『めぐる因果を受け入れて・・・・・・』 T.H.

 

  私は、3人姉弟の長女として生まれました。
  農家の嫁だった母は、厳しい農作業をしながら、私を産んで育ててくれました。母乳の出が悪かったのに、赤ん坊の私はミルクを嫌がって母乳しか飲もうとせず、お腹をすかせて泣いてばかりいたそうです。
  愛情深く育ててもらったのですが、私の人生のスタートは「求めても与えてもらえない」欲求不満の感情で占められ、2年後に弟、7年後に妹が生まれ、両親や祖母の愛情を彼らに奪われたと思うようになりました。私から愛情を奪った弟や妹が憎い、と心のどこかで思っていました。弟や妹をかわいがった記憶はほとんどなく、いつもいじめていました。
  反面、弟妹を出し抜いてでも、親や祖母に愛されたい、よく思われたいという思いが非常に強い子供でした。最初に生れた子だったので親の期待が大きく、かなり厳しく育てられました。やりたいことを我慢させられ、その時々に感じた不満は後々まで親に対する恨みの心として自分の心の奥底にたまっていきました。
  高校生の頃、世界史の教科書で南伝仏教について学びました。表面的な説明だけだったのですが、不思議と興味を持ち、将来絶対に勉強したいと思いました。
  今から約17年前、私が30歳の頃、テーラワーダ仏教を友人に紹介してもらい、それで地橋先生のことを知りました。仏教や瞑想に強い興味を抱いたものの、私にはどうしても捨てきれないものがありました。それはお酒です。私はお酒が大好きで、飲み会はもちろん、外食時には必ずといっていい程お酒を飲んでいました。
  1日瞑想会にランチビールを飲んで参加したこともありました。
  結婚し、優しい夫や二人の子供にも恵まれ、幸せなはずなのに、なぜか不満や怒りの感情にまみれてしまう。それでも、そんな状態から少しでも抜け出したくて、慈悲の瞑想だけは細々と続けてきました。
  そんな私が、自分でも驚くほど簡単にお酒をやめることができたのは、反抗期の息子がきっかけでした。人間ドックの検査結果が悪かったこともありますが、昨年の春、「クソババア死ね!」と息子に言われたのです。その頃の私は、家族に対していつも怒ってばかりいる本当のクソババアでしたが、とても悲しかったです。私は優しい妻、お母さんになりたいと強く願うようになりました。
  色々探してたどりついたのが、地橋先生の1日瞑想会でした。幸運にも参加することができ、先生から内観を勧めていただきました。また、瞑想会後の食事会では、法友の方々に背中を押していただいて、朝日カルチャーの講座に参加することができるようになり、内観の資料をいただいたりしました。
  断酒してそれまで付き合っていた悪友達との交流がとぎれると、自分だけ誘ってもらえない寂しさや悲しさを感じました。この時も、法友たちにメールを送ると、温かな慈愛に満ちた言葉で励まされ、なんとか乗り越えることができました。法友のありがたみを心底感じています。
  また、講座で地橋先生に教えていただいた仏教の教えが本当にためになっています。特に、「一瞬一瞬が自分の業の結果である。原因を種まきしているのは自分自身であるのだから、日々どんな現象に出会おうとも受容しなければならない」という言葉には深い感銘を受けました。戒を守ることが修行を進めていく上でいかに大切かというのもよくわかりました。
  現在の私にとって、朝日カルチャーの講座は、勉強・安らぎ・修行・法友との交流の場と挙げたらきりがない程、貴重な場所になっています。日常生活ではまだまだサティが入らず、自分の感情に振り回されることが多い私ですが、変わってきたところがいくつかあります。
  一つは、心が軽くなってきたこと。以前に比べ、あまりくよくよ心配しなくなりました。これだけでも、数段生きやすくなったと実感しています。
  次に、慈悲の瞑想で、嫌いな人の幸せや私を嫌っている人々の幸せを、心が乱れることなく祈れるようになったことです。以前は嫌いな人の顔が浮かんでくると、心から幸せを願うことがなかなかできなかったのです。
  最近は、苦しみにどっぷりとつかっていた頃には想像もできなかった程心が軽く、生きやすくなってきました。これから、自分がどんな風に変化していくのか楽しみです。懸案だった内観は、3月の末に佐賀県の研修所で行うことに決めました。
  今の自分の課題は、苦しい時は必死になって修行するけれども、救われて心が軽くなってくると、修行がおろそかになってしまう・・・という点です。いつでも、淡々と修行の道を歩み続けていけるようになりたいと願っています。