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今日の一言 (バックナンバー) '2015年1~12月

……………12/26~12/31はお休みです………………………………………………………………

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12/25(金)  人格がととのい、反応系の心の汚染がなくなり、思考を止め判断を停止して、ただ一瞬一瞬の事象をありのままに受け容れていく・・・。

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12/24(木)  サティの瞑想も慈悲の瞑想も、「瞑想が進む」とは、基本がいかに血肉化し深化していくかである。
 「理解」から「体得」へ・・・。

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12/23(水)  もう、これで終わった・・と卒業したつもりでいたのに、土壇場になると、まだ捨てられていなかったことに愕然とするものだ。
 人の心は多層構造である。
 薄皮を何度も剥ぐように、知的に理解し、人生の現場で検証し、瞑想の中で垣間見、渇愛の根が引き抜かれる瞬間に近づいていく・・・。

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12/22(火)  悪を避け善をなしカルマを良くしていけば、苦しい人生から解放され、必ず幸せになれる。
 その幸せを味わい尽くし、幸福の限界を知った者達に残された道はただ一つ、「The 修行」。
 世の歓楽を極めた果てに、一切皆苦の構造世界から解脱する道を示した王子に続いて、瞑想する・・・。

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12/21(月)  涅槃経のサンスクリット本には、パーリ原典には存在しない一行が付加されていて、古来から多くの人を惑わしてきた。
 「この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ」
 幸福の無常性を説き、一切の存在に苦の本質がひそむことを生涯に渡って伝えてきたブッダが述懐するはずのない言葉だ。

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12/20(日)  どの瞬間にも、意識が完璧な「無」のイメージを再生産し続ける無想三昧の至福が破れ、日常意識に回帰すると、見えてしまう。聞こえてしまう。感じてしまう。思考の泥沼に引きずり込まれてしまう。
 否応のない力で、一瞬の間断もなく意識が刺激されてしまう「行苦」の世界が始まってしまう・・・。

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12/19(土)  いくら夢を実現しても、馬の鼻先のニンジンを追う構造は変わらない。
 幸福の限界を知れば、無常の苦に出会う。
 因果性の支配する業の世界にいる限り、果てしない不満足性との闘いである。
 沈々たる静けさと恍惚のサマーディに没入しても、やがて終わりが来て、日常性に引き戻される・・・。

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12/18(金)  怒りを捨て去るのは難しい。
 欲望を手放すのはさらに至難の業である。
 無知であることは自覚すらできない。
 貪・瞋・痴の煩悩のみならず、生存欲まで手放していく究極の引き算の果てに・・・。

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12/17(木)  死んで無になれるなら、永遠の存在の流れから解脱する仏教の悟りに限りなく近づいてしまう。
 修行した者も修行などしたことがない者も、等しく同じ領域に入れるなら、輪廻転生から解脱するシステムを説いたブッダはかなりアホな人になってしまう。
 生滅を繰り返す素粒子、宇宙、生命・・。

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12/16(水)  同じエネルギーを出力をしても、対価の全額をもらえる人と、借金が天引きされてしまう人がいる。
 願いを叶える人も、努力の報われない人もいるのが業の世界だ。
 我が身に起きた事柄を、苦は苦のままに楽は楽のままに、ことごとく受け容れて感謝を捧げ、業の世界からの出離を目指す人達・・・。

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12/15(火)  ダンマと瞑想のみの時が流れ、夜を日に継いでいく寺の生活・・。
 瞑想合宿はあまりにも短いが、切実な期間限定のゆえに余力を残さず完全燃焼する
人もいる・・・。

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12/14(月)  心が折れてしまえば、人は孤独に耐えられない。
 心が折れるのは、妄想に巻き込まれるからだ。
 サティが入れば折れた心は霧消し、ただの状態があるばかりだ。
 と、わかっているそのサティが入らなくなる悲しさ。
 人には、語り合い共感し合える存在が必要だ。
 解脱するまでは・・。

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12/13(日)  瞑想は、孤独ないとなみである。
 樹の下で、洞窟で、廃屋で、自分自身と向き合わなければならない。
 人と群れていてはならない。
 おしゃべりをしていてはならない。
 だが、人は独りでは生きていけないのだ。
 瞑想と孤独・・・。

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12/12(土)  もう後戻りしない、揺るぎない反応系の心が確立されるまでは、自転車のペダルを踏み続けて坂道を上っていくと覚悟する。

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12/11(金)  汗とホコリで体が汚れるので、毎日お風呂に入る。
 欲望と怒りと嫉妬と高慢で心が汚れるので、毎日瞑想をする・・・。

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12/10(木)  ダンマの世界に心が洗われても、世俗の煩悩世界に戻ればたちまち泥んこになってしまう在家の悲しさ・・・。

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12/9(水)  全てを押し流していく濁流のように、現象世界は生滅し流転していく。
 善くも悪くも、情況は、変わっていく・・。
 鋭いサティの入った正確な認識も、たちまち角が取れ、細部が誇張され、ステレオタイプの絵になっていく。
 更新されていく色法と名法の世界、その一瞬一瞬に気づき続ける瞑想・・。

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12/8(火)  同じ一つの現実なのに、100人いれば100通りの世界が脳内に拡がっていく。
 何度見ても何百回聞いても、同じ理解、パターン化された解釈が自動的に立ち上がってしまう。
 スルーしたものは常にスルーされ、人は見たいものを見ているだけだ。
 ・・・目からウロコが落ちるサティ!

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12/7(月)  妄想を妄想と気づく力が、事実を正確に視る力となって、認知を変えていく。
 ものごとの見方が変われば、やがて反応系の心のプログラムがすっかり書き換えられていく。

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12/6(日)  誤解と錯覚だらけの、デタラメの認識で人を恨み、狂おしく恋い焦がれてきたのではないか。
 そんな、これまでの人生は何だったのだろう・・。
 なぜ古来から「人生は一場の夢に過ぎない」と言われてきたのか・・・。

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12/5(土)  瞑想しても手応えがなく、これといった結果が出ない・・・。
 ものごとの真実の状態をあるがままに観ていく技法なのに、不正確なやり方で、いい加減にやっていないだろうか。
 正確に実践すれば、システム本来の姿が露わになり、十全に機能が発揮されるだろう。

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12/4(金)  生存のために進化してきた人類の脳・・。
 地球の自然環境を破壊し尽くす勢いで、人工的に都市化させ文明化してきた結果、人の脳の使い方もいちじるしく変化した。
 いつから人類は瞑想をしてきたのか、確かなことは分からないが、今ほど瞑想が必要な時代はない・・・。

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12/3(木)  人は、なぜ瞑想するのだろうか?
 なぜ瞑想は、孤独になって、森の中で、樹の下で、廃屋で、自分と向き合うのだろうか?
 ・・・瞑想会へ行ってみるか。

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12/2(水)  「苦楽を等価に視る」などと妄想で納得することも、受け売りを語ることもできるだろう。
 だが、切れば血の出る人生の現場で辛酸をなめ、歓楽を極めて腹に落とし込まれたことしか役に立たないのだ。
 哲学する者はすればよい。
 自分は、瞑想の実践、人生の現場を離れまい、と決心してきた。

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12/1(火)  絶対に諦めず初志貫徹していけば、たとえ今世でダメなら次の世かいつか、望みが叶う日は必ず来るだろう。
 だが、夢を実現しても人生は苦しいし、しなくても苦しい。
 勝利者には勝利者の苦しみが、負け犬には負け犬の悲哀と学びがある。
 より幸福度の高い選択をしていけば、やがて「心の清浄道」を歩むのではないか。

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11/30(月)  欲しかったものが手に入り、欲望が満たされたときの幸福感。
 人のお役に立つことができた。
 人に心から喜んでもらえた。
 あなたのお陰です、と感謝されたときの幸福感。
 ゲットする幸せがあり、与える幸せがある。
 成熟するということ・・・。

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11/29(日)  合宿の最後は、沈黙行から解放された瞑想者が、簡単な自己紹介をしながら互いに親睦を深め合う。
 ご家族を喪って瞑想に出会うまでの経緯が淡々と語られ、感銘を受けたこともある。
 なぜ、これほどの悲しみを、かくも静かに伝えられるのか。
 客観的な事実のみが呈示され、叙情が抑制されているゆえに、語り手の胸中への共感が深まり、心を打たれた・・・。

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11/28(土)  修行が始まるや一斉に沈黙行が布かれ、誰もがサティの瞑想に没頭していく。
 一日のどこかで必ず慈悲の瞑想をするのも義務化されている。
 参加者全員が、他の全員に対して慈悲のバイブレーションを互いに放射し合っている状態。
 一言もしゃべらず目も合わさず挨拶もしないのに、優しい沈黙が響いているグリーンヒル合宿の瞑想空間・・・。

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11/27(金)  自信が持てない人、自己評価が低すぎる人、「慢」の煩悩に悩まされている人、正確な自己イメージが捉えきれない人たち・・。
 エゴ感覚を手放し、因果の流れに我が身をゆだねきった人もいる。
 いつでもどの瞬間にも、諸力に支えられ理法に貫かれた一挙手一投足・・と心得た人の静かな自信。

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11/26(木)  世は瞑想ブームだが、「集中」と「気づき」と「慈悲」と「倫理」の本質が備わっていれば、「ブッダの瞑想法」の本質を外してはいない。
 宗教的儀礼は極力削ぎ落とし、ダンマ(法)の本質のみを呈示することに徹してきた20余年。
 朝日カルチャー講座が、その発端だった・・・。

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11/25(水)  いくら乗り超えても、乗り超えても、必ず問題が発生し、苦しむのが生命の世界だ。
 全てが無常に変滅していく中で、温かい命の状態を安全に保とうなどと無謀なことを考えるので、絶え間なく外界とのエネルギーの出し入れをしなければならなくなった。
 静けさと沈黙だけの領域を目指し、瞑想する人たち・・・。

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11/24(火)  子供の前で、夫婦喧嘩するほど、愚かなことはない。
 子供の心を傷つけ、親が嫌いになる理由の1番か、2番・・。

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11/23(月)  反射的な衝動に従ってしまえば・・、浮かんだことをそのまま言ってしまえば・・、人は必ず愚かなことをしてしまう。
 人格完成者でもなければ、悟りを開いたわけでもない凡夫が、自分のされてきたことを無意識に再現しながら子育てをしているのだ。
 よく気をつけておれ、とブッダは言う。

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11/22(日)  関西瞑想会を始めて約20年。
 ヴィパッサナー瞑想の認知度は低く、1年経っても参加者は10人程度、その8割が身内のスタッフだった。
 もう止めようかと提案したこともあったが、いつの間にか世は瞑想ブーム。
 今昔の感。

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11/21(土)  因果関係がしっかりしていれば、どんなことでもあり得るのが業の世界だ。
 成功の瞬間がある。
 失敗の瞬間がある。
 ただその状態が一瞬あっただけなのに、心の中に焼き付いた「静止画」が苦の元凶となる。
 事実を握り締めることはできない・・・。

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11/20(金)  ともかく、そういうことが、起きてしまったのだ。
 受け容れる覚悟を定めれば、経験の意味が変わり始める。
 知識も経験知もあらゆる情報が、決意した方向に向かって結晶していく・・・。

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11/19(木)  合宿に参加する若者が多くなった。
 新人なのに驚くほど丁寧にサティを入れ続ける姿にたじたじとなり、「嫉妬」とラベリングするベテランもいる。
 全員がそろう食事の瞑想を監視する必要が感じられず、自分のサティのみに没頭する醍醐味を味わった朝・・・。

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11/18(水)  本気で強いチェータナー(意志)を発し続ければ、いつか必ず現象化し具現化していくのが業の世界だ。
 願望が引き寄せられるように実現するのも、同じ業の法則に則っている。
 諦めた瞬間、ネガティブな結果を強く願ったかのように、そうなっていく・・・。

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11/17(火)  膝を傷めた時、医者からもリハビリ療法士からも「もう治ることはない」と絶望を宣告された。
 だが今や、1時間の座る瞑想が難なくできるようになった。
 心の力が全てを創り出していく、と一貫して説いてきた。
 限られた知識と経験で組み立てられた世界の暗示になどかかる訳がないという自負・・。

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11/16(月)  エゴや自我が法として実在するなら、仏教は無我論を説かなかっただろう。
 ありのままの自分と、勝手に妄想している自己イメージとの間には、越えがたい溝がある。
 真実の状態を否定し、抑圧し、次々と人生苦を生み出すエゴという偽の印象。
 芋づる式に続くプライドと劣等感と渇愛・・・。

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11/15(日)  劣等感が強く、しかもプライドも高い人は、ありのままの自分を観るサティの瞑想はやりたがらない。
 化けの皮が剥がされ、イメージが崩れてしまう。
 できない自分、カッコ悪い自分の真の姿を認める瞑想など、イヤや。
 偉大なもの、崇高なもの、永遠なものとの合一を目指す方が好きやねん!

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11/14(土)  妄想から執着が生まれ、執着から苦しみが生まれる。
 そんなことは頭ではわかってはいるが、のたうつようにまた苦しんでしまうのは、思考モードを離れないからだ。
 思考を止める訓練 、概念ワールドを出る瞑想が救いとなる。
 「・・と思った」と思考を対象化していく解放への道。

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11/13(金)  写真記憶の能力を捨て、知覚情報を意味化する左脳を進化させた人類。
 言語野を一瞬停止させて思考を止め、直接知覚した情報を再び左脳のスイッチを入れて認識確定するヴィパッサナー瞑想。
 そんな脳の使い方を進化させていく人達は、共同幻想を信仰する人達と別の道を歩むことになるのだろうか。

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11/12(木)  瞑想が世界的ブームになってきたご時世である。
 その火つけ役になったのが、「気づきの力」や「マインドフルネス」の瞑想だ。
 ブッダが提示した、仏教由来の瞑想から、見事に「ブッダ」と「仏教」が脱かれて広まっているとも言える。
 果たして、その功罪は・・?

