原始仏教の理論とその最高位の瞑想であるヴィパッサナー瞑想を研究、実践しています。


このホームページはグリーンヒルWeb会の活動についてお知らせしたものです。


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 お知らせ
 「ブッダのヴィパッサナー瞑想」のオンライン講座開設   
        日時:2021年6月19日(土)15時30分〜17時
    ZOOMミーティングを使いますので、遠方の方々もお手軽に自宅から参加できます。
    お申込みは、朝日カルチャーで!
     朝カル・オンライン講座:「ブッダのヴィパッサナー瞑想」

お知らせ
  YouTubeに公開している「初心者講習」の動画に英語の字幕をつけました。
  英語版動画はこちらをクリックしてください。
     「初心者講習」英語版動画

 今日の一言!

 

 2021年9月までの瞑想会スケジュールをアップ 

 

 初めての方を対象に、サティの瞑想を正確に体得していただくための講習会
   2021年7月の地橋秀雄講師による「初心者講習会」の開催 

   2021年7月11日(日) 13時〜17時

 

 地橋所長が講師の泊まらない1Day合宿
   2021/6月の1Day合宿の開催 
   2021/6月27日(日)実施
   5月24日(月) 23時〜予約受付開始

 

 地橋所長が講師の   27年連続の人気講座(2021/4月期・7月期)
   朝日カルチャー講座新シリーズが2021年4月10日(土)より開催中 
   「朝の瞑想」は10階の教室になります。
   「夜の瞑想」は11階の教室になります。

 

   朝日カルチャー講座新シリーズが2021年7月10日(土)より開催  
   「朝の瞑想」は10階の教室になります。
   「夜の瞑想」は11階の教室になります。

 

 地橋所長によるダンマトーク(法話)のDVD・CD、書籍(一部)を購入希望の方へ
   アマゾンや瞑想会場などのほかに、メールでもご注文・購入できるようになりました。
   こちらのご購入方法をご覧ください。 
   DVDなどの内容は『瞑想の本・CD・DVD』をご参照ください。

 

 月刊サティ
   2021年1月号をアップしました。
   2021年3/4月合併号をアップしました。
   2021年5月号をアップしました。    
   以下のサイトから、アクセスしてください。
    http://shingekkansati.com/

 

 グリーンヒル瞑想研究所へのメールアドレス
   メールアドレスは、greenhill-meisou@satisati.jp です。

☆☆☆☆ ヴィパッサナー瞑想の本のご紹介動画 ☆☆☆☆

 

マインドフルネスの源流 地橋秀雄による『ブッダの瞑想法』シリーズ
(春秋社刊)内容紹介(4分)

 


DVDブック『実践 ブッダの瞑想法』(地橋秀雄著)
内容紹介(3分半)

 

 

CDブック ブッダの瞑想法 「瞬間のことば」(地橋秀雄著)
内容紹介(3分半)

 

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ヴィパッサナー瞑想の本 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 


 



 

 

 

 


 



 

 

 





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☆☆☆☆  最新のツイート  ☆☆☆☆

     

 



今日の一言

 

 

6月13日
★コロナウイルスで外出できず、密室の暴力(DV)が急増しているという。
 閉鎖されたストレス、感染死、経済、将来への不安・・、いずれも諸悪の根源は妄想する脳のシステムだ。
 ミャンマーの政治犯として6年間の苛酷な独房生活に耐えた人もいる。
 ヴィパッサナー瞑想を毎日20時間実践したという・・・。
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6月11日
★家族との絆を捨て、この世から出離する原始仏教の出家は、生きとし生けるものへの慈悲が発露しやすい構造だ。
 だが、なし崩しにスマホを持ってしまったタイの出家者の解脱は、一段と困難になったのではないか。
 俗世のあらゆる情報にアクセスしながら、どうやってこの世を全捨てできるのだろう・・・。
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6月9日
★愛する家族、財産、地位、名誉があれば、反射的に守ろうとして、エゴ的反応が起きやすい。
 家族を持たず、野望も、不満も、守るものも、失うものもなければ、怖れるものがない。
 未だに道を極められないドゥッカ(苦)は続くが、生じてきた優しい気持ちは、不特定多数への慈悲の瞑想に昇華されていく・・・。
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6月7日
★欲望を刺激し、怒りのエネルギーでヤル気を駆り立て、バカ騒ぎをしては、この世を楽しむ。
 そんな貪瞋痴の世界に逆らい、孤独に自己を客観視する瞑想修行・・。
 物理的な孤独には耐えられても、自分に向き合い続けるのは至難の業だ。
 他人を、外界を、ネットの世界を眺めたい、見物したい、バーチャルな情報の濁流に呑み込まれ、押し流され、溺れたい・・・。
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6月5日
★人と交わり集団で生き延びてきた人類は、本能的に孤立や孤独を嫌う。
 しかるに、感染症の猛威に緊急事態宣言が発動し、人流が止められ、巣籠もりせよ、孤立しろ、と強いられてきた。
 起きたことは全て正しいのであれば、出歩かず、自宅に隠棲し、ひたすら瞑想せよ、という天の声と解釈すべきだろうか。
 雨が降ろうが槍が降ろうが、樹の下で、廃屋で、瞑想せよ、群れるな、と説き続けたブッダ・・・。
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6月3日
★怖ろしい勢いで世界中に蔓延していった感染症が、慈悲の瞑想を深めてくれたのは意外だった。
 イタリアの、スペインの、アメリカの・・人達が健やかであれ、とこれほど身近に感じながら祈ったことはなかった。
 極微の敵に人類全体が襲撃され、不思議な一体感を覚えた・・・。
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6月1日
★殺生戒を守り、医療関連への布施をし、慈悲の瞑想を日課としてきた者が、不慮の災害や死に襲われるのであれば、それは避けようのない業の帰結であり、必ずそうなる宿命だったのだ。
 仕方があるまい。
 因果論が腹に落ち、なすべきことをなしてきたのなら、何が我が身に起きようと、ことごとく受容できるだろう・・・。
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5月30日
★阪神淡路でも東日本でも、ある日、突然襲いかかった大量の死と悲しみに全てが一変した。
 自分に残された時間も、最期の瞬間がいつ訪れるのかも、誰にも分からない。
 感染症の脅威も明日は我が身、何事もこれが最後、今日で最期・・と思いを新たにしなければならない。
 さあ、最後の瞑想をやろう・・・。
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5月28日
★「法のみを拠り所とし、他を拠り所とするな」
 「この世のことは陽炎のごとく、泡沫のごとく見よ」
 と、ブッダは説かれる。
 真実が見がたいのは、見えても聞こえても匂っても、反射的に思考がまとめ上げる概念ワールドが形成されてしまうからだ。
 情報感染が、猛威を振るう・・・。
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5月26日
★この世に咎を見て、存在の世界からの解脱を目指すのが本来の原始仏教だ。
 古来から、命を懸けて瞑想修行がなされてきた。
 毎回これが最後の覚悟で瞑想会に臨んではきたが、先の見えないリスキーな情況ゆえに身が引き緊まり、原点に立ち返る・・・。
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5月24日
★細菌やウイルスで病死するのは免疫力の衰えた高齢者が多く、太古の昔から免疫力の強い者が生き残った。
 免疫力を低下させる元凶は、ネガティブな妄想がもたらすストレスだ。
 妄想を切るヴィパッサナー瞑想は心に静けさをもたらし、副交感神経を優位にし、免疫系を賦活するだろう・・・。
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5月22日
★わびしい孤独、物欲しそうな孤独、怒りに満ちた孤独、ひねくれた孤独、哀れな孤独・・・。
 悠然とした孤独、優しさも信頼も安心も十分に得てきた孤独、豊かな孤独、自己完結した孤独・・・。
 自らの中に顕わになる法(ダンマ)のみを拠りどころにした孤独・・・。
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5月20日
★妻と息子夫婦と孫娘が一瞬にして津波に呑まれ、ただ独り生き残ってしまった消防団の老人が泣き崩れた。
 20歳になった孫娘の親友が訪ねてくれたので笑顔で迎えたが、突然、抑えがたく激しく嗚咽した。
 9年の歳月が流れても、悲嘆は癒えないのだ。
 愛する者への執着が深ければ、孤独地獄は耐えがたく、豊かな孤独は至難の業・・・。
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5月18日
★30年も会わなかった知人が危篤と聞き、身内に同行し病院に見舞った。
 初対面の息子から、先ほど逝去した、死因は肝炎、と告げられた。
 集中治療室に横たわる遺体を前に、良き再生を祈り合掌した。
 帰途、去来する追憶イメージの実感が迫り、胸が熱くなった・・・。
 石のように微動だにしないデスマスクには、有無を言わさぬ完結性がある。
 さあ、次は、我が身だ、と身を引き締め、駅に向かって歩いた・・・。
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5月16日
★解脱した聖者でも、業が帰結する力に抗うことはできない。
 2度刺客から逃れた目連尊者も3度目は凶刃に倒れ、ブッダも怪我をしたり罵詈雑言を浴びせられた。
 病むのも死ぬのも、因縁があれば必ずそうなってしまうのが業の異熟(現象化)だ。
 因果論を心得て、起きたことは受け容れるしかないと腹を括る。
 なすべきことをなし、慌てず騒がず、瞑想する・・・。
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5月14日
★日暮里の瞑想会場は換気しやすい風通しのよい立地だが、トイレの引戸やドアノブを殺菌し、発話量の多いインストラクターはマウスシールドの上にフェイスシールドを付けて飛沫を止めている。
 不安を煽り立てる報道や妄想に反応せず、野生動物のように、ただ事実に向き合う練習・・・。
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5月12日
★新型コロナウイルス騒ぎで、日本中がパニックの1年だった。
 2020年12月21日までの約1年間、コロナウイルスによる死者数は2,964人。
 2018年度のインフルエンザ死者数は3325人、2019年1月には1ヶ月に1685人が死んでいる。
 どちらもウイルスなのに、なぜコロナよりも恐ろしいインフルエンザでは大騒ぎしないのか。
 余計な妄想を止めれば、常に事実があるだけだ。
 何が起きようと、引き受けていく覚悟。
 その不動心のために瞑想する・・・。
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5月10日
★自らの重さで倒れていく体に、自然に足が出る忍者歩きは、体の意向に添い遂げようとして心が空っぽになっていくかのようだ。
 そう気づくと、これまで意志と集中力の力業で、強引に心身一如を達成させていたエゴの臭みが浮かび上がってきた。
 起きたことは全て受け容れて、空っぽになっていく道・・・。
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5月8日
★忍者歩きが鮮烈だったのは、立て、歩け、と身体に命じている自由意志が無くなったかのような印象だ。
 心身一如を目指して奮闘したのではない。
 自らの意志で勝手に歩いていく身体の中に、心が融け込んで吸収されたかのような心地よさがあった。
 やがて冷気や風圧や街路樹など、外界の環境との一体感がやさしく訪れてきた・・・。
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5月6日
★忍者歩きには、体が勝手に歩くような受身の印象がある。
 重心が前に移動し、体が前に傾くと、自然に足が前に出る。
 腕は固定し、右の体がグラリと前に傾けば、その重心を支えるように右足が前に出る・・。
 こちらは何もせず、体重が移動する流れに足がひとりでに伴っていくのを淡々と感じていく歩行瞑想・・・。
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5月4日
★甲賀流の忍者歩きを練習しながら約1時間、夜の歩行瞑想をしている。
 日本古来の歩行法「ナンバ歩き」と似ている。
 手足をクロスさせる西洋式と異なり、右足と右半身、左足と左半身が並行する。
 新しい技法の習得が新鮮で、体感の推移に集中する身随観の純度が高くなった・・・。
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5月2日
★私がヴィパッサナー瞑想に出会うことができたのは、原始仏教を日本に根付かせる活動をしてきた上座仏教修道会の設立者竹田さんとの御縁からだった。
 東日本大震災で損傷した跡地に仏塔・瞑想堂・僧房を建設する資金に難儀していると耳にし、貧者の一灯をお布施した。
 戒壇と仏塔建立のプロジェクトは、その後順調に進捗していると耳にする・・・。
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4月30日
★古代ローマの寛容(クレメンティア)は、カエサルの度量の大きさと当時の民度の高さに由来する。
 恭順を誓った敵を赦し、相手の言語も宗教も慣習も容認し、一方的な支配や価値観を押しつけず、失敗を許し、言論の自由を保障し、批判本の発行まで黙認した。
 利己的な邪悪さがはびこるのには何の努力も要らない。
 寛容という高度なメンタリティーが維持しきれなくなった古代ローマは衰微し、やがて滅亡していく・・・。
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4月28日
★異物(非自己)である食物が免疫によって排除されないのは、消化のプロセスで分解され、希釈され、微量になるからだ。
 軍団が解体されれば無力化されるので、バラされた兵卒は排除せずに取り込み、同化させて利用することもできる。
 だが、非自己の異物全体を丸ごと受け容れるほど寛容になれば、こちらの自己同一性が危うくなる・・・。
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4月26日
★豚肉やセロリや牡蠣や卵などの異物を日々取り込み、消化し、同化しなければ生きていけない。
 一方、異物である非自己を徹底的に排除しなければ、自己同一性が崩壊し、生存が保てない。
 だが、意外なことに、自己が非自己を排除する免疫のシステムには、「寛容」の本質も組み込まれていた・・・。
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4月24日
★異物の排除が激化すれば、自分を攻撃する自己免疫疾患に陥るかもしれない。
 ヴィパッサナー瞑想の特長は、全てを受け容れる心が成長することだ。
 どんなことも一旦受容しないと、物事をありのままに観られないからだ。
 起こるべくし起きたことは、その因縁の流れに従い、全て受け切っていくと覚悟する・・・。
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4月22日
★人混みや三密を避けても、仕事帰りの家族から感染するかもしれない。
 完全抗菌など不可能だから、免疫システムが進化したのだ。
 食事と睡眠に気をつけ、運動と風呂で体温を上げ、瞑想をして不安やストレスを一掃し、心に安らぎと静けさがみなぎれば、免疫力は最高に高まるだろう・・・。
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4月20日
★新型ウイルスの感染であれ怪我や事故であれ、身体に苦受を受けた瞬間、殺生戒系の不善業が一つ消えていく・・・。
 ありがたいではないか。
 風評に踊らされ、不安や恐怖の妄想に怯えれば、ストレスホルモンが分泌して免疫力が低下するだけだ。
 いかなる時にも瞑想し、心静かに、腹を括っておく覚悟・・・。
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4月18日
★快いものを貪り求め執着する本能を、自然搭載して生まれてくるのが生命だ。
 一方、胎児の手指や幼児期の脳神経細胞、免疫細胞の9割には、次々とアポトーシス(プログラムされた細胞死)が起き、生命の最適化が計られる。
 貪り求めるのも(足し算)、手放すのも(引き算)、どちらも根源的な生命のシステム・・・。
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4月16日
★欲望と欲望が力で淘汰される生命の世界で、その欲望を自ら抑止する脳が搭載されたのは、群れを作る必然に由来したのだろう。
 個体の欲望と怒りを制限するシステムがなければ、狼もゴリラも人類も群れの統制が取れなくなる。
 煩悩の脳も、貪瞋痴を引き算する脳も、生命の本質に根差している・・・。
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4月14日
★快を貪り求め、多く所有するほど幸福度が上がると考える足し算の幸福原理は、何がなんでも生存し増殖しようとする生命の本質かもしれない。
 だが、地球の資源にも人類の異常増殖にも上限がある。
 仏教が提示してきた、欲望とエゴの引き算がもたらす静けさと優しさの価値を学ぶ時が来ている・・・。
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4月12日
★歩行感覚の一点のみに集中するのは、シンプルな構造ゆえに初心者でもサティを持続しやすい。
 思考の流れや朗読の意味を客観視する仕事は、内容に反応し食いついた瞬間、次の概念やイメージが団子状に連鎖し、サティの瞑想は崩れる。
 テキストの最初の意味だけを理解し、後続の連想を断ち続けられるだろうか・・・。
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4月10日
★不意に、テキストの朗読が終わった。
 次の瞬間、歩行する足以外の背筋の感覚や体幹のブレの有無、遠くで聞こえる車の走行音、思考の流れ・・がどっと押し寄せてきた。
 なるほど。
 意味を理解するプロセスにサティを入れる。
 この際どい仕事に注がれていた注意が、一気に振り分けられてきたか・・・。
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4月8日
★ヴィパッサナー瞑想を始めた当初から、なぜか意識の流れや思考の展開が詳細に気づかれた。
 眼耳鼻舌身の情報に必ず伴っている微かな連想にもサティが入った。
 今回、思考や連想に気づくのも、朗読の意味を理解する一瞬一瞬にサティを入れるのも、ほぼ同じであることが検証された。
 聴読しながらサティは可能・・・。
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4月6日
★毎夜、速歩で歩きながら、六門開放型のサティを入れるのだが、聴読をしながらサティの瞑想が可能か訝ったのだ。
 「聴読」とは、文書や電子書籍をアイポッドの朗読で耳から読むことだ。
 歩行感覚に機械的なラベリングをするのは容易だが、言葉の意味を理解するプロセスに気づき(サティ)を入れるのは至難の業だ・・・。
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4月4日
★ミャンマーの森林僧院では、ミャンマー語のダンマトークと英語の通訳が数分おきに繰り返された。
 ミャンマー語の間はサティを入れ続けたが、英語は内容の理解に徹した。
 言葉の意味を理解しながらサティは入らないと思っていたが、本当はどうだったのか。
 歩く瞑想をしながら検証してみた・・・。
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4月2日
★歴史を学び、夢と希望に向かう人もいるし、トラウマに苦しみ、将来不安の妄想で自滅する人もいる。
 想像力を持たないチンパンジーは、「今、ここ」だけに心を使いきり、過去を恨まず、未来に絶望することもない。
 妄想を止め、サルの脳で経験し、ヒトの脳でラベリングするヴィパッサナー瞑想・・・。
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3月31日
★執着すれば人生が苦しくなる渇愛の構造。
 だから「この世のことは泡の如く、陽炎の如く視よ・・」とブッダは言う。
 そうは言われても、では、そのようにと、できないのが我々凡夫だ。
 だから、不幸は儲かるよ、幸福はすり減るよ、と因果論を腹に落とし込み、苦楽を等価に観る捨の心を養うのだ。
 業の結果に一喜一憂する世界に飽きれば、悟りたくなるだろう・・・。
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3月29日
★うるさい、臭い、痛い、損した、と苦受を受ける一瞬一瞬ごとに現象化した不善業が消えていく・・。
 楽しい、美味しい、儲かった、やったぜ!と楽受が続く幸福の日々の実状は、徳のポイントが恐ろしい勢いで費消されているのだ。
 因果が織り成す業の世界では、不幸は負債の返済、幸福は貯金の切り崩し・・・。
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3月27日
★「私」の拠りどころは、そのへんのお母ちゃんではなく、完全無欠の絶対的存在だぞ。
 この「安全基地」効果は絶大だ。
 が、しかし、「私」の究極の拠りどころが侮辱されれば、敵を殲滅するまで戦い抜くし、ミッションを与えられれば何だってやるだろう。
 人のマインドの構造を心得て、<大義>を操作してるのは誰・・・?
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3月25日
★事実であれ思い込みであれ、親から十分に愛されなかった不満と寂しさがあれば、絶対的な母性を求めずにはいられない。
 聖母マリアや阿弥陀仏の共同幻想が形成され、民族や国家を超えて共有されていった所以だろう。
 三宝の加護を祈る心にも、その要因があるのかもしれない。
 情緒的拠りどころが、心の安全基地になる・・・。
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3月23日
★人が求めてやまないものには、段階がある。
@水が飲め、物が食べられ、息が吸え、眠れる。
A安心安全が持続する。
B帰属する祖国、仲間、家族、居場所がある。
C承認される。重んじられる。敬われる。
D夢を叶え、理想を実現し、才能と可能性を最大に花開かせる。
E因果に縛られて変滅する繰り返しから解脱する・・・。
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3月21日
★町のパン屋のおじさんは「ご飯を食べて、働いて、安心して眠れ、普通に暮らしていける。それが幸せじゃないの」
 「自由に物が言え、健康で、笑顔で、皆が仲が良いこと」を付け加える人。
 何も求めなければ、ガツガツしないし、失望しないし、人と比べなくなるし、心が静かになるよ、と言う人・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月19日
★自分の存在を否定され、誰からも認めてもらえなかったら、生きていけるだろうか。
 人は、仕事をして褒められ、人の役に立ち、人に必要とされるから幸せを感じることができる。
 ・・との理念から、知的障害者を全従業員の7割も雇用している会社がある。
 幸福の原点は、基本的自尊感情と自己有用感・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

