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今日の一言 (バックナンバー) '2013年1~12月

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12/31(火) 悪しき人々とつき合えば、不善なる想いに耽ることが多くなるだろう。
 善き人々と交われば、善心所の浄らかな思考が多くなる。
 崇高な徳を備えた聖者たちも、根性の腐った悪しき人々も、いかんともしがたい力で、なるべき者になっていったのだ。
 ただ因縁の流れがあった‥‥。

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12/30(月) 誰だって好きこのんで、性格が悪くなった訳ではない。
 濁流に押し流されるように、宿業に支配され、因縁の力に呑み込まれて、そこまで来てしまったのではないか。
 本当は、被害者だったと考えられないだろうか。
 だから、赦してやりなさい。
 怨むのではなく、「悲」の瞑想をするのが、ブッダの道・・・。

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12/29(日) 白刃が一閃するように、愚か者の眼を叩く、一瞬のサティ!

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12/28(土) 「完全」が刹那刹那に崩れ去っていく現実の世界は、幻滅と不満に充ち満ちている。
 臭くて汚い部分が削ぎ落とされた妄想の世界は、永遠に甘美な輝きを放って、人を燃え上がらせ、煩悩に酔わせる‥‥。

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12/27(金) 眩しく輝いて見える世俗の幸福が、静止画像となって脳内に焼き付けられ、激しい渇愛に悶える人たち‥‥。
 束の間の幸福の現場にいた者は、打ち上げ花火のように消え去っていった日々を残像として留めているだけなのだが‥‥。

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12/26(木) 苦しい人生だったからこそ、ドゥッカ(苦)を乗り超えようと模索し、瞑想に縁がつき、理法の中に真実を見ようとしてきたのではないか‥‥。
 苦に出遭わなければ、刺激と快楽を求めて、夢のように人生を駆け抜けていたかもしれない。
 ドゥッカ(苦)に感謝すべきではないか‥‥。

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12/25(水) 朝カル初回の食事会で訊いてみた。
 「どういうきっかけで、この講座を受講されたのですか?」
 「ピラティスの教室に、グリーンヒルの本と講座のポスターが張ってありました。
 その美しさに感動したんです。
 まあ、ブッダの瞑想!
 これはやらなくては‥‥て」

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12/24(火) 「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。ー 影がその体から離れないように」(ダンマパダ)

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12/23(月) なぜ、瞑想には、あらゆる人の苦しみを乗り超える力があるのだろうか。
 瞑想は、心の清浄道である。
 どれほど汚染された心であっても、悪を避け善をなし、聖なるものを目指していく限り、必ず浄らかになっていく。
 心が変われば、想いが変わり、生き方が変わり、人生が変わっていく‥‥。

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12/22(日) 奇妙な白紙ハガキの謎が解けた。
 2枚の和紙ハガキがぺったりと密着。表に宛名、裏に本文と署名が記入された。
 ポストに投函後、なぜか本来の2枚に別れてしまい、宛名の方だけ私の手元に届いたらしい。
 ツイッターを見た当人からの連絡で判明。
 どんな謎も解けた瞬間の快感‥‥。

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12/21(土) どんな環境でも、状態でも、サティさえ入っていればいいんでしょ?
 それは屁理屈である。
 物理的空間から受ける影響はかなりのものがある。
 どんな家であっても、聖なる空間を作るとよい。
 猥雑な日常性を払拭し、身を清め、居ずまいを正し、背筋を伸ばしてダンマに向き合う心構え‥‥。

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12/20(金) 自分の心なのに、コントロールしがたいのだ。
 直接統治が難しいがゆえに、サティの技法に頼らなければならない。
 条件を整え、環境設定に腐心しながら、心の間接支配をモノにする‥‥。

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12/19(木) 奇妙なハガキが来た。
 下館の住所と私の宛名が手書きされているだけの、のっぺらぼう。
 裏面も差出人欄も真っ白で、何も書かれていない。ただ宛名だけの和紙のハガキ。
 1960年代の15円切手が数枚貼ってある。
 深読みや推論をめぐらす暇はない。
 無視するのみ‥‥。

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12/18(水) プライドも原動力になるが、しょせん、慢の煩悩。
 与えられたものを淡々と受け容れて、なすべきことをなしていくのがよい。
 身の丈、身のほどを正しく心得た自信‥‥。

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12/17(火) 無理をすれば、やがて、反動がある‥‥。

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12/16(月) ウッタラという神が「安楽をもたらす善行をなせ」と言う。
 ブッダが答える。
 「時は過ぎ去り、昼夜は移り行く。
 青春の美しさは、次第にわれらを捨てて行く。
 死についてこの恐ろしさに注視して、世間の利欲を捨てて、静けさをめざせ」(サンユッタ・ニカーヤ)

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12/15(日) その外国人医学生が下宿した家の老夫婦は、あまりにも親切な上に下宿代すら取らなかった。
 これは、償いなのだと言う。
 終戦時、満州で迫害された自分達を地下室にかくまい、乏しい食事を分け与え、日本に帰還させてくれた中国人老婆。
 その罪を咎められたのか、音信不通となった痛みの歳月への償い‥‥。

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12/14(土) 懺悔の瞑想は、人並にしてきたつもりだった。
 それなのに、恥じ入る心、赦しを乞いたい感覚に不意を突かれる瞬間があった。
 あんなにお世話になったのに、恩返しも償いも何ひとつできないまま、鬼籍に入ってしまわれた‥‥。
 泣きたくなる衝動に駆られ、まだ完了していない懺悔に気づく。

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12/13(金) 瞑想には人生を変える力があるが、その縁のつき方は千差万別。
 地縁、人の縁、情報の縁、諸々の縁が働いて道が開かれていく‥‥。

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12/12(木) 自分の心が信用できないとなると、「危険物取扱い注意」の付箋を貼らなければならない。
 自己客観視には良いことだ。
 油断できない人を監視するように、常に注意深く、自分自身を、他人目線で見守るのがサティの瞑想の極意‥‥。

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12/11(水) 雨雲の娘という小さな神が、林を遍く照らしながらブッダに敬礼し、讃歌を捧げる。
 「世の中のどこにあろうとも、言葉でも、心の中でも、身体によってでも、いかなる悪をもつくるな。欲楽を捨てて、心を落ち着けて、気を静めて、禍いをともなう苦悩を受けるな‥‥」(サンユッタ・ニカーヤ)

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12/10(火) 揺るぎない境地に達していない限り、たとえ心が安定していても、条件に支えられているだけに過ぎない。
 エゴが宰領している表面意識がどれほど浄らかであっても、自覚できない深層意識の汚染は、果てしなく深い。
 土壇場になれば、穢れが露わになる。
 自分の心を信用せず、気をつける‥‥。

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12/09(月) ブッダは言う。
 「眼耳鼻舌身意の情報を拠り所に、人々が求めてやまない希望も喜びも、すべて無知を根として現れ出たものである。
 私は、それらを全て根こそぎ断ってしまった。
 だから、私は、望むことなく、求めることなく、近づくことがない。あらゆる事柄について浄らかに見通している」

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12/08(日) 欲界に君臨する魔王に、ブッダが答える。
 「快く感ぜられる色かたち、音声、味、香り、触れられるもの、 これらに対する私の欲望は去ってしまった。そなたは打ち負かされたのだ。破滅をもたらす者よ」
 妄想を止める瞑想で、守られているのではない。
 六門への渇愛が滅尽されているのだ。

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12/07(土) サティの瞑想をする者は、六門の対象から対象へと飛び回る心を制する。 
 妄想を止め続ける修行者には、悪魔も災いすることができない。
 だが、気づきの瞑想を止めれば、妄想が始まり、煩悩が生まれ、悪魔の支配下に治められていく。
 ジェータ林のブッダは、その時、何と答えたのだろう。

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12/06(金) 妄想が充満する心から、あらゆる煩悩が生まれ、人の世の苦しみが拡がっていく。
 魔の支配する領域にからめ捕ろうとして、悪魔が言う。
 「かけ廻るこの心は、虚空のうちにかけられた罠である。その罠によって、そなたを縛ってやろう。修行者よ、そなたは私から脱れることはできないであろう」

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12/05(木) いれば煩わしく、別れれば切なくて、寂しいので招いておきながら早く帰ってくれないかしら、だなんて。
 いても不満、いなくても不満。
 ここ以外の場所なら、明日になりさえすれば、あの山の彼方になら、きっと‥‥。
 妄想に由来する不満足性というドゥッカ(苦)。
 永遠に渇き続ける心‥‥。

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12/04(水) 周囲を見渡せば、自分の心を映す鏡のような人たちばかりだ。
 人は、日々、自分にふさわしい人たちに出会っている。
 空を飛ぶものたちがいる。
 水の中に棲息するものもいる。
 修羅は修羅と出逢い、神々は神々と出逢う‥‥。

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12/03(火) 誰ひとり本当には優しくしてこなかったのに、老いて弱者になったとき、やさしい人を求めるのですか?

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12/02(月) 「介護は生前供養。介護をやって、一人前になる」
 老父の介護を終えた男性が、語っていた。
 親子関係の歴史は百人百様なので、介護に、手本はない。
 解くべき因縁がほどけていないまま介護に入れば、死にゆく者の心に寄り添うことはできないだろう。
 心やさしいプロに任せた方がよい‥‥。

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12/01(日) 誰もが老いさらばえ、やがて赤児のように世話をされるだけの存在となって、生涯を閉じていく。
 安らかに死んでいけるように、最期までその心に寄り添ってあげる仕事を、誰ががやらなければならない。
 老母の看取りは苛酷だったが、思えば、無限の学びを得た、輝くような経験だった‥‥。

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11/30(土) 暗い森のような樹木の茂る湯殿川の夜道が、満月の美しい月光に仄白く続いていた。
 雲のない夜空に煌々と輝く満月を視野におさめつつ、流れるような歩く瞑想に徹した。
 月光が意識に触れた瞬間の微かな楽受を感じながら、なぜ不浄観の苦受からはサマーディが生じないのか検証できたように思った。

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11/29(金) 街角で出くわした薄汚い愚か者や、卑劣で下衆な輩に思わず目を奪われていると、しばしば天から声が聞こえてきた。
 「よく見ておけ。お前の姿だ‥‥」
 ガーンと頭を殴られ、反射的に、自分の中の薄汚さや愚かさや卑劣さ、下衆なところがないか、猛烈な速度で脳内検索し始めるのが常だった。

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11/28(木) ここまで到達できたことを確認するのが悪いのではない。
 浄らかになった心を「私のもの」とエゴ妄想でまとめる瞬間、ドス黒い「慢」の煩悩になるのだ。
 ご立派なのに、臭くて、人に嫌われれる。
 どれほど心がきれいになっても、まだ汚れている部分の浄化を目指す者に、傲慢さはない。

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11/27(水) インドのサールナートを巡礼していたとき、見知らぬ外国人僧侶が話しかけてきた。
 そのあまりの高慢さに唖然としてしまった。
 自分では相当心がきれいになったつもりでいたが、この方は、私の心を映す鏡なのだと思った。
 傲慢さを根絶やしにする決意をさせた、30年前の行きずりの僧‥‥。

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11/26(火) 「‥‥修行僧よ、穢れが消え失せない限りは、油断するな」とブッダは言う。

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11/25(月) 心がきれいになればなるほど、自分の心がまだ真っ黒だったことに愕然とするものだ。
 自己中心的なエゴ妄想のフィルターが外れて、高みの見物をしていた猿のような姿が、心の鏡に映し出されるからだ。
 我執の目ヤニでかすんだ眼には、垢だらけの臭い心がピカピカに見える‥‥。

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11/24(日) 体がなければ、瞑想ができない。
 体を維持するためには、食べなければならない。
 食べれば体が濁り、意識も透明度を失っていく。
 やがて、泥水が常態であるかのように、凡夫感覚に慣れていく。
 肉は悲し・・・。
 身体という牢獄から解脱しようと、穢れていく体で、瞑想をする・・・。

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11/23(土) 体がなければ、瞑想ができない。
 体を維持するためには、食べなければならない。
 食べれば体が濁り、意識も透明度を失っていく。
 やがて、泥水が常態であるかのように、凡夫感覚に慣れていく。
 肉は悲し・・・。
 身体という牢獄から解脱しようと、穢れていく体で、瞑想をする・・・。

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11/22(金) 才能があるから、瞑想が進むのだ、と言うこともできる。
 日々積み重ねてきた修行の成果が血肉化し、「才能」と呼ばれるようになるからだ。
 懸命に修行する者と怠ける者が、同じ結果にはならない。
 正確な技術で賢く努力を重ねる者と、愚かな繰り返しをしている者も同じにはならない・・・。

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11/21(木) 才能があるから、瞑想が進むのではない。
 良い瞑想ができる全ての条件を整えた者が、自然展開で瞑想のステージを高めていくのだ。
 身を整え、心を整え、最高の瞑想のために、あらゆる条件を整えなければならない。
 その一点に向かって、戒を守り、あらゆる善行をし、徳を積んでいく・・・。

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11/20(水) これは、効果がすぐ現れる私の体で50余時間の断食をした場合だ。
 断食期間により千差万別の復食になるので、参考にはならない。
 瞑想は体との戦いである。
 賢明な食事で体を整えないかぎり、いくら奮闘努力しても意識が澄み切ることはない。
 己の瞑想の才能に疑心暗鬼となるだろう

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11/19(火) 断食後の透明感を維持するには、最適量の浄食を摂取できるか否かだ。
 果物と乳製品、生野菜、カンパンなどで1ヶ月ぐらいはやれるが、徐々に煎餅、パン、麺類、大豆などを摂り、通常は3週間ぐらいで米を再開する。
 断食後は、体の栄養摂取体制が一変するのだ。
 生命の神秘は量り知れない。

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11/18(月) 断食効果で体が透明になると、就眠前の瞑想で来るべき眠気が訪れず、生活リズムが狂い出す。
 枕元で座禅を始めた瞬間、ディープな瞑想に突入してしまうと、睡眠どころではなくなる。
 夜が明けてしまう。
 今は、修行者に徹する立場ではない。
 就寝するが、意識が冴え渡り、入眠に苦労する・・。

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11/17(日) 夕暮れの大阪の街に一瞬、故郷の錯覚がダブったのは、風景の力によるものではないだろう。
 自己開示の深い関西の瞑想者の方々と、家族でもなかなかできないような深い心のやり取りを交わしてきた、10余年に及ぶ歳月の力ではないか・・・。

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11/16(土) 関西瞑想会が間もなく終わろうとしていた。
 手洗いに立った時、美しく輝く4Fロビーの窓に目が吸い寄せられた。
 夕暮れの大阪の街が、ピンクの茜雲に包まれていた。
 故郷の夕焼け空を眺めるのと同じ情趣を感じていたのに驚いた。
 毎月大阪に来るようになって14、5年‥‥。

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11/15(金) 関西瞑想会に向かうタクシーの老運転手は、美しい敬語で、静かに、丁寧な話し方をされていた。
 とても気持ちがよく、心が安らかだった。
 前月、不快な受け答えの運転手に遭遇し、己の心の反映と反省した。
 以来、大阪でお世話になる運転手の方に、念入りな慈悲の瞑想を捧げてきた‥‥。

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11/14(木) 身体の血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。
 肉が落ちると、心はますます澄んでくる。
 わが念いと智慧と統一した心とはますます安立するに至る」(スッタニパータ)
 激しい断食をしたブッダならではの言葉だ。
 53時間の断食で3kg体重を失ったが、意識の明晰度は素晴らしい!

