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今日の一言 (バックナンバー) '2016年1~12月

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12月22日 ★のっぴきならない苦悩も、それを俯瞰するメタ認知(=サティ)の視座が得られれば、対象化され、 ただの出来事となり、一つの経験に過ぎなくなる。
 事実はそのままだが、執着の落ちた心に苦しみはない・・。
 自分の事になると見失ってしまうその原点を、ひたすら提示し続けていたアチャン・・。

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12月17日 ★出家生活を続けられるか否かの迷い、暗礁に乗り上げてしまった修行情況、さまざまな悩みや相談事を持ち込まれるアチャン・ターウィ。
 黙って最後まで聞き終わると、誰に対しても同じ一つの指導だった。
 Don't cling!(ツカむな)
 Be aware!(気づいていなさい)

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12月13日 ★思い込みが強いとは、ああ、そうかと思った結論に全身でのめり込み、固執する傾向が強いことである。
 自分が認識した世界と事実がピタリと合致するなら、ヴィパッサナー瞑想は不要になるし、眼からウロコが 落ちる人もいなくなる。
 人はみな、自分の編集した世界を生きていく・・・。

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12月1日 ★多くの人が去来するのを見てきた。
 死に際、散り際、去り際に、人格も、生きざまも、人となりも象徴されているよう に見える。
 この方に、私は何ができただろうかと問う。
 互いに、なすべきことがなされ、やるべきことができただろうかと問いながら見送 り、心の中で別れを告げる・・・。

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11月30日 ★ネガティブな現象が起きると、反射的に舌打ちをしたり嫌悪や否定の反応をしてし まうものだ。
 瞑想者には、たとえ嫌悪すべきことであっても、その事実を潔く、ありのままに認 める心(→サティ)が大事なのだ。
 さもなければ、ネガティブな事実を叩き潰すかのように怒り系の反応が連鎖してし まう。
 こうして、抑圧が始まっていく・・・。

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11月26日 ★眼前の人や事物がまるで違ったものに見えてくる瞬間、「目からウロコが落ちる」 と言う。
 対他的に、外界を見る視点やパラダイムに変化が生じたのだ。
 一方、意識の矢印が外から内に逆転し、自らを内省的に振り返る視座の転換が起き た瞬間、きれいにサティが入るだろう。
 自己客観視の一瞬・・。

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11月25日 ★夢中になって熱く反応している時ほど、一方的なエゴモードになっているだろう。  激しく否定し嫌えば嫌うほど、実はその対象にネガティブに執われ、縛られている のだ。
 愛も憎しみも、執着(渇愛)の度合いが増すほどに、エゴモードがギラつき利己的に なっている・・・。

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11月22日 ★事実関係の全てを精査し尽くすのは容易ではない。  いきおい、断片的な情報をつなぎ合わせて解釈し、判断し、どう反応するかの意志 決定がなされていくだろう。
 自分の認識も反応も不確かなものだと心得、自覚している人がいる。
 思い込み断定した「自分の正義」に固執し、盲目的なエネルギーをほとばしらせて いく人もいる・・・。

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11月21日 ★一所懸命に精進するのと、何がなんでも・・とシガミつきのめり込んでいくのは似 て非なるものである。
 淡々とサティを入れて見送る仕事に没頭するのと、愛や憎しみの妄想にハマり込み 強烈に執着するのは、別のことである。
 一切を等価に観じ切って、無執着の心を養う努力に徹していく精進・・・。

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11月20日 ★愚かな方法もあれば、滑稽な努力もある。
 何事においても怠けるタイプと頑張るタイプもいる。
 基本的傾向として、瞑想修行の成果は努力した精進の分量に比例し、精進の力は経 験してきた苦しみに比例する・・・。

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11月16日 ★施し与えれば、やがて自分が与えられる・・と因果論に目を開かれ、利他行を始め るのは良いことだ。
 だが、ギラギラした欲の心でなされる汚ない善行(劣善)は、限りなく賄賂に近 い・・・。

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11月11日 ★その一瞬の状態に気づいて、「考えた」「(足が)着いた」とサティを入れる。
 さらに次の心が、その状態に「良いサティが入った」と対象化する。
 どんな出来事も経験も客体視されれば、サティの瞑想はうまくいっている。
 無限後退していく「メタ認知」が途絶えるのは、執着した瞬間・・・。

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11月10日 ★煩悩があると瞑想ができないと思い知りました、とレポートした瞑想者もいる。
 今のは、妄想への執着があったのだから「妄執」とラベリングすべきだったのでは ないか、などラベリングに納得しないと腕に痛みが現れたり、自責の念に苦しめられ たという。
 完全を求める渇愛や自分を責める怒り・・・。

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10月21日 ★眠くなるし脚が痛いし、座りの瞑想は15分が限界だ、という瞑想者に伝えた。
 明日までに必ず瞑想体験と呼べるようなレポートをしなさい。
 すると、一片のまどろみもない異様なクリアーさで1時間余の座る瞑想でき、さら に1時間超えの瞑想がその日のうちに3回できたという。
 決意の力・・・。

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10月20日 ★苦しみから解放されるために提示されたヴィパッサナー瞑想である。
 瞑想に対する真剣さは、各人が抱えてきた苦の分量に比例する。
 対症療法のように、苦が消えれば瞑想が使い捨てにされることもある。
 苦が乗り超えられていく構造的理解に智慧が及んだ人は、瞑想と共に歩む人生が始 まる・・・。

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10月19日 ★瞑想修行を徹底的にやり抜く覚悟は、それまでに経験してきたドゥッカ(苦)の分量 に比例していると言える。
 軽症の人は完治すれば、瞑想病院から退院していく。
 人生最大の苦しみから解放してくれた瞑想・・と感じ入る重患だった人は、瞑想を その後の人生の拠りどころにしていく基本傾向・・・。

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10月17日 ★苦しい人生になってしまうのに、ダンマを知っている筈なのに、わかっちゃいるけ ど、止められないのだ。
 どうしたらよいのだろう。
 不動の決意が揺るぎなく定まれば、全ての流れが変わっていく。   「絶対にこれは終わりにする!」と心底から決意させる究極の力は、「ドゥッカ (苦)」である・・・。
 悲しいことに、苦の力を借りないと人は心底から立ち上がることができないらし い。

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10月16日 ★因果論もカルマ論も聞き飽きるほどよく知っているのに、逆鱗に触れられた瞬間、 頭が真っ白になりお膳を引っくり返してしまう。
 相手が最も嫌がることを残酷に狙って、復讐心をたぎらせる。
 その同じことがやがて我が身にも引き起こされる恐ろしさが、ぶっ飛んでしまうの だ。
 悲しき無明・・・。