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11/11(水)  この世の煩悩の対象であろうと、彼岸の超越的な対象であろうと、求めている執着の手を離さない限り、苦しみが生まれてくる。
 執念で得たものも無残に壊滅していくのが業の世界だ。
 ゲットしても、永遠の不満足性がくすぶる。
 限りなく手放して、究極の引き算の果てに拡がる安息と静寂・・。

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11/10(火)  東急セミナー二子玉川校では、グリーンヒル公認講師2名によるヴィパッサナー瞑想講座が定期的に開催されています。
 東急セミナー青葉台校でも、ほぼ同じ内容のシリーズが開催されています。
 どなたでも必ず瞑想が習得できるように、懇切丁寧な初心者指導に絞り込んだ「あひるの教室」です。
 ぜひご参加を。

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11/9(月)  「何も願わない」と言いながら、本音で欲しがっていることは無意識に出力され、業を形成していく。
 心底から諦めたのではなく、ママならぬことへの怒りを抑圧して暗転していく心・・。
 己の内奧の声に耳を澄まさなければならない。
 サティの瞑想が必要不可欠な所以である。

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11/8(日)  迷えば、ブレれば、ためらえば、正と反、肯定と否定の意志を交互に、あるいはデタラメに放つことになる。
 やるのかやらないのか、行くのか戻るのか、壊すのか創るのか、自分が放ったエネルギーを自分が相殺している愚かさ。
 諦めれば、起きない。
 願い続ければ、いつか必ずそうなる・・。

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11/7(土)  背負いきれない苦難は、やって来ない。
 その原因を作る力量のあった者は、乗り超える力も与えられている。
 逃げるのも結構だが、逃げきれないのが、カルマというものだ。
 因縁の流れに従い、必然の展開で現れた事象を受けきっていく。
 道は、必ず開かれてくる・・・。

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11/6(金)  日暮里の路地に入った瞬間、ゴキブリを目撃した。
 踏まれたのか、飛び出した体液で路面に貼りつき、虚しく手足を動かしていた。
 死んでいこうとうしている命のはかなさに心が傾き、嫌悪感が微塵も生じなかった。
 「目撃」→「情況の認知」→「憐れさ」と反応した心。

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11/5(木)  全てが終わり、さらに時間が経過し、静かに自分の所業を振り返ると、ああ、私のまちがいだった・・と気づくこともある。
 そんな至難の自己客観視が、なぜ事の渦中にありながらできるのだろう。
 一時的にでもエゴを放下し、我が身を三宝にゆだね、限りなく我執が弱められた一瞬のサティ!

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11/4(水)  ゲットした瞬間、欲が満たされた満足感ゆえの快感ホルモンが分泌されるだろう。
 欲望の充足は、孤独な一人称の快感に過ぎない。
 いい歳をして、小児的エゴイズムのお子様の世界に留まっていてはならない。
 人に心から喜んでもらえた・・。
 自分のような者でも、人のお役に立つことができた・・という自己肯定感。
 自分のためより、人のためになれた時の幸福度は、比べものにならないほど高い。

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11/3(火)  与えられる側から与える側になるのが、大人になるということだ。
 子供を守るためなら、自分のエゴも命も捨てて良いと感じるのが母性ではないか。
 動物も人間も、真のリーダーは、死を賭して群れを守るだろう。
 いつでも自分が一番、<子供>のまま馬齢を重ね、老いて死んでいく人達・・・。

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11/2(月)  今はただ、傷ついた心が優しく癒され、安息に包まれなければならない人もいる。
 傲慢なエゴの強さを叩き壊され、衝撃に呆然としなければならない自己チューの人もいる。
 何十年も繰り返した思考パターンを組み換えることができるだろうか。
 揺るぎない決意があれば、 必ず、できる・・・。

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11/1(日)  苦に遭遇しなければ、ただ現状が維持されていくばかり。
 反省も認識革命も進化もないだろう。
 どん底に沈みきったトランポリンが最高の高さに達するように、最悪のネガティブ経験が人格の極みへと引き上げてくれる展開・・。
 生命には、逆境から回復し、再起していく力が与えられている。

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10/31(土)  子供の心が壊れかかっているのに、「なんで、ああなっちゃうんですかね・・」と言い放つ毒親・・。
 私はまちがっていないと思い込めば、懺悔の瞑想もやれないし、慈悲の瞑想もできないだろう。
 自分は正しいと信じきったとき、怒りは相手に向けられ、責め、裁く・・。

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10/30(金)  起きたことは起きたこととして、花を手向けることもできれば、鞭打つこともできるだろう。
 意味を付与され、認識が確定されて初めて、ただの事象が人の「経験」になっていく。
 ムクドリにはムクドリの世界。
 イモムシにはイモムシの世界・・・。

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10/29(木)  幸福の棘を知り、不幸を宝と心得て、人はものごとを等価に視る「捨」の心を養い育てていくことになる・・・。

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10/28(水)  順風満帆に勝ち続け賞讃され続けて、人の心は成長するだろうか。
 ネガティブ体験に心が折られ、辛酸をなめ、どん底に落ちなければ、人格は練り上げられ向上していかない。
 危機的な負荷をハネ返す瞬間に、飛躍的な変容が起き、生命は進化する。
 痛みは宝と心得る・・・。

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10/27(火)  常に自覚的に努力精進すれば、心は向上し進化もするが、自然放置すれば日々薄汚れて急速に劣化していく。
 頭の中を駆けめぐる嫌悪や欲望や慢の想いに、我を忘れてのめり込むからだ。
 俺様は・・という自惚れた思考は自動的だが、その自分を客観視する視座は維持されない、修行しなければ。

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10/26(月)  湧き上がる妄想に次々と食いつく無明ゆえに、真実が見えず、混乱し迷い続ける人たち。
 無明ゆえに誤った妄念を信じ、かたくなにのめり込んで行為の実行に専念するテロリストもいる。
 概念がまとめ上げた世界と、法として顕わになった事実がゴッチャになっていく「痴」ゆえの無明・・・。

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10/25(日)  迷いがあり、疑があり、ためらいがあれば、朝は右に夜は左にブレまくり、心から出力されるエネルギーは自壊するしかない。
 続けたいのか止めたいのか、壊したいのか成就したいのか、愛しているのか憎んでいるのか。
 愚かな決意と挫折と後悔を繰り返し、泥んこ状態のまま劣化し老いていく悲しさ・・・。

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10/24(土)  人の優しさを素直に受けることができなければ、あまり優しくなれないだろう。
 何の返礼もできぬまま、ただ人の善意と情けをお受けするばかり・・・。
 そのかたじけなさが、無償の愛を人に与えずにはいられない原点となる。

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10/23(金)  「おじさん、よかったらこれ食べて。風邪引かないようにね」
 雨の降る夜、シャッターの下りた店の軒下で寝ていたホームレスの方に、コンビニのおにぎりとお茶とおでんを手渡すと、驚きながら、ありがとうと感謝された方がいる。
 苦しかった過去に共感してもらい、人の優しさに触れた帰り道・・。

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10/22(木)  その2日後の明け方、震度5弱の地震に、日暮里の事務所がかなり揺れた。
 揺れを感じた瞬間、最初に浮かんだのは、洪水に呑み込まれた常総市の被災者だった。
 その直後に浮かんだのは、下館道場の母屋と面接室の接合部だった。
 親戚や知人がいる訳ではないのだが、「悲」の想いを禁じ得なかった・・・。

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10/21(水)  その日、下館道場は雨漏り一滴なく、無傷だった。
 翌日、五行川の様子を見に行くと、煩悩の暴流に独り立ち向かうがごとくの樹木が印象的だった。
 ・・そんな呑気な所感が浮かんでいた頃、耐え切れなくなった鬼怒川の堤防が決壊し、大惨事が発生していたとはツユ知らずに。

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10/20(火)  どんな悲惨な出来事も、時間が経てば鋭い傷口の先端が鈍ってくる。
 人の噂も75日、どれほど深い悲しみも3年経てば・・とも言う。
 鬼怒川が氾濫し、常総市を襲った暴流の凶暴な印象も、時とともに静かに記憶の保管庫に納められていこうとしている。
 情報を更新しなければ、情動の記憶は遠のいていく。
 「悲」の共感力も淡くうすらいでいく・・・。

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10/19(月)  また、やってしまった・・と同じ過ちを繰り返してしまった瞬間、プラス思考をする訓練。
 一生かかってもよい。
 死ぬまでには必ず乗り超える、と決意する。
 だいじょうぶ。こうして1ミリづつ前進しているのだ、と考える。

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10/18(日)  禁煙のように一度止どめを刺せば、終わりにできる煩悩もある。
 剥いてもムイても次の皮が新しく待ち構えている玉ネギのような煩悩もある。
 貪りも怒りも慢も、量り知れなく泥深い。
 天敵のような煩悩が、人にはある・・・。

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10/17(土)  「がんばらなきゃならない時に、脱力するのは難しいですよね。
 矛盾するものをどうやって乗り超えるんですか。・・ 何かコツはありますか?」
 「上手くいかない妨害要因に気づくようにします。
 ダメだから頑張って足し算するのではなく、ネガティブ要因に気づいて引き算するのです」

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10/16(金)  誰も、無我夢中で生きているのだ。
 サティの瞑想すら、「対象化するぞ、手放すぞ!」と必死になってしまう。
 ただ座席に座っていただけなのに、飛行機が離陸した瞬間、これまでの自分がひとりでに浮かび上がってくるではないか。
 頑張るのではなく、心の力を脱く・・・。

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10/15(木)  勝っていたゲームを途中で止めるように、必死にがんばっていたエゴが、どこかで、不意に、手を放す瞬間が現れる・・・。
 そこからだ。
 静かに、淡々と、サティが続き出すのは・・・。

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10/14(水)  体調が悪くても、心が整っていれば、瞑想はできる。
 心が乱れ、思い悩んでいる状態では、集中型のサマタ瞑想はまず無理だろう。
 何を、どうすべきか、見究めなければならない。
 「グチャグチャの心」→「執われている」・・とサティを入れ、最悪の状態を客観視していく瞑想もある。

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10/13(火)  正しい姿勢でピタリと決まった座る瞑想。
 理にかなった正確な体重移動や足の運びで、一足一足歩く瞑想が続いていく快感。
 本来あるべき黄金率の姿勢が保持されると、ただ存在しているだけで禅定感に包まれていくだろう。
 無駄な力が入っていないか。
 生体エネルギーが正しく流れているか。ると、全身の微細なバイブレーションが発光し始めたかのような体感になる。
 すると、座禅を組んだ最初の瞬間、歩行の第一歩から禅定感に包まれるだろう。
 身を整え心をととのえていくことが「瞑想」だ。

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10/12(月)  瞑想は、心を統一する技法である。
 心がととのえられると、体は静けさに包まれていく。
 微細な振動がいつしか発光に変わっていくように、心に沈黙が拡がると、全身が微光を発し始める・・。
 瞑想者のオーラは輝くだろう。
 瞑想ほど、心身一如を証しするものはない。

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10/11(日)  なぜ自分がこんな目に遇わなければならないのだ。
 納得がいかないことを、受け入れることはできない。
 だがエゴの立場をいったん離れ、ダンマの立場から眺めれば、我が身に起きる出来事はすべて、自分が種を蒔いたことばかりだ。
 因果論が腹に落ちれば、愛憎の渇愛が超えられる・・。

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10/10(土)  愛も与えたが、苦しみも与えられた・・。
 そんな親に対する愛憎並立の矛盾が、いくつになっても子供を悩ませる。
 怨みもあるが、感謝もしている。
 切るに切れない、終わりにできない・・。
 親も祖父母もそのまた親も・・いたずらに繰り返した愛憎の連鎖を断ち切る「瞑想の智慧」!

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10/9(金)  人は、矛盾との闘いの中で生きていく宿命を荷なった。
 常に、どの瞬間にも、「やってしまえ!」という声と、それに気づいて抑止しようとする意志とのバトルが繰り返されていく・・・。
 快楽原則に従いきって、やがてその結果にのたうつのは苦しい。
 思いきりやってしまいたい衝動に逆らい、断念するのも苦しい。
 一切皆苦の生命の世界・・・。

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10/8(木)  本能の命令に逆らうのは「反生命」だろうか。
 そうではない、と人の脳構造は暗黙に示している。
 本能的衝動を抑制するために上乗せされた大脳新皮質。
 大自然の命じる声に逆らい、煩悩をコントロールする司令塔を搭載したのが人類ではないか・・・。

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10/7(水)  残酷に設計された本能のプログラムに気づき、その一瞬の衝動を見送るのだ。
 因果の理法を正しく理解する智慧と、生命原理の自然に逆らって欲望と怒りの激情を止め、手放していくヴィパッサナー瞑想。

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10/6(火)  自然に振る舞っていれば(本能のプログラムに従いきっていく限り)、必ずドゥッカ(苦)になっていくのが生命の世界だ。
 束の間の満足の後に続く生きる苦しみ、老いる苦しみ、死んでいく苦しみ。
 残酷なシステムにハメられていく宿命だが、乗り超える道がない訳ではない・・・。

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10/5(月)  この世に、男女の愛欲と親子関係の執着ほど強烈なものはない。
 母恋し父恋しの幻想よりも岸壁の母の妄執は激しく、男女が互いに惹かれ合う渇愛はさらに凄まじい。
 たとえ妄想を振り払っても、体の奥から本能的衝動が突き上がってくる。
 生存は、苦に向かう・・・。

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10/4(日)  命をかけて恋い焦がれたのだ。
 想いを遂げるまでは、どうしても諦められないだろう。
 恋愛は、惚れた方の負けだ。
 そのように、「愛着障害」に苦しむ者は、親の愛を得たいと死ぬまで求めてしまう。
 愛を与えない親が勝ち続け、子は負け続ける・・・。

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10/3(土)  我が身を振り返り、内省的モードになって、自己を客観視する・・。
 ヴィパッサナー瞑想の大きな特長だ。
 放置すれば、人の心は必ず自己チューの視座に固まっていく。
 モノが見えなくなっていく第一歩だ。
 主観から客観への視座転換をうながす瞑想という営み・・・。

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10/2(金)  人生の転機となった瞑想会は、長年瞑想を続ける主治医の紹介だった。
 価値ある情報を人に与えてきた善業の果と言えるだろう。
 修行ができる時間とお金と家族の協力と絶妙な流れに乗れる徳のポインもあった。
 何事も、無量無数無辺の因縁の網目(諸法無我)に織り込まれて成就する・・・。

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10/1(木)  10ヶ月前に一度だけ瞑想会に来られた女性が、親子関係の確執など深刻な悩みについて熱心に質問をされていた。
 アドバイスされた内観に行き、他者に向けていた視線を我が身に振り向け、天地が引っくり返るような衝撃を受けた、と2度目の来場で報告された。
 人生の流れが変わった瞑想との出会い・・・。

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9/30(水)  瞑想会の食事会に参加した20代の若者が、ミャンマーの僧院で3ヶ月の瞑想リトリートを体験してきましたとアッサリ言ってのけた。
 出家志望?深刻な悩み?・・いや、父親の本棚の瞑想本を読んで興味を持ったらしい。
 瞑想の普及が加速し、今や世界的なトレンドになりつつあるご時勢・・・。

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9/29(火)  悲しみも失意も苦汁も消えていくが、至福の時も消えていくのが「無常」という名のドゥッカ(苦)。
 いつになくテンションの高い瞑想も永久に持続されよう筈はなく、やがて力を失い、消滅していく。
 「無常」を超えようとする瞑想が、無常の流れに虚しく崩れ去っていく・・・。