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11/13(水) 体から毒出しが終ったかのように、急に楽になってくる。
 トイレに這って行きたい程だったのに、普通に歩ける。
 さらに心地よい空腹感が過ぎり、原稿を書ける意識モードになる。
 こうなれば、いつ断食を解いてもよい。
 就寝前の瞑想なのに、禅定が深くなり、睡眠どころではなくなる。

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11/12(火) 瞑想修行のために理想的なプロセスで断食に入ることなど、今や夢のまた夢だ。
 果たして、七転八倒の苦しい断食となった。
 サナギが蝶に変態するような、激烈な変化が体内で起きているのが感じられた。
 上手くいけば平素と変わらず淡々と進行するのに、体が汚染されている時の断食は必ずこうなる。

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11/11(月) 断食は、緩やかに食を減らしながら開始しなければならない。
 しかるに、夜更けに体調が悪くなり、断食を始めざるを得なかった。
 ウイルスや病原菌が体内に侵入し、病気が始まっていく独特の体感があった。
 投薬ではなく、断食がもたらす圧倒的な免疫力で、病気を治してきた人生だった‥‥。

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11/10(日) 断食を開始して34時間が経過。
 今回の断食も反応が厳しく、フラフラだ。
 頭痛、脱力感、体の節々の痛み、意識朦朧‥‥。
 6時間も寝たのに、2時間も経たないうちに、また4時間も眠りこけてしまった。
 意識が明るくなると、喘ぎながら、山積している通常業務をやっている‥‥。

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11/09(土) 闇を恐れるのは本能ではなく、妄想するからだろう。
 暗闇に得体のしれない化物が潜んでいる‥‥。
 そんな妄想をすぐに止めるようになってから、闇への恐怖はなくなった。
 闇の背後に何が存在するのか、正確に知ること。
 この世の仕組みや構造が正しく見えていれば、恐怖はあり得ない。

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11/08(金) 真っ昼間の人っ子一人いない孤独な路上で、背後に成人男性の声が聞こえた場合、警戒や怖れが起きただろうか。
 これは、あり得そうだ。
 闇ではなく、近くに助けてくれる人が誰もいない孤独な情況が、一瞬の警戒心を惹き起こしていたのかもしれない。
 闇よりも、安心できる絆か‥‥。

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11/07(木) 同類の雄♂の声を、明るい夜の繁華街で聞いたならどうだったか。
 恐怖も警戒も感じることはない。
 安全な日本国と同胞への信頼が上まわる。
 すると、微かな警戒は、闇の力がもたらしたのだろうか。
 外敵だらけの弱肉強食の世界を生き抜いてきた、哺乳類の歴史に根ざした警戒心‥‥。

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11/06(水) 雄♂同士の闘争本能は3つある。
 ①餌場をめぐる縄張り争い。
 ②繁殖期の恋敵との性淘汰。
 ③群れの順位と権力闘争。
 ①と②は爬虫類や魚類にまで遡る遺伝情報だ。
 身を守るための闘争も、遺伝子を残すための争いも、怒りの煩悩の仕業だ。
 怒りを根絶すれば、生存から解脱するしかない。

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11/05(火) 暗い夜道の背後で、人の声を耳にする。
 「音」のサティの1/1000秒後には、男女の声か、子供か赤ちゃんか老人か、特化されている。
 女性の声は何でもないが、成人男性の声に対しては微かな警戒の反応が伴っている。
 暗闇で遭遇した同類の雄に対する遺伝的反応か‥‥。

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11/04(月) 薄くなった膝軟骨は、再生しないそうだ。
 乱暴に歩けば、却って膝を痛めかねない。
 正確な歩行によって膝の筋肉を補強し、関節を守る作戦だ。
 筋肉への刺戟が、膝軟骨を活性化させるとも言われる。
 新発見があれば、通説が一変してしまうのが科学の世界だ。
 軟骨再生もあるだろう。

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11/03(日) 危険なのは、膝への負荷が大きくなる下り坂だ。
 水平な一般道路では、路面に垂直に姿勢を立てる努力だが、坂道ではそれでは突んのめってしまう。
 頭部→首→上体→腰→大腿を割り箸のように一直線に立て、後方に体を倒し、膝の真上に正確に体重を載せていく細心の注意。
 八王子は坂だらけ!

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11/02(土) 人声も車の走行音も、音量が大きければ、鼓膜が打たれたかのような印象がともなう。
 風が落ちると、蒸し暑い温感に全身が包まれる。
 早歩きになれば、鼻腔の粘膜に空気がぶつかる印象もある。
 眼耳鼻舌身意の知覚の起源は、触覚ではないか‥‥。
 右膝に強いられた身随観も楽しからずや。

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11/01(金) 顔面に当たる風圧、Tシャツの下で薄っすらと汗ばんでいく肌の質感、体感が鋭い時には、光や音までもがセンセーションとして知覚されているかのようだ。
 暗い裏道ですれ違う自転車から、青白い強烈なヘッドライトが照射されている。
 視覚もさることながら、眼底に「触れた」という印象がある。

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10/31(木) 首の位置を常に意識する。
上体の姿勢保持を怠らない。
左右の足を真っ直ぐ、平行直線上に繰り出していく。
一足一足、上体の体重を膝関節の真上に正確に載せる。
さらに踵の外側を狙って体重を置き、足の外端→小指の付根→親指と体重を移動させる。
長息維持のために呼吸筋をコントロールする‥‥。

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10/30(水) 一病息災というべきか。
 右膝の違和感ゆえに、身随観の歩行瞑想に徹することができている。
 自然に法随観に移行していくのが常なのだが、ちょっとでも歩行が乱れると、反射的に全身のセンセーションを見張る身随観に引き戻される。
 仕事量が多いので、無理からぬことか‥‥。

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10/29(火) 1分間に100歩は、私には余裕の速度、意識の流れにも微細なサティが入る。
 1分に110歩になると、相当の早歩きだ。
 正しく歩くための情報処理と、身体感覚を見張る注意で精一杯となる。
 意識が明晰なら集中のテンションが上がり、サティも高速化するが、疲れてくると見落とされる。

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10/28(月) 歩く速度が速くなれば、同一時間内での情報処理が増える。
 微細な意識の流れにサティが入らなくなる所以だ。
 誤作動で喜怒哀楽脳にスイッチが入ることはない。
 ふと悲しみに襲われる。
 なぜかイラつく。
 ‥‥と、結果にしか気づけないことが多いが、理由も原因も必ずある。

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10/27(日) たかが過ぎゆく夏の日に、なぜ惜別の情が伴ったのだろうか。
 自覚にはのぼらなかったが、予想外の終焉を感じた瞬間、かけがえのない人の死や、壊れてしまった関係、諸々の喪失の体験が重ね合わされていたのだろう。
 もう終わりなのだ、と不意を突かれた経験が連鎖し、響き合った一瞬‥‥。

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10/26(土) 週末も週明けも、朝から晩まで講座や瞑想会、打ち合わせなどで飛び回っていた。
 やっと昨夜、近隣での歩く瞑想を再開した。
 たった数日の間に、夏が終わっていたことに感慨を覚えた。
 ああ、もう、これは秋の風だ‥‥。
 夏の死も人の死も、その再帰不能性に心を打たれる‥‥。

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10/25(金) コントロールできないものを、それでも、正しい、浄らかなものへと、書き換えていかなければならない。
 それが、心の清浄道である。
 悪を避け、善をなし、瞑想修行で自ら心を浄め、人生の全てを懸けて取り組む総力戦。
 仏たちの教えは、「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意」に尽きる‥‥。

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10/24(木) 反対に、欲望の方へ、怒りの方へ、煩悩の方へと必ず心のドミノを倒していく者もいる。
 「非如理作意」という。
 マナシカーラを意識的にコントロールすることはできない。
 これまでどのように情報処理をし、解釈し、判断し、反応してきたか。
 人生全体が、脳の中に引いた電車道である。

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10/23(水) マナシカーラ(作意)が汚染されている者に悟れる見込みはない、とブッダは言う。
 真理の方へ、本質の方へ、原因の源の方へ、正しく、理の如くマナシカーラが倒れていくことを「ヨニソマナシカーラ(如理作意)」という。

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10/22(火) 半世紀以上脳内に蓄積されてきた記憶は、時間の軸に串刺し保存されているのではない。
 バラバラに散らばったカルタのように、平面配置なのだ。
 「見た」「聞いた」「感じた」と知覚された印象が、脳内記憶に連結し、パタパタとドミノのように倒していく力をマナシカーラ(作意)という。

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10/21(月) 自分の靴が見えないほど闇の深い一角が、十五夜の月明かりに照らし出されていた。
 漆黒の闇→ミャンマーの森林僧院→満天の星屑→息を呑む天の川→立ち尽くしていた足裏の感覚→湯殿川の水音→避暑地の渓谷→祖父母と一夏を過ごした那須温泉→強烈に漂っていた硫黄の匂い‥‥。
 連想→知覚→連想→‥‥

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10/20(日) 幼少期からスポーツは得意だった。
 野球部で、県大会や北関東大会で優勝したこともあった。
 陸上もやっていた。
 運動にコンプレックスがないので、まったく何もしないでも平然としていた。
 膝を痛めなかったら、体がヨイヨイになるまで、運動ゼロの日を続けていたかもしれない‥‥。

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10/19(土) 年々歳々、多忙を極める一方だったが、最も苦手な不動産整理や道場移転の責務まで果たさなければならなくなった。
 あまりの激務に、痛切な祈りを、天に捧げた。
 「もっと瞑想修行の時間を与えてください」
 果たして、思わぬ展開で祈りは成就し、こうして歩く瞑想に励むこととなった‥‥。

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10/18(金) ヴィパッサナー瞑想を始めた当初から、法随観を得手としてきた。
 だが、膝を痛めたお陰で、身体感覚に注意を注ぎ続けることができる。
 そもそも健康が万全であれば、毎日1時間もの歩行瞑想をやることなど絶対になかっただろう。
 誠に、ドウッカ(苦)があるから、修行できるのだと頷く。

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10/17(木) 街灯はどこにもなく、巨木の連なる木陰の闇は深い。
 ムッとする夏草の臭いが鼻を打つ。
 川床の段差が滝のような水音を響かせ、小さく落下する水流が夜目にも白く仄見える。
 目に、耳に、鼻に、次々と触れてくる知覚情報が、光のように記憶の蔵の中を走査し、叩き出してくるイメージ群‥‥。

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10/16(水) 人通りの少ない裏通りを選んで、夜道の瞑想をする。
 椚田橋から湯殿川を遡行していく川沿いの遊歩道は最高だ。
 歩く瞑想に、100%没入できる。
 タイやミャンマーの森林僧院が連想される。
 体感へのサティが鋭くなる。
 1/100秒の連想にも分け入っていく高速のサティ‥‥。

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10/15(火) 一般道路ではサティが著しく低下する。
 すぐ側を次々と走り抜けていく車の気配やヘッドライト、交差点の騒々しさを完全に無視することはできない。
 危険回避しようと、命が無意識に情報処理をしてしまう。
 戸外での歩行瞑想は、大雑把なサティしか入らない道路を避けたほうが望ましい。

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10/14(月) 日が暮れる頃、頭がボンヤリしてきて執筆できなくなる。
 多目的歩行瞑想に出かける。
 小一時間も歩くと低血糖が深まり、サティを入れる気力も弱まってくる。
 概念を使う祈りに切り換える。
 三帰依→五戒文→慈悲の瞑想→仏教を守る神々へのオマージュ等々。
 やがて必ず、サティは復活する。

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10/13(日) 瞑想は、人間の営みの中で最良のコンディションが必要とされるものかもしれない。
 明晰な意識の必要度ランキング。
 瞑想→創造の閃き→原稿執筆→読む(難解な本→易しい本)→観る(漫画・映画・テレビ)→おしゃべり→単純作業→歩く→食べる→ぼんやりする→まどろむ→眠る→昏睡→‥‥

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10/12(土) 運動選手なら、誰だって食事に気を配り、イメージトレーニングをし、メンタルな弱さを克服して、最高のパフォーマンスを目指す。
 瞑想選手は、どうですか。
 何の準備せずに瞑想を始め、「眠い。集中できない。妄想が多い。‥‥瞑想はつまらん。やっても効果がない」とボヤいてないでしょうか。

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10/11(金) 瞑想は体調だ!とも言えるほど、決定的なファクターである。
 意識がどんより濁っていては、瞑想にならない。
 意識をいかに透みきらせるか。
 瞑想中にそれを調整するのは至難の業だ。
 瞑想が始まるまでに、整備しておくこと。
 節制なくして、良き瞑想はあり得ない。
 身も心も、浄らかであれ!

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10/10(木) プラスの要因もマイナス要因も、過去に組み込んでしまった原因は決定的だ。
 だが、兎の毛、羊の毛の先の塵にいたるまで全てが決定している訳ではない。
 濁流のように押しやる業の力に向かって、今この一瞬一瞬のやる気や努力、技術的心得に基づく判断が、新たな流れを形成していく‥‥。

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10/9(水) 瞑想を始めた時点で、どの程度の修行ができるかはほぼ決定している。
 何事もそうなるだけの原因があり、諸々の条件による。
 体調は、気がかりやストレスは、環境要因は、日々の修行時間は、そのクオリティは、過去世の修行履歴は、修行を後押しする波羅蜜は‥‥等々。

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10/8(月) 「この間、別々の袋に入れていたアイフォーンとアイパッドを、2つ同時に失くしてしまったんです」
 グリーンヒルのスタッフが言った。
 銀行のATMかどこかで置き忘れてしまったらしい。
 で、どうなったの!?と皆に訊かれた。
 「それが、出てきたんですよ。2人の人が別々に拾って、別々に交番に届けてくれたんです」
 長年善行を積み重ねてきた方だった
 さすが徳の力!

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10/7(月) 因果論を心得ていれば、右の頬を打つ者には喜んで左の頬を出し、上着を奪う者には下着をも与えることができる。
 そう、頭では分かっている。
 わかってはいるが、土壇場になるとできないのだ。
 悲しいことだが、いつか腑に落ちる時が来るまで、苦しい日々に耐えていこう‥‥。

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10/6(日) どうしたら、悪い流れを変えることができるのか。
 反応する瞬間、業が作られる瞬間によく気をつけて、乏しくても与える。
 性格の悪い人に優しくする。
 恨むべき敵を赦す。
 妬ましい人をサポートする‥‥。
 「そんなことできる訳がない!」
 分かる。
 だから皆、苦のスパイラルを続けている。

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10/5(土) 性格の悪い人に囲まれ、劣悪な環境になればなるほど、苦受が多くなり、不善心モードに陥るのも無理はない。
 生命に組み込まれた本能プログラムの自然な反応だ。
 不善心が出力された結果、不善業が作られ、カルマが悪くなる。
 苦受→不善心→不善業→劣悪環境→苦受→不善心→不善業→‥‥

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10/4(金) なぜ、それほどまでのドゥッカ(苦)に遭遇しなければならないのだろう。
 優しい人達、性格の良い人達と、穏やかに暮らしていける人もいるのに。
 順境に恵まれるのも、逆境や苦境に陥るのも、原因がある。
 苦楽の現状は、業の結果であり、自己責任、と仏教は観る‥‥。

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10/3(木) 激痛は、緩和しなければならない。
 飢餓状態は、脱しなければならない。
 地獄的な苦境からは、逃げ出さなければならない。
 他人に苦しみを与えてしまう愚行だけは避けながら‥‥。

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10/2(水) 対症療法も立派な治療だ。
 病根の原因治療をするには、心を構造的に変え、生き方全体を変えなければならない。
 コストがかかる。
 決行するタイミングが熟すのを待たなければならない。
 根本的な原因から目を背け、癒しを求めざるをえない時もある‥‥。

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10/1(火) 頭で理解し、概念上の追体験をしても、土壇場になれば本性が出る。
 エゴを無くすのも、煩悩を根絶やしにするのも、途方もないことだ。
 骨身に沁みる体験をくり返し、この世のことを思い知った者が、ヴィパッサナー瞑想で仕上げの一瞬に向かう‥‥。

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9/30(月) どんな普遍的な歌を歌おうとも、しょせんこの世のことである。
 「そう言っちゃ、お終いよ」
 と言われるかもしれない。
 だが、ブッダの瞑想の究極は、現象の世界から離脱していく方向なのだ。
 着実にその道を歩み切るために、この世のことを極めていく。
 やるべきことは、やる‥‥。

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9/29(日) 世阿弥は、それを「守・破・離」という。
 最初は、学ぶべき型を忠実に「守」り、体得する。
 次に、その基本を「破」って応用する。
 最後に、師の元型から「離」れて独自の世界を創出する。
 普遍性を帯びた世界は、新たな伝統となる‥‥。

