『呪縛から解放された 瞑想』 匿名希望

 

  仕事や人間関係がどうにもうまくいかなくなって仕事を辞め、無職だったころに美容院で読んだ雑誌に『ブッタの瞑想法』が紹介されているのを見つけたのが、ヴィパッサナー瞑想との出会いでした。
  他人が怖く、何もする気になれない毎日でした。家事と通っていた英会話教室の宿題は効率が悪いながらなんとか続けていました。外出の前に戸締りと火の元の点検を始めると何度やっても安心できず、家を出るまでに数十分要することも珍しくありませんでした。
  家があり、家族がいて、毎日食事を摂れることのありがたさを頭では理解していましたが、心でそれを感じることができませんでした。生きていることをやめたいというのが本音でしたが、自ら命を絶てばこんな自分と付き合ってくれている家族、親戚、友人たちを苦しみに陥れることになってしまうと思い、できませんでした。自然に死ぬ日をこのまま何年も待つのかなと思っていました。
  図書館で地橋先生の本を探したところ、『瞑想クイックマニュアル』が見つかりました。読んで心に光が差し込んだ気がしました。それまでにも心に響く本に何冊か出会いましたが、本に書いてある素晴らしいことに少しでも近づくために自分がどんなことをすればよいのかわかりませんでした。でも『瞑想クイックマニュアル』にはそれが具体的に書いてありました。購入して何度も繰り返し読みました。
  地橋先生の本を読み始める前から、自分の心と今自分が実際に向き合っているものがズレていることに気付いていました。例えばキッチンでサツマイモを切っていても、頭の中では過去に起きたつらい出来事がエンドレスで回り続けるというような具合です。頭と行動がシンクロしていないところが問題だと思っていました。でも、自分一人でそれを直す方法を見つけることができませんでした。
  5か月後に朝日カルチャーの講座に通い始めました。先生のお話はどれも心にしみました。でも歩く瞑想も坐る瞑想も、自分一人で毎日実践するに至りませんでした。「ゆっくり歩いたりお腹の感覚に集中することで何が変わるんだろう」と思うこともありました。
  数か月経ったころ、朝カルのレポートの時に先生から内観に行くことを勧められました。そのあとの食事会で先輩たちが詳しく内観についてお話してくださり、資料を送って下さいました。毎日がつらくて藁にもすがる思いでしたので、すぐに佐賀の池上先生に電話して内観の予約を取りました。内観では私のために両親や祖母がしてくれたこと、それに対し自分はどれだけ恩知らずでいたかに気付くのと同時に、他の家族の内観をしているときにいつも母の影が私の前に立ちふさがるような感じを受けました。
  父は3年8か月前に他界しましたが、おそらく軽度の発達障害であったと思います。私がそれに気付いたのは父が亡くなる1年くらい前でした。父は他意なくいわゆる「常識」とは異なる行動や言動をとることが多い人でした。姉と私にへんてこりんなあだ名をつけ、歌までつくって毎朝毎晩歌いました。
  私たち姉妹は泣きながらやめてほしいと父に頼みましたが、耳を傾けるどころか、ますます大きな声でその変な歌を歌うありさまでした。その反面、東大卒のエリートで、仕事もよくできたと聞きます。父は好ましくない有名人や知人のことをよく批判していました。逆に自分から見て立派な人は褒めちぎりました。
  こんな父との関係では、母にすがるしかありませんでした。結婚するまでは母は私を守ってくれる唯一の親だと思っていました。結婚後、主人の実家と付き合ううちに、母が時に都合よく私を支配していることに気が付きました。思い返してみれば子供の時は激しく叱責されたり、叩かれたり、家から閉め出されることがよくありました。
  母のシナリオ通りに行動しないで失敗すると、母は「だから言ったでしょう。ママの言うとおりにしないからこうなるのよ」と言いました。社会人になってからも洋服の趣味や休日の過ごし方まで口をはさんできました。自分はまるで母が造った池で飼われている魚みたいだと思いました。池を飛び出して川から海に泳いで行きたいと心から願いました。
