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今日の一言 (バックナンバー) '2005年1~12月

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12/31(土) 納得して棄てたはずなのに、時間が経つうちに、自分の都合のいいように解釈が変わり、コンテンツが変形し始め、いつの間にかすっかり元通りになってしまうものです。
 本当に心を変えていくためには、新しいプログラムの上書きを粘り強く繰り返さなければならない。

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12/30(金) テーラワーダ仏教の国々では、他人が素晴らしい善行を行ったときに、皆でその徳を讃え、「サードゥ(善哉)!」「サードゥ!」「サードゥ!」と3回唱和する習わしがあります。
 慈悲喜捨の「喜(ムディター)」の実践です。
 他人の善行を心から喜ぶと、将来自分も同じ善行ができると信じている人も多い。
 自分自身の善行を思い出して喜び、他人の善行もまた一緒に喜び、善心所モードになった心のエネルギーが、さらに未来に良いカルマを作っていく…。

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12/29(木) 善行を行えば、善いカルマが作られます。
 後日、それを思い出して喜び、感動を新たにすれば、その瞬間に善心所のエネルギーがほとばしるので、さらに善業のポイントが加算されていきます。 
 意味をよく理解し、終った後に何度も繰り返し喜んだほうが、一番よい善行になる所以です。

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12/28(水) カルマを作る張本人は、身体動作の伴った行為ではなく、その瞬間の心のエネルギーです。
 不善心所のエネルギーを出力すれば、不善業が作られます。後日、布団の中でそれを思い出し「後悔」すれば、その瞬間に怒り系のエネルギーがほとばしるので、さらに不善業のポイントが加算されていきます。
 サティを入れて不善心所を手放すことが、ドゥッカ(苦)を減少させていく所以です。

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12/27(火) 常にダンマを臆念し、ダンマを優先した発想ができれば、エゴ性は限りなく弱められていきます。
 ウペッカ(無差別平等性:聖なる無関心)の心が起ち上がりやすくなり、ピュアな慈悲の瞑想がしやすくなるでしょう。
 エゴのない優しさ…。

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12/26(月) 好きな人も嫌いな人も、鳥も獣も虫も魚も…、自分の命も、公平に、平等に大事にし、慈しむのが仏教です。
 他人を傷つけてはならないし、自分を傷つけることも、いわんや殺めることもしてはならないのです。
 「諸法無我」とは、すべての命を公平に眺められる精神の別名でもあり、生きとし生けるものに向かって真実の慈悲の波動が発信される源でもあるのです…。

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12/25(日) 「比丘たちよ、身を滅ぼしてはならない」と、ブッダは自殺を禁じました。
 戒行を具備した者は、無量の功徳を積み重ねた者にして、生けるものたちの利益をはかる者だからです。
 徳の結晶した聖者は、生けるものを憐れみ、慈悲の実践をしながら生涯をまっとうする…。

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12/24(土) <叡智の無い愚かな人々は放逸の状態をつづけている。つとめはげむ人は、つねに瞑想し、汚れの消滅を達成する。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)4-11」岩波文庫】

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12/23(金) 満天の星が輝く夜空を見上げて、広大無辺な宇宙の果てしなさを実感するのもよい。
 欲と怒りで無我夢中になって生きている姿が、ゴミ溜めの虫けらのように見えてくるのではないか…。
 すべては、この広大な宇宙の一点に浮かぶ地球の上での営みなのだ、と無辺際な時空の視点から自分の現状を対象化してみるのです。
 快感ホルモンの分泌を求めて、右往左往しながら死んでいくのが、バカバカしくなってくるでしょう。
 何のために生まれ、どのように生きていくべきか、ものごとの本質へ、本源へ…と心を向かわせるものを見ると、やる気が出ます。

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12/22(木) …たとえそういうことができなくても、クーサラ系の何かに感動して善心所モードになれば、やる気は出る。
 タイプによっては、自分が死んでいくことの確実性を考えてみるのもよい。
欲望と怒りに汚染された心のまま死んで、来世のドゥッカ(苦)に繋いでしまって よいのか…。
 もし48時間後に突然死がやって来るとしたら、今、何をすべきか…。

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12/21(水) ちゃ んと感じているかな…と耳を澄ましてみる。いつも同じラベリングで処理する安易な気持ちに流れていないかな…。掛け声のように、ラベリングに合わせて歩行 していないかな…等々、技術的に点検して大丈夫なら、やる気が沮喪していないか、煩悩があるのに無いふりをしていないか、ダンマに対する信(サッダー)は どうかな、とチェックしてみる。疑はないが、感動も新鮮さもなくなり、マンネリ化していないか…。
 そうであるならば、文字や音や映像でダンマ系の情報の仕込みをする。再読や再聴でもよい。優れた法友がいるならば、コミュニケーションを取るのが一番よい。

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12/20(火) 誰でも、いつの間にか四角い部屋を丸く掃くようになりがちです。
だんだん考えごとが多くなり、瞑想がつまらないな…という印象になってきたら、もう一度基本レッスンをおさらいしましょう。
 ノコギリなどの道具類も、時々ヤスリで目立てをやらないと切れ味が悪くなってしまうものです。

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12/19(月) イイとこ取りの美点のみを編集して羨望を募らせ、欠点や不快要素ばかりをかき集めて嫌悪に駆られているのであれば、逆に、正反対のカードを意図的に集めてみる。
 憧れているものが実現したときのマイナス要素のみを列挙し、嫌っているものや人の良い点だけを書き出してみる。
 思考はワンパターンのループを堂々巡りするのが常であるから、必ず紙に書き出すようにする。

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12/18(日) 飢えと殺戮の恐怖に怯えながら、カゴの中の安全と飽食を妄想する鳥がいるとすれば、生きる気力を奪われ、腐った眼で野生の自由を夢見る鳥もいるだろう。
 真っ赤なポインセチアの並ぶレストランで語り合っているカップルを羨望する者もいるし、腐れ縁に縛られて人生が固まっていく焦りのなかで食事をする者もいる。
妄想する心のシステムを自覚しない限り、ありのままを受容するのは難しい…。

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12/17(土) 自分に甘い人は精進を心がけ、自分に厳し過ぎる人は手綱のゆるめ方を念頭に置く。
 個人の資質が千差万別なのだから、説かれる法も、修行目標も違ってくるのが当たり前です。
 厳密にサティを入れながら、流動的に変化していく自己を客観的に把握する…。

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12/16(金) 今、自分の前に登場してきた人、今、眼前に現れてきたその事象に、全力で取り組むことが最善手なのです。
 宿業をことごとく受け容れ、必然の流れに従い切って、解くべき因縁を解きながら、業の滅尽状態を目指す…。

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12/15(木) 他者の中に自分の姿を視る訓練ができれば、自他の分別にこだわるエゴ感覚が弱まっていくだろう。
 他人を受け容れることと、自分を受け容れることが次第に同じになり、優劣も、美醜も、嫌な面も好い面も、ありのままに視ることができるようになってくる…。
 すべてを静かに達観する眼差しで視られるようになってきたならば、万感を込めて慈悲の瞑想を発信する。

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12/14(水)
 因縁がなければ、出会うことはなかったのだ。
 善き人につけ、悪しき人につけ、今、出会う人は、過去の自分の心を映す鏡でもある…。

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12/13(火) 人の全体を丸ごと認識することはできない。 
 こちらのエゴが、一つの側面や属性を選び出して反応し、評価している。
 優しい、狡い、潔い、つまらない…と見える相手は、そのように捉えてしまうこちらの心のプログラムを映し出す鏡だということです。

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12/12(月) 今、眼の前にいる人が、自分自身の姿なのだ…。
 優しい人、怒る人、心の広い人、狡い人、高慢な人、荒々しい人、潔い人、つまらない人、我の強い人、謙虚な人、愚かな人…。
 どのように眺め、どう捉えてもよいが、それが自分自身なのだと心得る。

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12/11(日) <忍耐・堪忍は最上の苦行である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は<道の人>ではない。>【真理のことば「(ダンマパダ)14-184」岩波文庫】

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12/10(土) どうしても不善心がうごめいてしまうなら、逆転の発想で、苦を与えてくる相手に感謝を捧げ、慈悲の瞑想をする。
苦受を感じる一瞬一瞬は、過去に作った自分の不善業が消えていく一瞬一瞬なのだ。
 となれば、自分のカルマを悪くしながら、こちらの悪業を清算してくれている状態ではないか。
 損な役割をになってくれている相手に「ご苦労さま。ありがとう」と呟いて、忍耐の行を続ける。

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12/9(金) 因縁が読み解けて、苦を受ける意味が諒解されても、終らないものは終らない。
 そういうことも、人生には、よくある。
 それだけの業のエネルギーを、過去のどこかで自分が放出してきたのだから仕方がないではないか。
 そういう流れであるならば、「忍耐の修行」と心得て、いささかも心を汚すことなく耐え忍んでいく…。

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12/8(木) なぜこのような苦を受けねばならないのだろう…。
 受け容れられずに反撥し、嫌がっている間は、不思議に膠着状態が続いていく。
 なにかの折にふと閃いて、その意味がはっきり解り、納得がいくと、待っていたように事態が終焉していく…。
 業が尽きたので、執着する心が手放せるのか。
 執着する心が手放せたときに、その業が終るのか…。

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12/7(水) すべてが正しく見通せたなら、迷うことなく正しい反応をすることができる。
 分かっちゃいるけど止められない…という言い草には、エゴを対象化する仕事に甘さがある。

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12/6(火) エゴが夢中になってのめり込んでいる感覚にハッと気づいて、その瞬間の状態を客観視するのです。
 すべての智慧は、ここから始まる…。

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12/5(月) もしシッダールタ王子と同じ境遇で同じ経験をすれば、「欲望は楽しみの少ないものであり、苦しみが多く、悩み多く、そこには禍いが甚しい」(小苦蘊経)と、王子と同じ結論を見出せるのだろうか。
 経験の意味を構造的に理解する智慧がなければ、どのような経験もただエネルギーが消費されていくプロセスに過ぎなくなる。

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12/4(日)
 ドゥッカ(苦)から救い出されても、必ずまた嫌なことに巻き込まれてしまうだろう。
 真の救済とは、心が正しい方向に変わっていくことだ。

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12/3(土) 本物を経験しているのに何も分からない、宝の持ちぐされ状態もあれば、わずかな断片からその本質と全貌を正しく浮かび上がらせる者もいる…。

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12/2(金) ものごとの本質を抽象化して見る能力があれば、誰でも、今、自分に与えられている条件の中で、見るべきほどのものを視ることができる…。

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12/1(木) ストレスからヤケ食いをし、体に悪い結果しかもたらさない快楽の貪り方をしてしまう。
 体調が崩れれば、心はますます暗澹たる状態に落ち込んでいく。
 そうした悪循環の流れを自覚し、水門を調節するように、理性の力でベクトルを転換させない限り、最悪に向かってエスカレートしていく…。
 切り換えは、早ければ早いほどよい。

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11/30(水) 体調次第で、心の状態は一変します。
 断食をやるたびに、体の透明感がどれほど心を清々しいものにするかが痛感されます。
 過激な断食がやれなくても、悪いものを体に入れないように心がけ、常に食事の量とバランス、睡眠の質と時間に留意して万全を期すことが、瞑想修行の一環となります。

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11/29(火) いつの間にか巻き込まれているものには、気づけないのが当たりまえです。
 定期点検や定期健診のように、なんらかの形でサティを制度化して、習慣化することが、気づけないものに気づく秘訣です。

