眠気への対処 (1)
ヴィパッサナー瞑想の中でも、坐りの時に眠気に襲われるとなかなか脱出できず、あとで自己嫌悪に陥ったりするのもこの問題です。どのように克服するか。きちんと原因を把握して対処することによって乗り越えることは十分可能です。
Aさん:坐りの瞑想の時に眠気が出て、ラベリングしても眠気が消えていきません。どう対処すれば良いでしょうか。
アドバイス:
身体の面と心の面、二つの面から考えます。
先ずは身体の面です。食べ過ぎや寝不足、あるいは疲れていたり体調不良だったりというような物理的なレベルの問題であれば、先ずそちらを整えることが先決です。
心のパワーはとても大きいので、眠気など一瞬に飛ばすくらいのこと出来ないわけではありませんが、前もって体の条件を整えておくことは非常に大事です。自ら体調を崩すようなことを避けるのはもちろんですが、もし自分で対処できないような不調であれば医者に行くなりして適切な対応を取らなければなりません。このように、先ずは体のコンディションを瞑想に相応しく設定すること、これが第一です。
次は心の状態です。身体の状態は整えられていても、心がざわついたり乱れたりする要因は取り除かれているでしょうか。もし心配ごとや課題などを抱えていたとしても、瞑想の時だけはいったんメモしておくなどして、積極的にそれらから離れる工夫が必要です。そうして頭の中が整頓されると、自ずから心の環境も瞑想向きに設定されますから、かなりやりやすくなるはずです。これが第二。
先ずはこのように、身体を瞑想モ−ドにし、心も安定的な状態に整えていくことを心掛けてください。
ですが、そのあたりがうまくいかなかった場合でも、眠気が出てきているのに気づいてなんとかサティを入れ続け頑張っている状態であれば、そのまま続けてけっこうです。たとえ意識がドンヨリして居眠りしそうになっていたとしても、眠気と闘っているかぎり、立派に修行ができていると考えてよいでしょう。うまくサティはヒットしなくても、気づこうと努力しているのですから修行していると言えるのです。
それに反して、サティが完全に途絶えてしまい、眠気に負けて舟を漕いだりするようになったら、それは時間の無駄になりますから、その時には歩行瞑想や立つ瞑想に移ってください。速めの歩きでビシッビシッとサティを入れるとか、超スローにしてみたり、あるいは細かく足裏の感覚を取るようにして意識を賦活させる方がよろしいです。
Bさん:体調は整えているつもりです。また特に大きな問題を抱えているわけでもないのですが、やはり坐る瞑想で眠気に襲われることがあります。
アドバイス:
身体の管理も問題がなく、また当面の心の整理が出来ていても、それでも欲や怒り、?沈睡眠、掉挙、疑という五蓋が出て来て修行者を悩ませます。実はここから瞑想が始まるのです。
眠気は ?沈睡眠といって不善心所のグループに入っています。?沈というのは心がトローンとして働きが不活発になり、鈍くなってやる気が起きずに萎んでしまうこと。これが進むと睡眠に移行します。ですからこれらはセットで「?沈睡眠」として表現される場合が一般的です。
面白いことに、他の不善心所系の妄想から ?沈睡眠の状態へは簡単に移行してしまいます。これは本当に不思議なもので、おそらく不善心所と生体反応とが対応関係にあるからではないでしょうか。つまり、嫌悪や怒りが起きると身体中にその系統のホルモンが駆け巡って、その結果、エネルギーや気が滞るのではないかということです。そのため、嫌悪や批判などの妄想をしていると?沈睡眠の状態に入ることが多いのではないかと思われます。瞑想を終えてのちに、眠気が襲ってきた時の心の状態を緻密に検証してみると、いろいろなことが分かってくるでしょう。
これに対して、心が善心所の働きによって活発化している時には、不善心所系の?沈睡眠には繋がらないものです。妄想とはいえ善心所であれば、やはり心が明るくすっきりしてクリアーになっていく方向だからではないでしょうか。
ただ、繰り返しますがこの検証は別に時間を取って行なってください。たとえ善行に関することであっても、現在の瞬間に対する気づきは落ちているということですから、思考は良くありません。不善心所にせよ善心所にせよ、瞑想中はサティの原点を外れないように、気づいたら「妄想」「思考」とラベリングして見送っていきます。
Cさん:どうしても眠くなります。?沈睡眠になんとか対抗したいのですが。
アドバイス:
先ほども申し上げましたように、原始仏教では?沈睡眠は不善心所に分類されていて、煩悩としてカルマを悪くするという理解です。それは、ものの本質が正確に観えるのとは正反対で、無知・無明とそっくりの状態です。心がエネルギー的に澱んで停滞して静止していくような傾向であって、トローンとして不鮮明、不明確になっていく危険な不善心所ですから、決して容認しないで乗り越えるべき対象です。
一方、それに対して精進(viriya:ヴィリヤ)という心所があります。頑張るぞ、やるぞというやる気、元気のもとのような働きをして、この働きが強く立ち上がれば立ち上がるほど正反対の?沈睡眠は崩されます。これがしっかり存在している時には?沈睡眠という心所は働かないのです。逆に言えば、?沈睡眠の強い時には精進の力が弱まっているということです。
ヴィリヤというのは一つの心所ですが、他の全ての心所を頑張らせるという仕事をします。精進があれば他のメンタルファクターが良い仕事を始めるので、心が活動的な状態になって、入れ替わって?沈睡眠の状態は消えていきます。煩悩と智慧の闘いと言っても良いでしょう。心の中で諸々のものが不善心所に負けないように常に闘っています。突然やる気が出るとその瞬間に?沈睡眠が消えてしまうというのはそういうことです。