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10月15日 ★人の心の深層には、幾重にも折り重なった闇の中の真っ暗闇がある。
 長年瞑想をしていても、その闇に根差した妄想にハマると、断じて手放せなくなる ものだ。
 妄想と事実を取り違え、熱く、暗く、激しく反応し、愚かな不善業をさらに積み重 ねていく悲しさ・・・。。

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10月14日 ★アチャン・ターウィは、細かな指導はあまりなさらず、どんな話も微笑しながら聞 いていて、最後に「・・ツカむな。気づいてなさい」としか仰らないことが多い。
 好きなようにやらせていて、ただ見守っている。 
 深い気づきを暗黙にうながす、見守られている力・・・。

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10月13日 ★タイの寺で修行していた時、奇声を発しながら境内をうろつく浮浪者のような男が いた。
 なぜアチャンは、こんな変な人の常住を許しているのか解せなかった。
 1年後に再訪すると、男はすっかり寺に溶け込み、自分なりの雑務を担当しながら 穏やかに暮らしていた。
 見捨てず、排除せず、優しく見守る聖域の力・・・。

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10月12日 ★駅の構内を歩きながら、ポケットからスマホを取り出そうとしてルーペを落とした らしい。
 すぐ横を歩いていた女性に「落としましたよ」と言われ、振り向くと、別の男性が 拾い上げ手渡してくれた。
 些細なことでよく人から助けられる。
 善き事を人に教えたり助けたり、及ばずながら徳を積んできた果報か・・。

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10月11日 ★情報には情報独自の世界があり、互いに反発し合うものもあれば相性の良いものも ある。
 情報にヒモを付けて、ほしいままに操作するエゴが、愚かさの元凶だ。
 思考モードを離れれば、情報が情報同士の論理で有機的に結晶し始めるだろう。
 瞑想する。
 頭を空っぽにする。
 智慧が出る・・・。

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10月10日 ★苦しい人生だからこそ、道を求めて人格が磨かれ、智慧と優しさが体得されてい く。
 苦を感じる一瞬一瞬、過去に形成した不善業が消えていくのだ。
 ただ苦しむだけでも、生きることに意味がある。
 苦しむが、心を汚さない。
 新たな不善業を作らなければ、未来は必ず良くなっていく・・・。

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10月6日 ★ヴィパッサナー瞑想の普及活動を始めて22年。
 修行現場に立ち続けた結果、サティとサマーディをいかに深めるかよりも、「心の 清浄道」こそ真の瞑想であると徐々に認識が改まっていった。
 グリーンヒルの原点、朝日カルチャー講座新シリーズが始まる@10/8(土)午前10時 +午後6時。

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10月5日 ★自然に言葉を喋っている私たちが、母国語を外国人に教えるのは簡単ではない。
 苦労して日本語を習得した外人の方が、初歩的な日本語を教えるのが上手いのでは ないか。
 瞑想の「あいうえお」は日本語で習い、その先の研究を外国の大学院でした方がよ い。
 基本がよく分からないまま、異国で瞑想している人たち・・・。

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9月27日 ★ミャンマーの僧院で7ヶ月の瞑想修行に入られた女性が帰国し、1Day合宿に来られ た。
 滞在中、日本人女性が何人もリトリート入りしたという。
   時代の流れを感じるが、外国での修行心得として、基本をマスターしてから現地入 りするのがよいだろう。

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9月26日 ★「どうしたら、妄想が止められるのでしょうか?」  この世のことに深くとらわれているので、欲しいものや嫌いな人が浮かんでくるの です。
 人間的に成長し、執着する心が弱まれば、妄想を手放す力がついてきます。
 その日の到来を目指し、  「悪いけど、瞑想中だけは相手にしないよ。・・瞑想が終わったら、またおいで」  と妄想さんに宣言しましょう。

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9月25日 ★我が家、マイホーム、故郷、牙城・・呼び方は何であれ、帰っていける居場所がど こにもないと、人の心は糸の切れた凧のように不安定になる。
 エゴの納まる心理的な原点が複数ある感覚は、視座を自在に転換させる訓練になり 得るだろう。
 唯一つしかない絶対的な拠り所にしがみつき執着する危険を自覚する。

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9月24日 ★週末は日暮里の事務所を拠点に東京での仕事、週日は下館の道場、と完全な二重生 活が定着している。
 食事、買物、美邸や景観に富んだ街路など、生活圏の情報と脳地図がガラリと一変 するのが刺激的だ。
 花が咲き、新緑が芽吹き出す街並は異なるが、谷中も下館も古い住人の人情が驚く ほど似ている。

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9月23日 ★人と関われば、素晴らしい情報と感動がもたらされ、互いの世界が豊かになるだろう。
 だが、孤独になる時間がなければ、意識は常に他人や外界の情報に縛りつけられて しまう。
 自己客観視する視座も、思考モードでなされている限り、エゴの限界を破る洞察の 智慧には至らない。
 瞑想しよう!

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9月22日 ★瞑想をしないでいると、脳味噌が豆腐を茹でたような感じになってくる。
 たとえ瞑想やダンマについて考えていても、日がな思考漬けで過ごせば、脳が腐っ てくる。
 体が汚れているのに、お風呂に入れない。
 垢やカスが詰まっているのに、掃除できない。
   妄想の鍋で煮崩れていく湯豆腐・・・。

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9月21日 ★夜になり雨が上がったので、六門開放型の歩行瞑想をしながらスーパーへの桜並木 を歩いた。
 強い雨脚に打たれ無惨に散った桜を予想していたが、見事な満開の状態を維持して いた。
 なんとなく心が明るくなり、小学校の桜並木の下を歩く新入生の姿が連想され た・・。

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9月20日 ★桜並木を歩く足の運びにサティを入れるのもよい。
 同じ姿の圧倒的な花の大群を「見た」、亡母が最期に見上げていた夕闇に紛れる枝 垂れ桜を「回想」とラベリングしてもよい。
 切なさと悲しみが微かに過っていく心の一瞬を自覚しているのもよい。
 刹那刹那の自分を客観視する視座の維持・・。

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9月19日 ★花見に来たのだから、「見た」と厳しくサティを入れすぎては、桜花の意味すら形 成されなくなる。
 心に去来する印象や情感にマインドフルであれば十分である。
 年々歳々再帰してくる花も、いつの間にか老木になっていく。
 なぜか、残余の命を天に委ねきろうと、心が定まっていく夕暮れだった・・。