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11/28(月) まだ愛する家族を喪った経験のない人には、家族に死なれた人の悲しみや喪失感を理解することはできないのでしょうか。
 アナロジー(類推)を使えば、限りなく近いものを推し量ることができます。
 例えば、最愛のペットが死んだ時に自分の心の中に展開していったもの…。あるいは、親友が突然バイクで事故死したと知った瞬間の反応…。
 日頃から、自分自身の経験の意味を、緻密に捉える心がけがあれば、「共感力」が深められるでしょう。 

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11/27(日) 「(手を)伸ばした」→「つかんだ」→「持ち上げた」→「引いた」…とサティを入れて、自分の行為を客観視する。
 「ワクワクしている」「焦っている」「のめり込んでいる」「イライラしている」「落ち込んでいる」…とラベリングして、一瞬一瞬の心の状態を明確に認識していく。
 サティという「第三者の眼」で自分自身を客観的に捉えていくことが、人の心を理解し、共感し合うことにつながっていくのです。

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11/26(土) 人の気持ちを理解し、共感し合うためには、まず、自分自身の経験の意味を正しく知らなければならない。
 結局、自分の経験を通してしか、人の心は知り得ないからです。

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11/25(金) 幼少期に刷り込まれた性格傾向を変更するのは至難の業だが、遠大な計画の下に粘り強く清浄道を歩んでいけば、必ず変わっていくことができる。
 まっすぐにそそり立つ一本の千年杉のように、ダンマに基づく信条が、体の芯を貫く拠りどころになって支えてくれるならば、人は浄らかな方向に向かって限りなく変身していくことができる。
 諦めてはいけない。
 「信(サッダー)」が定まれば、精神のエネルギーも物質的なエネルギーも、その方向に向かって展開し始めていく…。

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11/24(木) ハラワタが煮えくり返るほど憎んでいる人であっても、もし確かな筋から、あと3ヶ月、長くても来年の夏までの命です、と告げられたら、どうでしょうか…。
 それでも復讐しなければおさまらない、と憎悪し続けますか。
 死ぬんだ…と思えば、すべてが赦せるではないか。
 執着の手を、放す…。

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11/23(水) そんな気には到底なれないのなら、心が本当に納得することを一所懸命にやっていくことです。
 因縁の流れに従って、一瞬一瞬の事柄に全力で取り組んでいけば、見るべきものを見、学ぶべきものを自ずから学んでいくことになるでしょう。
 やがて完熟状態になれば、自然に枝から離れて落下する…。

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11/22(火) 悪を避け、善をなしながら、徳を積んでいけば、法則どおり幸福になれるのは、間違いない。
 幸福にはなれるが、すべては一時的であり、変滅し、壊滅していく「無常のドゥッカ(苦)」はいかんともし難い…ということです。
 「無常の苦」が真底から身に沁みた者は、果てしなく無意味に繰り返していく生存のゲーム、輪廻から脱け出すことを考え始めるのではないだろうか…と。

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11/21(月) 無色界に行けば行ったで、瞑想中にハマった妄想から脱け出すのに、ひどくドゥッカ(苦)を感じるらしいですよ。
 体がなければ、歩く瞑想もできないし…。
 三界(欲界・色界・無色界)のどこに行っても、大変らしい。

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11/20(日) いや、そうではないよ。
 思い通りにならない身体を抱え、老いさらばえていく淋しさや、不安に怯えながら死んでいく苦しみが、肝心なのだ。
 いかんともし難い「現象の世界のドゥッカ(苦)」を痛感するが故に、輪廻からの解脱を、心底から希求するのではないか。
 ドゥッカ(苦)がなければ、解脱もない…。

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11/19(土) 毎日、食物を得るために必死で働き、スーパーへ買物に行き、光熱費を消費しながら調理し、食べ、歯を磨き、皿を洗い、満腹後の眠気に襲われ、排泄をする…。
 人は食べるために生きているのだ…と、断食をしながら痛感する。
 体がなければ、食べるための生存競争も、繁殖の相手を求めてバトルを繰り 広げることも、傷心も嫉妬も、なくなるではないか。
 体のない、意識だけの領域(無色界)に再生したくなりませんか?

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11/18(金) 貪り求めて愛執に囚われてしまえば、未練を切るのに、嫌悪や怒りのエネルギーを使わなくてはならなくなる…。

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11/17(木) 魚や爬虫類たちは、快美なものに耽溺して身を滅ぼすことがない。際限なく貪ろうと妄想する脳がないのだ。本能の指令によって自動的にストップがかかり、必要十分の矩(のり)を越えることがない。
 「もうよい」と言えない人類は、一瞬一瞬の快感系情報に咎を見て、ドゥッカ(苦)へいざなう甘い罠を回避しなければならない。
 脳の進化によって、妄想に起因するドゥッカ(苦)がもたらされたが、苦を乗り超える理性も与えてくれた。

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11/16(水) 濃い味付けのものを貪ればやがて喉の渇きに苦しむが、うす味のものを控えめに摂取しておけば、透明に清み切った意識の静まりが得られるでしょう。
 食事を控えることには、本能的な物足りなさや侘しさが伴うものだが、一時の満足感を得ようと過食して体が濁れば、瞑想はできなくなります。
もっと食べたい…と思った瞬間、数時間後の心身の状態を予測してみる…。

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11/15(火) 善行によって徳のポイントを増やす発想ではなく、エゴを滅ぼしていく修行として、悲(カルナー)の心を養っていく…。

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11/14(月) 「憐れまれた」と感じた瞬間、人は、優しさや善意を素直に受け取ることよりも、「劣等な存在として、見下された」と怒りを覚えるものです。
 相手のプライドを傷つけ、怒りの煩悩にまみれさせただけに終るならば、善行とは言えなくなるでしょう。

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11/13(日) 困っている人、苦しんでいる人を助けてあげるときには、傲慢さが微塵も入らないように、へりくだった丁寧な態度で腰を低くしなければならない…。

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11/12(土) 愚痴を聞かされていると思えば不快になるだろうが、苦しい情況に共感し、共認してあげることが救いになるのだ、と自覚して話を聞いてあげましょう。
 悲(カルナー)の心に昇華することを目指して…。 

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11/11(金) …それにつけても、人には、善いことをしておくものです。

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11/10(木) そのサティも入らないようであれば、信頼できる人にありのままに話してみましょう。
共感・共認が得られただけでも、人の心には安心感がもたらされます。
 安心したプラス思考の発想になれば、解決策が見つかる可能性が高まります。

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11/9(水) ささいなトラブルやストレス、あるいはちょっと体調が悪いだけでも、人は、厖大なマイナス思考を無意識に始めてしまうものです。
漠然とした不安感やイライラ程度なら気づけるはずなので、「不安感」「心配」「イライラしている」とサティを入れて、転がり始めているネガティブ妄想を停止させましょう。
 現状を対象化することができただけでも、原因の究明や問題解決の糸口になるものです。

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11/8(火) たとえ動機が不純であっても、善行をした方がよい。
 劣善ではあっても、悪い事をしているわけではない
 だんだん浄らかな勝善ができるようになればよい。

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11/7(月) 喉もと過ぎれば熱さを忘れるのだから、心に沁み入るように、経験の意味を理解に叩き込む。

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11/6(日) フッ切れてしまえば、なぜあんなものに囚われていたのだろう…と訝ることばかりではないか?

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11/5(土) 充分考察し、検討したのなら、後は、思い切って、捨てる他ないでしょう。

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11/4(金) 嫌悪という怒り系の心は、対象に強く関わって囚われている心です。
 つかまっているのだから、終るべきものも終らないということです。 
 嫌わず、求めず、淡々と見守っていれば、ものごとは勝手に現れて、勝手に消えていきます…。

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11/3(木) 「もうこれ以上、私を悩ませないでください」と祈っても、そんな風に嫌う心がある限り、膠着状態は終らないだろううね。
 「悩みを与えてくれて、ありがとう。私が苦受を感じるたび毎に、このような目に遭う原因となっている不善業のエネルギーが消えていく…。悪業を消してくれて、ありがとう、お疲れさまです」
 と心から感謝をすると、終息するのが早まるかもしれない。

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11/2(水) 取りあえずサティを入れて、今の状態を客観的に把握しておきましょう。
 次に、何を、どのように、するのであっても、これが最善手を打つ基本の構えです。

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11/1(火) 腹の中で思っていても、戒を破ったことにはならないが、カルマにはなる。

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10/31(月) 現状をありのままに承認する。
 どのような状態も、無常に変滅するものであると知る。
 悪しき心の状態は、悪しき未来を招くであろうと確認する。
 諸悪莫作・衆善奉行の公式に基づいて、今自分にできること、やるべきこと、に力を尽くす…。

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10/30(日) 今の状態をありのままに認めれば、何故かくの如くであるかが見えてくる。
 無限の過去から出力してきた心のエネルギーが、今の自分を形成してきたのだということ。
 それ故に、どのようにでも、今の自分を、望む方向に変えていくことができるのです。

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10/29(土) ダメな自分、汚れている自分、愚かなことばかりしている自分…をそのまま一旦認めるのです。
 事実なのだから、仕方がないではないか…。

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10/28(金) ありのままを受け容れるためには、「かくあるべし…」と理想を振りかざして自分を強迫するのを止めなければならない…。
 理想と現実のギャップは埋められていくものだが、一挙にではない。 

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10/27(木) 自分を好きになるためには、ありのままの自分を受け容れなければならない…。

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10/26(水) それでも、なんの善行もできずに、暗く、不安になっていくなら、…部屋の掃除をしましょう。
 現状の把握も、将来の見通しも、価値判断の基軸も、本当にやりたいことも…、すべてが混乱しているので、どうしようもなく不安になっていくのです。
 まず家の中を、次に家の周囲を、できれば近隣や通学通勤の途上でも、きれいにするのです。
 環境を整えると、心の中も整理されてきます…。

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10/25(火) 徳のない人には徳が積めない法則ですから、最初はだれも苦労するものです。
 どんな些細なことでもかまいません。
 自分の利益のためではなく、人のために、世の中のために、ちょっとでも良いことができればクーサラ(善行)なのです。

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10/24(月) 前向きの発想が維持し切れなくなり、不安にメゲそうになったら、クーサラ(善行)を実行する…。 
 善行そのものが善いカルマを発生させるし、プラスの心に変えてくれるからです。

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10/23(日) 『ああ、ダメなんだ…』と諦めた瞬間に、グラリと暗転する…。
 明るい心で、善心所モードを維持していけば、必ず善いカルマが花開いてくるのに、その可能性を自ら断ち切って、本当にダメになっていく…。

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10/22(土) 必ず良くなっていく…と思い続ければ、いつの日か必ずそうなります。
 前向きの明るい心がカルマを作っていくので、やがて事象に影響を及ぼしていくからです。

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10/21(金) 今世で作ったカルマが今世で結実化する「現法受業」も頻繁に現れている。
 この1週間、あるいはこの1ヶ月の心の状態はいかがでしたか。
 不満、怒り、高慢、冷淡、意地悪、狡猾、貪り…など不善心所系の心が多ければ、あまり良いことは起きてはいなかった筈です。
 正しい言動、優しい心、善なる心、謙虚に反省する心、浄らかな心…が安定していれば、人間関係も、現象の流れも、良いことが多かったのではないでしょうか。