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9/28(月)  生滅する身体実感の知覚世界に、時おり思念や音の情報が飛び込み、接触の刹那にサティで撃ち落とされていく。
 「私」を包む意識の膜に、眼と耳と鼻と舌と身と意の門を通過した情報が、触れる。
 存在の世界は、意識に接触する刺激の点滅だけになっていく・・。
 その接触(パッサー)を限りなく対象化していくサティ。
 その持続に耐え抜いていく、無努力のサティの自動化が始まるまで・・。

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9/27(日)  座る瞑想の前に、まず30分ほど歩く瞑想をしようと思った。
 スマホを忘れたので、サティを入れながら2Fに上がった。
 階段のサティは2段づつ昇降し時間を節約したが、戻ると30分以上経過していた。
 サティを入れながらの移動は、厳密な歩く瞑想となんら変わらない。
 集中が高まると、身体実感の生と滅だけが連続していく・・。

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9/26(土)  慈悲の瞑想は道場の義務なのに、我の強い健常者が群れると、批判や嫉妬やライバル意識が飛び交いがちだ。
 重病を圧して外国から参加したものの、力尽き果て、壁に寄りかかり、足を投げ出し、うなだれている方がいた。
 痛切な「悲」の想いが、 皆の心からほとばしるのが見えるようだった・・・。

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9/25(金)  静かな雨が降り注ぐ庭を前にして、1時間余の瞑想をした。
 合宿が終わるとご褒美のように瞑想が深まるのを、常に感じてきた。
 何がしかの波羅蜜が形成されたのだろうか。
 文字通り命を懸けて修行していた瞑想者達の、残していったものの力なのか・・・。

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9/24(木)  その前日、同じスーパーでレジの打ち間違えがあり、キイウイが1個余計に紛れ込んでいた。
 「与えられていない物は、取らない」という戒律を守って、店に戻り事情を説明し、新たにキイウイを1個買い、2個分の支払いをして清算した。
 不当に奪わなければ、失うことはない。
 因果は帰結する。

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9/23(水)  スーパーへ午後の買い出しに行った合宿スタッフが、忘れ物に気づいたのは夜の10時半。
 エビや鮪ブロックなど魚介類数点を、商品を袋詰めする置台に忘れてきたらしい。
 絶対に無くなる訳がないと自信満々に駆けつけてみると、果たして、全商品が無事冷蔵庫に保管されていたという・・。

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9/22(火)  始まりがあったものには、いつか必ず終わりがある。
 苦に耐え続ければ、いつか年期が明ける。
 何もしないよりも、心底から反省し懺悔した方が早まるだろう。
 不善業は、正反対の善業の行為によって相殺されていく・・。

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9/21(月)  比丘の悪口を言い、サンガを誹謗中傷する。
 比丘尼を犯す。
 仏像に体液をかける。
 瞑想する僧に石を投げる・・・等々。
 聖者誹謗系の不善業に起因するドロドロの眠気だという。
 謝罪もせず懺悔もしないで、かつて冒涜した教えの修行が進むというのだろうか・・・。

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9/20(日)  タイ、ミャンマー、スリランカ、どこの瞑想センターでも、異様な昏沈睡眠に苦しむ瞑想者がいる。
 座る瞑想を始めると、いついかなる時間帯でも必ず1分以内に、体が倒れそうなほど激しい居眠りが始まってしまうのだ。
 サヤドウの説明によると、「聖者誹謗」系の不善業の報いだという。

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9/19(土)  自己嫌悪も卑下慢も自虐モードも、エゴの臭みが鼻につく。
 申し訳なかったと反省し、謝りたい、償いたい、と立ち働いている人の動きには我執が落ちていることが多い。
 ムキ出しのエゴが感じられた瞬間、「ムッ」と反発するこちらのエゴ・・・。

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9/18(金)  ★【関西自主瞑想会】毎月1回13時15分~17時@東淀川区民会館4F(阪急淡路駅徒歩10分)
☆参加費500円・出入り自由・申込み不要
☆参加資格:グリーンヒル主催瞑想会で初心者指導受講済みの方
☆約2時間の瞑想修行を毎回行っています

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9/17(木)  疑いも迷いも葛藤もない直情径行の印象だが、顕微鏡モードで見れば、無明の背景には、恥を知らず、恐れを知らず、微細な振動で興奮する 落ち着かない心がある。
 真実を見誤らせる「掉挙」・・・。

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9/16(水)  全身から「そうだ!」と信じきる信念が、同じような他の信念と激突し、争ってきたのが人間の歴史だ。
 一歩も譲らずに、邪見が他の邪見と死闘を繰り広げているかのようにも見える。
 間違った思想を信じきっていく瞬間の無明と無知・・・。
 なぜ愚かな確信が生じていくのか・・。

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9/15(火)  心底から、本当に嫌なことは、止めるものだ。
 止められないのは、心の片隅で容認しているからではないか。
 口では「ヤダ、ヤダ」と言いながら、本心では受け入れていないだろうか。
 自覚にのぼらない「真意」が、業を作っていく・・・。

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9/14(月)  あやまちを即座に改めるのは至難の業なので「君子は豹変す」の故事が生まれた。
 凡夫は、カルマが悪くなると分かっていても止められないのだ。
 赦せば、自分の負けになるのだろうか?
 怒り続け恨み続けてきた自分を否定すれば、敗北感と人生の虚しさに耐えられなくなると感じる愚かさ・・。

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9/13(日)  ダンマ(理法)を理解する。
 心が浄らかになる。
 正しい意志決定がなされる。
 善なる意志が出力される。
 善き業が作られる。
 縁に触れた善業が、良き現象となって現れる。
 幸福な体験をする。
 素晴らしい情況、好ましい環境の中で生きていることを自覚する・・・。

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9/12(土)  心から煩いを一掃する。
 体を整える。
 環境をととのえる・・・。

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9/11(金)  仏前にペットボトルの水が供えられ、車座になった僧達が糸巻きのタコ糸を回し持って経を唱えていく。
 聖性を帯びたタコ糸が僧院全域に張り巡らされ、毎朝毎夕、その結界に沿って、経の響きが沁み込んだ水が撒かれていく・・。
 なるほど、ここには微塵の邪気も侵入しようがなかったのだ・・・。

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9/10(木)  スリランカの森林僧院ほど、瞑想に及ぼす「土地の気」を感じたことはなかった。
 頭上から、大地から、四囲の空間から、強烈な力が働いて、否応なしに瞑想のステージが引き上げられていくかのようだった。
 心を全開状態にできる、根底からの安心感も鮮烈だった。
 聖地?・・環境の力

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9/9(水)  真夏の猛暑は、熱帯の森林僧院で瞑想修行していた日々を思い出させる。
 ブッダの時代に次々と悟りを開いた阿羅漢たちも、汗だくだったにちがいない。
 夏の強き光の下でこそ、瞑想・・・。

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9/8(火)  どんな宗教も宗教家も、迫害されればされるほどその信仰がピュアになり、教えの説かれた原点に回帰していく。
 厚遇され、莫大な寄進を受け、尊敬されればされるほど、堕落していく。
 なぜ、神の道を選んだのか。
 世の流れに逆らい、出離を決意した時に心を揺さぶったものは、何だったのか。

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9/7(月)  サティが普通に入れば、欲望も怒りも混乱も、どんな状態も見送られていくだろう。
 気づいて、手放して、見送って いく技法だからだ。
 執着を強引に手放している人のサティの瞑想。
 負の経験が宝と知り、バラには刺があると心得ている人のサティの瞑想・・・。

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9/6(日)  サティの瞑想の極意は、どんな事に対しても、冷静に、淡々と観ていく「捨(ウペッカー)」の心である。
 苦楽に反応しないことだ。
 まず、恵まれなかった境遇、劣等感、トラウマ等々は宝の山と心得る。
 情報は、力だからだ。
 命がけで得た経験知から、素晴らしい智慧と創造性が花開く・・・。

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9/5(土)  合宿が終了した時点では、これからも瞑想が続けられるかどうか「?」の方がいた。
 瞑想が定着しなければ、苦しかったこれまでの人生を繰り返すしかないだろう。
 ヤジロベーが激しく揺れていたが、なんと直後の朝カルを受講し始めた。
 下山時に貰ったDVDが、決め手になったのだという。

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9/4(金)  グリーンヒルの瞑想合宿に初参加された方には、ダンマトークDVDがプレゼントされる。
 200枚限定の特別企画である。
 瞑想を正確に体得するには合宿が一番なので、参加意欲を高めようと考案された。
 法話に感動すれば瞑想のヤル気が出る、と確信された方からの貴重なお布施です。

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9/3(木)  なぜ仏教は「悪を避け、善をなせ」と口うるさく倫理を説くのか。
 悪をする瞬間の意志が不善業を作り、苦しい現象の経験に直結してしまうからだ。
 不幸な運命にもてあそばれているのではない。
 蒔いた種を刈り取っているのだ。
 自業自得の構造がわからない無明・・・。

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9/2(水)  たとえ現実が何も変わらなくても、認知が変われば、それまで感じていた苦しみはなくなる。
 心が変わっただけで世界が違って見えることに、誰よりもまず自分が驚くだろう。
 受け止め方も判断の仕方も反応も変わるのだから、作られるカルマが変わり始め、やがて世界が変わっていくという流れ・・・。

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9/1(火)  あまりにも深く傷ついてしまった者は、どれだけ癒やされ、愛を受け直しても、最後のピースが欠けたままになるかもしれない。
 自己開示する。
 自らを語る。
 こちらが愛を与える。
 信頼する。
 信頼される。
 共感し合う。
 自己回復物語の最終章・・。

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8/31(月)  「ノー」と言う。
 ネガティブな意見を述べる。
 それだけのことなのだが、「否定」→「自分が否定される脅威・不安」→「嫌悪」とドミノが倒れてしまう。
 幼少期の不安定な愛着が扁桃体を敏感にしたのだろうか。
 「怒りのタイプ」になるには、訳がある。
 乗り超えられるヒントも、ある。

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8/30(日)  現実を直視した衝撃で「目からウロコが落ちる」。
 落ちた瞬間、次の新しいウロコが眼球に貼り付く・・。
 「現実」が「幻」に変容する一瞬、一刹那・・・。

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8/29(土)  好きな言葉は?
 「愛」「豊かさ」「決断」「夢」・・・。
 私ですか?・・「幻滅」ですね。
 「目からウロコ」の瞬間が最高です。
 ありのままの現実が直視された瞬間、思い描いていたイメージが、妄想が、幻が・・崩れ落ちていく・・。
 ヴィパッサナー瞑想の真骨頂でしょう。。

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8/28(金)  死んだ気になってガンバル、必死で、命がけで、決死の覚悟で・・と安売りされているのと、本物の「命がけ」がある。
 「想定」と「現場」には100歩の差がある。
 その距離を限りなく縮めることができた稀有な人たち・・・。

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8/27(木)  はるか昔、ブッダの時代、何十年修行しても悟れないので自ら命を絶ち、その最後の瞬間に解脱していった比丘や比丘尼たち・・・。

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8/26(水)  「ああ、もっと早く始めていれば良かった・・」
 「なんで、もっと『勉強しろ』と言ってくれなかったのよ!!」。

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8/25(火)  4泊5日の中期合宿は初めての試みだが、早々とキャンセル待ち多数の状態となった。
 2泊3日と3泊4日では雲泥の差があり、さらにもう一日増えるのは魅力的だ。
 本当に瞑想が進むのは、佳境に入ってからだ。
 何日修行しても瞑想が進むのは一瞬のことで、ギリギリの瀬戸際でそのスイッチが入る・・。

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8/24(月)  未経験で情報が乏しいと、妄想する力が強化され、欲望は甘美に、不安や恐怖は激化する。
 さとり世代でも、貧しい幼少期を過ごした者は、物欲が強く、ブランド品指向が強いという。
 経験知が増えれば達観しやすいが、間接経験と実体験との落差は大きい。
 土壇場の極限情況では、どうかな・・

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8/23(日)  生まれた時から最も裕福だった上に、物心がついた時には不景気だった世代の小欲知足。
 基本的に優しく、ギラギラしたエゴ意識と競争意識が乏しいのは、ゆとり教育の効果か。
 ネット情報を駆使し、何事にも既視感、やった感がある。
 妄想しない、期待しない、求めない世代に、瞑想はいいかも

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8/22(土)  先月の関西瞑想会には、20代の方が多数参加され、会場が一気に若やいだ。
 驚いたのは、彼らのマナーの良さ、 真摯さ、的確な質問やレポート、最後まで模範的な瞑想者だったことだ。
 「さとり世代」と呼ばれる新たなジェネレーションが、確かに出現していると感じた。
 後生、畏るべし。

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8/21(金)  「この本はいいよ。本当にいいよ」
 と、王様文庫【瞑想のフシギな力。】を絶賛してくださったのは理系オタクタイプ。
 その理由は、①話の要点が明快、②読みやすい軽妙な表現、③イラスト付きで楽しい雰囲気、④朝カル講義のエッセンスが網羅。

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8/20(木)  「私のどこが、オバさん”だって言うのよ!!」と絶叫している女性がいた。
 「なんで、ワタシが、怒りタイプなのよ!」とブチ切れていた方を思い出した。
 <自己客観視>を目指すヴィパッサナー瞑想の理論と実践の講座@朝日カルチャーCtr.

