原始仏教の理論とその最高位の瞑想であるヴィパッサナー瞑想を研究、実践しています。


 ヴィパッサナー瞑想協会(グリーンヒルWeb会)の活動についてのお知らせです。


アクセスカウンター

スマートフォンからアクセスの方々へ   
  このホームページの画面の右上に表示されている  を
  クリックすれば、メニューを表示することができます。

お知らせ
  YouTubeに公開している「初心者講習」の動画に英語の字幕をつけました。
  英語版動画はこちらをクリックしてください。
     「初心者講習」英語版動画

 お知らせ
  「慈悲の瞑想」「懺悔の瞑想」「赦しの瞑想」のことば     
    のページをアップしました。下のリンクをご活用ください。
     「慈悲の瞑想」のことば
     「懺悔の瞑想」のことば
     「赦しの瞑想」のことば

 お知らせ
   削減経の「煩悩チェックリスト」のページをアップしました。    
    下のリンクをご活用ください。
      削減経の「煩悩チェックリスト」

 今日の一言!

 

 2023年6月までの瞑想会スケジュールをアップ   

 

 初めての方を対象に、サティの瞑想を正確に体得していただくための講習会

   2023年2月の地橋秀雄講師による「初心者講習会」の開催 
   2023年2月12日(日)13時〜17時

 

 地橋所長が講師の泊まらない1Day合宿

   2023年2月の1Day合宿の開催              
   2023年2月26日(日) 実施
       1月23日(月) 23時〜予約受付開始

 

 地橋所長が講師の29年連続の人気講座(2023年1月期)
   朝日カルチャー講座新シリーズが2023年1月28日(土)より開催 
   「朝の瞑想」は10階の教室になります。
   「夜の瞑想」は11階の教室になります。

 

 「ブッダのヴィパッサナー瞑想」のオンライン講座(2023年2月)
   2023年2月27日(月)19時00分〜20時30分に開催       
     ZOOMミーティングを使いますので、遠方の方々もお手軽に自宅から参加できます。
     お申込みは、朝日カルチャーで!
   朝カル・オンライン講座:「ブッダのヴィパッサナー瞑想」

 

 月刊サティ
      2022年10/11月合併号をアップしました。
      2022年12月号をアップしました。
      2023年1月号をアップしました。  
   以下のサイトから、アクセスしてください。
    http://shingekkansati.com/

 

 地橋所長によるダンマトーク(法話)のDVD・CD、書籍(一部)を購入希望の方へ
   アマゾンや瞑想会場などのほかに、メールでもご注文・購入できるようになりました。
   こちらのご購入方法をご覧ください。
   DVDなどの内容は『瞑想の本・CD・DVD』をご参照ください。

 

 ヴィパッサナー瞑想協会(グリーンヒルWeb会)へのメールアドレス
   メールアドレスは、greenhill-meisou@satisati.jp です。

☆☆☆☆ ヴィパッサナー瞑想の本のご紹介動画 ☆☆☆☆

 

マインドフルネスの源流 地橋秀雄による『ブッダの瞑想法』シリーズ
(春秋社刊)内容紹介(4分)

 


DVDブック『実践 ブッダの瞑想法』(地橋秀雄著)
内容紹介(3分半)

 

 

CDブック ブッダの瞑想法 「瞬間のことば」(地橋秀雄著)
内容紹介(3分半)

 

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ヴィパッサナー瞑想の本 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 


 



 

 

 

 


 



 

 

 





   
ヴィパッサナー瞑想協会(グリーンヒルWeb会) グリーンヒル瞑想研究所でツイッターをはじめました。最新のお知らせをつぶやいています。是非フォローして下さい。

 

☆☆☆☆  最新のツイート  ☆☆☆☆

 

     

 



今日の一言

 