3月17日
★子豚を連想させる若い女性が、鉄板焼のハンバーグを仲よく食べながら、幸せそうにコロコロ笑い合っていた。
 @美味しく食べられる。
 Aよく眠れる。
 B人と心が通じ合う。
 虐待で傷ついた人達にとっては、これが幸福の定義だという。
 3つとも備えていながら「不満足性」という名のドゥッカに苦しむ普通の人達・・・。
 失ってみて、初めて掛けがえのなさに気づくものばかりだ。
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3月15日
★もし過去の記憶がゼロになれば、自分が誰なのか、どんな人生だったのか、全て空っぽの透明人間になってしまうだろう。
 記憶こそが人生そのものなのに、想起されるたびに都合よく事実が書き換えられ、修正され、物語になっていく・・・。
 早稲田の街角は暗い青春の象徴だったのに、50年の歳月が流れる間にセピア色から金色に輝く記憶に変質していた。
 圧倒的に美しい記憶の世界が「真実?」となり、どこにでもあるコンビニの増えた現実の早稲田がフェイクになっていく・・・。
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3月13日
★50年の歳月が流れ、早稲田の街は一変し、鮮かな青春の記憶世界と夕闇が迫る現実の街角が重なった・・・。
 自ら堕落を目指す混沌の中にいた当時の一瞬一瞬も、誤解と錯覚だらけだったのだ。
 真実が見失われていく泥沼の中で、事象をありのままに「如実智見」する瞑想に一縷の望みを託すしかない・・
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3月11日
★エゴの殻に閉じこもって生きてきた者同士が、本気で人を好きになり、自他の統合が幻想される瞬間があるかもしれない・・・。
 1+1が2ではなく一つのエゴとなり、さらに子が生まれて複数の家族が一つになって自我防衛を始めるまで・・・。
 自分→家族→国家→神→と肥大するエゴ妄想・・。
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3月9日
★黒船が現れ外敵の脅威が迫るまで、「日本」という妄想は共有されなかった。
 インドネシアの島々が「国家」という共同幻想で統一されたのは、オランダの苛烈極まる植民地支配が引き金だった。
 ワガママ放題の幼い暴君が、幼稚園で同じ穴のムジナと衝突して、エゴ妄想とエゴ妄想の激突する現実に気づき始める・・・。
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3月7日
★徴兵令が布かれた明治22年、徴兵忌避者がなんと9割以上。
 「日本」や「国家」という妄想に殉じて死ねる民はわずか数%だった。
 だが、共同幻想を徹底教育して半世紀、特攻隊の若者が機体もろとも次々と自爆していった。
 妄想に生き、妄想に死す人類・・・。
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3月5日
★未来の夢だけではない。
 失恋の痛手も、出産の激痛も、どんなに苦しかった記憶も、やがて風化し、美化されていく。
 記憶を書き換え、甘美な未来を夢想させ、苦しい現実を誤認させる妄想が充満した人類の脳。
 果てしない輪廻の流れを永遠に続けさせる無明の力・・・。
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3月3日
★妄想する能力を得た人類は、甘く美しい未来を夢見ることによって、苦しい現実に耐え抜こうとしたのだろう。
 美しい夕陽の大隈候銅像は、受験勉強のヤル気に火を点け、合格に導いてくれた。
 そして入学後に、夢と現実のギャップに打ちのめされ、苦と渇愛の構造を学んでいく発端となった・・・。
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2月25日
★早稲田に所用があったついでに、近くの母校を50年ぶりに再訪した。
 文学部は激変していたが、大隈侯の銅像と時計台は往時のままだった。
 受験の下見に初めて訪れた高3の冬の夕方、真っ赤な夕陽を背景に、黒々と浮かび上がった銅像のシルエットが鮮烈に心に焼き付いた。
 そのイメージが、瞑想に人生を捧げる発端になるとは知る由もなかった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2月23日
★「法を拠りどころとし、他を拠りどころとするな」
 ブッダが生涯の最後に説かれた遺訓である。
 だが、法を拠りどころとせず、個人を崇拝し拠りどころとしてしまうのが世の常だ。
 思わぬ人の口から、正しく法が説かれている瞬間にハッとすることもある。
 山川草木の中に法を視る者もいる・・・。
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2月21日
★暮れも正月も、人間が妄想を共有しているだけで、法として存在している訳ではない。
 時ならぬ梵鐘の音に八王子の裏山の狸が目を開いたかもしれないが、『除夜の鐘か・・』とは思わない。
 「音」とサティを入れた人間に近いだろう。
 宇宙にはいつだって、ただの事実が存在しているだけなのだ。
 事実に苦しむのは致し方ないが、誤った認知と勝手な妄想で苦しむのは愚かしい。
 法と概念を仕分け、あるがままに観る瞑想を修行する所以・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月19日
★人生が上手くいかないので、現実逃避のツールとして、瞑想にのめり込む人達も少なくない。
 集中力のあるタイプは、抑圧する力にも恵まれているので、ますますサマーディに溺れ込む。
 そんな瞑想は「現世の楽住」に過ぎない。
 煩悩を一つづつシラミ潰しにせよ、とブッダは言う・・・。(『削減経』)
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月17日
★速歩の瞑想が刻々と脳を活性化していくのは、多角的な脳の使い方をするからだろう。
 全身の体感と六門の情報に細心の注意を払い、速度と姿勢保持と一直線上の歩行を強く意識しながら、身と心と環境を俯瞰するサティ・・・。
 アクセルが踏まれ、脳の処理速度が高速化していくプロセスが快感だ・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月15日
★誰にも会わない夜道をスピーディーに歩きながら、毎日約1時間、速歩の瞑想をする。
 MBTの靴を履き、背筋を真っ直ぐに立て、体重を膝の真上に乗せて踵から足の親指に力点を移動させる。
 一直線に正確に足を出し、体幹がブレないように細心の注意を払い、六門開放型のサティを入れ続ける・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月13日
★瞑想対象に集中しようと必死になっていると、なぜか力んでいる自分の姿が俯瞰され、ハッと我に返ることがある。
 サティが本来の機能を取り戻した瞬間だ。
 集中にこだわり、ガチガチだった全身からフッと力が脱け、やわらかく緩んでいく。
 この脱力の瞬間を「軽安」という・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月11日
★認識が確定すると、心は次の瞬間に注意を向ける。
 ガチャン!
 @「音」、A「(割れた)イメージ」、B「驚いた」とラベリング。
 @中心対象の感覚に戻るのか、A花瓶を壊した連想に反応するか、B驚いた自分に違和感を持つか。
 一瞬の経験とその認識が、次の瞬間の反応に影響を及ぼす構造・・・。
………………………………………………………………………………………………………………