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8/19(水)  若い瞑想者が増えてきたのはトレンドなのか。
 以前は鬱や悩みの解消が目的の方が多かったが、マインドフルネス効果や単純に瞑想への興味から参加する方々も増えた。
 興味派は短命だが、悩み派も問題が解決すると、瞑想病院から退院する。
 瞑想とダンマが生きる拠りどころになる人達もいる。

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8/18(火)  鬱病やストレスに、認知行動療法やマインドフルネス瞑想が卓効を奏することが広く知られ、そこへグーグルが参入し、瞑想がブームになってきた。
 全ては、今の瞬間に気づいてネガティブな妄想をストップさせる「サティ」の瞑想から始まった。
 朝日カルチャー講座でヴィパッサナー瞑想を教え始めて21年・・・。

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8/17(月)  多動型のADHDでは、一つのことに集中し続けるのが苦手で、衝動的な思いつきに振り回される人が多い。
 瞑想は、誰にとっても一見、単調な繰り返しだ。
 一回一回微妙に異なるセンセーションの果てしない世界に分け入っていく・・。
 そんな風に、新鮮さをリニューアルする人もいるが・・・。

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8/16(日)  「あなたは落ち着きがない。瞑想者らしく、もっと静かにしなさい」
 そう注意されていた人が、多動型のADHD(注意欠陥多動性障害)だったとわかった。
 「診断名」というラベリングは強烈である。
 否定的に見られていたものが、途端に、ありのままに受け入れられていく・・。

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8/15(土)  心に問題があるから、人生が苦しくなる。
 その問題を解きほごすために、一時的にでも心を静かにしなければならない。
 混乱して震えた指では、もつれた糸をほどくことができない。
 瞑想をして、心を鎮める。
 さらに瞑想をして、根本の原因を洞察する・・・。

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8/14(金)  瞑想の修行現場では、体調や体感が及ぼす影響は圧倒的である。
 荒ぶる心、乱れた想い、鬱々とした気分、鈍重に濁った意識状態、等々を一掃するのに、身を調えることほど、効果的なものはない。
 瞑想を進ませる裏技は、体調の管理と摂生である・・・。

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8/13(木)  やっぱり、苦しみが続いている間だけだね、「悟りたい・・」て、言うのは。
 苦しみがなくなると、ハア・・と気がゆるむ。
 辛かった過去を取り戻そうとするかのように、遊び出す。
 ・・・苦と再会するまで。

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8/12(水)  なぜ、みんな、他人の煩悩は大嫌いなんだろうね・・・。

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8/11(火)  瞑想は脳の筋トレなので、訓練した回路が強化される。
 一点集中型のサマタ瞑想をすれば、当然、集中を司る脳神経細胞が発達する。
 思考が浮かんだ瞬間、「妄想」とサティを入れれば、「雑念に気づく→見送る」ときのネットワークがより滑らかに働く。
 その影響は、日常生活に引き継がれる。

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8/10(月)  心にべっとり垢が付くのは、ネガティブな妄想をしているからだ。
 心が汚れれば、眼が濁り、体が重くなって、暗くなる・・。
 短期合宿の帰途、頭の中が、あまりにもスッキリしていることに感動された方がいる。
 「妄想が減るだけで、 こんなにも心も身体も軽いんだ!」と。

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8/9(日)  文章表現は平明でシンプルなのに、内容は深遠・・そんな文章が書けたら素晴らしい。
 読みやすく、わかりやすく、明快に、明晰に・・と心がけて書いた王様文庫
 『「心の疲れ」が消えていく瞑想のフシギな力。』

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8/8(土)  ゆるしがたい仕打ちを受ける。
 倍返しだ!と激情に駆られ報復する。
 その瞬間に新たな不善業が作られ、未来にその報いを受けて苦しむ・・・。
 その因果の法則を学びながら、それでも復讐してしまう人達・・・。

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8/7(金)  それぞれの者に、それぞれの立場があり、視座がある。
 地球や宇宙の立場からは、そこで何が起きようが、滅びようが生じようが、空気を吸われようが吐かれようが、まったくもって、どうでもよいことだろう。
 横紙を破るように因縁の流れを無視し、なぜ、自己中心的になってしまうのだろうか。
 人生が苦しくなる元凶・・・。

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8/6(木)  苦しい人生は己の不善業の結果、と考えると、自己評価の低い人は落ち込んでしまうかもしれない。
 そのときは、こう考える。
 逆境を乗り超える時にこそ「進化」が起き、人の心も成長する。
 それゆえに、敢えて茨の道を選んだのだ、と。
 高慢系の人は、己の不徳を深く恥じ入るべきだが・・・。

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8/5(水)  過酷な現実、苦しかった過去、どんなネガティブな情況も、しょせん自分が蒔いた種を刈り取らされているだけではないか。
 ・・このドゥッカ(苦)は私にふさわしいことだ、と呟きながら、黙って引き受けていく。
 因果の流れを正しく読み解いている人の潔さ・・・。

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8/4(火)  『この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。
 智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行ないをなすべきである』
 (「感興のことば」1ー26)

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8/3(月)  『生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終には死に至る。かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう』
 (「感興のことば」1ー23)

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8/2(日)  『或る者どもは母胎の中で滅びてしまう。或る者どもは産婦の家で死んでしまう。また 或る者どもは這いまわっているうちに、或る者どもは駈け回って いるうちに死んでしまう 』
 (「感興のことば」1ー9)

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8/1(土)  『「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が自分の生命をあてにしていてよいだろうか? 若い人々でも死んでいくのだ。ー男でも女でも、次から次へとー』
 (「感興のことば」1ー8)

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7/31(金)  ああ、もうこの人と二度と会うことはないのだ、と泣きながら最後の握手をし、ハグをする。
 ・・いくらそんな想定をしてみたところで、本心では、いつまでも二人でダラダラ長生きをする予定でいるのだ。
 今、この一瞬に命を懸けるには、ドゥッカ(苦)の力を借りるしかないのか・・・。

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7/30(木)  誰も必ず死んでいくのに、それがいつなのか分からないので、日々煩悩に押しやられ、ダラダラと生きている。
 死期を宣告された方の精進と修行意欲は、なぜ、これほど純粋で美しいのだろう。
 朦朧とする意識に耐えながら、独り廊下で夜座をする横顔に感じ入った・・・。

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7/29(水)  合宿スタッフが集合し、庭を整え、道場を丹念に掃除し、仏像を磨き上げ、仏達に捧げる花が活けられていく。
 参加者が到来するまでの束の間、車座になって全員で瞑想をする。
 私邸の生活臭は完全に一掃され、聖なる修行の場に変わった。
 さあ、ダンマに貫かれた合宿が始まる・・・。

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7/28(火)  えげつない善行からスタートするのも致し方ないだろう。
 誰でも最初は、自分が苦海から脱したい一心で善行に着手するものだ。
 「不純だ」と批判する向きは、結局動こうとはしない。
 汚い劣善でも、何もしないよりは、良い。
 やがて利己的な発想を恥ずかしく感じる日が必ず来る・・・。

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7/27(月)  人生の苦しみに圧しつぶされるのではない。
 本当は、自滅していくだけなのだ。
 「悲(カルナー)」の瞑想のスペシャリストになるために、逆境を選んだのではないのか。
 苦しみ悩み抜いた経験こそが、人を癒やす優しさの原点になっていく・・・。

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7/26(日)  成功すれば、得意になる。
 諸力に支えられてのお陰さまと頭ではわかるが、本心では、「どう、私、スゴいでしょ」とプンプン臭ってしまう。
 失敗すると、反省モードになる。
 何が悪かったのか、改めて我が身を振り返ってみる。
 謙虚に、客観的に眺める視座からは、良いサティが入りやすい。

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7/25(土)  仕事でもプライベートでも、いつでも、どの瞬間にも、自分の最高のものが発露するのは素晴らしい。
 それを邪魔するエゴ意識は、一瞬の思考プロセスから生じてくる。
 サティの瞑想で、エゴ妄想を駆逐する。
 全てを法に委ねきって、エゴ感覚を一掃する・・・。

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7/24(金)  夢が叶った人生も悪くはないが、叶わなかった人生はもっと味がある。
 敗者の美学には、深く心を打たれるものが多い。
 イモ虫が美しい蝶に変身するように、ネガティブな現実がキラキラと輝いて見え始める瞬間に、心の清浄道の醍醐味がある。
 智慧がある。
 潔さがある・・・。

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7/23(木)  叶えられていく夢もあれば、どうしても望み通りにはならないものもある。
 逆らいようのない宿業の力というものがある。
 その必然の流れに従いきって、与えられたものを与えられるままに受け取っていく人生もよいのではないか。
 ダンマを基軸に、なすべきことをなして、死んでいく・・・。

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7/22(水)  グリーンヒルの瞑想合宿に入るには、初心者講習を受講、テキストを予習、事前アンケートを提出、とうるさい条件がある。
 一発必中で、瞑想を正しく覚え、的確なインストラクションを受け、合宿効果を最大化するのに最も大事なのは何だろう。
 正しい理解と、それを支える情報の力ではないか・・・。

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7/21(火)  なぜ「教えることは、教えられること」なのだろう。
 情報を発信するために、精査し、分析し、まとめていくプロセスで学ぶ。
 丁々発止と、情報のやり取りされる現場から学ぶ。
 未来に良い情報がもたらされるのは、「物も、力も、情報も、与えれば、与えられる」業の世界の法則だからだ。

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7/20(月)  自分は、いつ大人になったのだろう・・。
 学びたい、成長したい、豊かになりたい、と自分を輝かすことが一番だった頃は、思えば、子供だった。
 ある日、天から声が聞こえてきた。
 「おまえは、与えるだけでよい・・!」
 衝撃を受けた。
 その時からだ、人生の流れが変わったのは・・・。

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7/19(日)  甘やかされると、なんでも思い通りになってしまう。
 小児的エゴイズムに激突してくる他者の存在、に気づけない。
 失意も、挫折も、相手の立場に立ってみる「視座の転換」も、自己客観視も、学習する機会がない。
 「敗者の悲哀」を知らないお子さまは、サティの瞑想が難しいと感じるだろう・・・。

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7/18(土)  風呂の窓を開けると、サーッと湯気が外に出ていく。
 暖かいものが冷たいものに向かって移動する。
 それが自然の摂理だ。
 充分に幸福な人が、困っている人、苦しんでいる人、傷ついた人、悲しい人・・に手を差し伸べていく・・・。
 「自ら浄められてから、他を浄めよ」と仏教は言う。

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7/17(金)  文庫本の執筆で、東京瞑想会を3ヶ月連続で休んだ。
 公認インストラクターが代講してくれたので、なんの支障もなかったはずだ。
 むしろ、現場経験を重ねることが最良のインストラクター養成になった。
 宿業に導かれた師弟関係も開かれていくだろう。
 因縁の流れに従いきって、ダンマに悖ることなく、展開してくるものをことごとく受け取っていくのが至高の道に通じる。

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7/16(木)  三笠書房・王様文庫の書き下ろし新刊【「心の疲れ」が消えていく 瞑想のフシギな力。】
 編集部から、初心者向けの、超わかりやすいテイストを求められた。
 要望どおり、これ以上は無理という超読みやすい文章を心がけた。
 前半のテイストが後半に崩れ始めたのは、突っ込んだ内容も書かずにはいられなくなったからだ。
 ここまで書かれては、超初心者読者はヒキます、と言われ、30ページ分ボツになった。
 前半と後半のバランスが悪いが、一冊でリピーターも初心者も楽しめるフシギな本になったのではないか・・・。

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7/15(水)  技術的に正確に瞑想ができていても、汚れた心が浄らかになっていなければ、真の瞑想の進歩とは言えない。
 ダンマが理解され、心に余裕があれば、どんな事にも正しい反応が取れるだろう。
 だが、果たして、心が本当に変わったか・・。
 本心が現れるのは、極限情況やとっさの瞬間の反応だ。

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7/14(火)  地震関係のアナウンスが何度も繰り返され、騒然とする食事会の店内。
 「皆で、慈悲の瞑想をやりません?」と瞑想者の一人が提案し、被災直後の生きとし生けるものに向けて、10数人が一斉に慈悲の瞑想に没入した。
 店内の一角に異様な静けさと優しい波動が、一瞬にして拡がっていった・・・。
 雨の降る静かな夜半にも瞑想、地震で激しく波打った地表でも瞑想・・・。

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7/13(月)  この20余年、瞑想会の最中に地震が発生したことが何度もある。
 揺れが来た瞬間に、「大丈夫です」と静かに言い切って、パニックを食い止めてきた。
 今回は最大級の揺れを感じたが「朝カルは中空構造の三角ビル。他はダメでも、ここは大丈夫です」と言うと、爆笑モードになり、皆、落ち着いた。

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7/12(日)  5月最後の日曜日だったが、早朝5:30日暮里から新大阪に向かった。
 半年ぶりの関西1Day合宿である。
 本当は前夜、朝カル講座終了後の終電で大阪泊の予定だったのだが、なんとなくキャンセルし、当日出発に変更した。
 すると、朝カルの夜の講座中に大きな地震があり、エレベーターも山手線も新幹線も運行停止、到底大阪にたどり着くことはできなかった。
 ダンマの仕事をしていると、不思議な流れに導かれる・・・。

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7/11(土)  もう一人、合宿最初の面接で、サティの瞑想に徹する方針を立てた方がいた。
 数日後、自分の口から「悟りたくない!」というラベリングが飛び出してギョッとなった。
 突っ込みを入れると、果たして、反応系の汚染が露わになり、そちらの修行が優先されることになった。
 本心が暴き出されていくサティ・・。

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7/10(金)  瞑想合宿で厳しくサティを入れ続け、思考を止めることに徹した方が驚いていた。
 下山後の日常、心の中のくだらないおしゃべりが始まりそうになる瞬間がよく判り、すぐに止めているのだ。
 その結果、普段の生活のあらゆることに集中できる!
 脳がリセットされた感覚が、なるほどと腑に落ちたという。

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7/9(木)  証拠がないから信じられない、と苦しみ続ける人たち。
 「本当のことを知りたい」と言うが、科学的真理など、新しい発見があるたびに覆されてきたのだ。
 「真実」であろうがなかろうが、苦しみが完全に滅するなら、それでよいではないか。
 人の認知の数だけ、千差万別の世界がある・・・。

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7/8(水)  性格が悪かったり、悪意があったわけではない。
 間が悪かったとしか言いようのないめぐり合わせで事態がコジれ、お互いに傷つき、苦しみ、ネガティブな関係で固まってしまう。
 溜息をつくしかないカルマの悪さ。
 ・・主役の時も脇役や裏方の時も、あらゆる場面で、衆善奉行を心がけるしかないだろう。

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7/7(火)  【「心の疲れ」が消えていく瞑想のフシギな力。】@王様文庫の見本が刷り上がり、パラパラとページを繰ってみるとさすがに感慨があった。
 執筆依頼から約2年、道場移転など何度も暗礁に乗り上げたが、日の目を見ることができた。
 私自身、一再ならず断念しかかったが、揺るぎない編集者の熱意の賜物である。
 誠に誠に、人のお陰さまだ・・・。

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7/6(月)  わかってはいるが、改善されないまま、ネガティブな状態を続けてしまう。
 矛盾に苦しみ、葛藤が深刻であれば、瞑想中に「昏沈睡眠」に陥るしかないだろう。
 ま、仕方ないやんか、とシャーシゃーとしている人は、「ふつうに冴えない瞑想」を淡々と続けるだろう・・・。

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7/5(日)  「瞑想しないでいると、やがて脳内環境が悪くなっていくので、また、苦しくなったら、いらっしゃい」
 「出社する。仕事を始める。一瞬にして5時になっている・・。
 そう錯覚するほど没入できていたのに、実は最近、頭のなかで独り言が増えてきて、だんだん汚染されてきている自覚があります」

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7/4(土)  生きることが苦しいので、瞑想というシステムの力で苦を乗り超えていくのが仏教だ。
 病気が治れば、病院に足繁く通うことはないだろう。
 王宮を出たシッダルタ王子のように、この世の歓楽に咎を見、幸福の本質に苦を洞察した人たちは、瞑想を止めることはできない・・・。

