日常生活でのヴィパッサナー瞑想体験集

 

 

ヴィパッサナー歳時記
〈山守由紀さん(31歳、神奈川県)の体験記〉
初回の合宿以降1年間を通して心が変革されていく様子を綴る感動大作

 

* はじめに

 

 30年の人生をひっくり返した、あの10日間の合宿に参加してから、もうすぐ一年が経つ。思い返せば、合宿参加初日は、ちはし先生に習うのは初めて同然 だったため、訳の分からないことばかりだった。しかし、合宿中に、徹底的に私の瞑想の問題点やその他さまざまなことについて、ちはし先生にご指導いただい たおかげで、その後の一年間は、仕事が多忙なため瞑想会には数回しか参加できなかったが、自宅で日々行う瞑想の中で、大変多くの気づきを得ることができ た。これがまた私の人生をさらにひっくり返す事になるのだが…。
 ヴィパッサナーに出会い、そしてあのとき合宿に参加でき、本当に良かったと、心の底から感じている。もちろん、ヴィパッサナー瞑想者としてはまだ超初心 者であるからして、まだまだこれからなのであるが、この一年間にあったことを記録していたことから、僭越ながら、再び体験記として記させて頂くことになっ た。ヴィパッサナーを始めて間もない方にはよろしければ瞑想の参考に、そしてこれから始めようと思っていらっしゃる方々には、こんな私の体験記であるが ヴィパッサナーの素晴らしさが少しでも伝わり、始めるきっかけになれば、大変嬉しく思う。

 

☆       ☆       ☆

 

*1・2月  

 

 合宿が終わって1月、2月、幸か不幸か、経験したことないほどの多忙に見舞われ、以前の私だったら頭がブチ切れていたに違いなかったであろうが、ヴィパッサナーのおかげで「疲れ」「イライラ」「右足、左足」とサティを入れ、なんとか乗り切れていた。
 また、私には何をするにも失敗の恐怖を回避するために、頭の中でいろいろなことを予想をする「リハーサル癖」があることが、合宿中の心の随観で明らかに なったのだが、それについても、「即興で生きることは大切だ」と先生からご指導を受けた通り、前もって予想、リハーサルしないよう、即興で行動できるよう 努めていた。私自身も「即興で生きていく」ことについては、前々からそうありたいと心のどこかで願っていたので特にこれには、この1月2月、努力をしてい た。ところが……

 

*3月

 

 「ヴィパッサナーのお陰で、忙しくても心は順調だ」と半ば得意になっていたそんな3月のある日、ガツン!とショックを受けることが起こった。私が無意識に発した言動で知人を大変怒らせてしまったのだ。それは、こんな状況であった。
 その時も、私はここ最近と同じように即興で喋ろうとしていた。
 ところがその知人に話しかける言葉がすべて否定的だったり、卑下する言葉ばかりだったらしく、知人が「今日はちょっと俺をバカにしすぎじゃない!!」と怒ってしまったのだ。
 私は全て冗談で話しかけていたつもりだったので、私の方が逆に驚いてしまった。知人が怒りを爆発させたところから、私は自分の気持ちにサティを入れるよ うに努めたため、それ以上の大事にはならず、「疲れてるからかも。ごめんね」と知人に謝り、その場は収まったのだが……ショックだった。
 わざと怒らせているのならまだしも、相手を傷つける言葉を全く言ったつもりがなかったのだから余計にショックだった。
 即興で喋ると人を傷つけてしまうのか?
 その後は、その事件のことでもう頭が一杯で、帰宅途中の電車内でも自宅に戻ってからも、ずっと心の随観を試みた。落ち着きを取り戻したあたりからようやく心が観れるようになってきた。
 知人を怒らせた時、私は元気なつもりだったのだが、実は大変、大変、疲れていることに気づいた。そして意外なサティ。
 「疲れているその時には、慈しみの気持ちが生まれない」
 「えぇ?疲れていると慈しむことができない?なんて私は非情な奴なんだ」
 そしてまた意外なサティ。
 「疲れているから慈しむことができないのではなく、元気だと無理矢理慈しんでるフリができる」
 「フリができる……!?」
 心の中にあったわだかまりがサッとひいた。これは正確に心を見れたときの反応だ。だからこの内容は間違いない。「フリができる…、フリができる…」
 が、その日はそれ以上随観してもそのような正確なサティが入らず、これからどうして良いかわからなかったが、慈悲心が足りないことだけは確かであるから、今まで以上に慈悲の瞑想に力を入れることにした。
 実は、即興で喋ったことで知人を怒らせた心の原因が分かるのは、この時には想像もしていなかったほど時間がかかることになる。しかしその間、全く自分で は考えもしなかった自分と出会うことになり、そしてそれらが…私の人生を再びひっくり返すことになるのである。

 

*4月

 

