってくる。
茨の道も、己にふさわしい因果の必然であり、あるべき本来の姿なのだ‥‥。
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2/15(土) 夜道を照らしながら、正確な足取りで正しく歩けている快感。
移動していく体が風を切っていく。
着地の振動が頭頂部に抜けていく。
一足一足の実感に突き刺さっていく気づき‥‥。
これが、人体の本来の歩行の姿だという自信。
自分がただ自分であることの充足感‥‥。
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2/14(金) どんなに忙しくても、瞑想はできる。
そう気づいたのが、外食と買物を兼ねた多目的歩行だった。
夜道裏道に、この寒さだ。
誰にも会わず、瞑想への没入度がディープになっていく。
頭皮が痛いほど冷たい。
手袋に耳あて、マスクに防護メガネの重装備で、ほぼ毎日1万歩。
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2/13(木) 切に願うことは、必ず遂げられる。
諦めなければ夢は叶うし、 なせば成るのが業の世界だ。
だが、何もせず、ただ捨て置くだけで、何ごともなるようになっていく。
変滅しないものはない。
終わりのないものはない‥‥。
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2/12(水) 病弱だった人が、健康法の第一人者になる。
虐待された犬が、比類なきセラピードッグ第一号になる。
依存症者が、リハビリセンターを開いて苦しむ人たちを励まし救済する‥‥。
ネガティブな事象は宝の庫。
性格の悪かった人が輝く舞台がある‥‥。
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2/11(火) 「長年瞑想をしていても、あまり心がきれいではない人もいますね。どうしてなのでしょうか」
「心に問題を抱え、低い地点から瞑想を始める方もいます。
当人の心が、瞑想によって大きく進歩していれば、他の方と比べて劣っていても、日々の修行は着実に効を奏しているのではないでしょうか」
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2/10(月) ああ、そんな連中もいるだろうな‥‥と誰もが、自分は違う、と思いがちである。
劣等感と慢が強くなるほど、心の汚染から目が背けられ、ディープな禅定を求め悟りを求めていく勢いが増す。
心が浄らかな人ほど、残されたわずかな汚染も根こそぎにしようと、ひとり静かに決意する‥‥。
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2/9(日) 瞑想本来の超越的性格のゆえに、多くの人が瞑想を現実逃避のツールにする。
苦しい現実から目を背けるために、瞑想の変性意識状態に没入しようと励む。
首尾よくサマーディ感覚が味わえると、ダンマの知識で理論武装し、世俗の凡夫どもを見下し始める。
・・・なぜ、瞑想をするのか?
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2/8(土) 「‥‥そう先月、言われたのですが、本当のところ、疑っていました。
でも、祈りを続けていたら、なんと、同じ会社の中に瞑想する法友がいたんです。
驚きでした。
先生は、正しかった。
これだけは伝えておきたかったです」
遠来の真摯な求道者は、一瞬、潤んだ目になった‥‥。
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2/7(金) 「どうしたら、孤独な私のような者にも、法友が得られるでしょうか?」
ヨーロッパの小さな国から来日し、瞑想合宿に参加した青年が訊ねた。
「切に願えば、必ず与えられます。
無限の過去から共に輪廻を重ねてきた、無二の法友と再会させてください、と祈りなさい」
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2/6(木) 調子がよければ、よい。
だが、落ち込み、打ちひしがれたときに、ひとり犀の角のように歩むのは至難の業だ。
法友の存在は、かけがえがない‥‥。
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2/5(水) その樹その果実ごとに、完熟するまでの時間もタイミングも定まっている。
もっと早く、もっと遅く、と人為的なハカライをするのは、万物万象との調和を乱すだろう 。
諸法無我を心得るならば、ただひたすら、自然に展開する流れに従いきって、成すべきことを成していく。
因縁に従うということ‥‥。
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2/4(火) 心底から納得しなければ、ネガティブな現実を受容することはできない。
なぜ、そのような人生を歩まなければならなかったのか。