 

2月9日
★一瞬の経験が正確に表現されていないラベリングは、粗雑で、曖昧で、もどかしく感じられる。
 だが、直感的な経験をイメージとして積み重ねていくだけでは、動物達と同じではないか。
 言語化されるプロセスで経験に意味が付与され、事象の本質が顕わになるのか。
 本質が直観された直後に、ラベリングの言葉が浮かぶのか。
 完全に同時か・・・。
 各自の修行現場で検証してください。
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2月7日
★法としての事象がありのままに知覚されても、ゴキブリに悟りの智慧は生じない。
 危険か餌かに機械的に反応する単純なプログラムでは、事象の本質が洞察されることも、煩悩が全捨てされる衝撃の体験にもなり得ないからだ。
 一瞬の経験が、どう認識されたか・・・。
 同じ音、同じ匂いを感じた瞬間、凡夫のラベリングと聖者のラベリングが同じだろうとは思えない・・・。
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2月5日
★ラベリングなしのサティでも、現在の瞬間に気づくことができる。
 一瞬でも言語脳を使うと、集中を高める仕事がやりづらいと感じる人も少なくない。
 身体感覚への気づきはそれでも良いが、微妙な心の動きや意識の流れになると、ラベリング無しのサティでは認知が曖昧になり洞察智が生じにくい・・・。
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2月3日
★ヴィパッサナー瞑想は、エゴの妄想に毒された人類のための技法だ。
 事実をありのままに知覚するだけなら、ゴキブリも金魚も普通にやっている。
 妄想を排除して知覚した瞬間、どのようにラベリングされ認識されるかが問題だ。
 ガチャン!
 「音」か、「(割れた)イメージ」か、「驚いた」か・・・。
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2月1日
★速歩の歩行瞑想をしながら夜道を歩いていると、突然高笑いが耳に入り、反射的に「聴覚」とサティが入った。
 自分が嘲笑されたのか・・・という印象が形成されかかったが、強引に断ち切られたと感じた。
 ラベリングの言葉は概念だが、それ故に、心に生じようとする概念を消し去る「対消滅」の威力がある・・・。
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1月30日
★苦受を受け楽受を感じているのはこの「私」だ・・・という印象は、エゴ妄想に過ぎない。
なるほど、「私」が苦しいのではなく、苦の事実があるだけか。
 でも・・・、だから、どうだというのだ。
 業の結果を受けた瞬間、否応なく反応して新たな業を作り続ける輪廻の流れを、これからも永遠に続けるのか・・・。
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1月28日
★自分がこれまでに犯してきた罪業の数々、激怒した瞬間、暗愚な思考・・・その全てが形成した業を思えば、地獄行きだろう。
 心から人のために力を尽し祈りを捧げ、寺に布施をし、懸命に瞑想した一瞬一瞬の業は、天界への再生に通じるかもしれない。
 地獄も、餓鬼も、畜生も、修羅も、人間も、天も・・、もう、因果に縛られた業の世界は、うんざりだ・・・。
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1月26日
★原始仏教の悟りとは、無限に続く生存の流れに終止符を打ち、輪廻から解脱することである。
 もし輪廻転生が無かったら、ブッダは滑稽な馬鹿者になり、仏教は成り立たなくなる。
 いや、そうでもないか。
 輪廻があっても無くても、煩悩を引き算していく人生は、苦しみが減少されていく構造・・・。
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1月24日
★若い頃は自分の才能が信じられず、不安と自惚れの日々を繰り返すものだ。
 やがて歳月が流れ、ありのままの己の力量と今世でやれることの限界が見えてくる。
 まあ、仕方があるまい。
 自分の宿業が定めた器なのだから、最期の瞬間まで全力を尽くし、来世に繋ぐしかない、と考える輪廻転生論・・・。
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1月22日
★感謝すべき楽受の日々よりも、苦しかった時期に多くの深い学びを得てきた。
 楽しいのも苦しいのも、どちらも等しくありがたいことだが、しょせん事実をそのように認識しただけのことではないか。
 常に脳内フェイクを生きてきた私も、人には真実は見られないのだ、とこの歳になり腹に落ち、心に沁みてくる・・・。
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1月20日
★真実であってもフェイクであっても、過ぎ去ってしまえば夢のようだ。
 信頼の絆で結ばれていた掛けがえのない人も死に、毒々しい嫌悪の念を向けてきた人も死んだ。
 愛も信頼も尊敬も嫌悪も軽蔑も・・事実が歪曲されて編集されたエゴの脳内劇場。
 もう猿芝居を止めたいのだが、幕が下せず立ち尽くす日々・・・。
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1月18日
★人生が思い通りにならないのは、自分が作った膨大な業が否応のない力で現象化し、日々展開してくるからである。
 簡単に変えられるものもあるが、ごくわずかだろう。
 それ故に、嫌なことでも起きたことはそれで良しとし、心汚さず、流れに身をまかせて認知を変えることができれば苦は減少する・・・。
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1月16日
★大嫌いな人、かけがえのない家族、無二の親友・・がいるのだろうか。
 激怒したり、安らぎを覚えたり、癒された一瞬一瞬に作られた過去の業が、その日その瞬間の経験事象として帰結しているだけではないか。
 揺るぎない絆や犬猿の仲があるのではない。
 業が生滅する束の間の事象の流れがあるだけ・・・。
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1月14日
★自分が何をやってきたのか、何を話し、どんなことを考えてきたのか、自分の人生そのものだった経験事象が朧になり、やがて忘れ去られていく・・・。
 のみならず、心に焼き付いたはずの記憶が修正され、リメイクされ、事実とかけ離れた妄想のドラマに変容し、エゴの脳内劇場で再演されていないか・・・。
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1月12日
★肉眼で見た世界は、写真のようなフレームも構図も何もない空間の拡がりに過ぎない。
 視覚を最初に直撃したものが、「乱反射する夕陽」「湖面にさざ波を刻んでいく風」と認識された瞬間、概念化されてしまう。
 写真の美しい色や輝きが一度心に焼き付くと、事実は消え失せフェイクしか残らない・・・。

 

 

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1月10日
★日が暮れかかった頃、近隣の沼の畔を散策した。
 何の変哲もない水面が夕陽に照り映え、異様な輝きを帯びて、刻一刻と化けていく・・・。
 あるがままの法としての存在は見難く、脳内フェイクの印象に執着し、最期までダマされ、空かされ、誑かされながら、また死んでいくのか・・・。

 

 

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1月8日
★先天的聾あ者が7歳で手話を覚えるまで、過去も未来もない今の瞬間だけに生きていたと証言している。
 言語がなければ時間は発生しないし、記憶を司る海馬が損傷しても時の後先が失われる。
 あるがままの法の世界に生きている動物達に知恵は生じず、言葉と時間の感覚を得た人類は妄想の底なし沼から出られない・・・。
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1月6日
★あの論理的なドイツ国民が、ナチスの愚劣な幻想を熱狂的に共有していた時代もある。
 夫婦喧嘩をする人もしない人も、百人いれば百人の妄想世界。
 自分は自分のエゴワールドに住しているに過ぎない、と気づけなければ、他人を非難し断罪したくなってくる。
 人には真実は見られないのだ、と心得ておく・・・。
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1月4日
★夫婦喧嘩をしているという妻の話を聞くと、とんでもない夫だと同情する。
 次に夫の言い分を聞くと、え、あの人そこまで自己チューなのか・・と驚く。
 物事を認知する瞬間、<選択的注意>が働いて情報の取捨選択がなされていることに気づかない。
 エゴワールドが自動的に形成されていく構造
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1月2日
★原始仏教の要である四聖諦は、苦の現実、その原因、超克された境地、その最終点に達する8つの道である。
 なぜ苦しくなるかを心得る第二命題は、因果論を正しく理解することだ。
 だが、因果論を学び業論を肝に銘じても、こと自分の問題になるとその理解がブッ飛んでしまう。 
 エゴ妄想に圧倒されてしまうからだ。
 自己中心的な生存欲に端を発する我執から目覚める瞑想・・・。
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12月31日
★静かで快適ならサマーディを高め、うるさくて臭くて不快なら、その心をありのままに随観する。
 ・・・となれば、何が起きてもそれでよく、全てが受容されるのではないか。
 不快な現象を経験する瞬間、己の過去の不善業が消えていく、という発想も「起きたことは全て正しい」の警句を納得させる・・・。
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12月29日
★サマーディを目指す瞑想では静寂が、煩悩の滅尽を目指す瞑想では不快な情況が、修行を進ませる。
 お粗末な心を自覚するサティの瞑想→腐った心を浄化する反応系の瞑想→対象と融合し一つになるサマタ瞑想→両者が連動し究極の瞬間に触れるヴィパッサナー瞑想→解脱したと自覚する瞑想・・・の流れ。
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12月27日
★寺を訪ねてくる人を拒む訳にはいかないが、本気で瞑想し仏教を学ぼうとする人を歓迎したいのがアチャンの本音である。
 神社仏閣巡りの来訪者が増えれば、聖域が穢れるのは避けがたい。
 瞑想の静寂が、キノコ狩りの村人に破られたこともあった。
 山と谷、仙人と俗人の間にあるべき寺・・・。

 

 


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12月25日
★グリーンヒルで4年間修行し、森林僧院で出家した若者のクーティには古い岩屋のような風情があった。
 私のクーティには歩行瞑想ができるだけの広さがあり、寝室もあった。
 夜は、ロウソクに火を灯し、香を焚き、静寂の闇の中に浮かび上がる仏の前で懺悔の瞑想をし、長い座禅に入った・・・。

 

 

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12月23日
★法話も面接もない完全に孤独なリトリートだった。
 毎朝、食堂の末席で一日分の食事をピントーに詰め、森の小道を歩いて独房に戻る。
 目を開けば、風にそよぐ樹々、木洩れ陽、静かに降り注ぐ雨・・・。 
 目を閉じれば、妄想にサティを入れ、瞑想と死闘を繰り広げていた苛酷で、至福の日々・・・。

 

 

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12月21日
★この寺が創建された最初の本堂は、壁すらない茅葺の吹きさらしだった。
 華麗なる白亜の堂との何という対比!
 華美な装飾はおろか、形あるものの無常を突きつけるかのように、引き算の極致とも言うべき仏教の真髄が暗示されていると息を呑んだ。
 わずかに雨露をしのぐだけの屋根の下に独り輝く黄金仏・・・。

 


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12月19日
★貧しい山岳民族が支える森林僧院に、なぜこんな布薩堂が聳えているのか異様な感じがした。
 聞けば、バンコックの富豪がサラリと布施をして奉納したのだという。
 圧倒的な白亜の堂の威容は、創建以来の本堂の佇まいとあまりにも対照的な対をなしていた・・・。

 

 

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12月17日
★思いがけず懺悔の修行に力を尽くすことになったリトリートが終わり、「月刊サティ!」の写真を撮影するために山内を歩いた。
 別住の比丘が独り読経する堂に夕暮れが迫り、暗雲を背景に尖塔が黒ずんでいく。
 懺悔の行のために遥かスリランカから来訪していたと知り、因縁というか不思議な暗合を感じた・・・。

 

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12月15日
★重大な戒律を犯した比丘は謹慎処分にされ、経典読誦などの諸行事に同席が許されない。
 比丘衆に罪を告白し、「別住」と呼ばれる厳密な懺悔の行に入るのだ。
 慢の煩悩を痛切に自覚し、わざわざその行のためにスリランカから森林僧院に止宿した比丘。
 独り夕暮れの堂で経を誦している姿が尊くも美しく焼き付いた・・・。

 