 あの事件以来、もう二度とああいうことのないように、と慈悲の瞑想を繰り返した。しかしなぜか、それ以降、誰であろうと人と会って話すときについ否定的 な言葉が頭に浮かぶ。でもその時は口に出す前に気付けるので相手を怒らすことはなかったが、そんな自分も嫌だったし、なんだかとても話すのが窮屈でどうし たら良いか困ってしまい、ちはし先生に相談のメールを送ることにした。
 4月の半ば、メールによるちはし先生からの回答はこうだった。
 「なるほど。分りました。
 これは、山守さんの反応系の心の修行がまだ不十分だということです。
 よく気をつけて注意していないと、人を傷つける言葉を発してしまうプログラムが残っている、ということでしょう。
 それなら〈即興〉に徹していくのはよくありません。
 他人を傷つけないようにすること。
 これが、優先順位として1番です。
 そのためには反応系のプログラム書き換えの修行が必要です。
 慈悲の瞑想や五戒完守、内観などメニューはたくさんあります……(実際のメールではさらに続いている)」
 「そうか、まだ即興で生きていける状態ではないのか…」かなりがっかりしたが、でもそれ以上に即興で生きたい気持ちは強く、反応系プログラムの書き換え の修行を頑張ろう、と心に誓った。先生のアドバイスを踏まえ、今、私にできることは、引き続き心の随観をすること、そして前にも思った通り、慈悲の瞑想を することだ。(お酒は止められなかったので、五戒は守れなかった)。
 それからというもの慈悲の瞑想に今まで以上に力を入れようと努めていたのだが、ある日ふと感じた。
 一応普通に、「生きとし?」と心の中で言っているつもりだが、なんとなく全体的に暗い感じがする。そう、それは合宿中にも同じ事を感じ、その時はサティ を入れながら慈悲の瞑想をしたことで新たな自分を発見でき解決できた。よって今回も同じ事を試してみることにしたのだが……全く思いもよらぬサティが入っ た。
 「自分を好きではない」
 「え?自分を好きではない!?」あまりにも意外な内容。別に今のところ自分が嫌いという自覚はない。「なんだろう?しかも慈悲の瞑想と自分を好きでないことがどう繋がるんだ?」なんだかとてもとても気になる。自分を好きではないなんて。
 それから毎日、暇さえあれば「自分を好きではない」を随観した。4月の半ばのこの時期は、とにかくしょっちゅう瞑想をし、関係あること、ないこと、心にぶつかったものにサティを入れていたように思う。
 そして幾日かたったある日、再びハッとするサティが入った。
 「自分を好きでない自分なんて『いけない!』と思ってる」
 えー!大変衝撃的だった。好きでない、だけではなくって「いけない!」だなんて! 
 でも冷静に考えてみるとこの内容は非常に腑に落ちた。よく本などで「自分の欠点で、くよくよする人間なんていけない」と書いてあったり、実際周りの皆も 「悩んでたって仕方ないよ、くよくよしない!」などと言ったりする。そういうことを見聞きした時、「その通りだ!くよくよすることなんていけない。自分の ことが大好き!と明るく元気に振る舞わなくっちゃ!」と小さい頃からよく思ったことを覚えている。しかしそれは無理をして、私は自分のことを好きなフリを していただけで……
 「とにかく理由はわからないけど、本当は私は私が嫌いなんだ」
 とても気持ちが暗くなった。
 瞑想により、自分が嫌いということを知ってしまった以上、もうフリをすることもできないし、またしたくもない。自己理解ができた喜びと自分が嫌いという 嫌悪との間で、非常に複雑な気分になり、それ以後の私は悶々としていた。そしてさらに暗い気持ちに追い打ちを掛けるように、私は仕事の多忙さに耐えきれ ず、数日後のある日、高熱を出して寝込んでしまった。
 39℃近かっただろうか。これほどの熱は久しぶりだったため、かなり身体が苦しかった。しかしなぜか頭は冴えていて、眠ることなく次から次へと何かしらの事をつい考えてしまう。だったら、どうせ考えるならば…と布団の中でサティを入れることにした。
 「熱い」「不快」「自分が嫌い」…。自然と、「自分を好きではない」に対象が向いていく。
 そうして1日中、随観をしていて…入った。
 「“髪の毛”が大嫌い」
 心の中にあったモヤモヤがサーッと消えた。確かなサティが入った時の感覚。
 「そうか、そうか、やっぱりそうか。悲しいけどやっぱりそうか…」
 自分が大嫌いな原因が分かった。髪の毛だ。
 自分が嫌いな原因が、髪の毛!? なんと些細なことで…と感じる方がいらっしゃるかもしれないが、実は私にとっては死活問題なのである。私の髪は非常に 縮れている、いわゆる、強度の縮毛なのだ。シャンプーでは髪が絡まったり、ヘアークリームをたくさんつけなければくしが通らなかったり、もう本当に扱いに 困る髪だ。髪を縛って、毛先が隠れるようにしなければ、とても外出できなかったため、小学生の時は朝30分位かけて「頭にくっついている邪魔な物」を処理するのが毎朝の日課だった。
 さらにこのコンプレックスは、おしゃれ心が芽生えてくる中学生になると、ますます悪化した。中学は制服だっため、髪型をどうするかは登校時のおしゃれ要 素としてとても女の子間では重要になる。ちょうどあのころは、「聖子ちゃんカット」が流行っていただろうか。周囲の多くは流行の髪型で楽しみ、一方で雑誌 にはそれを増長させるかのように「髪は女の命!」などと書かれてあり、それらを横目に見ながら私は「私だけが醜い、女としても失格だ」と心の底で思ってい た。
 しかし、当時から理想追求型で負けず嫌いの私は「欠点を克服して良い人間になるぞ!」と思い、一生懸命努力した。髪の毛で勝負できないのならば、笑顔美人を目指そう、と鏡を見ながら笑顔の練習をしたり、勉強で勝負!と猛烈に頑張ったり。
 でも本心は褒められる笑顔よりも、学年で成績一番になることよりも、結わかなくても外出できる、普通の髪の毛が欲しくて欲しくてたまらなく、反抗期のこの頃は「なんでこんな髪に生んだんだ」と親に当たったことも度々だった。
アルバイトなどでお金に余裕ができた大学時代は、パーマをいろいろかけて、この髪と「戦った」。目一杯普通の人と同じように見えるように努力した。髪が 真っ直ぐでなければ、彼氏だってできない…。が、その戦いの裏で、なぜかとても虚しく感じたことを覚えている。
 髪の説明が長くなったが、どんなことをして戦っても、価値がないと思っている髪は決して変わることがないので、そういう髪を持つ自分をいつでも本当は嫌い、と思っていたことに、心随観で気づかされた。
 しかしそれらが分かったのは良いが、そうは言っても、今まで通り縮れた状態で私の髪は頭に存在するわけで、よって自分に対して「嫌い」という気持ちは何 も変わらない。原因が分かったことでホッとするところもあるが、相変わらず私の心は複雑で悶々としていた。

 

*5月

 