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9月18日 ★花見などついぞしたことがなかったが、今年の春は、桜が最も輝いている姿を心に 焼き付けておきたくなり、所用を兼ねて五行川の桜並木を歩いた。
 この世の見おさめに・・などという悲壮感があった訳ではないが、人生の第4コー ナーに差し掛かっている自覚は切実になってきた。
 ・・明日には散り始めるかもしれない目の眩むような数の花が、今だけ! と無言 で訴えているような「あはれ」を感じた。
 立ち枯れているのではないかと見まごう老木までもが懸命に花開かせている姿に感 慨を覚えた。

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9月17日 ★この世の一切を捨てていくのが原始仏教の究極の方向だが、ものごとを手放してい くのには順番がある。
 心が完全に納得了解した上で一つひとつトドメを刺していけば後戻りがない。
 それゆえに自分の現状にありのままに気づいて、在るものは在る、無いものは無 い、今は無いが再び現れるものは現れる・・と正しく知らなければならない。

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9月16日 ★世界最大の魚ジンベエザメとゴキブリの赤ちゃんでは、体の大きさも食べるものも 棲む場所も寿命も違っているので、優劣を競ったり、 見下したり、嫉妬し合うのは 滑稽だろう。
 そのように、人は誰も、長い輪廻の中で積み重ねてきたカルマと諸々の因縁因果が 異なるのだ。
 エゴ妄想で強引にまとめれば、苦が発生する・・。

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9月12日 ★「客観的に」「あるがままに」観るとは、どこにも片寄らず、公平に眺めることで あり、自己中心的に見ない練習である。
 「サティ」の瞑想が単なる技術ではなく、エゴ感覚を手放し、無我性の究極を目指 す仏教の方法論であるのもうなづける。
 全人格的な壮大な営みだが、一日10分から・・。

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9月11日 ★「膨らみ・縮み」とサティを入れ、「離れた→進んだ→着いた」とラベリングす る。
 技術的にサティを入れることはできても、エゴを対象化し、どこまで自己客観視が できているかは千差万別、ピンからキリまでの個人差がある。
 心が本当に成熟し、人格が完成してくるのに比例して、エゴレス度が深まってい く・・。

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9月10日 ★正しい技法と習得への情熱があれば、道を極めていくことができる。
 ブレることなく専念するには、なぜ、そうするのか、自分はどう生きるべきなのか を心得ておかなければならない。
 宿業や運命の押しやる力と自らの自由意志がきれいに重なった時、人は輝く。
 まず、現状に気づくサティ!

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9月9日 ★どの分野でも、名人の域に達した人の脳活動を調べると、ごく一部の脳領域しか使 われていないという。
 素人や初心者ほど、どこに、どう注意を注ぎ、何を、どうすればよいのかが分から ず、力いっぱい余計なことをしてしまう。
 なすべきことを正しくなすには、どうしたらよいのか・・・。

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9月8日 ★自信がなく、自己肯定感の乏しかった母親が、子供の卒業式にひとり涙した。
 自分と同じ苦を受けないように、丁寧な愛情を注ぎ、全身全霊で子育てしてきた結果、 自己肯定感のある優しい子に成長し、一区切りが着いたのだ。
 瞑想に出会いダンマを指針とし、揺るぎない決意があれば、苦は乗り超えられてい く・・・。

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9月7日 ★苦しい経験をしてきたがゆえに、人はダンマ(理法)に出会う・・・。

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7月20日 ★ネガティブな情況の流れを静かに受け止めているのか、否定的なものの見方と反応の結果を自ら具現化させているのか?
 どうしようもない嫌なことに巻き込まれたのではなく、無意識に自分の望んだことが起きているのではないか。
 悲観と負のスパイラルの中で、業が帰結し、新たな業が作られていることに無自覚な人・・。

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7月19日 ★チワワからセントバーナードまで、これだけ色も大きさも顔も形も異なるのに、同じ「犬」として一つにまとめてしまう。
 その能力が、万物の中に無常の法則を洞察させるのだろう。
 いつまでも昔のことを恨み、邪推し、将来不安に怯えながら暮らす、妄想の地獄も手に入れてしまったが・・・。

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7月6日 ★人は、「理不尽」と感じた時と「自分が正しい」と思ったとき、最もよく怒る。
 因果論を徹底的に理解すると、「起きたことは全て正しい」という意味が腹に落ち るだろう。
 すると、怒りに気づいて抑止するのではなく、怒りという反応そのものが激減す る。
 愚か者は、よく怒る・・・。

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7月5日 ★ツイッターの原稿を書こうとタブレットに触れた瞬間、いきなり操作不能となり アッという間に初期化されてしまった。
 再使用可能となるまでの煩わしさを思い、一瞬、呆然としたが、冷静だった。
 時間を空費する不善業が現象化したのだろう。
 腹が括れていれば、嫌悪も失望もあり得ない。

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7月4日 ★聖者でない限り、不善業を作ってしまう瞬間も悪意が浮かぶ一瞬も、悲しいかな、 無くすことができない・・。
 人生苦を受ける原因をゼロにはできないのだから、この世は一切皆苦の構造であり 続けるだろう。
 のみならず、久遠の過去世からの負債はいかばかりか。
 解脱するしかない・・・。

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7月3日 ★なぜ、あの人に・・と首をかしげたくなるような事に襲われるのが人生だ。
 だが、現象が生起したからには、相応のカルマを作った瞬間があったはずである。
 お釈迦様ですら、罵られたこともハメられたことも足指に棘を刺したこともあった のだ。
 起きたことは全て、引き受けていく覚悟・・。

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7月2日 ★崇高な心も、醜い心も、煩悩に目が眩むのも、智慧が閃く刹那も、どの一瞬も真実 だったのだ。
 強引にまとめ上げた「自己イメージ」に執着すると、人生が苦しくなる。
 他人のイメージも一つに要約し、まとめてはならない。
 存在は一瞬の現象の連鎖であり、前後際断、個々別々と心得る・・。

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6月22日 ★一瞬の意志が、グラリと人生の流れを変えていく。
 その意志は、どのように定められていくのか。
 人の心は、どう変わっていくのだろうか。

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6月21日 ★瞬間的にエゴ感覚が弱まったときに、自己客観視の任務を担ったサティが入るのだ ろうか。
 瞑想修行の結果、サティの脳回路が自動化されてきたがゆえに、エゴの独裁支配を 客観視する瞬間が訪れるのだろうか・・・。

