『本当に心がきれいになった瞑想・・・』 平澤久男

 

  私は昔から「生きる意味、目的、意義」や「我々はどこから来てどこへ行くのか」などの疑問を、心の底ではいつもうっすら考えていました。
  日常生活の中でも、心の奥底ではそのようなことが気になっていました。宗教書や哲学書などの本も、幾らか読みました。なるほどと思う部分もありましたが、どうも今ひとつピンとこない部分も、多々ありました。
  一方私の日常の生活は、基本的に怒りがありました。毎日イライラしていました。不安もありました。心配性というか自分頭の中で妄想をふくらませ、ああでもない、こうでもないと考え、自分の思い通りにならないと、不機嫌になっていました。
  そのような状態で、瞑想会に初めて参加した時のことを、今でも覚えています。
  初心者講習を受けたあと、質疑応答を聞いている時の気持ちが、それまでと違って、平静で落ち着いた気持ちになりました。今思えば完全に瞑想の効果ですが、その時はそんなこととは少しも気づかず、質疑を聞きながら「空も晴れわたって、今日はのんびりした良い日だなあ」などと思っていました。
  また、瞑想会に参加したあと一週間ぐらい、何故か職場の人々が、みんな自分に優しくなることに気がつきました。面倒なことも起こらないし、スムーズに事が運ぶのです。これも、瞑想の効果に違いないと思います。
  怒りについては、かなりよくなったと思います。怒りの感情が起こると、怒りの感情に気がつけるようになりました。サティを入れると、怒りがおさまるようになりました。
  ところが、そう簡単に怒りがおさまらないこともあります。仕事上のことで嘘をつかれたことがありました。状況からいって相手は明らかに嘘をついているのですが、証拠がありません。悔しさと怒りで、心の中がいっぱいになりました。
  しかし、怒りを言葉や行動に出してはならないと、ギリギリと歯を食いしばってその感情を観察しました。それでも怒りはおさまらない。
  「自分は何で嘘をつかれるんだ。どうして、こんな目に遭わなければならないのだ」という思いが、頭の中でぐるぐる駆け回ります。
  その時、「これが自分の過去の業の結果なのか?」「自分は過去に嘘をついたことがあるかな?」と思いました。すると突然、過去に嘘をついたことがある、と思い至りました。「そうだ、自分は一回や二回どころではなく、ごまかしや言い逃れの嘘をついたことがあるではないか。そうか、その結果がここに現れているのか、全く自業自得じゃないか」と思った瞬間、心の中の怒りや悔しさがスッとおさまってしまいました。全く不思議な体験でした。
  短期合宿に参加して、合宿が終わったあと、しばらくホワーッとした、何ともいえない優しい気持ちが続きました。
  自分の気持ちの状態があまりに変わっているので、びっくりしました。とても心地よい落ち着いた気持ちです。道を歩いている人など、周囲の人の顔がはっきり見える(見ることができる)ようになりました。
  周りの人が怖くなくなりました。対人恐怖症というと大げさですが、人に対する恐怖心的なものが、どうも自分にはあったらしい、ということに気がつきました。優しい気持ちでいる自分に、人は攻撃的になることはないだろう、危害を加えることはないだろう、そういう安心感で、人の顔がはっきり見えたり、人が怖くなくなったりしたのだと思います。
  そもそも、周りの人がよそよそしいのではなく、自分自身が周りを拒むような拒絶の雰囲気を出していて、それが他者に反映していたのではないか、という気がします。
  総じて瞑想をしていくうちに、様々なことに気づき、心が穏やかになったと思います。 前から思っていた疑問に、目から鱗が落ちる思いになりました。 原始仏教の思想や考え方に、今まで疑問に思っていたことの答えの方向性がある、という思いです。
  まだまだ信が定まっておらず、清浄道を歩んでいるなどといえる状態ではありません。しかし、瞑想を続けていると、その効果や変化が自分の中に現れてくるのを感じます。景色がだんだん変わっていく感じです。次にどんな景色がひろがってくるのか、ゆっくり少しずつ進んでいきたいと思います。