ですから、何か一つの考え、イメージが浮かんだだけで瞬間的にやる気が出るということはあり得る話です。また、こうした?沈睡眠という不善心所に対する理解がしっかり入っただけでも、それが起爆剤になって精進の心所がぱっと立ち上がり、その瞬間に心がシャンとして?沈睡眠が消えることも多くあります。ポイントは、?沈睡眠を一掃するぞ、という決意です。
Dさん:坐る瞑想の最中に眠くなって、そこで「睡眠」とラベリングしました。一回は消えましたが、気がついたらまた眠くなってきて、何となく眠らされているような感覚でした。
アドバイス:
「睡眠」というラベリングで眠気自体が雲散霧消してしまったのなら、それはたいへん強力なサティであったと言えます。しかし、一度は消えても繰り返し起きるようであれば、その状態を「眠気」という表面だけではなく、少し角度を変えて中身を観てみます。そうすると、眠気をヌクヌクと結構楽しんでいたり、嫌がってイライラしたりすることもありますから、そんな時は「貪り」や「嫌悪」というのも適切なラベリングになります。また、膨らみ縮みの感覚がよく分からないために退屈して眠気になる場合も結構あって、その場合に相応しいのは「退屈」「飽きている」というラベリングでしょう。
これはつまり、その時起きている心の現象いわば正体が、ラベリングの力で「貪っていた」「嫌悪していた」「退屈していた」と暴き出されて来た状態です。もしヌクヌクと楽しい快感込みで眠気を貪っていたのであれば、「眠気」だけではなく「貪り」とラベリングすれば、ピッタリと対象化されて現象は消えていくはずです。
Eさん:眠気に対して、最初「まどろみ」とラベリングしたら少し消えて、それから「眠気」としたら10%程度は減ったけれど消えませんでした。次に「貪り」と入れたら30%くらい消えて、次に「無智」としたら100%消えました。なぜなのでしょうか。
アドバイス:
「無知」というのはどういう意味ですか。
Eさん:ラベリングは「無知」と貼りましたが、それは「眠りを喜びと錯覚としている無知」という意味の「無知」です。そうしたら、完全にパッと消えました。
アドバイス:
それは素晴らしい、とても良い話です。感心しました。文字通り、?沈睡眠の本質を突いています。
「貪り」と入れて30%消えたというのは、自分はこの眠気を嫌がっているようで、実はぬくぬくした感じを喜びとして貪っているのではないかという認識が生まれたということです。そして「(眠りを喜びと錯覚している)無知」、これで100%消えたというのは、?沈睡眠というメンタルファクターがピタッとラベリングで言い当てられたということです。
瞬間的にこういうラベリングを思いつくということは、まさにパンニャ(pann?:智慧)が出ている感じです。私も、こういうふうに教えたことはないし、ものの本にもそういうふうに書いているわけではありません。猿真似ではない本当の智慧、きちんと観察をしていくとパンニャが出るというのはこういうことです。
ただ、こういう話を聞くと、今度は自分が?沈睡眠になった時「無知」「無知」とやって、結局「消えないな」となる人が出てきます。ダメですよ(笑)。本当のパンニャというのは、そのとき自分が観察していて出てくるものですから。
Fさん:瞑想をやっていても修行が進んでいるという感じがしません。10分の瞑想中はサティをいれているつもりなのですが、いつも眠くなって終わりという感じです。
アドバイス:
自分にとって最高に頭が冴えている時に一日10分の瞑想を行った時には、内容が非常に良くなる可能性があります。ですが、寝る前の儀式のような10分では、あまり良い内容にならないかも知れません。ふわふわ妄想したり眠くなったりして、ノルマを果たしているだけという感じであれば、修行が進むことはありません。
ですが、修行が進んでいくのは難しいとしても、「必ず1日10分」という仕掛けを施していれば、心がこのヴィパッサナーから全く離れてしまって本能に支配されるような生き方にはなりませんし、極端に落ちてしまうことはありません。ですから、たとえ内容が良くなくても最低10分は頑張るようにしましょう。
また、つまらなく感じたり、「こんなのじゃダメだ」というふうに否定的な不善心所系の心が働くと、投げやりになるような気持ちになって眠気が来てもおかしくはありません。上でも述べましたが不善心所系の心は眠気が起きる一因になるからです。
一番お勧めできるのは、食後3、4時間くらいになってちょうど良い状態で意識が冴える時です。もしそのタイミングで瞑想の時間が取れれば、かなり良い内容になる可能性があります。食事の直後やあまりに空腹でエネルギーが途切れている時には、身体のコンディションも不十分なものとなりますし、意識水準も良くないのです。
もし休みなどで家にずっといる時には、頭が冴えてきたと感じたらそれまでやっていたことを中断しても瞑想をしてみましょう。そうすると、瞑想の後にはかなり生活の効率が良くなるはずです。
良い瞑想をするためには、それを支えるさまざまな環境設定にも力を入れなくてはなりません。これはとても大事なことのです。こうした努力を二の次にして、なんとなく瞑想をするという取り組み方では少し甘いと言えます。そこのところはぜひ頑張って欲しいと思います。(文責:編集部)