 気がつくと5月。2カ月前に知人を怒らせて以来、ずっと随観を続けているが、このまま随観していくと、一体どこに行き着くのだろうか。瞑想の内容が、 思ってもみなかった展開になっているので(それがヴィパッサナーなのだが)、戸惑う部分もあったが、とにかく心にぶつかったものをあるがままにサティしよ うと努めた。
 そしてある日のサティ。 
 「すごいね、って言われたい」 
 サーッと嫌悪感が消える。
 「髪とどう関係があるんだ!? でもまた納得……」
 すぐに高校、大学時代を思い出した。そのころのイメージは明るい。なぜならば高校も、大学も××です、と言えば「わー、すごいねー」と、言ってもらえた からだ。だからどこへ行ってものびのびと自由に行動できた。人と会う時も、アルバイトの面接に行くときも社会の中で自分を表現するときは、その学校の名前 を言えば、一目置かれる。堂々と生きてこれた。
 ところが大学を卒業してから今日まで勤めている今の会社は、名の知られていない小さな会社。学生時代とは違って、「○○会社です」と言っても「あぁ、そ う」となるだけで、「すごいね」にはならない。そうなると「すごいね、って言われたい」私はその代わりになるものを探す。それは何か。
 「女はやっぱり外見でしょう。美人はいつもモテるし」とサティ。
 私が思う次に来る「すごいね」は「外見」だったことに心随観で気づかされた。
 「外見」が優れている基準として、当然、私は、縮れ髪を持つ自分を「最悪」と判定していた。だからだろう、会社に入ってからはなんとなく、見知らぬ人や、古い昔の友人と会うのが怖かった。
 こんな「最悪」の私を見せるのは嫌だった。しかし社内では小さい会社だけに自分の努力が直接認められるので嬉しく、私は休み返上で仕事をし、すごいね、 の私になるよう、一生懸命働いた。が、そんな理由で働いていれば、却って苦しみが増すことは決まっているのに……。
 ハッと気付けば、30才になり、若さという切り札もなくなり、おまけに独身という、社会一般からすると、最低最悪な状態になってしまい、「すごいね」からは完全に遠ざかった人生の真っ只中に私は今いたのだった。

 

 ハッとさせられるサティはそれだけで終わらなかった。
 数日後、「すごいね、と言われたい」に続いて、なんと「勝たなきゃ気が済まない」というサティ。
 これはかなり堪えた。なんとひどい内容かと、またまた暗い気持ちになった。
 勝たなきゃ気が済まない。何に?…他人にであった。私はとにかく他人に勝ちたかった。そして他人に勝ち、その結果得られる「すごいね」を私は求めていたのだった。それにしてもなぜそんなに「すごいね」にこだわるか。
 この時幼少の頃の記憶が蘇ってきた。私はなぜか周囲の友人よりなんでもできる子供だったので、物心ついた時から、「すごいね」と言われることに大変慣れており、半分当たり前だった。よって髪以外のことでは「できなくて困った」という記憶がない。
 だが、悪いことに、これは合宿の体験記で書いたのだが、両親は「すごいね」とは言ってくれなかったのだ。だから両親以外の大人や先生がどれほど「すごい ね」と言ってくれても、もうそれは当たり前と感じる反面、私は満足できず、両親に認めてもらえるよう、どこまでも「すごいね」を求めていた。またそれに加 えて、中学以降は大嫌いな髪を忘れさせてくれる「すごいね」を得られるようにと、他人の不幸を願ってでも、私は周りの人間に勝とうと必死だったのだ。他人 の不幸を願ってでも勝ちたい私に慈悲の心が出るわけがなく、即興で生きるのは危険だ。どうしたら良いものか。
 「ハーァ……、これじゃぁ慈悲の心なんて出るわけないよなぁ。思ったらパッと話す、そんな即興で会話なんてできるわけないなぁ」…とため息つく間もなく、またまた心の醜さが浮上してきた。

 

 その数日後のイライラしていたある時にスッとサティが入った。
 「守る」
 たちまちイライラが消えた。どうやら何かを守りたくて、そしてそれを守れないときにイライラすることがあるらしい。非常にしっくりきたのだが、何を守りたいのかよくわからず、引き続き随観すると、何か「こうあるべき姿を守りたい」ようだった。
 そう言えば……たとえば「優しい人間」は当然良い人だ、と誰もが思う。私もだから「優しい人間であるべきだ」と思い、優しくできないときに、あるべき姿を守れず、イライラする。そうか。なるほど。引き続き随観。
 私に「あなたは……だから素晴らしいね」とか「あなたの…の部分がすごいよ」と言ってくれるその内容、人の存在、それを「守ろう」。私は○○高校卒業、 ××大学卒業、そういう人間は「こうあるべきだ」というイメージを「守ろう」。一旦、勝った後は、「すごいね」って言い続けてもらえるよう、行動を規制し 「守ろう」。そういう「守る」があることに気づかされた。
 以前に社長だったという方や、偉い人が、肩書きを守ろうとする気持ちが昔は全く理解できなかったが、今は分かるような気がする。そしてまさか自分もしているとは思わなかった。
 この5月、立て続けに起こった自分にとって厳しい自己発見。
 「すごいね、って言われたい」
 「勝たなきゃ気が済まない」
 「こうあるべき姿を守りたい」
 いつだって他人に勝てるように、そしていつだって、周囲からすごいね、って言ってもらえるようにあらゆるものを守り、また守ってくれるものに頼りながら 一生懸命、私は生きてきたことに改めて思い知らされた。そしてそれらによって今、非常に苦しめられていることも……。
 それにしても、その時その時はどんな関係があるのかさっぱり分からずサティを入れていたが、続けてあるがままを見ていくと、ちゃんと繋がっているから不思議だ。
 こうして自分の醜いところをどんどん知ることとなり、自己理解はより一層深まったのだが…私は依然として自分が嫌いなままであった。

 

*6月

 