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7/3(金)  あまりにも過酷な職場環境で苦しんでいた方に、「もし逃げられるのなら、逃げてもいいよ」とアドバイスしたことがある。
 その後、転職した職場は、仕事内容、人間関係、全てが理想どおり、地獄から天国のようだった。
 幸福を満喫したこの一年間、彼は、瞑想を一日もしなかったという・・・。

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7/2(木)  本の執筆の最後の追い込みは、毎回修羅場になる。
 どんなスキマ時間もすべて、原稿の完成やゲラの修正に絞り込まれる。
 なぜ、この集中状態をもっと早くやれなかったのだろう・・と訝る。
 何事も、余裕があれば、アドレナリン全開にはならない。

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7/1(水)  嫉妬をすれば、妬んでいるものが自分には得られなくなると知っているのに、なぜ、メラメラと嫉妬の炎を燃やしてしまうのだろう。
 頭もよく、才能もあり、ダンマの知識もあるのに、どす黒い嫉妬に駆られてカルマを悪くしている人たち。
 無明の闇の底知れなさ。
 仏教を知的に理解する虚しさ。

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6/30(火)  「男子三日会わざれば刮目して見よ」という。
 小さな子や赤ちゃんの成長はさらに目を見張るが、まったく同じ速度で、誰でも、いつでも劣化し、老いているのだ・・・。
 家族の最期の看取りをした者は、日一日と老衰していく姿に無常の怖ろしさを目の当たりにするだろう。
 光陰矢のごとし。

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6/29(月)  自己中心的な人は、サティ(気づき)を体得するのが容易ではない。
 気が散りやすい人は、サマーディ(集中力)を身につけるのが大変だ。
 脳の使い方には個人差がある。
 どちらが、難易度が高いのだろう。
 サマーディの方が、サティよりも難しい。
 ・・・20余年の現場からの実感だ。

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6/28(日)  謝ろう、謝罪しよう、と懺悔の意志を固めた人は、あやまちを犯した瞬間と正反対の意志を放っています。
 その念が、心底からの強力なものであれば、まちがったことをした瞬間の不善業が相殺されていく方向です。
 さらに、真逆の善なる行為を実行していけば、償いが完成していくでしょう。

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6/27(土)  まちがったことをしたなら、正しいことをすればよいのです・・・。

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6/26(金)  6月29日の刊行を待つだけとなったが、追い込みでは完全徹夜、30頁ほど削除した。
 執筆する。朦朧となる。10分間熟睡する。執筆する。フラフラになる。10分爆睡する。また書く・・・。
 これが、徹夜でも効率を落とさない自分流のやり方です。

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6/25(木)  三笠書房から王様文庫の仕事を提示されたのが、ちょうど2年前。
 なかなか筆が進まなかったが、結局、書き過ぎて、大幅に減らさなければならなくなった。
 残念だったが、何事もプラス思考に転じることを説いてきた。
 無駄を削ぎ落とすことができ、その分、エッセンスが輝いたのではないか、と発想転換。

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6/24(水)  放置されたまま、風化していくかすり傷もある。
 真の解決を与えないかぎり、絶対に自然治癒しない心的外傷もある。
 答の出ない難問が頭にこびりついては、瞑想どころではないだろう。
 もし無自覚なら、「抑圧」の仕事に膨大な心のメモリーが費消されている。
 引き算が先ではないか・・

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6/23(火)  なぜ瞑想に集中できないのだろうか。
 根性がないからではなく、心に余計な仕事をさせているからだ。
 パソコンが「瞑想」のタスクだけに専念すれば問題はない。
 「劣等感」「トラウマ」「怨念」など、重たいアプリを並行処理させているのに気が付かず、心の動作環境が悪くなっていないか。

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6/22(月)  合宿初日が谷底で、日を追うごとに一直線の右肩上がりでテンションが駆け上がっていく。
 四六時中、法話と法話の準備と瞑想者の掌握とインストラクションにすべての時間が費やされていく。
 ダンマのシャワーを、自分自身が浴び続けている。
 不思議な、量り知れない力に全身が貫かれ、みなぎり満ち渡っていく・・・。

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6/21(日)  同じ屋根の下で眠り、同じ(電気)釜の飯を食べながら、黙々と瞑想に専念していく合宿・・・。
 個性も、修行履歴も、過去世からの因縁も、何もかも千差万別の瞑想者たち・・・。
 毎日、内容もテーマもまったく違う10本の連載小説を、同時並行で進めていくような面接。
 道場の存在全体が眩しく輝くような日々・・・。

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6/20(土)  サティの瞑想は、目で、耳で、鼻で、舌で、体で、その一瞬の事象にいかに気づき、どのように認知されるかである。
 何も考えず反射的に、瞬間的に確定される認識だからこそ、その瞑想者の人生が集約されると言ってもよい。
 心の反応パターンを浄らかにしないかぎり、聖なる修行は完成しない。

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6/19(金)  快いもの、美しいもの、楽しいものを、目で貪り、耳で貪り、体で貪るために、必死で働き、ゲットしたものの足し算に掛け算をしていくのが世間です。
 ネガティブなものに執着する怒りを捨て、愛着も執着も手放し、心に拡がる思考すらも見送って、究極の引き算を目指す瞑想の合宿もたけなわ・・・。

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6/18(木)  抑圧しきれずに、常に思考の流れの中に居すわっていた人物が、まったく浮かんでこなくなった。
 作務の瞑想に、道場のトイレを念入りに掃除していると、「優しい風」が頬に触れていった・・と感じた。
 歩く瞑想の一足一足が、かつてない鮮明さで知覚されてきた・・。
 心が整うと、瞑想が進む。

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6/17(水)  自分のものの見方に固執しているかぎり、死ぬまで問題は解決しないだろう。
 10年間、頭にモヤがかかった状態の人が 、瞑想合宿中に眼を背けてきたものの正体に気づくことができた。
 すると、心がスッキリと整理され、3~4分しかできなかった瞑想がきちんとできるようになった・・・。

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6/16(火)  立派な手本を見れば、必ずやる気が出る。
 合宿や瞑想会で、先輩の美しいサティを目撃するや、感動し、心を打たれ、一気に最悪状態から脱出することができた瞑想者たち・・。
 古人の言行録を読むのも、DVDのお手本映像を観るのも、良い。
 頭に充満しているネガティブな印象を一掃する 。

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6/15(月)  不善心所モードで帰宅した人も、瞑想することによって、必ず善心所モードに切り替わっていく。
 だが、バリバリの善心所モードになって瞑想を始めたほうが、よい瞑想ができるだろう。
 例えば、ダンマ系情報に感動した直後は、最もよいタイミングの一つだ。
 ブッダの珠玉の言葉を読む・・・。

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6/14(日)  進むべき道、目指すべき方向、見定めた究極のゴールに向かって、ブレずに、迷うことなく歩み抜いていかなければならない。
 だが、やり慣れてしまい見飽きてしまった、かわり映えのしない単調なタスクを、どうしたら、初々しいビギナーのような心で、今日もまた、新鮮に取り組めるのだろう・・・。

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6/13(土)  すべては、「決意」から始まる。
 完全に腹に落ちて納得し理解したことを、心の底から、本気で、揺るぎなく決意したならば、必ず具現化していくだろう。
  「意志」が業を作っていくのが現象世界だ。
 自分の腐った心を正しく、ありのままに観た者は、 こうして自己変革をなし遂げていく。

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6/12(金)  事実をありのままに観ていく瞑想である。
 それも、外界の出来事を見物するのではなく、自分の実情を、本当の姿をありのままに客観視しなければならない。
 なんと苦しい、シンドイ仕事だろう。
 自己イメージが崩れ落ちていくのに耐え、ネガティブな実態を直視していく覚悟・・・。

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6/11(木)  下館で暮らし始めて最初の春、駅前通りの街路樹が美しいピンクの花を開いて、ハナミズキだったのかと知った。
 道路拡張を機に街並みは美しくなったが、多くの商店がひしめくように連なり、殷賑を極めた昔日の面影はなくなった。
 人口も減少し、夜9時ともなれば、車も人の往来もほとんど無くなる。
 その閑散とした佇まいは、歩く瞑想にはこの上ない。
 早々と寝静まる家々から感じられる優しい沈黙・・・。

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6/10(水)  非を認め謝ってしまえば、あるいは心から懺悔をすれば、終わりにできる。
 エゴが強引に封じ込めていても、本当は自分が悪いことを、心の奥底では知っているのだ。
 その無意識の罪業感から解放される爽やかさ・・。
 自分は悪くないと、本心を抑圧し、愚かな不善業を垂れ流していく無知。

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6/9(火)  どうしても認知を変えることができないのは、執着が深く、プライドが高すぎるからだ。
 人は、エゴ妄想と、エゴを比べ合うプライドという妄想を守るために、不幸の現実を選ぶ・・・。

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6/8(月)  絶妙の流れで、人にも情況にも助けられていく人。
 なぜか事の展開がチグハグになり、めぐり合わせが悪くなっていく人。
 救いの手を払いのけ、自分から蜘蛛の糸を断ち切っている人。
 最後は徳の力が、事の成否を決めるだろう。
 諸力に助けられ、導かれ、自己回復できるだろうか・・・。

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6/7(日)  傷が深ければ、自然に風化していくことはない。
 いつの日か、ありのままに直視して、受け容れる仕事をしなければならない。
 事実は変えようがないので、その意味を変え、認知を変えていくのだ。
 固執しているものの見方、握り締めている手を放すことができるだろうか・・・。

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6/6(土)  抑圧されているネガティブな印象が、通奏低音のように脳内を流れている・・・。
 瞑想をやらなければ、それに気づくこともできないだろう。
 受け容れることができないものを受け容れるしかない「悲しみ」が心に降りつもっていく日々・・。
 悲しき人達・・・。

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6/5(金)  心が受け止めきれないネガティブな経験をしてしまったのは、悲しいことだ。
 記憶から抹消しようと、いくら眼を背けても、心の底では忘れてはいない・・。
 どこかが微かに緊張している。スッキリしない。頭の中に半透明のヴェールがかかっている・・。
 いつか蓋を開けるしかないだろう・・・。

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6/4(木)  東急セミナー二子玉川校でも、グリーンヒル公認講師2名によるヴィパッサナー瞑想講座が開催されています。
 どなたでも必ず瞑想が習得できるように、懇切丁寧な初心者指導に絞り込んだ「あひるの教室」です。
 少数精鋭の指導が受けられます。
 ぜひご参加を。

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6/3(水)  「肩凝り」という言葉がない国には、肩凝りがない。
 アフリカには虹が2色にしか見えない部族がいる。
 へえ、と驚く日本人には1つの色にしか見えない草原が、彼らには何色ものグラデーションで見分けられている。
 言葉を知り、概念を理解すると、存在が立ち現れてくる・・・。

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6/2(火)  言えば怒るし、言わなければ、わからない。
 傷つけないように遠まわしな言い方をしても、「いるよね、そういう人・・」などと、自分が言われているとは感じない。
 え、え、え・・私のこと?
 と、配慮のゆき届いた、心のきれいな人が勝手に反省する・・・。

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6/1(月)  六条御息所の生き霊は、源氏の愛妻を呪い殺す。
 嫉妬や愛執や憎悪などの強い意識の放射が、霊的に敏感な者に災厄を与えるのだ。
 生き霊(執念)を送った者は、意志的行為の業を作ったがゆえに、恐ろしい報いを受けるだろう。
 渇愛に目が眩んで、自ら苦しい人生を設計する愚か者たち・・・。

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5/31(日)  ああ、なんて良い人なんだろう、と心温まる人たちに出会い、楽しい日々を過ごすと、どんな風にエゴが乗り超えられるのだろうか。
 悪い流れに次々とハメラれ、イヤらしい人にシゴかれ、もみくちゃにされ、なんとか苦難を脱出しようともがく日々・・。
 苦を乗り超えるときに覚りがある・・・。

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5/30(土)  お互いに大好きだったのに、今はもう顔も見たくない、と憎んでいる人がいないだろうか。
 良いこともあった。楽しいこともあった。だが、嫌なこともあったわけだ。
 暗転し、忌まわしい結末になってしまったが、素晴らしい時代もあったのだ。
 自分の人生を飾ってくれたお方ではないのか・・・。

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5/29(金)  洗っても、洗っても、汚れていると感じ、皮が剥けるほど洗い続けてしまう手。
 どうしても克服したい、取り除きたい、ちがう状態になりたい・・と毛嫌いされる劣等感。
 排除したいと嫌う心があるかぎり、眼前の標的が抹消できても、何の解決にもならない。
 新たな標的を必ず見つけ出す・・・。

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5/28(木)  もっと鼻を高く、もっと眼を大きく、とエスカレートしていく要求にブレーキをかけるのが大変なのだ、と美容整形科医が言っていた。
 靴も履けないほど貧しかった少女が後年、3000足もの靴を買い漁った武勇伝もある。
 過度にこだわるのはなぜか・・。
 その背景を精査してみる・・・。

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5/27(水)  人が嫌がっているのに、止めようとしないのはなぜなのだろう。
 自分が正しいと信じきっているからだ。
 執着があまりに深く、それ以外には何も見えないからだ。
 鈍感で、相手の苦しみがわからないからだ。
 渇愛の火に身を焦がし、愚か者は、未来に激しい苦を受ける・・・。

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5/26(火)  なぜ諦められないのか。
 よくわかっていないからだ。
 なぜ解らないのか。
 考え方が間違っていて、正しく現状認識ができないからだ。
 自己チューのストーカーのように、 自分の立場からしかものごとが見えないのだ。
 愚か者は、執着が深い・・・。

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5/25(月)  なぜ全てを失うまで、目が醒めないのだろう。
 ああ、こんなことをしていてはダメだ・・と脳裏を掠めた瞬間が何度もあっただろうに。
 頭ではわかっていたが、腹に落ちることのなかった悲しさ・・。
 全てを失った瞬間の全身的情動体験がなければ、心の底には届かなかった気づき・・・。

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5/24(日)  ああ、なんて綺麗なんだろうと感動している心が、花にも伝わるのだろうか。
 賞賛されてもされなくても、愛されても愛されなくても、見られても見られなくても、ただひとり咲くべき花を静かに開いて森閑としている・・・
 見返りを求めない潔さと捨(ウペッカー)の精神に心打たれた黄昏だった。

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5/23(土)  誰もいない道場に帰宅し、庭に出ると、迫りくる夕闇の中にひっそりと、可憐に、土佐ミズキが花開いていた・・・。
 なるほど、そういうことか・・と閃くものがあった。

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5/22(金)  劣等感が強い人ほど、人の恩を忘れていくものだ。
 お世話になり、導いていただき、やっとここまで来られたのに、何もかも自分ひとりの力で成し遂げてきたかのように認知が変わってしまう。
 屈辱の過去に復讐するかのように、傲慢な上から目線になっているのに気づかない・・・。