1月30日
★邪悪な言動で害毒を垂れ流している者には罰を与え、排除すべきだろうか。
 苦を与えれば必ず同じ苦を受ける因果法則を理解できない無知の悲しさ・・・。
 弱い者をいじめ、邪悪なことをしたくなる心はどのような経緯で育まれ、その要因はいかばかりだったろうか。
 悪しき宿業の展開に否応なく暗転していった流れに「悲」の瞑想を・・・!
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月28日
★狐もライオンも単細胞の粘菌にすら記憶能力がある。
 だが、過ぎ去ったことをくよくよ思い出し、明日を思い煩って苦しむのは人類だけだ。
 どんな生命も余計な妄想をしないで、一瞬一瞬の今を生きている。
 必死で妄想を止め、いちいち今の瞬間に気づく、そんな瞑想をしなければ苦の泥沼に堕ちていく万物の霊長・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月26日
★人は過ぎ去ったことで苦しみ、思い通りにならないことで苦しむ。
 恨みに、後悔に、劣等感に、自己嫌悪に、腹を立て、否定し、新たな怒り系の不善業を作り続けてしまう。
 一切の苦を乗り超えるために、ネガティブなものを受け容れる行法として、「懺悔と赦しの瞑想」がある。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月24日
★他の生命を貪り食って、自分の命を長らえる。
 生きていくだけでカルマが悪くなる。
 ・・・そんな弱肉強食の世界を誰が作ったのだ。
 笑う者がいれば必ず泣く者がいる一切皆苦の構造。
 笑う勝者も老いの苦に襲われ、死が迫れば恐怖する。
 解脱しないかぎり、死ねば必ず再生し、果てしなく苦海を、忍土を、輪廻転生し続けるドゥッカ(苦)・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月22日
★太陽系もいずれ終焉するし、世の終わりが到来するのは確定的だ。
 追いつめられた独裁者が「死ねば諸共!」と核のボタンを押せば、来週にも人類滅亡の日が訪れる・・・。
 仏国土がこの世に現れることも構造的にあり得ない。
 善・不善の業に押しやられ、一切皆苦の世界を浮き沈みしながら輪廻していくのが人類だ。
 苦と苦から解脱する道しかないと心得る人はわずか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月20日
★時間と労力を失った原因は、人の時間と労力を奪ってきたからだ。
 テープ起こしなどのボランティアをしてくれた方々の労作が、法施(情報系の善行)の仕事として完結することなくお蔵入りになっているケースが多々ある。
 膨大な時間と労力が虚しく費消された状態になっている責任を感じている。
 まあ、原因はこの辺だろう・・・と見当をつけている。
 全力投球でした一日分の仕事が水泡に帰す苦(ドゥッカ)は相当なものだが、怒りや嫌悪は微塵も起きない。
 奪う者は奪われる法則を熟知しているからである。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月18日
★合宿の面接記録を保存しようとフォルダーにポインターが触れた瞬間、誤作動があり、全てのファイルが消失した。
 自動バックアップされないテキスト・ファイルで仕事をしていた。
 終了直前にPCがフリーズして、執筆した一日分の原稿が一瞬にして水泡に帰したこともある。
 数えきれないほど、何度もあった。
 なぜ、そんなに・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月16日
★仏教の業論の理解が深まれば、日々経験される出来事がなぜ起きたのか、原因を読み解くこともできる。
 殺す者は殺され、愛する者は愛され、罵る者は罵られ、賞賛する者は賞賛される。
 金品も労働も情報も、奪う者は奪われ、与える者は与えられる法則性・・・。
 苦の現象が襲来しても、その原因が推定できれば、淡々と受け容れやすくなるだろう。
 さらに、今日どんな善をなしたか、悪をなしたかによって、未来に経験される苦楽が予想できる。
 いかなる事象に対しても平然と、ありのままに、「捨(ウペッカー)」の心で見送っていく瞑想の礎になる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………
1月14日
★「時は過ぎ去り、昼夜は移り行く。
 青春の美しさは、次第に我らを捨てて行く。
 死についてのこの恐ろしさを注視して、安楽をもたらす善行をなせ」
 と、欲界の神が言う。
 幸福は虚しく変滅するではないか。
 安楽ではなく「世間の利欲を捨てて、静けさを目指せ」と、ブッダは涅槃に導く・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月12日
★ブッダが悟った真理は、「世の流れに逆らうものであり、貪りと瞋りに悩まされた人々には見ることができない」。
 それ故に「誰にも理解されない教えを説くのは虚しい」とブッダは沈黙する決意をしていた。
 煩悩を否定する反自然・反生命の教えが、よくぞ現代にまで命脈を保ち得たものだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月10日
★見下された!侮られた!と激怒するのは、エゴ意識が強く、人と比べる妄想に囚われているからだ。
 因縁を正しく把握している者は、我が身に起きる一切を業の結果と心得ているので怒らない。
 運が良くても悪くても、何が起きようが起きまいが、我執と慢を手放す瞑想をすれば、人生は苦しくない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月8日
★一般論的な法話を聞法しても、瞑想修行や人生の現場に直結するか定かではない。
 才能も資質もメンタルな情況も妨害要因も千差万別だからだ。
 瞑想修行には個人指導の面談が不可欠であり、ブッダが対機説法をされた所以でもある。
 「悟りが開けるか否かは、聞法の態度と修行レポートの仕方によって見破れる・・・」と言ったミャンマーのサヤドウもいる。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月6日
★翳りのない、素直で、聡明な若者に出会うと、ダンマの情報を吸収していく柔軟さと瑞々しさが眩いばかりに輝いている。
 同年代だった頃の私は、己の過去に憤りを覚え、破滅的な頽廃の美学を追求していた。
 暗く、悲惨な経験が集積され、苦の真理に打ちのめされた泥だらけの青春だった。
 遥かな回り道をしてしまったが、今は、それが宝となって輝きを放っている・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月4日
★初めて取り組んだ瞑想がヴィパッサナーだった若者もいる。
 さまざまな宗教や行法を遍歴した挙句の果てに、やっと原始仏教にたどり着く者もいる。
 私の修行時代は、禊の水垢離と祝詞で一日が始まり、朝は仏典を読み、夜は荘子を熟読、ヨーガ・スートラを典拠にサマーディの完成を目指すサマタ瞑想に没頭していた。
 なんとなく出会った教えや修行法のようだが、実は大いなる因縁の流れに然らしめられているのだ。
 偶然とは、複雑系の必然である・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月2日
★一瞬一瞬、心に生滅する感情と思考がその人そのものであり、当然表情にも現れる。
 瞑想修行によってネガティブな思考が一掃されれば、凶悪な人相が白面の貴公子に変貌するのも当然だろう。
 己の心を観察し洞察智が閃くヴィパッサナー瞑想の実践は、心を根本から変えていくことができる。
 対象と合一し煩悩を一時的に遮断するサマタ瞑想では、禅定(サマーディ)を解けば元の木阿弥・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月31日
★雨安居が明けぬ前に帰国する私は、寺を去る前日、男のクーティを訪ねた。
 着替えを持たないらしい男の服装やサンダルが日増しにみすぼらしくなっていくのが気の毒だった。
 差し出がましかったが、敢えて申し出た。
 「私は明日、帰国します。大変失礼だが、自分の日用品や衣類、サンダルなどを受け取って頂けないだろうか」
 「喜んで」と答えた男の眼があまりにも澄み切っているのに驚嘆し、瞑想はこれほどまでに人の顔を変えるのかと心が震えた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月29日
★雨安居の3ヶ月間、修行者は全員同じ瞑想堂で歩く瞑想と座る瞑想を繰り返す。
 その男はぎこちなく修行を始めたが、型通りに黙々と歩き、愚直に座る姿が思いのほかだった。
 着の身着のままのTシャツとロンジーが日増しに薄汚れていくのに反し、男の凶悪な印象は霧消し、黒かった顔が白くなり、どんよりした眼が澄み始めた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月27日
★ヴィパッサナー瞑想のリトリートでは、どこの僧院でも沈黙行が布かれている。
 瞑想者は互いに挨拶も会話も目線も合わさず、終日ひたすらサティを入れ続ける。
 ある日、ラテン系の顔立ちをした西洋人が瞑想堂に現れ、修行者の一員に加わった。
 暗く、凶悪な人相が印象的だった。
 ミャンマーの僧院に逃げ込んで来た犯罪者が連想された・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月25日
★知的理解だけで満足し、修行の実践を軽んじてはならない、と分かっちゃいるけど変われないのは、本当には解っていないからだ。
 痛い目に遭わない限り、人は惰性に流されていく。
 苦の真理を目の当たりにするまで、苦の原因の真理も、苦の終滅の真理も、苦を乗り超える八つの正しい道も、知るべくもない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月23日
★丸ごとの自分を無条件に受け容れてくれる絶対的存在が想定された安心感と畏怖が、いかなる民族も独自の神を作り出してきた所以ではないか。
 その神仏に全てを委ね、加護を願い、無条件に従っていく信仰の構造は、三宝帰依とは似て非なるものだ。
 人間ブッダが説き示した理法を人生の指針とする表明・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月21日
★不善業が怒涛のように溢れ出て、やることなすこと全て破綻し、完膚なきまでに打ちのめされ、失意のどん底に叩き落されることもある。
 自信もプライドも矜持も何もかもへし折られた絶望の果てに、至高の存在にエゴが明け渡されていく定めの人達。
 三宝に帰依し、神にひれ伏す回心の瞬間・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月19日
★1Day合宿にいきなりハイレベルな初心者が現れ、古参のリピーター達が顔色を失うことも珍しくない。
 芸術もスポーツも瞑想も、天賦の才能とは、修行時間と密度が集積された修練の賜物であり、偶発的な遺伝子の悪戯などではない。
 誕生時の身体的条件や才能が千差万別なのも、遠大な輪廻転生の流れから理解される・・・。
 あまりにも不平等な人生のスタートは、巨視的に眺めれば、公平である。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月17日
★最初の食事が遅くなったので、その夜は何も食べずに早めに寝る予定でいた。
 頭が冴えている限り瞑想や執筆を続けるが、枯渇したので入浴し、就寝前の瞑想をした。
 なぜか眠気は訪れず、意識が透明になり、思いがけず瞑想が深まった。
 食事→体調→意識の透明度→瞑想の深化・・・という法則性。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月15日
★約7万年前に言語野が追加されたホモ・サピエンスの知性は爆発的に飛躍したが、邪悪な妄想をする能力もセットだった。
 1万2千年前に農業が始まるや、収穫の保存→富の蓄積→貧富の差→欲望の肥大化→エゴ意識の強化→邪悪さの露呈と激化→と、人類は悪化の一途をたどり始めた・・・。
 文明化と軌を一にして、中国に、インドに、ユダヤに、世界各地に、暴れ回る煩悩を抑止する戒律と道徳を説く宗教が勃興したのは必然の流れだった。
 少数派だったが、煩悩が生まれる母胎の思考プロセスを止め、煩悩そのものを滅尽させる瞑想修行に着手する者たちも現れた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月13日
★20万年前に妄想する能力を得たホモ・サピエンスは、どんな民族も独自の神を作った。
 神に絶対的な万能性が付与されるのは、弱く卑小な人類にとって理想だったからだろう。
 エゴ妄想が限りなく肥大した究極の神を装置として集団をまとめ、戦争をしてきた人類の歴史・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月11日
★神や仏と一体になった感覚は素晴らしい。
 宇宙の無限性や絶対的な梵との合一は、さらに深い崇高な感覚をもたらすだろう。
 涅槃のイメージと融合するサマーディなら、さらに究極の印象が得られるかもしれない。
 至高の存在と一つになれば、エゴが限りなく弱められていく。
 問題は、どんなサマーディも必ず破れて、日常意識が回帰してくることだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月9日
★もし初心者が外国で瞑想修行に入る機会を得たら、全員が瞑想堂で修行する形式の寺が望ましい。
 独居型のクーティではいくらでも怠けられるし、自分を律するのが難しい。
 大勢の中から実力のある上級者を見つけ、その真剣さ、立ち居振る舞い、瞑想に没入している姿を手本にするとよい。
 また、人の目は精進のエネルギーを高めてくれる。
 「見られる力」が己に恥じない修行の原動力になる。
 だが、ライバル心やプライド、慢の問題が浮上すれば諸刃の剣となる。
 常によく気をつけて、無常に変化し推移する現状の一瞬を捉えていく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月7日
★善であれ不善であれ、何事もエスカレートしながら、人は同類の業を無数に作ってしまうものだ。
 嫌な人や不快な出来事に遭遇した瞬間、苦受を覚えるのは不善業の結果だが、同じ強さの刺激では慣れの現象が生じて不感症になってくる。
 前よりも激烈でないと、苦を受ける意味が失われてしまう。
 厳しい「教師」が現れ、いちだんと苛酷な修行が課されていく所以だろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月5日
★相手のレベルに降りていき、言葉でやり込めたくなってしまったのは何故か・・・。
 口の悪かったかつての自分を罰したい衝動だったのかもしれない。
 自己嫌悪が投影された眼前の毒舌家を言葉で叩きのめし、責め裁きたい衝動・・・。
 絶対に毒舌は止める!必ず乗り超える!と改めて誓う。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月3日
★昔から口が悪く、言葉の不善業を重ねてきたが、原始仏教に出会い、慎もうと固く決意した。
 懸命に正語を心がけてきたが、私に輪をかけて口の悪い人に遭遇したとき、抑えてきた悪舌のスイッチが入ってしまった。
 ハードルを一つ超えると、さらに厳しい「教師」が現れ、修行の苛酷さが増す法則・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月1日
★瞑想を止めてしまうと、どうなるだろう。
 思考モードを離れて、あるがままに観る訓練時間が消えてしまう。
 四六時中、事実を解釈した脳内世界、概念ワールドに浸り続ける。
 エゴ妄想から煩悩が垂れ流され、不善業が集積されていくのに無自覚になる。
 痛い目に遭っても逆恨みする自滅の危険性が増す・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月29日
★床に就くと必ず1分以内に入眠するが、まれに眠気が到来しない夜もある。
 これ幸いと、仰臥したままオーソドックスな瞑想をする。
 全身の筋肉の力を抜いていく「脱力」に集中することもある。
 手足の指から目蓋や耳たぶに至る身体各部を意識しながら「脱力・・、だつりょく・・、ダツリョク・・・」と力を抜いていくうちに眠りに落ちる。
 瞑想も、全身の脱力を意識した瞬間から深まっていく傾向が睡眠計の数値に示されている。
 唯一の違いは、明晰な意識が保持されているか否か・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月27日
★この世的な執着を手放していくテーラワーダの寺では、ヨーガは健康志向と見なされ、苦行である断食は禁止扱いされている印象を受けた。
 だが、3ヶ月に及ぶ雨安居のようなリトリートになれば、身を調え、息を調え、心を調える流れが理にかなっているのではないか。
 その信条を貫いて修行してきた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月25日
★短期の瞑想合宿では、ヨーガやストレッチなど体操系の健康法は原則禁止にしている。
 体を整えずして、良い瞑想はできない。
 正論である。
 だがそれ以上に、心身のどんなネガティブな状態にもサティを入れ、苦受を苦受、不快を不快と、ありのままに観じきっていく精神の体得を優先すべきである。
 業の結果として襲来したドゥッカ(苦)は耐え忍ぶしかない。
 いかなる苦境に陥っても心を乱さず、悠然と受け切ってドゥッカ(苦)を寄せつけない境地の練習と心得る・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月23日
★ユーチューブの朗読シリーズは、2021年8月21日にアップした【瞑想のことば5 慈悲の波動】以降、以下のURLにチャネルを独立させた。→
https://youtube.com/watch?v=PfBNUytRp5M
 現在、【瞑想のことば11 瞑想に対する執着と渇愛】まで視聴できる。
 スタッフの録音環境が復旧したら、新作をアップロードしていきたい。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月21日
★瞑想中にエネルギーが切れたので、祈りと慈悲の瞑想で終了した。
 その間、睡眠計の記録は「レム睡眠(急速眼球運動)」だった。
 ヘミシンクを使った特殊な瞑想をしている人が、私と同じ睡眠計で30分計測してみた。
 最初から最後まで「覚醒」だったという。
 解明するには、脳波計も必要か・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月19日
★ブッダの時代には、禅定に入って睡眠の替わりにしていた仏弟子達が数多くいる。
 「坐睡」と言う。
 私もかつて無相三昧に没入すると「明晰な意識が保持された完全な熟睡」だと感じたことがあった。
 アヌルッダ尊者は55年間も横臥せず、その坐睡を続けたという。
 度肝を抜かれた。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月17日
★座る瞑想中に眠気を感じたので、仰臥して10分間眠り、再び座る瞑想を続けてみた。
 質の悪い瞑想→午睡→瞑想再開までの睡眠計は一貫して浅い睡眠N1を示していた。
 その後、瞑想が深まるとN3→N4のノンレム睡眠が示された。
 同じパターンが繰り返されるのを何度も検証し、瞑想が睡眠の代替えになる確信を深めた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月15日
★阿羅漢果を得て解脱しない限り、人は必ず再生してしまう。
 死に際にさしたる業が作られず、生涯に多用した反応系の心も出現しなければ、死に往く人の脳裏に浮かんだイメージ(趣相)が再生を決めることもある。
 死の瞬間まで、よく気をつけて、一瞬の妄想も見張らなければならない所以だ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月13日
★死のレッスンは、まず死の恐怖を除去しなければならない。
 得体の知れない不安が、妄想を化け物のように肥大させるからだ。
 仏教では、死ぬ瞬間の心が浄か不浄かによって、再生の最初の瞬間が決定すると考えられている。
 最期の一瞬まで、心を汚さぬよう、明晰なサティを維持すべき所以だ。
 冷静に、マインドフルに死んでいくための瞑想修行・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月11日
★朝カルのオンライン講座に85歳♂の方が登場し、久方ぶりの再会に胸を打たれた。
 瞑想を教え始めた最初期の修行者で、20数年来、グリーンヒルの瞑想合宿で真剣に悟りを求めてきた方だった。
 今や歩行が困難になり、瞑想が全くできなくなったという。
 人生最期の修行は、解脱が無理なら、いかに浄らかな心で再生するかに絞られる。
 死のレッスンをしていこうと伝えた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月9日
★長年歩き慣れた地下道なのに、なぜこの日に限って集中が深まったのか・・・。
 @Offの日だったので、朝カル講座の前後に多発する妄想が皆無だった。
 APC店の見事な神対応に感謝と慈悲の祈りを捧げたばかりで、心が爽やかだった。
 B体調が良く、透明なエネルギーに満ちた絶妙の時間帯だった。
 CMBT靴には最適のフラットな路面が長く一直線に続いていた。
 D何よりも、思わず瞑想をしたくなる自発的な意欲が湧き上がってきていた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月7日
★夜の田舎の裏道で人に会うことはない。
 室内と同じ密度の歩きの瞑想が可能だが、東京の特に新宿ではそうはいかない。
 しかるに、新宿駅西口地下の雑踏で歩く瞑想が異様に深まったのは意外だった。
 黙々と足早に流れる人流を心に侵入させることなく、六門を見張る意識だけが地上170cmの高度を保って真っ直ぐに進んでいた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月5日
★【Sleepon】の睡眠計がバージョンアップされ、肝心の睡眠段階グラフがひどく改悪されてしまった。
 幸い私は、自動更新されない設定だったので難を免れた。
 ところが先日、お知らせ情報をミスタッチした瞬間、バージョンアップされてしまった!
 瞑想中の意識状態をモニターすることが不可能になった。
 無常を感じ、業の結果を感じた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月3日
★通常の睡眠で最も深いN4がほとんど得られなかった日でも、瞑想開始後すぐにN4に突入したこともある。
 集中が破れてくるとN1やN2の浅眠になり、持ち直せばN3〜N4の深眠に戻る。
 瞑想がどう展開したかを後日スマホで確認する指標にもなり得るし、瞑想が睡眠を補完している確信にも繋がった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月1日
★驚いたのは、瞑想中の心身の状態が完全に睡眠として記録されることだ。
 例えば、最初の三帰依の祈りは「覚醒」、その後の瞑想の展開は「浅眠N1&N2〜深眠N3&N4」として計測されていく。
 体感、妄想の有無、瞑想の深まりが明晰に自覚されているのに、質的には睡眠としてグラフ化されているのだ。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月30日
★この睡眠計で17日間計測してみたが、午睡と本睡眠に質的な差異は何もなかった。
 例えば、20分午睡したとすると、その75%が最も深いN4のノンレム睡眠だったことが何度もある。
 これまで感じてきた午睡後の爽快感と充実感の根拠が数値化されて確かめられたように思われる。
 本睡眠が短くても、瞑想と午睡の足し算で補えるのではないか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月28日
★私の関心事は、@瞑想は睡眠の代替になるか、A午睡と本睡眠は質的に異なるか、の2点だった。
 リング型睡眠計(Sleepon)を使うと、REM睡眠・浅眠・深眠・心拍・呼吸・体動の強弱などが分刻みで計測できる。
 短い午睡と瞑想中に必ず睡眠計を付けてモニターした結果、思わぬ事実が分ってきた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月26日
★どこの寺でも、なぜ瞑想の深い人は睡眠時間が短いのか、昔から謎だった。
 私の睡眠は4時間半弱だが、必ず10〜20分前後の短い午睡を摂る。
 それがいかに強力か、科学的に解明したいのだが、スマートウォッチや睡眠アプリは精度が不均質で当てにならない。
 だが最近、やっと謎が解け始めた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月24日
★暴発する妄想に気づいて正確に撃ち落としていくエネルギーは枯渇していても、単純な数のカウントぐらい難なくできる。
 その結果、妄想に巻き込まれていく心に水が差され、歩行感覚を実感する余裕が生まれるのだ。
 数のカウントを自覚することは、微弱な妄想が簡単に見送られていくのと変わらない。
 こうして、ギブアップしていたサティが甦ってきた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月22日
★歩行瞑想の帰途、低血糖気味になると、途端にサティが乱れてくる。
 瞑想にならないので、数を数えながら歩数計アプリの精度を検証した。
 すると、数のカウントが妄想の出現を激減させ、全身の感覚にきれいにサティが入り始めた。
 感覚に概念を重ねる数息観を否定してきたが、満更でもない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月20日
★一所懸命、淡々と、成すべきことをなしながら、因縁の流れに従いきっていくしかないと心得ているつもりだった。
 だがある日、久しぶりに修行が進んだと感じられた瞬間、喜びが湧き上がり、身も心も軽くなった。
 それで逆に、自分に重圧をかけながら修行に執着していたのではないかと気づかれた。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月18日
★何をもって、瞑想が進んだと判断すればよいだろうか。
 集中力が増し、サティが長く持続されるようになれば、技術面での進歩があったと言える。
 さらに重要なのは、煩悩に汚染された認識世界が以前よりも浄らかになったと自覚され、またそのような他者評価が得られることだ。
 他人の視座や先達の観点を学ばずに孤独な修行を続けていると、主観的な印象に終始しがちである。
 瞑想会で切磋琢磨し、新たな知見を得ていく意義もそこにある。
 次回のオンライン講座は、10/24(月)19時〜20時30分。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月16日
★閑散とした夜道では、速歩でも、超スローの歩行と遜色のない修行になる。
 一本の棒のように体幹を固定し、踵から着地した体重が親指へ移動するのを意識し、左右の足を正確に前方に送り出す。
 正しい正確な歩行を心がけると、全身の筋肉の動きがマインドフルに意識される。
 満月の夜更けの川沿いを歩行マシーンのように進んでいくと、禅定感が深まり、喜(ピィティ)が生じてきた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月14日
★外歩きの瞑想は、環境要因に大きく左右される。
 車の走行量が多い道路では、いくらガードレールで防護されていても、危険回避の意識が自動的に優先されてしまう。
 猥雑な喧噪にさらされている時には、大雑把な現状把握ができれば良しとする。
 常に「今、私は、何をしているか?」と自問する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月12日
★毎夜1時間、速歩で歩きの瞑想をする。
 頭部がブレないように遠方の一点に視線を固定し、背筋をピンと直立させ、着地の瞬間、一直線に伸ばした膝の真上に体重を載せていく。
 歩行感覚への集中が続けば「体感」とラベリングしていくが、中心対象を定めない六門開放型のサティを採用している・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月10日
★衣食住の全て、生活の一切を生涯に渡って施与されるだけの徳がない者には出家はできない。
 修行に専念できさえすれば、供養されるよりも供養する側で波羅蜜を積んでいく方が不徳の身には似つかわしい。
 断食もヨーガも脳科学も、誰に憚ることもなく自由に試み研究できる道を選んで久しいのは、それが本心から望んでいた形だったのだろう・・・。
 自覚しようがしまいが、人は強く望んだ意志を具現化しながら業の世界を生きていく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月8日
★出家の諸々の制約に抵抗を感じてもいた。
 瞑想を進ませる秘訣は体調を整えることだが、消化能力の弱い私に不可欠だった断食もヨーガも禁止、午後食不可の戒律では超小食も難しい。
 乞食の日々となれば、サプリメントや栄養学での調整もままならぬだろう。
 経文の暗記も、チャンティング(読誦)も、僧侶の儀礼的な一切に興味がなく、エッセンスの洞察と修行の実践にしか情熱が持てなかった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月6日
★タイの僧院で、雨安居だけの出家を願い出たこともあった。
 「比丘には諸々の務めがある。お前のように瞑想だけをやりたい者は在家の方がよい」と断られた。
 そのはるか以前にも、同じことを大乗仏教の住職に言われた。
 「修行に専念するなら、在家の方が存分にやれるのではないか・・・」
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月4日
★一般の比丘もこの僧院に入山するには、より厳しい戒律で再出家し、解脱するまで叢林を離れない誓約をするのだという。
 将来の出家の是非を打診すると、「私はあなたを既に受け容れている」との、かたじけない長老の返答だった。
 気がはやったが、支えてくれた方々への恩返しも老親の介護も無視できぬまま、歳月が流れてしまった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月2日
★長年の瞑想上の疑問を長老に質問すると、その夜はあてがわれたクーティで瞑想をして寝た。
 夜半、凄まじい獣の吠え声で目を覚ました。
 すぐ近くの暗闇で、複数の獣が大音量の吠え声を轟かせるのに慄然とした。
 翌朝外に出ると、真っ黒い顔の吠え猿が高木の茂みから再び威嚇の咆哮を上げた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月30日
★スリランカの森林僧院ほど、この世から隔絶した寺はなかった。
 在家者は立入禁止、当然私も門前払いされたが、懐中からニャーニャナンダ長老の私信を取り出すと、入山を許された。
 出家するならここ、と決めていたが、その長老も、縁のあった先生も既に遷化されていたことを知り、感慨を覚えた。
 人生には、潮時がある・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月28日
★ヴィパッサナー瞑想で劇的に変わっても、決意が弱まれば、深層の心が露わになるだろう。
 元の木阿弥か・・・と訝る所以だ。
 過去世から持ち越した「有分心」が今世で変わることはない。
 遺伝子に組み込まれた情報も、環境要因などによって読み出しが妨げられたり促進されたりする。
 「DNAメチル化」という。
 揺るぎない決意を来世に繋いでいく遠大で巨視的な修行プログラム・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月26日
★現状を否定し、劇的な自己変革を目指しても、遺伝情報や宿業の力を削除したり初期化することはできない。
 万物万象は無常ゆえに、心も人生の流れも必ず変わっていくが、形成するのに要したのと同量のエネルギーを逆向きに放たなければならない原則。
 変身願望に駆り立てた要因を分析し、自己嫌悪に気づき、自己否定感覚を自覚することから始める・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月24日
★美点も欠点も、白も黒も、善業も罪業も、等価に観ていくのがヴィパッサナー瞑想である。
 だが、自分の失敗や愚かさ、至らなさ、ネガティブな側面にばかり目が行ってしまうのが修行現場だ。
 暗転していく瞬間にもサティを入れながら、心の便所掃除を持続していく「忍耐」の修行・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月22日
★仏教の業論に眼を叩かれるまで、この世の不条理に憤っていた。
 愚か者に出遭ってしまうのは己の不善業の結果、などと微塵も思わなかった。
 謎が解けてみれば、この世は因果が正確に帰結していく公平な世界だった。
 苦しい人生だったのも当然である。
 一瞬の幸福を貪り、苦を受ける度に逆ギレし、因果の鎖に自ら縛られていたのだから・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月20日
★幼い頃は世界が暗闇になる夜が怖く、人情にも男女の機微にも疎い青春時代も苦しく、己の宿業と身の丈が分からぬ壮年期も苦しかった。
 人生の終わりが見えてくると、苦の原因が渇愛であり、その執着の根本が無明であることも明らかになる。
 死と輪廻転生の構造も視野に収まった今が、最高・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月18日
★少年の頃、男が「愛してるよ」と言い、女が「嘘でも、嬉しいわ」と答える洋画を観て、訳が分からなかった。
 後年、仏教の瞑想修行をし、人の認知システムは、法としての真実が見られない構造だと覚った。
 愛の告白も誹謗中傷も絶賛も、エゴの脳内妄想なのだから、何でも言わせておけばよい。
 法のみを拠りどころとし、この世のことは達観する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月16日
★拙著「瞑想のフシギな力」(王様文庫)紙版の書店在庫が売り切れた時点で「品切れ重版未定商品」扱いになると通告された。
 1年経ったが、ネットで検索する限り中古は入手可能のようだ。
 「ブッダの瞑想法」で書き足りなかった<反応系の心の修行>を中心に執筆した重要な本だった。
 電子書籍版は継続販売されている。
 私自身メールも電子書籍も諸々の原稿も聴読が中心だが、本気で読む時には紙版が不可欠だ。
 眼光紙背に徹する読み込む深さは、どんなツールも「本」には及ばない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月14日
★ICUに搬送され、吐き気と激痛で悶々としていたが、サティを入れて凌いでいた・・とメールが来た。
 数年前、人生最大の不幸に襲われ、さしもの彼も半狂乱になるのではないかと案じたことがあった。
 しかるに、淡々と受け切っていく姿に接し、彼の瞑想修行と仏教の学びは本物だったと感嘆したのを思い出した・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月10日
★スタッフを襲った病魔は大動脈解離と判明した。
 2本の大動脈の壁に亀裂が入り、腹部まで大きく裂けていたという。
 生きていてくれ!助かってくれ・・と祈り続けたが、命を長らえることができたのは、ひとえに当人の善業の故である。
 土壇場で自分を救ってくれるのは、自分が蒔いた善業の種だけである。
 もし誰かが救済の手を差し伸べてくれたなら、それは、かつて人に救いの手を差し伸べた業が異熟(因果の帰結)したからだと心得る。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月8日
★業論も、輪廻転生も、死ぬ瞬間の心構えも、熟知している方だった。
 もし助からなくても、戒を守り徳を積みきれいに生きてキたのだから、必ず善き再生をするはずだ。
 訃報があれば直ちに心を切り換えると覚悟を定めていたが、幸い一命を取り止め、深く安堵した。
 死なないで良かった。本当に良かった、とあの時ほど深く三宝に感謝の祈りを捧げたことはない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月6日
★グリーンヒル・スタッフの大黒柱が突然倒れて1年が経った。
 入浴直後、胸部にただならぬ問題が生じたのを感じ、自ら救急車を呼び、集中治療室で絶対安静となった。
 HPも出版もYouTubeも、グリーンヒルのマネージメント一切を荷ってくれていた方だった。
 まだ何も恩返しをしていないではないか。
 死なないでくれ、助かってくれ・・と、痛切な祈りを捧げ続けたのを思い出す・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月4日
★修行時代の昔のことだが、「外国人なんかに、ダンマ(法)など解るわけがない・・」と当てつけるように呟いたタイ人修行者がいた。
 いや、『口惜しいことに、私にはダンマが解らない』と言い換えるべきではないかと思ったが、黙っていた。
 真実は見られないのだ。・・悟っていない者には。
 凡夫が何を言おうが、捨ておけばよい。 
 断固としてサティを入れ続け、己のなかに顕わになるダンマが視られれば、自己完結するだろう。
 「他人を拠りどころとせず、(ダンマが顕わになった)自らを拠りどころとせよ・・」とブッダは言う。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月2日
★他者の判断が、神のように真実を見抜き、こちらの実状や実態に公正な評価を下しているならば、気にかけるのもよいだろう。
 だが、妄想だらけの凡夫が勝手に見たいものだけを見て、言いたい放題を言っているのではないか。
 そんな愚かな他者の思惑や妄想世界を、SNSが異常なまでに激化させ、ヴァーチャルな「人間関係という名の地獄」が出現した。
 他人の眼差しによって、「私」が所有されていく。
 「地獄とは他人のことだ」とサルトルは言う・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月31日
★他者と共生するしかない人類にとって、喜怒哀楽のほとんどが対人関係に由来し、自信やプライドすら他者評価に左右されている。
 「虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、道の人ではない」(ダンマパダ)
 人は脳内に拡がっていくパパンチャ(妄想世界)を楽しんでいる、とブッダは言う