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12月13日
★原始仏教の本質は「世の流れに逆らう」。
 所詮、世俗の事柄は共同幻想であり、ヴィパッサナー瞑想はその概念世界を超越した出世間を目指す。
 世間虚仮、唯仏是真・・・。
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12月11日
★若い頃は、人はどのようにでも自己変革できるし、望んだ通りの人生になっていくと信じていた。
 「どのような宿業も、新業によって乗り超えよ」というブッダの言葉も心に響いた。
 劇的に変わるのは表層の心だけで、人の本心や人格はほとんど変わらないのが実情でも、断固たる決意を来世に繋ぐ・・
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12月9日
★誰もが、真の解放を求めている訳ではない。
 人生最大の悩みから一応逃げ出せれば、68点ぐらいの人生でも良しとする。
 それも見識であり、生き方だ。
 完全に息の根を止めて終りにするには、エネルギーと、覚悟と、諸力に助けられる因縁の流れを見定めなければならない。
 来世もある・・・。
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12月7日
★一点に集中しきることは、他の対象を除外することだ。
 黒いもの、目を背けたいもの、思い出したくないものが深刻なほど、今の瞬間にのめり込みたくなる。
 直視すべき現実から逃避する人がいる。
 きちんと向き合って終わりにすべき過去から逃げ続ける人もいる・・・。
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12月5日
★集中力を高めるだけなら、方法はいくらでもある。
 汚い心にも、サマーディは生起する・・。
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12月3日
★痛切な懺悔の瞑想をしたところで、消息の知れない相手には知る由もない。
 たとえ赦すと言われても、不善業が消える訳でもない。
 非があり、過誤があり、愚かだったことを認め、ただただひれ伏してお詫びできるか否か。
 その程度に比例して、エゴが手放され、認識革命が起き得るだろうという修行・・・。
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12月1日
★ハイレベルの瞑想が進行しているのに、懺悔の瞑想などをすれば、厳密に遠ざけていた概念世界にどっぷり浸かってしまう。
 サティの持続に大きな穴が開くのは苦痛だったが、この順番は崩せなかった。
 瞑想の土台である反応系の心が腐っているのに、究極の瞬間が訪れる訳がなかったのだ・・・。
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11月29日
★真っ黒い自分を精査する意識モードに変わると、懺悔すべき事柄が止めどなく噴き出てきた。
 巧妙に自己正当化してきたことでも、そのプロセスを省察すれば不善心に満ちていた。
 たとえ最終的に自分は間違っていなかったと結論づけられたとしても、そのプロセスでどす黒い悪心が生じた瞬間に不善業が作られているのだ。
 渾身の力で、涙ながらの懺悔の瞑想に没頭した・・・。
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11月27日
★偉そうに人に説教しながら、自身は身を投げ出して真の懺悔の瞑想ができていなかった。
 その抑圧してきた心の闇に光が射し込むや、解脱の修行を破壊されたであろうお方に、初めて心底からお詫びし涙ながらの懺悔が発露した。
 ひとたび自己正当化が崩れると、次々と懺悔すべき方々が脳裏に浮かんできた・・・。
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11月25日
★どれほどの悪業でも、苦に耐え抜いていけば、終わりになる日が来るだろう。
 蒔いた種を刈り取れば、因果のエネルギーが帰結して悪業が消滅する理論だ。
 だが、苦の現象は無くなっても、真の懺悔を拒んでいる腐ったエゴはそのまま変わらないではないか。
 謝れば、命を懸けて修行してきた全ての過去が崩れ去ると思った愚かさなのか、自分を支えてきた拠りどころを手放しきれなかった・・・。
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11月23日
★なぜそんな破壊的なことが繰り返されるのか、因果応報の理解を徹底させた。
 どれほど辛くても逆ギレせず、受け切る覚悟も揺るがなかった。
 そんな悪業を作った自分の愚かさを深く反省もした。
 だが、被害者の受けた苦を思いやり、心からお詫びするのをどこかで拒んでいたことに愕然とした・・・。
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11月21日
★懺悔の瞑想は、心の腐った者にはできない。
 腐った心とは、自己中心的で、愚かで、傲慢な精神だ。
 苦痛の度合いと分量が増せば、余裕を失った心はより根源的な自己保存の欲動に振り回されてしまう。
 苦を与えられた被害者の心を思いやることができなかった私の心は、愚かで、我執が強く、無明に穢れていた・・・。
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11月19日
★瞑想に人生を懸けてきた者が、最高潮に達した稀有な瞬間を繰り返し破壊される苦痛・・・。
 過去世で解脱寸前だった誰かの修行を何度も破壊してきたからだ、と業の法則を論拠に、自分の苦を受け容れるだけで精一杯だった。
 修行を邪魔された瞬間の被害者の苦しみを忖度し、お詫びする発想が浮かばなかった・・・。
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11月17日
★そもそも私の瞑想修行は、懺悔の瞑想から始められた。
 懺悔の瞑想は、エゴ感覚を弱めネガティブな過去から解放されるのに不可欠な行法と心得てきた。
 これまでに何度も、涙ながらの懺悔を真剣に行なってきたのだ。
 それなのに、なぜ、かくも長きに渡って、当然やるべき修行がないがしろにされてきたのか・・・。
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11月15日
★なるほど、そうか・・・。
 突然、憑き物が落ちたように、己の愚かさと自己中心的な身勝手さが見えてきた。
 皮膚病になるのも修行が破壊されるのも、己の不善業の結果なのだから、ネガティブな反応は一切しないと定めてきた。
 だが、意識の矢印は自らの内省にのみ向けられていたことに気づいて愕然とした。
 過去世で私が犯したであろう悪業の被害者の側に立ち、心からお詫びし謝罪する発想が欠落していたのだ・・・。
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11月13日
★リトリートも終りに近づいたある日、これ以上はない最高の瞑想が展開していた時、まさにその瞬間に狙いを定めたように突然、耳と腕の3ヶ所に水疱が発症し、猛烈な痒みに襲われた・・・。
 その絶妙なタイミングに、天から鉄槌が下されたように感じた。
 まだ終わっていない何かがある・・・。
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11月11日
★毎回同じ皮膚病によって、絶好調の瞑想が破壊され妨害されるのがパターン化して久しい。
 不善業の結果であることは間違いないだろう。
 しかし今回は皮膚病の兆しが現れたものの立ち消えになり、何も処置することなく瞑想が続けられた。
 とうとう悪業も終息したかと喜んでいたのだが・・・。
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11月9日
★火傷の水泡のような皮膚病が顔や手足に発症する苦は、人に恥をかかせ名誉を傷つけた不善業の報いに相応しい。
 上座仏教の寺で瞑想修行に入ると必ずその苦を受けるのは、恐らく過去世にヴィパッサナー瞑想者を中傷誹謗してきたからだろう。
 自業自得と心得て淡々と受けきる覚悟を定めてきたが、盲点があった・・・。
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11月7日
★心の闇を直視しなければならない・・・と発想が変わった要因は2つある。
 必要条件を整える足し算に必死だったが、瞑想が頭打ちになるマイナス要因を引き算すべきだと気づいたこと。
 もう一つは、上座仏教の寺で瞑想修行に入ると必ず悩まされてきた皮膚病の新たな展開とその解釈だった・・・。
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11月5日
★もし心が完全に浄らかであれば、煩悩は滅尽されすでに解脱しているはずだろう。
 しかるにまだ悟りの仕事が完成していないということは、心が汚染されているということだ。
 ・・・と気づくや、PCのウイルス・チェックが開始されるように、一つ残らず穢れを洗い出そうと、意識が探索モードになった・・・。
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11月3日
★サティと智慧と定力が深まれば、もはや人為的にやれることは尽き、真摯に祈り、ただその一瞬を待つしかない。
 だが、最高の状態を懸命に繰り返しても、それ以上のことは何も起きなかった・・・。
 すると超越的な一瞬に絞り込まれていた矛先が、原因を突き止めようと心の内奥の闇に向けられていく・・・。
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11月1日
★強力なサマーディとキレキレのサティが連動してくると「触(パッサー)」に連続的なサティが入り始める。
 すると「見たものを見たままに止どめ、聞いたものを聞いたままに止どめ・・・」の奥義が修行の現場で顕わになり、道心(マッガ・チッタ:涅槃を直接体験する瞬間の心)が生じる一瞬を誓願して待つだけになる・・・。
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10月30日
★この世の一瞬一瞬の事象をいかに体験し認識するか。
 その瞬間的な結論がラベリングであり、ラベリングが変われば経験の意味が変容する。
 具体的な世俗の経験には、特化型ラベリングが適している。
 涅槃を待つ直前のサティは、対象と六門と意識がリンクする「触(パッサー)」に絞り込まれる・・・。
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10月28日
★具体的なラベリングはサティの切れ味を鋭くするが、速度感にブレーキをかける。
 ラベリングを簡略化し、一本化し、ラベリング無しにすると、瞑想は高速化するが、集中が落ちればサティそのものの輪郭がボケてくる。
 認知の瞬間の言語化を鋭くするのか、省略するのか、正反対の瞑想ファクターの矛盾を統合しながら、闇の彼方に向かう・・・。
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10月26日
★この時のサティのキレの良さと速度感は図抜けていたので、自分が雨になって樹々の葉を叩いているのか、地上に拡がった自分の意識の中に雨が降り注いでいるのか分からなくなった。
 対象に成りきった主客未分の状態では、経験する心と気づく心の2心が1心になる印象が鮮明化するのだと検証された・・・。
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10月24日
★雨安居のタイの森では、一日中雨が降ったり止んだりを繰り返している。
 その日は特に集中が高まり、異様なほど鮮明な雨音がワイドに拡がって1秒間に10数個の高速サティが駆けめぐった。
 パラパラと樹々の葉を打ち「ピチッ!」と水溜りに突き刺さる雨滴に成りきったような感覚が輝き出していた・・・。
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10月22日
★昔スリランカの山中で瞑想が深まった時、六門から情報が入った瞬間の心とそれに気づく心が完全に同時になり驚いた。
 経験する心と気づく心が一つになるのは理論上あり得ないのに、2心が1心になる不可思議な異次元感覚に感動しながら繰り返していた。
 その謎が、今回タイの森の中で解けた・・・。
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10月20日
★1ヶ月の間に、まず50時間の断食をして、1週間後に再び48時間の断食をした。
 今回の断食が死ぬほど苦しかったのは、終了後の復食を極端に減らし過ぎたからだった。
 だが、飢餓状態との戦いのような日々は、若い頃とまったく同じ瞑想感覚を甦らせた。
 余分な筋肉ゼロの体から、さらに5kg近い体重を失って帰国した・・・。
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10月18日
★瞑想にさしたる才能もない私のような者がサマーディを深めるには、意識を極限まで透明にしなければならなかった。
 修行時代に私が編み出したのは、断食や超少食で体をピカピカに澄み切らせて意識の透明度を上げることだった。
 今回の森の独房の修行でも、若い頃とまったく同じ条件を組み込んだのだ・・・。
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10月16日
★1ヶ月ぶりの原稿だ・・・。
 タイ北部の森林僧院で、孤独な瞑想修行の日々を送っていた。
 死に物狂いだった40年前とほぼ同じ修行感覚に戻ることができた。
 3年前、サティは進化し智慧も深まったが、定力が落ちたことにショックを受けた。
 今回かつての定力を取り戻すことができたのは、往時と同じ条件を組み込んだからだ・・・。
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10月14日
★これが最後の原稿になる。
 これから1ヵ月、もう書かないでよい。考えなくてよい。
 概念化されない直接知覚のダンマの世界を、言葉を脳内操作して表現する矛盾から束の間、解放される・・・。
 だが、それでも瞑想を始めるや否や、ダンマ妄想が執拗に襲来してくるだろうと覚悟している・・・。
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10月12日
★明後日タイから最後の原稿をアップすると、インターネットも音信も不通になる。
 往復の移動ひとつにしても、バンコックからの帰国の便が雷に襲われ、出発できなかったこともあった。
 何もかも予定通りに展開するなど奇跡のようだ。
 あらゆることが、究極の一瞬に向かって、神業のように美しく整い、成就する波羅蜜は蓄えられてきたか・・・。
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10月10日
★この欄も、あと2回でしばらく休載する。
 タイの森林僧院で瞑想修行に入ることにしたのだ。
 2019年7月22日成田発、8月21日帰国予定。
 体力も気力も残された今、私のやるべきことは、書くことでも、読むことでも、考えることでも、瞑想を教えることでもない。
 ただ、ひたすら瞑想に専念したい・・・。
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10月8日
★学問僧としてミャンマー屈指の指導者だったモッコク・サヤドウは、ある日、弟子も地位も何もかも捨てて修行の旅に出た。
 自分はまるで、自分が搾っている牛乳を飲んだことのない牛飼いのようだ・・・、と感じたのだという。
 仏教は学ぶものではなく、ダンマ(法)の実質に参入し、ダンマを体現し、ダンマと共に生きていくことだ・・・。
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10月6日
★やる気が出ない時は、仏教の本をひもとき、格調の高いダンマに触れて感動するとよい。
 ブッダや阿羅漢の聖者達の物語にも鼓舞されるだろう。
 合宿中に行き詰まった瞑想者が、仏像や偉大な比丘の画像と向き合っているうちに不思議に心が落ち着き、立ち直っていったケースも数知れない・・・。

 

 