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10/20(木) すべてのものに無差別平等に気づくウペッカの心を成長させながら、集中の極みであるサマーディを完成させていく。
 一所懸命、淡々と、主客が合一するほど集中した状態を一刹那一刹那の現在の瞬間に分断しながら、事象の本質を洞察する智慧の力で、この世の一切の事柄から離欲し、解脱していく瞑想…。
 相対立する諸々の要素を統合し、完璧にバランスの取れた心を体現していく道…。

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10/19(水) 拮抗し合い、矛盾し合う諸々の要素を統合していくのが、ヴィパッサナー瞑想です。 
 瞑想する一瞬一瞬の心と、人生の全体を生きていく心の構造が響き合い、通底する…。

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10/18(火) 与えられたものをことごとく受け取っていくのだが、心身の状態と情況の流れ、時節と緩急の自在をよく心得て、臨機応変に対処する…。 
 しょせん自分の蒔いた種なのだから、解けない因縁というものはない…。

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10/17(月) 体調も優れず、気力も減退し、諸々の事柄が不協和音を奏でて、くたびれ果ててしまうこともある。…全力を揮って頑張ればなんとかできる困難な仕事に、取り組むべきタイミングではない。
 そんな時は無理をせず、悪びれずに身を退いて、捲土重来、鋭気を養ってから再挑戦する。
 …逃げてもよいのだということ。

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10/16(日) 心境が本当に変われば、人の流れも、取り巻く情況も、自ずから変化してくるだろう。
 本心や素の部分から発している波動に響き合ったものが、眼前に現れてくる…。
 自分の置かれている環境は自分の心が作り出したのだから、ことごとく引き受けていかなければならない…。

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10/15(土) 下らないトラブルや俗事を通さないと、ダンマが心に沁み入ってこないのです。
 与えられた環境や情況をありがたく押しいただき、そこが最良の修行場と心得る。
 寺には寺の修行があり、在家には在家の修行がある…。

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10/14(金) 何かを選び、何かを捨てていくのが人生です。
 被災地に義捐金を送ってくださいという申し出を断るのかOKするのか。動物を殺して嘘の報告をしてもらいたいという要請を拒絶するのか受け容れるのか。
 すべてを受け容れる覚悟を定めても、やはり取捨選択をしなければならない。
 「悪を避け、善をなす」仏教の判断基軸に従い切って、受動性に徹する…。

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10/13(木) 現象がどのような意味を持ち、どんなプラスやマイナスの価値を生み出すのかは、その時その場では判断し切れないではないか。
 目先の苦楽に捉われて、のめり込み、振り回されるのは愚かしい。
 淡々とサティを入れ、明晰な無関心(ウペッカ)の心で、正確に見届けることに徹すると、正しい道が自ずから浮かび上がってくる…。

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10/12(水) 受動性に徹し切って、与えられたものをことごとく受け取っていく覚悟が定まると、思い煩い、悩み苦しむことが激減する。
 何ごとも、それで好しとする発想…。
 積極的に何ひとつ選ばなくても、遥かな過去世からの宿業の力に催されて、人生は展開していく…。

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10/11(火) エゴに苦しんでいる私たちが、完璧な慈悲の瞑想を発振することは、至難の業と言ってよいでしょう。
 エゴが弱まったり強くなったり、何度も日内変動するでしょうが、たとえ不完全な慈悲の瞑想であっても、慈悲の上書きを繰り返しながら心を変えていくのです。
 私よ、幸せであれ…。生きとし生ける者が幸せでありますように…。

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10/10(月) たった一度でも優しくしてくれた友、先輩、親類、先生、知人、近所の人、お店の人、行きずりの人、かりそめの人達はいなかったのか、思い出してみる。
 愛された瞬間、優しくされた瞬間、お世話になった事実だけを拾い集めて、心にスクラップしていく。
 喧嘩をし、破局が訪れ、全体としては嫌な、思い出したくない記憶に分類されていても、愛を受けた記憶、優しさを感じた思い出だけに特化して、絞り込みの検索をかけてみる…。

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10/9(日) 私は誰にも優しくしてもらえなかった。辛い苦しい人生の連続でしかなかった…。
 そんなことを言う人がよくいるが、間違っています。
 誰かが愛してくれたから、今、生きていられるのです。身近に愛してくれる人が本当にいなかったら、赤ちゃんは一日たりとも生きていられないでしょう。
 数々の悲しい記憶があり、不満と憤りを覚えるのも無理からぬ消息があっただろうが、それでもやはり誰かが自分を愛してくれていた事実を拾い直していかなければならない…。

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10/8(土) 一度も母親からお弁当を作ってもらえなかった女性が、自分の子供のために弁当を作ろうとすると、嫉妬と怒りが抑えられなくなるのだという。
 愛さなければならない我が子に対して、『あなたも、私がされたのと同じ目に遭え!』と心が叫びたがっている…と。
 虐待される者もいれば、優しく愛されて育つ者もいる…。
 人は過去世のカルマに押し流されるように、自分に最もふさわしい親を選んで生まれてくる…。

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10/7(金) 男女6人の子を育てたその女性は、明るくて本当に優しい人だった。いつお会いしても可愛がってくれ、側に寄っただけで、あたたかい波動に包み込まれるような感じがした。
 成人した6人の子供さん全員に一人ずつ訊ねてみると、幼い頃も長じてからも母親に怒られたことはただの一度もなかった、という。そんな子育てがあり得るのか…と心底驚いた。6人ともそろって母親譲りの、無類の人の良さであった。
 命の灯が間もなく消えようとする病室に、その女性を見舞った。
 落涙を禁じ得なかった…。

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10/6(木) 仏教は、自分の悟りのために、卑しい劣った者を斬り捨ててしまえ、という教えではない。
 「まず自分の身を正しくせよ。次いで他人に教えよ」という順番を間違えてはならない、ということです。
 煩悩の泥沼に浮き沈みしている凡夫が、同じ泥沼に堕ちてもがき苦しんでいる他人を救うことはできないではないか、というのです。
 人を救い、人に対して真の慈悲の瞑想を発したいのであれば、まず、自分自身が浄らかになり、真実に幸せにならなければならない…。 

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10/5(水) <劣った卑しい者になじむ人は堕落してしまう。しかし等しい者につき合う人は実に堕落することはないであろう。すぐれた者に近づく人はすぐれた状態に達する。それ故にこの世では自分よりもすぐれた人とつき合え。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)25-5」岩波文庫】

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10/4(火) <どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)24-11」岩波文庫】

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10/3(月) 同じことを考え、同じ価値観を持ち、同じ行動パターンの人たちは…、やがて「同じ顔」になる。
 雰囲気も表情もにおいも、全体から発せられている波動も…、いつのまにかそっくり似てくるのだ。
 どのような集団も、その群れの暗黙の総意として、同じ波動になることを要求しているかのようだ。 
 朱に交われば、赤くなる…。

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10/2(日) 本気モードで自分の心が変われば、鏡に映したように相手も変わるものだと、多くの人が経験則で知っている。 
 自分の気に入るように直してやろう…という心がそのまま伝染するので、ダメなのだろうね。

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10/1(土) 心が浄らかに成長し、変わっていくのがヴィパッサナー瞑想です。
 しかし、人の性格を直してやろうという試みは必ず失敗します。
 それは無理と考え、自分の心を直す努力に専念する…。

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9/30(金) 氷雨、村雨、小糠雨…、大雨、霧雨、桜雨…、しとしと降る雨、恵みの雨、遣らずの雨に集中豪雨、狐の嫁入り…。
 集中豪雨となれば、その始めから怒涛のような全力投球でのめり込み、エネルギーを乱舞させ、一気に降るだけ降りしきると、忽然とどこかに消え去ってしまう…。

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9/29(木) 仏教の知識などが増えれば増えるほど、心まで立派になったような錯覚に陥りやすい。
 怒りは煩悩であり善くない、という知識があっても、怒りが制御できるわけではない。
 クセになった反応系の心を正すのは、訓練の仕事…。

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9/28(水) 痛い思いをした度合いに比例して、二度と同じあやまちを繰り返さない決意が揺るぎなくなるものです。
 代価を支払って、学びを得たのだという発想…。

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9/27(火) 過ぎ去ったものに存分に涙を流したなら、感謝し、納得をして、未来に眼を向けていく…。

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9/26(月) 長く続いても、存在は必ず壊れていく。 
 そのかけがえのなさをかたじけなく思って、誠をつくす…。

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9/25(日) 突然、終りがやってくるものだ。
 もう二度とは繰り返せないだろうと心を引きしめ、日々、一回一回本気で取り組んでいく…。

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9/24(土) 後悔など過ぎ去ったことに心が粘り付いてしまうならば、一時停止をかけるよりも、情念の解放を心がける方がよい。
 何度も悔いて怒りのエネルギーを蒸し返すのではなく、涙ながらに懺悔して二度と同じあやまちを繰り返さない決意をする。
 心の中で土下座をし、気がすむまで謝ること、相手の幸いを祈ること、これからは正しく生きていくと未来に眼を向けること…。

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9/23(金) 紙の上や画面上に書き出し、文章化するだけで、心は整理されていく。
 堂々巡りの混乱状態を、早急に鎮めなければならない。
 混乱した無明の状態があらゆる煩悩の共通因子であり、諸悪の根源…。

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9/22(木) 「他にも、何かありませんか?」
 「抱えている問題点や気になっていることを思いつくまま、何も考えず矢継ぎ早に列挙していく。
 出揃ったら、その右側に解答を書いてみる。
 答えが分からなければ、問題が解決された後の、望みのイメージをノートする…。
 それもできなければ、問題点の列挙だけでもよい」

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9/21(水) 心に煩いがあれば、瞑想に専念できない。
 その時は、いったんサティのモードを離れて心の整理をすることが、瞑想の一部なのだと考える。
 手短に問題を考察し、『ひとまずこう考えておこう…』と心を納得させるのもよい。
 子供がうるさくまつわりついてきた時と同じように、後でちゃんと相手してあげるから、今はおとなしくしてて…と心に言うのもよい。

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9/20(火) 一片の思考も差し挟まれることのない純粋観察の心が、無我の構造を直観する一瞬…。

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9/19(月) 無我論の哲学に賛同し知的に納得すれば、エゴ的反応がなくなるのだろうか。
 思索や考察は、なすべき訓練の方向を見定めるのに不可欠のものだが、心の反応パターンそのものを組み替える作業にはなり得ない。
 分かっちゃいるけど、止められない…。

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9/18(日) 「我がことにあらず」と思えば、対岸の火事を見るがごときの高見の見物だが、「この私…」と思った瞬間、高慢が出、妬む心や物惜しみが出、嫌悪が焦りが絶望感が出る…。

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9/17(土) 暑がる私…、嫌がる私…、冷え切った体が私…、悲しい私…、酒池肉林の私…、摂生する私…、見ている聞いている嗅いでいる味わっている感じている私…、想い出す私…、連想する私…、考える私…。
 なぜ、知覚対象と意識が接触しただけのことに「私」という妄想を付け加えてしまうのか…。

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9/16(金) ムッとする炎天下の路面の照り返しにイライラし、氷雨降る冬の家路をたどりながら悲しみが過ぎる…。
 酒を飲み肉を過食した体から送られてくる印象と、精進潔斎しながら控えめに摂取した食後の体感。
 六門に触れてくる苦楽の受と、美醜の印象…。
 …今この一瞬に生まれてくる心は、私たちを取り巻く物理的環境と、食べた物と、眼耳鼻舌身からの知覚情報と、稲妻のように飛び交う連想と、思考の流れの総和に過ぎないということ…。