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9/28(土) 好きなようにエゴワールドを展開させていく自己流は、川辺に転がっている砂利のような徒花にすぎない。
 私的体験を表現しながらも、人間存在の本質を貫く普遍的な世界もある。
 典型を極めてから、自分の歌を歌うのが順番だ‥‥。

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9/27(金) 「いまだに毎日5時間の臨書を欠かさない」
 独自の書風を確立し、数々の受賞歴を誇る書家が言っていた。
 「臨書」とは、古典を忠実に真似てお習字をすることだ。
 手本を精密に観察し、時には敷き写して模写を繰り返す。
 典型に達した世界を追体験し、その本質と精髄を確認する‥‥。

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9/26(木) かつては骨董に執心したり、珈琲の生豆を自分で焙煎し、挽き、ブレンドしていた時代もあった。
 美味求真などどうでもよくなって久しいが、珈琲の適温すら忘れてしまったことに感慨があった。
 心得ていた筈なのに、完全にデタラメ。
 いつの間にか自己流になっていくのは、瞑想だけではない。

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9/25(水) 珈琲を淹れる最適温度は87度だという。
 個包装のドリップ珈琲が驚くほど美味くなった。
 これまでは高温すぎたのだ。
 「正確な技術で正しく瞑想すれば、必ず検証できる」と人に説いてきたが、いい加減な淹れ方でまずい珈琲を飲んでいたのか。
 どの世界にも典型がある。
 自己流もある‥‥。

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9/24(火) 自分がこれまで生きてきた人生イコール記憶だ。
 もし過去の記憶がゼロになれば、自分の正体は不明となり、人生全体が消えてしまう。
 誤解された事実の記憶が妄想に編集され、歪んだ印象の泥沼になっていく。
 今も無明、過去も無明、酔生夢死の人生の、昏々たる闇の中に光を求めて、瞑想する‥‥。

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9/23(月) 気づきの瞑想なくして、事実をありのままに認識するのは難しい。
 妄想の充満した心が、現実を見誤る。
 その誤解と錯覚が記憶に保存され、無意識の闇の中で真っ黒に、真っ白に、歪められていく。
 愛執の思い出に涙ぐむ一瞬、そして、忌まわしい心の傷に憤る瞬間、未来に向かって新しい業が作られていく。

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9/22(日) 母親に対する恨みを生き甲斐にしてきた方が、本当は何が起きていたのか、事実の物的証拠を探せと言われた。
 小学時代の日記や文集が、ダンボールに2箱出てきたという。
 嫌々ながら読み進めると、自分の書いたものにも、同級生の記したものの中にも、いたる所に、母親から愛されていた事実が浮かび上がってきた。
 「これは、やばい。これまでの人生が崩れてしまう。どうしましょう‥‥」と報告された。
 観念の整理ではなく、物証の力で、妄想だったことが暴き出されていく‥‥。
 ヴィパッサナー瞑想の真骨頂である。

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9/21(土) アングリマーラについて詳説した瞑想会に、それをリクエストした当人が欠席したことがある。
 あらゆる出来事が、意味もなく偶発的に起きることはない。
 野を渡っていく一陣の風は、自らは知らずに花粉を媒介し、花々の繁殖に役立っている。
 あらゆるものが有形無形の縁となり、互いのなかだちとなって、諸法無我の宇宙網目を織り成している‥‥。

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9/20(金) 一瞬の閃光のように、高速度で連鎖していくイメージと思念を明晰に見据える定力は、慶賀すべきことだ。
 刹那の映像と思念を確かに捉えることができたのに、その意味と本質が読み解けない人達も少なくない。
 サマーディの定力を訓練し、洞察の智慧の発現も訓練しなければならない。
 瞑想は、心の総合的システム‥‥。

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9/19(木) カナブン!
 と、外界から飛び込んできた情報の次の瞬間、接続したイメージは?
 その次のイメージと思念は?
 「外界情報」→「脳内イメージ」と1/100秒後に提示される暗黙の脳内情報には、さすがのエゴも編集のかけようがない。
 深層の本音と本質が露わになる一瞬。
 法随観の真骨頂である。

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9/18(水) 普通のサティが秒単位だとすると、膨大なセンセーションにラベリングなしのサティを射ち込んでいる時は、1/10秒単位である。
 全身の感覚に集中していても、時折、耳元を掠めるカナブンの羽音→イメージ→連想→思念→と、意識の脱線に気づく。
 駆け抜けていく想念の流れは、1/100秒の速度感‥‥。

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9/17(火) 戸外での瞑想は、中心対象を定めない六門解放型が原則である。
 車や通行人の少ない好条件に恵まれれば、身随観に集中してもよい。
 今はリハビリ中心の瞑想なので、頭から胴体、腰、太腿を垂直の棒のように意識し、真っ直ぐ、膝の真上に体重を載せていく。
 動く両腕の重量も、膝関節の一点に絞り込む‥‥。

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9/16(月) 長息と止息の感覚にも注意を注ぐと、歩行への集中が分散されそうだが、そうではない。
 歩行と呼吸の両方に気づいた方が、却って身体感覚に専念できる。
 サティの個数が増大するので、自動的にノーラベリングとなり、言葉脳が止まる。
 気づきが自然に高速化しない初心者は、真似しない方がよい。

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9/15(日) 頭頂部→首→背筋→を腰骨の上に正しく載せ、左脚へ、右脚へ、と正確に体重を路面に伝えていく。
 ちょっとでも油断をすると、姿勢が微妙に悪くなるのだろう、右膝に微かな違和感を覚える。
 痛みというほどではないが、一足、一足、マインドフルに注意を注ぎ続けなければならない。
 苦に導かれる修行‥‥。

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9/14(土) 買物と食事を兼ねるので、否応なしに家を出なければならない。
 義務的な装置を施さないと、時間を惜しんで歩かなくなるだろう。
 ゆるやかに動けなくなっていった母の最期を看取りながら、要介護の死に方を、私は選ばないと決めた。
 そのためになすべき最低限の課題としても、歩く。

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9/13(金) 一般道路は、歩く瞑想に適さない。
 視覚や聴覚の情報が多すぎるからだ。
 車も人も少ない裏通りの夜道を選ぶ。
 かなり厳密なサティが入るのは、右膝を痛めているからだ。
 MBTの靴で正確な歩行を心がけないと、微妙な違和感を感じる。
 膝を守るために一瞬のサティも落とせない制約が、瞑想の質を高める

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9/12(木) やるべきことが多すぎて、瞑想のための瞑想時間が取れない。
 やむなく、夜道を歩きながら多目的歩行瞑想をしている。
 ①右膝のリハビリ②歩くマインドフルネス③呼吸法④外食&買物⑤運動不足解消、等。
 長く息を吐く→止息→長息→の感覚と、歩行の筋肉に厳しくサティを入れながら、夜道を歩く‥‥。

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9/11(水) あの時は、死ぬかと思った‥‥。
 そんな命びろいを、一度はしたことがあるのではないか。
 苦しかったら、執着が捨てきれなかったら‥‥呟いてみる。
 しょせん拾った人生、オマケの人生じゃないか‥‥。
 つまらぬ欲望が手放せる。
 不満をくすぶらせなくなる‥‥。

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9/11(水) あの時は、死ぬかと思った‥‥。
 そんな命びろいを、一度はしたことがあるのではないか。
 苦しかったら、執着が捨てきれなかったら‥‥呟いてみる。
 しょせん拾った人生、オマケの人生じゃないか‥‥。
 つまらぬ欲望が手放せる。
 不満をくすぶらせなくなる‥‥。

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9/10(火) 山のように、不善業を積み重ねてきたのだ。
 茨の道を歩くこともある‥‥。

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9/9(月) 起きたことは全て正しい、と人に説いてきた。
 善悪の判断を誤たないかぎり、宿業の押す力を、天意と受け止めてよい。
 時に恵まれ、諸力に恵まれ、自然に展開した流れに従いきって成就していくものが、己の果たすべき天命だったと心得る‥‥。

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9/8(日) 自ら望んで就いた仕事ではなかったが、瞑想インストラクターは天職と心得、最高に享受している。
 自分の修行時間が激減したのは残念だが、我執を捨て、与えられたものをひたすら受けきって、流れに従っていく日々‥‥。

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9/7(土) 数多くの瞑想者に検証されてきた、瞑想とダンマの本質。
 その現場に立ち会えるのは至福の喜びである。
 瞑想会や合宿のたびごとに、体の奥底から量りしれないエネルギーが湧き上がってくる‥‥。
 個人のエネルギーを超えた印象の力感は、どこから来るのか‥‥。

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9/6(金) 見るも聞くも語るも一日中、ダンマに貫かれた善心所モードに貫かれていた。
 何よりも、面接や打ち上げで明かされる瞑想者の感動の物語に、心が洗われた。
 苦しかった人生に瞑想の光明が射し込み、やがて別人のように明転していった人達‥‥。
 ダンマが検証された喜びと達成感。
 身も心も蘇生していく‥‥。

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9/5(木) 1Day合宿のスタッフに、「先生、声が涸れてますね」と心配された。
 前日に2つの講座があり、文字通り一日中休む暇もなく働きづめだった。
 確かに、疲れ切っているはずだった。
 打ち上げが終わった帰り道、同じスタッフに言われた。
 「後半になればなるほど、エネルギーがみなぎっていくのが見えました」

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9/4(水) 眼の門を慎み、耳の、鼻の、舌の、身の門を「慎みなさい」とブッダは言う。
 外界の物音から耳を離さなければならない。
 妄想に駆け寄っていく心を引き戻さなければならない。
 たとえ一時的であれ、この世的なものから離れる覚悟を定めなければ、サティの瞑想は脱線する‥‥。

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9/3(火) ネガティブな体験を、ありのままに受け容れていく瞬間の納得と諒解が、洞察が、智慧が、命を輝かせる‥‥。
 無明の闇の中で積み重ねてしまった不善業が、今、突きつけてくる苛酷な日々。
 それでも生きていくしかない悲しみが、そのままの姿で最高の人生に一変していく感動と不思議‥‥。

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9/2(月) 思い通りにならなかったこと、挫折した経験、深く刻まれた心の傷、永訣の朝、諸々の喪失‥‥。
 あらゆる事柄に潜むネガティブな側面を心得た者たち。
 無量無数の因縁によって今、与えられているもののかけがえのなさを想う力‥‥。

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9/1(日) 失ってみないと、その値打ちにも、かけがえのなさにも、気づくことができない愚かさ、悲しさ‥‥。

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8/31(土) 近所の若いお母さんが「行ってらっしゃい」と笑顔で子供を見送っている。
 小学生の息子は黙ってうなづいて登校していく。
 そうして毎朝、微笑んでくれる母の姿が、どんな劇的な出来事よりもかけがえがないことに気づいているのかいないのか。
 一番大事な人に愛され、守られているという安心感の尊さ‥‥。

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8/30(金) 母の介護と看取りが終わった時、これは、安易に人には勧められない、と思っていた。
 しかし、時が経つほどに、介護をやらなかった人生の貧しさは堪えがたい、と感じるようになった。
 最晩年の母と心を交わせることができた日々は充実し、無限の学びがあり、カラー映画のような輝きがあった‥‥。

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8/29(木) 全力を出し尽くし、完全燃焼の人生の輝きを得るには、どうしたら良いのだろう。
 己の宿業を引き受ける覚悟。
 与えられた運命に従いきっていく潔さ‥‥。

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8/28(水) 「背水の陣」とも「窮鼠猫を咬む」とも言う。
 追いつめられ、選択の余地がなくなると、心は残された唯一の現実に絞られていく。
 何でも自由にできる可能性は、迷いの元凶でもある。

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8/27(火) 解体の現場を後にすると、心が妙にスッキリしていた。
 リフォームが完成するまで、もう下館で暮らすことはできない。
 母の介護を始めて以来、3年余続いていた八王子⇔下館の二重生活に終止符が打たれた。
 選択の余地がなくなると、心はブレることなく、眼前の現状に定まっていく‥‥。

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8/26(月) リサイクル業者が朝一番で、冷蔵庫、洗濯機、エアコン等々の回収を始めた。
 リフォーム工事の職人さんが慌ただしく働き始めている。
 水道が止まり、トイレが外され、畳が撤去され、壁がぶち抜かれていった。
 大勢の男達に家が破壊されていくかのような妄想も、一瞬よぎっていった。
 創造に内在している破壊の要素。
 再生と死の同義性‥‥。

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8/25(日) 同乗した建設会社のトラックで環境センターへ2往復、合計600kgの廃棄物を処分した。
 物置の母の遺品もすべて、棄却することにした。
 最後まで母がすがりつくようにして歩いていた歩行用手押し車が、トラックから廃棄炉に投棄されていくのを眺めながら、落涙を禁じ得なかった‥‥。

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8/24(土) 渦中に巻き込まれているさなかには、現状把握の仕方がいかにも粗雑である。
 静かになって初めて、荒っぽい波動で生きていたことが思い知らされる。
 1ヶ月前には、西中島南方のホテルでギリギリまでメールの事務処理をしていた。
 新幹線も、新宿経由で下館に向かう車中も、モバイルで仕事。
 2日後に、いよいよ下館道場の解体とリフォームが始まろうとしていた。
 それまでに、家中を空っぽにしなければならなかった。
 一晩中汗だくになって廃棄物をまとめ続けていた。
 さまざまな思い出が重なり合った物ばかりだが、感慨に耽っている余裕はなかった‥‥

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8/23(金) 八王子で静かに暮らす日々が始まると、思わぬことに右腕に腱鞘炎が現れた。
 かれこれ1ヶ月にもなろうか、痛みが一向に退かない。
 原因は、垂直に立てたキャリーバッグを、腕を曲げて押しやるような引き方を続けていたからだろう。
 それ以外には、思い当たることがない。
 激動の日々の中では、気づくことができなかった。
 静寂が訪れると、抑え込まれていたものが露わになる道理か‥‥。

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8/22(木) 下館と八王子を頻繁に往復する生活が終わってみると、いかに荒っぽい生活をしていたかに気づかされる。
 瞑想に専念しながら移動できていれば、まだ疲労は最小限に食い止められたのかもしれない。
 そうとは知りながら、実状は、モバイルで事務処理やメールの送受信、電車を何度も乗り換え、速足でキャリーバッグを引き回していた‥‥。
 これでは普通の人と変わらないではないかと、今さらながら自嘲を禁じ得ない。

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8/21(水) 見知らぬ地で、危機回避に集中する‥‥。
 それは、人類700万年の歴史では、毎日のように起きる茶飯事だった。
 無防備でいられる現代日本の情況こそ、人の脳を腐らせる異常事態なのだ。
 若干の不安要素とともに、見知らぬ地を彷徨う新奇性と冒険性‥‥。
 脳がワクワクする所以だ。

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8/20(火) 瞑想会の帰り道、「今? 祇園祭ですよ」と、京都のリピーターの方に教えられ、謎が解けた。
 ‥‥そうやったんか。
 10数年来、毎月関西に来ているが、一度も観光をしたことがない。
 タイも、ミャンマーも、スリランカも、常に、空港から寺、寺から空港へ直行だった。
 物見遊山をする発想がなかった‥‥。

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8/19(月) ホテルの予約を忘れていた。
 常宿もどこのホテルも全滅で、空室がない。
 明日の夜は、何処に‥‥。
 やっと「西中島南方」という不思議な名前の駅近くに宿を見つけた。
 瞑想会が終わり、教えられるままに乗った電車が間違っていた。
 見知らぬ地を彷徨いながら、脳が久しぶりにワクワクしていた‥‥。

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8/18(日) 参加者の増加、オープンな関西人の自己開示性、瞑想者全般の質的向上などが、感動的レポート続出の所以だろうか。
 関西瞑想会が始動した当初、参加者は毎回スタッフ10名+新規1名。
 そんな状態が1年ほど続き、もう止めようか、と話し合ったことも再々だった。
 ‥‥続けてきて良かった。

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8/17(土) 7月の関西瞑想会も盛況だった。
 「修行者の皆さんのレポートが素晴らし過ぎます」
 そんなアンケートを残された方もいる。

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8/16(金) ブッダの瞑想法は、伝統的に熱帯の猛暑の中で修行されてきた。
 タイでも、ミャンマーでも、スリランカでも。
 夏こそ、瞑想修行‥‥

