『二人の息子が敢えてくれたこと』 梅本久美子

 

  初めて瞑想会に参加させていただいてから、もうすぐ3年になります。今振り返ると、私を瞑想会に導いてくれたのは、二人の息子だったように感じます。
  私の次男は、生後すぐに心臓の病気で亡くなったのですが、その時の私は、怒りや悲しみから目をそむけることで、一刻も早く立ち直ろうと必死になっていました。
  抑圧された感情のはけ口になったのは、当時3歳だった長男でした。まだ幼い息子に、私は連日、長時間の英語の特訓を押しつけたのです。その後、息子は英語の才能が開花して、私は達成感を味わうことができました。
  でも、息子が大学受験で一浪していた頃に、恐ろしい悲劇に襲われることになったのです。
  息子はひどいアトピーを発症し、顔を含めた全身が腫れあがって膿だらけになり、激しい痒みにもがき苦しみました。そのうち、目も見えづらくなり、新聞も読めなくなってしまいました。その時私は、自分の見栄やプライドが息子をここまで追い詰めたのではないかと感じました。申し訳なさのあまり、気がついたら息子に手をついて謝っていました。
  「ごめんね。あなたをこんな目にあわせたのはお母さんだと思う。あなたは優しいから、お母さんの期待に応えようと、今まで一所懸命勉強に励んでくれたんでしょ。もう大学なんてどうでもいいから、ゆっくり身体を治そうね」
  息子はじっと俯いていましたが、しばらくして額いてくれました。その二週間後に奇跡が起きました。真っ赤に腫れあがっていた息子の身体にきれいな皮膚が蘇り始め、日を追うごとに痒みもなくなっていったのです。
  そして、大学入試に間に合うように視力も回復し、無事第一志望の大学に合格することができました。
  この体験の後、私は自分に起こってくることは偶然ではないような気がしました。何かこの世を貫く法則があって、それは自分の心と深く関係しているように思えたのです。それで、貪るように精神世界の本を読みました。
  そんな時に出会ったのが地橋先生の本だったのです。初めて瞑想会に参加させていただいた時のダンマトークで、カルマの法則のことを伺った時、私には「これだ!」と直感するものがありました。
  この世の出来事は、すべてカルマの法則に従って現れているにちがいない。息子たちのことも、私の心の汚れが原因だったのではないか。こんなエゴまみれの心のままでは大切な家族にまで迷惑をかけてしまう。だから心をきれいにしていきたいと切実に思いました。
  それからは、少しでも心を変えたいと毎日瞑想を2時間以上実践しました。中心対象に集中したくても妄想が多発し、ほとんどサティが入らない状態が続き、自分の心が過去の記憶に執われていることを痛感しました。
  内観の修行に行かせていただいたことで、私の虚栄心の元となっていたのは、次男への喪失感だとわかりました。
  そして、私も小学生の頃に、同じような体験をしていたことが思い出されました。私の母は、私を産んでから重度の腎臓病を患ったため、私は自分を責め、母に死んでほしくなくて、必死で勉強をがんばっていたのです。無意識のうちに、母を恨んでいたことを知りました。
  先生に勧められ、内観研修後も毎日のように日常内観を繰り返し、そのおかげで母に対するこだわりを解くことができました。またクーサラの大切さも教えていただき、身体障害者の方の施設でボランティアをさせていただいたことは、次男に対する罪悪感を手放すことに繋がりました。
  ヴィパッサナー瞑想とはエゴを手放していく茨の道であるとおっしゃる先生のご指導の下、心の清浄道の修行を続けていくことは、確かにつらい仕事であるかもしれません。
  でも、先生のお言葉に素直に耳を傾け、思い通りにならないすべてのことを自分のせいだと認めることができたら、確実に心はきれいになっていき、それに比例してまわりの環境も整っていくのを実感することができます。
  瞑想の進歩は自分の心の成長度と一致するように感じられます。
  これからも毎日瞑想を実践し、心の清浄道を歩んでいきたいと思っております。