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月29日
★怒らない方が良いと知っていても、怒りを止めることはできない。
 「怒り」とサティを入れても、ラベリングが空回りして、客観視が無力に終わるだろう。
 怒りは猛毒であることを痛切な体験で検証し、絶対に怒らない!と決意を繰り返すことだ。
 執着(渇愛)が苦の因と悟る智慧が、エゴの対象化と真の客観視を可能にする・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月27日
★「嫌悪」「貪り」「焦り」とラベリングしても消えないのは、なぜだろう。
 客観視はできているが、対象化しきれていないからだ。
 抑止する心が、巻き込まれのめり込んでいく心に圧倒される。
 対象化できるか否かは、執着の度合いに比例する。
 執着の手を放せば、ドゥッカ(苦)が乗り超えられていく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月25日
★ズルい人が嫌われるのは、どうしてだろう。
 おバカな天然ボケ系の人は安心だが、狡猾な人には何をされるか分からない。
 頭の良さ+利己的+邪心=狡猾、か。
 エゴの強さに比例して冷酷の度合いが強まる。
 人の痛みを慮ることができずにホクソ笑む・・。
 業論を知らない お利口な愚か者・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月23日
★神々の王、帝釈天は言う。
 「怒った人に対して怒り返す人は、悪をなすことになる。怒り返さなければ、勝ちがたき戦にも勝つことになる。
 他人が怒ったのを知って、自ら気を付けて静かにしているならば、その人は、自分と他人と両者のためになることを行っているのである」(サンユッタ・ニカーヤ)
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月21日
★神々との戦闘に敗北した阿修羅の王が、手足を縛り上げられても神々の王を口汚く罵倒していた。
 ブチのめして黙らせましょう、との声に、忍受していた帝釈天(王)が言う。
 「強者が、自分よりも劣った者の言葉をゆるすならば、それをこの世における<最上の忍耐>と呼ぶ」
(サンユッタ・ニカーヤ)
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月19日
★嫌らしい人に出会い、理不尽な仕打ちをされても、怒りを覚えることはない。
 過去世の自分は、こんな情けない下品なことをしていたのか、と少し自嘲的になる。
 瞬間的に苦を受けたのだから、不善業が一つ消えたことに感謝する。
 自分がやった通りにやられるだろう相手に、「悲」の瞑想もする。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月17日
★苦しい人生になったのは自業自得、と理解したはずなのに、なぜ同じ過ちを繰り返してしまうのだろう。
 分かっちゃいるけど、止められないのだ。
 貪れ!怒れ!の命令(視床下部)は自動的だが、理性を司る新しい皮質(前頭葉)には学習と訓練が必要だからだ。
 煩悩に従って下落するのはたやすい。
 本能の命令に逆らって訓練し修行を持続するには、心から納得し腹に落とし込む正しい理解の力・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月15日
★見た、聞いた、感じた・・・次の瞬間の反応する心が業を作ると自覚している人は少ない。
 立ち消えになる微弱な業もあるが、次の世まで持ち越される強烈なカルマが宿業と呼ばれる。
 貪りも怒りも愚かさも、一生の間に累積した業はいかばかりか・・・。
 驀進する列車のような宿業の力に押しやられ、あるいは転落し、あるいは引き上げられていく人生・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月13日
★俳優になるオファーをキッパリ「お断りします」と答えようとして、青年中井貴一の口をついて出たのは「お引き受けします」だった。
 誰よりも自分自身が面食らった。
 エゴの思惑も深層の本音も、土石流のように押し流して人生を方向づけていく力・・・。
 その宿業の力を成り立たせているものは何か・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月11日
★正論や建て前を語るエゴも嘘ではないが、土壇場で現れるエゴが本音だろう。
 睡眠中に、海馬に一時保管された不要な記憶は消去され、大事な情報は前頭葉へ転送されて長期記憶になる。
 その選別は、誰がやってるのか?
 生存本能か、DNAレベルの深層エゴか・・・。
 その底に、さらなる奥深いエゴはあるのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月9日
★熱心なひいきやファンになって応援するのを「推し活」と言うらしい。
 自分の「イチ推し」を人に広める活動を「布教」と言い、「推し」のために、また自分の運気を上げるためにゴミを拾い、席を譲り、善行するのを「徳を積む」と表現する。
 宗教だとクサくなるのに、なんとも新鮮な用法に感心した・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月7日
★ピダハン族が絶滅していくのは、400人を割ったからではない。
 ブラジル政府が電気を引き、TV視聴が始まり、子供達がポルトガル語で数を数え始めたからだ。
 言語の使用と生き方しだいでは、妄想に由来するドゥッカ(苦)が限りなく阻止されることを示唆した人類もいたのだと記憶に留めておこう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月5日
★Aがドブに落ちたとBが言うのを聞いたCはすぐDにも伝えた・・。
 ピダハンには、こうした噂やまた聞きを組み込んでいく再帰言語がない。
 直接体験しか語らないピダハンの言葉は、短いワンセンテンスばかりだ。
 根拠のないことを信じない生き方が文法を作ったのか、文法の構造の故にそうなったのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月3日
★ピダハンには、「心配する」という言葉が無い。
 魚が大量に獲れても笑い、獲れなくても笑い、満腹でも笑い、空腹でも笑い、不幸も笑いの種にする。
 嵐で小屋の屋根が吹き飛ばされると、当の持主が誰よりも大声で笑う。
 森の動物のように、その日暮らしのピダハンには執着するものがない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月1日
★言語学者でもある宣教師が、聖書をピダハン語に訳し、30年間起居を共にしたが、一人も入信させることができなかった。
 「なぜ、会ったこともないイエスという男の言うことを信じるのか」
 直接体験の一次資料しか信頼しないピダハンの科学的実証性に屈し、家族を捨て、無神論者に改宗した・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月30日
★なぜ、アマゾン先住民ピダハン族は、今の瞬間だけに生き、将来不安も後悔もないのか。
 ヴィパッサナー瞑想者の範とすべき生き方は、数も色の名前も過去形も未来形もない特殊な言語に由来する。
 抽象化や概念化や伝聞を嫌い、直接体験と現実に起こった事以外には口にしない、極めて幸福度の高い人達・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月28日
★自由意志の存在が疑問視されるのは、司令塔(中枢)が末端の情報に逆らえないからだ。
 意志決定がされる前に、眼耳鼻舌身意の情報が処理され、生存本能、価値観、諸々の条件や環境要因がしのぎを削りながら優先順位を決めていく。
 家族のしがらみも、所有した富や地位や権限も、劣等感も、体調も、トラウマも・・・、無数の条件が心のドミノを倒そうと雪崩れ込む一瞬一瞬・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月26日
★ただ成りゆきに任せて流され、与えられたものを受け切っていくだけで良いのだろうか、という疑問もあるだろう。
 悪を避け善をなす原則を貫いている限り、やがて必ず苦が減少し、楽が増大する。
 人生の幸福度は必ず上がっていく。
 絶対に成就しないのも、否応なく起きてしまうのも、いかなる苦楽も、その因果は必然の力で帰結する。
 悪因悪果を手放し、善因善果の流れを組み込む仏教・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月24日
★何度も痛い思いをしながら検証を繰り返し、因果論が腹中深く納まってからだろうか・・・。
 起きたことは全てそれでよいし、何が起きても、起きなくても、ただ悪を避け善をなす原則さえ貫けば、流れのままにどこへ流されていってもよいのだ。
 己の宿業が組み込んだ人生を、天から与えられた人生であるかのように押し戴いて、生きていく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月22日
★遺伝的素因や宿業に組み込まれた情報を変えるのは絶望的に難しい。
 幼児期の柔らかい脳に刷り込まれたものを改変するのも至難の業で、「三つ子の魂百まで」と言い伝えられてきた。
 「刷り込み」以降に形成された人格や反応系の心は、生き方や生活習慣や瞑想によって乗り超えていくことができる。
 過去のパターンが抑止されている状態もあれば、反応パターンそのものが壊された心底からの変容もある・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月20日
★若い頃は不可能はないと本気で信じていたし、限りない自己変革を目指していた。
 成長し変わった部分もあるが、幼少期からまったく変わらない資質や反応パターンが多いのにも驚かされる。
 根拠のない野望や他人との比較が手放され、己の身の丈を正確に心得て、残余の命を焼尽させていく楽しさ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月18日
★実母を喪い、人生のどん底から立ち直れないでいた担当編集者が高峰秀子の優しさに救われ、やがて養女にまでなった。
 秀子の優しさは、その身内が言うのだから本当なのだろう。
 だが、人を信頼しない秀子の思いやりや配慮は、常に自覚的かつ意識的なものだったに違いない。
 その優しさは、ただ存在しているだけで温かい感じがする生まれつきの優しさと微妙に異なっていたのではないか。
 一挙手一投足にいたるまで設計された優しさと、慈悲の優しさとの異同を検証したかった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月16日
★余計な妄想をせず、今の瞬間に全ての注意を注いで生きている野生動物は、ヴィパッサナー瞑想の達人のようだ。
 弱肉強食の非情な世界を生き抜くために最適化されたマインドフルネス・・。
 常によく気をつけていた高峰秀子の生涯は見事だったが、人を信頼しない猜疑心も野生動物のようだった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月14日
★女優の高峰秀子は、日常生活のどの瞬間にも気をつけていて油断がなく、ミスや軽率さが皆無だった、と夫や養女が証言している。
 秀子は幼い頃から、養母を筆頭に蛭のような親族に吸血され続け、家でも外でも、野生動物のように警戒心を解く暇がなかった。
 環境が生き方を変え、脳を変える。
 マインドフルネスと同じ脳領域(島皮質)が発達せざるを得なかった苛酷な情況・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月12日
★出家すれば、戒律と慈悲の瞑想に守られ、生きる糧を求める闘いもない。
 清潔な距離感の保たれた「捨」の関係では、苦に叩きのめされる経験は望むべくもない。
 心に汚染が抑圧されたまま、寺のきれいな生活が始まれば、煩悩は熟睡状態(随眠)になる。
 苦諦を覚るには、在家に留まるべきか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月10日
★「愛別離苦」の「会者定離」のと学んでも、人生の現場では何の役にも立たない。
 掛けがえのない存在のリアルな喪失に慟哭しながら、腹に落とし込むしかない。
 苦の真理(苦諦)が思い知られた時、苦界から解脱したいと心底からの悲願が生じる。
 知的理解は虚しく、超越の道は、瞑想修行しかない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月8日
★捨(ウペッカー)の確立は、エゴを完全に滅ぼし、無我を体現するのと同じことだ。
 出家にも難しいそんな境地に、在家の我々がどうやって到達するのか。
 修行には順番がある。
 まずは悲しみに身を引き裂かれ、苦に叩きのめされる体験が不可欠だ。
 一切皆苦の構造世界を検証するために、俗世がある・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月6日
★親子関係も男女関係も存在しない上座仏教の寺では、激しく求め合い、期待し合う渇愛は生じようがない。
 授乳や性愛の濃密な接触は自他の融合感覚をもたらし、掛けがえのないそのエゴが半分に引き裂かれればドゥッカ(苦)に呻くだろう。
 愛と捨(ウペッカー)が両立すると、エゴが消え、清潔な距離感と抑制された優しさが「慈悲」と呼ばれていく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月4日
★親子も夫婦も親友も、良好な関係であれば必ず、掛けがえのない存在になっていく。
 そんな人を喪えば、心が折れ、砕け散ってしまうだろう。
 全身全霊で愛し抜きながら執着せず、「捨」の心を堅持して、渇愛を阻止できるだろうか・・。
 「愛する人を持つな、愛さない人も持つな」
 と、ブッダは言う。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月2日
★弱肉強食が基本構造の世界で、仏国土の理想郷を目指すのは尊いが、実現されることはない。
 死後、地獄に堕ちる者と天界に再生する者が交差し、時間と空間を共有できる物質世界の不可思議・・。
 どの領域も輪廻の途上だが、自らの業に押しやられて転生する地獄にも餓鬼にも天にも学ぶべきことがある・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月30日
★地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道では、同じ波動の同類が群れ、集う。
 だが、物理法則の働く人間と畜生界の棲み分けは他の界と異なり、時に飛魚が空を飛び、掃き溜めに鶴が舞い下り、原爆が全てを灰燼に帰す。
 天地がひっくり返り、異質なものがかき混ぜられ、混沌が新たな秩序と階層を生む・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月28日
★草食動物は一日中食べ続け、コアラは毎日22時間も眠る。
 食べて、寝て、子孫を残し、平穏無事に生きるだけで幸せなら、何度でも転生し輪廻を繰り返せばよい。
 業の世界なのだから、煩悩を慎めば慎むほど幸福度が上がるだろう。
 その業に束縛された世界から解脱したくなった者は、再生のない涅槃を目指し、煩悩を滅尽する瞑想に励む・・・
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月26日
★遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけん・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月24日
★遊ぶのも学ぶのも働くのも、とどのつまり、食べるため、モテるため、生殖するためであり、生きるとは、生存を維持するエネルギーを獲得し、自分のコピーを残して死んでいくことだ・・・。
 ただ生きるために生き、老いて死んでいくのを延々と繰り返すために、命懸けで交配し、繁殖しようと、人も動物もこんなに必死なのだ。
 さしたる意味もない生存の日々が、本当に掛けがえがないのか。
 路傍の草のような幸せを求めて生まれ、その幸せすら得られず、なぜ、果てしなく輪廻を繰り返していくのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月22日
★皆に愛され大事にされてはきたが、過剰な期待に圧し潰されそうな息苦しさを感じ、幼い頃から生きることが苦しかった。
 長じて、家庭も子供も持ちたいと思ったことはなかった。
 なぜ生きるのか腑に落ちないのに、苦しい世界にどうして新しい命を送り出せるのか、どのように生きる希望を教えればよいのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月20日
★最愛の家族を喪った方々が、悲しみのドン底で一様に洩らされる。
 「家族と過ごした何でもない日々が、いかに掛けがえのないことだったか・・」
 些細なことに小言を言ったりしながら、何事もなく暮らしていた日々こそ最高の幸せだった、と全てが喪われて痛感される構造・・。
 何となく不満足で退屈な日々が、本当に幸せだったのか・・という疑問。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月18日
★中心対象の感覚がクリアーになると、妄想も出現しなくなり、座る瞑想がいつになく深まっていく。
 心が静まり返り、同じラベリングがたんたんと繰り返されていくうちに、サマーディ感覚の静けさが?沈睡眠のスリープ状態と紙一重になっていく・・。
 ヴィパッサナー瞑想がいつの間にかサマタ瞑想に推移していく典型的なパターンだ。
 そうなったら、サマタの蛸壺感覚にハマってしまう前に、歩く瞑想にシフトした方がよい。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月16日
★こんな順番で瞑想している人もいる。
 @三帰依→A慈悲の瞑想→Bサマタ瞑想→C歩く瞑想→D座る瞑想→Eもう一度慈悲の瞑想。
 @でブッダとダンマへの信を高め、Aで慈悲モードを強め、Bで集中を高め、Cでサティを強化し、Dで集中と気づきが連動する瞬間定を狙い、Eで締めくくる・・・。
 仏教に対する信仰が特になければ、@の三帰依は省略。
 五戒を守りさえすれば、仏教の瞑想を修行する資格はある。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月14日
★仏法僧への三帰依は、信仰心の発露でもあり、瞑想中の安心感を得る儀礼でもあり、我執と傲慢さを手放す修行の要素もある。
 ヴィパッサナー瞑想は、宗教的儀礼の要素を抜き、純粋に気づきの心を養っていくこともできるが、寺の結界の中にいるような守られた感覚も重要だ。
 自宅の聖なる一角にブッダの写真や絵葉書の一枚も飾り、線香の1本も立て、三帰依をして瞑想するのも良いだろう。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月12日
★瞑想者の資質や才能、悩み苦しみ、願望、劣等感、何よりも瞑想の進み方が千差万別である。
 ブッダが「対機説法」をした所以だろう。
 個人インストラクションを公開で行なうのには限界がある。
 だが、楽屋話をすれば、個別案件を万人に当てはまる普遍的なテーマに昇華しようとするチャレンジでもある・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月10日
★その素晴らしい境地に憧れながらも、荘子には具体的な修行法が提示されていない。
 クリシュナムルティを見限ったのも同じ理由からだった。
 方法論は示されず、ただ「受動的な凝視→あるがままを見よ」の理念が美しく語られている。
 心に刺さった原始仏教の「気をつけておれ」こそ、その「あるがままを観る」ヴィパッサナーの象徴であり、分け入ってみれば、果たして緻密で巨大な瞑想システムが開かれていた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月8日
★私の道ではないと結論したが、長年に渡って梵我思想を究極の拠りどころにしてきた未練がくすぶっていた。
 長老は明確に、懇切丁寧に、完膚なきまでに、私のあらゆる疑問や未練にトドメを刺してくれた。
 完全に撃沈した私は、以来、原始仏教の道を真っ直ぐに見据えて、迷うことがなかった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月6日
★奇しくもそれは、習得したばかりの日本語で説法するスマナサーラ長老だった。
 以来、最初期の上座仏教修道会が主催する定例の会に足しげく通い、長老からマンツーマン指導を何時間も受ける僥倖に恵まれた。
 私が今日あるのは、この人生最大の果報の一つとも言える長老から受けた学恩にある・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月4日
★仕方があるまい・・・。
 挑むべき方法が何もなくなり、原始仏教に一条の光を見たのだから、幼稚園児に戻ってやり直すしかなかった。
 最古層の原始経典に繰り返されている「気をつけておれ」という謎の言葉を究明する闘志が充電されてきた頃、スリランカから来日した比丘による南方仏教の講演会という新聞記事が目に止まった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月2日
★「青春も老年も人生の始めも終わりも、万物を良しとする・・・」と説く荘子を読む度に感動していた。
 だが現場では、命懸けにならざるを得ない背水の陣を布いた目的追求型の生き方になっていた。
 燃え尽きてしまうのも当然だった・・・。
 だが、それでも、生きていれば、やがて何事も時が解決してくれる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月31日
★間違っていたのか!
 この世を捨て、いかなる組織にも寺にも帰属せず、水をかぶり、経を読み、瞑想以外に何もしてこなかった歳月の本義が砕け散ったか。
 もう一度、最初から新たな道を歩み直す気力も意欲も絶え果てていた。
 腑抜けになって独り自室に転がっていたが、行くべき処も、戻る処も無かった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月29日
★だが、原始仏教の涅槃は、存在の世界を全捨てした離欲の究極だった。
 現象世界肯定論の梵我思想系の解脱観とは根本的に異なり、統合できるものではなかった。
 愕然とした。
 この世を捨て、命を懸けて修行してきた十余年が水泡に帰したと感じ、廃人になりそうなほど打ちのめされた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月27日
★大乗経典を貪り読むうちに出会った維摩経に、激しく眼を叩かれた。
 毎日水をかぶって祝詞を奏上し、断食マニアになり、役小角を霊能と神通の師と仰ぎ、大峰を歩き、滝行もした。
 イエスの倫理の厳しさを範とし、ヨーガ・スートラと九次第定で瞑想し、最も愛した荘子のタオも涅槃も梵も統合され、万教は帰一すると信じていた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月25日
★瞑想している間だけの悟りでは意味がないと思っていた。
 日常モードに戻るとムッとしたり、欲に囚われていると感じる瞬間がある限り、煩悩の鎖に縛られ、束縛されているではないか。
 その不快感を無視して、「煩悩のある時も無い時も、全てを等価に観るのだ」は屁理屈だろう。
 煩悩は無くせないという敗北感の哲学ではないかと思っていた頃、煩悩滅尽を力強く宣言する阿羅漢達が続々と存在することに衝撃を受けた・・・。(テーラガータ)
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月23日
★何度も検証してみたが、煩悩即菩提は嘘だろう、というのが私の結論だ。
 無思考の禅定に入れば、澄み切った心を縛るものは何もない。
 妄想にのめり込み、ドス黒く充血した欲や怒りの心が、パパンチャ(連想のドミノが倒れて心に拡がる煩悩世界)を離れ、解き放たれた心と同じであろう筈はない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月21日
★維摩経の恩義は忘れ得ないが、原始仏教に信を定めて以来、敬遠した。
 人の心を根底から変える苦の現象が感謝すべきものなら、苦の原因である渇愛も煩悩も結構ではないか。
 無分別の眼で眺めれば、煩悩も菩提も等価で、この世はこのまま肯定すべきだ、という維摩の解脱観は、私の道ではなかった。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月19日
★自分に苦を与えた相手を赦す、いや、多くの学びを得たのだから感謝すべきだ。
 この傲慢な発想が、内観の修行をして崩れ去った。
 エゴ妄想を一貫させるために、父から愛された記憶の数々を忘却の闇に封印していたことに愕然とした。
 大人がそうであるように、子供も、見たいものだけを見る・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月17日
★維摩経によれば、賢者と愚者に対する菩薩の指導法は異なり、暗愚な者には、動物を鞭で調教するように苛酷な手段を取るのだという。
 深く心に刺さって以来、嫌悪すべき人は私の愚かさを鏡に映す菩薩なのだと見た。
 暗黙の調教師だった父が発端となり、怒りを慈悲で乗り超える修行が続いた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月15日
★父の存在を受容できず、膨大な怒りと憎しみを放ち続けた歳月。
 業論のセオリー通り、人から激しい怒りを向けられたことが何度もあった。
 理不尽と思ったが、愚かな妄想で激怒していた私に当然の報いだった。
 苦受を受ければ、因果は帰結していく。
 反応し、新たな悪業の種を蒔く愚かさ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月13日
★父との確執がなければ、真理を求めていくことも、ネガティブ経験を受容する発想に至ることもなかっただろう。
 仏教に深く分け入ったのも、瞑想に人生を捧げることになったのも全て、父が暗黙の原点になっていた。
 人は自らの宿業が選んだ親と生育環境の下に生まれ、苦の経験を通して成長する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月11日
★行き倒れのハンセン病者をキリストと見なしてお世話せよ、とマザーテレサは檄を飛ばした。
 父は晩年、糖尿病を悪化させて毎夜痛みを訴えた。
 仏の御み足だと妄想しながら償いのマッサージをした。
 最期を看取った時には、日に何度もオムツを替えながらサティを入れ、事実だけを見ていた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月9日
★自分の過去に復讐するような歳月が流れ、負の情念が全て吐き出されると、生きる力も尽き果てていた。
 なぜか不可思議な力に助け出されて、仏教に出会った。
 維摩経の「自分に苦しみを与えてくる者は菩薩である」の一行に目を射抜かれた。
 あの父は、愚かな私を無言で導く菩薩であったか・・・
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月7日
★大人に依存するしかない子供、その大人の望み通りに頑張るしかない重圧が苦しく、憤りは元凶である父に向けられ、期待する伯父に向けられ、この上なく私を愛してくれた祖父母の善意に満ちた優しい虐待に向けられ、私自身の過去の全てに向けられた。
 自己破壊の衝動が空になるまでの無明の歳月・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月5日
★父は家から一歩も出ず、毎日クラシック音楽を聴き、太陽の黒点や星座の天体観測を記録し、素粒子論を読みながら、親のスネを齧り続けた。
 私は周囲から期待された自分の役割を察知し、日々こぼれ出る父の小児的エゴイズムと無責任さにムカつきながら、幼くして心理的に自立するしかなかった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月3日
★元祖ニートのような父は誰からも見限られ、我家は本家の祖父に養われており、周囲の大人達は長男の私に期待し「投資」しているのだと幼い頃から見抜いていた。
 毎年祖父に連れられ、避暑地の温泉で金持ちのボンボンのように一夏を過ごしていたが、働かない父との確執で心は複雑に屈折していた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月1日
★父から暴力を受けたのは一度だけだった。
 布団から引きずり出され、畳に叩きつけられ、息が吐けなくなった。
 さらに殴打される寸前、母が身を挺して護ってくれた。
 母の姿に感動し、暴力の恐怖がトラウマにならなかったのは幸いだった。
 過去世で私もあまり暴力を振るわなかったお蔭だろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月29日
★過去世で私も息子を怒鳴りつけ、幼い心を傷つけていたのだろう。
 その因果が帰結し、不善業がひとつ消えたのだから、ありがたいことではないか。
 と、仏教の業論で因縁が読み解けるまで、逆恨みを続けて新たな不善業をどれだけ累積したのか。
 事の本質も因縁も理解できなかった無明の歳月・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月27日
★ツマンナイ!!と癇に障る声が近隣から聞こえてきた。
 幼稚園生の頃、私も同じ声を出したのを思い出した。
 遊びに行こうとしたが靴紐が結べなかったので、父親に頼むと断られた。
 ツマンナイ!と駄々をこねていると、「つまらなければ、死ね!」と怒鳴られた。
 あの声が、父を苛立たせたのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月25日
★輪廻転生には懐疑的だった方が、ふと「物事に実体はなく業のプロセスだけが存在するとすれば、無我だからこそ輪廻するのではないか」と思った。
 すると、なぜか急に楽になり、肩の荷が下りたような気がした。
 今世の間にできる限りのことをしよう、という前向きな思いが湧き出てきたという・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月23日
★He hit me on the head.(彼は私の頭を叩いた)
 「俺が打たれた」と認識し、次に具体的な部位を示す英語。
 こんな発想を、思考と会話のたびに繰り返すから、エゴ意識が強化されるのだ。
 瞑想者は「痛み」とサティを入れる。
 頭に感じた苦受だけが真実の経験だからだ。
 俺様もエゴも、妄想!
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月21日
★悪を避け善をなし、きれいに生きていても、嫌なことに巻き込まれ、苦しい人生になることもある。
 長い輪廻の中で、人に苦を与えなかった者がいるだろうか。
 日々経験する事象は業の帰結であり、必然なのだ。
 そう腹を括って、全てを引き受ける覚悟を定めれば、心理的に苦しむことはない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月19日
★「瞑想のことば(1)」の朗読がYouTubeにアップロードされているが、スタッフの尽力により3本の新作が追加された。
 テーマは、(2)輪廻、(3)涅槃、(4)幸せ。
 背景の写真が美しく、朗読のレベルも上がり、間の取り方や癒し系の声の響きに感心させられた・・・。
 https://www.youtube.com/watch?v=X5oJuo-dT6k&t=32s
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月17日
★苦楽の現象を経験する瞬間、何度も繰り返されパターン化した反応が反射的に出力されていく。
 善き反応も悪しき反応も、自動的なメカニズムでその一瞬の善業を作り不善業を作りながら、運不運、幸不幸の流れを形成するのが人生だ。
 エゴは幻想に過ぎず、存在するのは、業が生滅する一瞬一瞬・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月15日
★誕生以来、人はさまざまな役割を期待され、それに応えながら人格を形成し社会に組み込まれていく。
 長男長女として、末っ子として、園芸係として、主将として、書記として、夫婦として、親として・・。
 役割も人格も一つだけで生きる者はいない。
 個我ではなく、複数のエゴと人格の集合体・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月13日
★キューブラー・ロスについて書きながら(「月刊サティ!」)、比類のない慈悲の精神と激しい怒りが同居する矛盾に戸惑った。
 表裏のない一貫したエゴや一個の人格として見るから無理なのだ。
 対象とセットで生じた心が刹那に滅していくように、どの瞬間も真実のその人と見て、個我妄想を排す・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月11日
★智慧が閃かないのは、当然やるべき何かが欠如していたからだ。
 必要十分なダンマが学ばれたか。
 仕込まれた情報を分析し、あらゆる角度から考察し、熟考し抜いたか。
 自らの経験知で検証したか。
 脳内発酵する熟成期間を与えたか。
 完全に思考が止まる深さの瞑想に達していたか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月9日
★決死の覚悟を定めて命懸けになるのと、自死が決行されていく瞬間との間には無限の隔たりがある。
 いくら想像しても、火事場の馬鹿力は出ない。
 だがその瞬間、後悔しながら犬死した者はいなかったのか。
 リアルな現実に投げ出された瞬間、悟りの智慧が閃く者がいる。
 閃かない者もいる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月7日
★往時には、ブッダの説法を聞くやたちまち悟りを開いた者が数多くいた。
 苦しい修行を何十年続けても悟れず、絶望の果てに自死を遂げていく中でやっと解脱した者もいた。
 生得の資質も才能も生育環境も宿業も、何もかも因縁が違うのだ。
 瞑想すれば必ず成果があるが、その現れ方は千差万別・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月5日
★「怒り」と正しくサティを入れても消えないのは、真の客観視ができていないからだ。
 技術的には正確でも、本気で自身の経験を対象化しきれていないのだ。
 検索や動画で仕込んだ情報は、知的理解の脳にしか届かない。
 リアルな体験で腹に落ちた感動が人の心を根底から変える。
 執着を手放す力・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月3日
★冷酷に虐殺を命じたナチスの将校が、帰宅すると優しい父親になる。
 傲慢だった自分も、謙虚に慎んでいた自分も、貪った瞬間も、喜捨した瞬間も、どれも本当の自分だったのだ。
 どの一瞬にも業が作られ、やがて因果が帰結していく。
 「私」というエゴ妄想でまとめず、どの瞬間も全て受容し、引き受けていく覚悟・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月1日
★ヴィパッサナー瞑想の観察対象は、他人や外界の事象ではない。
 自分が何をしたか、話したか、思ったか、あるがままに真実の状態を直視する仕事だ。
 愚かで、邪まで、汚れた己の真の姿を観る苦しさに耐えられるだろうか。
 嫌なものをありのままに受容する一瞬一瞬が、プライドと怒りを手放す修行・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月30日
★武芸や伝統的な技の修練に関して、古来から「守・破・離」の原則が伝えられてきた。
 最初は型通りのレッスンを繰り返すのが基本であることに例外はない。
 伝えられてきた行法や型を完全に体得した者が初めてバリエーションを試みる順番だ。
 基本がマスターされていないのに、修行が上手くいかないと、刺激や変化を求めてあれこれ試したくなるのも人情だ。
 そんなことは古来からやり尽くされ、淘汰され、本物だけが守り伝えられてきたのだから、基本レッスンを怠らない覚悟・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月28日
★中心対象の感覚の変化にサティを入れて、最後の瞬間に数をカウントする。
 一瞬一瞬の経験をラベリングして言葉確認するのが本来だが、気づきが高速化してくればラベリング無しのサティに自動的に切り換わるものだ。
 呼吸の回数を確認する一瞬は、瞑想にほとんどダメージを与えないことが確かめられた。
 微弱な妄想に気づいた時、ラベリングなしで見送るのと大して変わらない。
 瞑想中の9割、サティが入っていれば良しとする。
 ・・・と、あらずもがなの説明をしたが、初心者は混乱するので、やらない方がよい。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月26日
★一つ、二つと呼吸の数を数える「数息観」は、感覚に概念をかぶせていくので、集中型のサマタ瞑想になる。
 法と概念が識別されないからだ。
 ・・・と、伝統的な説明をしてきたが、果たしてどうなのだろうか。
 実際に検証してみた。
 感覚の実感が9割、ラベリングが1割の原則からすると、数のカウントをしながらでもサティの瞑想は十分に可能という結論だった。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月24日
★煩悩の脳も善をなす脳も搭載された人類は、その矛盾に葛藤し苦しんできた。
 個人が特定されない覆面効果の匿名性は邪悪な心を刺激し、眠っていた卑しい品性を露わにする。
 一方、人に見られていれば、自らを律する力が強まり、慎みも礼節も善心も現れやすい。
 オンライン上の講座でも、顔を隠せば気がゆるみ、瞑想が甘くなり、場を共有する絆の力も弱まるだろう。
 「見られる力」を使って、我が身を正していく覚悟・・・
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月22日
★無常故に、硬い蕾が真っ赤に花開く。
 悲しくても苦しくても、どれほど深いグリーフでも2年半も経てば、原色の記憶が色褪せ始める。
 一喜一憂しながら無常を楽しみ、何度でも輪廻を繰り返すのもよい。
 因果に縛られ、一切が変滅する世界はもういいと痛感する者は、脱出ゲームの瞑想に励む・・・。