その因縁を正しく理解しないかぎり、苛酷な宿命に対する怒りを消せないだろう。
劣等感を完全に乗り超えるためには、仏の理法を心得なければならない‥‥。
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2/3(月) 劣等感は、必ず乗り超えることができます。
事実や実態は関係なく、現実をどのように解釈し、受け止めるかの問題だからです。
心が変わり、考え方が変われば、これまでとは違った反応の仕方が始まり、人生が変わっていくでしょう。
その技法を、瞑想といいます。
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2/2(日) >合宿を始めて16年、壁に沁み入る静寂とともに、瞑想者達が残していった夢の跡‥‥。
その聖なる響きを大切にしてくれる、縁のある方に住んでもらいたかった。
切なる思いが通じたのだろうか。
瞑想の聖地(?)を購入された買手の方は、自らも座禅をされるという。
奇しくも、大学の後輩で学部まで同じだった。
勤務先は、定例瞑想会の滝野川に近い駒込だという。
グリーンヒルの緑あふるる環境に一目惚れされたと、契約時に語っていた。
悲願成就の感‥‥。
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2/1(土) ダンマ・モードに入り、一刀両断に愛着を断ち切ることはたやすい。
だが、サティの瞑想から出れば、心の反応パターンは従来どおりに働くだろう。
執着を手放すためのプログラムを、反応系の心に組み込まなければならない。
反応系の心を整えながら、サティの瞑想の精度を高めていく‥‥。
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1/31(金) 八王子道場の移転が目の前に迫ってきた。
思えば、母を見送るのに2年、人生の花の地とも1年余の歳月をかけてゆるやかに別離することができた。
もう、思いを残すことは、ない。
愛するものとは、時をかけて、別れていくのが良い‥‥。
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1/30(木) 「▲▲なくしては、生きていけない・・」と強烈に執着している内容は人によりけり、さまざまである。
だが、純粋な瞑想モードに入った瞬間、どんな執着も渇愛も「概念ワールド」の所産なのだ、と目が覚めるだろう。
「法を拠りどころにせよ」とブッダは言う・・・。
………………………………………………………………………………………………………………
1/29(水) たとえどのようなことがあろうとも、揺るぎない信頼を寄せてくれる人が3人いれば、生きていけるものだ‥‥。
世間から袋だたきにされた人が、そう述懐していた。
そのとおりなのかもしれない
「法を拠りどころとして、他のものを拠りどころとせずにあれ」
と、ブッダは言う‥‥。
………………………………………………………………………………………………………………
1/28(火) 「塞翁が馬」は、まるで仏教説話のようだ。
最悪の事態から、最高の幸せが紡ぎ出されてくる。
幸福が一転、不幸な現実に変わっていく。
苦を厭うのも幸福を求めるのも、どちらも虚しく、愚かしい。
あらゆる現象を、等価に見よ。
「捨」の心を育てよ。
無常な現実に、無執着であれ‥‥。
………………………………………………………………………………………………………………
1/27(月) 一日10万個死滅する脳細胞は再生しません、と長年法話で触れてきたが、今は、再生することが明らかとなった。
舌には味覚分布地図があります、という説明も覆された。
甘味、辛味、酸味‥‥など味蕾の偏在は無いことが、濾紙ディスク法で証明されている。
他人が導き出した真実、その引用と孫引きの世界の危うさ‥‥。
………………………………………………………………………………………………………………
1/26(日) 法としての事象を丸ごと認識することはできない。
各人各様に切り取った世界が認識されていくだけだ。
実験の意図、フィールドワークの目的、他人のフィルターで濾し取られた情報‥‥。
掛けがえのない値打ちと限界を心得て、共有する文化。
………………………………………………………………………………………………………………
1/25(土) 修行しないで講釈ばかり垂れる口説の徒にはなりたくない、と息巻いていた。
しかし、瞑想を説明するための知見は、脳科学も動物行動学も文化人類学もすべて、他人の実験やフィールドワークの成果ではないか。
さまざまな分野にさまざまな専門家がいる。
棲み分けて、情報を共有する人類・・
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1/24(金) こと瞑想になると、徹頭徹尾、修行の実践にこだわる現場主義だった。
一方、検証されたデータを駆使して、新しい 発想や仮説を組み立てるのが大好きな人たちもいる。