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6月20日 ★集合された無数の情報と要因が、必然の力で一つの反応を立ち上げる。
 反射的かつ自動的なプロセスで一気に心のドミノを倒していくが、熱心にサティの 瞑想をした者には、客観的に情況を把握する一瞬が訪れるだろう。
 そのまま殴り倒す自由もあるが、上げた拳を下ろす自由もある。
 闇も、光も・・・。

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6月19日 ★何でも自分で考え、選び、自分の意志で決めていると錯覚している人が多い。
 だが、自分の意志がはたらいた瞬間、その0.5秒前には既に脳の活動が始まってい ることを脳科学は明らかにしている。
 自由意志とは、脳が膨大な情報処理をした最終結論を、ただ宣告するだけの役割で はないのか・・。

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6月18日 ★末端の現場の情報が経営方針を左右するように、中枢は末端の奴隷に過ぎないかも しれない。
 一瞬の意志を決定しているのは「自分」ではなく、周囲の環境の情報と過去の経 験、知識、親の影響、劣等感、トラウマ、長年の夢・・等々、膨大な要因と諸力がは たらいた結果ではないか。
 無我とは・・・。

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6月17日 ★エゴが自覚している心の世界と、無意識に抑圧された本心との間には大きな溝があ る。
 その真逆の認知と正反対の指示命令に引き裂かれ、日々自分との戦いに疲れ果てて いないだろうか。
 熱く反応し、強烈なカルマを作っていく瞬間の「意志的行為」は、いったいどのよ うに形成されていったのか・・・。

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6月16日 ★情報の取り方、解釈の仕方、まとめ方、そして反応の仕方が、自己中心的になりが ちなのは避けがたい。
 生きることは、反応することであり、反応する瞬間に出力される心のエネルギーが 業を作っていく。
 その結果、否応のない力で苦楽の人生が定まっていく。
 人生の流れは変えられるのか・・・。

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6月15日 ★ヴィパッサナー瞑想は、正確に修行すれば必ず成果がある。
 しかるに、サティの入れ方が甘いのに素晴らしい瞑想体験をする人もいる。
 追究すると、集中型のサマタ瞑想の成果だったり、五戒や善行の瞑想に由来してい たりする。
 総合的システムとしての「清浄道」の瞑想効果ではある。

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6月8日  苦しみ悩みさ迷い続けた挙げ句に、正確な診断名がつくと、「ああ、そうだったのか・・」と不思議な安堵感に包まれる。
 何ひとつ事態は変わらないままだが、得体の知れない不安と妄想が終息する。  認識を確定するラベリングの効果。
 正しく自覚すると生まれてくる、現状を受け容れる力・・。

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5月30日  瞑想は思考を止めてナンボの世界だ。
 たとえ妄想に巻き込まれることがあっても、思考モードが減少することは確かだろう。
 その結果、思考を統合している「主」のようなエゴ感覚も弱体化する。
 自己中心的な発想とは次元の異なる「閃き」が生じる可能性が増す。
 潔く思考を手放すこと・・・。

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5月29日  意識的なことよりも、なんとなく感じていることや無意識に思っていることの方が強く出力され、業を作っていくものだ。
   無自覚な思考パターンに、気をつけなければならない。
   無くて七癖の常同的振る舞いの自覚化から、人生の流れが変わっていく・・。
   気づきの瞑想をする・・サティ入れる。
 

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5月28日  朝日カルチャー講座→1Day合宿→会議・・と働きづめのハードなスケジュールでも、昔から「ああ、疲れた」と感じたことがほとんどない。
 価値あること、大好きなこと、達成感のあること、人のお役に立てた手応えのあること、には疲労感がない。
   静かに完全燃焼している充溢感・・。

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5月24日  不幸のどん底も幸福の絶頂も、1週間後、1年後、3年後には、すべてが変わり果ててしまうではないか・・。
 黄金時代の日々も、苦境を乗り超えてきた記憶も、心の真の成長には、どちらも等価なものだったと覚られていく。
 過ぎ去ってしまえば夢のよう事ばかりなのに、なぜ、そんなに・・?

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5月23日  過去に作った善業や不善業によって、日々経験する事象はほぼ定まっている。
 最悪の事態も超ラッキーなことも、起きることは決定的に起きてしまうのだ。
 それに逆らう自由も受け容れる自由も、ある。
 古い業が新しい業によって微調整されていく瞬間だ。
 サティを入れて見送るという選択・・・。

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5月22日  同じ屋根の下で起居を共にした合宿最後の打ち上げの宴では、瞑想者が所感を述べ、来歴を語り、時に深い自己開示がなされる。
 瞑想とダンマがいかに人生の流れを変えてきたかの物話がシェアされ、共感し合える不思議な親和感に包まれていく。
 「3日間のダンマファミリー」とラベリングした・・・。

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5月21日  寒い2月の合宿だったが、桃の花を届けてくれた花屋の女将が「これはサービスです」と菜の花を添えてくれた。
 道場の一角に春が到来したかのようだ。
 花を、仏像を見た瞬間、心に連想され立ち上がっていくものを止めていくサティの瞑想なのだが・・。

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5月14日  日常生活では、厳密なサティの修行モードから変換しなければならない。  眼耳鼻舌身意の情報の中身を理解しながら、「見ている」「聞いている」「考えている」と自分を俯瞰していくのだ。
 今、自分は何をしているのかに気づこうとすればよい。
 自覚の維持を心がけるマインドフルネス・・・。
 

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5月13日  何よりもコテコテの大阪弁と笑顔で接客される楽しさ、心地よさ。
 スルスルと話が進み、試着し、やがて思いも寄らない結末を迎えた。
 求めていた品がセール中なので、同じ値段でもう1足買えるという。
 えーッ!とサプライズする瞬間の脳の肉が興奮するリアル感と、ネット買物のバーチャル性。

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5月12日  歩行感覚を意識しながら、手の冷たさを感じ、ハイヒールの甲高い足音を聞き、いかにも大阪らしいお店の看板を眺め、漂ってくる珈琲の微かな匂いに喉の渇きを覚える。
 予想地点に店が見当たらなかった瞬間の、微かな心配と焦りと反射的に溢れ出す対策・・。
 脳が全面刺激されている快感・・・。
 

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5月11日  愛用しているMBTの靴が古くなったので関西瞑想会の翌日、大阪にも2店舗ある専門店を探し訪ねた。
 外国の見知らぬ街を歩くようなワクワク感と、観察・分析・探索モードで脳全体が活性化していく快感を覚えた。
 ネットの買物は、五感六識をフル活動させる生命の本来を失わせていないか・・。