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8/15(木) 八王子に良い物件が出ました、という。
 取り急ぎ下見に、とやって来たのが「グリーンヒル」だった。
 その夜、地図で確かめると、高尾山で瞑想していた時の謎の地点に近い。
 もしや、と翌日、高尾山頂の望遠鏡で確かめると、提示された物件は、まさにあの霊的バイブレーションの発信スポットそのものだった‥‥。

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8/14(水) 思えば、天が与えてくれた因縁の地であった。
 高尾山で滝行をしていた頃、山腹で瞑想していると、毎日必ず、麓の一点から強烈な波動がビームのように突き刺さってきた。
 思わず、のけぞるほどの強さだった。
 いったい、あそこには、何があるのか‥‥。
 行が明け、下山した日の夕刻、不動産屋から電話があった‥‥。

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8/13(火) ミャンマーの森林の奥深さは圧倒的だが、眺望の悪いクーティもある。
 西陽の射す建物では午後の瞑想は不可能だ。
 一本の蜂蜜、魔法瓶の湯の調達にすら不自由する森林僧院に比べると、八王子の道場には、自動洗濯機!エアコン!冷蔵庫!至近のスーパー!そして座禅する眼前に広がる豊かな緑と静寂‥‥。

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8/12(月) 大型鳥類のけたたましい鳴き声、一晩中吠え続けるホエザル、密林の騒音に悩まされたスリランカの寺。
 電気もない。水道もない。風呂もない。
 雨が降れば血を吸いに来る蛭。落ち着かない川辺の水浴。
 樹下の瞑想者を悩ます蚊。どんな食物も餌食にされてしまう夥しい蟻。
 外国の辺境の寺の生活は過酷だ。

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8/11(日) 茨の道は、智慧の道。
 天が与えてくれたものに感謝し、ことごとくそれを受け取っていこう。
 受け入れる力の成長‥‥。

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8/10(土) 下館の庭にたくさんの樹木を植え、小さな林のような景観にする考えもある。
 だが久しぶりに、八王子の鬱蒼と折り重なる初夏の緑の連なりを眺めると、その量感に圧倒された。
 ミャンマーやスリランカのどのクーティよりも、八王子の樹々の眺めは捨てがたい。
 私の瞑想人生の礎の地だった‥‥。

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8/9(金) 庭木が失われたことなど、本当はどうでもよかった。
 樹や石や物を見た瞬間、心に広がっていく心象世界の喪失に感慨があった。
 アルバムが流されてしまえば、永遠に葬り去られてしまう思い出。
 跡形もなく消え去り、今は妄想の素材でしかない庭。
 一瞬の愛惜に、記憶の箱がひっくり返されていた‥‥。

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8/8(木) 下館道場の庭の東側がサラ地になった。
 面接室を増設する。
 柿の巨木がクレーン車に引き抜かれ、花が咲き小鳥が飛来した思い出の庭は、完全にこの世から姿を消し去った。
 劇的に、存在の無常性ともののあはれが心に迫った。
 50余年の歳月と無量無数の心象が去来し、飛び散るように乱舞していた‥‥。

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8/7(水) 学校で習ったわけでもないのに、貪りと瞋りと愚行だけは、誰でも最初からよくできる。
 煩悩も無明の心も、生得の自然搭載だ。
 エンドレスで苦を生み出してしまう心の仕組みに、救いはあるだろうか。
 ある。
 物事をありのままに視る訓練を重ね、正しい認識の世界を確立していくヴィパッサナー瞑想‥‥。

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8/6(火) 変滅していく事象、刹那刹那に崩壊していく現実、歪められ編集され心に刻み込まれていく印象。
 そして、時間をかけ、真っ黒に、真っ白に、下劣に、崇高に、優しく、おぞましく、事実からかけ離れ変わり果てていく記憶。
 そんな混沌とした無明の闇の中で、心が盲滅法に作り出してしまう悪業の数々‥‥。

………………………………………………………………………………………………………………

8/5(月) 一瞬たりとも掴んでいることのできない現実なのに、ドス黒い執念が膨らんでいく。
 身を焦がすような愛執、何もかもブチ壊したくなる憤怒。
 妄想と同じ素材で脳内保存されている情報。
 その、ただの情報に由来している渇愛‥‥。

………………………………………………………………………………………………………………

8/4(日) サラサラとこぼれ落ちていく砂のように、法として存在していた事実が消え去っていく不思議‥‥。
 圧倒的に迫ってくる現実が、次の瞬間には、概念世界の記憶情報に化してしまうのだ。
 次々と壊れていく事象、喪われていく今‥‥。

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8/3(土) 下館の家を道場用に全面改装している。
 わずかな物を残し、ほとんどの家財が処分された。
 ガラガラになった家はさばさばして、実に小気味がよかった。
 人には人の波動があり、物には物の波動がある。
 存在が消え、繋がりが終わる。
 身も心も軽くなる解放感と「無い」ことの豊かさ。

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8/2(金) 悪いことをやってしまう時も、善い行ないをやらなくなる時にも、人は必ず言い訳をする。
 他人にではなく、自分自身に対して‥‥。

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8/1(木) 次の日曜日(8/4)東京瞑想会@滝野川会館です。
 10時30分初心者指導開始(公認インストラクター)。
 13時瞑想会開始⇒瞑想実践+ダンマトーク+インタビュー+立つ瞑想&超スロー歩行瞑想+慈悲の瞑想+食事会@中華料理店(質問&フリートーキング)・講師:地橋秀雄。

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7/31(水) どんな善行でも、やらないよりはやった方がよい。
 誰でも最初は、本末転倒の劣善(善因善果を得るための利己的善行)からスタートするものだ。
 善行が、次の善行につながっていく。
 持続された善行は、自然にバージョンアップしながら、藁しべ長者の成長譚になっていく。
 徳の力に守られた人生へ‥‥。

………………………………………………………………………………………………………………

7/30(火) 豚小屋の自宅を放ったらかし、ボランティアに行けば感謝される快感。
 赤の他人なら純粋に優しくできるし、慈悲深い自分に陶酔できる。
 手もベタベタ、足も泥んこ。ぬかるみに溺れながらの他人の救済。
 誰よりも大事だがムカつく愛憎並立‥‥。

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7/29(月) 職場で浴びたストレスを、家族にそっくり吐きかける。
 他人には礼節も抑制も働くのに、愛すべき人を容赦なく傷つけてしまうのは、なぜ?
 誰よりも自分を愛し守ってくれたのに、なぜ、失うまで、そのかけがえのなさに気づけないのか・・・。

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7/28(日) 八王子道場を見に来た黒衣の老婦人が、もう一度見たい、と再訪された。 
 断念するためにではなく、心を決めるために、ではないかと考えたい。
 購入すれば、階段には手すりを付け、独居されるという。
 急速に老齢化していくこの地に、いかにもふさわしい感がある。
 気品ある、美しい方だった・・・。

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7/27(土) 情報を知的に理解するだけでも、想いの世界は変わり、簡単に行動も変わる。
 だが、新たな情報に飛びついてコロリと変節し、平気で正反対のことをやりかねない脆さもある。
 一方、思考を離れたサティの連続と、その果てに閃く洞察の智慧には、心の深部に響く衝撃がある。
 総合的システムとしての実践!

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7/26(金) たとえサティの瞑想のやり方が不正確であっても、心が変わることも、瞑想の効果が得られることもある。
 戒を守るのも瞑想、善行をするのも瞑想、慈悲や懺悔は言うまでもなく、ダンマを知的に理解することからでさえ、心の清浄道は始まるからだ。
 悪を避け、善をなす覚悟が定まれば、光に向かう・・・。

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7/25(木) 人の性格傾向は3つの因子で培われている。
 両親からの遺伝情報+環境因子(親子関係など生育の過程で受けてきた影響)+過去世から引き継いだ宿業。
 こうした素因に従って何万回も心の反応を繰り返し、脳回路を作り上げてきたのだ。
 汚染された反応パターンは、断固として組み換えていくチャレンジ!!

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7/24(水) かたくなに思いこんでいた誤解や錯覚がほどけた瞬間、あるいは無意識に隠蔽し抑圧していたものが露わになった瞬間・・、劇的に問題が解決し、それっきりになってしまうことがある。
 サティの瞑想は凄い!!
 と感動する所以だが、しかし、反応系の心の修行はそれほど生やさしいものでもない・・・。

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7/23(火) 「怒り」「混乱」とサティを入れれば、怒りも混乱も鎮静化する。
 原因になっている妄想が止まるからだ。
 だが、同じ妄想が浮かんでくれば、反応も前と同じだろう。
 しかるに、物事の受け止め方、判断の仕方、考え方、発想に変化が生じれば、現れてくる心の状態も一変する。
 これを反応系の修行という。

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7/22(月) 久々に「今日の一言」の新作を数本書いた。
 PCをスリープ状態から戻すと、なぜか消えていた。
 残念だが、動じることはなかった。
 書き上げたばかりの原稿を編集者に失くされた小説家がいる。
 「仏教学大辞典」の完成原稿が散逸し、一から全て書き直した偉大な学者もいる。
 最悪時にも平静でいるウペッカー(捨)の心・・・。

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7/21(日) 瞑想は孤独な営みである。
 たった一人で世界と対峙し、自分自身の内面と向き合わなければならない。
 同じ屋根の下や空間に人の気配があれば、無意識にその動向に注意が奪われ反応してしまうものだ。
 孤独になれる一人暮らしに感謝し、豊かな心を培ってくれる瞑想に専念する・・・。

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7/20(土) 今回の関西瞑想会では目を見張るレポートが続出、思いも寄らぬ感銘を受けた。
 無心に入れたサティが見事に功を奏したビギナーの方。
 長年の課題がやっと乗り超えられると、澄み切った感覚が訪れ、心が真に解放されたことを証しされた方。
 本当は、きめ細かな愛情に包まれていた事実に衝撃を受けた方・・・。

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7/19(金) かけがえのない人を失った、私自身の喪失の体験が過ぎった覚えはない。
 だが、心の底に層を成している悲しい記憶の数々。
 禁じ得なかった自責と痛恨の念、痛みに苦しむ老母の姿、その母を悲しませた幼かりし私、壊れていった絆、取り戻せない日々・・・。
 無量無数の痛みが「悲の心」に結晶していった一瞬・・・。

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7/18(木) 3.11の録画を観ていた。
 津波で娘を喪った母親に、同じ職場で生き残った女性が遺留品を渡していた。
 互いに抱き合い、顔を歪めて泣き崩れている。
 「謝らないで・・・。誰が悪いんでもないんだから」と嗚咽する老残の母親。
 ・・慟哭したい衝動に、サティが入らなかった。
 「悲」の心が駆け抜けていった・・・。

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7/17(水) その一人は、日本の最北端から八王子の合宿に入った方だった。
 遠方ゆえ、講座にも瞑想会にも参加しようがなかった。
 「ブッダの瞑想法」を擦り切れるように読み込み、毎朝3時か4時に起床し、独り黙々と瞑想を続けてきたという。
 サラリーマンだったが、その命懸けの真剣さに胸を衝かれた・・・。

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7/16(火) 合宿でマンツーマンの指導を受けなくても、70点程度にできている人が増えたのは、本やDVDなど情報発信が豊かになったからだろう。
 1を聞いて10を知る人もいる。
 本をよく読まず、人の話を聞かない人もいる。
 100点の正確さで独習できていた人は、これまでに2人ほどいた。
 心を揺さぶられた。

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7/15(月) 八王子最後の合宿が初参加となった方が言った。
 「2Fで坐禅をして驚きました。座っただけで、何かに助けられ、瞑想が勝手に進んでいくような不思議な感じでした」
 雑念を必死で見送り、心を静かに、浄らかにしようと命を懸けたツワ者達の波動が今も響いているか。
 かくのごとく、土地の気が練り上げられていった歳月・・・。

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7/14(日) もうこの地では二度と瞑想合宿が開かれることはない。
 思えば、10余年、のべ600人以上の瞑想者が、心を整える修行に没入したのだ。
  感慨があった。
 だが、心は淡々として、静かだった。
 死が再生の瞬間に繋がるように、全てが終わり、全てが始まっていく・・・。

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7/13(土) 心を尽くし、想いを尽くし、力の限りを尽くして瞑想に励んだ、夥しい数の修行者達よ・・・。
 寂けさを目指し、妄想を離れ、夜を日に継いでサティを入れ続け、沈黙の波動を鳴り響かせた緑あふるる道場の打ち止め。
 天が与えてくれた地を、天に返す・・・。

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7/12(金) 6月の短期合宿が、八王子の最後の合宿となった。
 8月に10日間合宿の予定も立てたが、諸般の事情から中止した。
 年内に道場移転を完了し、来年から合宿再開の流れか。
 目下のところ、泊まらない1Day合宿だけは毎月続行する予定。
 合宿は瞑想修行の基盤。
 お休みになるのは、ちょっと寂しい・・・

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7/11(木) 瞑想会に行けば、ダンマトークもインタビューも必ず、情報として瞑想に集約されていくだろう。
 どの断片的情報からでも、最後は自分の修行の関心事に繋がっていくものだ。
 常に、瞑想&ダンマ系の情報に自分を晒しておくように心がける。
 善い情報で守らなければ、煩悩に圧倒されてしまうのが人の心‥‥。

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7/10(水) 瞑想街道を疾駆する手綱さばきは、いかに上達するか‥‥。
 ①【サティの精度を上げていく(短い考察にも厳しくサティ!)】
 ②【瞑想についての認識を深める】
 ③【心をきれいにする決意(=自己変革)】。
 やる気は必ず色褪せる。
 情報を常にリニューアルする。
 その制度化(ルール化)が智慧と心得る。

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7/9(火) 思考モードに陥らないことがサティの瞑想の大原則だが、意識下では、瞑想をマネジメントする瞬間が必ず過ぎっていく。
 現状をチェックし、ラベリングの正確さを期し、注ぐべき注意の方向を定め、期待せず怠けず妄想に遊ばれず、悪路を走る馬車の御者のように、一瞬一瞬の手綱さばきが問われている‥‥。

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7/8(月) 瞑想がいつまで経っても何の進展もないとしたら、「?」と疑ってみる。
 物理も心理も無常の法則に支配されている。
 変化し変容するのが必然の世界だ。
 集中が深まる。
 弱まる。
 サティの切れ味が悪くなる。
 良くなる。
 自己中心性や客観視の度合いの増減‥‥等々に、何の変化も進展もないの‥‥?

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7/7(日) グリーンヒル道場の物件を見に来られた方がいた。
 緑をこよなく愛されている黒衣の老婦人で、萌え出ずる新緑の環境にご執心の様子だった。
 防音室を設け、ピアノと読書の日々を送りたい、という。
 この道場の跡に住むのにふさわしい方が現れるよう、祈りを捧げたタイミングだった。
 縁がありや否や‥‥。

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7/6(土) 何事が起きようとも、これは、私にふさわしいことだ、と自らに言い聞かせる。
 業がもたらす事実は変えようがないが、経験の意味と解釈は、いかようにも変えることができる。
 柳に風、海に降る雨、慈悲を深める悲しみ、ドゥッカ(苦)の果ての悟り‥‥。
 与えられたものを、ことごとく受け容れていく‥‥。

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7/5(金) 楽しく笑い転げていた日々があった。
 絶望で目の前が真っ暗になった日もあった。
 その時々の縁に触れ、起きるべきことが常に、起きていたのだ。
 無量無数の因果の帰結として、ただ生滅しているだけの事象に夢中で反応し、苦楽の印象を心に焼きつけ、幸福と称し、不幸と呼ぶ人生が、今日も流れていく‥‥。

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7/4(木) 次の日曜日(

7/7)東京瞑想会@滝野川会館です。
 10時30分初心者指導開始(公認インストラクター)。
 13時瞑想会開始⇒瞑想実践+ダンマトーク+インタビュー+立つ瞑想&超スロー歩行瞑想+慈悲の瞑想+食事会@中華料理店(質問&フリートーキング)・講師:地橋秀雄。
 1年に一度、七夕の日に、瞑想会で‥‥。

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7/3(水) 起きてしまったことなのに、受け容れることができなければ、無意識に否定し、嫌悪し続けてしまう。
 何を見ても聞いても思っても、飛び回り駆けめぐる連想が回帰していく怒りの原点。
 握り締めた拳のように、忘却の闇の彼方に抑圧されたものが、暗い、ネガティブな波動を響かせる。
 ‥‥もう、赦そう!