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9/15(木) 熱心な瞑想者が、家族から反対されたり、批判・冷笑・黙殺・無視…等々、ネガティブに遇されていることも少なくありません。
 一緒に瞑想するには到らなくても、賛同し見守ってもらえるだけでもありがたいことです。
 邪魔されるのにも助けられるのにも原因があり、否定する者は否定され、受け容れる者は受け容れられる…。

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9/14(水) ヴィパッサナー瞑想は、心を根本から変えていく清浄道のシステムだが、五戒を受け容れるだけでも、心は一変する。
 「殺さない」「盗まない」「不倫をしない」「嘘をつかない」「酩酊しない」
 試してみてください。

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9/13(火) 「眠気」とラベリングを連発しても、一向に昏沈睡眠が治まらなかったのだが、ふと「ただ眠いだけ」というラベリングが出た。すると、たちまち執拗な眠気が雲散霧消していった、という。
 「眠気」と格闘していたエゴの立場から、「今ここにあるのは、ただの眠気という状態」と客観視する、視座の転換が起きたのだ。
 とても良いサティです。(関西瞑想会にて)

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9/12(月) 苦がどれほど辛いことであるかを熟知し、悲しみを痛切に体験してきたが故に、他人の悲しみや苦しみに敏感に反応し、無くしてあげたいと願う「悲(カルナー)」。

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9/11(日) たとえどれほど愛されてこようとも、足るを知らない欲深な者は、愛されることを貪り続ける…。

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9/10(土) 存分に愛されてきた者は、反射的に優しさの手を差しのべる…。

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9/9(金) やられたらヤリ返し、自分の味わった辛さ苦しさを、人にも味わわせてやりたいという発想。
 虐待の連鎖、悪業のババ抜き…。

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9/8(木) 煩悩の執着は手放せても、「最高の教え」などに対する執着は手放しがたい。
 その執着の手を放した瞬間、体験するのに必要なものが出揃う…。

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9/7(水) 思考プロセスを離れ、事象の本質を淡々と洞察していく。
 …真実を目の当たりにして確立された「信(サッダー:saddha^)」が、盲信や狂信に堕することはあり得ない。

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9/6(火) 「信じている」者は語りたがるが、「知っている」者は平然としている…。

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9/5(月) 怒りの反撃をしても当然…の情況で、一瞬、自分にもミスがあったのだから仕方がないか…という思いが走った。
 すると不思議なことにまったく怒りの反応が起ち上がらなかった。
 ガミガミ言われ続けているのに、心はシーンと落ち着いていて清々しかったのだ。
 煩悩を離れた心の状態がどれほど爽やかなことであるか…印象深い出来事であったとレポートされた方がおります。

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9/4(日) テー ラワーダの国々の僧院では、多くの外国人が比丘となって、修行に励んでいる。瞑想の指導はもちろん、戒律や経典など法の伝授も秘密にされるものは何もな い。雨安居の3ヵ月が過ぎれば還俗して去っていくのに、在家の人々から生活万般において実に手厚い供養が捧げられている。
 本場の仏教大学に留学し、衣食住が完備したキャンパスで、教授や助教授たちと一緒に暮らしながら、実践指導付きのダンマの学習がすべて無料で与えられている状態ではないか。
 なんという寛大さなのだろう…。

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9/3(土) 親子や夫婦、兄弟姉妹だからこそ、親友のような関係になれると素晴らしい。

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9/2(金) 同じ力量の者が同じように努力しているのに、なぜ、ある人は成功し、またある人は間の悪い展開となって破局するのだろうか。
 その消息は人知の及び得ない「不可思議」だが、最後にたどり着くのは、善行を積み重ねてきた徳の力の開きではないか…という経験則。
 衆善奉行…。

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9/1(木) 「晴れ晴れとした気分に満たされていた。
 これからは、清らかに生きていく…。喜びが全身から湧き出してきて、身も心も軽い。ひとつの仕事が終ったなぁ、解放されたなぁ、という実感がある。 
 心に何のやましい点もなく、堂々と生きることができる。これからは、しっかり戒を守って生きていく。預流果に向かって歩んでいく。そういう決意が生じた…」
 無意識の闇の奥深くに沈められた抑圧やトラウマから完全に解放されたと感じた方が、記念すべき合宿が終ったときに記した所感です。

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8/31(水) すべては必然の力で展開していたことばかりであった…と、事の因果を完全に諒解し納得がいけば、心底から腑に落ちていくものがあるだろう。
 苦しんできた自分を認め、元凶は己の無明にあったことを正しく知り、心おきなく涙を流して、情念に淀むものまでもが解放されるならば、終焉の印象がさらに深まっていく…。

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8/30(火) 悲惨な出来事が起きてしまい、受け容れがたい不幸と認識したが故に、抑圧のメカニズムが働き、圧し殺されてきた。
 その代償として、愛を、富を、社会的地位を、名声を、幸福を、悟りを…激しく希求するのも心の法則通りだが、それですべてが終るのだろうか…。
 「不幸」そのものの完全な受容こそが最終解決であり、それを可能にする智慧のための瞑想…。

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8/29(月) いつ、いかなる瞬間にも、諸悪莫作・衆善奉行の方向を選ぶ仏教徒としての覚悟…。

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8/28(日) たとえいかなる理不尽な苦受の出来事であっても、それに対して善心所のエネルギーを出力しない限り、未来の楽受や幸福は望めないだろうという実状の承認。

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8/27(土) 加害者だった者が今度は被害者となって苦受を受けるように、自分が蒔いた種を自分が刈り取りながら輪廻する法則。

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8/26(金) エゴの世界の奥底から浮上してきた人生のひとコマひとコマに対する、仏教の真理に基づく非エゴ的視点からの再配置…。

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8/25(木) 過去の記憶が再現されれば、その時の淋しさや怒りや恐怖の情動がセットで甦るだろう。
 その事件が「淋しさ」「怒り」「恐怖」と認識された背景には、自己中心的な誤解と錯覚だらけの思い込みが働いていなかっただろうか。
 間違ったオーダーに配列されて記憶されていた出来事は、今、正しいオーダーに配列し直されなければならない…。

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8/24(水) 隠されていた事実が知られただけでは終らない仕事もある。 
 無風状態の日に舞い上がったホコリのように、そのまま元の位置に舞い降りたのでは、心はなにも変わらないだろう。
 怒りの記憶が再び怒りのフォルダーに戻され、甦ったトラウマがそっくり元の鞘に収められる。
 浮かび上がった愛情飢餓の原風景が同じ印象、同じ意味づけのまま闇の中に消えていくのであれば、元の木阿弥に過ぎない…。

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8/23(火) ひとたび真実の状態が知られれば、もはや隠蔽するエネルギーは不要となる。
 その瞬間、蓋を押さえ続けてきた仕事は消滅する…。

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8/22(月) 事実をありのままに認める潔さがあれば、諸々の問題が一気に瓦解していく…。

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8/21(日) 床下に隠された真実がバレないように、いつでもぎゅうっと蓋を押さえ続けるエネルギーはいかばかりだろう。
 肩が凝る。体が震える。疲れやすい。得体の知れない不安感や自己否定感覚、故なきイラ立ち、悲しみ、怯えの感覚…等々の<症状>がサインを発している…。

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8/20(土) すべてをありのままに知っている本心の口封じをしなければならない。
 トラウマも、劣等感も、罪悪感も、怒りの心も、愛欲の心も、嫉妬の心も、都合の悪いものはすべて、なかったことにして抑圧する、<自我>の防衛システム…。

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8/19(金) エゴは、ありのままの真実の状態を嫌う…。
 大事なのは、自分が思い込んでいる世界と美化された自己像を守ることだ。

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8/18(木) 法として存在するものは壊しようがないが、妄想が作り出した幻は滅していく…。
 夢だったか…、妄執だったか…と、目覚めた瞬間、現実感が雲散霧消する…。

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8/17(水) ナニガナンデモ「この私の命」を守り抜いていこうとする、反射的・盲目的な自己保存の衝動の中に、原初的なエゴ感覚の起源が認められるだろう。
 やがて記憶の脳が搭載されると、個体識別が可能となり、自他を分別する心が生まれた。
 刺戟→情報処理→反応…のプロセスから強力に生まれてくるエゴ妄想 …。

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8/16(火) 電車の座席や菓子パン1個のためにすら殴り合いの喧嘩が起きる。
 脱いでおいた自分のコートを踏まれただけでも烈火のごとく怒るかもしれない。
 「私のもの…」という想いが投影されれば…。

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8/15(月) 「つまり?」
 「つまり、<愛>―<エゴ>=<慈悲>の公式です」

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8/14(日) 「愛と慈悲は何が違うのですか」
 「どちらにも、存在と存在とを融合させる親和的なエネルギーが働いています。しかしエゴ感覚やエゴ意識があれば、心が対象を受け容れ、自他が一つになろ うとする瞬間、2つのエゴがもう一つの別のエゴにまとめられていくだけでしょう。個人のレベルでも集団のレベルでも…」

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8/13(土) 誰かが笑えば誰かが泣かなければならない世界で、エゴの立場から特定の存在を強く愛そうとすれば、必ず問題が発生します。
 「私」と「私の愛するもの」を守ろうとする者同士が、火花を散らしてぶつかり合い、「愛」と「愛」とが激突するのです。家族のため、組織のため、故国のため、信じる教えのために…。

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8/12(金) すべての生命が完璧に苦のない状態で生きることはあり得ない…。
 それでも、絶望的なドゥッカ(苦)の存在のなかで、慈悲の波動を発振していくのが仏教です。

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8/11(木) 「時には慈悲のカプセルに入って蚊を遠ざけ、また時には慈悲の心で血を与えたりもするんですね…」
 「どんな蚊にも必ず血を与えて繁殖を助け、世界中に蚊を増やしてあげた方がよいのでしょうか。蚊が増えれば困る生命も多いでしょう。蚊を積極的に愛するわけでもないし、害虫だと嫌いもしないという立場です。
 殺されるのも飢えて死ぬのも苦しいし、生きることもまた悲しいのです。この世は、他の生命に苦痛を与え、その体を食べながらしか生きられない世界です」

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8/10(水) 「で、額の蚊はどうしたのですか?」
 「そのまま満腹するまで、血を吸って頂きました。
 刺された瞬間に、蚊にお布施をする、と発想の転換ができるのも、慈悲の瞑想の功徳でしょう。
 他人の生き血を強奪しながら、徳を積むことも、カルマを善くすることもできずに生涯を終えていくのです。可哀想な気がしてくるし、熱帯の異国で縁あって出逢い、慈悲の瞑想を捧げた相手なのですから、愛しい感じもしてきます」

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8/9(火) また別の日、やはり座る瞑想の最中に一匹の蚊が飛来してきました。検証したい気持ちもあり、前回同様、慈悲の瞑想に没入しました。すると、またしても蚊が侵入できない状態となり、10数分間ほど続きました。
 ところが今回はやや専念状態が悪く、微妙に集中が破れて、なぜか不快な人物と情景が記憶の底から浮かび上りました。のみならず、微かに嫌悪の情動が動く のを感じた瞬間、待っていたかのように、蚊が猛然と突進してきて、額がチクリと刺され血が吸われ始めたのでした…。