 「勝ち負け」のサティが入って以来、不思議と、人の幸せについて嫉妬を感じなくなっていることに気がついた。自分の目の前に仲の良いカップルがいても、 「幸せそうだなぁ」だけしか思わず、それ以上心の中で何の展開も起こらなくなった。これはかなり劇的な変化だ。
 また、なんとなく対抗意識が減り、気張らずに人と接することができるようになった。3月に友人を怒らせて以来、3カ月後の今になって、ようやく、私の心 の反応系プログラムが少し書き換えられてきたようだった。これらの変化は本当に嬉しい。が、一方で、新たに少し困ったことも起こった。
 他人に勝つために多くのことを頑張ってきたので、その原動力がなくなりつつある今、なんとなく何もやる気が起こらない。鬱のようで鬱ではない、そんな感じだ。
 思い返せば、この「勝とう」とするところからくる原動力は、物心ついたときからずーっとなので、これ以外の原動力は見当もつかない。あれほどやりがいを 感じてしていた仕事さえも「上司に認められて、だから何?」と、前のようなヤル気が起こらない。かと言って、休むわけにも行かないし…辛い。とにかく対策 としては、引き続きサティをしていけば、変化するのであろうから毎日ヴィパッサナーを頑張るしかない。今までもそうであったし。さぁ瞑想、瞑想。
 そんなある日の読書中、読んでいた本に次のようなフレーズがあった。「鏡を見て、私は変わりたい、と言ってみましょう」と。しかしその言葉になぜか不快感を感じたことに気づいた。
 「なんで不快感を感じるのだろう?」
 不思議に思ったので随観をしてみるとなんと「私は変わりたくない」というサティが入った。少し驚き。私は常々良い人間に変わりたいと思っていたし、より良い方向へ変わることは大切なことだと思っているつもりだった。
 さらに随観。
 「変わりたくない、なぜなら、変わる必要がない、だって、私は完璧のはず」
 「えー。『完璧のはず』だって!? また予想もしていなかった内容だ!」。(当たり前だ。サティとはそういうものなのだ)。「完璧と思い込みたいん だー。そうかー。確かにそう言えば、欠点を見たくないし、指摘されると非常に不快になる。でも完璧のはずなんだけど、その一方で、汚点があることは知って いるよな。髪の毛にしても、そう、学力にしてもそう、だから完璧に近づくために、変わるのでなく、汚点を取り除こうとするんだ。
 鏡の中の私は完璧に映るよう、きっと私はあらゆる手を尽くすんだ。そして時々鏡の中の私が完璧であることを見て、ホッと安心する。え、安心を得るため?  完璧でないと見えたとき、私は緊張し、完璧な自分を作り直すことに必死になる。そして随時鏡を見て確かめる。鏡はいろいろ。他人の顔色、反応、私への評 価。完璧でなければ……『怖い』。出たー!!!怖い。恐怖。完璧でない自分は嫌いだ。見たくない。でも髪は常に不完全」。一気に頭の中を駆けめぐった。「最 悪だな、こりゃ」

 

*7月

 

 多くの自己発見があった5月、6月、その結果反応系プログラムが少し書き換えられたと言ってもそれはわずかであり、肝腎の髪に対する思いや、すごいねっ て言われたいこと、完璧主義などに気づいたは良いが、だからと言って気分が晴れやかになったわけではなく、7月に入り、一層私は悶々としていた。日々の瞑 想でも特にこれといった決定的なサティが入らす、淡々と心にぶつかったことをラベリングする毎日だった。
 が、ようやく少し光が差してきた!
 ある日のこと、座禅で随観中、「過去」という言葉が浮かんだ。その直後、心の奥の奥に潜んでいた嫌悪感まで一掃されるような、体内をサーッと風が吹く感 覚があり、心のモヤモヤが消滅した。「あれー、なんで??」と訝しく思ったが、しかしこの認識が生じることによって、なんでもかんでも過去に執着、いや、 執着という言葉よりも、過去の記憶の中で生きていた自分に気づいたのだ。
 嫌いな髪の毛も髪そのものが嫌いなのではなく、髪に関した思い出には良いものがなく、それによってできた嫌悪感という海の中に私が存在し、苦しんでいた ことが分かった。その海は、他人から与えられたもののように思っていたが、それを作っていたのは自分自身だった。そうやって髪以外のことでも、私は過去の 「記憶」で今の自分を苦しめていたのだな、と理解した。
 「過去」というたった二文字の言葉が浮かんだだけで、数ヶ月間私の中にずっとあったモヤモヤがだいぶ消え去ったように感じ、ずっと悶々とし、苦しかった 私にはもう消え去ったというだけで十分だったので、ここで瞑想から出た。その後、あの最大のテーマ「自分が嫌い」ということを思い出してもなんの嫌悪感も 出ず、さらに「自分が嫌いだったんだっけ?」と忘れてしまったかのような気分にさえなったのでさらに安心した。
 そして次の日も、またさらに次の日も、さわやかな感じが消えずに続いたので、「こうやって心は綺麗になっていくのかな?……ようやく結果が出たんだ」と私 は大変満足し、それ以来あまり心随観をしなくなった。前述したとおり、日常でも対抗意識が減り、生きやすくなったことも心随観から離れた理由だ。
 でも、即興は大丈夫? 慈悲の瞑想は明るく言える? 完璧主義は? 仕事への原動力は?……まだまだ多く残っている私の心の問題が消え去ったわけではな い。これらは10月にまた顔を出し、私は再び心随観を真剣に始めるようになるのだが、この7月はこれでとりあえず満足だった。

 

*8月

 

 あまり心随観をしなくなって1カ月が経った。その上歩行禅や、座禅もあまりしていなかったので、怠けの月と言えるだろう。がしかし、夏休みを利用して出 かけたカナダ旅行では、一人で行ったせいもあるのだが、いろいろなサティが入り、今までの旅行とは全く違った充実感を得られたので、この8月の章はカナダ 旅行中の気付きについていくつか記したい。
 誰でも同じだと思うが、旅行出発前というものは大変ワクワクするものである。特に私の場合、今回は初めてツアー旅行ではない一人旅で、自分自身ですべて計画、手配をしたため、期待感がとても大きかった。
 ところが出発日の前日、なんと台風が関東に接近。予報によればちょうど飛行機が離陸する時間に成田空港近辺を通過するとのこと。もう前日の私は気が気でなかった。
 「もしかしたら飛行機が飛ばないかも…」「成田で一夜あかすことも覚悟しなくては…(不快、不快、不快)」。あれあれヴィパッサナーをしている私はどこ へ行ったやら、全くサティが入らない。どんどん反応のドミノが倒れ、イライラは募るばかり。が、これじゃぁいかん、と思ったところでサティが入った。
 「自分が期待している展開が完璧だと思っている。そして完璧でないから不快」。なるほどー。(不快消滅)。そしてこの時思った。「そっか、何も期待しな きゃいいんだ。その時その時の状況を受け入れればいいんだ」と。決して自分に言い聞かせるという感覚でなく、「あ、そっか」、と単純に思っただけであっ た。
実はこの「期待しない=その時その時の状況を受け入れて、行動する」の気づきが、今回の旅行を大変充実したものにしてくれたのだった。
 出発当日、これからカナダ旅行!というのになんだか近所に買い物に行くような気分で家を出た。また成田エキスプレスに乗り、空港に着いても、相変わらず 淡々としていた。そして無事飛行機も予定通りに離陸したというのに、「ああ、よかったぁ!」などという大きな安堵感はなく、ただ「飛んだ」と思っただけで あった。
 この感覚は今までの旅行では経験したことのない感覚だった。とは言っても決してつまらないのとは違う。成田エキスプレス内での読書も楽しかったし、空港 でコーヒーを飲むのも楽しかったし、何も期待していなかった分、どれも私にとって等価値だったため同様に楽しかったということだ。後で思ったのだが、大き く期待していればしてるほど、大きな感動が来るのではないだろうか。だからものすごく感動したければ、ものすごく期待していれば良いのではないか。ただし 期待通りに行かなかった時、非常に落胆すると思うのだが。
 カナダに着き、最初の観光予定地はナイアガラ地区であった。文字通りナイアガラの滝を見るためにこの地区に来たのだが、しかし念願の滝を最初に見て思っ たのはなんと「あー水がいっぱい」であった。「ん、変だな?念願だったのに喜びが少ない」。前述したとおり、私の中ではすでに期待感が消えていたので、大 きな感動がわき起こらなかったのだ。「ま、いいか」。それ以上どうとも思わず、予定していたところを見て回ることにした。
 と、実はこんな感じでずっと一週間の旅行中過ごしたのだ。こんな淡々とした気分で旅行などしたことは今まで全くなく、初めての感覚だったがこれは非常に 良かった。途中雨が降っても、疲れて見学せずにホテルで寝ていても、「せっかく来たのに」とか、「損しちゃった」という思いが全く出てこないからだ。寝る のもよし、喫茶店で雨宿りしながら本を読むのもよし。