ダンマの実践にこだわる人も、その研究にこだわる人も、棲み分けて、各自の役割を果たせばよいだろう。
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1/23(木) 「マインドフルネスとその臨床応用」という8時間の学会で講演をしたのは、昨年の11月。
気づきの瞑想研究がここまで進んでいるのか、と目を見張る思いだった。
欧米でも、マインドフルネス瞑想関連論文は、この5年間で7倍に増えたという。
こんな形で浸透し、普及してくるとは‥‥隔世の感。
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1/22(水) 一瞬でもサティを落とせば、歩行の完全性が乱れるのだろう、膝に微妙な違和感を覚える。
微かな危険をはらんだ膝のおかげで、正確に、正しく歩くことが強制されている。
一瞬の油断もなく、常にマインドフルでなければならない。
歩く瞑想に課された厳しい条件が、有り難し‥‥。
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1/21(火) 人体の構造に最も自然な、理想の歩き方がある。
正確に、一歩一歩正しく歩くことができた時、我が身の法としての存在を感じる。
妄想がシャットアウトされ、全ての注意が身体感覚に注がれていく。
姿勢の保持、移動する体重、路面との接触、ただ歩くことに極まっていく身体の現象‥‥。
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1/20(月) ただ、事実を正確に、ありのままに経験する。観る‥‥。
その瞑想に、命を懸けてきた。
人体本来のあるべき姿で、正確に、一歩一歩正しい歩行を繰り出すことができるだろうか?
息をすることができるだろうか。
法として、ただ存在できたなら、それ以上の何を望むだろう‥‥。
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1/19(日) 人生が苦しくて、最後にたどり着いた瞑想‥‥。
ダンマに目が開かれ、心が成長し、苦がなくなっていく感動。
ヤレヤレと一服して戻っていく欲の世界。
やはり再帰してくる苦→瞑想する→苦がなくなる→瞑想を止める→心が汚れる→苦しくなる→
古来から繰り返されてきた悲しき往還‥‥。
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1/18(土) 新しい買手が、八王子道場の内見に来た。
埃のかぶった商品を見せるわけにはいかない。
合宿前の大掃除のように、朝から何時間もかけてピカピカにした。
「私も座禅をやるんですよ」
座禅室の座布に目を止めて、呟いた。
全室の写真を撮り、妻と相談すると言い残して、去った。
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1/17(金) 朝日カルチャーで瞑想を始めたが、いつの間にかやらなくなって歳月が流れた。
やがて、子供が生まれ、嵐のような日々が始まった。
たいへん!このままでは、激流に呑み込まれてしまう。
痛切に瞑想の必要性を感じ、再び瞑想会場に足を運んだ若き母親。
幼子が導いた瞑想の道‥‥。
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1/16(木) 孤独にならなければ、瞑想はできない
群れるな、おしゃべりを止めよ、樹下で、廃屋で、独り、瞑想せよ、とブッダは説く。
他人との嵐のような概念のやり取りからも、テレビやパソコンから溢れ出す情報の洪水からも、撤退しなければならない。
在家瞑想者は、真の孤独の価値と豊かさを知る。
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1/15(水) 事実は、いつの時代にも、ただ、あるがままだったし、これからもそうだ。
人がどう認知しようが、法の世界には、なんの関係もない。
鷹の見ている世界があり、雨ガエルの見ている世界がある。
固執していた考え方が手放されれば、「現実」が変わるよ。
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1/14(火) 行きづまったら、瞑想しなさい。
現実は、そうそう変わらないよ。
人も、まず、変わらないね。
‥‥だったら、自分の心を変えるしかないじゃないか。
瞑想は、心を整えるいとなみなんだ。
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1/13(月) ヴィパッサナー瞑想を始めて3年という方が、一日瞑想会に来られた。
その日を境に、瞑想のやり方が具体的にわかり始め、同時に驚くほどの効果を実感し始めたという。
何をやっているのか、やっと腑に落ちた感じがした。
バラバラだった知識と経験が、不意に結晶し始めた瞬間‥‥。
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1/12(日) 私は、この瞑想から多くの恩恵をいただいた。