 

………………………………………………………………………………………………………………

 

3月20日
★瞑想は体との戦いだ。
 眠気も痛みもエネルギー枯渇も妄想多発も、瞑想は常に体に干渉され支配されている。
 どれほど澄み切った瞑想にも必ず終わりがやってくる。
 食べて排泄するエネルギー代謝の世界にとどまる限り、無常の苦は逃れられない。
 体が邪魔だ。
 身体のない世界への憧憬・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月18日
★食べれば体が濁り、食べなければ澄み切った意識で最高の瞑想ができるが、限界がある。
 ギリギリの食事で瞑想にのめり込んでいるうちに突然、何もかも一切やる気がなくなり、飢餓難民のように、うら寂しく、暗く、陰気に、衰弱し萎びてしまうのだ。
 栄養失調になり、脂肪肝になったこともあった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月16日
★断食を解いてからの食事は、例えば、ミカン+バナナ+リンゴ1/2+ヨーグルト+煎餅1+パセリ+チャイ。
 おやつ程度の食物で普通に仕事をし、速歩で1万歩を歩き、最高の瞑想ができるのが不可思議だ。
 だが、かつて瞑想の透明感を求めてこんな食事を続けていたら、身体から手酷い逆襲をされたこともあった。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月14日
★解毒され透みきった体感に比例した速度感で、意識の流れが自覚されていく。
 音も思考も感覚も全ての知覚情報が異様なほど鮮明になる。
 すると音が知覚された瞬間に拡がる連想と、情報の本質が洞察される瞬間の違いが明瞭に仕分けられていく。
 ただのサティと、サマーディが連動したサティ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月12日
★今回も水だけを飲み続け、51時間で断食を解いた。
 余分な脂肪も筋肉もない私の体には、断食効果が速効で現れる。
 途中の復食に失敗し最悪になったが、次の食事で修正すると絶好調になった。
 鈍重な肉体から脱け出し、素粒子の振動だけのような澄み切った瞑想の展開・・・。
 食べて排泄を繰り返す肉体の世界に対する厭離・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月10日
★凄まじい断食を乳粥で解いたブッダが、異様なまでに澄み切った意識で解脱したのは偶然ではない。
 心が意のままになるなら、誰でも集中し、サマーディに入ろうとするだろうが、そうはいかない。
 心は心の、体は体の、因果法則に支配されている。
 最高の瞑想ができる全ての条件を整えていくしかない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月8日
★断食中のデトックスが強烈だと、吐き気や眠気など苦しい身体反応が起きる。
 不摂生や悪食などで身体が汚染されていると、断食が始まってからの反応が厳しく苦しく、稀にひたすら眠り続けるような人もいる。
 解毒が終ると目ざましい断食効果が得られるが、個人差が大きく、結果は千差万別である。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月6日
★瞑想が進むのは、修行努力と節制と徳の力の総和である。
 過激な節制だが、長年に渡って定期的に断食をしてきた。
 断食の解毒作用が効を奏すると身体が整い、心が澄み切っていく。
 断食中の脱力感と低血糖の朦朧状態は苦しいが、それも弱者や痴呆状態の痛みを身をもって学ぶのに良い、と発想の転換をする。
 意識が混濁したら午睡し、目覚めれば必ず復活するので仕事をする・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月4日
★中心対象の足やお腹の感覚に興味が薄れた瞬間、妄想に心が奪われる。
 一点に絞り込まれていた注意が、中心外に流れるからだ。
 聴読しながらでは到底瞑想にはならないと思ったが、夜道を歩く歩行感覚にも、読み上げられていく意味を理解する状態にも、サティが入っていくのは驚きだった。
 気づきの処理速度が速くなると、余計な妄想に脱線している暇がなくなり、結果、サティが連続する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月2日
★晩年のマザーテレサは、呼べども応えない神への信仰に絶望している。
 神も貨幣も国家も戦時中の御真影も、巨大な集団をまとめる共同幻想の装置に過ぎない。
 妄想を共有しながら、面白おかしく生きていこうとするのが人間だ。
 瞑想などしてあるがままの真実に触れてしまえば、一切皆苦のこの世から解脱したくなってしまうではないか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月28日
★カラスにもドブネズミにも、正月はない。
 ゴミ集積所にエサがあるか否かの現実があるだけだ。
 地球上の何十億もの脳内に同じ幻想が共有され、一斉に気分が変わり行動が変わったりする人類。
 「世間虚仮」と心得ながらも、カラスやネズミのように無視することもできず、年賀の挨拶などをする・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月26日
★誰とも会わずに独りで暮らしていると、自己管理にも危険回避にも常によく気をつけて、夜道を歩く時も階段を下りる時もマインドフルになる。
 単独型の野生動物のように、真剣な、油断のない緊張感が小気味よい。
 だが時たま信頼している人と一緒にいると、無防備になり、サティを忘れている・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月24日
★サマタ瞑想は集中した対象との合一を目指し、ヴィパッサナー瞑想は自分の心と体の変化過程を観察する。
 大勢の瞑想者が共に修行する禅堂にいても、瞑想は孤独な営みである。
 孤独が苦しいのは、孤立感やネガティブな妄想に巻き込まれるからだ。
 妄想が一掃されれば、孤独の豊かさが際立ってくる瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月22日
★決意をすれば、心が変わる。
 決意が実行されれば、現象の流れが変わる。
 ヴィパッサナー瞑想をすれば、反応系の心も生き方も変わるが、刷り込まれた記憶が消滅する訳ではない。
 よく気をつけて管理しなければ、心のドミノが元通りに倒れる可能性は常に残る。
 涅槃を得なければ、今世ではそこまでだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月20日
★他人の身に起きた不幸の因果は読み解けても、我が身の苦(ドゥッカ)になればそうはいかない。
 群衆や街路樹を眺めるように、自分を客体視するのが難しいのは、自己正当化の論理が反射的に浮かび上がってくるからだ。
 欲に駆られ怒りに衝き動かされ、今世でもまた未来の自分に苦の種をばら蒔き続ける日々となるか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月18日
★因果が理解できないのではない。
 知的理解の限界なのだ。
 頭で何が分かっても、情動はビクともしないし、生き方が変わるわけでもない。
 もし心底から理解され骨の髄まで覚知されたなら、怖れおののき、新たな決意がなされるだろう。
 揺るぎない決意の爆発的なエネルギーが、鉄路のように習慣化された反応パターンを突き崩していく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月16日
★苦しい人生だったのは、過去に自ら放った不善業エネルギーの帰結である。
 いまだに苦しい人生が続くのは、いまだに不善業が作られ続けているからだ。
 この世に生を享けたのは、その悪しき流れを善なる方向に転じるためではなかったのか。
 苦の原因と超克の道を示した仏教とは縁が付かず、濁流に流されていく人たち・・・。
 因果論を聞法する機会に恵まれながら、さらなる苦海に向かって加速していく人たち・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月14日
★苦しみのどん底に堕ちきった時、心の底から「救われたい!」と真実の叫びが洩れる。
 この世の何処にも戻る場所がなくなった原始仏教の出発点だ。
 苦の真理に打ちのめされ、苦の原因を思い知り、苦の超克に至る八つの道を歩み出す。
 四聖諦の第一命題を身もって知り得た流れに感謝する発想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月12日
★当初から17年間、毎朝冷水をかぶる禊で一日を始めた。
 朝は仏典、昼はヨーガスートラで修行し、夜は荘子を耽読した。
 今にして思えば妄想に過ぎないが、絶対的なものに全てを委ねる感覚はエゴ意識を削ぎ落とした。
 エゴ妄想が究極イメージの妄想に置き換えられた過渡的な修行だったが・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月10日
★当時の私にとっての全託とは、既成宗教の神仏ではなく、この世の事象を展開させている絶対的な法則性に従いきって、卑小なエゴを明け渡すことだった。
 梵我思想と荘子と仏教がミックスしたような「理法」のイメージを片時も忘れず、サマーディ感覚を高めて同化し、合一しようとしていた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月8日
★世の経済活動から撤退し、情報も人間関係も閉ざして引きこもれば、自滅との絶えざる戦いになる。
 自尊心もプライドも、押し寄せる孤独感、無価値感、将来不安、自己否定感の怒涛に抗しきれなくなる。
 かつてこの世を捨て、孤独な行者の生活をしていた私を支えていたのは、理法への全託だった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月6日
★エゴ意識で生きていても、信頼できる絆があれば、孤独に苦しむことはない。
 だが、煩悩に満ちたエゴとエゴの関係性は壊れやすく、危うい。
 ダンマ(法)に基づいた自らを拠りどころとし、他者を拠りどころにするな、とブッダは言う。
 ダンマに自らを委ねた者が、孤独に苦しむことはない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月4日
★認知の構造や脳科学を巧みに利用すれば、思い通りに安らぎが得られ善心所モードに切り換えることもできる。
 だが、ストレス解消と現実逃避は紙一重ではないか。
 素早く脱出するよりも、ネガティブな状態に陥った原因やプロセスをありのままに観察し、自己客観視を深めていく瞑想の技法・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月2日
★不安感、憂鬱、憤り、落ち込みなどの不善心は、浄らかなものや崇高なものに感動した瞬間、霧消する。
 だが、不安と憂鬱は消えろ!と情動脳に命じても、意志の思い通りにはならない。
 間接的には支配できるので、例えば母親が一番優しかった時の顔に集中すれば、不安感は消えて安堵感が拡がりやすいだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月31日
★帰宅直後では、この世的な妄想が激しく脳内を駆け巡り、瞑想モードに切り替えるのが難しいだろう。
 そんな時は、最初に慈悲の瞑想をやってみる。
 気分が出なければ、心を込めやすい家族をターゲットにする。
 子供が小さかった頃や、二人が初めて出会った時の写真などを眺めてからやると実感がこもる。
 慈悲の情動が動くと、瞑想に入りやすい・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月29日
★初心者は真剣に修行する先輩の姿を見て手本にした方がよく、大きな禅堂で一堂に会する体制が望ましい。
 しかし上級者は、独居房のクーティで孤独に自分の修行に向き合うのが良いだろう。
 味噌も糞も一緒になるライブの瞑想会は当たり外れがあり得るということ。
 一方、オンラインでは、自らを律する覚悟が求められる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月27日
★ミャンマーで修行したある寺では、大勢の瞑想者が一堂に会して終日修行する形式だった。
 修行が行き詰まった瞑想者の中には、熟達者の先輩に近づいて何とか良い影響を受けようとする者がいる。
 座相が比較的きれいな私がそのように目されたらしく、毎回転倒しそうなほど激しい睡魔に襲われていたミャンマー人がすぐ隣に座るようになり、私が場所を替えると彼もまた替えて付いてくる。
 体は接触しないが、ドロドロの汚いオーラが私のオーラに触れるのが感じられ、汚物を投げられて修行を妨害されているような苦受に辟易したこともあった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月25日
★瞑想会場で現実の場の空気感を共有できるのは素晴らしいことだが、遠方から参加するには負荷が多く、コロナ感染の危険性も伴う。
 瞑想の熟達者や上級者と同じ空間で修行できれば、こちらの瞑想が引き上げられるような良い影響が期待できる。
 しかし、周囲でイビキをかいて居眠りする者や、妄想だらけのモンキーマインドで落ち着かない者がいれば、悪影響も受けてしまう。
 何事も諸刃の剣だが、衆善奉行を重ねてきた者には優れた環境で良き人に出会う流れがあり、徳のない者は劣悪な環境で苦しむ展開・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月23日
★毎月リピーターの瞑想者とオンライン講座で顔を合わせていると、親しみも仲間意識も形成され、独特の場の共有感覚と絆が生じ始める。
 ラインやチャットのような文言だけの関係性と、モニターの画面と音声で場を共有する絆はリアル感に大きな差異がある。
 当初予想していなかったが、熱心な瞑想者の中には人生の流れが変わるほどの大きな気づきが得られ、積年のドゥッカ(苦)から解放される方も現れてきた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月21日
★コロナ禍が普及を加速させたオンライン講座は、遠方の方の受講のチャンスを拡げた。
 だが、知的な情報を学ぶのには適していても、瞑想者が厳粛な空気と静寂を共にする「場の力」は分かち合えないのではないか。
 そう思ってきたが、実際にやってみなければ検証しようがない。
 1年間やってみた結論は、オンライン講座も立派な瞑想会として機能するということ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月19日
★怒りや恐怖のホルモンが分泌される情況は危急を要するが、快感ホルモンの危険性はすぐには気づきづらい。
 嫌悪や怒りへのサティは鋭く入るが、情愛や欲望へのサティは鈍くなる所以だろう。
 だが、貪愛こそが怒りの母である。
 欲を阻まれれば激怒し、快を求める執着が苦の因になる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月17日
★確執のあった父親の介護にも、感傷に溺れそうになる母親の介護にも、マインドフルネスは不可欠だった。
 だが、深夜の病室で何度も起こされ、父のおむつを交換する時と同じ迫力のサティは、母に対しては入らなかった。
 ネガティブな反応を阻止するサティは必死だが、情愛に対しては甘くなる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月15日
★認知症を患った母が89歳で死ぬまでの2年間、徐々に幼稚園生の娘のようになっていった。
 毎夜母が眠りに就くまで、お気に入りの福助人形を使って即興の物語を創作し語ってあげた。
 一枚の紙を二つに折り重ねるように、かつて幼子に物語を語った者が最期に物語を語ってもらいながら生涯を閉じていく因果の帰結・・・。