 

 旅行、という点では以上なのだが、異国の地、普段と違い英語を話すことからある大きな収穫があった。完全に即興で会話ができたのだ。あれほどまでに即興 で生きたかった私が、どんな言語であれ、即興で話すということを体験できたことはもう非常に嬉しかった。
 では、即興とそうでないのとは何が違うのかと言うと、私の場合は「相手が何を言うか、期待しない」だ。そうするとどうなるか。相手が何を話すか予想をしないため、自分が何を話すかは、相手が何を言うか聞いてからでないと考えられないことになる。
 よって、まずは相手の話をよく聞こう、という気持ちになり、非常に真剣に話を聞く。そして聞いた後、じゃあ私はこれこれを話そうとなり、知ってる英語を 使って話す。もし、言葉として相手の言ったことが理解できなければ、理解できませんでした、と言って聞き返せばいいだけなので、そう答えるだけだ。その後 のことはまた聞いてから考える。「本当に会話をしているんだ」、そんな気持ちになった。
 旅行前に「期待しなければいいんだ」という気づきと、英語を使うことから真剣に一言一言の会話をする必要があったこれらの条件が重なって、私は即興で話す、ということを人生で初めて掴んだのだ。
 この体験は日本に帰ってからも大変役に立っている。非常に話しやすく楽だ。期待をしていないので、ぎりぎりまで何を話すか考えていなく、そのぶん相手の 話や状況に集中でき、そして自分が話す番になったとき、それでは自分はこれを話そうという、言葉以前の思いがフッと出てくるのを落ち着いて待ち、そしてそ れを言葉に変えて話す、そんな流れで会話ができるようになった。フッと湧いた思いをどういう言葉だったら正確に表現できるか、それについても落ち着いて集 中して考えられるようになったので(と言っても時間にすると非常に短い一瞬だが)、結果的に無駄が減り、言葉の数が少し減ったような感じがする。でもこの 方が相手にもよく伝わっているようだ。

 

 さてカナダ中の気づきで、最後にもう一つ。旅行中に一度だけ、わざわざホテルの部屋に戻り、真剣に半跏趺坐をし心随観をした。それはこんなことがあったのだ。
 ホテルで部屋のある11Fから1Fへ降りようとエレベーターを待っていた時だ。この時、「緊張」とサティが入った。私はエレベーターを待つとき緊張する ことに気付いた。そしてエレベーターがやってきて、ドアが開き、中に4、5人の欧米人が乗っているのを見た。この時私は「Hello!」と挨拶をしようか 一瞬迷ったがタイミングを失い、黙ったまま箱の中に入った。なんとなく気まずい雰囲気がエレベーター内を流れ、1Fで降りた後、私はずっとモヤモヤの中に いた。「言えば良かったかなぁ。変なアジア人て思われたかなぁ」。その後ホテルの近くを散歩していたのだが、どうしても嫌悪感が気になり、ホテルに帰って 瞑想することにした。
 まず初めにこれに気付いた。すでにエレベーター乗っている人々は必ずドアの方を向いている。だからドアが開いた時、乗ろうとする人と、待っている人が必ず向き合うことになる。この瞬間が私にとって「恐怖」であること。そしてそのまましばらく随観。
 すると……「負けようとしている」とサティが入った。「あーあー、そうか、そうか!」。以前の私は「勝とうとする」というサティが入ったが、それを頭で覚 えていて、今度は、「負けようとする」ということを無意識にしていたことに気づかされたのだ。別の言い方をすれば、「勝たないようにする」だ。このサティ が入ってから「そうか!勝つも負けるも、別にないんだ!」ということが、非常に腑に落ちたのだ。
 何かが私の中から消えて行った。この後に、エレベーター前に立った時はもう緊張は起こらなかった。そしてドアが開き、私は遠慮することなくすでに乗って いる相手の顔をまず見た。夫婦が一組乗っていた。そして、どういう反応が返ってこようと期待せず「Hello」と言うと相手も気持ちよく「Hello」と 返してくれたのだ。「あーこんな感覚ってあるんだ!」。
 勝ち負けについてこだわりのない方には、「それでどうして嬉しいの?」と思われるかもしれない。しかし私には非常に嬉しい出来事で、実は旅行中でこの出来事が一番嬉しかったのだ。

 

*9月

 