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10月4日
★江戸時代の初期には、二人の兄の切腹を目の当たりにした8歳の少年が、作法通り見事に自刃して果てたという。(新渡戸稲造「武士道」)
 切腹は瞑想向きではないが、飛行機での墜落死は、最期の修行として魅惑的だ。
 数十秒後の確実な死に向かって、明晰な意識を保ちながら、死の瞬間までサティを入れて涅槃を目指す・・・。
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10月2日
★自ら命を絶った弟子について、「あれは修行であって、自殺ではない」とブッダはコメントしている。
 なるほど。自ら定めた最期に向かって修行するのも、ありなのか。
 終わりが決まれば、本気になれる。
 意のままに余力を残して走り切るペース配分が設計できる。
 老醜をさらさず、きれいな死に方を選ぶこともできるか・・・。
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9月30日
★火事場の馬鹿力を、意識的に出すことはできない。
 死んだ気になってがんばる決心をするのと、実際に死刑を宣告された瞬間が同じになる訳がない。
 ドゥッカ(苦)に叩かれ、本気で、リアルに追い詰められない限り、命懸けの修行ができない悲しさ・・・。
 あるいは入水し、あるいは剃刀で喉を切り、絶命していくギリギリの間際に解脱していった仏弟子達も少なくなかった・・・。
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9月28日
★自分の意志で選ぼうが、人から与えられたものだろうが、業の結果であれ、ただ流れでそうなったものであっても、ありのままに受け容れ、オモシロイと楽しんでしまえば、最高の人生になっていくだろう。
 全てを心から受け容れることができれば、何も願わない無願三昧と変わらず、エゴを無くす修行が成就したのも同然である・・・。
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9月26日
★老境に達したジャズピアニストが、今後の夢は?と訊かれた。
 「・・・将来の夢は、誰かが与えてくれるものです。自分の人生は、人が作ったものだと考えています。出会った人のお陰で、僕の一生があったのです・・・」
 己の宿業を引き受け、因縁の流れに従い、無我を体現した仏教徒のような答だと思った・・・。
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9月24日
★生き方も変わるし、考え方も変わっていくが、土壇場で露わになる本音の本心が根柢から変わるのは稀有なことだ。
 電光石火の速さで心のドミノをパタパタと倒していく「マナシカーラ」を、意識的にコントロールすることはできない。
 考える、行動する、瞑想する、生きる・・・、人生全体の総力戦でしか変わらない。
 完全に理解し、人生の現場で実践し、瞑想で検証し確立された「信」を貫き通すことができれば、いつの日か、エゴと本心が合致してくる・・・。
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9月22日
★泣け、と言われても、即座には泣けない。
 情動を司る脳は、意志を司る脳の直接支配を受けないからだ。
 だが、死にゆく母を想起すると、涙が溢れてくる。
 そのように、断固たる決意は、意志決定の脳内プロセスに影響を及ぼし、間接支配を可能にする。
 人には、悪を避け善をなす自由がある・・・。
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9月20日
★意志決定の瞬間に分け入ってみると、憤りがあり執着がありプライドがあり、仕事の義務感も、譲ることのできない信条もある。
 劣等感も、トラウマも、損得勘定も、本能の衝動も、遺伝子の命令もある。
 家族の恩愛と束縛、友人やSNSの思惑、その瞬間の体調、筋トレや瞑想の習慣、等々が及ぼしている影響・・・。
 一瞬の意志に、自由はあるのか・・・。
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9月18日
★人に自由意志はあるのか、という疑問は、リベットらの脳科学実験が巻き起こした。
 意志決定の0.5秒前、あるいは7秒前には一連の脳内活動が始まっていたのだ。
 一瞬の意志を形成したのは、諸々の環境要因と、膨大な脳内データと、直前の経験と、それをいかに認知したかの組み合わせではないか・・・。
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9月16日
★一瞬の間断もなく、眼耳鼻舌身意の対象が心に乱入してくる。
 対象と意識が接触して心が生まれる刹那を「触(パッサー)」と言う。
 自覚に上らないが、瞬間的に六門のどれか一つを選んで心を対象に押し付けているのだ。
 直前の経験をどう認識したかが、反射的に生じる次の「触」に決定的な影響を及ぼしている・・・。
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9月14日
★サティを入れた次の瞬間、六門からどの情報を取り、何をどのように経験するのかは、ラベリングによって大きく影響される。
 例えば、@「痛み」、A「感覚」、B「(痛みに対する)嫌悪」とラベリングしたとする。
 @は痛みの観察を続行し、Aは痛みを感覚の一つとして上位から観るだろうし、Bは、痛みに反応する心の観察を続けるだろう・・・。
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9月12日
★ラベリングには、大きく2つの役割がある。
 @は、その瞬間、自分に何が経験されたのか、認識を確定する仕事だ。
 同じものを見ても聞いても感じても、政治家と幼児とブルドッグでは、認知が異なるのだ。
 言葉がなければ、経験の意味が曖昧になる。
 色と形が視覚野に映じただけなら、人の認知もゴキブリも変わらない・・・。
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9月10日
★人は皆、自分の心の中に形成される認知ワールドを現実だと錯覚している。
 自分が正しいと思い込み、同じ幻想を共有し合った者が群れる世界構造ゆえに、「あるがまま」を観るヴィパッサナー瞑想が必要となった。
 一瞬の経験をどう認知し、解釈し、認識革命を起こすか。
 高度な認識確定の仕事には、ラベリングが必要不可欠・・・。
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9月8日
★サティの大事なポイントは、物事を客観的に観ることだ。
 人は自動的に、反射的に、自己中心的な視座から解釈し、判断し、嫌悪し、感動する。
 思考プロセスが働けば、エゴ感覚が生じてしまうのだ。
 思考を止めること、それが無理なら、どの瞬間にも自分の経験を対象化すること。
 サティの秘訣である・・・。
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9月6日
★終わりが見えれば、人は真剣になる。
 若過ぎれば道が定まらず、壮年期には手を広げ過ぎ、熟年では最期が遥かに感じられ、老衰すれば遅過ぎる。
 宿業に組み込まれた己の天命を知り、成すべきことに全てが絞り込まれていく人生の第4コーナー。
 事の是非は天にゆだね、「今」こそ花なるべし・・・。
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9月4日
★仕事も瞑想も人生も、最後の日と残された期間が明確になれば、エネルギーが集約され、余分なものが削ぎ落される。
 「〆切の力」なのか、「終末の自覚」と言うべきか。
 7月にタイの森林僧院で30日のリトリートに入る計画を立てた。
 フライトが確保できたら、途端に日常のサティが驚くほど入るようになった・・・。
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9月2日
★欲しい、欲しい!と頭の中を駆けめぐる妄想にサティを入れ、静かに見送ってやる。
 すると、いま在るもので充分やっていけるし、既に与えられているものが輝いて見えてくる。
 そんなもの無くても、生きてゆけるじゃないか・・・。
 満足してみると、自信が生まれ、人にも自分にも優しくなれる・・・。
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8月31日
★心に余裕があれば、ちょっと優しくなれる。
 優しい心になると、多少嫌なことも「ま、いいか」と受容的になれる。
 全てを受け容れていくと、物事を公平に、等価に観られる。
 すると、自分自身を客観視するきれいなサティが入る・・・。
 与えられたものに満足してみると、心に余裕が生まれる・・・
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8月29日
★この世から苦が無くなることはないし、理想郷や仏国土が到来することもない。
 心身に苦を受けた瞬間、嫌悪や怒りの反応が新たな不善業を自動的に形成してしまう生命システムだからだ。
 そこから解脱するシステムを知る者は少なく、実践する者はさらに少なく、達成するのは至難であっても、目指すしかない・・・。
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8月27日
★たとえ巧妙に自己正当化して罪悪感を抑圧しても、悪業を作るのは本音の本心である。
 よもや自分が、苦の種をばら蒔いていると気づかない。
 その無明ゆえに、激しい苦に叩かれても、なぜこんな目に遭うのだと怒り狂い、報復し、八つ当たりする。
 かくして、果てしなく積み上げていく悪業の山・・・。
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8月25日
★奪えば奪われる法則だが、対象も動機も心の状態も微妙に異なるので、業論は複雑になる。
 欲に駆られて奪い、復讐の悪意で奪い、金品を奪い、恋人を奪い、名誉を奪い、夢と希望を奪い、迷いためらいながら奪い、情け容赦なく奪う・・・。
 天に向かって唾を吐くように、蒔いた種を刈り取る法則・・・。
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8月23日
★五戒の2番目「与えられていないものを取らない」は、権利も根拠もないのに不当に奪うことだ。
 誰でも、後付けの大義名分や言い訳をして罪悪感から逃れようとする。
 だが、他人に苦しみを与えても己の利益を得ようとする意志(チェータナー)が業を形成し、未来の自分に同じ苦をもたらすのだと心得る・・・。
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8月21日
★大事なものを不当に奪われることもある。
 過去世で不当に奪った業があれば、必然の力でムシリ盗られるのだ。
 嫌悪や怒りで心を汚さず、相手に同じことが何倍にもなって起きるのを静かに見届けておく。
 過去世から集積されてきた同類の業が縁に触れ、まとめ払いのように噴き出るものだ。
 激しく打ちのめされる姿に「悲」の瞑想をしながら、悪因悪果の法則を心に焼き付けておく・・・。
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8月19日
★心を自ら律していくのが難しい時は、外部の力を使う。
 どんな狭い家でも、神聖な一角を作るべきである。
 気持ちが乱れていても、場の力、環境の及ぼす影響によりこちらの心が変わっていく。
 絵葉書の仏像ですら、目に入れば、注意がダンマに向かう。 
 一本の線香、一輪の花、法友の一言・・・。
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8月17日
★現状をありのままに受け入れて客観視していくのがサティの基本だが、執着したり失望したり、容易ではない。
 感心した事例を紹介する。
 「眠気」とサティを入れたが、何も変わらなかった。
 すかさず、「へえ、消えないんだ」とサティを入れた。
 その瞬間、完全に眠気が消えていた・・・という。
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8月15日
★眠いのも事実、「眠気」のラベリングも間違ってはいない。
 だが、ドンヨリした意識状態は何も変わらない・・・。
 おおむね当たりのサティと、対象の本質を正確に客観視したサティは違う。
 ボールの真っ芯をとらえたホームランと平凡な内野ゴロのように。
 「眠気」と「眠気に対する嫌悪」も違う・・・。
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8月13日
★一点集中型のサマタ瞑想にのめり込んで、現実逃避をする者もいる。
 サティの瞑想で思考を止め、現在の瞬間に釘づけになって過去から逃避する者もいる。
 トラウマやネガティブな記憶を抑圧し、問題のある過去から目を背ける手段として悪用される「気づき」!
 瞑想修行には、守るべき順番がある・・・。
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8月11日
★型どおり正しく踊っていても、凡庸な弟子の舞には、師匠のような花もなければ、肝心の心が表現されていない。
 そのように、本物のサティと、ただの技術的なサティには開きがある。
 たとえ怒りや嫉妬の現象が消えても、煩悩に汚れたその瞬間の自分自身に、心底から向き合っていたのか否か・・・。
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8月9日
★神という名のエゴとエゴが激突し、正義と正義が打倒し合うのが戦争の歴史だった。
 三宝帰依は仏法僧を拠りどころに生きていく覚悟であり、絶対的な神を拝むように信仰するものではない。
 尊いものにお辞儀をしてへりくだる心がエゴ感覚を弱め、ヴィパッサナー瞑想を進ませる一助になるだろうということ・・・
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8月7日
★不還果の聖者になっても「慢」の煩悩は残るという。
 自他の比較をするエゴ感覚は、阿羅漢になるまで根絶されないらしい。
 エゴがギラついていては瞑想にならないので、一時的に弱めるのに三宝帰依を活用するという発想だ。
 神仏への絶対的帰依を求める「信仰」になってしまうと、弊害も生じてくる・・・。
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8月5日
★妄想が止まらない時は、三宝帰依をしてから瞑想をするとよい。
 「愚かな私を赦してください。・・私の進むべき道を示してください」
 と謙虚に祈りを捧げると、暴れ回っていたエゴが鎮まり、おとなしくなってくるだろう。
 静かに客観視ができれば、瞑想も事の展開も良くなるものだ。
 感謝の念を忘れないこと・・・。
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8月3日
★大変な出来事に巻き込まれ混乱している時こそ、瞑想しなければならない。
 サティを入れ、妄想を止め、心をリセットすれば、自分を取り巻く客観的な情況が対象化されてくるものだ。
 たとえ乏しい知識と未熟な経験値であっても、心が静かになれば、何を捨て、何を守りきればよいのか見えてくる・・・。
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8月1日
★瞑想をすれば、心が変わり、生活態度も、人生の流れも、幸福度も変わるだろう。
 だが、深層の心は変容しづらく、「三つ子の魂百まで」を完全に乗り超えるのは至難の業だ。
 今世でできることには限界がある・・・。
 宿業に組み込まれた己のタスクをやり抜いて、来世につなぐ・・・と考える。
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7月30日
★この世の事象を生起させ展開させている根本的な力を、仏教では「行」(サンカーラ)と言う。
 「行」は「業」(カルマ)とイコールであり、一瞬一瞬の悪意や善意の集積が「業」になると理解してよい。
 業の力が単発の意志を圧倒するのは当然だが、新たな業を形成していくのも、その自由意志・・・。
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7月28日
★7年前にグリーンヒルの10日間合宿に入り、5年前に出家を決意し、晴れて比丘となって3年目を迎える若者がタイ語の通訳をしてくれた。
 ネットカフェ難民になり自滅しかかっていた往時が思い出され、感慨を覚えた。
 堕ちていくのも、颯爽と衣をまとうのも、来し方も行く末も、個人の自由意志を圧倒する業の力・・・。
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7月26日
★タイの森林僧院でお世話になった比丘の方々を下館の道場にお迎えし、食事の供養をした。
 日本に居ながらにしてタイと同様の供養ができ、美しい返礼の経が誦されるのを拝聴しながら、胸がジーンと熱くなった。
 意味の理解こそ最重要と思ってきたが、全員の比丘によって唱和される経の美と力を感じた・・・。