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5/21(水)  言われたとおり丁寧に、セオリー通り修行するビギナーの初々しい姿に、タジタジとなる古参。
 解ったつもりになったダンマは、何回耳にしても、ああ、あの話か・・と同じ理解が右から左に素通りだ。
 ボロボロになった座右の書から、果てしなく新たな意味を汲み取る智慧の人もいるのだが・・・。

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5/20(水)  ハカライというものは、必ず破れていくものであり、いつか行き詰まっていくものだ。
 仮に最後まで、人に知られることがなくても、作られていった業が噴き出て来る日がやって来る・・・。

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5/19(火)  ああ、自分はひどいことをしている・・と自覚しながら悪いことをする人は少ない。
 これは良いことだ、当然のことだ、と思いながら、好きなこと、やりたいこと、信じていることをやっているのだ。
 ・・こうして誰も、毎日、嫌な人に出会い、不快な出来事に苦しむ人生になっていく・・・。

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5/18(月)  地獄の極悪人にすら、蜘蛛の糸が垂らされてきた。
 本当は誰にでも、チャンスは訪れているのだ。
 ぼんやり見送ってしまう人。
 自ら断ち切ってしまう人。
 紙一重で救い出される人・・。
 カルマが現象化するのを助ける支持業があり、邪魔をする妨害業がある・・・。

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5/17(日)  なぜ、そこまで恥を知ることなく貪るのか。
 ・・治りたくない、と抵抗し、快感獲得に逃避していたのだ。
 異常なまでの渇愛になるのも、必然の背景があった。
 苦に叩かれてもわからない愚かさ。
 救いの道が示されても、泥を塗りつける無明・・・。
 悲しき宿業の力・・。

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5/16(土)  病むことによってしか、生きてこられなかった悲しい事情もある。
 治りたい、回復したい、と必死で通院する。修行する。心の治療を受ける。
 だが、本心では治りたくない、と抵抗しているのだ。
 心を開けないカウンセリング、やる気の出ない修行、さぼることしか考えていない研修所・・・。

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5/15(金)  人に介助され、支えられながらしか生きていけない人たち・・。
 自分はそうではないと安堵している人たち。
 家族や友や仲間に助けられ、社会や流通や情報のシステムに支えられている実状は、なぜ見えなくなるのだろう。
 誰にも頼らず、自分の力で生きているという妄想の滑稽さ・・・。

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5/14(木)  真実に愛した人は、やがて愛されるだろう。
 愛されれば、自信が得られる。
 多くの人に支えられてきた事実も見えてくる。
 強くなる。
 優しくなれる。
 打たれても、怒りで守らなくなる。
 相手が憐れに感じられる。
 優しさに守られている、と感じる。
 傷つかなくなる・・・。

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5/13(水)  人を愛すると、自己開示が深くなる。
 素直になる。
 優しくなる。
 怒りや攻撃性が弱まる。
 鎧や兜やプロテクターの防護が外れる。
 打たれ強かったのに、傷つきやすくなる。
 真の優しさと強さを得るための通過儀礼と考える・・・。

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5/12(火)  毎日、何か新しい情報で一瞬、脳を驚かせたくなる。
 外食の帰途、ついぞ通ったことのない界隈を歩いた。
 小学校の同級生の表札を何軒か見かけ、瞬時に面影が浮かび、佇まいから想像と連想が飛び交った。
 何十年も通電しなかった脳回路にミシミシと分け入っていく感覚の新奇性・・・。

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5/11(月)  いつも外食をするファミレスは、東京でも大阪でもよく利用している。
 なぜ下館の従業員はみな優しいのか不思議だった。
 小さな田舎町ゆえに、赤の他人よりもご近所の誰かにサービスしている感覚なのか。
 この優しい絶妙の距離感は、慈悲の瞑想の「捨」に近いのではないか・・・。

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5/10(日)  人生の不幸に見舞われ、弱者の立場になれば、人の支援や情けを受けなければ生きていけなくなる。
 その無念さは、いかばかりだろう。
 ・・「悲(カルナー)」の瞑想をする時には、身を屈め、腰を低くして、おそれ多くもやらせていただきます、と限りなくへりくだらなければならない・・・。

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5/9(土)  なぜ自分は今、この環境のもとにいるのだろう。
 なぜ、このような人たちと一緒に仕事をし、あの家族の一員となったのだろう。
 自分が望み、求めて得たものなのに、与えられたかのように感じられる。
 日々、業を作っている自覚もなければ、本心の振る舞いにも気づかないので・・・。

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5/8(金)  ある勢いで展開し始めた人生の流れは、どうにも止まらず加速されていくものだ。
 善き流れなら従いきっていけばよい。
 悪しき流れは命がけで止めなければならない。
 その初動を与えたのは己の意志なのか、情況なのか、宿業なのか・・・。

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5/7(木)  「もっと愛されたかった、という強烈な愛情飢餓を抱えながら生きてきましたが、
 今朝、心の中のコップが満たされていることを感じました・・・。
 法友からたくさんの愛情と優しさを頂いたからです」
 というメール。
 互いに慈悲の瞑想をしながら暮らしているタイの尼さん達を思い出した・・・。

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5/6(水)  この世を捨て、僧院で瞑想三昧の人生を選んだ彼らに、修行の根本についての共通理解が見られたという。
 瞑想で全てが解決するわけでないし、瞑想だけで立派な人格が形成されるのでもない。
 反応系の心の修行を踏まえて、ディープな瞑想の世界に分け入っていく清浄道・・・。

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5/5(火)  ミャンマーの森林僧院を再訪した方からメールが届き、グリーンヒル出身の比丘や尼僧の様子が伝わってきた。
 日々瞑想に精励する彼らの心の一番深い所には、グリーンヒルで学んだことがしっかり根付いていることをお伝えしたかった、と結ばれていた。
 実践されるダンマのリレー

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5/4(月)  家にこもって執筆し、暗くなってから買物や外食に出かける日が続いていたからか。  サンシュユがこんなに美しく花開いていたことに気づかなかった・・。
 枯木のような姿で冬に耐え、春の到来を寿いでいるか。
 道場移転して1年・・・。

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5/3(日)  起きたことは、すべて正しい。
 ネガティブな事象から無限の学びが得られるし、 新たな創造が始まるからだ。
 だが、悪を避け善をなす鉄則は、いかなる場合にも貫かれなければならない。
 全てを受け入れていくが、なすべきことはなし、なさざるべきことはなさないということ・・・。

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5/2(土)  森林僧院の比丘達の、生々しい修行模様を知らされた。
 古の名僧の厳しい生きざまや修行姿勢についても耳にした。
 ・・どうしようもなく血が騒ぐ。
 だが、天に命を預けた身、天が示した道を行き、天に与えられたものを受けきっていくしかない・・・。

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5/1(金)  20歳のある日、恐ろしく鮮明な意識が脳裏に照り映え衝撃を受けた。
 「56歳!」と死期を直覚したのだ。
 微塵の疑いようもない事実、という印象だった。
 だが後年、思いもよらぬダンマ系の仕事に身を捧げていると、覚悟していた死期は過ぎていった。
 宿命を変えていくのが人生か

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4/30(木)  ブッダの入滅に際し、「もし望まれれば、如来は肉体的生命を延ばすことができる・・」と3度ほのめかされても、アーナンダは延命を乞わなかった。
 その咎を後日、衣鉢を継いだマハーカッサパに糾弾されている。
 まだ解脱していなかったアーナンダは、その時マーラに心を惑わされていたという。

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4/29(水)  人の死期は寿命と業によって定まっているが、かなり可変的でもある。
 ブッダの時代から、死期を調整した逸話は少なくない。
 宿業というものは、新しく作られる業によって相殺もされるし助長もされるからだ。
 定まっているものを変えるのも受け容れるのも、そう望むか否かである・・・。

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4/28(火)  人の死期は寿命と業によって定まっているが、かなり可変的でもある。
 ブッダの時代から、死期を調整した逸話は少なくない。
 新しく作られる業によって相殺もされるし助長もされるのが宿業だからだ。
 定まっているものを変えるのも受け容れるのも、そう望むか否かによって始まっていく・・。

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4/27(月)  継承したラーマクリシュナの教えを、世界中に広めた偉大な弟子ヴィヴェーカナンダ。
 彼を初めて見た瞬間、師は言う、「遅かったな」。
 数十年来の直弟子達を差し置き、異国から来たばかりの空海に密教の全てを渡し終わるや逝去した恵果。
 古来より、師資相承の因縁譚は興味深い。

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4/26(日)  托鉢に向かうブッダに強引に質問したバーヒヤは、その場で瞑想を始め即座に解脱するが、直後、暴れ牛の角に急死する。
 侍者アーナンダの制止を振りきり、臨終直前のブッダに教えを乞うたスバッダは、見事な説法を得て最後の直弟子となった。
 師弟関係というものは、因縁による・・・。

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4/25(土)  年内に出家する決意を固めた青年が帰国した。
 ダモ寺の落合比丘はまさに尊敬に値する、心から弟子になりたいと思える方だったという。
 さもあらん。
 あの微塵の傲慢さもない人品骨柄には、誰でも魅了されるだろう。
 終生の師として息子(?)を託すに値する方と確信していた・・・。

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4/24(金)  己の愚かさを痛感し、無力さに頭を垂れ、ただダンマに我が身の一切をゆだねきっていく・・・。
 最良の仕事がなされるのは、そんな時である・・。

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4/23(木)  熱心な受講者から鋭い質問が出たりすると、途端にテンションが上がり、ヤル気満々になる。
 岩手県盛岡や土佐の高知県など、遠方から朝カルを受講された方々も少なくないが、北海道から通った方も鋭い突っ込みが多く、講座が盛り上がった。
 即興の質問に答える瞬間が最もワクワクする。

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4/22(水)  見るべきものを見、味わうべきものを味わい、受けるべきものを受けてきたという印象・・。
 充足し、自己完結した者は、惜しみなく与えることができる。
 空っぽになれる・・・。

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4/21(火)  最初はさっぱりわからず、ただランダムに情報を蓄積している印象かもしれない。
 だが、ある日、突然わかり始めてくる。
 そうか、そういうことか!
 エゴの視座を手放してみると、
 相手の側に立ってみると、
 現場に即して眺めてみると、
 自分を空っぽにしてみると・・・。

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4/20(月)  何でも自分の好きなように、やりたいようにやる。
 そんな個人的なエゴ感覚で営まれることには、普遍性がない。
 古来より無数の人々に検証されてきた「型」に、忠実に従ってみてはどうか。
 存在の世界を貫いている理法とともに生きていくと、あるがままの世界が観え始めるのではないか・・・。

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4/19(日)  気にくわないものを排除し、好きなものを思いっきり楽しみ、現実を忘れて陶酔したいのだ。
 エゴは、五戒を守りたがらないだろうな。
 諸法無我を説き、寂滅した静けさを目指す仏教は、いかにも反自然、反生命だよ・・・。

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4/18(土)  「義務のように毎日瞑想してはいるのですが、ちっとも進んでいる感じがしないのです」
 「五戒は、ちゃんと守っていますよね?」
 「嘘の戒を完守しているとは言えず、お酒も飲んでいます」
 「戒を守る厳密さに比例して修行が進む、とアチャンに言われ、私の守戒は徹底しました・・・」

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4/17(金)  三宝への感謝が述べられ、こう続いた。
 「・・約束の時間は近づいております。今年中に出家いたします。
 そのように、落合比丘にご相談させて頂きます。
 自分の為すべきことが、正しく為されますように、三宝と神々の導きに沿って行動いたします・・」
 サードゥ(善哉)!!

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4/16(木)  即レスが来た。
 「この世の歓楽を味わい尽くしてから出家するのが流れ・・と伺っておりましたが、出家を決意してから、グリーンヒルの法友や家族、親戚と過ごす時間は俗世で得られる幸せの極み、ほぼその臨界点だったと思います。
 天から与えられた最良の時間でした・・・」

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4/15(水)  悠々と3年以内に出家する計画で、再度タイに旅立った彼に、メールを送った。
 「・・年内に必ず出家すると、タイの諸仏諸神に祈願してきなさい。
 グズグズしていると、世俗の垢が心に付き始めます。
 何事も、時運や潮時というものがあります・・」

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4/14(火)  瞑想も人間関係も仕事も、すべてが順風満帆、毎日が楽しく輝いていた。
 このまま安定しかねない微妙な雰囲気も漂い始めたので、心を鬼にして背中を押すことにした。
 彼のためにも、未来の瞑想者のためにも、出離に躊躇があってはならない・・。
 量り知れない衣の力・・・。

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4/13(月)  グリーンヒルで瞑想に縁が付き、修行が深まり、ついにタイで出家する覚悟を定めた青年に伝えた。
 日本を去る前に、語学、内観、善行等々、存分になすべきことをなし波羅蜜を高めるように、と。
 家族との問題も解決し、法友との絆も順調に築かれ、合宿スタッフとしての才能も花開いていった・・・。

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4/12(日)  現象世界には「慣性の法則」が働いている。
 動くものは動き続けようとし、止まっているものは静止し続けようとする。
 新しい世界を切り開くべく、現状を変えようとすれば、必ず抵抗する力を受けるだろう。
 心がブレ始め、決意が揺らぎ、無意識に言い訳を探し始める・・・。
 サティを入れる!