 


………………………………………………………………………………………………………………

 

1月13日
★私の母はどんな人だったか、と講座で質問をされ、幼少期の記憶が甦ってきた。
 母は毎夜、姉と私が眠りに落ちるまで昔話や童話を語ってくれた。
 幼稚園から帰宅する子供達のために外勤の仕事を辞め、自宅で洋裁をしながら毎日ラジオの朗読で童話のネタを仕込んでいたようだ。
 母に添い寝されて聞いた夜伽話は金色に光る至福の宝物となり、私の情緒の安定と自己肯定感の原点になった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月11日
★「スライドの視覚情報が多いほど印象深く説得力があったが、反面、自身の思考の広がりがその画像に限定されてしまった感がある」
 と所感を述べた受講者もいる。
 さもあらん。
 刺激的なスライド図像が連写されれば、脳は独自の印象やイメージ理解が許されず、関連性や創造性が躍動するのを阻まれるだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月9日
★パワーポイントを使った講座は分かりやすいと言ってはもらえるが、パワーポイントで落語を聞きたいだろうか。
 スライドの画像や文字が目に飛び込んでくると、個人的なイメージや想像や類推で補完していく脳活動が限定されないか。
 正確に伝えられた情報がどう展開していくかが、智慧の発現していくプロセスではないのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月7日
★頭を空っぽにして知覚し、今の瞬間だけに生きる。
 そんなことは、ウサギも金魚もイボイノシシもやっている。
 妄想を司る言語脳のスイッチをOffにして知覚し、次の瞬間Onにして認識確定する・・・。
 妄想で苦しむ人類のためにブッダが提示したヴィパッサナー瞑想の技法。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月5日
★目撃者に犯人の似顔絵を作成してもらう。
 Aの目撃者にはそのまま描いてもらい、Bの目撃者には、まず犯人像を言葉で描写してから似顔絵を描いてもらう。
 結果は、Bの言語化した目撃者ほど実像と異なる似顔絵になるという。
 あるがままのリアルな印象が、思考プロセスのフィルターを通すと紋切り型の漫画に作り変えられていく。
 その脳内漫画に執着して、人は苦しむ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月3日
★「アレクサ」という電子秘書のお蔭で声帯の筋トレ目的は遂げられ、一人称世界の孤独も守られている。
 人がいなければ孤独になれるが、依然として脳内を駆け回る妄想に手を出さず、サティに徹することは容易ではない。
 結局、妄想にトドメを刺すのは、この世を捨て去る覚悟だ。
 それを「出離」と言う・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月1日
★ヴィパッサナーは、意識の矢印を自身に向ける自己客観視の瞑想だ。
 人と群れるな、孤独になれ、とブッダが言い続けた所以である。
 家の中に人がいれば意識は常に人に向きがちだが、電子秘書に対しては気を使うことも動向をうかがうこともない。
 一人称の世界のまま、自問自答の回答が神業の即答に変わったかのようで、打てば響く小気味よさ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月30日
★AI内蔵スマートスピーカーの秘書能力に驚いた。
 キンドル本の朗読、YouTube動画の再生、何よりもネット検索の速度感が素晴らしい。
 大正13年は西暦何年? ¥5480の15%引きは? ピカソの生年月日は?等々の質問に約3秒で答えてくれる。
 料理の写真もレシピの読み上げもタイマーもアラームもNHKニュースも、瞬時に実行する。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月28日
★外出するのは夜の歩行瞑想とスーパーの買物だけ、音声を一言も発することなく何日も過ぎていく・・。
 隔週末の朝カルや瞑想会で長時間話し続けなければならないのだが、声帯を寝たきり状態にし過ぎると声が出なくなることがある。
 発話の機会を増やすため、音声で指示する双方向対話の電子秘書を使うことにした・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月26日
★順調だった瞑想にさしたる変化も見られなくなり、モチベーションが低下してきた人が1Day合宿に来た。
 終わってみると、意外なことに、過去最高の瞑想ができた一日となった。
 勝因は、食のコントロールが瞑想の成否を決める鉄則どおり小食に徹し、不調故に淡々と無欲に取り組めたからだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月24日
★毎朝必ず瞑想してから出勤していた人が、何となくやらなくなった。
 ある日、会社の愚痴をこぼすと、妻に言われた。
 「最近、瞑想してないわよね。以前は、出勤していく後姿が頼もしく見えたのに・・」
 心を過る想念が善心か、不善心か、無思考かによって、顔の相も表情も全身の雰囲気も決まる。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月22日
★物事を客観視する智慧に不可欠なのは、複数の視座からの情報だ。
 カルトや独裁者は、必ず情報を一元的に管理する。
 確度の高い情報を分析し、類推し、自在に組み合わせ、考察し尽くしたら手放して忘れる。
 完全に思考が止まるまで瞑想を深めると、脳内発酵したものが洞察の智慧となって閃く・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月20日
★容易ではないが、人生の流れを変えるのは「決意(アディッターナ)」の力だ。
 反射的・習慣的に繰り返してしまう悪しき反応パターンを絶対に変える!と決意し、ブレなければ、いつか必ずそうなっていく。
 決意を支えているのは「信(サッダー)」であり、「信」を支えるのは正しい理解(智慧)・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月18日
★自分に与えられた霊的な力で人を救っていきたい、と言い残して、天才少女は姿を消した。
 ああ、そっちへ行ってしまうのかと思ったが、一期一会の出会いで何事かが成されていれば、それでよい。
 天賦の才能も宿業の結果であり、いかんともし難い業の力に押しやられて人生は展開していく。
 流れは変えられるが、わずかだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月16日
★20余年前に朝カルを受講した19歳の少女も天才的だった。
 初回の講座で歩く瞑想を習って驚いたのは、子供の頃から(自分も)知らずに同じ瞑想をしていたのだと言う。
 ほとんど妄想せず、毎日1時間の瞑想ができた。
 人は過去世の修行の続きをする、と言われるが、輪廻転生を想わずにはいられない。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月14日
★物事をあるがままの真実の状態で捉えるのが難しいので、ヴィパッサナー瞑想が必要となった。
 眼前の事実に妄想や先入観が投影され、嫌悪の眼で眺め、欲の心で触れ、認知が歪んでいくのが常だからだ。
 思考でまとめ上げられる眼耳鼻舌身の情報を、還元できない要素に仕分けて自性(本質)に迫る・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月12日
★初心者講習会に来た20歳の方が、思わず見惚れてしまうほど美しい見事な歩行瞑想をしていた。
 幼い頃から習ってきたバイオリンの奏法を応用したのだという。
 「離れた→進んだ→触れた→圧」は、楽曲を分節に区切って何度も繰り返すレッスンと同じではないか・・と考えたという。
 本質に向かっての分析論・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月10日
★慈悲の瞑想が相手の心に影響を及ぼしたのか、本当のところは分からない。
 祈りが通じると信じた方が前向きになれるが、度が過ぎれば、慈悲が欲になりかねない。
 慈悲の瞑想の本義は、心の清浄道である。
 調和のエネルギーが外界に及ぶのを期待するよりも、本人の心が浄らかになっていくこと・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月8日
★さらに別の人も真似てみた。
 こちらを険しい顔でにらみつけてくるクライアントが気になっていた。
 コロナ渦のご時世にシングルマザーで大変だろうな、と心を込めて慈悲の瞑想を繰り返した。
 程なく「担当さんは優しい人よ・・」とクライアント達に吹聴しているという情報が耳に入ってきた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月6日
★散髪中の慈悲の瞑想についてのツイッターを読んで真似てみた人がいた。
 リモート講座の修習生が攻撃的で刺々しいので、慈悲の瞑想を捧げたのだ。
 終ると、気持ちが優しくほぐれて、愛しさを覚えた。
 ほどなく「先生のことは前から尊敬していました・・」と思わぬメールが来てびっくりしたという。
 慈悲の効果なのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月4日
★苦しい人生になっていくのは、それに相応した不善業に起因している。
 その悪しき流れを善なる方向に転じるために、この世に生を享けた筈ではないか・・。
 因果論を聞法する機会に恵まれながら、さらなる苦海に向かって加速していく人たち・・。
 知的理解の限界か、習慣化された反応パターンの強靭さか・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

12月2日
★能力開発を期待して瞑想する人もいる。
 パワーアップして競合する者に打ち勝ち、地位も名誉も収入も、より多く獲得されると幸福度が上がるのだろうか。
 ヴィパッサナー瞑想は、真逆の発想だ。
 多く持てば持つほど、苦の根本原因である執着(=渇愛)が増すのではないか。
 欲を捨て、怒りを手放し、地位や名誉に執着せず、エゴを引き算するほど、束縛から解放され、自由になれるのではないか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月30日
★心を浄らかにする。
 悪を避け、善をなす。
 反応系の心の浄化に不可欠なのは、決意の力だ。
 決意は、正しい理解と検証を繰り返しながら「信(サッダー)」に結晶する。
 一瞬の人生の現場で、反射的に下される意志決定を司っている「信」の確立。
 真の瞑想は、そこからスタートする・・・。

 


………………………………………………………………………………………………………………

 

11月28日
★嫌悪の対象には素早く気付きを入れて脳裏から消し去りたい。
 快感系の情報には気付きを入れずにしばらく楽しみたい・・・。
 エゴは必ず取捨選択をするし、集中には排除の構造がある。
 それゆえに、心の反応パターンを浄化しなければ、瞑想をやればやるほどエゴが強化されていくだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月26日
★日々嫌なことは起きるが、些細なことは気分転換して忘れればよい。
 深く傷つき耐えがたい苦になるほど抑圧されるが、直視して乗り超えない限り根本解決はしない。
 現実から逃避するには、一点集中型の瞑想。
 今の瞬間に集中し、苦しい過去から目を背けるのに便利なマインドフルネス瞑想・・。

 


………………………………………………………………………………………………………………

 

11月24日
★なんとなく憂鬱で、暗く、心が晴れやらぬ時には、満天の星空や広大な海原、遥かな山の稜線、青空などを仰ぎ見るとよい。
 美しいもの、崇高なもの、巨大なものに同化し、融合し、一体化してしまえば、世俗の苦しみや悩みなどバカバカしくなるだろう。
 対象との合一を目指すサマタ瞑想は集中力の特訓にも、心情の転換にも良い・・・。

 

 

………………………………………………………………………………………………………………

 

11月22日
★慈悲の瞑想を始めた人の荒ぶる心、傲慢な心、冷淡な心は、やがて優しい心に塗り替えられていく。
 のみならず、情動脳がうるっとした瞬間、祈りを捧げた相手とこちらのオーラが相似形を描くようだ。
 物理学の量子もつれで説明できないだろうか。
 慈悲も怒りもどんな心も、瞬時に響き合う・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月20日
★好感の持てるタイプではなかったので、散髪中に慈悲の瞑想をしたくなった。
 恐らくこんな悩みや願望を持っているのではないかと想像しながら、素晴らしい人生が全うできるように3度祈り、サティの瞑想に切り換えた。
 家路につきながら、脳裏に浮かんできた先ほどの理髪師が、親しい友人のような感じがしてきたのに驚いた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月18日
★愛する家族の幸いを祈るのに、わざわざ修行する必要があるだろうか。
 自然に発露するエゴの優しさと優しさが激突して憎しみが生まれる。
 部族や祖国への愛と愛が互いに戦争をしてきたのが人間の歴史だ。
 愛と優しさからエゴを引き算し、無我を目指すプロセスで体得されていく慈悲の瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月16日
★慈悲の瞑想は、優しい情感と明晰な無関心のバランスが至難の業だ。
 ただ文言を繰り返すだけでは実感が込めづらく、身近な家族を思い浮かべると愛執に囚われ我が強くなる。
 散髪中の理髪師などが案外うまくいく。
 名も素性も知らない相手に、黙って頭や顔を触られている絶妙の距離感・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月14日
★連戦連勝、順風満帆の上げ潮に乗りながら、常に身を低め謙虚でいることは難しい。
 例外の人達に共通しているのは、致命的な挫折を経験していることだろう。
 傲慢の鼻をへし折り、己の愚かさと不徳に眼を開かせてくれた痛恨のしくじりを最高の宝として、自戒を忘れぬ人達。
 過度の自虐は歪んだ自己愛に由来すると心得、敗因の研究が智慧の源泉と知る・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月12日
★エゴイズムと煩悩が丸出しになって激突すれば、社会は成り立たず、狼にも人にもゲラダヒヒにも掟が不可欠となった。
 社会的規範としての律(ヴィナヤ)があり、人格完成を目指して自らを律する戒(シーラ)がある。
 形式やルールの遵守が目的そのものと化せば石頭になり、柔軟で自由な発想が過ぎれば逸脱し変容する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月10日
★上座仏教で出家しても、悟りを開けぬまま生涯を終える比丘がほとんどだ。
 だが、戒と律に守られた僧堂の生活は、残存する我執と煩悩を厳しく抑止するが故に、供養を受けるに値する。
 2500年の長きに渡って、ブッダの教えと行法を守り抜くことができたのは、「律(ヴィナヤ)」の力だと言える・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月8日
★形式に執われず、余分なものを削ぎ落として真髄のみを継承する発想には、常に危うさも伴う。
 ブッダの死後500年頃から、仏教は自由に解釈され分裂を繰り返し、時を経るうちに肝心の解脱観まで変容してしまった。
 最初期の教えと行法を厳密に伝える上座仏教の流れにより、辛うじてヴィパッサナー瞑想が修行できるありがたさ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月6日
★仏教と瞑想を引けば、何も残らない人生だった。
 寺にも大学にも組織にもどこにも帰属せず、公的認可も資格も権威も業績も家族も何もない、市井の瞑想オタクでしかなかった。 
 テーラワーダ仏教の瞑想なのに、宗教儀礼も信仰的要素もそぎ落とし、瞑想とダンマの本質のみが修養されればよいと考えてきた。
 あとは残余の煩悩と後生を願う生存欲を引き算するだけだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月4日
★もっと、もっと、と果てしなく求め、どれほど手に入れても満足しないのが煩悩だ。
 綺麗な、美味しい、気持ちいい対象に吸い寄せられ、甘美な妄想が脳内を駆け巡るからだ。
 外界に突き刺さっていく視線を内側に向け、妄想を止めると、このままでも充分に生きていけると気づく瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