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7/2(火) 心の底に秘め隠されていたネガティブな物語が、語られ、表出されていく時に、何かが終わっていく。
 手放されていく。
 ‥‥傷ついた心を自覚すること、受け容れること、語ること、聞いてもらえること、解ってもらえること。
 心の底に淀むものが吐き出され、共感の手が差し伸べられる時、癒しが完結する。

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7/1(月) 1Day合宿が終わった。
 今回は深刻な問題を抱えた方が多く、ことのほかハードな面接となった。
 しかし、打ち上げでは、次々と感動的な自己開示がなされ、瞑想とダンマと人生が結晶した素晴らしい時間を共有することができた。
 スタッフの者も全員深く心を打たれ、感動したと述懐していた‥‥。

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6/30(日) 雌雄が交配する有性生殖は、異なった遺伝子をかき混ぜるためだ。
 異質だからこそ、一つに統合される意味がある。
 プラスとプラス、マイナスとマイナスの同じもの同士は反発し、互いに排斥し合う。
 全ての生物が例外なく近親相姦を嫌う所以である。
 異質だから結ばれ、同質だから忌避される命の世界‥‥。

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6/29(土) 敵対し、反発し合い、自分と異なるものほど、やがて、かけがえのない、自分自身の一部になっていく。
 ミトコンドリアなど全くの異分子を同化させ、異なった役割を分担しながら一体となって生きていく細胞の成り立ち。
 そして、その集合体である多細胞生物。
 ‥‥生命の根源には、異質性の統合がある。

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6/28(金) 一方、群れを形成するイヌ科や霊長類は、本能を抑制する脳を搭載させた。
 敵対し淘汰し合うのではなく、掟やルールを守って貪・瞋・痴を自己規制する戦略。
 力の激突→協力→社会性→と進化したが、本能の衝動と抑止する意志が絶えず葛藤を起こす矛盾。
 生きるべきか(煩悩)、解脱すべきか(智慧)‥‥。

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6/27(木) 本能を司る脳のやり方は、愛欲と食欲を好きなだけ貪らせ、奪い合いが起きれば、怒りのパワーで敵対する者同士を激突させる。
 容赦ない淘汰が働いて、棲み分けが起きるのを待つ。
 生命の残酷さが露わになった、弱肉強食の論理だ。
 そして、その勝者もやがて老いては餌食にされていく非情の世界‥‥。

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6/26(水) 「煩悩をなくすなんて、おかしい。欲望も怒りも、生命の原理だよ」
 「仏教は、アンチ生命です。
 きれいな部屋は汚れていくし、命あるものは必ず崩壊する。
 全てのものが無秩序に乱雑化し、銀河も宇宙も終焉していく世界で、存在の流れに逆らい、掃除をし、貪瞋痴の心をきれいにしていく反自然が仏教です」

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6/25(火) 動くものは動き続けようとし、止まっているものはそのまま留まり続けようとする。
 「慣性の法則」と呼ばれる。
 今の状態が激しく変わる時、破壊的な印象が伴う所以だろう。
 壊れて、生まれる。
 骨の中でも、破骨細胞と新しい骨をつくる骨芽細胞が、死と再生の仕事をしながら、新陳代謝が進んでいる‥‥。

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6/24(月) 56時間40分の断食を解いた。
 肥満体では3、4日かかるであろう段階に、贅肉のない私の体ではすぐにアクセスしていく。
 デトックス(解毒)が働き、若返り遺伝子(サーチュイン)も点灯する。
 かつてはこうした断食を1年に50回程度実施していた。
 瞑想の第一歩である体の浄化→浄らかな心へ‥‥。

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6/23(日) 平素は4時間程度しか眠らないが、この断食中は反応が厳しく、何度も小一時間の睡眠に引き込まれた。
 のみならず、一気に8時間も眠りこけた。
 暴力革命が旧体制を覆すように、体の中で深刻な「変身」が起きている印象があった。
 飢餓感覚が、体のシステムに、あるスイッチを入れている‥‥。

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6/22(土) 断食をしている。
 ウイルス感染特有の体感があった。
 1年振りの体の全面除染だ。
 断食の解毒効果は著しく、白血球増加による免疫力もダントツに増大する。
 万病が治る所以だ。
 体がきれいだと無反応だが、汚れていると、頭痛、脱力感、吐気、熱感など「反応」が強まる。
 ‥‥今回の反応は、厳しい。

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6/21(金) 過食をすると下衆になり煩悩が出やすくなるのは、食物という物質性の強い波動に支配されていくからではないか。
 断食をすれば、体も心も浄らかになっていく。
 余計な物を捨てれば捨てるほど、執着に穢れた心がきれいになっていく。
 物欲・食欲・性欲を強く持ちながら、心の清浄道を目指すのは難しい‥‥。

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6/20(木) 身を捨てるほどの覚悟が、エゴ感覚抜きになされた時、たいていのことは成就していくだろう。
 あたかも天の力が立ち働いたかのように、人のハカライを超えた、時の流れと、不可思議な情況の展開に導かれていく‥‥。

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6/19(水) 福よりも禍、楽よりも苦、の情況に置かれて、初めて人は襟を正して我が身を振り返る。
 内省的になり、反省モードで自分を対象化し、自己客観視が始まっていく。
 気づきの瞑想がやりやすくなる。
 ドウッカ(苦)は、艱難は、逆境は、人を真に成長させるのだと、ありがたく受容していく発想の転換‥‥。

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6/18(火) 怒りモードに入ると、エゴ感覚が強まってしまう。
 顧客とも上司とも衝突するだろう。
 だが、サティの瞑想で怒りを見送ることができれば、自己中心的な視座がはずれ、相手の立場や組織全体がありのままに観えてくるだろう。
 心がきれいになると、トラブルが解消し、仕事もうまくいくのだということ‥‥。

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6/17(月) サティの瞑想に専念し、無思考状態の連続に徹した合宿が終わる。
 誰もいなくなった道場には、凛々たる清浄感が漲っている。
 一方、反応系の心の修行が中心になった合宿では、その厳しい空無の印象は残されない。
 過去の認識が根底から崩れた人、懺悔の涙に嗚咽した人達。
 その変容した心の余韻が響く‥‥。

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6/16(日) 末端の現場に出向かなくなった経営者は、判断を誤つようになる。
 智慧の閃く素材である、生まのデータが不足するからである。
 「現場」と「現実」ほど大事なものはない。
 そのように、煩瑣な事務処理を通して末端の息吹が知られるだろう‥‥とプラス思考する。

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6/15(土) 充実した合宿に終了の日が迫る。
 なんだ、もう帰っちゃうのか‥‥と一瞬切なさが過ぎる。
 打ち上げが終わり、スタッフも去ると、道場はシーンとした静けさに包まれる。
 しばし感慨に耽ったが、やがて山積している事務処理仕事にカチャリと意識が切り替わる。
 眩いばかりの新緑の輝きが、暗褐色に塗り替えられていく‥‥。

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6/14(金) 何よりも感動的なのは、心が変容していく姿を目の当たりにすることだろう。
 背中の痛みを観察しながら、感謝すべき親に対して、これほど強い怒りを隠し持っていたのかと愕然とする人。
 嫌で嫌でならなかった家族を心底から受け容れていく覚悟が定まった人‥‥。
 瞑想者達が、息子や娘のように見えてくる。

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6/13(木) ヴィパッサナー瞑想の正しさや素晴らしさを、自信をもって教えてきた。
 その瞑想理論どおりに、きれいな体験レポートが面接で報告されるのを聞く。
 その瞬間の感動と達成感。
 新たな検証事例によって、揺るぎない確信が深められていく静かな喜び。
 瞑想合宿が、人生最良の日々のごとく楽しい‥‥。

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6/12(水) 一人何役もこなさなければならない道場主の仕事は過酷を極めるが、合宿モードに突入すると、不思議なエネルギーが全身にみなぎり満ち渡っていく。
 瞑想者の人生と瞑想現場に立ち会いながら、共に修行を進めていく日々は楽しく、この 上ない充実感を覚えている。

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6/11(火) 合宿に行くのを毛嫌いしている妻に、泣いて土下座して許可を求め、やっとの思いで1Day合宿に参加する方がいる。
 毎回、なぜ、そこまでして合宿に入りたいのか、と訊いてみた。
 入らないと、怒りなど不善心が暴れ出し、手に負えなくなるからだという。
 艱難を乗り超えて求める瞑想のありがたさ‥‥。

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6/10(月) 久しぶりに視力検査をした。左右とも裸眼で【1.2】、10年前と変わらなかった。
 「明晰な視力」となると、心がきれいに整っているか、混乱していないか、後悔は? 自責の念は?など、メンタルな問題である。
 身を整え、体調を整え、心をととのえ、明晰な智慧の発現を目指す‥‥。

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6/9(日) 条件に左右されているようだが、とどのつまり、真剣さとヤル気の問題である。
 複雑で難しいことも慣れてしまえば、新鮮さが失われ、通常の意識モードと変わらなくなる。
 初心を忘れないコツは、対象に興味を持ち続けること。
 意義を理解すること。
 好きになること‥‥。

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6/8(土) 正しい歩行能力の復権を目指して、サバンナを歩くマサイ族を手本として考案されたのがMBTの靴だという。
 特殊な靴底の構造ゆえに、一足一足、どうしてもマインドフルになっていく。
 完璧に歩こうとして、全身の筋肉の動きが次々と移動していく流れに、張りつめた注意が注がれる。
 その緻密さで、知覚にも記憶にも思考にも意識の流れにも、サティが入りやすい。

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6/7(金) 頭骨を脊髄の真上に載せ、左右の足をまっすぐ前方に送りながら、凛として歩く姿には、他のいかなる生物とも異なる人類の身体的特性が顕わになっている。
 われわれは、紛うかたなきホモ・エレクトスの子孫である。
 しかるに、わずか数十年の間に誰もが自家用車やバイクに乗り、エスカレーターやエレベーターなど、歩行能力の基本を見失わせる生活様式に堕していった。
 練習しなければ、正しく歩くこともできない‥‥?

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6/6(木) サティの瞑想の歴史は、ブッダ以来のことだろう。
 情況しだいで、人は注意深くもなるし、マインドフルにもなる。
 しかしブッダ以前には、今の瞬間に気づく瞑想としてシステム化された形跡は見当たらない。
 たった一人で、サティの瞑想にたどり着き、ヴィパッサナー瞑想という比類ないシステムを構築したお方の偉大さ‥‥。

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6/5(水) 人体には人体の適正速度がある。
 F1レーサーのように時速300kmでの情報処理も可能ではあるが、特殊訓練された特別な世界だ。
 常態化するのは並大抵のことではない。
 時速4~5kmの歩行速度は、人類が二足歩行を熟達させていった数百万年の伝統がある。
 脳の活動情況が最適化される速度ではないだろうか。

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6/4(火) サティが完全に自動化しない限り、一瞬一瞬の六門の経験に気づこうと努力しなければならない。
 サティを心がけようとする意識が伴わざるを得ない。
 車が行き交う一般道路で自転車のスピードを上げていくと、膨大な情報処理も高速化する。
 一瞬の経験に100%集中しないと危険回避も危ぶまれてくる。
 集中は高まるが、サティが入れづらくなる所以だろう。

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6/3(月) スピードの速い自転車では、内省的な思考が浮かぶ暇はなく、サティを入れるのも難しい。
 しかるに、MBT靴の歩行はサティが入れやすく、思考の流れにも、錯綜する記憶や連想のディテールにも、切れ目なく気づけるのが不思議な感じがする。
 これは個人的感覚なのか、普遍性はあるのか・・・。

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6/2(日) 幸せに感極まる日があり、不幸な出来事に打ちのめされる日がある。
 それが人生だが、本当は、意味もなく変滅していく事象の流れがあるばかりだ。
 ‥‥人の心の中に一瞬まとめ上げられていった印象に、激しい無明の反応が粘り着く‥‥。

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6/1(土) 必然の流れで展開した事象と読み取るべきなのか、どんな苦難も乗り超え初志貫徹すべきなのか‥‥。
 潔く諦めるべきか、断固として成すべきことをやり抜くべきか。
 我執なのか、天意を受け入れるエゴレス感覚なのか‥‥。

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5/31(金) 右膝を痛めて、自宅介護が不可能となった。
 程なく母を弔い、全てが終わったが、座禅の組める状態ではなかった。
 それでも、周囲の反対を押し切り、強引に外国に旅立つこともできた。
 だが、スリランカの師匠が亡くなっていたと知り、愕然とした。
 それ以上、流れに棹を差すのは我執と思われた‥‥。

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5/30(木) 凛とした山の気が残る八王子から、寂れゆく優しい里の気の中に作られた結界への道場移転‥‥。
 母の看取りが終わった時点で、修行者としてスリランカの森林僧院に戻れる可能性はことごとく断たれていた。
 日本に留まり、在家の瞑想者と共に歩むしかない流れだった‥‥。
 天の与えた道が、己の宿業‥‥。

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5/29(水) グリーンヒル道場の緑の深さが、長くこの地に留まらせた最大の理由だったかもしれない。
 最も美しい新緑の季節には、5層にも6層にも重なり合った緑の木立に陽光が降り注ぎ、その輝きと美しさが際立った。
 風に揺らぎながら樹間の奥に広がっていく緑の響宴は、スリランカの奥深い森林を髣髴とさせた‥‥。

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5/28(火) 願望を成就させることに飽きていた。
 人生を、自らの意志では決めず、ただ、その時の流れに従い、与えられたものを受けきっていく生き方を課していた。
 事あるごとに嫌がったり、自嘲的になるのは、我執の反応なのだから、捨て置くがよい‥‥と。

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5/27(月) 苛烈な森林の生活も、瞑想が進みさえすれば、天界のような至福の日々となる。
 托鉢に降りて行く山道の冷気に、耳を打つ鳥の声に、明るい黄緑の葉群から射す木洩れ陽に、電光石火のサティが入り、一瞬たりとも不潔な概念世界が混入しない浄らかさ。
 ‥‥なぜ、ドブ泥のような日本に帰るのかという自嘲。

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5/26(日) スリランカの森林僧院には、電気もガスも水道もない。
 夜は小さなアルコールランプ、井戸水を手動のツルベで汲み上げ、大鍋を載せたカマドに薪をくべ湯を沸かす。
 雨の日も晴れの日も、冷たい川で水浴する。
 まともな食事は一日一回。
 比丘のプライバシーは限りなくゼロに近く、所持品も個室もない‥‥。

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5/25(土) さらに、
 「初めて瞑想の仕方というのがわかり、明確になりました。毎日できそうです」
 「歩く瞑想で、今までで初めて瞑想状態ができたと思う。こんな体験は初めてだった」
 「指導の仕方がとても明確で、個別に質問を聞いてくださったのもとてもよかった」
 「先生ともっとお話ししたかった」
 等々。

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5/24(金) 4月8日@五反田ワークショップに参加された方々のアンケート結果が知らされた。
 「講義と実技のバランスがとてもよかった」
 という声が多く、
 「もっと長くやりたかった」
 「5回連続講座や時間を延ばしてやってほしい」
 などの声もあったという。

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5/23(木) 五反田のヨーガ&ピラティス教室で瞑想ワークショップを行なった。
 鏡張りの壁とフローリングの教室に、明るい陽射しが差し込んでいた。
 若い女性が大半で、男性は3~4人。
 全員が初体験らしく、眼をキラキラさせて取り組んでいた。
 とても明るく、初々しい息吹の講座でした。
 定着を祈ります。

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5/22(水) 本当の自分、などというものは、無い。
 いや、どの瞬間の自分も、本当なのだ。
 人は誰でも、優しくなる瞬間もあれば、残酷になる瞬間もある。
 ゲスなことも考えれば、崇高な想いに満たされることもある。
 狡い時も、誠実な時も、愚かな時もある。
 ‥‥瞑想をして、心が静かに、浄らかになる時もある。