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8/8(月) 昼さがりのタイのクーティ(独居住宅)で、汗をかきながら座る瞑想をしていました。上半身は裸でした。そのときどこからともなく、プーンと一匹の蚊が飛来してきました。
 サティの瞑想に疲れ切っていたので、気分転換にサマタ瞑想をやりたくなり、この蚊に対する慈悲の瞑想に集中しました。万感の想いを込めて慈悲のバイブレーションを強烈に放射したのです。
 すると、ギリギリまで近づいてくるのですが、顔にも肩にも背中にもどうしても止まることができずに、30分間ぐらい虚しく旋回し続けていました。必死で体当たりしてくるのですが、眼に見えないオーラにはじき返されるように、どうしても侵入することができないでいました…。 ツ黴€ ツ黴€

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8/7(日) 「…」
 「何事も同じ波動の心と心が響き合い、同調し合う法則が働いています。
 ゴキブリが頻繁に出没するのであれば、最近貪りの心が強くなかったかどうか、例えば、いつまでもだらしなく食べたりしていなかったか、等々を調べてみてください。
 貪りの心に注意深く気をつけたら、近年ゴキブリがほとんど姿を見せなくなりました。
 蚊に対しては、<攻撃して相手の大事なものを奪い取る>ような波動と響き合うものが、自分の心にもないだろうか…と気をつけるとよいでしょう」

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8/6(土) 「なぜ慈悲の瞑想が、コツになるのでしょうか」
 「個人的な経験則に過ぎませんが、嫌悪の念で接近した場合と比べ、慈悲の瞑想を呟きながら近づくと、とても落ち着いた清々しい心で捕獲の仕事ができるのです。
 …大丈夫、おまえを傷つける気も殺す気もないからね。良い生涯を送って欲しいと願っている。ただ、ここは瞑想者が聖なる修行に専念するところ故、どこか 他所で幸せに暮らしてくれ。…このゴキブリが(or蚊が)幸せでありますように。悩み苦しみがなくなりますように。願うことが…
 こう祈っておくと、そのとき獲りそこねても、次にはたいてい成功します」

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8/5(金) 「そんなにうまくゴキブリに出逢えるものでしょうか」
 「彼らは寝静まった後に活動しますので、消灯後一定時間が経過してから、ちり取りを片手に足音を忍ばせて台所や居間に戻ります。この時、慈悲の瞑想を唱えながら近づくのがポイントです。
 …電気を点けた瞬間が勝負です。一瞬の周辺視で黒い動くものにちり取りを向け、捕獲します。入ったら、横に大きく揺するのではなく、グリップを利かせて 手首を回すように揺すると一箇所に立ち往生の状態になりますから、慌てずに左手で窓を開け、立ち退いて頂きます」

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8/4(木) 「ゴキブリはどうすれば良いのですか」
 「黒っぽい深めのちり取りを使って、やはり壁に追い詰めます。物陰に隠れた場合は、左右どちらかにちり取りを仕掛け、反対側から追い出すと自分から飛び込んでくるでしょう。ゴキブリは本能的に黒っぽい保護色に向かう性質があります。
 ポイントは、ゴキブリが入ったちり取りを左右に小刻みに揺することです。大地震で身動きが取れない状態にしておいて、窓を開け、外に放り投げます」

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8/3(水) 「蚊に刺されるのも嫌だし、殺生戒も守りたいんですけど、どうしたら良いでしょうか」
 「生捕りにして、窓から逃がしてやってください。透明ないし半透明のプラスチックのコップで壁に追い詰め、ハガキを差し込んで捕獲します。慣れてくれば、空中に飛んでいる状態でも獲れるようになります。
 綿棒入れは直径がやや大き過ぎるので、使い捨てのプラスチック・コップの方がよいでしょう。
 …コツは、心の中で慈悲の瞑想をしっかり唱えながら、蚊に対することです」

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8/2(火) <こ の世で善いことをしたならば、安心しておれ。その善いことが、ずっと昔にしたことだとか、遠いところでしたことであっても、安心するがよい。人に知られず にしたことであっても、安心しておれ。それの果報があるのだから、安心しておれ。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)28-31」岩波文庫】

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8/1(月) 人生には、完全に万策が尽き果てて途方に暮れてしまうことがある。
 最後のギリギリの土壇場で光に向かうか闇に向かうかは、個人の意志を超えた情況全体の流れで決まっていくように思われる。
 超越的存在の不可思議な力に救い出されるかのような印象もあれば、魔の力に引き込まれて奈落に堕ちていくかのような印象もある。
 その一切は他律的なものではなく、徳があるか徳がないかの個人責任に帰すと考えて、諸悪莫作・衆善奉行に徹していく…。

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7/31(日) 一切の苦しみは自分の想いが作り出していたことを覚り、苦の原因となる悪しき想念行為を放棄していくプロセスが心の清浄道です。
 心が本当に変わっていくためには、概念がいささかも付着していないピュアな事実を目の当たりにする衝撃が必要なのです。(【月刊サティ!】8月号より)

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7/30(土) ドゥッカ(苦)が身に沁みれば、欲が減る…。
 「無願三昧」という無欲・無執着の方向には、我を忘れるような快楽もないが、失望や絶望や不満足というドゥッカ(苦)もない。
 舞い上がることも、落ち込むこともなく、自然に展開してきたものをことごとく受け容れながら、静かに淡々と生きるのはいかがですか?

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7/29(金) 体で受ける苦受があり、心が傷つく苦受がある。
 どんな状態も変滅してしまう無常という名のドゥッカ(苦)があり、ただ厳然たる因果法則に支配されるしかない存在の仕組みそのもののドゥッカ(苦)がある…。

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7/28(木) 快美な状態を維持しているかに見えるものも、醜悪に映るものは言わずもがな、この世のいかなる事象もドゥッカ(苦)の本質に貫かれているという「一切皆苦」の現状。
 その苦諦の真理がしっかりと視野に収まってくるまでのサティを支えるウペッカの精神…。

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7/27(水) 怒りの心で跳ね除けるのではなく、愛執の昂奮で掴むのでもなく、ただありのままに認知するだけにとどめて、苦も楽も快も不快も、淡々とサティを入れながら見届けていくウペッカ(捨)というスタンス…。

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7/26(火) 嫌う心、否定する心、反撥する心が生起した瞬間、ノルアドレナリンという怒りのホルモンが体じゅうを駆けめぐって、心も体も一気に戦闘モードに入り、緊張する…。

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7/25(月) 受け容れた瞬間、受け容れたものと同化しよう、和合しようとする親和性が働き出す…。

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7/24(日) 事象の壊滅性と言うか、どんな現象も刻々と変滅し、一瞬たりとも同じ状態を止めることができない。
 そうした「無常の真理」が腑に落ちてくると、良い出来事にも悪しき出来事にもあまりこだわらなくなっていく。
 終ってしまえば夢のような「現象世界」に振り回されて一喜一憂するくだらなさ…。

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7/23(土) どんな最悪の事態にも、必ず終りがある。
 思わずネガティブに反応して掴んでしまうものだが、淡々と見送っていけば、原因エネルギーは現象化した瞬間から瓦解していく…。

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7/22(金) 願望も怖れも、縁に触れたとき、無差別に実現してくるだろう…。
 意志(チェータナ)の伴った心のエネルギーが、諸々の事象を未来に生起させていく。

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7/21(木) 人が見ていようがいまいが、超越的存在が関知しようがしまいが、この世の事象は一定の法則に貫かれて生起し変滅している。
 壊すエネルギーは破壊的な結果を招来し、親和的にまとめるエネルギーは和合する結果を招来する。
 偽りにも、誠にも、傲慢にも謙虚にも、混濁したエネルギーにも浄らかなエネルギーにも、その出力の傾向に対応した結果がいつか必ず現じてくる…。

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7/20(水) ダンマを最優先に考え、揺るぎなく戒を守っている人なら、初対面であっても信頼を置くことができるだろう。
 もし誰もが戒を守っているような社会が存在すれば、信頼し合って暮らしていけるのではないだろうか。
 「いや、そんな窮屈な社会はごめんだ」と、煩悩(=本能)さんはひどく嫌がるだろうが…。

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7/19(火) 修学院離宮や詩仙堂にほど近い、京都での短期合宿が終った。
 リトリート中は「イライラしている」「嫌悪感」「眠気」「もうイヤだと思った」などのサティが多かったのだが、打ち上げが終り、記念撮影をして、帰りの電車を待っていると、
 「ああ、これから無法地帯に戻らないといけないのか…」という思いが込み上げてきた。
 すると、実はいい合宿だったのだなあ…、素晴らしい時間と空間を共有しながら瞑想ができて、幸せだったのだなあ…、と感じ入った方がおります。

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7/18(月) どうすればいいんですか?
 囚われているときは、いったん瞑想を忘れて、淡々と善行に励むとよいでしょう。
 瞑想を進ませようと思い詰めるのではなく、瞑想が進むための原因を組み込み、必要条件を整えていくのです。

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7/17(日) よし、それなら、いい瞑想をするために、欲を捨てるし、期待もしないぞ、と意気込むのですか。
 欲の心で欲を捨てようとすれば、ないフリをするだけで必ず抑圧するでしょう。
 そして、本気で欲を捨てれば、今度は、セットでやる気も失い投げやりになる…。

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7/16(土) 偶然入ったお店、予備知識なしにたまたま観た映画、何も知らずに初めて食べて感動したもの…。
 記憶は必ず期待や欲の先入観となり、無心に、淡々と、ありのままに体験した初期条件に上乗せされていく…。
 その欲と渇愛を捨てない限り、同じ体験が起きることはないのです。

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7/15(金) 2回目からは大抵うまくいかなくなります、特に最初に良い体験をした方は。
 …期待する。欲が出る。比べる。
 無意識に過去の体験や印象との比較を始めてしまうので、<淡々とあるがままに観る>のが難しくなってしまうからです。

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7/14(木) 瞑想者のビギナーズラックですか?
 あります。
 本当に未経験の初心者は、言われた通りに淡々と実行するしかないので、サティの基本精神通りの素晴らしい瞑想ができるものです。

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7/13(水) あるがままの法の世界には、幸福も不幸もない。
 ただ生滅変化しながら転変していくエネルギーの流れがあるばかりだ…。

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7/12(火) 苦があるお蔭で、心を成長させることができる。
 苦があるお蔭で、ドゥッカ(苦)を理解し、存在の仕組み全体を理解し、苦から解脱する決意を固め、完全な解脱に導かれていくことができる…。

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7/11(月) 過去世からの因縁や宿業によって、人生の流れはおおむね決まっている。
 たとえ茨の道であっても、堂々と苦を受け容れていく覚悟があれば、必ず良い人生になる…。

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7/10(日) 自分から捨てられなければ、起きた事柄や情況の流れに従い切って、淡々と受け容れていけばよい…。

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7/9(土) 思い切って処分してしまえば、驚くほど多くのものを捨てることができる…。
ツ黴€捨て去った瞬間、執着する心も一緒に手放されたことに気づき、ハッとする…。

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7/8(金) 「人は所有しているものに束縛される…」のであれば、欲望を少なくして、自然な流れで与えられたものに満足しながら、簡素に、悠々と暮らすのはいかがですか…。

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7/7(木) かけがえのない人や失いたくない大事なものを守るためには、命をかけて戦わなければならない。  
 自分のものにした瞬間の喜びと、失う怖れ、守ろうとする執着、いつか訪れる喪失にともなう苦しみ…。