それゆえに、なんとしても人に伝えたい、紹介したい、と心から願った。
だが、もし、誰もその効果を証ししてくれなかったら、そんな無益な活動、とうの昔に止めていただろう。
特殊な個人にしか意味のないシステムなどに注ぐ情熱はない。
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1/11(土) 出家ではない私には、仏教を守らなければならない義務もいわれもない。
なぜ、原始仏教とヴィパッサナー瞑想のために、20年も命を懸けてきたのだろう。
それは、実に多くの人たちが、この瞑想によって苦しみを乗り超えていく姿を見せてくれたからだ。
ダンマの正しさと瞑想の有効性を、力強く実証してくれた。
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1/10(金) ヴィパッサナー瞑想を始めて2ヶ月、怒りが出なくなり、凪いだ海原のように心が穏やかに、静かになったという方もいた。 初めて参加した東京瞑想会で、「強烈な意志を伴った業は、未来に持ち越されていく」という言葉に衝撃を受けたという。 もう怒ることはできないのだ、という理解がドスンと腹に落ちたのだ。
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1/9(木) 怒りのスイッチが入る直前の「あ、怒りそうだ」の段階で気づくコツが分かり、見事に怒りを阻止できるようになった人。
怒り系の言葉は口をついても、怒りの感情は載せずにすむようになった人。
‥‥たった一日の泊まらない合宿なのに、打ち上げで披瀝される所感はいつも素晴らしい。
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1/8(水) 「ブッダの瞑想法」を英訳してくれている米国人と打合せをした。
諸々の質問に回答したが、翻訳の難しい本だと改めて思った。
日本語の読解力と英文作成能力に加え、仏教全般の知識と瞑想実践の経験が不可欠だ。
中国古代思想や世阿弥に造詣が深く、見事な日本語を書き、話される育メン。
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1/7(火) 悪を避け、善をなし、心を汚さず、なすべきことを淡々となしていけば、どんな苦境からも必ず脱していくことができるだろう。
ああ、幸せ!と、感動の涙にくれる瞬間を楽しもう。
そして、一瞬の至福がまたたく間に崩れ去り、色褪せていく現実に、「無常」とサティを入れていこう・・・。
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1/6(月) 泥沼のような情況に、目の前が真っ暗になっているかもしれない。
たとえ絶望に打ちのめされていても、それでもこの因縁は必ず解く、と揺るぎない決意を持続すべきだ。
やがて、すべてが移ろい変化し、一条の光が仄かに射してくるだろう。
志は、必ず実を結んでいく、と信じる・・・。
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1/5(日) 最高に体が整っても、心に煩いがあれば、妄想だらけの瞑想になるだろう。
心をととのえなければならない。
口から入るもののバランスと分量によって、体が整えられた。
そのように、口から出ていくものが、心をととのえていく。
正しい言葉、優しい言葉、為になる言葉、真実の言葉‥‥。
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1/4(土) 「修行僧は堅く戒めをたもって、諸々の感官をよくつつしみ、食事についてもほどよい量を知り、めざめているときには心を統一し、気をつけている」(感興のことば)
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1/3(金) 「大食いして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、くりかえし母胎に入って迷いの生存をつづける」(真理のことば)
これは、おせち料理を食べ過ぎて、寝正月をしている人への言葉かな‥‥。
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1/2(木) そのとき必要な栄養が、過不足なく摂取されるだけで、体は満ちたり、充実してくるだろう。
妄想が作り出す偽の欲望に惑わされず、体の奥底の声に耳を澄ませていく。
静かな命の燃焼が体感される時、良い瞑想が始まっていく・・・。
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2014/1/1(水) 自然に浮かんできた自由意志も、その実、諸々の条件に支配され、いかんともしがたい力で選ばされたものではないか。
運命や宿業と呼ばれるものが、自由意志と合致していく不可思議‥‥。