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5/21(火) 一病息災ともいう。
 なんらかのドウッカ(苦)や不具合を抱えていた方が「よく気をつける」。
 頭を使い、課題を解こうと智慧を出す。
 ボケている暇がない。
 問題も制約も何もない無条件の解放状態を幸福と考えがちだが、苦を乗り超える時にこそ智慧が出る。
 ‥‥と、何事も、引き受けていく覚悟。

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5/20(月) 心が変わるとは、考え方が変わることだ。
 考え方が変われば、行動が変わり、日々の習慣が変わり、人との付き合い方が変わる。
 言動が変われば当然カルマも変わり、カルマが変われば遭遇する出来事も変わっていく。
 人生の流れというものは、自らの手で変えていけるのだ。
 その心を整えていく瞑想‥‥。

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5/19(日) 人口が徐々に減少し、寂れていこうとしている故郷の街である。
 生々しい、猥雑な人の気が薄れ遠のいていくのは、この瞑想に望ましいのではないか。
 樹の下で、廃屋で、瞑想せよ、と繰り返しブッダは弟子達に説いた。
 無住の家や廃屋の多い街に開かれようとしている道場で、寂滅を目指す‥‥。

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5/18(土) 終電で下館に帰り、門を開け、玄関に近づいていくと、森閑と静まり返った気配を感じた。
 目をやると、大輪の白い辛夷の花々が夜の闇の中に浮かび上がっていた。
 ‥‥二階の雨戸を閉めながら、やはり無住となって久しい隣家に目をやると、ここでも暗闇の中に満開の紅梅が人知れず佇んでいた‥‥。

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5/17(金) ヴィパッサナー瞑想者が、サティも入れずに、妄想に耽ってよいのですか?」
 「なぜ、なんのために瞑想をするのか。
 聖なる修行を完成するために、心を、体を、環境を、整えていくことが、良い瞑想の第一歩なのです。
 思考や概念が常に悪なのではなく、真実を観る妨げとなる妄想を排除するということ」

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5/16(木) 週末にいくつも重なった仕事によほど疲れていたのか、電車で爆睡し炬燵でゴロ寝していた。
 こんな時間に朝風呂か‥‥と思ったが、敢えて、今、湯治場に来て温泉で癒されている姿に集中した。
 ‥‥やがて身も心も、快感ホルモンに包まれていった。
 自宅にいながら、絶対に行く余裕などない温泉効果‥‥。

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5/15(水) 思考を止め、一瞬一瞬のサティに没入する瞑想者の姿は、次第に同じ雰囲気に包まれていく。
 だが、その背後に広がる人生の来歴も、抱えている問題も千差万別である。
 たった一日だけの1Day合宿だったが、今回の参加者ほど深い自己開示をされた打ち上げも稀だろう。
 心に沁みる感銘を受けた‥‥。

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5/14(火) 美味しい物が食べられたときの幸せ。
 欲しかった物が手に入った時の喜び。
 愛し合えた時の陶酔。
 劣等感やトラウマや苦しんできたものから解放された感激。
 理解され、共感され、認められ、揺るぎない絆が確認された感動‥‥。

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5/13(月) もし記憶が衰えずボケていかなかったら、悲しい出来事や辛い体験がいつまでも鮮明に、生々しく甦ってきて苦しむだろう。
 現実に傷つき、思い出して再び傷つく‥‥。
 記憶が劣化し、淡い印象に風化していくのも知恵。
 解釈を一変させ、ネガティブな出来事をプラスの経験として受け止め直すのも智慧‥‥。

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5/12(日) 今、この場に居合わせる全ての人々にとって、なすべきことがなされ、果たすべきことが果たされていきますように‥‥。
 在るべきもの、 来るべきものが到来し、最もふさわしいものが与えられますように‥‥。
 誰もが良くなっていきますように‥‥と祈る。
 すべてを受容するために‥‥。

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5/11(土) 瞑想が上手くいかないのは、よく解っていないからです。
 その瞑想の仕組みや成り立ち、何を目的とし、どのような理論的背景の下に設計され、何をどうすれば良いのか。
 自分のやるべきこと、やってはいけないこと‥‥等々が正確に、完璧に理解されていれば、あとはわずかな練習で体得できるものです。

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5/10(金) 「イライラしている」「妬んでいる」「落ち込んでいる」‥‥と、グチャグチャの心の状態になっていても、それに気づいた瞬間から良くなっていくだろう。
 「気づく心」は「サティ」という善心所に分類されるからだ。
 善心所は善心所に接続する。
 悪い人生の流れを一瞬にして変えるサティの瞑想‥‥。

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5/9(木) 見捨てなければ、見捨てられることはない。
 優しく手を差し伸べれば、手を差しのべてもらえる。
 抱きしめてくれる。
 自分の善業が、温かく、老いた自分を迎えてくれる‥‥。

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5/8(水) 破壊がなければ、偉大な創造もあり得ない。
 ナイル川の氾濫がエジプトの豊かな土壌を育んだように、破壊されゴタ混ぜになった混沌の極みから、新しい命が芽吹き、存在が花開く。
 破壊され失われていった悲しみ‥‥。
 ありとあらゆるものを一新する爆発的な創造‥‥。

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5/7(火) 部屋の片づけができずに困っていた人が、サティの瞑想を始めると、不思議に整理整頓できるようになった‥‥。
 多くの方が検証する定番効果である。
 サティを入れる→雑念に気づく→妄想が減る→現在に集中する→ムダがなくなる→脳内環境が整えば、身辺も整う→整理整頓‥‥。

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5/6(月) どれほど忌まわしい悲惨な出来事であっても、受け容れることができない限り、怨みと悲しみの心が続くだろう。
 いかなる事態であろうとも嫌悪せず、怒らず、打ち消さず、否定せず、ありのままに承認しなければならない。
 悲しみを乗り超えるために、新たな人生を輝かすために、潔く受け容れていく‥‥。

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5/5(土) 次の瞬間、何が起きるか解らないのが人生だ。
 避けることのできない必然の流れで展開してきたものは全て、それでよいのだと考える。
 自らの悪業や善業の報いとして、因果が帰結する一瞬一瞬ではないか。
 あらゆる経験が学びとなるのであれば、起きたことは全て正しい、と言い聞かせてもよい‥‥。

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5/4(土) 偉大なプロ野球選手にも、三振とトンネルの稚拙な少年野球の日々があった。
 ヴィパッサナー瞑想の初心者も、妄想と眠気ばかりで、なかなかサティが入らないものだ。
 だが、習練を重ねれば、サティの気づきの力は必ず成長する。
 脳に回路が形成されていくからだ。
 スポーツも、芸術も、瞑想も‥‥。

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5/3(金) もっと美しく、もっと優秀に、収入も地位も権力も豊かさも、より多く、より強く、より大きく、という欲望は、本当に幸福をもたらすのだろうか。
 価値あるものにはコストがかかる。
 持てば持つほど重くなる。
 失うまいと執着が増す。
 在ったものが無くなる瞬間、劣化し壊れていく悲嘆は、いかに‥‥。

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5/2(木) 美しいもの、最高のもの、究極のもの、至高の存在に集中し、統一し、合一していく至福‥‥。
 心が腐っていれば、求める心はいや増していく‥‥。

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5/1(水) 汚物だらけの汚れた箱に、美麗なモノを納めても、臭くてどうにもならないのではないか。
 欲望に縛られ、怒りに振り回され、人を見下し、自惚れ、気に入ったものを貪り手放そうとしない‥‥。
 そんな汚れた心に、優しさと慈悲を盛り込もうとするのか‥‥。
 まず、汚染の除去。
 心の便所掃除。

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4/30(火) 一瞬の鋭いサティは、過去の全てに支えられている。
 経験と学習が集積した脳内データを、いかに活用するかが智慧のメカニズムである。
 対象認知も、現状把握も、本質洞察も、ラベリングの言葉選びも‥‥。
 きれいに生きてきた人の脳内環境は清潔にととのい、人生が光り輝く‥‥。

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4/29(月) 下館の街を歩く。
 母を介護していた当時の裏道や近道に吸い寄せられていく。
 目に映る廃屋の佇まい→母が待つ黄昏の家路→風物に触発され、脳内に飛び交う幼少期の記憶の数々‥‥。
 過去と現在が重層的に交差し、刹那の印象と記憶がスーパー・タイムマシーンのように時間軸を駈けめぐる‥‥。
 故郷よ!

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4/28(日) いまだに、「‥愚かな私を赦してください」と、三宝(仏・法・僧)に祈らない日はない‥‥。

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4/27(土) 絶体絶命のピンチも、ささやかな幸福を感じる一瞬も、いつだって、自分の身の丈に応じたものが日々到来しているのだ。
 どんな苦受も楽受も、その原因を組み込んできたのは、自分ではないか‥‥。
 分をわきまえれば、高慢も、嫉妬も、あり得ない。
 サティの瞑想→自己客観視→苦のない人生‥‥。

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4/26(金) 課題も条件も制約も何もない。
 完全に自由に、好きなものを、好きなように、作ってくれ‥‥と、言われたら、何を、どう作れば良いのか、途方に暮れるだろう。
 束縛も抵抗もない真空のような世界では、羽ばたくことができない‥‥。

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4/25(木) 心底から想ったことが具現化していく構造が理解されれば、人生は、望みのままに設計できることに気づくだろう。
 悪因悪果・善因善果。
 他人に苦しみを与えず、衆善奉行に徹していけば、やがて至福の日々がやって来る。
 幸福に感動する瞬間は確かに到来するが、たちまち色褪せ、崩壊していく無常の苦‥‥。

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4/24(水) そう思えば、やがて、そうなっていく・・・。
 思った瞬間の意志(チェータナー)が業を形成するからである。
 呟く程度なら微弱な業が、明言し公言し断言すれば強力な業が、縁に触れ、現象世界に具現化してくる消息を「行(サンカーラ)」と言う 。

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4/23(火) グリーンヒル道場にも幕が引かれ、瞑想空間として終焉を迎えようとしている。
 多くの方々がそれぞれのドゥッカ(苦)を乗り超えようとして、合宿入りをした。
 脳内を駆けめぐる妄想から、苦が生まれる。
 その思考に、イメージに、サティを入れ続けることによって、心に静けさが拡がっていく。
 総力をあげて取り組む瞑想者が、道場に鳴り響かせていた聖なる沈黙・・・。

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4/22(月) 夜更けて封書を投函し、一眠りした明け方、もう一通出しにポストへ向かう。
 暁闇の中、斜面にそそり立つ樹々の根元に仄白く見える残雪。
 相当高い天空からクワッ、クワッ、と明烏の鳴く声が木霊する。
 一足一足の動きに、完璧なサティが突き刺さっていく。
 目覚めていく感覚、全てを甦らせる朝の力‥‥。

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4/21(日) なぜ、最低の瞑想でも毎日続けると、心がきれいになっていくのか?
 ‥‥悪を避け善をなす大原則を、生きる指針とするのがヴィパッサナー瞑想だからである。
 たとえ居眠りと妄想だらけの瞑想でも、五戒を守り、エゴを無くそうと努力するだけで、心が整い始める。
 不安も怖れも自責もなくなっていく‥‥。

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4/20(土) 悩みや不安を解消するために瞑想がある。
 その瞑想を正しく修行するには、確かな方法論と手順に従わねばならない。
 体調を整え、瞑想に取り組める心の体制を整えなければならない。
 ‥‥五戒は守れているか。
 人を傷つけていないか。
 我を張り、人と衝突していないか。
 心にやましいことはないか‥‥等々。

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4/19(金) 始まりがあったものには、必ず終わりがある。
 どれほどかけがえのない、愛しい、大切な存在であっても、やがて崩れ落ち、壊れていく日が来るのだ‥‥と、腹がくくれていたからこその受容。
 ‥‥無常の真理を覚り、腹中深く落とし込むことが、逃れようのない無常の苦を乗り超えていく道。

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4/18(木) 洗面所のお湯の出し方も分からなくなって泣いている母。
 そんな姿が過ぎった瞬間、胸が熱くなる。
 だが、投げた石がたちまち落下するように、落涙感も瞬時に消えていく。
 ‥‥母以上にかけがえのない人はいなかったのに、その死を受け容れてしまえば、喪失のドゥッカ(苦)はないのだということ‥‥。

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4/17(水) 母の死から1年が経って、何よりも意外だったのは、母を喪失した強い悲しみに襲われることがなかったことだ。
 一瞬の落涙感が通過していったことはあったが、哀惜や悲嘆(グリーフ)は皆無だった。
 母の死は、当初から納まるべき位置に納まって、私の中で完結していたようだ‥‥。

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4/16(火) 母が亡くなって1年余が過ぎたが、死の直後からただの一度も、母がこの世に未練を残している気配や、霊的な存在感を感じたことがない。
 あれだけ死のレッスンを繰り返したおかげで、自らの死を完全に受容していたからではないだろうか。
 母の死と再生の儀式は上手くいったのだ‥‥と考えたい。

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4/15(月) 思った瞬間、話した瞬間、行為した瞬間に形成される業が、縁に触れ、避けようのない事象として否も応もなしに経験させられていく。
 それが、人生の流れというものである。
 洪水のように押し寄せてくる事の連続に、悠々と流されていけばよいのだ。
 悪を避け、善をなし、瞑想をして心を整えながら‥‥。

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4/14(日) 起きたことは全て、天から与えられたものとして、受け容れていけばよいのだ。
 ‥‥ただ一つ、意志決定をする判断基軸が設けられている。
 【悪は避けられているか。善がなされているか。心を汚していないか】
 ‥‥そのように心の清浄道を歩み抜いていくことが、法の実践であり、仏達が歩いて行った道‥‥。

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4/13(土) 家族の愛も、男女の絆も、仕事の成功も失敗も、我が身を人世のために捧げていくことも‥‥、この世のことは、ただそれだけのことと達観している人たち‥‥。
 業(因果律)に支配された世界に居ながら、束縛がない。
 その時こぼれていく、匂ひやかな慈悲の心、捨の心‥‥。

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4/12(金) 何も望まず、ひたすら受け身に構え、一瞬一瞬、我が身に経験される事象を淡々と受け容れていく修行もある。
 「無願三昧」と言い、「全託」とも言う。
 避けようのない事態、必然の流れで置かれた情況、自然に展開してきた一切の事柄をことごとく、天から与えられたものとして受けきっていけるだろうか‥‥。

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4/11(木) 明日から朝日カルチャーCtr.の新シリーズが始まる。
 この連続講座も、ついに19年目に突入。
 当初は、「ヴィパッサナー瞑想」という言葉の認知度は極めて低く、誰も知らない名前では講座タイトルになりません。外して欲しいとまで言われたほどだった。
 今や、ヴィパッサナー瞑想は、「気づき」の瞑想として、認知行動療法など多方面にまで深甚な影響を及ぼしている。
 隔世の感がある。
 歳月が流れたのだな‥‥。
 われわれの、瞑想とダンマの普及活動も意味があったか‥‥。

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4/10(水) たとえ情況の流れに逆らってでも、ブレずに意欲し、望み、断固たる意志を貫き通していけば、いつか必ず成就していくだろう‥‥。
 古い業が新しいカルマによって塗り変えられ、時代も人生の流れも変わっていくのだ。
 そうやって、不善業が乗り超えられていくし、また、善業の流れが壊されてもいく‥‥。

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4/9(火) だが、未練はない。
 始まりがあったものには、終わりがあるのだ。
 それが、無常の法則に貫かれた現象の世界の本質だ。
 変化し、推移していくものに執着するな、と人に教えてもきた。
 かけがえのない人だった母を喪ったのも、良い経験だった。
 愛着も未練も執着も、妄想のプロセスから生まれてくる‥‥。

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4/8(月) 合宿アンケートに「道場の移転はやむなしなのでしょうか」と書き残した方がいた。
 ‥‥そんなことを言われると、心が痛む。
 人生の最も充実した時期に、命を懸けて瞑想に専念した拠点だったのだ。
 その後も、どれだけの人が修行に明け暮れたことか。
 捨てがたい、去りがたい、森閑とした道場だったよ‥‥。