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4/11(土)  決意が揺らいでくると、中止する絶好の口実になる出来事が不思議に起きてくるものだ。
 ・・思考の内容が「業」を作るのではない。
 一瞬一瞬の本音の想い、本心のチェータナー(意志)が、カルマを作っていく・・・。
 自覚する・自覚しないにかかわらず。

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4/10(金)  挫折と失敗を経験しないで、偉大な成功を遂げた人がいるだろうか・・・。
 クレームは創造性の宝庫であり、失敗学や敗因の研究ほどおもしろいものはない・・。

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4/9(木)  人生に、失敗などはない。
 経験の意味を正しく読み解けない人たちがいるだけだ・・・。

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4/8(水)  苦の構造を理解し、現象世界を貫く因果の理法(業論)が腹に落ちて、「正見」が確立される。
 よくわかりました・・と心底納得した瞬間から、全てが変わり始める。
 心が変われば、人生の流れが変わるのだ。
 そのために、ヴィパッサナー瞑想はある・・・。

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4/7(火)  なぜ自分の人生は、こんなにも苦しく、運が悪いのか・・・。
 その原因も、因果のメカニズムも、何も読み解くことができずに、ただ苦しみに怒り、快楽を貪り、人が見ていなければ邪まなことや卑しいことをしてしまう。
 痛みも苦しみも鋭く感じながら、訳がわからない理不尽さと悲しさ・・・。

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4/6(月)  「この世には、苦と苦を癒す道しかない」というサヤドウの言葉に涙した日本人がいた。
 というツイートに衝撃を受け、人生観の修正を余儀なくされた・・。
 食事会でそう語ったのは、医学生の瞑想者だった。
 「フーン・・」と軽く読み流してスルーしてしまう人ばかりなのに・・・。

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4/5(日)  2月の関ヶ原を通過すると、毎年のよう雪景色に遭遇する。
厳しくも清冽な美しさに、山林が震えていた・・・。
煩悩に汚染された心を浄らかにしていく仕事に、いかにも相応しい光景に思えた。

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4/4(土)  心の中で土下座して謝罪すると、バラバラになっていた心の断片が「私」という意識に統合され、和解できたかのような大きな安心感が生まれたという。
 傷つけたのも、傷つけられたのも自分だったが、他人に対してだけでなく、自分に対しても謝ることで初めて赦されることができるのだと知った・・・。

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4/3(金)  これまで、自分を愛し、大切にするということの意味が分からなかったのだが、こう謝った。
 「今まで何も顧みずにお前を傷つけることばかりしてきて、本当に申し訳なかった。
 もう二度とお前を苦しめたりはしない。
 これからの人生は、その償いに全力を費やすから、どうか赦して欲しい・・」

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4/2(木)  「ああ、こんな苦しいことは、もうやめよう」と何度も思いながら、自分の体と心を傷つけることを繰り返してきてしまった・・・。
 そんな人が、「誰よりもまず、自分の人生に対して謝りなさい」と言われた瞬間、なぜか心に深く響くものがあった。
 心底から懺悔の瞑想をした・・・。

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4/1(水)  単行本の執筆が予定より遅れている。
 やはり通常のスケジュールを全うしている限り、多大なエネルギーを費す新しい仕事はママならない。
 執筆が終わるまで、東京&関西瞑想会は代講を立てることとした。
 失うものもあるが、開かれてくるものもある・・。

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3/31(火)  歳月が流れてしまえば、あれほど過酷だった介護現場の実感が、淡い墨絵のようのように遠退いてしまっている。
 やがて、ああ、そんなこともあったな・・などと呟くようになるのだろうか。
 すべてが忘却の彼方に沈んでも、今、この瞬間の、対象認知と反応の仕方を決めているのは、経験の集積・・・。

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3/30(月)  霊的な感覚は、 全ての人に共有されている普遍的センサーではないので、事実を検証する科学や客観性の根拠にはならない。
 知覚できなければ、存在しないのと同じだ。
 空中を横切る霊的生類を見た目蓮尊者に、ブッダが言う。
 「・・これは、わかる者同士が語り合うべきことだ」

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3/29(日)  祖父も父も死後、霊的な存在としての気配が感じられた。
 死の意味を伝えると父は程なく気配を消したが、行く末を強く案じていた祖父は長く留まっている感じがした。
 しかるに母は、一瞬たりともこの世に舞い戻った印象がない。
 死のレッスンが効を奏し、迷いなく再生したのだろうか・・・。

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3/28(土)  いまだに亡母のことを忘れず、命日に供物の菓子や花を贈ってくれる方々がいる。
 ・・人の手は握れるが、死者の肉体に触れることはできない。
 違いはそのくらいで、生者も死者も 、人の心の中に存在し、暗黙の影響を及ぼしていく・・・。

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3/27(金)  歳月を重ねてくると、自己分析の精度が増し、両親の人となりを形作った要因も正確に理解されてくる。
 親子の関係を通して、自分の全てが作られてきた現実も見えてくる。
 自らの手で親の末期を看取りながら得た学びが、いつの間にか人生最大の宝になっていた・・。
 母が逝去して3年・・。
 父を看取って23年・・・。

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3/26(木)  ただ、道場の庭に陽が射し、雪が降っただけなのに、心に拡がっていく印象は一変していた。
 自分の生死に関係なく、法としての世界はただ生成流転を繰り返していくだろう。
 人生は、心に形成されていく妄想世界に過ぎない・・・。

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3/25(水)  エゴを乗り超える4つの道がある。
 ①エゴ感覚が思考プロセスから生まれると気づくサティの瞑想によって。
 ②利己心を弱めていく善行の瞑想によって。
 ③【捨】の心を成長させる慈悲の瞑想の威力によって。
 ④事例に則し、視座を転換させ、諸法無我の真髄を腹に落とし込むことによって・・・。

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3/24(火)  自分の内と外を仕分け、まず何よりも自分を守りたい。
 他人ではなく、自分の遺伝子だけを残したい。
 そんなエゴ感覚に端を発し、男女関係がもつれる。嫉妬に狂う。子供を溺愛する。
 劣等感と傲慢と承認欲求と上昇志向と被愛要求に振り回される。
 どうしたら、エゴを乗り超えられるのか。

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3/23(月)  悪いことをしていると知りながら悪を実行している確信犯も、なぜ不幸な人生になっていくのか、原因と結果の関係がわかっていない。
 よもや自分が恐ろしい悪業を作っているなどと気づかずに、愚かにも不善なる行為を重ねている哀れな者も、因果論を知らない。
 底の知れない、悲しき無明・・・。

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3/22(日)  朝カル講座が始まる直前なのに、意識がクリアーではない。
 あと5分しかないが「必ず新宿で眼覚める」と命令し、一気に睡眠モードに入る。
 新宿!とアナウンスが遠くに聞こえ、飛び降りた。
 果たして、熟睡後特有のスッキリ感と意識の透明度が感じられ、ヤル気満々になっていた。

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3/21(土)  意識の透明度ほど瞑想に大事なものはない。
 ドロリとした眠気からいかに脱出するか・・・。
 万策尽きた最後の切り札は「午睡を取る」ことだ、とブッダは言う。
 脳内ホルモンが変化するからだろうか。
 たとえ短い睡眠でも、劇的に意識水準が変わっていく・・・。

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3/20(金)  宇宙飛行士たちが見た青い地球のどこにも、国境線など存在してはいなかった。
 そのように、法としての実体はないのに、誰もが在ると感じている「エゴ妄想」が諸悪の根源だった。
 あらゆる存在が宇宙網目の中で繋がり合っている実状を無視して、「ただ一人で生きていく!」と息巻いていた・・・。

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3/19(木)  誰にも頼らず、誰の世話にもならずに、自分一人だけの力で生きていく。
 そんな愚かな一人相撲が破綻し、自ら命を絶つ気力すら失せていた20代の末。
 堕ちきったどん底で、「死なないように、祈ってくれ」と不覚にも人に救いの手を求めていた。
 頼れたので、人の世界へ戻ることができた!

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3/18(水)  人間によって営まれるどのようなイベントも、 その時その場の人の心と人間性しだいである。
 良き縁に恵まれれば、全てが楽しく輝くだろう。
 性根の腐った人に出会う悪縁は、つまるところ、こちらの不徳に起因する。
 苦しむことによって学びを得ながら、解くべき因縁を解いていくしかない。

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3/17(火)  「与えられたものは、ことごとく受けとっていく」覚悟を定めていたら、初心者の方々に20年も瞑想を教えることになっていた。
 この瞑想によって人生の流れが変わり、さまざまな苦しみから解放されていく人々に、逆に教えられ、支えられてきた・・・。

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3/16(月)  学歴コンプレックスも容姿コンプレックスも、マザコンもファザコンも、劣等感についてどれだけ理解を深めても、一瞬の反応系の心はなかなか変わらない。
 知的理解の限界を超えるには、 深層意識での解放が起きなければならない。
 経験の意味と印象を塗り替える新たな体験か、瞑想か・・・。

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3/15(日)  思考モードを離れ、妄想が停止した意識状態で、快楽を味わい続けることはできない。
 眼にも耳にも鼻にも舌や体にも、楽受の瞬間はたしかに在るが、一瞬にして消滅してしまう。
 次の快感を期待する妄想が止まれば、渇愛ホルモンは分泌しないだろう。
 興醒めの瞬間の到来・・・。

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3/14(土)  ドーパミンは長らく快感ホルモンと見なされてきたが、実は、報酬としての快楽に誘うだけの働きしかないらしい。
 快感ホルモンではなく、「渇愛」のホルモンだった。
 手に入る瞬間まで駆り立てるが、けっして触れることはできない。
 永遠に満たされることはない欲望の構造・・・。

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3/13(金)  どんな美しい現実にも、よく見れば、臭くて、汚くて、痛くて、猥雑な、苦の要素がちりばめられている。
 常に負の側面を無視しなければならない、リアルで激烈な現実。
 それゆえに、手に入れられない不可能こそが、限りなく人を陶酔させていく。
 妄想された快楽ほど甘美なものはない・・・。

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3/12(木)  サティがなければ、目先の出来事や今の瞬間の状態にのめり込むのも無理からぬ。
 眼前の現象に目が眩めば、無常が見えなくなる。
 恋愛も、健康も、苦しい状態も・・・渦中にいるときには、同じ状態がズーッと続くかのような錯覚が生じてしまう。
 執着の度合いに比例する無明・・・。

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3/11(水)  タイやミャンマーやスリランカの多くの寺で修行してきた。
 観光をしたことは一度もなかった。
 この世を捨てる修行をしながら、物見遊山をするという発想がなかった・・・。

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3/10(火)  「大きめに声を出してラベリングしてもいいですか?」
 「どうして?」
 「妄想がしつこくて消えづらいからです」
 「 大声でもみ消すのではなく、 <囚われている><(妄想を)楽しんでいる>とラベリングを変えるべきです。
 その瞬間のダメな状態を『ありのままに観る』のが鉄則です」

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3/9(月)  ドストエフスキーは、作中人物の一人にこう言わせている。
 「もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかは、それがぼくらを救ってくれるのです」
 一切皆苦の世界にも、本当に心のきれいな、善き人々もいる、と伝えたい、深く傷ついてきた人達よ・・・。

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3/8(日)  資料を探す時間もない時に、絶妙のタイミングで必要な情報や本が送られてきて感動する。
 最重要箇所に付箋が貼られていたり、入力されメールで送信されてくることもある。
 なぜここまで・・と訝るほどだが、平素のダンマ系情報の布施が実ったのだろうか。
 因果は帰結する・・・。

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3/7(土)  たとえ破壊的な惨事であっても、必然の力で起きたことには意味がある。
 やがて、正しく読み解ける日が来るだろう。
 ネガティブな事象を通して、人は成長していく。
 破壊がなければ、偉大な創造はあり得ない・・・。

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3/6(金)  起きたことは、すべて正しい・・。
 時が経てば、わかる・・・。

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3/5(木)  完全に鼻を塞げば、プロも味がわからなくなる。
 「美味い」「まずい」と感じる味覚の50%以上が、嗅覚からの情報だからだ。
 そのように、慈悲の瞑想をする者の美しさは、視覚から得られた印象が全てではない。
 慈愛の念を無心に捧げている、浄らかな心の波動に打たれたのだ・・・。

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3/4(水)  たとえ心の床下に穢れたものを抑圧していても良いではないか。
 今その瞬間には、ないのだ。
 ネガティブなものが一掃されれば、人は美しくなる。
 さらに、 慈悲の心にチャンネルを合わせれば、たとえ一時的でも、崇高な優しさがこぼれ、神々しい美しさに輝く・・・。

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3/3(火)  グルグル・・と唸って、怒り始めた犬の顔が美しいだろうか。
 犬であれ人間であれ、我を忘れて貪る姿を見て、崇高な気分になるだろうか。
 心に悪感情があれば、醜くなる。
 卑しい考えもネガティブな想念も醜い感情も、瞑想をすると、一掃されていく。
 美しくなっていく・・・。

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3/2(日)  眼を閉じ、うつむき加減に合掌し、慈悲の瞑想を捧げている人の横顔・・・。
 男性も女性も、なぜ、瞑想すると美しくなるのだろう・・・。

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3/1(日)  合宿が終わり、誰もいなくなった道場には、静けさと至高の美しさが充溢している・・・。

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2/28(土)  初めてダンマに触れたあの感動を、なぜ、失ってしまうのだろう。
 ああ、またその話か・・と、心にバカの壁が立つ。
 いや、竹輪のように右から左に抜けていく・・・。

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2/27(金)  気づく心、浄らかな心、静かな心、智慧ある心・・・。

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2/26(木)  決意や決心が定まると、迷いもブレも一掃され、一瞬一瞬の反応と出力にためらいがなくなる。
 愚かで卑小な自分だが、常に仏や法と共にある感覚。
 守られ、導かれている安心感。
 いかなる悪も犯さないし、人に苦を与えることは絶対にしないと誓っているのだ。
 揺るぎない「信」に貫かれた全身に、力もみなぎっていくだろう・・・。

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2/25(水)  五戒を守り抜く決心をした途端に、修行が進み始める人。
 本気で仏法僧への三帰依をすると、眼に見えないレスポンスが感じられたような気がして、瞑想のエンジンが全開状態になった人。
 「戒の力」「三帰依の力」とでも言うべきものを想定したくなる・・・。

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2/24(火)  冬枯れた寂しい庭の仏を囲むように、鮮やかな花が植えられた・・。
 氷点下に凍てつく夜、なぜこの花弁は耐えられるのだろうか。
 春の到来を待って枯木同然の姿を呈した樹々のどの枝先も、いつの間にか小さく膨らみ、闇の寒空に森閑としていた・・・。

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2/23(月)  無差別平等の慈悲を説く教えなのに、なぜブッダは心の汚れた二人の比丘を追放したのだろう。
 秀でた者を犠牲にして愚か者を相手にする虚しさなのか。
 切り捨てるべき者は、斬り捨てるということか・・・。

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2/22(日)  たとえ理法に縁が付いても、肝心のダンマは、何度聞いても右から左にスルーしていく。
 執念のようにつかんだ妄想で、あらゆる事象を解釈してしまう無明の悲しさ・・。
 恥を知らず(無慚)、怖れを知らず(無愧)、妄想にまみれ(掉挙)、不善業に不善業を重ねて、苦海に輪廻していくか・・・。

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2/21(土)  なぜそこまで欲望に執着するのだろうか。
 異常なこだわりの背景には、劣等感を持て余していることが多い。
 何億回も繰り返される暗い妄想が、異常な渇愛を募らせる・・。
 理法に目が開かれれば、いかんともしがたい宿業を受け入れる新たな視点も得られるのだが・・・。

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2/20(金)  たぶん瞑想によってしか最終解決はつかないだろう、と直感的に解ってはいるのだ。
 だが、今はただ、力がみなぎってくるのを待つしかない流れもある。
 あまりにも深傷を負ってしまった時には・・・。
 諸々の治療をするエネルギーも枯渇しきっている時には・・・。

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2/19(木)  瞑想に着手できる流れに入った者もいれば、そうではない者もいる。
 永い輪廻の輪の中、千差万別の己の分に応じ、今やるべきことに力を尽くしていけば、瞑想に専念できる日が来るだろう。
 エゴの猿知恵を排除し、必然の展開で、天から与えられたかのように感じられる道を往く・・・。