  でも、どうやって池を出たらよいかわかりませんでした。池を出た後、どんなふうに泳いだらよいのかもわかりませんでした。池を飛び出した後、うまく川に入れなくて息も絶え絶えになったら、また母に池に連れ戻され、それみたことかとあざ笑われてしまうだろう。そんなことを恐れていました。
  とりあえず経済的に自立することを目指しました。結婚と同時に専業主婦になって仕事からしばらく離れていたので、簡単なアルバイトをしながら資格試験の勉強に励みました。資格を取ると仕事を変え、収入も少しずつ上がっていきました。心の中は不安だらけでしたが、弱い部分を見せると仕事の面接を突破できないので、空元気を振り回しました。自信のないことを正直に言うと門前払いをくらうので、さも自信があるように振る舞いました。社会人として前進しかつ階段を1段ずつ上っているつもりでしたが、傲慢さの階段もどんどん上っていました。
  正社員として勤務していた会社が破綻し、再就職した会社でひどいパワハラを受けて仕事を辞めました。前の会社が破綻する前から、私の心の崩壊は始まっていたと思います。何を見ても聞いても心にしみこまないし、そこからは何も湧いてこないようになりました。でも、社員だから、責任があるから、給料をもらっているから、弱音は吐けない。義務感だけで仕事を続けていました。仕事をしていればもちろんたくさんの困りごとに出会いますが、どう対処してよいかわからないことは心を凍らせて、一番効率の良い方法を選択しました。その結果、人の心をたくさん踏みにじりましたが、その当時それは「仕方のないこと」でした。
  再就職した会社でパワハラを受けて仕事を辞めたのは当然の結果です。過去にそれだけひどいことを私も他の人にしたのですから。
  内観に行き、朝日カルチャーセンターの地橋先生の講座に通い、妄想だらけの瞑想をさぼりながらも続けるうちに少しずつ心が落ち着くようになりました。先生のダンマトークの心に響いた部分をメモして、気持ちが荒れたときやふさいだときに読み返しました。
  慈悲の瞑想はなかなか始められませんでした。「私のような残酷な人間がこんな言葉を唱えても嘘でしかない。偽善でしかない」と思ったのです。でも、実際に始めて続けるうちに、残酷な人間だからこそ慈悲の瞑想が必要だということがわかりました。
  そうやって何とか心を落ち着ける方法を身に着けつつありましたが、もっと困ったことがありました。反射のパターンが傲慢すぎて、先生から教わったことを実行しようとしても、私の実際の言動のトーンとかみ合わないのです。子供のころから見栄っ張りで、実際の自分よりも大きく見せようとする癖がありました。仕事をしているころは周りからダメなやつと思われたくなくて自信のあるふりをし続けました。
  自分は特別な人間という根拠のない万能感も心の片隅に併せ持っていました。だから「高慢」とラベリングしても効果はなくて、「傲慢」とラベリングするとようやく妄想が止まるくらい本当に「傲慢」でした。だから、朝カルの後の食事会も行けませんでした。正直で優しい人たちの輪に加わるには自分は傲慢すぎると思ったからです。
  それゆえ、先生がダンマトークでお話しされていた通り、1つずつ反射のパターンの修正作業をすることにしました。気の遠くなるような作業でしたが、それしか方法が見つかりませんでした。周りの人たちとのコミュニケーションでこれはよろしくないということが起きたときは、その都度瞑想会で教わったことや先生の本の内容に照らして、何が原因でそうなったのかを考えました。わからない時は朝カルのレポートの時間に先生に質問しました。
  五戒もちゃんと守るように努めました。お酒は外で人と会った時しか飲まないし、泥酔することもありませんでしたので、この程度なら大丈夫だろうと思いやめていませんでした。でも1年前にひどい頭痛に悩まされたのを機に本当にやめました。五戒を守ろうと意識し始めてから、修行にもちょっとはずみがついたような気がします。
  法友の方々からも大切なことをたくさん学びました。みなさんは良かったことだけでなく、自分の弱い面、よくない部分を正直に話して下さいます。