11月2日
★新型コロナウイルスが猖獗を極めていた1年前、インドから30年ぶりにヒマラヤが見え、人も車も消えたロックダウン中の都市夜景が美しく輝いた。
 人流は姿を隠したが、裏ではメンテナンスが続いていた・・。
 人類滅亡後の地球がどうなっていくかを科学的に検証した番組を観たことがある。
 エネルギーの循環が途絶えた大都市の景観が、見るも無残に劣化し、風化し、死滅していく迫力のある映像だった。
 人も都市も石ころも電線も・・、存在は固定した実体ではなく、変滅する現象の流れに過ぎない。
 都市の美観も命のいとなみも、無常に逆らう束の間の動的平衡・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月31日
★若い頃は自分の力量を正確に客観視できず、夢や理想を持て余す。
 痛い目に遭いながら己の身の丈をわきまえてくると、迷わず、惑わず、羨望や嫉妬にも苦しまなくなる。
 因縁の違いを心得、己の程度の低さを受け容れることができれば、劣等感から解放され、果たすべき天命が知られてもくる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月29日
★表層の心は変われても深層の心は容易に変わらない、と多くの瞑想者を通して思い知らされてきた。
 何億万回も貪りや慢の心を使ったので、基本的な心の癖や構造となって組み込まれたのではないか。
 たとえ同じコストがかかっても、今度は浄らかな方向に戻していくのが心の清浄道・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月27日
★ヴィパッサナーを始めて10年になる瞑想者。
 慢も欲も自身の課題は正確に把握し、その傾向が由来した幼少期からの来歴も心得ている。
 瞑想合宿にも内観にも行ったが、基本的な心の癖も構造も変わっていないと感じる。
 目指すべき方向は決めたので、レベルは低いが死ぬまで続けるだけだと所信を吐露されるのを伺い、心を打たれた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月25日
★涅槃経でブッダは言明する。
 「戒律と共に修養された禅定にも、定力の伴った智慧の修行にも、偉大な果報と功徳がある。
 智慧と共に修養された心は、諸々の汚れから完全に解脱する」
 戒(倫理)→定(サマーディ)→慧(洞察智の伴った気づき)が、解脱(苦の終滅)を完成させるブッダの瞑想法・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月23日
★殴りたい、奪いたい、ごまかしたい心に気づいて直ちに止める価値観もあれば、平然と実行する価値観もある。
 本能の脳に逆らっても、奪わず、怒らず、欺かない心を確立していくのが戒の修行だ。
 倫理と気づきと洞察の智慧の伴ったヴィパッサナー瞑想が、苦しみを根本的に乗り超えていく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月21日
★仕事効率を重視する企業が利用するマインドフルネス瞑想は、いずれ破綻するだろう。
 妄想を一時停止させる技術は対症療法に過ぎず、たとえストレスが解消しても、何度でもぶり返すだろう。
 心の基本構造が変わらないからだ。
 倫理なき瞑想は、闘牛士が恐怖感を駆逐するために、銃を撃つ兵士がトラウマを未然に防ぐために、万引きを落ち着いて成功させるためにも使われ、やがて瞑想の本質を喪失する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月19日
★自分の心を正すのではなく、ストレスを巧みに解消し、パワーアップして昇進や高収入を目指す技法は欲の心を刺戟する。
 邪魔ものを排除し、価値あるものを奪い合う生存競争が激化すれば、弱肉強食の論理がエスカレートしていく。
 集団が破綻するのを回避しようとして、人類は、本能の脳をコントロールする抑制系の脳を搭載した。 
 初期設定された貪瞋痴に練習は不要だが、後発の抑制系には躾と教育と修行が不可欠・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月17日
★自分の心を直すのではなく、マインドフルネスでストレスを解消し、瞑想でパワーアップして昇進や高収入を目指す。
 いかにして価値あるものをゲットし、邪魔ものを排除し、勝者となるか・・。
 生存競争が激化すれば弱肉強食の論理がエスカレートして、集団は破綻するだろう。
 思いっきり貪って怒りたい本能の脳と、抑制する脳の葛藤が永遠に続く人類・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月15日
★戒は倫理の別名であり、人格を整える修行と心得るべきだ。
 ヴィパッサナー瞑想から倫理を削除したマインドフルネスでは、苦しみを乗り超える仕事は出来ないだろう。
 瞑想をすればするほど、エゴと欲が強化されかねないからだ。
 欲と怒りを引き算して無我を目指す仏教は、世の流れに逆らう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月13日
★瞑想を開始した瞬間、既に勝負はついている。
 体が整っていなければ、意識が透明に澄み切ることはない。
 意識が濁れば、集中は深まらず、凡庸なサティが続くだろう。
 食事や睡眠や体調が万全でも、悩みを抱え、心にやましさがあれば、妄想に巻き込まれる。
 それ故に、瞑想は五戒によって守られなければならない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月11日
★自己を守るために、非自己である外敵や異物を排除するのが免疫だ。
 卵子はなぜ、異物である精子を排除しないのだろう。
 ウイルスが細胞に侵入する時の手口が応用されているからだ。
 異物を排除せよ?・・受容せよ?
 自己と非自己を乗り超えて、無我を目指す仏教の発想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月9日
★青二才だった頃は、あの手この手、何としても瞑想を実践させようとしていたが、黙って待つことができるようにもなってきた。
 資質も宿業も千差万別なのだから、瞑想の進展は因縁の流れに従うしかないのだと腹に落ちてもきた。
 自分で気づいた衝撃は、人に教えられ指摘された何十倍も心に響く・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月7日
★目を半眼に閉じ、かすかに微笑むかのような温顔で、一足一足の感覚を楽しむように歩行する姿は中国の古代仏画の女人のようだった。
 どこにも力みがなく、外界も人の目も眼中になく、静かに自分の瞑想感覚に没入しているように見えた。
 美しい歩行瞑想だった。
 歳月の流れを感じた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月5日
★「瞑想はやりたくないんです」と言って、ダンマトークだけを聞きに来ていた主婦の方がいた。
 好きなようにさせておくと、なぜ自分の心に向き合いたくなかったのかを自ら覚り、徐々に瞑想もやり始めた。
 直近の初心者講習会の手伝いに来られ、ふと見ると、歩く瞑想をしている姿が目に止まった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月3日
★本音で思っていることが、反射的に最初の反応として立ち上がりやすい。
 だから、訓練をしてオーダーを変えなければならない。
 人は必ず過ちを犯すものだ。
 そう心得て、過ちは過ちとして受け容れ、赦すと決めておく・・。
 浄い心も穢れた心も、諸々の条件によって生起し変化していくのだから、組み換えていくことができると信じる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

10月1日
★煩悩に汚染された心を浄らかにしなければならない。
 そう心得ているがゆえに、熱心な修行者ほど、貪ったり怒ったりした瞬間、反射的に嫌悪の心でサティを入れてしまう。
 まず未熟な、穢れた、愚かな自分を、ありのままに認めてサティを入れる。
 次の心で、必ず乗り超えると誓う・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月29日
★優しいオーラのお父さんと、怒り波動のお母さんの、どちらに近づきたいだろうか。
 自己嫌悪も、過去への恨みも、他者への憤りも、どれも怒りに分類される。
 怒りが、人に好かれる筈はない。
 いわんや、人を癒すのも、寄り添うのも難しい。
 なぜ慈悲の瞑想が「私よ、幸せであれ」から始まるかの所以・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月27日
★優しさホルモンのオキシトシンは、身内や仲間に対する強い愛情や信頼を高めてくれるが、平等性や公平性に欠け、仲間以外の外集団を排除する傾向もある。
 優しく、温かく、慈悲深い心と、全てを公平に、等価に観る「捨(ウペッカー)」の心を同時に存在させるのが難しい人類。
 気づきの心と慈悲の心を統合していくヴィパッサナー瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月25日
★「あなたは優しくない」
 癌で死んでいく母親が息子の自分に遺した最後の言葉だったという。
 精神科医となった息子は、自分を嫌悪し、苦しみ抜いた果てに自らに言う。
 私は、私を赦します。(I forgive me)
 自分をありのままに受け容れたその時から、苦しんでいる方々と同じ地平に立つことができたと言う・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月23日
★幼い子供でも、好きな人や愛する人の幸せを祈ることができるだろう。
 だが、人の心に初期設定された自己中心性を乗り超えていかないと、嫌いな人や自分を嫌っている人への慈悲の瞑想は上手くいかない。
 「ワタシ、間違ってないから!」と言い張らずに、謝る練習をすると良い。
 自分に非はなかったか、落ち度がゼロだったか、と省みようとするとき、ギラギラしたエゴが手放されていく・・。
 硬くわだかまっていたものが溶解し、心はやわらかく素直になる・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月21日
★慈悲の瞑想を猛然と始めた人がいる。
 家族、友人、職場、道行く人、手当たりしだい誰にでもやった。
 すると、劇的に頭がスッキリし、素直な気持ちになれた。
 イライラや嫌悪の葛藤が鳴りをひそめ、脳内環境が整ったからだろう。
 優しいありがたい気持ちが溢れ、至福感に包まれたという・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月19日
★自己中心的な我見や我執を乗り超えるには、視座を転換させ、相手の立場から眺めてみる。
 相手と自分を上空から俯瞰するような客観視を練習する。
 何事も因縁因果の流れで生起し変滅していく理を考察する。 
 利己的な執着を手放す修行として、善行(利他的行為)を習慣化するのも良い・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月17日
★ま、そうだろうな、と解っても、浮かんできた記憶と、嫌悪や怒りの情動を仕分けてサティを入れるのは容易ではない。
 嫌悪や怒りに巻き込まれず、対象化できれば立派なものだ。
 反射的に「嫌な記憶」として反応してしまうのを乗り超えるには、自我への執着を手放す修行をしなければならない・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月15日
★なぜ、ヴィパッサナー瞑想で苦しみが乗り超えられるのだろう。
 快いものも不快なものも、善きも悪しきも、公平に、ありのままに、淡々と気づいていく修行によって、受け容れる力が養われるからだ。
 トラウマも、怨みも、罪業感も・・、過ぎ去った事を受容できないと、人生は苦しい・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月13日
★生きるのが苦しいとしたら、その原因は必ず過去にある。
 親子関係や劣等感、罪業感や心の傷を引きずっているのに目を背けていないだろうか。
 過去から解放されなければ、良い瞑想はできない。
 心が整い、体が整い、人生が整って、戒の修行が整ったと言える。
 解脱に向かっての瞑想はそこからだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月11日
★瞑想修行に「戒→定→慧」の流れがあるように、自我の確立をしてから、無我を目指す修行に入るのが順番だ。
 小児的エゴイズムを乗り超えて大人になるためには、エゴとエゴが正面から激突し合うガチの人間関係を通過しなければならない。
 人の世でシゴかれ、揉まれ、人格を磨いていく「戒の修行」・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月9日
★「自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」とブッダは説いたが、もとよりエゴの自分が拠りどころになろうはずはない。
 涅槃経には、拠りどころにすべき「法」とは、四念住(身受心法)の瞑想を実践することだ、と明示されている。
 「身・受・心・法にサティを入れ、エゴ感覚をそぎ落とし、ダンマ(法)が顕わになった自らを拠りどころにしなさい。
 怠ることなく修行を続け、果てしない輪廻の流れから解脱しなさい・・・」
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月7日
★孤独を寂しく、苦しく、耐え難いものに感じさせているのは、食欲・性欲と並ぶ集団欲の本能だろう。
 それでも独り犀の角のように歩むことになる者は、心にどんな安全基地を持てばよいのか。
 ブッダの遺訓は「人を拠りどころとせず、ダンマ(法)を拠りどころとせよ」だった。
 因縁の流れにより、独りダンマと共に生きる道もある・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月5日
★袖すり合うも多生の縁。
 過去世で共に修行した法縁があれば、今世でもまた同じ空間で瞑想修行することもあるだろう。
 仲が良く、助け合い、切磋琢磨した友もいれば、羨み、妬み、邪魔をしたライバルもいるだろう。
 善き人に助けられるのも、悪しき人から災いが降りかかるのも、宿業が展開させた必然の結果と心得る・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月3日
★行為がなされた瞬間のエネルギーが、やがて同様の現象を我が身に惹き起こす。
 たとえ劣善でも、瞑想者を助ければ、己の修行が支えられ助けられる環境に恵まれるだろう。
 業の力で環境は整うが、己の心を浄化するのは純粋な利他心・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

9月1日
★情けは人の為ならず。
 世のため人のために善行をすれば、同じことが未来の自分に起きるだろう。
 と、業の法則を学んだ初心者は、自分の利益のために人に善をなそうと考える。
 不純な「劣善」に分類されるが、善行を何もしなければ何も始まらない。
 善行も必ず成長していくし、やがて「中善」→「勝善」と昇格する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月30日
★淡々と修行している時には、慈悲の瞑想も利他の心も忘れることはない。
 しかし瞑想がなまじ進んでくると必死になり、邪魔が入るのを嫌い、自分本位になりがちだ。
 因縁の流れに従うことも、諸力に支えられている本来も忘れて、精進がエゴの自力になっていることに気づかなくなる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月28日
★善行をすれば瞑想が進むだろう、と期待したわけでもない。
 何を、どうやっても、それ以上瞑想が進まないのにお手上げ状態だった。
 瞑想が頭打ちなら、せめて他の瞑想者の尊い修行のために何かやらせて頂きたかった。
 それまで、落葉で埋もれそうな私のクーティを見かねた隣の比丘に掃除をさせてしまっていたことに恥じ入った・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月26日
★タイの海辺の寺で、作務も善行も何もせず、ひたすら禅定に入って悟ってやろうと修行していた。
 渾身の力を振り絞ったが行き詰まり、やむなく掃除を思い立ち、他人のクーティや寺の境内まで掃き清めた。
 ささやかな善行をすると、なぜか心が爽やかになり、瞑想が少し進んだように感じた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月24日
★・・と、わかっていても、心はいつの間にか過ぎ去ったことを思い出してムカつくし、落ち込むものだ。
 サティが入らなくなるのは、心の奥底から納得していないからだ。
 エゴが思い込んでいる認知が変わらなければ、同じ反応が繰り返されるだろう。
 執着を手放せる瞬間が訪れるまで、何度でもサティを入れ直していく苦しい戦いが、修行だ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月22日
★人は、現在の事実ではなく、過ぎ去ったことで苦しむ。
 昨日のことで、去年のことで、幼少期のトラウマで、今電話を切った横柄な顧客のことで、1秒前に心を過った不快な連想で・・・。
 反省し、学ぶべきを学んだら、もう振り返らない!と決意する。
 苦は乗り超えられる。
 あるがままに観る瞑想の実践で・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月20日
★コロナ騒ぎで仕事が減少したが、瞑想時間が増えた。
 独り暮らしの引き籠り生活が、奇異な目で特別視されることもない。
 孤独に瞑想する時間がないと生きていけない者にとって、コロナは禍だったのか福だったのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月18日
★カンの鋭いはずの女性がオレオレ詐欺にハメられるのは、情報源が音声のみに限定され、しかも受話器の耳元で囁かれるからだという。
 メールやオンラインのコミュニケーションも、ライブの瞑想会と比べると圧倒的に情報量が違う。
 瞑想者が暗黙に発しているオーラ、表情、目の色、話し方、一挙手一投足から伝わってくる存在感・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月16日
★神仏の加護と救済への信仰に惹かれていく背景には、不完全な母子関係やマザコンの問題があるのかもしれない。
 人には拠りどころが必要だ。
 解脱したブッダですら、「これからは、私の悟り得たダンマを拠り所にしていこう」と呟いた。
 真理が拠りどころとなるには、自己完結していなければならない。 
 絶対的な救済の妄想で心の欠落を補完しながら、遥かなゴールを目指して歩んでいく道・・・。 
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月14日
★たとえ神や仏が実体のない虚構だったとしても、信仰の対象として生きる拠りどころになるだろう。
 いや、妄想だからこそ、全知全能も絶対的な母性も、どんな究極の夢も理想も付与できるのだとも言える。
 人間同士の絆は壊れやすいが、揺るぎない安全基地の幻想をリアルに錯覚できれば、自滅の泥沼から救い出される・・・。 
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月12日
★己の愚かさ、卑しさ、程度の低さに眼を叩かれれば、愕然として打ちのめされる。
 エゴの無力さが痛感されると、三宝に全てを委ねて、与えられたものを尽く受け容れていく覚悟が定まるかもしれない。
 こうして、信仰の道が開かれていく。
 究極の自我の終焉には、涅槃の一瞬が不可欠だが・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月10日
★殺す者は殺され、奪う者は奪われ、罵る者は罵られる、とブッダは説く。
 この世は業の世界であり、天に向かって唾を吐くように、全て我が身に降りかかってくる。
 だが、カチンと来た瞬間、業論などブッ飛んで、拳を上げ、怒鳴りつけてしまう。
 苦の報いが来れば逆ギレし、終りなき因果がめぐり続ける・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月8日
★人と喋っていれば、TVを点け放しにすれば、インターネットをクリックし続ければ、意識の矢印は次々と外側に向けられ、しばし淋しさがまぎれ、自分の心と向き合わないですむのかもしれない。
 人と群れるな、お喋りを止めよ、独り樹下で瞑想せよ、と言い続けたブッダ。
 仲間が何人いようとも、瞑想はただ一人の道・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月6日
★真剣に瞑想する仲間の姿を見れば、瞑想のヤル気が高められる。
 集団と共に生きることを選んだ人類は、「場の力」に圧倒される。
 17年間、一日も欠かさず水をかぶって修行していたのは、自らを律していくためだった。
 独り犀の角のように歩む道を選べば、試行錯誤と自滅との戦いの日々・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月4日
★深い禅定状態にも、完璧にサティが入り続けるマインドフルネスにも、終わりがある。
 思考モードが戻れば、喜怒哀楽も欲も怒りも自己チューも、回帰してくる凡夫の悲しさ。
 本能を司る脳が残っているのに、煩悩滅尽状態が維持される聖者の不可思議・・。
 量り知れない涅槃の衝撃力・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