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5月10日  次々と水面に拡がっていく波紋のように、優しさから優しさが手渡され伝えられていく。
 だが、愚かな善意と智慧なき優しさは、人を真の幸福にみちびかない。
 現状を正確に把握し、何が本当に相手のためになるのか熟慮されるべきではないか。
 明晰な智慧と優しさが連動する慈しみの瞑想・・・。

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5月9日  1年後には、記憶の40%は当てにならなくなり、感情の記憶になると60%は食い違ってしまうという。
 そもそも今の瞬間をあるがままに見ることが至難の業なのに、その不正確な記憶がさらに変容してしまうのだ。
 生きてきた証しは記憶しかないのに・・、人生とは、何なのだろう。

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5月8日  思考の流れが止まり、静かになった心の内奥に耳を澄ませ、どうしてもやりたいと感じることはやってみるしかないだろう。
 痛い思いをしなければ骨身に沁みないし、失ってみて初めて値打ちに気づくものだ。
 学ぶべきことを学ぶなら、自ら蒔いた種を刈り取る苦しい人生にも意味がある・・・。

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5月7日  何のデータも入れなければ、優秀な演算機能を持つパソコンも空箱同然になってしまう。
 学ばない、考察しない、情報を集めない、練習もしないし、修行もしない。
 ただ心を空っぽにして、静かにしているだけで洞察の智慧が閃くだろうか。
 現実逃避の瞑想、虚しい空っぽ、無意味な静けさ・・・。

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5月6日  習練すべき技能が修められ、必要な情報が十分に集められているならば、余計な準備や計画で頭をいっぱいにしない方がよい。
 その瞬間、即興で閃くものにはムダがない。
 脳内に用意されたものを意識的に具現化するタスクは、今の瞬間にブレーキをかけるだろう。
 心を空っぽにして、静かにしていること・・・。

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5月5日  20年ほど前カルト集団が起こした陰惨な事件によって、「瞑想」のイメージは泥を塗られ、怪しいうさん臭いものと見られてきた。
 先日、市の臨時職員らしき30代女性に職業を訊かれ「瞑想のインストラクター」と答えると、「まあ、素敵。カッコいいですね」と言われた。
 時代が変わったものだ。

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5月4日  外国で一度だけ出会った僧の言葉が、その後の人生の指針となったこともある。
 20年以上瞑想会を続けてきたが、事実上、一期一会となる方が多い。
 それゆえに、なんとかヴィパッサナー瞑想の本質を伝えたいと、その一瞬に集中してきた・・・。

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5月3日  夜道を歩いていたら、角の暗がりから突然「福は内!」と大きな声がした。
 そして、「鬼は外!」のタイミングでこちらに向かってパラパラと豆が飛んできた。
 幸福は我が家だけに、災いの元凶は他所に・・という訳か。
 嫌いな人や敵対する人にすら「幸せであれ」と祈る瞑想との落差を感じた。

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5月2日  では、自らを拠りどころとし法を拠りどころとするには、どうしたらよいのだろうか。
 ブッダは言う。
 「よく気をつけて身を随観し、受を随観し、心を随観し、諸々の事象を随観して、貪欲と憂いとを除け」
 つまり、ダンマが自らに顕わになるとは、サティの瞑想をしている一瞬一瞬だということ。

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5月1日  「自らを頼りとし、他人を頼りとするな。法(ダンマ)を拠りどころとし、他のものを拠りどころとするな」とブッダは言う。
 本能の命じる声ではなく、なんの根拠もない自己肯定感でもなく、ダンマが顕わになった自分を信じる力が本当の「自信」だということ・・・。

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4月30日  ギラギラしたエゴ感覚と煩悩に満ち満ちた自分を信じるのが「自信」なのだろうか。
 それは愚か者の我執に過ぎない。
 理法(ダンマ)に基づいて生きていく覚悟が定まった自分に揺るぎない信頼を定めていく。
 「自信」とはそういうことである。

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4月29日  持てる力を全てやるべきタスクに投入できたら、素晴らしい結果が花開くだろう。
 自信がない人の心の中では、「やれるだろうか」「大丈夫だろうか」と不安との戦いや、内面の葛藤にムダなエネルギーが費されヘトヘトになっていく。
 「信(サッダー)」のない人は、自滅していく・・・。

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4月28日  晴れた日は楽しく、風の日は全てがクッキリ明晰だ。
 雨の日は肌も潤い、葉群の緑も樹皮も美しい。
 淡い曇りの日は心が落ち着き大好きだ。
 雪が降る。現実が詩的になる。
 冒険好きなので嵐が来るとワクワクする・・。
 全てを肯定できれば、現象世界が達観される。
 執着がなくなると、苦が激減する・・・。

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4月27日  狼がきたぞ!という誤情報からでも、現実の反応が起き、大騒ぎになってしまう。
 そのように、実体のない幻のような「エゴ」であっても、傷ついたという印象を受ければ、ホルモン系に一連の反応が起き、愛着障害のような問題も発生してしまう。
 「自我」を確立してから「無我」を悟る順番・・・。

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4月26日  「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば、憂いは存在しない」とブッダは言う。
 「安全基地」を体験した者は、「安全基地」を手放すことができる。
 万物と繋がり合い万物に支えられていると知り、無我を体得した者は、独り犀の角のように歩む・・・。

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……………4/14~4/25はお休みです……………………………………………………………………

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4月13日  自信がなく、自己嫌悪や自己否定感覚との葛藤で苦しんでいる人たち。
 そんな自分を丸ごと受け容れてくれる揺るぎない絆に支えられれば、安心してのびのびと実力を発揮できるだろう。
 だが、その支えを失えば、絶望的な悲しみの中に失速する。
 何ものにも依存しない自己完結を目指す・・・。

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4月12日  妄想が排除され脳内がクリーン化されただけで、目覚ましい瞑想効果を感じる事例は膨大にある。
 物が処分できるようになり、衝動的な行動が少なくなり、単純ミスが激減し、仕事が速くなったと言われるようになった・・等々。
 今の瞬間に気づく瞑想は、人生の現場に直結してくる・・。

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4月11日  歩く瞑想のやり方が間違っていたわけではなかった。
 だが、インストラクションを受け、ひとつ一つの動作に溜めを作ってから感覚を取り、余韻を感じてからラベリングをするように微調整した。
 すると、頭の中が異様なほどクリアーになったという。
 自覚されない妄想の微塵まで一掃された世界・・・。

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4月10日  眼鏡の汚れを拭けば拭くほど、顕微鏡の倍率を上げれば上げるほど、微細なものまで鮮明に見えてくる。
 心がきれいになればなるほど、自分の心の汚さ、未熟さが見えてくる。
 心が真っ黒な人ほど、自惚れる・・。

