『瞑想、生涯の修行』 F.T.

 

  なぜか、子どものころから生きること死ぬことについて考えることが多く、非物質的な意味で、より高いものを志向する気持ちを強く持っていました。しかし、誕生日を迎えるたびに、ただ年を重ねている自分に焦りを感じ、目指すものからほど遠い現実にある自分を受け入れることができず、心身症に長年苦しんでいました。
  大学生のとき、集中内観を経験させていただき、多くの人々に助けられ、あらゆるものに生かされていることに気づかされ、この人生でできるかぎりの高みに到達したいという思いを確認し、人と真実のために人生を使うことを決意しました。医療を職業とし、過疎地や大学での仕事を経て、途上国で約8年間の国際協力の仕事に従事していました。しかし、それらも、自分のエゴをカムフラージュしているだけではないかと、漠然とした不安が強くなっていました。そのような自分に“瞑想”が必要であることは気がついていました。本をたよりに瞑想を独学で試行錯誤していましたが、行き詰まり、信頼できる師に指導していただく必要があると感じていたときに、インターネットでヴィパッサナー瞑想を知りました。
  途上国での仕事が終了し日本に帰国すると、地橋先生の『ブッダの瞑想法』を購入し、東京に滞在していた数カ月間の期間に朝日カルチャーセンターの「ブッダの瞑想法とその理論」の講座を受講させていただきました。
  2年後、10日間合宿瞑想会で修行させていただきました。その翌年、地橋先生からご紹介いただいた先生のもとで再び集中内観をさせていただきました。
  東日本大震災の日から東北地方のある過疎地の医療機関で働いています。関東で開催される瞑想会への参加は難しくなりましたが、ヴィパッサナー瞑想と内観を集中して経験できたことで、自信と安心を持って日常生活の中で修行を継続する手かがりを得られたと思います。現在の私の修行の日課は、朝徒歩出勤の約10分で慈悲の瞑想、日中患者様への慈悲のミニ瞑想、同僚の言葉や行為に対する自分の心の反応にサティ、帰宅時に徒歩帰宅の約10分で日常内観、帰宅後は洗い物・翌日の朝食準備・入浴等の動作にラベリングをして感覚へのセンセーションを取りもどしてから、10分間の歩く瞑想・10分間の座る瞑想。
  仕事が終わった直後は、心が乱れていてすぐに歩く瞑想や坐る瞑想をしようとしても難しいので、なるべくこのパターンを守って瞑想を実践しています。仕事がら、どうしても時間が不規則になったり、予期せず長時間勤務になったりすることが少なくないのですが、とにかく継続することを心がけています。思うように瞑想できないときは、『CD・ BOOK瞬間のことば』にある「たとえ実感の伴わない、言葉だけのラベリングでもかまいません。必ず完全なサティに近づいていきます。何もしなければ、心は1ミリも成長しません」を思い出すようにしています。車を運転する機会は少ないですが、自分の車に『CD・ BOOK瞬間のことば』のCDをいつもセットしており、運転中の短い時間も心を整える機会にしています。
  こつこつと修行を重ねてきました。まだサマーディの経験はありませんが、ヴィパッサナー瞑想の効果を感じています。具体的には、不安や焦りのコントロールが以前よりできるようになった。怒りが生じそうになる状態にサティをいれて心を落ち着かせることができることもある。等身大の自分を素直に受け入れることができるようになりつつある。周囲の幸せのために自分がお役にたてていると素直に思えるようになった、などです。さらに、内観の経験は慈悲の瞑想を深く豊かにしてくれたと感じています。
  しかし、まだまだ智恵と経験の豊かな優れた先人からの指導が必要なレベルです。サマ―ディの習得、深い自己理解の実現、自分と生きとし生けるものの安らぎや幸せのために、今後も謙虚に生涯をとおして瞑想修行と研鑚を重ねたいと考えています。