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2/18(水)  パソコンにトラブルが発生し、使用不可となった。
 途端に執筆に大打撃、遠隔サポートを受け復旧はしたが、膨大な時間を空費した。
 時間に関する不善業と心得ているので、感情は動かない。
 極めて優秀な担当者がPC環境の大掃除をしてくれたのは、善業の結果だろう。
 一勝一敗か。

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2/17(火)  パセーナディ王の逸話を語ってから、ブッダは「人は恩を忘れるものだ」と説いた。
 若い頃を思い出すと、どれほど恩知らずの恥知らずだったことか。
 忌まわしい過去を忘却の彼方に押しやって厚顔無恥になる者。
 後悔し、怒りの再生産をする者。
 己の未熟さの頂門の一針とする者・・・

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2/16(月)  人と比べる「慢」の煩悩があるかぎり、どれほど高い能力を持っていても、劣等感に悩まされるだろう。
 だが、もし劣等感がなかったら、この人はいったいどれほど傲慢になっていたことか、そら恐ろしい・・という人もいる。
 病気も、コンプレックスも、ありがたいか・・・。

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2/15(日)  どのような友をつくろうとも、 どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。
 人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。
【感興のことば25ー11】

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2/14日(土)  「劣った卑しい者になじむ人は堕落してしまう。
 しかし等しい者につき合う人は実に堕落することはないであろう。
 すぐれた者に近づく人はすぐれた状態に達する。
 それ故にこの世では自分よりもすぐれた人とつき合え」(【感興のことば25ー5】)

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2/13(金)  穢れたものが心に侵入したとき、ただちにサティを入れて手放せるだろうか。
 邪悪な構造を分析し、原因の究明に心が向かうだろうか。
 悪の末路の悲惨を正しく見据え、怖れを感じることができるだろうか。
 善きマナシカーラを体現していれば、心は守られる。
 さもなくば、回避すべきだ。

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2/12(木)  無差別平等の「捨」の心を体得するまでには、遠い道のりがある。
 それまでは、自分の心が汚れないように努力し、守らなければならない。
 下落するのは簡単だが、浄化し、向上するのは至難の業だからである。
 悪いことは聞かない、言わない。
 汚ならしいものは、眼に入れない・・・。

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2/11(水)  悲しくも愚かな美しさに涙するのが世間なのだろう・・・。
 智慧の究極に向かっていく仏の道ではない。

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2/10(火)  忠犬ハチ公の話は、刻々と変化していく現実を正しく把握できなかった悲哀の物語だろう。
 思い込みを手放せなかったのは、愛執の深さと、正しい情報が得られなかった悲劇からだ。
 ハチ公にもっと情報系の徳があれば、新しい現実を受け容れて、別人生が開けたのかもしれない・・。

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2/9(月)  本当は、いつだって、わが身にふさわしいことしか起きてはいないのだが・・。
 「なんで、私が・・」と、因縁の流れが見えない愚か者は、怒り狂い、悲憤慷慨するだろう。
 その怒り系のエネルギーが、新たな不善業を作っていく負のスパイラル・・・。

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2/8(日)  ドゥッカ(苦)に眼を叩かれながら、その原因を作り続けてしまう無明の底知れない闇、暗愚・・・。

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2/7(土)  何かを生み出すためには、何かを犠牲にしなければならない。
 両方とも上手くやれる力量がなければ、仕方がないではないか。
 今は、己の非力を悲しむこともない。
 自分に与えられた器量で生きていくしかない・・・。

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2/6(金)  瞑想のために体調を整えていくと、当然健康になっていくだろう。
 ちなみに現在の私のBMIは16.7、体脂肪率15.4、骨格筋率35.7、体年齢29歳だ。
 これは電気抵抗値を測定する「生体インピーダンス法」での計測だが、歩く瞑想と食事面での摂生が効を奏しているのだろう。

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2/5(木)  体調を決定的に左右するのは、食事の量と質である。
 抑制された分量の浄らかな食物が、体内で静かに燃えていくときの沈々たる鎮まり。
 ・・・身心に禅定感が拡がっていくだろう。
 瞑想修行の基本中の基本と心得る。
 過食を戒めるブッダの言葉が、なぜあれほどまでに激烈なのか・・・。

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2/4(水)  戒を守っているのではない。
 戒に守られているのだ。
 苦しみの元凶である不善業を、作ろうとする瞬間、正しい智慧ある道に押しやってくれる戒の力・・・。

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2/3(火)  瞑想は体調しだいと言っても過言ではない。
 サーキットを最高の速度で走れるのは、万全に整備された車である。
 泥んこの体で、良い瞑想ができるだろうか。
 体の管理ができない者には、心の管理もできない。
 心が荒れていれば、暴飲暴食も止められない。
 戒を守る決心と、身を整える決意・・・。

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2/2(月)  アクセルを踏んで活発にさせる交感神経があり、ブレーキのように鎮静化させる副交感神経がある。
 骨の中では日夜、破骨細胞が壊しつつ、骨芽細胞が創っていく。
 貪瞋痴の煩悩エネルギーを解放させる脳と、抑制する脳が、矛盾した命令を発している人間。
 守るべきか、破るべきか、戒よ・・・。

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2/1(日)  現実を変えようとする意志よりも、現状を限りなく肯定する意志が、弱肉強食の非情な摂理を作りあげてしまったのだろう。
 突き上がってくるものに身を任せ、自分にも他人にも甘く、ゆるく、戒を骨抜きにしていこうか。
 自然法則にも生命の原理にも逆らって、厳しく五戒を守っていくか・・・。

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1/31(土)  自分を赦せない度合いと、他人を赦せない度合いは、比例する。
 美しい理想、矛盾した現状・・・。

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1/30(金)  思い上がった傲慢な者が、上から目線で憐れみを垂れるかのごとき優しさ・・。
 諸力に支えられ、助けられ、赦されてきた、無力な自分と心得た者が、そっと差し伸べる優しさの手・・・。

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1/29(木)  見ている自分、聞いている自分、感じている自分・・・に気づくことは、自分自身を対象化して観ることだ。
 我が身を振り返る客観視が、一方的な自己中心性を滅ぼしていく。
 人のお陰さまが視えてくる。
 頭が下がる。
 謙虚さが優しさの扉を開く・・・。

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1/28(水)  サティの瞑想で、今の瞬間に気づく。
 自己中心的な妄想が止められる。
 エゴ感覚が激減する。
 自分にばかり注いできた注意と関心が、他者に向けられる余裕が生まれてくる。
 優しくなれる・・・。

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1/27(火)  人間関係が良好でさえあれば、人はどんな不幸にも耐えていけるだろう。
 家族と友と仲間と愛し合い、支え合い、助け合いながら生きているとき、縄文人もネアンデルタール人も私たちも、人類は幸福だった。
 怒りと愚かさがなければ、優しさと智慧があれば・・・。

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1/26(月)  生きることは、貪って、怒って、愚かな不善業を重ねていくことだ・・・。

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1/25(日)  手に入る瞬間まで駆り立てるが、けっして触れることはできない「人参」の甘美さが「渇愛」の構造・・・。

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1/24(土)  妄想された快楽ほど甘美なものはない。
 思わず惑溺しようと、因果の理法など吹っ飛んでしまう。
 ダンマを理解する脳よりも深い、根源的な脳領域で司られている官能の世界・・・。

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1/23(金)  五戒を破った直後には、興奮と、愚かな達成感と、快感ホルモンの分泌する束の間を味わうだろう。
 その後だ、
 怖ろしいドゥッカ(苦)が始まっていくのは・・・。

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1/22(木)  カルマが違い、因縁が異なるのだから、生きとし生けるものが千差万別なのは当然のことだ。
 己の分を守り、果たすべき役割を果たしながら、全てのものは公平に存在している・・。
 その本来の姿をありのままに視ている者が、欲の妄想を肥大させながら、ガツガツと貪り求めて自滅するだろうか・・・。

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1/21(水)  人の命も自分の命も、人間にも鳥獣虫魚にも、どちらにも優しい「捨(ウペッカー)」の心・・・。
 無差別に、平等に、公平に、すべてを静かに、等しく眺める視座。
 そこから発信される慈悲の瞑想・・・。

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1/20(火)  自己愛の強い人ほど、自己嫌悪も強い。
 失敗すると、不甲斐ない自分を激しく責め裁く。
 他人にはそこまで言わないような暴言を、自分に向かって吐き散らす。
 人の心も体も所有物も尊重するのに、自分の専有するものに対しては、情け容赦なく残酷な人達・・・。

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1/19(月)  『仕事帰りの自主瞑想会』は企画が良かったので、しっかり定着した。
 通例の東京瞑想会&関西瞑想会は、ダンマの情報にめったに触れられない方々のために、どうしても法話やインタビューの時間が長くなる。
 もっと瞑想時間を!という声が常にあった。
 『仕事帰りの自主瞑想会』の空間には、徹頭徹尾、完全な沈黙のみが響き渡っている。
 その聖なる空間とダンマを共有する者たちが束の間、静かにただ存在しているだけの時間が流れていく・・・。
 その厳しい崇高な波動にシビれる、と参加した瞑想者からの熱い支持を得ている。

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1/18(日)  非は100%相手にあり、こちらは何ひとつ悪くない。
 そんなトラブルはかつて存在しなかったし、これからもないだろう。
 白いものも黒くなってしまうのが認知の世界だ。
 近因もあれば、遠因もあり、何事も複合汚染である。
 潔く引き受けて、ダンマ的最善手を見出だしていく・・・。

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1/17(土)  恋愛も、若さも、苦しい状態も・・・、何事も渦中にいるときには、その状態がいつまでも永続するかのような錯覚が生じる。
 無常が見えない。
 ドゥッカ(苦)がわからない。
 諸々の存在が互いに相関関係の網目に織られている現状、「諸法の無我性」が理解できない。
 「無常・苦・無我」の真理が見えない盲目状態の<痴モーハ)>を、【無明】という。

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1/16(金)  自分が親にした通りのことが、やがてわが身に振りかかる。
 なぜ、そんな自明な因果論がわからなくなるのだろう。
 目先の現象しか見えなくなる無明・・・。

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1/15(木)  スポイルされた不運は、とどのつまり己の不善業の結果である。

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1/14(水)  溺愛された子供ほど、年老いた親の面倒を見ないのだという。
 真の愛情を受けた子が、動けなくなった親を見殺しにするだろうか。
 相手のためになるかを配慮することなく、ただ見境なく垂れ流されてきた愛・・・。
 過剰な盲愛も、愛の欠損も、思いやりのないエゴを作り上げていく・・。

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1/13(火)  自己嫌悪を自覚しない者同士が繰り広げるバトル。
 どんな出来事がきっかけでも、最後は自滅の構造・・・。

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1/12(月)  普通に嫌な人は、まだよいかもしれない。
 でも、吐き気がするほど嫌らしい人に出会ったら、よく視るのです。
 どこがいちばん頭に来るのですか。
 それ、自分も一緒でしょ・・?

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1/11(日)  ざわざわした体感や、ムラムラした想いが鎮まり、心に静けさが訪れた瞬間、自分をありのままに客観視する視座がリアルなものになってくる。
 サティの瞑想の効用だろう。
 慢の煩悩が弱まる。
 自己チューが影を潜める。
 「謝るべきだ・・」という発想が閃き、懺悔の精神が真実になる・・・

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1/10(土)  ネガティブな葛藤から解放されるだけではない。
 懺悔ができる精神は、慢の煩悩が弱まり、謙虚な心と優しさが増大する。
 傲慢のアクが脱け、人のお陰さまに支えられ助けられている現実が見えてくるからだろう。

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1/9(金)  エゴがいくら否定しても、本当は自分が悪かったことに、本心では気づいていたのだ。
 無意識に繰り広げられていく自責の念と罪業感の葛藤・・・。
 それに終止符を打つのが、懺悔の瞑想だ。
 過去から解放されていくのも当然ではないか・・・。

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1/8(木)  瞑想者同士が感情的になることはあり得ない。
 なぜなら、
 ①伝聞や推定を根拠にしない。
 ②正確な事実を、データとして仕込む。
 ③余計な妄想をしない。
 妄想を止め、正確な情報に基づき、事実をありのままに視る者には、正しい智慧が生じる。
 争うだろうか・・・。

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1/7(水)  事実を正確に観る力が、真の強さと智慧の源泉である。
 諸々の力に支えられ助けられている実情(諸法無我)を心得、なぜ、かくの如くであるのか、腹に落ちている。
 「因縁の流れ」の別名でもある天が全てを見ている、と感じている者が、凡夫という他者と比べ、その評価に反応するだろうか・・・。

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1/6(火)  弱い者、愚かな者、つまらぬ者ほど、プライドが高くなる・・・。
 偉ぶらずにはいられない内情を隠し持っているからだ。
 智慧のある者、本当に強い者には、偉く見せようとする衝動が生じない。
 ただありのままの姿をさらして、淡々としているだけである・・・。

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1/5(月)  頭の良い愚か者は、できないだけなのにやる必要がないと、巧妙な言い訳を思いつく。
 何もできていなくても、私は大した者だ、と自惚れずにはいられない。
 猿知恵の背後に隠れている、くだらないプライド。
 劣等感を直視する勇気も潔さもない、悲しい愚かさ。
 人は、必ず自己正当化する・・・。

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1/4(日)  佐賀県多布施の内観研修所が本年4月8日をもって閉ざされる。
 かねてからの約束通り、スタッフだった奥様の誕生日がその記念の日となる。
 池上先生は健在でも、支える人がいなければ、その偉業に終止符を打たなければならない。
 そんな風に、かけがえのない道場がひとつ、消えていく・・・。

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1/3(土)  庭を眺めていると、なぜ、心が安らぐのだろうか・・?
 幼い頃、本家に毎日遊びに行き、丹精を尽くした祖父の庭の美しさに心底感動していた。
 幼少期の刷り込みに焼き付けられたものが、人の美意識と感性の原点になる。
 いかなるものであれ、与えられた条件を開花させて生きていくしかない・・・。

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1/2(金)  珊瑚閣紅葉の幹が名前にたがわず、珊瑚のように真っ赤に色づいた。
 紅色の幹に紅葉では調和しないのか、秋には葉が黄色に変色した。
 その黄葉も一枚残らず落ちると、冬枯れた庭に珊瑚色の木肌が異彩を放った。
 合宿のために整えた道場の庭だったが、主がいちばん堪能している・・。

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1/1(木)  どんなものも全て崩れ去っていく無常の苦・・。
 どれほど掛けがえのないものであっても、必ず失う日がやってくる痛み・・。
 苦が生まれてくるのも、その苦しみが変滅していくのも、同じシステムの力ではないか。
 それゆえに、心を汚さず、全てをありのままに捨て置けば、苦しみが勝手に自滅していくだろう。
 無常を達観し、苦しくても、悠々と生きていくことはできないだろうか・・・。




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