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7/6(水) 獲得するもの、所有するものが多くなればなるほど、幸せの度合いがアップするという幻想…。

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7/5(火) <アーナンダよ、そうではない。そうではない。善き友を持つこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である>【サンユッタ・ニカーヤ1-3-2-8】

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7/4(月) 中国在住の【Web会】会員の方から、こんなメールが来ました。
 「昨日、自宅のメールボックスに【月刊サティ!】7月号が届きました。日本から情報をいただくと、瞑想会に参加したのと同じような感覚になります。今回 の慈悲の瞑想の功徳に関する内容はとても参考になりました。気を引き締めて生活を送らなければ、と思いました。
 また、ご紹介いただいた上海のSさんとは週に1回くらいのペースで連絡を取り合っています。Sさんと修行に関して情報を交換し合うことが、毎日の瞑想継続につながっております。良き法友を紹介いただきありがとうございました…」

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7/3(日) 懐かしい思い出はさらに美化され、嫌な記憶はどぎつく歪められていく…。
 愛執や恨みが限りなくエスカレートしていく所以である。

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7/2(土) 現実は、一定の法則にしたがって無常に変化し続けている。
 頭の中の妄想や記憶も、絶えずエゴの都合のいいように編集を受けながら変化している…。

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7/1(金) 痛い思いをして、心底ショックを受けないと、なかなかその気になれないだろうね…。
 ドゥッカ(苦)があるから修行をする。

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6/30(木) 「他には?」
 「①サボらないで毎日必ず、瞑想ノルマを果たしていくことです。
 スポーツも瞑想も、繰り返せば当然、その部分の脳回路が強化されます。
 ②金儲けや恋愛など、この世のことよりも瞑想が大事…と、価値観が変われば、イザという土壇場でもサティが入るようになります。
 結局、心底から本気で思っていることが、心の反応パターンを変化させ、一番で立ち上がるように変わるということです」

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6/29(水) 「どうしたら、サティが反射的に飛び出すようになるのでしょうか」
 「煩悩を容認しないで、必ずなくしていく覚悟を定めると良いみたいです。
 普段はほとんど入らないサティなのに、なぜか貪・瞋・痴の不善心所が立ち上がった瞬間にだけ反射的に飛び出すようになります」

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6/28(火) 強烈な怒りの波動に同調し巻き込まれた瞬間、顔面や頭部がカーッと熱くなり、訳の分からない混乱と昂奮の爆発的な想いに呑み込まれている…。
 こういう時にこそ「怒り」「カーッとなった」「巻き込まれた」…とサティを入れるべきであった…と気づくのは、すべてが終って自然に冷静さがもどってきた時である。
 イザという正念場でヴィパッサナー瞑想が威力を発揮するためには、反射的にサティが飛び出さなければならない。

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6/27(月) 怒りの波動と慈悲の波動が火花を散らしてぶつかり合うのは、日常茶飯事だろう。
 どちらが相手の波動に巻き込まれるのか、巻き込むのか…。
 心と心の戦いである。
 …相手に悪いカルマを作らせてはいけない。
 怒りを鎮めれば、相手は不善業を作らないですむのだ。
 ハッキリそう自覚して、力強く、冷静沈着に、慈悲の瞑想に集中する…。

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6/26(日) ゴーン…と、近所の寺の梵鐘が響くと、必ず2階の窓ガラスがビリビリ振動する。
 講演会場にドッと爆笑の渦が拡がった瞬間、居眠りから飛び起きた人が意味も分からず笑い出す…。
 怒りも恐怖感も慈悲のバイブレーションも…、瞬時に伝わり、響き合い、同調する…。

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6/25(土) <こ の世で善いことをしたならば、安心しておれ。その善いことが、ずっと昔にしたことだとか、遠いところでしたことであっても、安心するがよい。人に知られず にしたことであっても、安心しておれ。それの果報があるのだから、安心しておれ。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)28-31」岩波文庫】この世で 善いことをしたならば、安心しておれ。

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6/24(金) 毎日なにか一つでもクーサラ(善行)をして記録する「クーサラ日誌」をつけるといいですよ。
 自分がひどく小さなつまらない人間に見えた時、落ち込んだ時、自己嫌悪にまみれてしまった時、心の泥沼に沈んでしまった時…、読み直す。
 自分も善行をしてきたという事実の力が、何よりも励ましてくれます。

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6/23(木) イライラも批判も妬みも欲望も…、何度もなんども再浮上を繰り返しているのに、のめり込んで熱くなっている時には、気づくことができない…。
 自己管理に長けている人でも、悪い条件が重なれば自分の心をコントロールできなくなるものだと、冷静なときに肝に命じておくとよいでしょう。
 どたん場になれば、人の心は分からない…。

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6/22(水) 未練があるなら、行動に移す。
 恨みには赦しを。
 後悔には懺悔を。
 妄想にハマるのは、無意識の現実逃避に由来していないか…とチェックしながら、今の瞬間に、サティを…。

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6/21(火) いたずらに末来に眼を転じるのではなく、ドゥッカ(苦)の現状をありのままに、正しく知ることです。
 なぜ、不幸になってしまったのか…。
 きちんと敗因の研究をしておけば、同じ過ちを繰り返さないでしょう。
 現状の承認と受容ができれば、自ずから道が開けてきます。

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6/20(月) 幸せをどれだけ激しく求めるかは、人が今、どれだけ不幸であるかに比例する。

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6/19(日) 何年も前のことだが、新聞の読者欄に「瞑想で、心が楽になり人間関係が良好になった…」という投稿が掲載されていた。
 まったく未知の世界だったが、なぜか二度と出会えない大切なもののような気がして、この切り抜きだけは捨てることができなかったという。パソコンもインターネットもやらない地方在住の方である。
 どうしても気になって「投稿された筆者の方に渡して頂けないでしょうか」と書き沿えた手紙を新聞社に送り、切手と返信用封筒を同封した。
 ほどなくして真心のこもった丁寧な返事が届いた。
 …こんな風に、ヴィパッサナー瞑想に縁のついた人もいるのだ。

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6/18(土) 正しいものでも正しくないものでも、押しつけられるのはごめんだという普遍的感覚…。

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6/17(金) 誰もが仏教を実践するなどということはあり得ないし、そんな必要もない。
 人にはそれぞれの道がある。
 与えられた運命に従い、きれいな心で生きていけばよい…。

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6/16(木) 本能の脳の上に喜怒哀楽の情動の脳が上載せされ、さらに理性の脳が新しい皮質として上位からその2つを包み込んだ…。
 貪・瞋・痴の本能プログラムをコントロールするために、新たに理性の脳を搭載した人類にとっては、煩悩を抑制するために戒を守り、サティを入れることは、生命として本来的な営みだと言える。
 進化の頂点に達した生命が実践する仏教…。

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6/15(水) 貪・瞋・痴の煩悩反応は、すべての生命が生まれながらに搭載している基本OSのような生命原理だ。
 その本能が命じる<刺戟→反応>のプログラムに従えば、必ずドゥッカ(苦)の原因エネルギーを蓄積してしまう生命というシステムの残酷さ…。

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6/14(火) 体の奥深くから衝き上がってくる本能の命令に従い切って、貪・瞋・痴の全開状態で生きる一瞬一瞬には、命がときめくような甘美な陶酔があるだろう。
 その快感に惑溺せず、戒を守り、一瞬一瞬の心と体の状態にサティを入れ、よく気づくことによって煩悩を抑止せよ、とブッダは言う。

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6/13(月) 苦しい人生から逃れたい…、なにがなんでも幸せになりたい…、
と激しく幸せを求めてしまうのは当然ではないか。
 幸福になりたくて、苦の原因である渇愛と執著の泥沼に身を沈めていく…。

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6/12(日) …甘美な妄想と現実のギャップに手を咬まれる瞬間、人はドゥッカ(苦)にうめく。

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6/11(土) きれいなものを見たい…、心地よい音を聞きたい…、いい匂いにうっとりし、美味を追求し、体の快感を味わいながら、楽しいことばかりを考えて暮らしていきたい…。
 …事実が編集されて心に作り出される、欲界の実情です。
 ありのままの事実の世界にはドゥッカ(苦)しかないのだから、甘美な妄想をしなければ生きていけないよね…。

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6/10(金) 熱いミルクティーが、切子細工の施された美麗なグラスに注がれ、また縁の欠けた汚いコップにも注がれる…。
 果たして、どちらも同じ味だろうか。
 高価なカットグラスの印象と汚いコップの印象とが、ミルクティーの味の印象にミックスされていく…。
 そのプロセスが欲界と呼ばれ、また世間とも呼ばれる。

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6/9(木) なぜ、骨董や芸術全般に執着が無くなっていったのだろうか。
 瞑想に専念するようになって以来、美醜や貴賎など欲界の事柄に興味を失っていったのは当然の流れであった。
 知覚の瞬間、認知の瞬間でサティを入れてしまうヴィパッサナー瞑想になれば、現象世界の意味が根底から覆されていく。
 百円ショップの器と九谷焼の違いなど、どうでもよいではないか…。

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6/8(水) <知覚→認知→反応…>の流れにサティの楔を打ち込めば、喜怒哀楽の情緒的反応は抑止されるだろう。
 だがこの時は、サティよりも反応系の心に主因があったと思われる。
 愛用する器が壊れても、骨董や器物に執着する心が無くなっていたので、怒りの反応が起ち上がらなかったのだ…。

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6/7(火) 「ごめん、割れちゃった…」
 「いいよ、いいよ、気にしないで」
 長年愛用していた九谷焼の器が壊れた。
 その瞬間、心に展開していく意識の流れが明瞭に見えていた。
 「洗い物をしていた母の声」→「濃紺と朱の絵柄のイメージ」→「終ったという印象」→「存在が消えたという認識」→「(百円ショップで替わりを買わな きゃ)という意志」→「嫌悪と怒りがゼロだったことに対する感動」→「なぜ怒りが出ないのか不思議がる意識」→「一瞬にして過去を捨て去り、末来に眼を向 けた事実に対する満足」…。
 すべてが1秒以内の瞬時の出来事であったが、8つの印象が心に転変していくのが時系列で見えていた…。

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6/6(月) 朝日カルチャーの講座に高知県から飛行機で通った方がおられた。
 関西エリアから八王子の2泊3日の短期合宿に参加される方も多い。
 短期合宿に限って言えば、北海道の方が最も遠方の参加者だった。
 今回、新潟の方のご足労もさることながら、上海の方が参加されて遠距離の記録を塗り替えた。
 打ち上げが終ると、8時半のフライトで上海に帰ると、成田に向かった…。

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6/5(日) 自分には一体どのくらいの時間が残されているのだろうか…。
 光陰は矢の如く過ぎ去ってゆく。
 「死は確実…、生は不確実…」
 と、唱えながら死を随念して、怠け心を駆逐する。

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6/4(土) だらだらと長生きをする予定でいれば、つまらぬ煩悩に戯れ、時をいたずらにする。
 睡魔に襲われてしまい、瞑想になりませんでした…と報告する者に、死を想え、と、タイのアチャンが指導していた…。

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6/3(金) 花の色は無残に移りゆき、百歳の老婆になった小野小町が卒塔婆に腰を掛け、道行く人に物乞いをする…。
 絶世の美女と後世にまで名をとどめた者が、果たしてどのような末期を迎えて輪廻を続けていったのだろうか…。
 強者にも弱者にも時は平等に流れ、良い人生であれ悪しき人生であれ、やがて老いが訪れ、死んでいく…。

