『変わりゆく人生の流れ』(匿名希望)

 

 私は、十代の頃は肩や首の痛みや円形脱毛等、様々な身体の症状を持っていましたが、それに苦しむという事はあまりありませんでした。

 

 今から当時の事を振り返ってみると、両親は多額の借金を含む財産の問題で対立しており、また兄は、父から「母親は財産を弟(私)に全て与えるつもりのようだ」等と聞かされ、兄が父のスパイとして私を監視し、私が母のスパイとして兄を監視するような状態の中で思春期を過ごしていました。

 

 親が正式に離婚し、兄を含む大半の親族との緑が切れて落ち着くまで、私の心は「苦しい」「辛い」等の感覚を麻痺させてやり過ごしていたのかもしれません。自分のこころが悲惨な状態である事実に気づきはじめた時は、間もなく成人を迎える頃でした。

 

 大学生の頃、私は同級生達からだいぶ浮いた存在だったようです。こころでは穏やかに、平静に努め、利他的であろうとしていたのですが、肩にずっと力が入っており、目つきは険しく、何を考えているのかよく分からない状態であったため、友人や教員からは、「危ない人間」「何かの拍子で自殺してしまいかねない人」として見られていたようでした。

 

 また授業やアルバイトの途中で、何の脈略もなしに過去の記憶、特に父親より「お前の母親の旧姓は、部落出身者が多い」等と言われた事が勝手に想起され、ずっと風邪をひいたような状態が続いていましたが、私の様子を見た母からは「甘えで病人のふりをしているのではないか」と思われ、真剣に取り合われない状況が何年も続きました。

 

 そんな中で、私は自分の心身の状態をどうにか健康に近づけようと様々なものに手を出しました。

 

 身体を鍛えたり、断食をしたり、霊能者の訓練を受けたり、心理治療を受ける過程で、「日常生活の中で継続が出来るもの」「目に見えない世界よりも人格の成長に主眼をおいたもの」「科学か、長い歴史によって効果が示されているもの」等の基準を徐々に自分の中で築いていき、最終的にヴィパッサナー瞑想にたどり着きました。

 

 しかし、私が「ヴィパッサナー瞑想がとても良い」という事を頭で理解してから、継続的に実践が出来るようになるには時間がかかりました。

 

 地橋先生の講座に通うようになり、ダンマ・トークを聞いたり、他の瞑想を学び実践している方々とも交流し、瞑想会だけでなく、できるだけ日常生活の中でも気づきを心がける中で、心身の分裂も段々となくなってきました。

 

 なかでも、慈悲の瞑想を習慣化していった成果なのではないかと思うのですが、大学生の頃の私を知らない人からは、「明るくて元気な人」「幸せそうな家庭で育った人」と思われることも増え、どのような仕組みが働いたのか驚くばかりです。

 

 今、私は人間関係に恵まれています。かつて私を「危ない人間」だと距離を取られていた友人とも仲良くする事が出来、私に、結婚式での挨拶を依頼してくる親友も出来ました。また、自分が憧れていた職業に就いた上に、職場でも深い人間性を持つ上司や同僚に恵まれ、対人関係のストレスなく仕事が出来ています。父や兄とは今でも絶縁したままですが、過去の家族生活を、切り捨てるだけのものとしてではなく、父は私に身体的な暴力を振るう事がなかった事や、兄は兄なりに心配していた事など、冷静に振り返れるようになってきました。

 

 私は、瞑想を継続し「自分が幸福な状態にもなりうることを認める」ことが出来るようになったと思います。

 

 かつての私にとって、残りの人生は辛い過去の出来事の残滓に過ぎませんでした。しかし、自分の出来る範囲で利他を心がけ、またヴィパッサナー瞑想や慈悲の瞑想を続けた事で、幸せに対する感受性が養われてきているのだと思います。

 

 自分にはまだまだ乗り越えなければならない心の中の障壁がありますが、年々と心身の不調が減る実感を持てています。以前は風邪を引きやすく、また慢性的な疲労感から殆ど横になって休日を過ごしていたのですが、坐った状態で腹部の感覚に注意を集中すると、疲労感がだいぶ軽減するようなことが何度もあり、心身の不調を気にしないで人生を送れるようになった事は信じられないような心地がします。

 

 今後、私自身も瞑想や利他の実践を深めると共に、他の人にヴィパッサナー瞑想の事を勧めるなど、微力ですが、苦しみに思い悩む人を減らせるように貢献していきたいと思います。

 

 このような執筆の機会を与えてくださり、まことにありがとうございました。