 


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7月24日
★子供は、親の実態や実状、本音にしかアンテナを張っていない。
 テレビを見ながら「勉強しろ!」と言っても、伝わるのは「テレビを見ろ」だけだ。
 家族を説得して瞑想会に連れてきても、定着することはまず無い。
 瞑想を心から楽しんでいる姿や、本当に心がきれいになっていくプロセスを目の当たりにすれば、家族は必ず瞑想に興味を持つだろう・・・。
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7月22日
★12歳の娘と父親が1Day合宿に参加された。
 一昨年の初心者講習会でも、親子仲良く瞑想していた姿が印象的だった。
 父娘で座禅を年に4回、1週間の内観も共に修行してきたという。
 娘の面接で、強制や無理はないのか確かめると、受験勉強の集中力に効果が感じられるし、何よりも父親の修行する背中を見てきたからだという・・・。
 シャーリプッタとモッガラーナのように、過去世で親友だった修行者が今世は父娘になったか・・・という妄想。
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7月20日
★ブッダは、命を懸けて修行せよと説いたが、命がけで仏教を宣伝しろとは言わなかった。
 法を説くべきは、聖なる修行の完成者だろう。  
 波羅蜜を積むために瞑想を教えてはきたが、その集大成を刊行するために己の修行を犠牲にするのは愚かしい。
 足りても足りなくても、徳をすべて費いきって修行する覚悟・・・。
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7月18日
★理由Bは、「ヴィパッサナー瞑想大全」を分冊刊行する企画が浮上したからだ。
 高価な単行本の購入はためらわれるが、廉価なブックレットなら入手しやすくなるだろう。
 採算が取れないのに多額の自費出版をする余裕はない。
 五月雨式の分冊なら、執筆の負担も軽減される・・・。
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7月16日
★長らく懸案だった「ヴィパッサナー瞑想大全」は、当初の出版計画を3つの理由から中止することにした。
 理由@は、予定通り完成させようとすると、私の修行時間を犠牲にしなければならず、それでは何のために生きているのか解らなくなるからだ。
 Aは、販売価格が5千円以上と高価になり過ぎるから。
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7月14日
★下館道場に、新しい仏像が到来した。
 雑然とした古道具屋に置かれていたのを見つけた友人が写メを送ってきたので、即決した。
 2ヶ月前に入手した朝靄に煙る湖畔の写真の前に設置すると、見事に融合した。
 調光器を暗転させ、仄かに明かるい仏の前で瞑想を始めると禅定感に包まれていく・・・。

 

 

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7月12日
★瞑想が進めば、必ず智慧が閃くのだろうか。
 サティ(気づき)が安定しサマーディ(集中)が深まれば瞑想が進んだと言えるが、洞察の智慧が自動的に閃く保証はない。
 深い瞑想に入っても、智慧の出る人と出ない人がいる。
 智慧のファクターを仕込まなければ、直観智も洞察智も現れないだろう・・・。
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7月10日
★その瞬間の自分自身を対象化し俯瞰する視座を「メタ認知」とも言い、この自己客観視を繰り返すのがサティの瞑想修行である。
 安定してサティが入るようになったら、見た、聞いた、感じた・・・瞬間の自分に何が起き、何が経験されているのか、本質まで見抜くように注意を絞り込む。
 気づき→観察→洞察の流れ・・・。
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7月8日
★お腹や足の中心対象に集中しようと必死になると、妄想が始まる瞬間には気づきにくくなる。
 センセーションの身の門にのめり込めば、妄想の意門がおろそかになるのは当然だ。                           対策としては、一点集中をひとまず犠牲にして、思考やイメージが出てくる瞬間に注意を払う。
 モグラ叩きのように、思考が出た瞬間にその頭をポンと叩いてサティを入れるのだ。
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7月6日
★黄昏が近づき、命の輝きを失い夜の闇に消えていく準備をしているような裏山の桜も見た。
 夜が明ければ再び生存を続け、やがて雨に打たれ、泥にまみれた花びらが土に帰り、春が来ればまた束の間の花を開く・・・。
 なぜ、何のために、虚しい変滅のプロセスを果てしなく繰り返すのか・・・。

 


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7月4日
★やがて命が尽きる夥しい数の桜が、地上にではなく、青空の彼方に向かって舞い散り、吸い込まれ、姿を消していく幻想。
 無常に生滅する命のシステムを超越した静けさの中に・・・。
 エンドレスに輪廻転生してきた生存の流れに終止符を打つだけの、力と時間と徳が残されているか・・・。

 

 

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7月2日
★人生の終末を見据えてからは、何事もこれが最後・・・の想いが強まっていく。
 今年も庭木が美しい花をつけたが、自分がこの世から消滅した後にも、年々歳々花開き、散った後には新緑が木洩れ陽に輝くだろう・・・。
 青空が異様に透みきった日に、最寄りの雨引山で満開の桜を観た・・・。

 

 

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6月28日
★強烈に集中するサマーディの力と、どんな対象も淡々と見送るサティの力を、同時に訓練するのは難しい。
 公平に客観視すると細部に鋭く絞り込む観察ができないし、集中が強烈になれば執着や抑圧にもなりかねない。
 たとえ中心対象への集中が悪くなっても、サティを入れ続け安定させる特訓が撤退型だ・・・。
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6月26日
★撤退型のサティを持続させるコツは、音や思考などに心が逸れた瞬間に気をつけることだ。
 頭に痒みを感じた瞬間、ピーポ、ピーポ・・・と何か聞こえた最初の瞬間、必ずサティを入れると決めておくとよい。
 モグラ叩きのように、雑念が浮かび連想が始まる瞬間に狙い定めてポン、と叩く心構え・・・。
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6月24日
★何のためのヴィパッサナー瞑想かを問い直せば、答は自明だろう。
 どんな音や妄想にも反応しないで撤退し、サティを持続できるかが最初の目安だ。
 強い怒りや欲望の対象には反射的に巻き込まれ、サティが脱線してしまうものだ。
 そこが自分の弱点であり、執着の拠りどころになっているという自覚・・・。
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6月22日
★熱い物に触った瞬間、素早く手を放すように、対象から退いていくので「撤退型」のサティと呼ばれる。
 反対に、注意を対象に絞り込んで、本質を洞察しようとするサティは「特化型」という。
 対象から素早く離れる意識と、対象の本質を突き刺すようにフォーカスする意識は、どこで切り換えるべきだろうか・・・。
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6月20日
★ヴィパッサナー瞑想者が最初にやるべきことは、妄想に巻き込まれず、徹底的にサティを持続させることだ。
 眼耳鼻舌身意に情報が飛び込んできた瞬間、内容に手を出さず、即座に中心対象に戻すのだ。
 すると、
 「いつまで続けるんですか? 対象をよく観ないでいいのですか?」
 とよく質問される。
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6月18日
★絶望的な所見を断言されたのに、必ず治してやると思っていた。
 外国の寺に修行に行けば、必ず医薬品のお布施をしてきた。
 ジャパンハートや国境なき医師団等々にも、定期的な財施をしている。
 長年瞑想者を助ける徳も積んできたのに、体を痛めて、自身の瞑想修行が妨害される?
 冗談ではない、必ず治る、治してみせる、という揺るぎない意志を支え続けたカルマ論・・・。
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6月16日
★「もうこれは治らないんですよ」
 と、膝を痛めた時に言われたが、根性でがんばり、1時間の座禅ができる程に回復させた。
 だが、油断するといつ膝に痛みを覚えるかわからない。
 結果、家の中で普通に暮らしていても、一足一足の筋肉の動きに注意を注いで自覚することができる。
 禍を転じて福となす・・・。
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6月14日
★グリーンヒルHPの「月刊サティ!」には「Web会だより」という欄がある。
 在家の方々がどのようにヴィパッサナー瞑想と出会い、自分の人生に瞑想が無くてはならないものになっていくかがリアルに語られている。
 千差万別の人生の苦しみが、瞑想によって超克されていく事例に、毎回目を見張る・・・。
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6月12日
★侮蔑すべき最低の人に出会い、はらわたが煮えくり返ったような時は、サティを入れても一時停止に過ぎないだろう。
 怒りを鎮める反応系の修行が不可欠だが、私の切り札だったのは「よく見ておけ、お前の姿だ」だった。
 眼前の嫌らしい人のどこが自分と同じなのか、と共通因子を探し出す発想・・・。
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6月10日
★自由意志が発動する0.5秒前に準備電位が始まっているのは周知の事実だが、倒れていく心のドミノの前にもその前にも、別のドミノがあった筈だ。
 外界からの情報が処理され、知覚され、連想され、判断され、意志決定されていくプロセスを因数分解していけば、「私」も「エゴ」も妄想だと検証されるだろう。
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6月8日
★どの瞬間の心も本気だったなら、否応なく善業が作られ不善業が形成されていくだろう。
 業を作る意志(チェータナー)の正体は何なのか・・・。
 遺伝情報、幼少期の家庭環境、刷り込み、経験知、譲れない信条、理想、義務感、師や先達の感化、周囲の環境、その時の情況、心を過ぎっていく連想、宿業の圧力・・・。
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6月6日
★幼かった日も、ヤンチャだった頃も、幸福の絶頂期も、全てを失った今も、どの瞬間も本当だった・・・と考えるべきだ。
 優しさがこぼれたのも、残酷だったのも、清らかな心も、真っ黒な心も、ふざけていたのも、命懸けの一瞬も、どれも真実だったし「私の人生」だったのだ。
 何が起きようとも、あるがままに、潔く引き受けていく人生は輝きを放つ・・・。
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6月4日
★家族を失い、地位や名誉や財産を失い、生きる拠りどころを奪い取られ、絶望に立ちすくむ悲嘆・・・。
 得られたのも失ったのも、いかんともしがたい因縁の流れによって、そうなるべくしてなったのだ。
 天からお預かりしたものを、天にお返ししただけではないか、と考える。
 元々無一物だった原点に帰れば、「私のモノ」という執着が作り出した心理的苦痛は必ず乗り超えられる・・・。
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6月2日
★「ボーッと生きてんじゃねーよ!」
 と、永遠の5歳児チコちゃんに、大人達が次々と叱られる。
 これは、ヴィパッサナー瞑想の本質を突く名言ではないか。
 「余計な妄想で、頭の中を充満させてんじゃねーよ!
 よく気をつけて、今の一瞬一瞬をあるがままによく観て、真実を見極めろ!つーの」
 というお叱りだ・・・。
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5月31日
★究極に達した阿羅漢の聖者でも、この世に留まる限り、業が展開する事象の流れに逆らうことはできない。
 病むのも、罵られるのも、殺されるのも、因果が帰結するのはいかんともしがたい。
 善業を作ろうが不善業を作ろうが、楽受を受けようが苦受を受けようが、エネルギーが意味もなく生滅する宇宙内現象に過ぎない。
 現象世界にいささかの執着もなくなり、悠々と苦受を受け、淡々と楽受の過ぎ去るのを観ている聖者たち・・・。
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5月29日

★苦楽は等価と納得していても、土壇場では、快楽を貪り苦を嫌悪してしまう。
 それが、知的理解の限界だ。
 サマーディがもたらすウペッカー(捨)は、悟りを錯覚させるほど強烈で全身的だが、それも禅定が醒めれば消えていく。
 究極のウペッカーの完成は、涅槃の体験が煩悩にトドメを刺す瞬間・・・。

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5月27日

★苦受を味わう瞬間に不善業が消え、苦を受け容れ、苦を乗り超えようとして、自己中心的な視座が手放される。
 快楽が人を堕落させ、苦が智慧の眼差しをもたらすのであれば、苦に腹を立て、楽を貪り求めることもなくなるだろう。
 こうして、苦楽を等価に視るウペッカー(捨)の心が確立していく・・・。

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5月25日

★激烈な苦が乗り超えられていく時にこそ、人の心は成長する。
 高慢の鼻がへし折られ、因果の理法が骨身に沁み、失意のどん底から立ち上がり、怒りを手放し、赦しがたいものをゆるす度量が培われる・・・。
 苦が掛けがえのない宝となり、災いをもたらした加害者が菩薩に見えてくる日が、必ず来る・・・。

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5月23日

★怖れることはない。
 どれほど激烈な苦しみにも、必ず終わりがある。
 命も、事象も、現象の世界は、無常の法則に貫かれている。
 幸福も壊れていく。
 ドゥッカ(苦)も変滅していく。
 苦を受ける瞬間に、不善業が消えるのだ。
 怒りや絶望や復讐のエネルギーで、新たな悪業を作らない覚悟・・・。

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5月21日

★最低の人に出会い、最悪の事態に巻き込まれ、最大の苦を受けるのは、自分が埋めた不善業の地雷を踏んだからだ。
 悪業の大量一括返済のスタートだ・・・。
 タイトルマッチのリングに上ったボクサーのように、ドスン、ドスンとパンチを受けながら、悪業が消滅していく晴れ舞台を楽しもう・・・。