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4月9日  「婦人画報」3月号でメンタルヘルス特集がなされ、ヴィパッサナー瞑想がその一環として紹介された。
 歳を重ねるにつれ、女性の悩みは多岐にわたり、ストレスや心に重い問題を抱える人が少なくない。
 取材に応じ概略を語ったが、「生きる技術」としても、瞑想の裾野は広がる一方だ・・・。

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4月8日  完全に不要になったゴミを捨てる瞬間に、怒りはない。
 執着が何もない「手放し」の感覚が、仏教の引き算だ。
 獲得すれば獲得するほど、束縛と苦しみとエゴ感覚が肥大していくことに気づかない無明。
 足し算の貧しさ、引き算の豊かさ・・・。

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4月7日  「よーし、いいこと聞いた、やってみよう」と、猿真似をすると上手くいかないものだ。
 期待と欲でワクワク、ギラギラしている人には、無心に行なった人の「捨」の心がない。
 ビギナーズラックが起きるときの要因の一つだろう。
 余計なことは何も考えず、「一所懸命、淡々と」できますか?

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4月6日  ヴィパッサナー瞑想を実践して2ヶ月だが、3つの効果があったという。
 ①仕事が速くなった。
 ②クレーマーに怒鳴られる業種なのに、自分だけ激減。
 ③苦手な上司と理解し合えるようになった。
 ①はサティの効果。②は慈悲の瞑想。③は①②の相乗効果で自己中心的な見方が変化したから、と解釈される。

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4月5日  壊れた水道のように、四六時中思考が止まらないのが人の基本設定だ。
 集中し、サティを入れ、思考の止まった静かさを味わう。
 さらに、後悔を、自責の念を、恨みを、抑圧された闇を手放すと、心はいちだんと静かになる。
 雑念のない清潔、深層の心も浄らかにした自信と安息、深められる瞑想・・・。

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4月4日  自分が犯してきた悪業の相殺のために、人を押しのけるように強引な善行をしている人もいる。
 皮算用どおりの報果が得られなければ、取引で損をした人のように怒り出すにちがいない。
 本当の優しさも、真の善行も、「私が幸せでありますように」を成就した人からこぼれ落ちる・・・。

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4月3日  素晴らしい善行をしているように見えるが、ああ、この人は自分の徳のポイントを増やす事しか考えていないのだな・・と、分かってしまう人がいる。
 エゴイストの冷たい優しさ・・・。

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4月2日  自分からは何事も決めることなく、ただ、必然の力で生起してくることをそのまま受け容れていく生き方をしてきた。
 嫌だな・・と反射的に、ネガティブな反応が立ち上がることも多々あったが、我執の判断が入らない仕掛けになっていた。
 受動性に徹した生き方をしていくと、宿業に組み込まれていたものが顕わになっていく・・・。

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4月1日  何事も、最初から正師につけばよいものを、回り道しながら遍歴することが多かった。
 失敗を重ね、試行錯誤を繰り返す必要があったのだろうか。
 後年、自ら望んだ訳ではない不思議な展開で、瞑想指導にたずさわると、バラバラにやり散らかした全てが必要な学びだったとリンクしてきた・・。

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3月31日  ついに究極の道にたどり着いた確信が込み上がってきた原始仏教だった。
 だが、分け入ってみると、同じ原理と基盤の上に立ちながら、修行現場では微妙に異なるいくつもの技法が行じられていた。
 経験知と直観を拠りどころに、さらに求法の旅を続けた果てに、異国の森林僧院に導かれていった・・・。

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3月30日  私が初めてヴィパッサナー瞑想を試みた20数年前は、寺も文献も師もインターネットも、情報というものがほとんど無かった。
 既存の脳内データを全開にして、闇の中を手探りで試行錯誤していった。
 正解が封印されていたがゆえに、瞑想の構造的理解が深まり宝となった。

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3月29日  心は多層構造である。
 表面意識が無思考状態に入れても、意識下で通奏低音のように鳴り響いているものがある。
 トラウマや劣等感などが多いが、それだけではない。
 慈悲の瞑想に集中してからサティの瞑想を開始すると、暗黙の慈悲の波動が放たれる。
 優しい空間が出現する所以である。

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3月28日  瞑想は、孤独な営みである。
 外界の人や環境との関わりを一時的に中断するからである。
 腐った内面を浄化し整えるためには、まず独りになって情報の乱入を拒み、思考や判断を停止しなければならない。
 瞑想者は内閉的な世界に自らを閉ざすがゆえに、ワガママになり独善的になる危険がある。

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3月27日  余計な妄想を駆逐するサティの持続と、互いに思いやりさりげなく配慮し合う慈悲の瞑想の波動が絶妙にハーモニーを奏で、瞑想道場は優しい沈黙に包まれていく・・。

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3月26日  それだけではない。
 人にも情報にも環境にも恵まれなければならない。
 外的な条件は、これまでに作ってきた善業と不善業によって決まる。
 徳がなければ瞑想が進まない所以である。
 そして全てが整っても、心に傷がありわだかまるものがあれば、瞑想は破綻する。
 反応系の心を組み換えていかなければならない。

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3月25日  苦楽中道の原始仏教では、断食は苦行と見なされるのが常識である。
 しかし2日程度の断食は苦行ではなく、体の毒素を排除するデトックスであり、瞑想を深める技法である。
 秀逸な瞑想は意識の透明度に比例し、意識は体調、体調は食事の調整によって決まる・・。

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3月24日  自分に対する怒りであれ、他人への憤りであれ、怒りは対象を打ち消し、拒み、否定し、破壊するエネルギーである。
 怒りを発すれば、その被害を最も深く、強力に受けるのは、自分自身である。
 病む。怪我をする。心が傷つく。関係が壊れ、情況が悪くなる・・・。
 愚か者は、よく怒る・・・。

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3月23日  CDブック「ブッダの瞑想法 瞬間のことば」(春秋社)のプローモーションビデオがYouTubeで視聴できます。
 https://youtu.be/LvNB525WYd8
 台所や車の運転中などに「耳で聴く瞑想」の本として愛用されてきた。
 耳から、ダンマと瞑想の世界へ・・・。

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3月22日  我執が深くエゴが強い人の中でも、自分を嫌悪し怒りを持っているタイプの方は慈悲の瞑想がノラない、上手くいかない、苦手だ・・ということが多い。
 対策は、怒りとエゴを引き算することだ。
 他人を利する利他行や善行を課題にするとよい。
 エゴ感覚を弱め、他人を思いやる練習・・・。