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4/7(日) 下館に集合したスタッフの方々に、瞑想のインストラクションをした。
 床の間のある2Fで、初めての個人面接をしながら、ああ、こうしてダンマの波動が建物や場所に沁み込んでいくのか‥‥と不思議な感じがしていた。
 人の心が発する波動が土地の気を形成し、やがて聖地にも穢土にもなっていく‥‥。

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4/6(土) 眼耳鼻舌身からの情報の中身に意識が突き刺さっていけば、サティは入りづらい。
 思考がスタートしやすいからだ。
 瞑想には、真の孤独が不可欠である。
 ‥‥同じ一人暮らしのはずなのだが、合宿が終わり、独りに戻った時の方が、何倍もサティが入りやすくなっている。
 修行者の残していったものが、確かに、ある‥‥。

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4/5(金) 八王子での最初で最後の1Day合宿が終わった。
 「家で瞑想していると物凄く妄想が多いのに、ここに来ると、妄想がピタリと出なくなるんです」と語った方がいた。
 この15年間、いったい何人の瞑想者が、渾身の力でサティを入れ続けたことだろう。
 妄想を離れようとした波動が刻み続けられた場所‥‥。

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4/4(木) 移転する道場予定地は、本城町の東側の坂下に位置し、「東下がり」→「旭町」→「甲」と町名の変遷があった。
 東西南北の四囲は、50年以上の空家+ほとんど使われていない個人宅駐車場+交通量が極めて少ない道路+路地(路地を挟んだ隣家は無住の状態で固定化)。
 つまり、道場は庭に囲まれ、敷地を取り巻く四囲に人の俗気が隣接していない。
 境界の敷地内にたくさんの樹木を植え、緑に囲まれた結界を作ろう‥‥。

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4/3(水) その昔、征夷大将軍、坂上田村麻呂が奥州に向かう途中、上館・中館・下館の3つの館を築いた故事に由来するという郷土史は確かなものだろうか。
 そうであっても、なくても、どうでもよいことだが、それなりの歴史を持つ城下町であったことは確かである。
 高台の本城町やその周辺には、50年前の旧家がそのまま石化したような廃屋も少なくない。
 旧い街だが、現代的な綺麗な街並みもある。
 全体に人口が減少し、閑かさに向かっている町だ。

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4/2(火) 樹木や鳥獣虫など自然環境は八王子が優れているが、遠景の眺望は下館が好い。
 静かさは同じ、周囲からの分離独立性は下館。
 近隣の人の絆は、圧倒的に下館に軍配が上がる。
 下館に面接用の東屋を建て増し、リフォームを念入りにすれば、道場としての空間は八王子を凌駕するだろう。
 何事も流れのままに従いきっていく流儀だが、今回も流れに乗っていく‥‥。

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4/1(月) 下館を道場にするのに、リフォームをどうしたものか。
 才能ある設計士をどうやって探せばよいのか‥‥。
 三宝に祈り、瞑想をすると、閃きを得た。
 二重生活をする私の腕を強力に引っ張って、下館で暮らすよう要請した歯科医の後輩に電話をした。
 すると、いくらでも紹介したい建築家がいると言う‥‥。

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3/31(日) 永遠に良いものも永遠に悪いものも、この世には存在せず、一切が無常に変化し流転していく。
 命を賭した修行の日々も、ダンマの活動に身を捧げてきた歳月も、このグリーンヒルが拠点だった!
 ‥‥万感が去来するが、年内には下館に移転する。
 終わりもあれば、始まりもある。
 死も、再生も、涅槃も‥‥。

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3/30(土) 合宿が終わった翌日、八王子の道場売却を不動産業者に依頼した。
 どの部屋も、瞑想者の残していった凛々たる浄らかな気配に満ち、営業担当者が感服していた。
 22年間、何人の方々がここで瞑想修行に命を懸けたことだろう‥‥。
 栗林に囲まれ、小鳥が囀り、蝉時雨が木霊する道場だった‥‥。

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3/29(金) グリーンヒルの道場が、八王子から下館に移転するかもしれない。
 最後の見納めに、と下館の掃除作務に来たスタッフの方々。
 最後の仕事が一転、新道場の初仕事になった‥‥、という展開になりそうである。

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3/28(木) 命を懸ける。
 死んだ気でがんばる‥‥。
 と言うのはたやすいことだが、想定だけで、火事場の馬鹿力が本当に出るだろうか。
 現実のドウッカ(苦)に強いられなければ、本気にはなれないものだ。
 ‥‥苦の現状を悟る苦諦の真理から、全てが始まる仏教‥‥。

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3/27(水) ええっ!どうしよう‥‥!と絶句するようなことが起きると、一瞬の智慧の閃きで打開するしかない。
 その危機に直面した野性動物のような感覚、というか、脳の使い方がむしろワクワクする。
 ピンチになると、智慧が出る。
 ‥‥生命の進化は、そうやって起きてきた‥‥。

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3/26(火) 狭き門より入り、茨の道を往くべきだ‥‥と本心では知っているのに、快いもの、富裕なもの、美麗なもの、キャーキャー賞賛されるもの、興奮するもの‥‥を選んでしまう無明。
 不善心所のさまざまな想いの混乱‥‥。

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3/25(月) 逆境を乗り超えながら人は成長するし、快適な環境が人を堕落させることもしばしばである。
 本当は何が良いのか。
 「人間万事塞翁が馬」と言い、「聖者達はどんな環境も天国にしてしまう」と言う。
 因縁に従いきって、行くべきところに行き、与えられたものを尽く受け取り、なすべきことをなしていく‥‥。

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3/24(日) 今の瞬間にサティを入れ、妄想を離れる。
 懺悔の瞑想によって、束縛されてきた過去に終止符を打つ。
 慈悲の瞑想を定着させて、怒りから解放される。
 五戒を守り、善行を重ね、環境を整える。
 法の理解によって、我が身に生起する一切を受け容れていく。
 ‥‥かくして、心ひろびろと、爽やかに生きる。

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3/23(土) 怒りに駆られた瞬間、後悔した瞬間、恥ずべきことをした瞬間、高慢になった瞬間、欲望が鎌首をもたげた瞬間‥‥、不善なる想いが一斉に爆ぜ、心の中がグチャグチャになる。
 汚い波動で、顔が赤黒くなる。
 ‥‥爽やかさの対極。

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3/22(金) 死んで完全な虚無になれるなら、解脱と変わらないではないか。
 因果の力によって、今の瞬間が次の瞬間に接続していくのと同じように、死の直後に再生し、業が引き継がれ、経験の連続性を止めることができない輪廻転生‥‥。
 生きていくのも死んでいくのも、本質的に違いはなく、生死は一如‥‥。

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3/21(木) 「愚かなことも、してはならないことも、数えきれないほど繰り返してきました。
 思い出せば、冷汗三斗、身の縮むような羞恥が甦ってきます。
 だが、懺悔の瞑想を、何度も、丁寧に、心ゆくまで繰り返すうちに、手放すことができました‥‥。
 もう、今は、本当に過ぎ去ったことになりました」
 と、述懐された方‥‥。

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3/20(水) 水場を記憶できない象の群れは絶滅する。
 穏やかな気候と豊富な餌は、コガラ(四十雀科)を愚かにする。
 厳しいアラスカのコガラの賢さは圧倒的だ。
 追い詰められ、ピンチにならなければ、知恵は出ない。
 苦境を脱しようと命がけになった時に進化が起きている生命の歴史。
 ‥‥苦の究極を見た者が解脱する。

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3/19(火) 最後まで頑張り抜けるのはハングリーだからだが、勝者が、やがて驕り始めるのも避けられない。
 そんな環境に、銀の匙をくわえて生まれ、温室で過保護に育てば、世間知らずになるだろう。
 苦労の経験の乏しさゆえに不利な人生の展開が待っているが、辛酸をなめた果てに、清浄道を歩み始めるという流れ‥‥。

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3/18(月) 失敗、挫折、失恋、病気、失職‥‥等々、失意のどん底で、人は初めて我が身を振り返り、内省的になる。
 外界に向かって高みの見物をしていた視線が、己に向けられる。
 傲慢に見下し、批判と自慢ばかりしていた鼻持ちならない愚か者。
 ‥‥ドゥッカ(苦)に出遭ったのは、成長するためだった‥‥。

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3/17(日) 何事も、本当は、起こるべくして起きたことばかりだ。
 必然の力にうながされ、ただ、来るべきものがやって来たのだ‥‥。
 自業自得の構造なのだが、苦も楽も、天が与えてくれたものとして、ありがたく押しいただく発想‥‥。

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3/16(土) ゴキブリとの攻防が終わった真夏の夜には、既に想定されていたことだった。
 100%受け容れられていた苦痛に対して、微塵たりとも、怒りが起ち上がろう筈はなかった‥‥。

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3/15(金) う、痛いな‥と感じた瞬間、脳裏に浮かんでいたのは、負傷したかもしれないゴキブリだった。
 壁際に追い詰め、チリ取りで捕らえた瞬間、ちょっと傷つけたかな、と案じられたケースが何度かあった。
 絶対に殺さない。
 それは明確だったが、傷つけたからには、身体的苦受を受けるだろうと覚悟していた‥‥。

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3/14(木) 歯の治療で強烈な痛みを味わった。
 後の祭りだったが、麻酔してもらいたかった‥‥!
 脂汗が浮かび、一瞬の吐き気が通り過ぎ、ウメキたくなるほど痛かった。
 電光石火、入れ続けるサティの奥には、諦観があった。
 この激痛は因果の必然で生じた事象であり、私に相応しいことだ、という瞬間的受容‥‥。

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3/13(水) 悲しさが身に沁みているがゆえに、同じ立ち位置から、傷ついてきた人、苦しんできた人達に手を差し伸べることができる。
 万感の想いを込めて悲しみを分かち合うことができる。
 上から目線の傲慢さが微塵も混入しない、存在の深き渕から発せられる「悲」の瞑想。
 悲しみの昇華。
 苦の聖化。
 真の慈悲‥‥。

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3/12(火) 悪意があってのことなら、それなりの受け止め方もあるだろう。
 愛情も善意もあってのことだったと今は解るが、‥‥愚かだったことが、やるせない。
 傷つき、苦しんできてしまった歳月が音を立ててきしむ。
 悲しい子供達と大人達の上に、小雪が降りかかる‥‥。
 汚れちまった悲しみに‥‥。

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3/11(月) 我が身に傷を負わなければ、傷ついている人達の苦しみが分からない。
 全てを失ってみないと、ただ普通に暮らせることが幸せだったと気づけない。
 途方に暮れなければ、差し出された救いの手の価値が分からない。
 ‥‥贅沢な生活の中で、家族の愛を独占し、ワガママに甘やかされていく人たち‥‥。

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3/10(日) 失敗が起きた瞬間、ネガティブな反応が後に続くのは避けられないかもしれない。
 だが、やがて最悪の事態や失敗が、実は宝物であったと判明するだろう。
 心が変わり、エゴ感覚を離れ、認識の角度が逆転することによって‥‥。

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3/9(土) ああ、この状態がずっと続いてくれるといいのに‥‥。
  因縁によって生じた幸福や快に対して、反射的に粘り付いていく渇愛。
 淡々とその中に住していれば、続いたであろうものを‥‥。

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3/8(金) 最も愛着のある著書は、「瞬間のことば」かもしれない。
 瞑想に深く参入した時点で、音楽も美術も文学も全て捨て去ったが、この本には消しがたい美意識や感性が洩れ漂っている。
 なるほど、こういう資質だったか‥‥。
 歳月が流れ、この本が他人のもののように視えてきた‥‥。

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3/7(木) グリーンヒルの合宿では、参加者は必ず他の全員に対して念入りな慈悲の瞑想を一日に2回行なわなくてはならない。
 目線すら合わせない完全な沈黙行のなかで一日中過ごしていても、殺伐とした雰囲気にならないのは慈悲の力だろう。
 まったくの他人同士だった初日、惜別の情に包まれた下山‥‥。

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3/6(水) 互いに面識のない方々が集合し、沈黙を厳しく守りながら瞑想修行に徹する3日間。
 その合宿最終日の朝、たまたま同室者の3人が掃除の終わった部屋で座る瞑想に入った。
 静けさと安らぎに満ちた不思議な一体感に包まれたという。
 3人がまったく同じ動き、同じテンポで息をしているかのような錯覚‥‥。

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3/5(火) 天にのっとり、「私」を捨て去っていく「則天去私」。
 天意に従う、「天」とは何だろう。
 我執を捨て去っていくための発想と心得ればよい。
 天を法と置き換えてもよい。神でも仏でもよい。
 エゴ感覚を離れるための「X」(エックス)。
 玉ねぎの皮を一枚づつ剥くように、段階的にエゴを弱めていく‥‥。

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3/4(月) どんなに気のきいた立派なことが言えても、その瞬間の相手にとっては、さしたる値打ちもないガセネタかもしれない。
 何を、どのように語ればよいのか、本当のところは何もわからないのだ。
 ‥‥今、その人に最もふさわしい情報が、自分の口を通して伝えられますように、と祈る。
 痛切に、祈る‥‥。

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3/3(日) 合宿が始まる直前、カバン置場から一冊の本が出てきた。
 全ページにくまなく傍線が施され、鉛筆やボールペンでびっしり書き込みが入った「ブッダの瞑想法」だった。
 よくぞここまで読み込んだものだ、と驚いた。
 心血を注いで執筆した著者に拮抗する圧倒的なエネルギーを感じた。
 著者冥利‥‥。

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3/2(土) 脳はICチップではなく、その素材は肉や神経繊維なので、全身の筋肉系と双方向に関連し合う。
 身を調え、呼吸を整え、居ずまいを正せば、自ずから心がととのっていく‥‥。
 さらに、自分の部屋の掃除をし、路上や公園のゴミなどを拾い、身を取り巻く環境と心の環境を整える。
 そして‥‥瞑想。

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3/1(金) あの時、死んでいてもおかしくなかった‥‥。
 誰にでも一度や二度あることではないか。
 ‥‥いわば拾った命、おまけの人生なのに、不平不満を言い、嫉妬し、目先のくだらないことに執着するのか‥‥。

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2/28(木) 宿業が押しやる強力な力によって、出会うべき人に出会い、行くべきところに導かれていく因縁の流れがある。
 さらに、多くの人に助けられ支えられトントン拍子に事が進む人もいれば、不協和音ばかり鳴り響く人もいる。
 業が帰結するのを助ける「支持業」があり、真逆の「妨害業」がある。

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2/27(水) 素養もなければ予備知識もなかったのに、するすると導かれていったヴィパッサナー瞑想会。
 初めて聞く因果論やダンマの世界がなんの違和感もなく心に沁み、涙が止まらなかったという。
 よくあることで、珍しいことではない。
 ‥‥過去世の因縁を想う。

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2/26(火) 誰が見ていても見ていなくても、きれいな心で、天に慚じることのない正義と慈悲をなしていく。
 美学によって、戒を受け入れることによって、仏弟子である矜持によって‥‥。

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2/25(月) 見られているとわかれば、人は悪いことをしない。
 覆面をかぶり正体が隠された途端に、欲望をほしいままにし、残酷になる。
 人類は最大150人程度の小さな集団で、互いに見守り合って数百万年生きてきたのだ。
 群集の中にまぎれ、インターネットの匿名の世界でむき出しにされていく人の暗部‥‥。

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2/24(日) 700万年の歴史に堪え、人類が生き残れた最大の理由を一つだけ挙げれば、共生型の集団を形成したことだろう。
 狩りも子育ても敵から身を守るのも、何よりも大事なのは協力であり、人の絆だった。
 ‥‥その絆が失われ、互いに無関心なおびただしい人の群れが密集している大都市の異様さ‥‥。

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2/23(土) シニア世代を彷彿とさせるリアルなマネキンに着せた服はまったく売れなかったという。
 老いを直視するのは耐え難い。
 現実から目を背けなければ、生きていけない‥‥。
 見失われていく「一切皆苦」‥‥。

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2/22(金) 現実は、必ず青ざめる。
 実現しないもの、不可能なものが、人を酔わせ、魅惑し続ける‥‥。
 果てしない煩悩に駆り立てていく無明の力。
 無明を構成している一瞬一瞬の妄想‥‥。