  ある方はご自分の嫉妬心について詳細に語ってくださいました。おかげで私も自分の嫉妬心に気が付きました。私は傲慢なので、「嫉妬なんか自分に関係ない」と思い込んでいたのです。しかし、いったん自分の中に嫉妬心を見つけると、そこにもここにも嫉妬があり、私の心には青かびだらけの餅みたいに嫉妬が根を張っていることに気が付きました。傲慢さだけでは割り切ることができなかった私の汚い心の根源は嫉妬であったのです。いろんな人に嫉妬しまくっていました。自分をよく観察して、嫉妬を見つけた瞬間「嫉妬」とラベリングすると、今まで苦手だった人ともすんなり話せるようになっているから不思議です。
  朝カルのレポートでは、私が疑問に思いながらもどんなふうに先生に質問してよいかわからずにいたことを、他の方々が的確な言葉で質問されることがあり、それにより先生のアドバイスを聞くことができて何度も助けられています。また、長い間、足踏み状態の修行が続きましたが、朝カルではいつも励まし合える方もいて、気持ちが不安定な時でもその人の姿を見るだけでほっとすることができました。
  初めのころは人が怖かったので、合宿に参加なんて無理と思っていました(内観は面接の先生と1日に数回お会いするだけであとは1人きりで行うので抵抗がありませんでした)。内観の後、1DAY合宿なら大丈夫かなと思い参加しました。翌年も1回だけ1DAYに参加しました。朝カルで法友の方々と徐々にお話するようになり、その方々のおかげで3年目には短期合宿に参加することができました。
  自分の嫉妬心に気付きサティを入れられるようになると、何をするにしても怒られないようにいつも逃げ惑っている自分に気が付きました。
  母はしつけに厳しい人でした。代々地主の古い家に育ったため、人から後ろ指を指されないようにすることが母にとっては大事なことだったようです。きっと母もかつて私と同じ恐怖におびえていたのではないかと思います。でも自分が親になったとき、それしかお手本がなかったので祖母と同じように私たち姉妹に口やかましく何事も注意するようになったのでしょう。
  また、父が自分の好ましくないことをする人を痛烈に批判するのも恐ろしかったのです。反応系の修行をするようになってから、自分の心が「こわいよー」と叫び続けていることに気が付いていました。でも、何を恐れているのかわかりませんでした。嫉妬心のふたが開いてようやく、両親に嫌われないように怒られないように、消去法で行動を選択している自分に気が付きました。
  両親に「してはいけない」と言われたことは、しないように努力し続けていました。「そういうことする人間は他人から相手にされない」と言われたので、恐怖もありました。でもその「してはいけないこと」をしている人は結構いて、嫌われるどころか周りの人たちから温かく受け入れられているところを何度も見てきました。その都度その人や周りの人に対して激しい憎悪と嫉妬を覚えていたのです。
  「私はいろんなことを我慢して両親に言われた通りいい子にしているのに、誰も褒めてくれない。それなのにしてはいけないことをしている人が私よりも周りに受け入れられている。なぜ?どうして?ずるいよ」
  怒られないために選択した行動は、自分の心に根差したものではなく、行動と心のギャップが自分を疲れされていたことにも気が付きました。
  私にとって母は神様のような存在だったと思います。でも母は人間です。優しさの裏にしっかりエゴも隠し持っています。私も善行をするときしっかりその裏にエゴを潜ませていました。だから慈悲の瞑想に異常なほど抵抗感を持ったのだと思います。母も私も自分のエゴを正当化することをやめられないのだと思いました。
  3年間朝カルの講座に通いながら修行を続け、長い間わからなかったことがわかりました。今は前より落ち着いて修行ができそうな気がしています。頭の中の過去の記憶の再生にとらわれ続けるのではなく、目の前の出来事をLiveで感知できるよう、毎日歩く瞑想、坐る瞑想、慈悲の瞑想を続けていきたいです。