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6/2(木) 優劣も美醜も貧富も賢愚も…、所詮、業が作り出す現象世界の事柄ではないか
…とウペッカ(捨)の基本スタンスでサティを入れる…。

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6/1(水) カルマが悪いので人は逆境に生まれ、その不遇を乗り超えようと努力して立派な人格を育む。
 カルマが善いので人は恵まれた環境に生まれ、皆にチヤホヤされながら過剰なまでの愛を受け、ワガママ放題の自己中心的な性格になったりする。
 カルマが悪ければ光を求めて向上し、カルマが善ければゆるやかに下落し始める…。
 となれば、カルマなど善くても悪くても、どうでもよいのではないか…。

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5/31(火) <ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう―意識を失い、空ろで、藁のように、投げ棄てられて。>
<それ故に、修行僧らは、つねに瞑想を楽しみ、心を安定統一して、つとめはげみ、生と老いとの究極を見きわめ、悪魔とその軍勢に打ち克って、生死の彼岸に 達する者となれ。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)1-35、1-42」岩波文庫】

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5/30(月) 完璧な健康状態を保持し得たとしても、やがては朽ち果て倒壊していくルーパに過ぎない。
 明晰な心と健康な命が与えられている間に、怠ることなく精進し、一切の苦を終滅させる仕事を完成させなさい、とブッダは説かれた…。

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5/29(日) 健康診断の結果説明を受けた。
 血圧、血糖、脂質、血液成分、心臓、腎臓、胸部、肝機能…、すべての検査結果が文句のつけようがない完璧なものだと言われた。
 心を明晰に、身体をピュアに保持しなければ、良い瞑想はできない。
 細心の注意を払って食事に気を配り、厳密に殺生戒を守り、心身の摂生に努めてきた必然の結果に過ぎないだろう。
 瞑想は、心のドゥッカ(苦)も身体のドゥッカ(苦)も限りなく減少させてくれる…。

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5/28(土) <善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すな。善いことばを口に出したほうが良い。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。>
<好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓び迎えられる。つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによってひとの悪意を身に受けることがない。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)8-8、8-13」岩波文庫】

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5/27(金) <人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)8-2」岩波文庫】

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5/26(木) 「なぜ、夫はあの合宿以降、悪口やダメ出しを言わなくなったのでしょう?」
 「さあ…、どうしてなのですかね。
 今、思い当たることは、削減経の煩悩チェックリストを本気で実行し始めたからかもしれませんね」
 「ああ、あれですね。私は何度も眺めたのですが、実行はしていませんでした…。今度から、私もやります」

*削減経のリライト版「煩悩チェックリスト」は、【Web会】会員の方に無料で差し上げております。
 ご所望の方はメールでお申し込みください。

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5/25(水) 後日、くだんのご夫妻が一日瞑想会に来られた。
 夫にインタビューの番が回ってきた。
 「…例えば、私が散髪から帰宅すると、以前なら妻は、河童ちゃん…、などとからかったのですが、先日の合宿から下山してからというもの、妻の口から一切ダメ出しがなくなりまして、驚いております」
 幸せそうに、微笑みを浮かべながらレポートをされていた…。

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5/24(火) ご夫妻で仲良くヴィパッサナー瞑想を修行している方がいる。
 短期合宿から下山して以降、夫の口からは絶えてダメ出しや揶揄、からかいが発せられなくくなった…。
 「でも、私はいまだにからかいやダメ出しを言ってしまうんです…」
 と、妻が自分の合宿の面接で報告した。
 「愛情表現であっても、ネガティブな内容や表現が耳に入ると、心は一瞬、暗転するものです。ブッダは、愛語を語るべし、と教えられていますから、ご主人にならって、言わない方がよいのでは…」 
 はい、わかりました、と答えて、妻は合宿を終え、下山した…。

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5/23(月) 赦そうとしない心は、無意識に握り締められた拳のように、自分自身を四六時中絞めつけていることに気づかない。
 どうしても赦せなかったものを心底から赦すことができたならば、一気に崩れ去っていくものがあり、解放されていくものがある…。

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5/22(日) 不平不満の心から出力しているのは、否定のエネルギーだ。現状を嫌い、打ち消すことに費やされているエネルギーは何も創造しない。
 しかるに、不快な苦しい現実であっても、ありのままに認め、いったん受容することができれば、その悪しき状態を良くするためのプラス思考のエネルギーが出てくるだろう。
 正しい気づき(サティ)と正しい精進のエネルギー…。

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5/21(土) 「もう少し、説明を…」
 「怒りがあるのに、認めようとしなければ、抑圧された強いエネルギーが腰痛や肩コリなどの身体症状に表出されるものです。怒りに気づかせないために、わざと痛みを作り出して注意を逸らせているのだ、と説明する人たちもおります。
 この場合、痛みの原因は<否認するエネルギー>であるから、<怒り…>を認めた瞬間、否認の必要性が失われ、劇的に痛みが瓦解するということです」

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5/20(金) 「最初の問いにもどると、痛みをただ<痛み>とありのままに認めた瞬間、劇的に消失することがあります。」
 「例えば…?」
 「純粋な身体感覚としての痛みを知覚した瞬間、痛みの真の原因が直観されるときがあります。痛みにはセンセーションの側面と心理的な側面があり、心の方に眼が転じられた瞬間、抑圧されていた怒りが洞察されると起きるのです」

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5/19(木) 「ラベリングの言葉で注意が集中する。痛みがとりわけ鮮明に感じられる。その瞬間、思わず痛みに巻き込まれ、サティが入らない。だから<困る>のです。
 いつでも、その瞬間の状態に、サティを入れるのです。鮮明な痛みにサティが入れば、ただの鮮明な知覚です。痛みの直後の妄想にサティが入れば、怖れや嫌悪は瞬時に消えます」
 「うーん。…瞬間的な短い妄想をやってるんですね」

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5/18(水) 「<痛み>とサティを入れると、逆に痛みが増すことはないですか?」
 「あります。ラベリングは認識を確定しますから、<痛み>とラベリングされた瞬間、すべての注意が痛みに向けられる傾向があります。耳をそばだてると音の情報量が増すように、痛みに集中すれば、感じられる痛みの分量が増えるでしょう。
 また、ラベリングした瞬間、次の心が痛みにまつわるイメージや思考を舞い上げるかもしれません」
 「…困るじゃないですか」

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5/17(火) 「実際の痛みに加えて、心が心理的に増幅する痛みがあります。
 痛みに関するさまざまな情報が頭の中でひっくり返って、恐れ、心配し、連想しているうちに心に生まれる幻の痛みが、本当に痛いのと区別がつかない状態になります。
 そこにサティが入れば、幻想の痛みは瓦解し、事実の痛みだけが残ります…」
 「だから、半減した感じになる…と」
 「痛みも減るし、事実以外の嫌悪や恐怖、耐え切れない印象などが吹き飛んでしまうのです」 

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5/16(月) 「なぜサティを入れると、痛みが消えるのですか?」
 「消えるものと、消えないものがあります。
 例えば、指を切って血がドクドク流れている場合、<痛み>とサティを入れても痛みは消えないでしょう。
 ありのままの事実に気づくのが<サティ>ですから、痛みの事実は<痛み>と認知することになります」
 「でも、和らぐ感じのする時がかなりありますが…」 

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5/15(日) 対象のなかに嫌悪が内在しているのではない。
 その人や、物や、情況…に反撥し、否定し、受け容れたくない心、拒絶したい心が立ち上がってくるプロセスがある。
 情報処理のプロセス、認識が確定していくプロセス、(無数にある選択肢の中からひとつの)反応が命じられ実行に移されていくプロセス…。
 なぜ嫌いなのか…を究明すると、自己理解が深まる…。

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5/14(土) 「怒りの対処法をいくつか…。
 ①自分のなかの怒りを認める。
 ②怒りのルーツを知り、腹が立ったときの不快な情況は、結局、自分が蒔いた種であった、と由来を心得る。
 ③今、怒りを発すれば、未来のどこかで必ず、怒りの結果を刈り取ることになるだろう…と、因果法則の理解を徹底させる。
 ④「私は怒りません、幸あれ!」「私は裁きません、幸あれ!」等々の言葉を口ぐせにする。 
 ⑤慈悲の瞑想に専念する…」

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5/13(金) 「洞察のきっかけは?」
 「命令意識(インテンション)にサティが入った瞬間です。
 ペットボトルの水を飲もうとして、人を責める時と同じ激しい言葉で<なに、のろのろしてるのよ!早くしてよ!>と、自分自身を怒鳴りつける意識が発生しているのが見えました。
 …私の怒りや裁く心は、他者を苦しめるのと同じように、自分自身をも苦しめてきたのだ…と愕然としました」

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5/12(木) 「ヴィパッサナー瞑想の心の随観をして、最愛の家族に対してすら怒りを持っていた自分に気づきました。人を責める心は、人を否定する心であり、また自分自身を攻撃する心であることにも気づきました。人を斬る怒りのエネルギーが、同じ刀で自分自身をも斬っていたのです。
 …合宿から帰って驚いたことは、家事をしていても、車の運転をしていても、軽いのです。肩が軽いし、体が軽いし、心の状態がなんとも軽いのです…」

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5/11(水) 「合宿から帰って、長い文章を読んだり話しをするのが、いつものようにスムーズにしずらくなっていてびっくりしました」
 「思考をストップさせていた証拠です。言語を司る左脳の休止状態です。でも、心配ご無用。ひとたび左脳のエンジンが再開すると、以前の何倍も頭の回転が速くなっているのに気づくでしょう。
 ヴィパッサナー瞑想は、脳のオーバーホール効果があります」

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5/10(火) 朝、眼が覚めると布団の中ですぐにサティが入り始めた。
 「音」→「身体感覚」→「腰がしびれている」→「痛みの感覚」→「思考」→「(うっとうしい程サティが入る)と思った」→「(もっと寝たいのにサティが入りすぎて、これじゃ寝られない)と思った」…。
 朝から晩まで常に同じテンポで綿密なサティを入れ続けて1週間ぐらい経つと、こうしたサティの自動化が始まるものだ。

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5/9(月) 超スローで眼の前を歩く瞑想者に『早く行けよ!』とイラついていたが、実は、歩行瞑想の手本を示してくれる「先生」だった…。
 洗面を待つ時間は、絶好の立つ瞑想の時間であり、変化する心の随観の時間でもあった。
 私に苦しみを与えてくる人は、私の過去の悪業をそのように現象化させて、消してくれている尊い存在であった…と理解する。

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5/8(日) 「お嬢さんのことが気になりませんか?」
 と、母娘で合宿に入られた方に訊ねた。
 「サティを入れるのに必死で、そんな暇はありませんよ、先生」
 と答えられた。
 集中力も無執着性も申し分のない方だった…。

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5/7(土) よい瞑想ができた翌日、自然に『お先にどうぞ…』という気持ちが発露して、洗面所の順番をさりげなく人に譲っていた。気分がよかった。人に優しくしたいな、とも思った。
 人より一歩先んじようと押しのけていくのは、肩ひじが張って疲れるものだという気持ちにサティを入れる頃には、ズーッと続いていた肩こりがほとんどなくなっていた…。

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5/6(金) それでも気が済まないならば、どんな報いも甘んじて受け容れる覚悟をして、腹をくくる…。