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5月19日

★撮影地は岐阜県揖斐郡徳山湖、その水底には徳山村が沈んでいる、と会場で作者が説明してくれた。
 だが、そんな過去の伝聞は、私には妄想と同じだった。
 それよりも、靄の中に消えかかった森と湖そのものが一瞬一瞬、妄想と同じ素材に変滅しつつあるのではないか、という問いに向き合っていた・・・。

 

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5月17日

★命を懸けて修行していた八王子も、第二の故郷のような外国の森林僧院も、眼前には常に深い樹木の連なりが拡がっていた。
 森を眺めながら瞑想修行を開始するのが、あまりにも当たり前の感覚になっていた。
 タイの蓮池も、風にそよぐミャンマーの竹林も、スリランカの断崖の谷間も・・・、眼を閉じれば、すべて妄想として見送っていかなければならないのは心得ている。
 その瞑想モードに、素早く切り替えてくれる森と水のイメージ・・・。

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5月15日

★この朝靄に煙る湖畔の写真を所有しなければならない、と我ながら不可解な強い衝動だった。
 夜明け前の闇に拡がる蓮池を前に、命がけで瞑想していた懐かしきタイの僧院・・・。
 来る日も来る日も、眼前に拡がる蓮池に日が落ちていくのを眺めながら瞑想し、暁闇が破れる前に起床し、朝が訪れてくる気配を感じながら、ひたすら瞑想に専念していた日々・・・。
 あの感覚をもう一度、下館に再現しなければならないという切望・・・。

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5月13日

★通りがかったギャラリーの一葉の写真に眼が吸い寄せられた。
 朝靄に煙る湖畔の静けさが心に沁み入った。
 広大な蓮池が眼前に拡がるタイの寺で修行していた日々を思い出した。
 下館の道場に飾り、仏像を置き、香を焚いて瞑想したいという衝動に突き動かされて購入した。
 滅していくのか、現れてくるのか、森と湖と靄に煙る静けさ・・・。

 

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5月11日

★悟っている人の座相は美しく、そうでない人は乱れているのだろうか?
 確かに、妄想の飛び交っている人の座相に澄みきった静謐な印象はない。
 だが、微動だにしない美しい座相も一時的なサマーディの深さを示すだけで、欲望や怒りから完全に解放された悟りの心境を暗示するものではない。
 石のような頑迷な静けさもある・・・。

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5月9日

★なぜ何度も同じ決意を虚しく繰り返してしまうのだろう。
 本当は、よく解っていないからだ。
 肝心なものから目を背けていくら誓っても、その場になれば必ず迷いが生じ、愚かな考えに巻き込まれてしまうものだ。
 法を拠り所とし、心底から納得した決意が全てを変えていく・・・。

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5月7日

★喜怒哀楽に巻き込まれ、悪い想念が飛び交い、怒濤のごとく流されてゆく日常の中で、サティを常に忘れずにいることは難しい。
 サティが入らなければ、情報処理も、反応の仕方も、そして人生の流れも、何も変わらないだろう。
 それ故に、娑婆世界の濁流の中では、反応系の心に命じる覚悟と決意が大事と心得る・・・。

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5月5日

★「君子の交わりは、淡きこと水の如し」と言う。
 清潔な距離感の保たれた人間関係は永く続き、苦を生じさせない。
 法を拠りどころとする者には「捨」の心が働き、人を拠りどころとする者には「我所(オレのもの)」が働く。
 人を、物を、情況を私物化するエゴ妄想がギラつき、諸悪の根源になっていく・・・。

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5月3日

★もし苦の値打ちが覚られ、楽の恐ろしさが腹に落ちれば、苦を嫌悪し楽を求める渇愛は減じていくだろう。
 苦楽が等価に見えてくる度合いに比例して、「捨(ウペッカー)」の心が確立する。
 サティの瞑想と慈悲の瞑想を完成させるのは「捨」の成長であり、「捨」の心はエゴが引き算されるのに比例する・・・。

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5月1日

★たとえ自ら不善業を積み重ねて苦しい人生にしたのだとしても、心の成長のために敢えて茨の道を選んだのだとプラス思考した方がよい。
 ドゥッカ(苦)を乗り超えようとして、人は本気で自己に向き合い、反省し、飛躍する。
 苦の果てに成長と悟りへの躍進が始まり、快楽の中に苦の萌芽を洞察する・・・。

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4月29日

★虐待や愛着障害など人生の最初期で決定的につまずくカルマの悪さは、悟りの妨害要因になってしまう。
 溺愛されて我執が助長されるのも、おめでたいのも、頑固なのも、運が悪いのも、自らが作った業の結果だ。
 是非も無いが、全力で乗り超えていく覚悟を定め、なすべきをなし、来世に繋いでいくしかない・・・。

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4月27日

★「もう金輪際、再生したくない!悟りたい!」と表明し、原始仏教に道を求めたのは間違いではないだろう。
 これまでドゥッカ(苦)に叩かれてきたのも想像がつく。
 だが、怒りの心でこの世を蹴り捨てるのは、破壊的な渇愛(無有愛)に過ぎない。
 怒りの煩悩が微塵もなくなる果てに向かって、淡々と引き算を続けながら静かに歩いて行く道・・・。

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4月25日

★人の世のあらゆる事象は、いかんともしがたい必然の力で生じ、展開し、壊滅していく・・・と実感してきた。
 だが、自由意志すら宿業によって定まっていると考えるのは、仏教の業論から逸脱する。
 おおむね全体の3/4は他律的に展開しても、1/4程度は自らの意志で新たな業が作られていくのではないかという印象・・・。

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4月23日

★「今、この一瞬!」「明日死ぬとしたら・・!」と長年言い聞かせてきたのは、心の奥底では余裕を残しているのを直感していたからだろう。
 未だに心身の衰えをまったく感じないものの、どんな仕事にも「これが最後・・」と出し惜しみのない一回性の覚悟が入るようになった昨今・・・。

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4月21日

★たとえ真実だったとしても一瞬のことであり、次の刹那には崩れ落ち、虚しく消え去ってしまうではないか・・・。
 真実の一瞬も、記憶の中で必ず変形し、歪み、妄想の素材になっていく。
 妄想は虚しく、真実もまた虚しく、現象の世界に執着し、渇愛する価値があるのだろうか、という根本的な疑問・・・。

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4月19日

★優しかった瞬間の母もいたが、恐かった瞬間の母親もいた・・・。
 正確に知覚された記憶も、編集されて歪んだ印象も、時が経てば、必ず脳内変形し単純化されていく。
 グレイゾーンはなくなり、美化された白い人と極悪の黒い人がひしめいていく。
 人生は、どの瞬間も真実だった断片が積み重なったものだが、それを正しく視る人は少ない・・・。

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4月17日

★心から愛する人がいれば、執着するだろうし、輪廻して再会したくもなるだろう。
 かけがえのない人生の拠りどころを得れば、必ず束縛されてしまう法則だ。
 「愛する人と会うな。愛しない人とも会うな」
 愛する人も憎む人もいないのがよい・・・とブッダは言う。
 自己完結する成熟した孤独・・・。

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4月15日

★物理的に孤独な空間にいても、大切な家族や親しい人が隣室にいれば、無意識に動静を気にかけてしまうし、故なき安心感にも包まれる。
 この世から一時的に撤退し本当に孤独になれば、意識の矢印は自分の内面に向かい、来し方を振り返り、生きる意味を問い始める。
 愛着するものにしがみつき、面白いもの、楽しいもの、珍しいもの、刺激の強いものを求めて、自分を直視することから逃げ続け、やがて認知症になり、訳の分からない無明の心で輪廻転生を繰り返す・・・。

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4月13日

★では、どうしたら「捨」の心を訓練し、成長させることができるのだろう。
 自己中心的な視座を離れる練習を重ねれば、公平な視座がもたらされるだろう。
 相手の立場から眺め、空を飛ぶ鳥の目で俯瞰し、嫌いな人に対しても敢えて慈愛の念を送る慈悲の瞑想をする。
 嫌な妄想も楽しい妄想も、快感も苦痛も、すべてを等価に見送っていくサティの瞑想に専念する。
 日々繰り返す慈悲とサティの瞑想が「捨」を養う・・・。

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4月11日

★訳がわからず、判断できない、愚かな無関心。
 他人のことなどどうでもよい、冷淡で、エゴイスチックな無関心。
 飢えた幼獣を持つ母ライオンにも、必死で逃げるシマウマの母親にも加担できず、慈しみに溢れながらも、この非情な世界の構造を黙って見ているしかない、明晰な無関心・・・ウペッカー(捨)。

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4月9日

★突然、耳を打つ鋭い音、鼻を衝く焦げくさい臭い、頭に垂れた水滴の冷たさ・・等を感じれば、ハッと我に返って現在の瞬間が意識されるだろう。
 その音や臭いや冷覚を想像することもできるが、しょせん妄想の中身に過ぎない。
 現実の事象は、身体感覚が伴う実感の世界だ。
 不還果の悟りを得て身体のない無色界に住するのはめでたいことだが、妄想の糞壺に永遠にはまり続ける恐ろしさ・・・。

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4月7日

★スリランカ森林僧院のある長老が言われた。
 「無色界では身体がないので、食欲からも性欲からも解放され、怒りも根絶されるだろう。
 だが、その無色界の不還果になっても、掉挙の煩悩は残るのだ。
 妄想に巻き込まれた時、どうやって脱出するのだ? 
 脚の痛みに集中することも、作務で気分を転換することも、物質的存在の苦の本質を洞察することもできないぞ・・・」

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4月5日

★10日間の断食が成功した直後の瞑想は、体の感覚が無になり、意識が直接宇宙に触れているかのような透明感に貫かれていた。
 汚い想念が心を鈍重にするのも確かなことだが、食物を取り込みエネルギーを摂取する代謝のシステムそのものが、意識を濁らせる。
 体は邪魔者!と絶えず感じてきた。
 身体がない世界、食べることもない世界、意識のみの透明な世界への憧憬・・・。

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4月3日

★断食中の虚ろな意識でも、何とかそれを対象化するサティが入るものだ。
 それすらも出来なくなると、ただ眠りに引きずり込まれていくしかない。
 覚めれば再び心は稼働し瞑想も可能となるが、長くは続かない。
 苦しくても、危険と犠牲が伴っても、瞑想のステージを一気に高める可能性のある断食は止められない・・・。

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4月1日

★宇宙にダークマターがあり、陽子に反陽子があり、美しい薔薇に棘があり、陽に陰があり、断食に光もあれば闇もある・・・。
 脱力感と吐き気と意識朦朧に苦しむこともあるが、断食を解いた後に訪れる異様なまでの透明感に包まれる瞑想は最高だ・・・。
 何事もトレードオフと心得、苦楽を等価に観て超えていく道・・・。

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3月25日

★64時間の断食が終った。
 ヴィパッサナー瞑想は引き算の世界だ。
 妄想を、概念を、煩悩を、渇愛を、全てを手放していく究極に向かう。
 豊富な栄養を取り込むほど良かれと肥満になり病気になっていく真逆の、断食という引き算。
 透明な体感、澄み切った意識、心身の静けさ、深まる瞑想・・・。

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3月23日

★この世の無常や虚しさを、どう理解しようが考察しようが、思考されたものなど、土壇場になれば一番でブッ飛んでしまうだろう。
 痛切な体験をしなければ、骨身に沁みることも、腹中に深く落ちていくこともない。
 だが、日々、痛切なドゥッカ(苦)を体験している動物達のように、智慧なき体験は無力なのだ。
 なぜ、ダンマを学び、思考を止める瞑想をするのか・・・。

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3月21日

★知的な執着なら、発想が変わり、物の見方が変われば、手放せるかもしれない。
 だが、頭でいくら分かっても、感情的なモヤモヤや心の奥底に潜む執着はビクともしない。
 切れば血の出るこの世の現実が、どうしたらブッダの言うように「泡沫の如く、陽炎の如く」見えるのだろう・・・。

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3月19日

★生前は「断じて赦さない!」と憤り続けていたのに、訃報に接するや、全てを水に流せるのは、なぜか。
 金と地位と権力を生涯求め続けた俗物も、末期には、この世のことは夢のまた夢・・などと言い残すのは、なぜか。
 金も権力も愛する家族も、死んだ後にまで持ち越せないのだから、諦めるしかないのだ。
 だが、死は全てを奪い去るが故に、生存への渇愛を激烈にし、輪廻の輪を回し続ける・・・。

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3月17日

★戦乱が激化すれば、必ず平和が希求される。
 陽が極まれば、陰になる。
 満月が、完成した瞬間に欠け始めるように・・。
 それ以上はない幸福の絶頂に達した者には、二つの道しかないだろう。
 ゆるやかに衰微し退廃しドゥッカ(苦)の混沌に向かって下落していくか。
 王宮を出たシッダールタのように、因果に拘束され無常に変滅していく現象の世界から静かに離れていくか・・。
 幸福の限界を視る智慧・・・。