 カナダより帰国後、それまで常にあった、心のおしゃべりが非常に少なくなった。
 私は小さい頃より、いつもいつも何かを頭の中で考える癖があった。それは妄想の時もあれば、集中して何かを考えている時もあり、方法・内容は様々だが、頭の中がシーンとしている、という時はほとんどなかった。
 が、カナダでの気づき、「期待している」によって、勝ち負けについても、相手の反応にしても、自分の出来具合についても前ほど期待しなくなった私は、頭 の中であまり喋らなくなっていた。この状態は、心が静まっていてとても気持ちがいい。そして喋らなくなった分、自然とセンセーションを感じていることに気 づいた。何気ない動作、例えば、ドアの開閉とか、コップを持つ時など、前より感覚がはっきり感じられる。
 合宿中に先生は仰った。「良い瞑想ができるためには、まず心をきれいにしなくてはならない」と。ほんの少しだが、心がきれいになると良い瞑想ができると いうことがなんとなく理解でき嬉しかった。しかしちょっと良くなるとすぐ調子に乗るのが私の悪い癖。すぐできる気になってしまうのだ。「よし!これからは 歩行瞑想、お腹の方の座る瞑想をしよう!」。自分が成長したかのように思え、嬉しくなり、意気揚々とこの時私はそう思った。
 ……が、私にはまだ重大な問題「完璧主義」を始めさまざまな問題が心の中に居座っており、10月にはまた再び心随観の方に戻ることになる。まだまだなのである。

 

*10月

 

 再び心に黒いモヤモヤが現れ始めてきた。日常でイライラすることが増える。勝ち負けに変わる仕事への原動力はまだ見つからず、しかし仕事は相変わらず忙 しい。また前より即興で話せるようになったとはいっても、それは全てではなくリハーサルも入る。おまけに髪に対してもなんとまた、嫌悪感がわずかだが出て きた。
 「大分心がきれいになったと思ったんだが…仕方ない。この状況を受け入れなくては」
 また心随観を始めた。とにかく心にぶつかったことにラベリングをする。
 「私は、できる人間か、できない人間か」
 「できる人間でないと耐えられない」
 「できないとき、胸が苦しくなる」
 「できないことは楽しめない。できることをするのは楽しい」
 うーむ。なんだ、これは。完璧主義が顔を出しているのだろうか。と、その時ハッとした。実はここ最近、ずっと長いこと学んでいたある事を辞めようかどう しようか悩んでいたのだ。その理由は、自分にはある身体的欠陥があり、そのせいでどれほど頑張っても望むレベルに未だ達することができないからだった。も ういい加減疲れてきていたので、その欠陥を恨みつつ、この辺で辞めようかと思っていた。しかし実際に辞めることを想像すると今度は、挫折したような気にな り、そんな挫折する人間なんて耐えられない、と思ってしまう。その両者の間でイライラしていたのだ。さらに随観。
 「できることが楽しいのでなく、できる私であることを確認できる、その時間が心地よい」
 このサティの後、少しスッとした。なるほど。私は身体的欠陥のせいとし、それに対してイライラしていたが、それは単にすり替えただけであって、本当の嫌 悪の対象は、思ったようにうまく行かないその現象、すなわち「できる自分」を感じられないところにあったことに気づかされた。
 これは6月に書いた「欠点を指摘されると非常に不快になる」と同じことだ。しかしそれにしても、どうして私はそんなに「完璧な自分」でないと安心できな いのだろう。できないとどうして恐怖を感じるのだろう。幼少の頃の、両親に認めてもらえないことからくる恐怖が問題になっていることは判明しているもの の、この自己理解だけでは解決していない。まだ何かあるはずだ。
 完璧主義が消滅するとどうなるか、まったくまったく想像もできないが、でも、もし消滅したら…
 「私の人生はまたひっくり返るのではないだろうか?」
 真剣に私はそう思った。

 

 一方で忘れてならない、私にとって「即興」で生きるための大切な修行、「慈悲の瞑想」。実はこのところ、またうまく言えなくなっていた。「勝ち負け」の サティが入ってから少しずつ良くはなっていたのだが、恥ずかしい話、合宿から半年以上が過ぎているというのに、今だに雑念や眠気が起こることがある。それ が自分としてはなんとも遣る瀬ない思いだった。合宿時から「心の底から慈悲の瞑想を言える人間になりたい」と思い、その上「即興で生きていくために慈悲の 瞑想をしなさい」と4月にちはし先生からアドバイスを頂き、一生懸命気持ちを込めて言おうとしているのだが……。
 「なんとかしたい!」試しに前と同じ、慈悲の瞑想をしながら随観してみることにした。すると、とりあえず次の事だけが分かった。3番目の「生きとし生け るものが…」は暖かーい気持ちで言えるのに、初めの自分に対してと、2番目の親しい人達へは、3番目と比べると、気持ちが込められないのだ。なぜだろう、 普通は逆ではないだろうか?しかしそれ以上は随観しても分からず、また保留となった。
 がこうやって少しずつ焦らず瞑想していくことが大切なのであろう。
 髪の毛のこと、完璧主義、そして慈悲の瞑想について等々、ようやく光が見えてくるのだ…。

 

 「嫌悪でさえも心から出たらもう仕方がないんだ。それがいい、悪いという判断ではなく、それはそれだ。なぜなら全ては等価値だもの。喜びも悲しみも同じようにちょっと楽しむ位の気持ちで受け止めよう」。
 これはサティではない。あることからそう思ったのだ。そのあることとはこうだった。
 いつものようにサティを入れていたときだ。嫌悪が出た時をよーく随観すると、どうも次のようになる。
 「嫌悪感が出る」→サティ→一瞬の奇妙な空白→「嫌悪」とラベリング。
 時系列で書くと、感情とラベリングの間になんだか奇妙な空白が感じられる。しかも「嫌悪」とラベリングしてもそれほど嫌悪が消滅しない。「変だな」。
 そこで、感情にサティを入れる時できるだけ注意深くサティをするように努めた。すると、新たにサティが入った。
 「嫌悪感が出る」→サティ→「嫌悪が出るなんていけない」→「嫌悪」とラベリング。
 あちゃー。こんなところにも完璧主義が顔を出している。しかもそれを飛ばして「嫌悪」とラベリングしている。「これは他の感情についても同じように注意深く見なくては」。すると他の感情には意外なことが分かった。
 否定的な感情、怒りや嫌悪については今のように「いけない」という思いがくっつきながらもサティを入れていたのだが、それ以外の感情、つまり喜び、楽しい、にはなんともっとすごいことをしていたのだ。
 サティを入れるどころか、喜んだって、楽しんだってどうせ後でがっかりするんだ、つまらなく感じるんだ、と思い、防衛心が生まれ、喜ばないように、浮かれないように、と感情を押さえつけていたことに気づかされたのだ。
 そうなると、感情が出ていないつもりになっているので(淡々としているつもり)、サティも入らない。なんとまぁ、あきれて言葉も出ない。
 私が思いこんでいるさまざまな「してはいけない」ことをしないように一生懸命心を制御していることに気づいた。
 私は自らたくさんの「いけない」を作り出し、その判断で自らを苦しめていたのだ。
 「嫌悪でさえも心から出たらもう仕方がないんだ。そのまま受け止め、そしてサティだ。よし!なんでもかかってこい!あるがままを見るぞ!」まさに腹が決まった思いだった。