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3月21日  毎日1回ツイートすると決めているが、超多忙の合宿もたけなわ、昨日は何もアップできなかった。
 今回は道場内業務に加え、CDブック「瞬間のことば」のプロモーションビデオの監修も並行処理している。
 含蓄のある瞑想情報を、いかに短時間の速攻で書くか。
 至難の業だが、挑戦したい。

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3月20日  堂々めぐりになった思考回路では、何も書けず、途方に暮れるばかりだ。
 歩く瞑想をすると、思考が止まり、頭の中を空っぽにできる。
 余計な回路が閉じられれば、脳内の全データが使用可能の状態になる。
 すると、意識下の必然性が必ず一瞬の閃きをうながしてくれる。
 歩けば、智慧が出る・・・。

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3月19日  歩くことは、極めて高度な脳の働きによって支えられている。
 ギリシアの賢者達が歩きながら哲学していたのも、脳科学的に理に叶っていたようだ。
 私も、原稿の筆が渋り、アイデアに行き詰まると、歩く瞑想をしながら近辺での所用を果たすことにしている。
 ほぼ確実に閃きが得られている。

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3月18日  若い頃、バイトで貯めたお金で旅に出た。
 新幹線が東京駅から滑り出した瞬間、日々の生活に完全に呑み込まれ、自分を見失っていたことに気づき、感動した。
 今、定番の仕事で毎月乗車する新幹線には、来し方を振り返り、自己客観視に誘う力はない。
 旅の力がなければ、サティの力を使う。

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3月17日  瞑想合宿に入ると、一日中サティを入れ続けることに専念する。
 しかし常に同一のテンションを保つのは難しく、誰でもネガティブな妄想に巻き込まれ不善心モードになることがある。
 その泥沼から脱出し、「サティ」という善心所に回帰するのに作務という善行が素晴らしい効果を発揮するのだ。
 トイレ掃除をする。窓を拭く。仏像を磨く。
 作務という善行為が不善心所モードを一掃してくれる。
 浄らかな心になるための動的瞑想・・・。

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……………3/9~3/16はお休みです……………………………………………………………………

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3月8日  昔、まちがえて洗顔フォームを歯ブラシに塗り、口に入れた瞬間、ギャッと叫びたくなる違和感を覚えた。
 「毒!」と判断せず、歯磨きの味も分からなくなった自分の味覚不全を責める意識が過ったことに感動した。
 『何があっても、自分が悪い』と考える修行を必死でしていた時代だった・・・。

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3月7日  「瞑想なんて、ただボーッとして、いい気持ちになってるだけだよ。あんなものやったって、どうもないわ」
 では、一瞬一瞬の身体感覚を感じながら、サティを入れて歩く瞑想はいかがですか。
 歩いている自分に気づいて、自分を対象化し客観視する練習です。
 自己チューの視座の転換・・・。

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3月6日  何も考えないだけなら、蛙やトンボや眠りこけている人と同じではないか。
 なんとなくまぶたの裏をボーッと眺めている鈍重な無思考状態では意味がない。
 音や匂いや思考が浮かんだ一瞬の、リアルな現実に明敏に気づく意識の修練。
 そこからだ、存在の本質を洞察する智慧が閃き出すのは・・・ 。

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3月5日  サティを入れ、余計な妄想を排除していくと、思考から生まれる欲望と怒りから自由になれる。
 何も持っていなくても、苦の種である妄想と執着を引き算していった果てには、ただありのままの自分で豊かに自己完結していることに気づく・・。

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3月4日  若い頃、毎日、宇宙と一体になる瞑想に耽っていた。
 宇宙の全てと一つになると、あらゆるものが自分のものという印象も生じた。
 当然、地球も日本もこの東京の界隈も私であり、私のものだという錯覚を楽しんだ。
 金はなかったが富裕感に満たされ、変哲もない日々が、妄想で輝いていた・・・。

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3月3日  災害に見舞われたり、大きな苦難が訪れると、ハッと我に返り、ただ普通に暮らせていることのありがたさが身に沁みる。
 夢や目標に向かっていく努力も、向上心も、悪いことではない。
 だが、淡々と過ぎていく今日が、今の瞬間が、ツマラナイ駄目なものと見なされていないか・・。
 サティを!

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3月2日  物作りも芸術もどんな創造や創作も、その技が極められていった果てには、ただ創造されたものだけが存在し、表現者のエゴが感じられない神業のような印象になるだろう。
 「創造している私」「表現しているこの自分」というエゴ妄想が微塵も入らないからだろう。
 「サティを入れている私」という感覚を微かに持ちながら瞑想している人には、頂門の一針である。

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3月1日  日々の瞑想とダンマの学びによって、エゴが納得すれば、表層の心は変わるだろう。
 ディープな瞑想や心底から揺さぶられる衝撃の体験があると、第2層の心も変わり、土壇場での反応にも矛盾がなくなってくる。
 過去世から持ち越した性根のような第3層の心を、どこまで変えていけるだろうか・・

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2月29日  下等哺乳類や鳥のように、丸ごと正確に覚えてしまう「写真記憶」の能力。
 人類はそれを捨てた替わりに、記憶情報をバラバラに並列保存し、概念化したり全体から本質を抽象する能力を得た。
 事実を正しく観るサティの瞑想と、ダンマに基づいた情報の編集で、人生は一変する・・・。

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2月28日  経験した出来事が問題なのではない。
 どのように脳内再生を繰り返すか、だ。
 ムカつく言動に絞り込んだ恨み篇。
 感謝のフィルターをかけてつなぎ合わせた感動篇。
 断片化された記憶が編集された脳内物語・・・。

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2月27日  人生に迷い、道を求めて東に西に遍歴しなければならなかった。
 カルマが悪かったのだろうか。
 その結果、デタラメな情報やネガティブな経験を重ね、膨大にデータ化されていった。
 それは、瞑想ができない人を教える上での宝物になった。
 カルマが良かったのか、悪かったのか・・・。

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2月26日  母国語でも、苦手な分野はチンプンカンプンでわけが分からない。
 どれほど語学ができても、実際に瞑想していない限り、瞑想者の通訳も実践的マニュアルの翻訳もできるわけがない。
 今回の英訳も2012年刊行の韓国語訳も、いずれも素晴らしい瞑想修行者が訳業に取り組んでくれた幸運・・・。