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3月15日

★因果論を心得、徳を積み、衆善奉行を重ねれば、完璧な幸福を具現化することができるかもしれない。
 だが、幸福の賞味期限は短い。
 どれほど美味な菓子でも、毎日、毎回、えんえんと出されればうんざりしてくる。
 何もかも上手くいき、嫌なこと困ったことハラハラすることは何一つ起きない。みんな良い人ばかりで、嫌な人も恐ろしい人も悪役は一人も現れず、朝から晩までただ楽受の日々が続いていく。・・そんな映画を観ていられるだろうか。 
 たとえ完全な幸福が得られても、同じ幸福が完璧に維持されても、幸福が永遠に続けば飽き飽きし、ウンザリし、倦怠の苦が始まるだろう。
 幸福が、ドゥッカ(苦)になっていくのだ・・・。

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3月13日

★全身不随で自由になるのは右手一本なのに、短歌を読み、著作を残し、新聞に連載し、車椅子で講演をしながら世の人々に感動を与えている方がいる。
 ある日「先生には障害があるからいいけど、僕には障害なんかないから、どう生きていってよいのかわかりません」と言われた。
 安定した幸せを享受している者が、苦のどん底を生きてきた人を憧憬するのか・・・。

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3月11日

★苦を引き算し、楽を足し算すれば、幸福度が増す・・と囁く本能のプログラムに無明の発端がある。
苦のない楽受だけの日々には、より強い快感を求めさせる力はあるが、人を向上させる力はない。
 苦を乗り超えようとする力が人類の知能を進化させ、超え難い苦をありのままに受け容れる智慧が人格を向上させていく構造・・・。

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3月9日

★自分のしたことは間違っていたのか正しかったのか、判断に迷いながらウジウジと後悔モードに陥るのは愚かしい。
 やってしまったことは、仕方がないのだ。
 もし悪をしていたなら未来に苦受を受けるだろうし、善ならば楽受を受けるだろう。
 それだけのことだ。
 そう腹を括って、前を見る・・・。

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3月7日

★初心者講習会のような瞑想会を、韓国でもぜひ開催して欲しいと要望しながら、「韓国中央日報」の記者は帰国した。
 勝手に思い込んだ妄想世界とあるがままの事実の混同こそが人生苦の発端であり、ヴィパッサナー瞑想は在家の者にも不可欠なのだと納得されたという。
 その時の取材記事は、2019年1月に掲載された。

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3月5日

★人は所有するものに縛られる法則・・。
 大邸宅が全焼した人と賃貸アパートを焼け出された人の苦しみは、同じだろうか?
 幸福の拠り所が、苦の拠り所にもなっていく。
 財産や家族が人生の喜びであり幸福の素だと悪魔が囁く。
 その執着が憂いと苦の種になるとブッダは切り返す。
 引き算の幸福論・・・。

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3月3日

★インタビューの中で印象的だったのは、「競争的な現代社会では、欲望が生産性と競争力を生むエネルギーになり得るが、瞑想をすると、それがなくなって淘汰されないか」という疑問だ。
 お金を、地位を、名誉を、価値あるものを、多く獲得するほど幸せだと考える足し算の幸福原理と真逆の瞑想・・・。

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3月1日

★韓国でも瞑想がブームになろうとしている。
 と、日本の瞑想事情を取材に来た「韓国中央日報」の記者の方から耳にした。
 インタビューをする前に、まず自分も体験したいとのことで、初心者講習会に参加された。
 拙著の韓国語訳を読んで取材を思い立ったのだが、なぜ瞑想を実践したくなったかの背景には挫折体験があるらしい。
 苦の真理から始まる原始仏教・・・。

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2月28日

★思考の流れや心の状態にサティが入れば、足の動きや雨音などにサティは入らないだろう。
 時間差があればどちらにも素早くサティの入る可能性はあるが、2つの現象が同時に起きれば、一方が選ばれ他方は捨てられる。
 身体動作か、感覚か、心の状態か、意識の流れか、千差万別だが、その一瞬の、その人の経験世界を客観的に自覚する技法としてのサティ・・・。

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2月26日

★人は、事実に苦しむのではない。
 過ぎ去った事実の記憶に苦しむのだ。
 我見に固執している限り、死ぬまで否定し、怒り続けなければならない。
 なぜそんなことが自分に起きてしまったのか、事の因果を読み解き、理解し、納得して受容しなければ、今の瞬間に集中できない。
 赦すということ・・・。

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2月24日

★楽を求め苦を嫌悪している限り、サティの瞑想も慈悲の瞑想もうわべだけのものとなり、深まることはないだろう。
 一切の事象を等価に観る「捨(ウペッカー)」の心が確立されないからだ。
 ダンマが理解され、エゴが手放される度合いに比例して、心から納得し喜んで苦を受け容れることができる構造・・・。

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2月22日

★ドゥッカ(苦)に押し潰されていく者もいる・・。
 だが、事実はただの現象であって、それをどう解釈するかによって「経験」の意味は千変万化する。
 心に、体に、苦受を受けることによって、どんな悪業も消えていくし、始まりがあったものには必ず終わりがある。
 楽しい人生はただ過ぎ去るだけだが、苦には人生の流れを変える力があり、自己変革の絶好のチャンスとなる。
 苦がなければ悟りもなく、苦の真理を学び取る者だけが解脱にいたる仏教・・・。

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2月20日

★究極の境地にたどり着いたブッダですら、時に罵られ、ハメられ、足指に怪我をした。
 襲撃に来る刺客の刃を、神通力で二度逃れた目蓮尊者も、三度目には甘んじて受け容れ生涯を閉じた。
 雀も犬も人間もゴキブリも、業によって生じ業によって滅していく流れはいかんともしがたい。
 たとえどれほどの苦が続こうとも、必ず終わりが来るのだから、静かに心の安らぐ道を目指す・・・。

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2月18日

★映画や小説にはハッピーエンドも悲劇的結末もあるが、生きている限り、私たちの物語に終りはない。
 禍福は交差し、敗者が復活し、その時の勝者が再び凋落し奈落に落ちていく。
 どこで、何をもって、どう、ラベリングするのか・・。
 浮き、沈み、事象は続き、どんな結末も認識も仮りそめの真実・・・。

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2月16日

★武蔵の「枯木鳴鵙図」にみなぎる一瞬への集中にも、鬼気迫るものがある。
 後戻りもやり直しもきかない刹那の世界は、振り下ろす剣先も水墨画の筆さばきも同じだろう。
ヴィパッサナー瞑想のサティの一瞬に通じるものがある。
 瞑想が美や剣と違うのは、善悪の倫理を第一義とする戒の存在・・・。

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2月14日

★宮本武蔵は五輪書「水の巻」で剣法の奥義を「見の目(一点集中)」と「観の目(全体の俯瞰)」と表現している。
 サマーディとサティの並立とも言えるが、本来のサティには「気づき」+「俯瞰」+「自分自身の対象化」の要素もある。
 一瞬に命を懸ける剣豪の迫力で瞑想しているか、と自戒する日々・・・。

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2月12日

★簡単に作られたものは簡単に変わるが、長い時間と膨大なエネルギーを費やして形成されたものが変わるには、それ以上の時間と労力が必要なのだ。
 悟れる人は、生まれた時に決まっている(三因結生)と言われる。
 当然のことだ。
 自分に与えられている全てを、あるがままに受け容れることからしか何も始まらない。
 どんな事象も存在も、一定方向に力を加え続け、ブレなければ必ず変化するということ・・・。

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2月10日

★瞑想で心が変わり生き方が変わるのは確かなことだが、遺伝的素因、幼少期の刷り込み、深層の心など、生得の資質と三つ子の魂を跡形もなく無にすることは成しがたい。
 表層の反応パターンは変更可能なので、人生の流れは一応変わる。
 だが、土壇場の本性まで根こそぎになるのは、来世以降に持ち越されるだろう・・・。

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2月8日

★事実を正確に観察すれば、正しく認識されるだろう。
 だが、新たな現実が立ち現れてくる次の瞬間、その「事実」が「妄想の素材」へ推移してしまう。
 事実も情況も記憶も、全てが異なったものに変わっていくのだ。
 サティの瞑想ほど、「正しかったのは一瞬!」と突きつけてくるものはない・・・。

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2月6日

★瞑想ブックレットはアマゾンで好調な売れ行きだが、売れれば売れるほど損をする価格設定とは何事か、と言われた。
 良いではないか。
 われわれは徳を積むのを楽しんでいるのだ。
 瞑想の情報発信は法施、製作上の全ての営みは身施、さらに出版費用の財施まで、オールインワンの善行ができる幸福に感謝している。
 在家でこの世に留まっている意義は、満遍なく波羅蜜を蓄えるチャンスに恵まれているからだろう。

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2月4日

★全ての準備を整え、満を持してタイの僧院で長期のリトリートに入ろうとした直前、父親の肺癌が末期であることが判明し、渡航を断念したことがある。
 なぜ、このタイミングで・・と思ったが、確執のあった父親だからこそ、その最期を看取らなければならないと思った。
 やるべきことをやらなければ、瞑想中にネガティブな思念がチラつき、自分に言い訳をし、やましさや後悔の不善心所モードとのバトルになるだろう。
 一点の曇りもなく、心が晴れやかでなければ、最高の瞑想はできない。
 究極の一瞬が訪れるには、あらゆる妨害要因を引き算し、集積してきた無量無数の善業が結晶する瞬間を待つしかないのだ。
 「波羅蜜無くして、悟りはない」という言葉を検証し続けてきた人生でもあった・・・。

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2月2日

★瞑想の才能に恵まれ、サマーディの集中力とサティの客観視を極めれば、誰でも悟れるのだろうか。
 そう簡単にはいかず、智慧の仕込みがなければ、悟りの瞬間は訪れないだろう。
 良き師、良き環境、修行をサポートしてくれる良き人々にも恵まれなければならない。
 なんらかの妨害要因で修行が邪魔され破壊されていった修行者も数えきれない・・・。

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1月31日

★圧倒的な才能に恵まれた者を<天才>と呼ぶ。
 それ相応の実績を残し、正当な評価も得られて天分を全うする天才もいれば、世に埋もれたまま消えていく者もいる。
 実力、実績、評価、絶妙な事の展開、時流に乗れる運気・・等々、その要素を一つひとつ善業の集積として完備させていく。
 これを波羅蜜と言うが、瞑想を真に進ませる原動力だと古来から伝えられてきた。

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1月29日

★瞑想ブックレットの価格は、瞑想会場で細かな釣銭が出ないようにワンコインの¥500とした。
 一般の流通には乗らず、インターネット上のみの販売となるが、アマゾンでは税込¥540となる。
 法施(情報系の善行)を仲間と協同作業する充実感と楽しさ・・・。

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1月27日

★瞑想ブックレット第1号を発行したのは14ヶ月前。
 これまでの原稿やダンマトークの中から、質の高いものを活字化していくシリーズだ。
 第1号のテーマは、「マインドフルネス瞑想との差異」+「やさしくなれない人が優しくなるには・・・」の2部構成。
 1年に1冊発行予定だったが、第2号が少し遅れている。
 なるべく早く上梓したい・・・。

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1月11日

★概念操作の知的理解で終わることに直感的な嫌悪を感じ、当初から体験的実証に強くこだわってきた。
 思えば、自分の人生そのものが「苦集滅道」の四聖諦を検証するために設計されていたかのような気がしてくる。
 人の評価という妄想に惑わされず、法と共に、ただ独りの道を歩み切っていく覚悟・・・。

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1月9日

★たとえ仏教以外の教えや戒律であっても、この八正道さえあれば、解脱する聖者が現れるだろう、と涅槃経の中でブッダは言明する。
 まさに八正道こそ「道諦(苦を滅する方法論の真理)」そのものであり、仏教の全てが内包されている。
 この道を必ず歩み抜く、という揺るぎない決意が定まっていった・・・。

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1月7日

★ブッダの偉大さは、到達された崇高な境地もさることながら、私たち凡夫にもその究極に至る道を具体的に提示されたことだ。
 日本語の仏教書を読み漁っていた頃は、「四諦・八正道」のどこが良いのかさっぱり分からなかった。
 だが、上座仏教の寺で聞法した「八正道」の深遠さは衝撃的だった・・・。

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1月5日

★大乗仏教もインド思想もタオも、私の目指していた悟りや解脱に至るものではないと感じていた頃、クリシュナムルティに魅了された。
 だが、究極の世界が暗示されていたが、修行する方法論がないのは荘子と同じだった。
 途方に暮れていた時、「よく気をつけておれ」と説く原始仏典に光明を感じた。

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1月3日

★「煩悩即菩提」は嘘だろうと直観しながらも、大乗経典、老子&荘子、「ヨーガ・スートラ」を読みながら修行していた。
 その迷いを一掃してくれたのは、原始仏教だった。
 阿羅漢果に到達し、煩悩が滅尽されたことを高らかに宣言している聖者達に感動した。
 「滅諦」(苦の終滅の真理)の力強い提示・・・。

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1月1日

★怒りと憎しみを抱き続けてきた父親が、実は無言で私を導く菩薩だった・・と、認知を大転換させてくれたのも仏教だった。
 認知が変われば世界が一変するのだ、という衝撃。
 私の積年の苦しみは、全て妄執(渇愛)から生じていた。
 「苦の原因の真理(集諦)」が骨身に沁みて迫ってきた・・・。

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