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2/21(木) 成就しているのは一瞬なのに‥‥、壊れてしまい、過ぎってしまうものばかりなのに、なぜ、そこまで執着してしまうのだろう‥‥。
 存在しないものの魅惑、妄想の甘美さ‥‥。

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2/20(水) 命が、永遠に甘美であり続けられるなら、輪廻転生を無限に繰り返したくなるのかもしれない。
 現象世界のいかなる存在も、無常の法則に貫かれていないものはない。
 甘美な瞬間は必ず壊れていく。
 もし永遠に壊滅しなければ、べたべた甘いモノが無限に続くことに耐えられないだろう‥‥。

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2/19(火) 欲があり怒りがあるので、人生は苦しくなる。
 そんな煩悩を手放した分だけ、苦しみも無くなっていくだろう。
 原始仏教は、煩悩の滅尽を究極の状態として目指している。
 ‥‥煩悩を否定する仏教は「理解しがたく、世の流れに逆らっている‥‥」。

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2/18(月) 問題の中に、答は内在している。
 問題がどのように生起してきたのか、そのプロセスをありのままに観る。
 現状にまで至った主要な原因と陰の原因、裏の事情と本音を正しく把握する。
 エゴの視座を離れて、あるがままに事の流れを客観視できるならば、自ずからなすべきことが見えてくる‥‥。

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2/17(日) 怖れることはない。
 どのような事態に陥ろうとも、事実に即し、現状をありのままに観ていけば、必ず正しい理解に導かれていくだろう。
 一切の事象のなかに黙示されている真理を洞察していくのがヴィパッサナー瞑想‥‥。

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2/16(土) 疲れているから、瞑想ができないのではない。
 瞑想をやらないので、心が汚れ、疲れるのだ‥‥。

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2/15(金) たった一言のことばが、人生の流れを変えることもある。
 何十年も固執してきた想いが、音を立てて崩れ去っていく一瞬もある。
 生涯にただ一度だけの出会いによって、なすべきことがなされていくのも必然の展開‥‥。

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2/14(木) ドゥッカ(苦)の渦中にいる間は、誰も真剣なのだ。
 夜を日に継いで必死に瞑想し、心がきれいになれば、悩みも消えていく。
 苦しかった反動で遊びたくなり、求める快楽はエスカレートしていく。
 楽しみを阻まれると怒り出し、失敗すれば落ち込み、得意になれば人を見下し、エゴが暴れて心が汚れ、再び苦の泥沼に堕ちていく。
 ‥‥どうしようもなくなったある日、ふと瞑想病院を想い出す。
 そんなことを果てしなく繰り返しながら、いつか来る悟りに向かう日‥‥。

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2/13(水) 人生苦が乗り超えられてしまえば、瞑想の現場から離れていく人たちも少なくない。
 病気が治れば退院するのだから「瞑想病院」と称されたこともある。
 言い得て妙。
 難問が解決され、命を救われ、苦が癒されるのであれば、一期一会でも良いではないか。
 そのために呈示されたヴィパッサナー瞑想‥‥。

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2/12(火) いかなる理由で、どのようなことが起きようとも、「それは、私にふさわしいことだ」と心得る。
 一粒の水滴が顔に当たるのも、雀が一羽落ちるのも‥‥、すべては、因果の理法に基づいた必然の力によって生起している。
 苦受であれ楽受であれ、与えられたものをことごとく受け取っていく覚悟‥‥。

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2/11(月) ハングリーだから、死力を尽くして勝者になる。
 絶体絶命のピンチから、智慧がひらめく。
 傷ついた者だけが、人の悲しみに触れ、心底から共感することができる。
 経験したドゥッカ(苦)の数だけ、人は優しくなれる‥‥。

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2/10(日) 本当に何が良いのか悪いのかは、全てが終わってみなければ、解らない。
 不測の事態や挫折や失敗、不幸以外の何物でもない悲惨な出来事も、その時点ではそう見えるだけではないのだろうか‥‥。

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2/9(土) 最後にモノを言うのは、善業が集積された<波羅蜜>の力だ。
 現象世界のどのような事象も、他の一切のものと相互に関連し合っている。
 個人の力量がどれほど優れていても、環境によって、人によって、万物によって、阻まれる。
 支えられる。
 干渉される。
 単独の「私」があり得ない「諸法無我」の構造‥‥。

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2/8(金) 心に真の静けさが訪れるためには、体が鎮まらなければならない。
 心に煩いがなく、身が整う幸運に恵まれても、極端な寒暑、悪臭、騒音など、悪条件の下で良い瞑想をするのは難しい。
 カルマが悪ければ、劣悪な環境に押しやられるだろう。
 心身を整えるのも、環境に恵まれるのも、つまりは自己責任‥。

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2/7(木) なぜ戒を守って瞑想しなければならないのか。
 心が乱れないためである。
 盗む、欺く、殺す、傷つける、裏切る‥‥等々の不善行為は、人の心に必ず自責の念や罪悪感をもたらすだろう。
 たとえ自覚に上らなくても、潜在意識でうごめき続け、無意識に自分を苦しめる‥‥。

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2/6(水) たとえ最高に体調が整い意識の明晰度が上がっても、心に気がかりや悩みがあれば、乱心乱想となるだろう。
 ネガティブなイメージが鮮明に浮かび、暗い考えに一気にのめり込みながら‥‥。

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2/5(火) 良い瞑想←意識の明晰度←体調←適切な分量の浄らかな食物。
 ‥‥「食事の適量を知る者であれ」「豚のように食べ、眠りこける者よ!」と、ブッダは繰り返し過食を戒め、身を整えることを説く。
 食のコントロールが、瞑想の一部なのだと心得る‥‥。

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2/4(月) 何事も、エゴ感覚を抜いてなされた仕事は、うまくいく‥‥。

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2/3(日) 自分を取り巻く環境は、心の反映である。
 間が悪く、整っていないのは、自己責任と考える。
 「私は何を反省すべきなのでしょうか‥‥」と天に向かって呟くとよい。
 思い当たることがあれば、その場で懺悔の瞑想をする。
 ‥‥すると、途端に流れが良くなり、円滑現象が戻ってくるものです。

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2/2(土) ああ、乗り継ぎの電車が走り去っていく‥‥。
 信号が黄色から赤に変わっていく。
 次の信号もまた赤だ。
 スーパーに立ち寄り、買物をしている間に雨が降り出した‥‥。
 そんな「円滑現象」と正反対の流れに入ってしまったら、その場で立ち止まり、不善心所ではなかったか‥‥と反省する。

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2/1(金) 新宿から電車を乗り継ぐと、また雨がガラス窓を打ち始めた。
 駅頭に降り立つと、たった今雨が上がった風情だった。
 バスのフロントに残った雨粒が流れ落ちていく。
 傘を持っていなかったが、雨雲をかい潜りながら帰宅することができた。
 こうした流れの良さを、「円滑現象」と呼んでいる‥‥。

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1/31(木) 1Day合宿参加者が去り、後片づけも終わり、合宿スタッフとレストランで打ち上げをしていた。
 ふとガラス越しに外を眺めると、激しい雨に路面がズブ濡れになっていた。
 サイレント映画のように、開いた傘が足早に往来している。
 ‥‥店を出ると、すでに雨は上がっていた。
 瑞々しい風が涼やかに渡っていった‥‥。

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1/30(水) 浄らかな心から、清らかな言葉が出ていくのだろうか。
 清らかな言葉が出ていくので、浄らかな心になるのではないか‥‥。
 自分の口から出ていった言葉に、自分自身が最も強く影響されていく。
 善き言葉、善き考え、善き行為が、力の源泉‥‥。

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1/29(火) 良い人がいるのではない。
 その瞬間、善心所で振る舞っていただけのことだ。
 人は、善いこともする。
 悪いこともする。
 個々別々の真実の瞬間が、脳内で一つのイメージにまとめ上げられ、素敵な人とイヤらしい人が完成していく‥‥。

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1/28(月) これまでに、いったい何度、眼からウロコを落としてきたのだろう‥‥。
 勝手に思い込んでは美化されたイメージを作り上げ、かってに幻滅しては失望と怒りに包まれる‥‥。

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1/27(日) 満月の夜には煌々たる月明かりに照らし出されるミャンマーやスリランカの森林僧院も、新月の夜には、原始を思わせる凄まじい暗闇にすべてが包まれる。
 頭上を見上げると、夜空一面に無数の星々が息を飲むような輝きで燦めいている。
 ギンギンギラギラ☆☆☆‥‥。

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1/26(土) もし近くに低山などがあれば、その頂きに登り、よく晴れ渡った夜の星空を見上げてみるのもよい。
 満天の星々☆☆☆‥の輝きを眺め、広大無辺な宇宙の果てに想いをめぐらしてみる‥‥。
 自分の抱えている悩みは、本当に、命を傷めながら苦しむに値するものなのだろうか‥‥。

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1/25(金) 目先の現象の変化に目を奪われて反応しそうになったら、まず、サティ(気づき)を入れる。
 サティが入らなかったら、例えば、700万年の人類の歴史の流れを念頭に置いて、向き合ってみる。
 何が、どうなろうと、たいしたことではない‥‥と達観できないだろうか。

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1/24(木) 1月27日から、朝日カルチャー新規講座が始まる。
 想えば、グリーンヒルのヴィパッサナー瞑想活動は、18年前、1995年2月に開かれた本講座が原点になっている。
 無名の講師にもかかわらず、事前に描いていたイメージが具現化したかのように、受講者が教室に溢れた‥‥。
 タイの僧院での修行から帰った直後、教える技術は未熟だったが、情熱の息吹に燃えていた‥‥。

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1/23(水) 失敗から全てが始まる。
 敗因を精査し、ネガティブな結末へと展開した流れを構造的に理解する……。
 新しいものが生まれ出す宝の山……。

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1/22(火) 「仏教」を学ぶようになって、高慢な気持ちになった‥‥という人が少なくない。
  こんな深遠で、気高い、尊いことを、私はしているのだ‥‥と思うと、鼻の穴が大きくなってしまうのだという‥‥。

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1/21(月) 夜明けは来るが、やがてその日も傾き、漆黒の闇が全てを包んでしまう‥‥。
 苦しい日々に終わりは来る。
 そして、どんな幸福も色褪せ、崩れ去っていく‥‥。

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1/20(日) 理不尽な苦しみが耐えがたくなったら、自分自身に、静かに呟いてみる。
 体に、心に、今、苦を感じるこの瞬間こそ、無限の過去から積み重ねてきた私の不善業が現象化して、消えていく一瞬一瞬なのだ。
 ただ苦しむだけの人生にも意味がある‥‥。
 夜明けは、必ず来る‥‥。

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1/19(土) 最悪であればあるほど、ジタバタと、見苦しく、虚しく抗い続けてさらにヘトヘトになっていくのが人の常である。
 ‥‥だが、静かに客観視ができている限り、必ず最良の展開になっていくと、サティの瞑想の力を信じる。
 ただ力を脱き、受身に徹し、淡々と今の瞬間に気づきの心を伴わせていく‥‥。

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1/18(金) 調子の悪い時の方がむしろ、サティには良いのだ。
 オレが、私が、とがんばるエゴが鳴りをひそめる。
 気負わない。
 挑まない。
 猿知恵でハカライをしない。
 見えても、聞こえても、感じても‥‥ただ淡々と、受身に徹して気づいていくだけになる。
 サティの極意「ウペッカー(捨)」の心に近づいていく‥‥。

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1/17(木) ‥‥最悪な状態でも、サティが入るのではない。
 最悪の時だからこそ、サティを入れるしかないのだ。
 全てのことに、ノーラベリングの素早いサティが入っていくと、どんな事態も、ただそれだけの状態になる‥‥。

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1/16(水) 劣等感があれば、自分の優秀さを証明したくなるし誇りたくなる。
 与えられたものを、尊いものとして受容しきることができるだろうか。
 真の勝者は、潔い。
 それ故に、己のいたらなさに正しく目を向け、黙々と清浄道を歩む‥‥。

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1/15(火) 悟りとは、自分の程度の低さに気づくことだ‥‥。
 そう定義していたこともあった。

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1/14(月) ヴィパッサナー瞑想を始めて、怒らなくなりました。慌てなくなりました。人を赦せるようになりました‥‥。
 心をきれいにする瞑想を実践した成果だろう。
 だが、この瞑想をすればするほど、ますます自分の汚い心が見えてきて愕然とする‥‥という感想の方が深いのではないか‥‥。

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1/13(日) 「友達が苦しんでいるストレスと怒りを、鎮めてあげられないでしょうか‥‥」
 「現状を、ありのままに語らせてあげなさい。
 ‥‥慈悲の瞑想をした後で、サティを入れながら、淡々と話を聞いてあげると、優しさと静かさが伝わっていくでしょう」

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1/12(土) 疲れているから、瞑想ができないのではない。
 瞑想をやらないので、心が汚れ、疲れるのだ‥‥。

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1/11(金) たった一言のことばが、人生の流れを変えることもある。
 何十年も固執してきた想いが、音を立てて崩れ去っていく一瞬もある。
 生涯にただ一度だけの出会いによって、なすべきことがなされていくのも必然の展開‥‥。

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1/10(木) いかなる理由で、どのようなことが起きようとも、「それは、私にふさわしいことだ」と心得る。
 一粒の水滴が顔に当たるのも、雀が一羽落ちるのも‥‥、全ては、因果の理法に基づいた必然の力によって生起している。
 苦受であれ楽受であれ、与えられたものをことごとく受け取っていく覚悟‥‥。

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1/9(水) 最後にモノを言うのは、善業が集積された<波羅蜜>の力だ。
 現象世界のどのような事象も、他の一切のものと相互に関連し合っている。
 個人の力量がどれほど優れていても、環境によって、人によって、万物によって、阻まれる。支えられる。干渉される。
 単独の「私」があり得ない「諸法無我」の構造‥‥。

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1/8(火) 心に真の静けさが訪れるためには、体が鎮まらなければならない。
 心に煩いがなく、身が整う幸運に恵まれても、極端な寒暑、悪臭、騒音など、悪条件の下で良い瞑想をするのは難しい。
 カルマが悪ければ、劣悪な環境に押しやられるだろう。心身を整えるのも、環境に恵まれるのも、つまりは自己責任‥‥。

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1/7(月) なぜ戒を守って瞑想しなければならないのか。
 心が乱れないためである。
 盗む、欺く、殺す、傷つける、裏切る‥‥等々の不善行為は、人の心に必ず自責の念や罪悪感をもたらすだろう。
 たとえ自覚に上らなくても、潜在意識でうごめき続け、無意識に自分を苦しめる‥‥。

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1/6(日) たとえ最高に体調が整い意識の明晰度が上がっても、心に気がかりや悩みがあれば、乱心乱想となるだろう。
 ネガティブなイメージが鮮明に浮かび、暗い考えに一気にのめり込みながら‥‥。

………………………………………………………………………………………………………………

1/5(土) 良い瞑想←意識の明晰度←体調←適切な分量の浄らかな食物。
 「食事の適量を知る者であれ」
 「豚のように食べ、眠りこける者よ!」
 と、ブッダは繰り返し過食を戒め、身を整えることを説く。
 食のコントロールが、瞑想の一部なのだと心得る‥‥。

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1/4(金) 苦境を乗り超えながら生きていく時こそ、輝けるのだ、と知る‥‥。

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1/3(木) あればあるように、無ければないように、人生は何とでもやっていけるものだ。
 不具合が生じ、情況が一変するとパニックを起こしがちだが、ひとたび受け入れてしまえば、これでよい、これが私の人生だ‥‥と思えてこないだろうか。

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1/2(水) 浄らかな心から、清らかな言葉が出ていくのだろうか。
 清らかな言葉が出ていくので、浄らかな心になるのではないか‥‥。
 自分の口から出ていった言葉に、自分自身が最も強く影響されていく。
 善き言葉、善き考え、善き行為が、力の源泉‥‥。

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1/1(火) グリーンヒルの裏庭にタヌキが出た。
 10年以上前からタヌキの夫婦が棲息しているが、その一匹がゆっくり通り過ぎていった。
 タヌキには無縁なように、合宿でサティを入れ続ける瞑想者にも無縁な、「正月」という名の共同幻想‥‥。



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