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2月25日  英語版では「椅子の瞑想」と痛みの観察について加筆した。
 脚を組んで座ることに慣れていない欧米の方々にもチャレンジしてもらえるように、と訳者に勧められてのことだった。
 脚が組めなければ組めないなりに、淡々とありのままに受け容れて心を乱さず、静かに、自分を客観視していく・・・。

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2月24日  「ブッダの瞑想法」の英訳原稿が完成した。
 朝日カルチャー講座を受講された米国人の学究が、4年の歳月をかけて彫心鏤骨の訳業に取り組んでくださった。
 これから出版社を探し刊行されるまでには、まだ難題が控えている。
 この瞑想が世界に広く実践されていく一助になることを願う。

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2月23日  煩悩に汚れた心を自覚しても、浄らかになりたいと願っても、怒ってしまうし、妬んでしまうし、貪ってしまう・・。
 溜め息をつきたくなるが、心の成長というものは、ゆるやかに、しずしずと進行していくものだ。
 上手くいかないから練習があり、修行がある。
 心は、必ず変わっていく・・・。

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2月22日  サティの一瞬に、全てがある。
 好ましい対象に夢中になって、食いついてはいけない。
 ネガティブな対象でも、ありままに認めなければならない。
 事の本質を洞察する智慧を得なければならない。
 公平なエゴレスの視座から気づきを入れなければならない。
 貪瞋痴から出離する一瞬・・・。

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2月21日  受け容れることができなければ、否定する心、嫌う心、拒む心、ネガティブな心と、さらにそれを打ち消そうとする心が渦巻き、たえず葛藤が生じていくだろう。
 本来あるべきものが、自然に展開することはない・・・。

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2月20日  母が亡くなり、遺体が家の中に安置されていた葬儀までの3日間、心はどこまで母の死を受け容れていただろうか。
 母の死が確定したのは、自分の手で棺を火葬炉の中に送り込み、骨と灰に化したのを見た瞬間だった。
 愛する者の死を完全に受け容れると、死者は残された者の心の中で生きていく・・・。

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2月19日  やらない方がよいと分っていても、煩悩に負けやすいのが人の心である。
 迷いやすく、ブレやすく、心が折れやすいと心得たなら、善い環境に身を投じてしまうことだ。
 守るべきルールを自らに課し、従うべき規則に準じてしまう。
 人の助けと、外側から律してくれる力に守られていく・・・。

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2月18日  環境の力がある。
 邪魔する人や助けてくれる人の力がある。
 因果が帰結する業の力があり、体内で燃える食物の力もある。
 人生は思いどおりにいかないが、環境も食物も交わる人も、選ぶ権利がある。
 善をなすことも悪をなすことも、人生の流れを自分の意志で変えていく自由もある・・・。

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……………2/5~2/17はお休みです……………………………………………………………………

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2月4日  「この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。
 智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行ないをなすべきである」
 「悪い行ないをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ(=天)に生れるであろう。
 しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう」(感興のことば)

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2月3日  「或る者どもは母胎の中で滅びてしまう。
 或る者どもは産婦の家で死んでしまう。
 また或る者どもは這いまわっているうちに、或る者どもは駈け廻っているうちに死んでしまう」
 「老いた人々も、若い人々も、その中間の人々も、順次に去っていく。ー熟した果実が枝から落ちていくようにー」(感興のことば)

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2月2日  ブッダは言う。
 「朝には多くの人々を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝には或る人々のすがたが見られない」
 「私は若いと思っていても、死すべきはずの人間は、誰が自分の生命をあてにしていてよいだろうか。若い人々でも死んでいくのだ。ー男でも女でも、次から次へとー」(感興のことば)

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2月1日  修行を来世につなぐ他なかった人。
 人生が花開こうとする年齢でこの世を捨て、修行の日々に入っていく人・・・。

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1月31日  子育ても終わり、残る生涯は聖なる修行の完成に捧げていく覚悟が定まっていたのに、無念にも再生していくことになった心中はいかばかりだったろうか。
 かけがえのない瞑想者がみまかった2週間後、その若き友でもあった者がこの世から出離していった・・。
 人生に迷い、出奔状態だった時に瞑想に出会い、心をととのえ、合宿スタッフを務めてきたが、タイで永久出家するために日本から飛び立った。

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1月30日  7年間も共に瞑想修行をしてきた法友が亡くなった。
 享年51歳。
 瞑想に支えられながら闘病の日を重ね、最期の日まで瞑想を続けていた・・・。

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1月29日  赤裸々な感情を露わにするのが憚られる場面ではサティを入れ、冷静に、淡々と振る舞えたら素晴らしい。
 悲しみに浸りたい時には敢えてサティを入れず、心おきなく泣けばよい。
 自分自身を自在にコントロールし、なすべきことをなしていく。
 その拠りどころとなるヴィパッサナー瞑想・・・。

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……………1/14~1/28はお休みです……………………………………………………………………

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1月13日  深い悲しみに襲われてしまうことがあるのが人生だ。
 「悲しみ」とサティが入らなければ、泣いてよいのだ。
 存分に泣くだけ泣き、心底から悲しみに浸らないと、わだかまり、抑圧され、引きずってしまう。
 一時停止のサティでは根本解決にならない。
 見るべきものを視るためのサティ・・・。

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1月12日  ・・と、達観している人のサティ。
 いつ終わるともなく浮上してくる心の現象に「欲」「落胆」「失望」とラベリングしながら、際限なく一時停止をかけ続けるサティ・・・。

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1月11日  最悪の事態に「不善業の返済ができてよかった」と祝う向きもあれば、超ラッキーな出来事に「ああ、徳のポイントが減ってしまった」と感じる人もいる。
 法としての事象はただそれだけのことであって、 福なのか禍いなのかを決めるのは人の心である。
 誰でも、今、その場所で、幸せになれるよ。

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1月10日  熱を帯びた信念で強く望んだことは、やがて具現化してくる業(カルマ)の世界。
 エゴの猿知恵で願望を実現させても、恐るべき執念で勝者になっても、実は不幸を引き寄せていただけかもしれない・・。
 宿業を受け入れるべきか。
 新たな業を作って、現象を動かしていくべきか・・・。

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1月9日  世間では運命と呼ばれる「宿業(過去世のカルマ)」によって、人生の流れも寿命もおおむね決まっている。
 今この瞬間の意志が新たな業を作り、その流れを微妙に変えていく。
 調整はできるが、ほぼ決定された人生・・・。

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1月8日  苦は苦とし、楽は楽として、ただサティを入れ、この世のいかなる事象も達観し、因果法則に縛られ無常に変滅していく存在の世界から離脱していく・・・。

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……………1/1~1/7はお休みです……………………………………………………………………




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