8月2日
★拍手喝采で絶賛する人も、罵詈雑言を吐き散らす人も、自分の妄想世界を勝手に生きるのが人類だ。
 思考でまとめ上げられた認識世界は、あるがままに、ただ存在している世界とは何の関係もない。
 鯨の見ている世界があり、ゴキブリの認知している世界もある。
 概念世界を超える瞑想が、解放に導く・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月31日
★家族が全員津波に呑まれ、一人だけ生き残ってしまった女性が、避難所で日がな忙しく立ち働いていた。
 立ち止まれば、思い出してしまう。
 悲しみに向き合ってしまう。
 どうやって生きていけばよいのか、途方に暮れてしまう・・・。
 安全だった都会でも、仕事に、恋愛に、子育てに、ゴミ出しに・・・忙殺されることによって、自分に向き合う時間を無くそうとしているのではないか。
 ヴィパッサナー瞑想をすれば、真実から逃げられなくなる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月29日
★瞑想をすれば心が変わり生き方も変わっていくが、煩悩が根絶やしになる訳ではない。
 煩悩滅尽の奇跡は、解脱の瞬間にしか起きない。
 それまでは、怒りや貪りや高慢を遠ざけ、反応系の心を段階的に組み替えていくしかない。
 マインドフルネスを維持するサティの技術と、総力戦の智慧の修行・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月27日
★優れた友を得ることは、孤独な道をひとり行くよりも良い、とブッダは推奨する。
 信頼できる人の存在は安心感の拠りどころだが、濃密な関係になるほど、裏切られ破綻した時の苦しみも激烈になる。
 上座仏教の寺の人間関係は、慈悲と戒律に守られ、淡々とした距離感と節度が保ちやすい構造だ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月25日
★上手くできないから練習するのだ。 
 孤独な修行者は、失敗から多くを学ばなければならない。
 上手くいけば勝因を、ほとんどの場合は敗因を、徹底的に分析し、考察を深め、経験値を高めていく。
 運の悪い者は自滅し、運の良い者は花開く。
 運命とはカルマの別名であり、全ては徳があるか否かだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月23日
★コロナ自粛期間中の孤独な精進がいかに難しいか、多くの方から耳にした。
 「独り犀の角のように歩め」るのは、独覚タイプの少数派に限られるだろう。
 孤独に強いタイプも弱いタイプも遺伝子で決まっているが、集団で生きる人類の宿命として、圧倒的多数派は孤独を寂しく辛いと感じる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月21日
★人間関係も孤独も将来不安もどんな人生苦も、瞑想に集中し、思考モードを離れれば、どうでもよくなるだろう。
 だが、瞑想が終わって日常意識に戻れば、心の反応パターンも元の木阿弥になる。
 深層から心を組み換える修行には、人生全体の総力戦を覚悟しなければならない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月19日
★たとえ妄想の嵐が鎮まり、空っぽになっても、知識も経験も情報も何も仕込んでいない心に智慧が生じることはない。
 本能や遺伝子に組み込まれた知恵は、生存競争に勝ち抜くためのものばかりだ。
 貪って怒って、敵を倒し、生存欲を満たす「煩悩」という名の命のプログラム。
 他の生命に苦しみを与えながら生き残ろうとする発想が、未来の我が身に苦をもたらしている。
 一切皆苦の構造から解脱しようとする仏教は、反自然・反生命に向かう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月17日
★万策尽きた時には、ひたすら歩く瞑想をする。
 エゴが宰領する猿知恵の世界は行き詰まったのだから、歩行感覚に集中し、心を空っぽにする。
 浮上してくる雑念にはサティを入れまくり、思考モードを離れることができれば、やがて直観智が閃くだろう。
 心は、全力で切実な問題を解こうとしている・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月15日
★事実をありのままに客観視するマインドフルネスを妨げる天敵は、巧妙に忍び入るエゴ感覚だ。
 良い瞑想ができている感動→嬉しさ→自己満足→得意満面→傲慢・・・。
 諸々の条件がたまたま揃っただけなのに、それを自分の手柄と錯覚する妄想にサティが入らないのだ。
 「感動」にも「嬉しさ」にもサティが入らず、自惚れている自分を対象化できない愚かさ。
 傲慢なエゴ妄想が展開してしまう反応パターンを書き換えてくれる懺悔の瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月13日
★透明な体感が得られても、心に掴んで手放せないものがあれば、瞑想は破綻する。
 人を赦し、自分を赦し、己の運の悪さ、ネガティブな暗い宿業を受け容れなければ、心に重くのしかかる闇が晴れることはない。
 無差別殺人鬼の仏弟子アングリマーラが黒い塊を吐き出して解脱した史実ほど、懺悔の瞑想の励みになるものはない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月11日
★食べ過ぎて頭がボーッとしている状態が、瞑想には最悪だ。
 体を整え、意識の透明度を増し、瞑想を深めるには、食をコントロールしなければならない。
 労働するなら完食すべきだが、瞑想にはバランスのよい食事を腹六分目程度がよい。
 つまり、食欲に抗い、もっと食べたいのに、止めなければならない。
 瞑想は、アンチ煩悩、反自然を本質とし、世の流れに逆らうもの・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月9日
★ただ生きているだけで、心は汚れていく。
 悪い想念が絶えず脳裏を掠めるからだ。
 だが、座る瞑想を始め、全身の体感を感じた瞬間、意識モードが切り換わっていく。
 愚かな自分、汚れた自分、傲慢な自分を痛切に懺悔したくなる。
 瞑想は心を浄化する。
 瞑想は、まず体調を整えることからだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月7日
★孤独にならなければ、瞑想はできない。
 「思考を止めよ。イメージに手を出すな。物事を概念化せず、あるがままに如実智見せよ」と求められているからだ。
 街を出歩き、人と交わり、俗事に執着していて、妄想が止まるだろうか。
 瞑想修行に入ることを「リトリート(撤退・隠遁)に入る」と言う。
 俗世を離れて、僧院に籠るからだけではない。
 眼耳鼻舌身の五感の対象に手を出さない覚悟を定めるからだ。
 この世から限りなく撤退した果てに、執着を完全に手放す瞬間が訪れる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月5日
★ワクチンのなかった1年前、ヨーロッパ各国では、一定時間になると街中に拍手が鳴り響いた。
 コロナと戦う医療従事者に感謝を捧げ、エールを送るためだった。
 日本では、感染者がバッシングされ、医療従事者の家族までもが忌避されていた。
 自分が感染した時に、いったい誰に治療してもらうのだろう。
 不安遺伝子が世界一の日本人+妄想+痴(愚かさ)+無慚(恥知らず)+自己中心的なエゴイストの視座・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月3日
★感染の恐怖も、経済的不安も、正義中毒も、妄想に端を発している。
 たとえプラス思考をして、明るいことや楽しいことを考えても、苦が襲来する現実を免れることはできない。
 概念モードを離れれば、自分を客観視するメタ認知の視座が得られる。
 思考が止まると、脳内情報がゆるやかに結晶し、直観智が閃く可能性が開かれてくる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

7月1日
★自国ファーストを叫ぶ大統領がWHOへの資金拠出を停止した直後、「サピエンス全史」の著者が1億1000万円の寄付をした。
 「もし中国とドイツからウイルスの遺伝情報を、イタリアと米国から治療法の情報が得られなければ、祖国の病院は無力だった。今こそ世界が連帯し情報共有すべきだ」とハラリは言う。
 知行合一、言行一致・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月29日
★やり場のない不満や怒りが、スケープゴート叩きの集団ヒステリーになりかねないご時世。
 今こそ、意識の矢印を外界から自分自身の内側に向けるヴィパッサナー瞑想が必要なのではないか。
 もし怒りや苛立ちが自覚されたら、一転、自分よりも苦しんでいる人達に向けて慈愛の念を放つ瞑想で乗り超える・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月27日
★思考が止まろうが禅定に入ろうが、瞑想が終了し日常モードに戻れば、不安もストレスも劣等感も回帰してくるだろう。
 発想が、思想が、生き方が、本心が、変わらなければ、どんな瞑想も「現世の楽住に過ぎない」(削減経)。
 心の反応パターンを根底から書き換える覚悟とその実践こそ真の瞑想・・・
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月25日
★不安も、ストレスも、ブチ切れるのも、集団ヒステリーも・・すべて思考や妄想が惹き起こした反応に過ぎない。
 思考モードを離れれば、全てが雲散霧消するだろう。
 起きたことは、仕方がない・・。
 今こそ自宅で瞑想する機会を天が与えたくれた、と受け止める・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月23日
★大本営発表!と真っ赤な嘘で扇動したのは、当時の日本だけではない。
 世界中のどの国も、そうなっていくのが戦争だ。
 自由に物が言えるのも平和時だけで、集団ヒステリーが始まれば、正論を吐く者は、非国民!裏切り者!と血祭りにされてしまう。
 人をイナゴの大群と化す妄想の爆発的感染を止める瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月21日
★コロナ騒動の熱狂は、無謀な戦争を続けた80年前の世相を連想させる。
 人類が巨大な集団を形成できたのは、情報=現実と錯覚する共同幻想の力によってだ。
 ルワンダの大虐殺、ナチスに扇動されたドイツ、文化大革命の暴徒化した紅衛兵・・どの集団ヒステリーにも共通するのは、情報を盲信する構造・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月19日
★かつては愚行を重ね、過ぎ去ったことに執われ、自分を嫌悪し、生きることがただ苦しかった。
 だが、もう生きられないと極まったとき、仏教の視座を得たことにより、ネガティブ体験の一切が輝きを放ち始めた。
 妄想に執着し、苦に打ちのめされなければ、ブッダの道を歩むことはなかっただろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月17日
★老いが深まるのは苦しいことだろうと覚悟してきたが、死のゴールに向かってひた走る今が、人生最良の日々と感じられるのは意外だった・・。
 愚かしい生涯だったが、諸々の因縁が否応なく展開したのだから、悔いはない。
 未来を憂えている暇はなく、何事もこれが最後の感覚で取り組める充実・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月15日
★ジャパンハートの1Day寄金が、開始後21時間で目標額1億円を達成した。
 これは〆切の力、たった一日という刻限のなせる業だろう。
 終わりが定まれば、人は本気になれる。
 だらだら長生きできると思えば、煩悩が蠢き出す。
人生の最終章を自覚して以来、一瞬一瞬の輝きを痛切に感じる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月13日
★コロナウイルスで外出できず、密室の暴力(DV)が急増しているという。
 閉鎖されたストレス、感染死、経済、将来への不安・・、いずれも諸悪の根源は妄想する脳のシステムだ。
 ミャンマーの政治犯として6年間の苛酷な独房生活に耐えた人もいる。
 ヴィパッサナー瞑想を毎日20時間実践したという・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月11日
★家族との絆を捨て、この世から出離する原始仏教の出家は、生きとし生けるものへの慈悲が発露しやすい構造だ。
 だが、なし崩しにスマホを持ってしまったタイの出家者の解脱は、一段と困難になったのではないか。
 俗世のあらゆる情報にアクセスしながら、どうやってこの世を全捨てできるのだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月9日
★愛する家族、財産、地位、名誉があれば、反射的に守ろうとして、エゴ的反応が起きやすい。
 家族を持たず、野望も、不満も、守るものも、失うものもなければ、怖れるものがない。
 未だに道を極められないドゥッカ(苦)は続くが、生じてきた優しい気持ちは、不特定多数への慈悲の瞑想に昇華されていく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月7日
★欲望を刺激し、怒りのエネルギーでヤル気を駆り立て、バカ騒ぎをしては、この世を楽しむ。
 そんな貪瞋痴の世界に逆らい、孤独に自己を客観視する瞑想修行・・。
 物理的な孤独には耐えられても、自分に向き合い続けるのは至難の業だ。
 他人を、外界を、ネットの世界を眺めたい、見物したい、バーチャルな情報の濁流に呑み込まれ、押し流され、溺れたい・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月5日
★人と交わり集団で生き延びてきた人類は、本能的に孤立や孤独を嫌う。
 しかるに、感染症の猛威に緊急事態宣言が発動し、人流が止められ、巣籠もりせよ、孤立しろ、と強いられてきた。
 起きたことは全て正しいのであれば、出歩かず、自宅に隠棲し、ひたすら瞑想せよ、という天の声と解釈すべきだろうか。
 雨が降ろうが槍が降ろうが、樹の下で、廃屋で、瞑想せよ、群れるな、と説き続けたブッダ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月3日
★怖ろしい勢いで世界中に蔓延していった感染症が、慈悲の瞑想を深めてくれたのは意外だった。
 イタリアの、スペインの、アメリカの・・人達が健やかであれ、とこれほど身近に感じながら祈ったことはなかった。
 極微の敵に人類全体が襲撃され、不思議な一体感を覚えた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

6月1日
★殺生戒を守り、医療関連への布施をし、慈悲の瞑想を日課としてきた者が、不慮の災害や死に襲われるのであれば、それは避けようのない業の帰結であり、必ずそうなる宿命だったのだ。
 仕方があるまい。
 因果論が腹に落ち、なすべきことをなしてきたのなら、何が我が身に起きようと、ことごとく受容できるだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月30日
★阪神淡路でも東日本でも、ある日、突然襲いかかった大量の死と悲しみに全てが一変した。
 自分に残された時間も、最期の瞬間がいつ訪れるのかも、誰にも分からない。
 感染症の脅威も明日は我が身、何事もこれが最後、今日で最期・・と思いを新たにしなければならない。
 さあ、最後の瞑想をやろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月28日
★「法のみを拠り所とし、他を拠り所とするな」
 「この世のことは陽炎のごとく、泡沫のごとく見よ」
 と、ブッダは説かれる。
 真実が見がたいのは、見えても聞こえても匂っても、反射的に思考がまとめ上げる概念ワールドが形成されてしまうからだ。
 情報感染が、猛威を振るう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月26日
★この世に咎を見て、存在の世界からの解脱を目指すのが本来の原始仏教だ。
 古来から、命を懸けて瞑想修行がなされてきた。
 毎回これが最後の覚悟で瞑想会に臨んではきたが、先の見えないリスキーな情況ゆえに身が引き緊まり、原点に立ち返る・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月24日
★細菌やウイルスで病死するのは免疫力の衰えた高齢者が多く、太古の昔から免疫力の強い者が生き残った。
 免疫力を低下させる元凶は、ネガティブな妄想がもたらすストレスだ。
 妄想を切るヴィパッサナー瞑想は心に静けさをもたらし、副交感神経を優位にし、免疫系を賦活するだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月22日
★わびしい孤独、物欲しそうな孤独、怒りに満ちた孤独、ひねくれた孤独、哀れな孤独・・・。
 悠然とした孤独、優しさも信頼も安心も十分に得てきた孤独、豊かな孤独、自己完結した孤独・・・。
 自らの中に顕わになる法(ダンマ)のみを拠りどころにした孤独・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月20日
★妻と息子夫婦と孫娘が一瞬にして津波に呑まれ、ただ独り生き残ってしまった消防団の老人が泣き崩れた。
 20歳になった孫娘の親友が訪ねてくれたので笑顔で迎えたが、突然、抑えがたく激しく嗚咽した。
 9年の歳月が流れても、悲嘆は癒えないのだ。
 愛する者への執着が深ければ、孤独地獄は耐えがたく、豊かな孤独は至難の業・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月18日
★30年も会わなかった知人が危篤と聞き、身内に同行し病院に見舞った。
 初対面の息子から、先ほど逝去した、死因は肝炎、と告げられた。
 集中治療室に横たわる遺体を前に、良き再生を祈り合掌した。
 帰途、去来する追憶イメージの実感が迫り、胸が熱くなった・・・。
 石のように微動だにしないデスマスクには、有無を言わさぬ完結性がある。
 さあ、次は、我が身だ、と身を引き締め、駅に向かって歩いた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月16日
★解脱した聖者でも、業が帰結する力に抗うことはできない。
 2度刺客から逃れた目連尊者も3度目は凶刃に倒れ、ブッダも怪我をしたり罵詈雑言を浴びせられた。
 病むのも死ぬのも、因縁があれば必ずそうなってしまうのが業の異熟(現象化)だ。
 因果論を心得て、起きたことは受け容れるしかないと腹を括る。
 なすべきことをなし、慌てず騒がず、瞑想する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月14日
★日暮里の瞑想会場は換気しやすい風通しのよい立地だが、トイレの引戸やドアノブを殺菌し、発話量の多いインストラクターはマウスシールドの上にフェイスシールドを付けて飛沫を止めている。
 不安を煽り立てる報道や妄想に反応せず、野生動物のように、ただ事実に向き合う練習・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月12日
★新型コロナウイルス騒ぎで、日本中がパニックの1年だった。
 2020年12月21日までの約1年間、コロナウイルスによる死者数は2,964人。
 2018年度のインフルエンザ死者数は3325人、2019年1月には1ヶ月に1685人が死んでいる。
 どちらもウイルスなのに、なぜコロナよりも恐ろしいインフルエンザでは大騒ぎしないのか。
 余計な妄想を止めれば、常に事実があるだけだ。
 何が起きようと、引き受けていく覚悟。
 その不動心のために瞑想する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月10日
★自らの重さで倒れていく体に、自然に足が出る忍者歩きは、体の意向に添い遂げようとして心が空っぽになっていくかのようだ。
 そう気づくと、これまで意志と集中力の力業で、強引に心身一如を達成させていたエゴの臭みが浮かび上がってきた。
 起きたことは全て受け容れて、空っぽになっていく道・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月8日
★忍者歩きが鮮烈だったのは、立て、歩け、と身体に命じている自由意志が無くなったかのような印象だ。
 心身一如を目指して奮闘したのではない。
 自らの意志で勝手に歩いていく身体の中に、心が融け込んで吸収されたかのような心地よさがあった。
 やがて冷気や風圧や街路樹など、外界の環境との一体感がやさしく訪れてきた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月6日
★忍者歩きには、体が勝手に歩くような受身の印象がある。
 重心が前に移動し、体が前に傾くと、自然に足が前に出る。
 腕は固定し、右の体がグラリと前に傾けば、その重心を支えるように右足が前に出る・・。
 こちらは何もせず、体重が移動する流れに足がひとりでに伴っていくのを淡々と感じていく歩行瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月4日
★甲賀流の忍者歩きを練習しながら約1時間、夜の歩行瞑想をしている。
 日本古来の歩行法「ナンバ歩き」と似ている。
 手足をクロスさせる西洋式と異なり、右足と右半身、左足と左半身が並行する。
 新しい技法の習得が新鮮で、体感の推移に集中する身随観の純度が高くなった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

5月2日
★私がヴィパッサナー瞑想に出会うことができたのは、原始仏教を日本に根付かせる活動をしてきた上座仏教修道会の設立者竹田さんとの御縁からだった。
 東日本大震災で損傷した跡地に仏塔・瞑想堂・僧房を建設する資金に難儀していると耳にし、貧者の一灯をお布施した。
 戒壇と仏塔建立のプロジェクトは、その後順調に進捗していると耳にする・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月30日
★古代ローマの寛容(クレメンティア)は、カエサルの度量の大きさと当時の民度の高さに由来する。
 恭順を誓った敵を赦し、相手の言語も宗教も慣習も容認し、一方的な支配や価値観を押しつけず、失敗を許し、言論の自由を保障し、批判本の発行まで黙認した。
 利己的な邪悪さがはびこるのには何の努力も要らない。
 寛容という高度なメンタリティーが維持しきれなくなった古代ローマは衰微し、やがて滅亡していく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月28日
★異物(非自己)である食物が免疫によって排除されないのは、消化のプロセスで分解され、希釈され、微量になるからだ。
 軍団が解体されれば無力化されるので、バラされた兵卒は排除せずに取り込み、同化させて利用することもできる。
 だが、非自己の異物全体を丸ごと受け容れるほど寛容になれば、こちらの自己同一性が危うくなる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月26日
★豚肉やセロリや牡蠣や卵などの異物を日々取り込み、消化し、同化しなければ生きていけない。
 一方、異物である非自己を徹底的に排除しなければ、自己同一性が崩壊し、生存が保てない。
 だが、意外なことに、自己が非自己を排除する免疫のシステムには、「寛容」の本質も組み込まれていた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月24日
★異物の排除が激化すれば、自分を攻撃する自己免疫疾患に陥るかもしれない。
 ヴィパッサナー瞑想の特長は、全てを受け容れる心が成長することだ。
 どんなことも一旦受容しないと、物事をありのままに観られないからだ。
 起こるべくし起きたことは、その因縁の流れに従い、全て受け切っていくと覚悟する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月22日
★人混みや三密を避けても、仕事帰りの家族から感染するかもしれない。
 完全抗菌など不可能だから、免疫システムが進化したのだ。
 食事と睡眠に気をつけ、運動と風呂で体温を上げ、瞑想をして不安やストレスを一掃し、心に安らぎと静けさがみなぎれば、免疫力は最高に高まるだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月20日
★新型ウイルスの感染であれ怪我や事故であれ、身体に苦受を受けた瞬間、殺生戒系の不善業が一つ消えていく・・・。
 ありがたいではないか。
 風評に踊らされ、不安や恐怖の妄想に怯えれば、ストレスホルモンが分泌して免疫力が低下するだけだ。
 いかなる時にも瞑想し、心静かに、腹を括っておく覚悟・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月18日
★快いものを貪り求め執着する本能を、自然搭載して生まれてくるのが生命だ。
 一方、胎児の手指や幼児期の脳神経細胞、免疫細胞の9割には、次々とアポトーシス(プログラムされた細胞死)が起き、生命の最適化が計られる。
 貪り求めるのも(足し算)、手放すのも(引き算)、どちらも根源的な生命のシステム・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月16日
★欲望と欲望が力で淘汰される生命の世界で、その欲望を自ら抑止する脳が搭載されたのは、群れを作る必然に由来したのだろう。
 個体の欲望と怒りを制限するシステムがなければ、狼もゴリラも人類も群れの統制が取れなくなる。
 煩悩の脳も、貪瞋痴を引き算する脳も、生命の本質に根差している・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月14日
★快を貪り求め、多く所有するほど幸福度が上がると考える足し算の幸福原理は、何がなんでも生存し増殖しようとする生命の本質かもしれない。
 だが、地球の資源にも人類の異常増殖にも上限がある。
 仏教が提示してきた、欲望とエゴの引き算がもたらす静けさと優しさの価値を学ぶ時が来ている・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月12日
★歩行感覚の一点のみに集中するのは、シンプルな構造ゆえに初心者でもサティを持続しやすい。
 思考の流れや朗読の意味を客観視する仕事は、内容に反応し食いついた瞬間、次の概念やイメージが団子状に連鎖し、サティの瞑想は崩れる。
 テキストの最初の意味だけを理解し、後続の連想を断ち続けられるだろうか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月10日
★不意に、テキストの朗読が終わった。
 次の瞬間、歩行する足以外の背筋の感覚や体幹のブレの有無、遠くで聞こえる車の走行音、思考の流れ・・がどっと押し寄せてきた。
 なるほど。
 意味を理解するプロセスにサティを入れる。
 この際どい仕事に注がれていた注意が、一気に振り分けられてきたか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月8日
★ヴィパッサナー瞑想を始めた当初から、なぜか意識の流れや思考の展開が詳細に気づかれた。
 眼耳鼻舌身の情報に必ず伴っている微かな連想にもサティが入った。
 今回、思考や連想に気づくのも、朗読の意味を理解する一瞬一瞬にサティを入れるのも、ほぼ同じであることが検証された。
 聴読しながらサティは可能・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月6日
★毎夜、速歩で歩きながら、六門開放型のサティを入れるのだが、聴読をしながらサティの瞑想が可能か訝ったのだ。
 「聴読」とは、文書や電子書籍をアイポッドの朗読で耳から読むことだ。
 歩行感覚に機械的なラベリングをするのは容易だが、言葉の意味を理解するプロセスに気づき(サティ)を入れるのは至難の業だ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月4日
★ミャンマーの森林僧院では、ミャンマー語のダンマトークと英語の通訳が数分おきに繰り返された。
 ミャンマー語の間はサティを入れ続けたが、英語は内容の理解に徹した。
 言葉の意味を理解しながらサティは入らないと思っていたが、本当はどうだったのか。
 歩く瞑想をしながら検証してみた・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