 

 数日後、完璧主義を中心対象にしながら随観していたある時、ひとりの知人のことを思い出した。知人は幼少の頃、体が弱く他の皆と同じように外で遊べず、 時には長期に渡って学校を休むことさえもあったという。今現在、その知人は何かをするとき、まさにそれをすることを味わい、楽しんでいるように私には見え た。
 そう思い出した時に自分のことを考えた。物心ついたときにはもう「できて当たり前。できないという感覚が分からない」という状態で人生を出発していた私 と、できなくて悔しい、というところから出発した知人とでは物事の受け止め方に大きな相違があるのではなかろうか。
 私の場合、できることの喜びよりもできないことの苦しみの方に目が向き、できたときは通常の私になった、と言う安堵感を感じたのではないか、と。
 「でも本当にそれだけが完璧主義の根本原因だろうか?」
 納得できる部分もあるがやっぱり釈然としない。しかし今日はここで終わらせたくなかった。ずっと抱えている問題であるし、この根本原因が少しでも浮上す れば、先にも感じた通り「できた安心感と、できない恐怖感」から抜け出し、私の人生がひっくり返ることは間違いない。「よしもっと真剣に随観をしてみよ う」。
 目をつぶり真剣な気持ちで取りかかった。するとしばらくして…。まず、上記の幼少体験のこともあるが、それはあまり大したことではなかったことが解った。
 それよりも合宿中に気づくことができた「両親が認めてくれない恐怖」とサティが入る。がしかし、このことはすでに心随観で分かっていたことなので、別にどうということではなかった。ここから先だ。
 真剣に随観。「何もぶつからない」とサティ。さらに真剣に。
 そして……フッと心の奥の方からささやくようにサティが入った。
 「母が好き」
 なんだ!なんだ!なんだ!
 この直後たちまち嫌悪が消滅し、心が非常に軽くなった。と同時に「どんな私でもいいよ」と自分で自分を赦すような、そんな気持ちが心の奥底から強く沸い てきた。どうして、と原因を考える気持ちも起こらず、ただあるがままの「母が好きだ」という自分の気持ちを受け入れたら、生まれて初めて感じる平和の気持 ちになった。
 誤解しないでほしい、このサティは私を認めてもらいたい理由が分かった、というサティではない。ただ、好き、という気持ちを私が受け入れた、そういうサティなのだ。
 そしてたったそれだけのことで、これまでにあった多くのいろいろなものがスーッと消えて行くのを感じた。すごいね、って言われたい気持ち、できない人間 であることの恐怖、守ろうとする防衛反応……。完璧主義から派生していた様々な思いがみんなみんな消えて行ってしまった。そして残った自分は……ちっぽけなん だけど、そのちっぽけな私はしっかり2本の足で立っており、とても安定感があった。「こんな気持ち、今まだ感じたことない!」大変、大変嬉しかった。また なぜか「ちっぽけ」な感じがとても心地よかった。全く背伸びしていない「ちっぽけ」な私。
 いざ消えてしまうと、「なんだ、それだけのことだったんだ」とあっけらかんとした気分になったが、でもやっとやっと「完璧主義」から抜け出すことができ た!嬉しい!それにしてもなぜ「母が好き」で完璧主義が消えてしまったのだろう。よくわからないけど、ま、いっか。
 しかしヴィパッサナーに終わりはない。「これでもう大丈夫かな?髪の毛は?あれ?まだ嫌悪が残ってる。慈悲の瞑想は?これもまだやっぱり心が込められない」
 全てが一遍に一掃されるわけではないのだ。でも私の気持ちは明るかった。「また頑張るか!」

 

 ひとつ理解が深まって、また別の問題が浮上してくる。これで終りというのはない。いくら「母が好き」で多くのことが消滅しても、まだまだこれからも続く。
 髪の毛に対し、前ほどではないが、やはり嫌悪がある。完璧主義を随観したときのように、こちらも真剣に取りかかることにした。
 「嫌悪」「髪が縮れていて醜い」……
 うーん……、そして……
 「(綺麗な子っていいなぁ。だって綺麗でないと幸せになれないもん)と思った」
 「え!? 綺麗でないと幸せになれないって、私、思ってるんだ」。さらに…。
 「私は綺麗でないから幸せにはなれない」
 「でも幸せになりたい」
 「だから綺麗と思いこみたい!」
 えーーーーーーーーっ!!!!!!! なんじゃぁこりゃあ! ものすごく、ものすごく驚いた。でもこれで、パァーーーとモヤモヤが消えた。そして、「綺麗でなくたって十分幸せになれるよ」と、強く確信めいた気持ちが沸き上がった。

 

 一体何だったんだろう。心底から醜いと思っていた私は、同時に心底から綺麗と思い込みたがっていたなんて、こんなに相反する心が共存していたなんて。
 実に不思議であるが、このサティが入った日以来、綺麗な人もそうでない人も同じように私の眼に映るようになった。そして私の髪のに対しても特別なものと いう意識が消えてしまった。そう、全てが等価値だ。もちろん、あぁ、あの人は綺麗だな、というのは分かる。ただ、両者の間には「違い」があるだけで、自分 と競争心を持って比較するような気持ちが全く湧かないのだ。
 そして何よりも一番嬉しかったのは「私も幸せになれるんだ」ということを心の底から思えるようになったこと、そしてそう、慈悲の瞑想の「私が幸せでありますように」をとても暖かい気持ちで言えるようになったことだ!
 「私が幸せでありますように」を言えるようになると、「私の親しい人たちが幸せでありますように」も自動的に暖かい気持ちで言えるようになった。
 よし、あとは「私の悩み苦しみがなくなりますように」と「私の願いが叶えられますように」を随観して温かい気持ちでできるようになるぞ!

