『父への怒りと内観と』Y.T.

 

  私が今回、瞑想を始めたきっかけは、強い背部の痛みでした。以前より疲れた時などに出現していましたが、生活に支障が出るほどではありませんでした。それが2年前より急に痛みが強くなり、生活に支障が出てくるまでになりました。2度の精密検査でも異常はなく、当時仕事でストレスを強く感じていたため仕事を辞め、旅行などをしてストレスの解消をしていましたが、痛みは変わりませんでした。他にもヨガ、鍼灸、ストレッチなどをしても同じでした。
  そうしているうちに、以前教わったヴィパッサナー瞑想を思い出し、行なってみると瞑想後に少し楽になりました。そこで、またきちんと教わろうと令和元年11月に1DAY合宿に参加しました。そこで地橋先生との面接で「私も今までたくさん話を聞いてきたけど、あなたのお父さんのような例は初めてですね。その痛みは、お父さんへの怒りが関係していると思いますよ」と言っていただきました。しかし私の父への恨みは当たり前のことでしたので、その2つを結びつけることはありませんでした。
  父は2年前に90歳で安らかに老衰で亡くなりましたが、亡くなった時、まったく悲しみはなく、「ホッとした。やっと終わった」というのが実感でした。父の葬儀には、親戚も友人も知人も参会者はゼロ、たった一人、息子の私だけが焼香する異様なものでしたが、その後も恨みは薄れることなく、逆に、「あれだけ好き勝手にやって家族に迷惑をかけたのに、なぜ安らかな最期を迎えられるのか?やったもん勝ちかい!」と恨みは増強してしまいました。亡くなった時に父の兄弟に連絡したところ、「おかしいな〜兄貴は苦しんで死ぬはずなんだけどな〜」と言われ、「ぼくもそう思います」と答えたことからしても、俺は間違っていないと確信していました。
  1Day合宿の最後のまとめの時間に、隣に座っていた方から「内観は良かった」との報告がありました。内観については、以前ビジネスホテルの部屋に置いてあった内観の本を少し読んだとき、「親孝行が大切」と書いてあったので、「俺には合わない。冗談じゃない」と思い、すぐに本棚に戻したことがありました。そこで地橋先生に、「ぼくはどうでしょうか?」とお聞きしたところ、「絶対にいい。行ったほうがいい」と断言していただいたので、とりあえず、良いと言われたものはやってみようと思い、半信半疑ながらお勧めの静岡の福田先生の所へ12月中旬に申し込みました。
  12月に静岡の福田先生のところへ伺いました。内観は一週間、屏風に囲まれた畳半畳の所でひたすら自分の過去と向き合うということをする、と説明されていたものの、「はたしてできるかしら?」と不安がありました。
  そしてその時は、幸か不幸か参加者は私一人ということを知り、「大丈夫かな〜。でも対人関係のストレスはゼロなのでまっいいか」ということでスタートしました。
  内観の二日目:「瞑想は今の現実を観ていくことだと思うが、内観は過去の自分を観ていくものなのかな?だとしたら瞑想と内観は相性がいいのかもしれない」と思いました。
  四日目:父の内観中、自分の考えていた自分の年表あるいは履歴が、どうも違っているようだと感づいてきました。それは父と私あるいは母との険悪な期間は思っていたほど長い年月ではないかもしれない。また仲の良かった時期も存在しているということに、否応なしに気づかされました。とてもショックでした。福田先生のお話し中に「チョット待ってください!どうもおかしい。ずいぶん違うような気がする」と失礼ながら先生のお話をストップさせてしまったくらいです。
  悪いことはよりワイドに、良いことはその陰に隠して、事実を捻じ曲げ、今日までそれを発展させてきたことに気がつきました。
  六日目:自分の愚かさにも気が付き、かなり落ち込んでしまい、父への恨みどころではなくなってしまいました。
  内観の間に体験者の録音を流してくれるのですが、その中でオーストリアでの内観がありました。この時のオーストリア人の女性が「私の母の愛は無償の愛ではなかった」と言って母親への憎しみを訴えたお話がありました。「さすがにヨーロッパ人の苦しみの根源は違うな〜」などと呑気に聞いていたところ、その担当の先生は、「有償だろうと無償だろうと、あなたは愛を受けたのでしょう?してもらった事実だけを観てください」 とお答えになったのを聞いて、「これだよな〜。これが大切なんだよな〜」と目から鱗が落ちた感じでした。
  七日目:すっきりとした気持ちで終了することができましたが、「よく号泣して打ち震える人もいる。体でわかるということです」と初日に言われたことを思い出して、「さすがにそれはなかったな。残念だが頭でしか理解出来なかったということだろうな」と思い、残念さも残しながら帰宅しました。
  ところが、帰って三日目のことですが、突然、常時存在していた父親に対する憎しみがスーと消えていく感覚が出現し、重い荷物を下ろしたように体全体が軽くなって、体がぽかぽかと温かく、何とも言えない気持ちよさにつつまれました。「これが体で分かることなのか!」と実感しました。それ以来、父に対する憎しみ怒りは消失しました。ただ事実としての不満が残っているだけです。
  父は家族からみて、他人に父の話をしたとき、「そんなひといるの〜、それはひどいね〜、つらかったでしょう?」と同情されるようなことはしていたので、いいネタ話にはなっているけど、「もうちょっと、どうにかならなかったのかな〜」「父親は自分に対し父親なりの愛情をもって俺に接してくれた。それには感謝しているし、それに対して恩返しが出来なかったのは申し訳なかったと思っている。しかし親子としての相性はよくなかったな〜。生まれ変わったらまた親子で、なんて勘弁してほしい、隣の変なおじさんくらいにしてほしい」というような感じに激変してしまいました。
  そして2月、重度の認知症のため、もう僕のことも何もわからなくなって久しい母親に会いに施設に行って、母に向かって、「お父さんの墓参りに行ってきたよ。いろいろ有りすぎたけど、三人ともがんばったよね!」と声をかけました。
  母は無反応でしたが、こんなことが言えたことがよかったと思いました。そして背中の痛みも次第に軽くなっていき、このところ全くなくなってしまっています。
  以上、内観の体験とそれによって経験したことでした。この機会を与えてくださった地橋先生と福田先生に感謝いたします。