4月2日
★歴史を学び、夢と希望に向かう人もいるし、トラウマに苦しみ、将来不安の妄想で自滅する人もいる。
 想像力を持たないチンパンジーは、「今、ここ」だけに心を使いきり、過去を恨まず、未来に絶望することもない。
 妄想を止め、サルの脳で経験し、ヒトの脳でラベリングするヴィパッサナー瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月31日
★執着すれば人生が苦しくなる渇愛の構造。
 だから「この世のことは泡の如く、陽炎の如く視よ・・」とブッダは言う。
 そうは言われても、では、そのようにと、できないのが我々凡夫だ。
 だから、不幸は儲かるよ、幸福はすり減るよ、と因果論を腹に落とし込み、苦楽を等価に観る捨の心を養うのだ。
 業の結果に一喜一憂する世界に飽きれば、悟りたくなるだろう・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月29日
★うるさい、臭い、痛い、損した、と苦受を受ける一瞬一瞬ごとに現象化した不善業が消えていく・・。
 楽しい、美味しい、儲かった、やったぜ!と楽受が続く幸福の日々の実状は、徳のポイントが恐ろしい勢いで費消されているのだ。
 因果が織り成す業の世界では、不幸は負債の返済、幸福は貯金の切り崩し・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月27日
★「私」の拠りどころは、そのへんのお母ちゃんではなく、完全無欠の絶対的存在だぞ。
 この「安全基地」効果は絶大だ。
 が、しかし、「私」の究極の拠りどころが侮辱されれば、敵を殲滅するまで戦い抜くし、ミッションを与えられれば何だってやるだろう。
 人のマインドの構造を心得て、<大義>を操作してるのは誰・・・?
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月25日
★事実であれ思い込みであれ、親から十分に愛されなかった不満と寂しさがあれば、絶対的な母性を求めずにはいられない。
 聖母マリアや阿弥陀仏の共同幻想が形成され、民族や国家を超えて共有されていった所以だろう。
 三宝の加護を祈る心にも、その要因があるのかもしれない。
 情緒的拠りどころが、心の安全基地になる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月23日
★人が求めてやまないものには、段階がある。
@水が飲め、物が食べられ、息が吸え、眠れる。
A安心安全が持続する。
B帰属する祖国、仲間、家族、居場所がある。
C承認される。重んじられる。敬われる。
D夢を叶え、理想を実現し、才能と可能性を最大に花開かせる。
E因果に縛られて変滅する繰り返しから解脱する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月21日
★町のパン屋のおじさんは「ご飯を食べて、働いて、安心して眠れ、普通に暮らしていける。それが幸せじゃないの」
 「自由に物が言え、健康で、笑顔で、皆が仲が良いこと」を付け加える人。
 何も求めなければ、ガツガツしないし、失望しないし、人と比べなくなるし、心が静かになるよ、と言う人・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月19日
★自分の存在を否定され、誰からも認めてもらえなかったら、生きていけるだろうか。
 人は、仕事をして褒められ、人の役に立ち、人に必要とされるから幸せを感じることができる。
 ・・との理念から、知的障害者を全従業員の7割も雇用している会社がある。
 幸福の原点は、基本的自尊感情と自己有用感・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月17日
★子豚を連想させる若い女性が、鉄板焼のハンバーグを仲よく食べながら、幸せそうにコロコロ笑い合っていた。
 @美味しく食べられる。
 Aよく眠れる。
 B人と心が通じ合う。
 虐待で傷ついた人達にとっては、これが幸福の定義だという。
 3つとも備えていながら「不満足性」という名のドゥッカに苦しむ普通の人達・・・。
 失ってみて、初めて掛けがえのなさに気づくものばかりだ。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月15日
★もし過去の記憶がゼロになれば、自分が誰なのか、どんな人生だったのか、全て空っぽの透明人間になってしまうだろう。
 記憶こそが人生そのものなのに、想起されるたびに都合よく事実が書き換えられ、修正され、物語になっていく・・・。
 早稲田の街角は暗い青春の象徴だったのに、50年の歳月が流れる間にセピア色から金色に輝く記憶に変質していた。
 圧倒的に美しい記憶の世界が「真実?」となり、どこにでもあるコンビニの増えた現実の早稲田がフェイクになっていく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月13日
★50年の歳月が流れ、早稲田の街は一変し、鮮かな青春の記憶世界と夕闇が迫る現実の街角が重なった・・・。
 自ら堕落を目指す混沌の中にいた当時の一瞬一瞬も、誤解と錯覚だらけだったのだ。
 真実が見失われていく泥沼の中で、事象をありのままに「如実智見」する瞑想に一縷の望みを託すしかない・・
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月11日
★エゴの殻に閉じこもって生きてきた者同士が、本気で人を好きになり、自他の統合が幻想される瞬間があるかもしれない・・・。
 1+1が2ではなく一つのエゴとなり、さらに子が生まれて複数の家族が一つになって自我防衛を始めるまで・・・。
 自分→家族→国家→神→と肥大するエゴ妄想・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月9日
★黒船が現れ外敵の脅威が迫るまで、「日本」という妄想は共有されなかった。
 インドネシアの島々が「国家」という共同幻想で統一されたのは、オランダの苛烈極まる植民地支配が引き金だった。
 ワガママ放題の幼い暴君が、幼稚園で同じ穴のムジナと衝突して、エゴ妄想とエゴ妄想の激突する現実に気づき始める・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月7日
★徴兵令が布かれた明治22年、徴兵忌避者がなんと9割以上。
 「日本」や「国家」という妄想に殉じて死ねる民はわずか数%だった。
 だが、共同幻想を徹底教育して半世紀、特攻隊の若者が機体もろとも次々と自爆していった。
 妄想に生き、妄想に死す人類・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月5日
★未来の夢だけではない。
 失恋の痛手も、出産の激痛も、どんなに苦しかった記憶も、やがて風化し、美化されていく。
 記憶を書き換え、甘美な未来を夢想させ、苦しい現実を誤認させる妄想が充満した人類の脳。
 果てしない輪廻の流れを永遠に続けさせる無明の力・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月3日
★妄想する能力を得た人類は、甘く美しい未来を夢見ることによって、苦しい現実に耐え抜こうとしたのだろう。
 美しい夕陽の大隈候銅像は、受験勉強のヤル気に火を点け、合格に導いてくれた。
 そして入学後に、夢と現実のギャップに打ちのめされ、苦と渇愛の構造を学んでいく発端となった・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月25日
★早稲田に所用があったついでに、近くの母校を50年ぶりに再訪した。
 文学部は激変していたが、大隈侯の銅像と時計台は往時のままだった。
 受験の下見に初めて訪れた高3の冬の夕方、真っ赤な夕陽を背景に、黒々と浮かび上がった銅像のシルエットが鮮烈に心に焼き付いた。
 そのイメージが、瞑想に人生を捧げる発端になるとは知る由もなかった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………………………………………………………………………………………………………

 

2月23日
★「法を拠りどころとし、他を拠りどころとするな」
 ブッダが生涯の最後に説かれた遺訓である。
 だが、法を拠りどころとせず、個人を崇拝し拠りどころとしてしまうのが世の常だ。
 思わぬ人の口から、正しく法が説かれている瞬間にハッとすることもある。
 山川草木の中に法を視る者もいる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月21日
★暮れも正月も、人間が妄想を共有しているだけで、法として存在している訳ではない。
 時ならぬ梵鐘の音に八王子の裏山の狸が目を開いたかもしれないが、『除夜の鐘か・・』とは思わない。
 「音」とサティを入れた人間に近いだろう。
 宇宙にはいつだって、ただの事実が存在しているだけなのだ。
 事実に苦しむのは致し方ないが、誤った認知と勝手な妄想で苦しむのは愚かしい。
 法と概念を仕分け、あるがままに観る瞑想を修行する所以・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月19日
★人生が上手くいかないので、現実逃避のツールとして、瞑想にのめり込む人達も少なくない。
 集中力のあるタイプは、抑圧する力にも恵まれているので、ますますサマーディに溺れ込む。
 そんな瞑想は「現世の楽住」に過ぎない。
 煩悩を一つづつシラミ潰しにせよ、とブッダは言う・・・。(『削減経』)
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月17日
★速歩の瞑想が刻々と脳を活性化していくのは、多角的な脳の使い方をするからだろう。
 全身の体感と六門の情報に細心の注意を払い、速度と姿勢保持と一直線上の歩行を強く意識しながら、身と心と環境を俯瞰するサティ・・・。
 アクセルが踏まれ、脳の処理速度が高速化していくプロセスが快感だ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月15日
★誰にも会わない夜道をスピーディーに歩きながら、毎日約1時間、速歩の瞑想をする。
 MBTの靴を履き、背筋を真っ直ぐに立て、体重を膝の真上に乗せて踵から足の親指に力点を移動させる。
 一直線に正確に足を出し、体幹がブレないように細心の注意を払い、六門開放型のサティを入れ続ける・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月13日
★瞑想対象に集中しようと必死になっていると、なぜか力んでいる自分の姿が俯瞰され、ハッと我に返ることがある。
 サティが本来の機能を取り戻した瞬間だ。
 集中にこだわり、ガチガチだった全身からフッと力が脱け、やわらかく緩んでいく。
 この脱力の瞬間を「軽安」という・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月11日
★認識が確定すると、心は次の瞬間に注意を向ける。
 ガチャン!
 @「音」、A「(割れた)イメージ」、B「驚いた」とラベリング。
 @中心対象の感覚に戻るのか、A花瓶を壊した連想に反応するか、B驚いた自分に違和感を持つか。
 一瞬の経験とその認識が、次の瞬間の反応に影響を及ぼす構造・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月9日
★一瞬の経験が正確に表現されていないラベリングは、粗雑で、曖昧で、もどかしく感じられる。
 だが、直感的な経験をイメージとして積み重ねていくだけでは、動物達と同じではないか。
 言語化されるプロセスで経験に意味が付与され、事象の本質が顕わになるのか。
 本質が直観された直後に、ラベリングの言葉が浮かぶのか。
 完全に同時か・・・。
 各自の修行現場で検証してください。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月7日
★法としての事象がありのままに知覚されても、ゴキブリに悟りの智慧は生じない。
 危険か餌かに機械的に反応する単純なプログラムでは、事象の本質が洞察されることも、煩悩が全捨てされる衝撃の体験にもなり得ないからだ。
 一瞬の経験が、どう認識されたか・・・。
 同じ音、同じ匂いを感じた瞬間、凡夫のラベリングと聖者のラベリングが同じだろうとは思えない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月5日
★ラベリングなしのサティでも、現在の瞬間に気づくことができる。
 一瞬でも言語脳を使うと、集中を高める仕事がやりづらいと感じる人も少なくない。
 身体感覚への気づきはそれでも良いが、微妙な心の動きや意識の流れになると、ラベリング無しのサティでは認知が曖昧になり洞察智が生じにくい・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月3日
★ヴィパッサナー瞑想は、エゴの妄想に毒された人類のための技法だ。
 事実をありのままに知覚するだけなら、ゴキブリも金魚も普通にやっている。
 妄想を排除して知覚した瞬間、どのようにラベリングされ認識されるかが問題だ。
 ガチャン!
 「音」か、「(割れた)イメージ」か、「驚いた」か・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月1日
★速歩の歩行瞑想をしながら夜道を歩いていると、突然高笑いが耳に入り、反射的に「聴覚」とサティが入った。
 自分が嘲笑されたのか・・・という印象が形成されかかったが、強引に断ち切られたと感じた。
 ラベリングの言葉は概念だが、それ故に、心に生じようとする概念を消し去る「対消滅」の威力がある・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月30日
★苦受を受け楽受を感じているのはこの「私」だ・・・という印象は、エゴ妄想に過ぎない。
なるほど、「私」が苦しいのではなく、苦の事実があるだけか。
 でも・・・、だから、どうだというのだ。
 業の結果を受けた瞬間、否応なく反応して新たな業を作り続ける輪廻の流れを、これからも永遠に続けるのか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月28日
★自分がこれまでに犯してきた罪業の数々、激怒した瞬間、暗愚な思考・・・その全てが形成した業を思えば、地獄行きだろう。
 心から人のために力を尽し祈りを捧げ、寺に布施をし、懸命に瞑想した一瞬一瞬の業は、天界への再生に通じるかもしれない。
 地獄も、餓鬼も、畜生も、修羅も、人間も、天も・・、もう、因果に縛られた業の世界は、うんざりだ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月26日
★原始仏教の悟りとは、無限に続く生存の流れに終止符を打ち、輪廻から解脱することである。
 もし輪廻転生が無かったら、ブッダは滑稽な馬鹿者になり、仏教は成り立たなくなる。
 いや、そうでもないか。
 輪廻があっても無くても、煩悩を引き算していく人生は、苦しみが減少されていく構造・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月24日
★若い頃は自分の才能が信じられず、不安と自惚れの日々を繰り返すものだ。
 やがて歳月が流れ、ありのままの己の力量と今世でやれることの限界が見えてくる。
 まあ、仕方があるまい。
 自分の宿業が定めた器なのだから、最期の瞬間まで全力を尽くし、来世に繋ぐしかない、と考える輪廻転生論・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月22日
★感謝すべき楽受の日々よりも、苦しかった時期に多くの深い学びを得てきた。
 楽しいのも苦しいのも、どちらも等しくありがたいことだが、しょせん事実をそのように認識しただけのことではないか。
 常に脳内フェイクを生きてきた私も、人には真実は見られないのだ、とこの歳になり腹に落ち、心に沁みてくる・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月20日
★真実であってもフェイクであっても、過ぎ去ってしまえば夢のようだ。
 信頼の絆で結ばれていた掛けがえのない人も死に、毒々しい嫌悪の念を向けてきた人も死んだ。
 愛も信頼も尊敬も嫌悪も軽蔑も・・事実が歪曲されて編集されたエゴの脳内劇場。
 もう猿芝居を止めたいのだが、幕が下せず立ち尽くす日々・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月18日
★人生が思い通りにならないのは、自分が作った膨大な業が否応のない力で現象化し、日々展開してくるからである。
 簡単に変えられるものもあるが、ごくわずかだろう。
 それ故に、嫌なことでも起きたことはそれで良しとし、心汚さず、流れに身をまかせて認知を変えることができれば苦は減少する・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月16日
★大嫌いな人、かけがえのない家族、無二の親友・・がいるのだろうか。
 激怒したり、安らぎを覚えたり、癒された一瞬一瞬に作られた過去の業が、その日その瞬間の経験事象として帰結しているだけではないか。
 揺るぎない絆や犬猿の仲があるのではない。
 業が生滅する束の間の事象の流れがあるだけ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月14日
★自分が何をやってきたのか、何を話し、どんなことを考えてきたのか、自分の人生そのものだった経験事象が朧になり、やがて忘れ去られていく・・・。
 のみならず、心に焼き付いたはずの記憶が修正され、リメイクされ、事実とかけ離れた妄想のドラマに変容し、エゴの脳内劇場で再演されていないか・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月12日
★肉眼で見た世界は、写真のようなフレームも構図も何もない空間の拡がりに過ぎない。
 視覚を最初に直撃したものが、「乱反射する夕陽」「湖面にさざ波を刻んでいく風」と認識された瞬間、概念化されてしまう。
 写真の美しい色や輝きが一度心に焼き付くと、事実は消え失せフェイクしか残らない・・・。

 

 

………………………………………………………………………………………………………………

 

1月10日
★日が暮れかかった頃、近隣の沼の畔を散策した。
 何の変哲もない水面が夕陽に照り映え、異様な輝きを帯びて、刻一刻と化けていく・・・。
 あるがままの法としての存在は見難く、脳内フェイクの印象に執着し、最期までダマされ、空かされ、誑かされながら、また死んでいくのか・・・。

 

 

………………………………………………………………………………………………………………

 

1月8日
★先天的聾あ者が7歳で手話を覚えるまで、過去も未来もない今の瞬間だけに生きていたと証言している。
 言語がなければ時間は発生しないし、記憶を司る海馬が損傷しても時の後先が失われる。
 あるがままの法の世界に生きている動物達に知恵は生じず、言葉と時間の感覚を得た人類は妄想の底なし沼から出られない・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月6日
★あの論理的なドイツ国民が、ナチスの愚劣な幻想を熱狂的に共有していた時代もある。
 夫婦喧嘩をする人もしない人も、百人いれば百人の妄想世界。
 自分は自分のエゴワールドに住しているに過ぎない、と気づけなければ、他人を非難し断罪したくなってくる。
 人には真実は見られないのだ、と心得ておく・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月4日
★夫婦喧嘩をしているという妻の話を聞くと、とんでもない夫だと同情する。
 次に夫の言い分を聞くと、え、あの人そこまで自己チューなのか・・と驚く。
 物事を認知する瞬間、<選択的注意>が働いて情報の取捨選択がなされていることに気づかない。
 エゴワールドが自動的に形成されていく構造
………………………………………………………………………………………………………………

 

1月2日
★原始仏教の要である四聖諦は、苦の現実、その原因、超克された境地、その最終点に達する8つの道である。
 なぜ苦しくなるかを心得る第二命題は、因果論を正しく理解することだ。
 だが、因果論を学び業論を肝に銘じても、こと自分の問題になるとその理解がブッ飛んでしまう。 
 エゴ妄想に圧倒されてしまうからだ。
 自己中心的な生存欲に端を発する我執から目覚める瞑想・・・。
………………………………………………………………………………………………………………