 

*12月

 

 その後の慈悲の瞑想・随観のまとめ。
 *「私の悩み苦しみがなくなりますように」→「悩む事なんていけないと思っていた」とサティ。
 *「私の願いが叶えられますように」→「本当に願っていることなんて叶うはずがない。今までそうだったからと思っていた」とサティ。
 *「私に悟りの光が現れますように」…もともとこれは全く問題なく言えた。
 慈悲の瞑想をするとき、こんな心が一緒にくっついていたことがその後の随観で判明した。そして今では、1カ月前と全く違い、自分だけでなく、親しい人た ちにも、生きとし生けるものにも前と比べて、ずーっとずーっと心を込めて言えるようになった。やったぁ!

 

 もうすぐクリスマスだ。私は残念ながら街でよく言われるような「すてきな彼とロマンティックなクリスマスイブを」なんていう経験がない。(今年もない) (笑)。だからこれまでは表面には出さなかったが(表面に出すのは「いけない」と思っていたので)、どうせ自分なんて…という気持ちで世間を眺めていた。
 また「なーに、企業の戦略に乗っちゃって」とか「よく混んでいるところに行くよな」などとひねくれた気持ちで過ごしていたのも事実だった。ところが一昨 日のこと、いつもと同じように「生きとし生けるものが幸せに…」と慈悲の瞑想をした直後、ふわーっと目の前に、皆が幸せそうに歩いているクリスマス時期の 表参道の風景が浮かび(表参道はクリスマス用イルミネーションが有名だ)、「みんな幸せそうで良かったなぁ。私も近いうちに行って幸せな空気に触れてこよ うかな」などとこれまででは考えられないようなことを心の中で言ったのだ。
 もちろんヴィパッサナー的には全ては等価値だから、クリスマスだから幸せとかそういうのはないのだけれども、今の場合はそう言うことではなく、皆の幸せ に何も嫉妬を感じないどころか、私もそこへひとりで出かけてみようかな、なんて思ったことが私にとってはとても考えられないほどの変化で、それがとても嬉 しかったのだ。
 心の中でそう言った後「あれま!」と驚き、いつものように急いで手帳に書き留めた。と、そうやって……。

 

☆       ☆       ☆

 

*おわりに(最後は「ですます調」で)

 

1年間書き留めた記録をこうして体験記としてまとめさせて頂き、改めて自分を見直すことができ、大変良い勉強になりました。ちはし先生、機会を与えてく ださり、ありがとうございました。合宿で、30年抱えていたの人生への価値観がひっくり返り、そしてその後の一年で、さらに私の内も、外も変わってしま い、少し大げさ過ぎるかもしれませんが、生まれ変わった、と言って良いくらいだと思います。

 

今思うと、私を変える一番の支えになってくれたものは、慈悲の瞑想だったのではないかと思います。先にも記しました通り、もともとは「慈しんでいるフリ をする」ような人間でしたので、当然のことながら気持ちが込められず、それこそただフリをして唱えているだけでした。
でも自分が嫌いであることを初めに気づかせてくれたのも慈悲の瞑想でしたし、またどんどん自分の醜いところが現れ落ち込んでいく中でも「それでも私には まだ慈悲の瞑想がある」と、自分を励ましてくれたのも慈悲の瞑想の存在でした。また、気持ちを込めて言えるようになった今では、慈悲の瞑想を行うことで仕 事に対しての新しい原動力が生まれてくるのを感じ、再び仕事に集中できるようになりました。これはずっと困っていたので、大変ありがたい変化です。そして 以前よりも他人に対して否定的な気持ちが湧き上がらず、自分に対しても安心感を持てるようになったため、今では即興で話してもかなり大丈夫だと思います。 と同時に最近よく感じるのですが、「ありがとう」という言葉を以前よりもずっと自然にたくさん口にしているような気もいたします。本当にこれらの変化はと ても嬉しい……。

 

ちなみにこれは余談ですが、今の自分を認められるようになってから、なんと不思議なことに、生後まもなくからあった身体上の欠陥が正常な状態へと変わり 始めたのです。具体的に申しますと、赤子の頃、原因はよくわかりませんが、目は斜視に、鼻は蓄膿症に、髪は強度の縮毛に、そして頬はほんの薄っすらとです が赤痣にと、頭部に集中して異常が現れました。どれも直接命に関わることではありませんが、何か物事を極める際、物を見る「目」、呼吸をする「鼻」は重要 であり、先にも書きましたが、これらのせいで私は長年続けていたあることにおいて、あと一歩のところにたどり着けず、辞めようかと悩んでいたのでした。
ところがその11月頃からでしょうか、非常に良い治療法に巡りあえたり、自然に良くなったりと、目、鼻、髪に改善がみられてきたのです。不思議です。で も今ではもうどちらであっても、たとえ長年続けてきたことが達成できなくても、私の中では等価値なので、楽しく変化を見守っている、そんな気分です。

 

長々と記した体験記、最後の最後までお読みくださった皆様方、本当にありがとうございます。心よりお礼を申し上げます。そして最後に、これだけはぜひお伝えしたいことがあります。
あるがまま、とか、人の幸せを願う大切さについては、私も今までの人生の中で多くの本でも読み、話でも聞いていました。でも、読んで理解することと、そ れらを本当に体感し腑に落ちることは、全く違うことなんだな、ということです。もちろん私も現段階では理解したつもりになっていますが、また何年か先に今 のこの時を思い出すと「全然分かっていなかったな」と思うことでしょう。でもいくら本で読んでも起こらなかった明確な変化が、こうしてヴィパッサナーに よって起こったわけです。

 

これまでの人生においてもサマタ瞑想的なことやイメージトレーニング、能力開発等はかなり行ってきましたので、いろいろな変化は体験して来ました。が、 何もねらわず、完全にあるがままを見ることを徹底することによって得られたこの変化は、これまで体験してきたものとは全く異質のものばかりで、本当にこの 一年、驚きの連続でした。
そして他の多くの方々が言っている「あるがまま」を直接体験させてくれたのは、唯一ヴィパッサナーだけでした。

 

お読みくださった皆様が、どうぞ幸せでありますように。そして瞑想会にほとんど参加できない私をメールでご指導くださったちはし先生、ありがとうござい ました。ヴィパッサナー瞑想者としては、ほんとにまだまだひよこ以前の私ですが、これからも頑張りますのでどうぞよろしくお願いたします。