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5/5(木) 自分の非を認めることができ、心底からあやまることができれば、心の葛藤と抵抗が鎮まっていく。
 さらに、同じあやまちを繰り返さないと決意して、未来に眼を転じていく…。

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5/4(水) たとえどのようなことであれ、過ぎ去ったことは過ぎ去ったことなのだ。
 過去から解放されるために、懺悔の修行がある。

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5/3(火) 「…だから男の人を夢中にさせておくには、すべてを見せない方がいいのね」
 と言う人もいれば、
 「…だから、存在の仕組みをすべて知ってしまえば、輪廻を終了させられるのね」
 と言う人もいる。

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5/2(月) はっきりと言語化し、認識が確定されると、心の中でピリオドを打つことができる。
 『そういうことであったか…』と、すべてが露わになって、明確に理解されれば、自動的に終了感が訪れるのだ。
 混乱した無明の状態が執着を生み、明晰に見届ける洞察の智慧が渇愛を滅ぼす…。

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5/1(日) 煩悩を抑制する瞬間の抵抗感と、心の束縛が手放される瞬間の解放感…。

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4/30(土) オリエンテーションの基本説明と質疑応答で、誰の心もすっかり思考モードになっていた。
 「では、立つ瞑想を2分間やってみましょう」
 全員が一斉に瞑想を開始し、シーンと沈黙が拡がった…。
 「はい、眼を開けてください」
 たった2分間、足裏の感覚に心を集中させただけなのに、白刃が一閃するように、全員の意識モードがガラリと変わっていた。
 心から思考が駆逐されると、こんなに落ち着いた波動になり、顔まで変わるのだ。
 新緑の涼風のなかで、合宿が始まった…。

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4/29(金) ダンマの道は、苦難にみちた茨の道である。
 人に知られても知られなくても、各人各様の困苦をのり超えながら、歩み続ける…。

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4/28(木) エゴがなければ、何ものにも依存することのない自己完結がある。
 エゴレスを体験するには、サティとウペッカ(捨)と慈悲の心を育てていく…。

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4/27(水) 束縛の中の依存と甘えの世界…。
 孤独と不安のなかの自由…。

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4/26(火) 妄想が充満する心は、必ず混乱する。
 混乱した心は、得体の知れない不安や恐怖を、化け物のように肥大させていく…。
 しかるに、事実と、事実を確認するだけの心に、妄想の入る余地はない。
 混乱が鎮まる。心が整理される。明晰に物が見えてくる…。
 …サティの瞑想をしましょう。

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4/25(月) 集中を高めていくのは、どんな瞑想にも共通のファクターだ。
 ヴィパッサナー瞑想はそれだけではない。
 一点に注意を注ぎ込みながら、現在の瞬間に気づく。「見た」「聞いた」「思った」…と、今、自分が経験していることを確かめていく。自覚する。
 事象を経験する心と、それを確認する心がセットで進行していく。
 この「集中」と「気づき」が鋭い知覚と正確な認知をもたらし、印象が心に焼き付いていく。
 記銘力と記憶力が良くなる所以である。

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4/24(日) 鍵は締めたか…、ガスの元栓は切ったか…、と何度確かめても気になって不安に襲われる…。
 そんな神経症的な傾向のあった方がヴィパッサナー瞑想を始めて2週間が経った。
 日常の行動にサティを入れながらやってみると、確かな印象が残るので、無意味な反復確認をしなくなり、不安感がなくなってきたという。
 正確に対象を認知する。記憶が鮮明になる。余計な妄想が激減する。ドゥッカ(苦)がなくなる…。

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4/23(土) 「なぜ、酒を飲むのですか?」
 「自分のしていることを振り返るのが恐いからだよ。…忘れたいのだ」
 「素面の人が逃避するために、いろんなことに熱中しているのと同じですね。
 …自分のしていることを逐一気づいていく瞑想があるのですが、いっそのこと、いかがですか」

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4/22(金) 六門で知覚された情報はすべて、脳の中で断片化されてから再構築される。
 …人の頭の中は、概念という名の漫画の世界だ…。

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4/21(木) 即効性のある対症療法には、一点集中型のサマタ瞑想が本領発揮です。
 集中した心には、身体の物理的エネルギーを動かし、病んだ状態を癒やす力があります。
 一方、病状の由来を把握し、原因を正しく理解するプロセスからは、智慧が生まれます。
 病むのも癒えるのも、所詮カルマの世界です。
 洞察の智慧が、カルマを超えた悟りの世界に導きます。

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4/20(水) 「症状の程度にもよりますが、集中できた人は皆、いい結果を出しています。
しかし、症状が消えるだけでは対症療法に過ぎず、ぶり返す可能性があります。
 痔の直接原因は鬱血や血行障害ですが、それは、とどのつまり諸々のストレスに起因します。
 さまざまなプレッシャーや抑圧、不満、嫌悪、心配…など怒り系の心に気づき、その由来を理解すると、根本治療の方向が見えてくるでしょう」

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4/19(火) 「瞑想で痔は治らないでしょうか?」
 「サマタ瞑想を上手くやると、治るかもしれません。例えば、こんな風に…、
 …エネルギーに満ちた血液が、肛門に向かってドクドクと流れ込んでくる。鬱血し淀んでいた血が溶解し、新鮮な血液と入れ替わり、流れ去っていく…。患部 の毛細血管の末端にまであたたかい血流が行き渡り、気持ちがよい…。お尻が温かくなる。本当に温かくなる…。 
 …と、観想するのですが、単なるイメージの想起ではなく、自分自身が血の流れそのものになったかのように没入すると良いでしょう」

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4/18(月) 客観的な事実がありのままに、自動的に認識されることはない。
 認知の仕方が、経験の質を変容させていく…。

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4/17(日) 重いビンが足の上に落ちたとする。
 その瞬間、「ギャァー…!」と叫ぶ。「痛い!」と言葉にする。「痛み」とサティを入れる。「感覚」と違ったラベリングをする…。
 経験される痛みの感覚は同じだろうか?

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4/16(土) まあ、そう焦らないで…。
 腹をくくれば、何でもないよ…。

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4/15(金) ああ、憤っていたのだ…と、捉われていた自分の状態に気づいて、慈悲の瞑想のことばに集中していく…。
 どんな未練も執着も2年半以上は続くまい…と達観して、推移していく心の変化を観察する…。
 …サティと慈悲の瞑想で煩悩を手放すのは、いかがですか。

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4/14(木) 執着を手放し、未練を断ち切ろうとして、不快な出来事やマイナス要素に嫌悪のエネルギーを集中させる。
 …貪りの煩悩を捨てようとして、瞋りの煩悩にまみれていく…。

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4/13(水) 鬱憤を晴らすためにヤケ食いをし、厭なことを忘れようとして、官能を刺戟する昂奮に身を任せる。
 …瞋りの煩悩を捨てるために、貪りの不善業を作る…。

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4/12(火) 理解が洞察を生み、洞察が信(サッダー)を不動のものにする…。

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4/11(月) 「慈悲心のない阿羅漢もいるのでしょうか?…僕が訊きたいのは、慈悲の瞑想とサティの瞑想の関係です」
 「慈悲の心の最大の特徴は、エゴが無い状態、エゴレスからの愛念の放射です。
 エゴレスとは、無差別平等に、すべてを等価に見る<捨(ウペッカー)>の心のことです。
 ウペッカーがなければ、ピュアなサティも入らないし、本物の慈悲の瞑想も出来ません。悟りの完成に向かうのも、慈悲の心を完成させるのも、まったく同じ一本の道なのです」

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4/10(日) 貪りであれ、怒りであれ、エゴ反応であれ、優勢に現れる傾向が自覚されているならば、注意深くサティを入れ、補正していく決意をする。
 心は簡単に変わるものではないが、やはり変わっていく…。 

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4/9(土) 反射的にエゴを守ろうとする基本的傾向の自覚…。

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4/8(金) ありのままに見ることによって、ありのままに見ることのできない心を修正する。

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4/7(木) 情報が正しく配列されれば、情報自体が正しい理解をうながしてくる…。
 情報をありのままに(在ったがままに)正しく受容していけば、ものごとの真実相が自ずから浮上してくる…。

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4/6(水) 正しいデータが集まる→法に則して正しく考察する→忘れる→心が静かになる→思考が停止した厳密なサティが続く→集中が高まる→知覚対象の鮮明度が増す→本質を洞察する智慧がひらめく…。
 その背景には、表面意識から沈下して、脳内醗酵していた「理解」がある…。

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4/5(火) 洞察の智慧の伴ったサティもあれば、煩悩の一時停止でしかないサティもある。

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4/4(月) サティが入れば、刺戟に反応する心は起ち上がらないだろう。
 サティが連続する限り、煩悩が暴れ出すことはなく、心は防護される。
 サティが入らなければ…?

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4/3(日) 世間のあらゆるところから、五欲を刺戟する煩悩系の情報が洪水のように流れ込んでくる。
 無防備に猥雑な刺戟を受け入れてしまえば、心は自動的に反応してしまう。
 …サティを入れて、感官の門を防護する。

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4/2(土) 人の心には、命にとって不快な記憶や嫌な記憶、危なかった記憶を優先的に残して、今後の危険回避をしようとするシステムが働いている。
 嫌なことほどよく覚えているわけだが、過去に囚われ不善心所モードにもなりやすい…。
 過ぎ去ったことは手放し、前向きのプラス思考を心がける…。

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4/1(金) 行きずりの一期一会の人、無関係の人には、エゴの利害が働かないので慈悲の心が発露する…。

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3/31(木) 瞑想修行に専念するには、出家修行僧の森林の生活は素晴らしい。
 反応系の心の修行と徳を積む修行には、寺よりもむしろ娑婆の方が恵まれているだろう。
 誰にとっても、今、自分の置かれている環境の中で、自然に展開してきたものに従っていくのが最高の道となる。
 正しく流れを読み解き、因縁に従い切っていく…。

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3/30(水) どれほど寝ても一日中眠い日が続いていた…という方が合宿に参加した。
 最終日の面接で、微笑しながら感想を述べられた。
 「いつもは混沌と生きているのに、この合宿中は理路整然としていて、一体ど
うしてしまったのでしょう…」
 妄想を止めて、事実のみを見る特訓の成果…それがダンマの力です。

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3/29(火) ドライアイの目薬を携帯するのを忘れて、外回りの一日となった。
 防腐剤の入った市販の目薬を買う気にはなれなかった。
 しからば、サマタ瞑想で凌ぐことにしよう…。
 眼が乾いてくるたびに、瞑目して母のイメージを浮かべ、お世話になった数々の事柄を鮮明に想起し集中した。
 …胸に迫るものが込み上げ、落涙感に包まれていく。
 母を想えば、乏しい涙があふれてくる…。

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3/28(月) どんな方法でもよい。
 不善心所モードから、いかに速やかに脱出するか…。
 何よりも最優先すべきことです。

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3/27(日) 海原の水平線を見る…。
 星空を仰ぎ見る…。
 最も遠い彼方の、山の稜線を眺める…。
 広大な視野に感覚が馴染んでいくにつれ、小さなエゴ感覚が雲散霧消していく…。

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3/26(土) 今、自分の置かれている情況が正確に把握されているならば…、今、自分の経験している出来事の意味がよく分かっているならば…、そして今、自分が何をすべきか方針が定まっているならば…、不安に陥ることも、心に恐れが生じることもない。
 サティの瞑想をしましょう…。

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3/25(金) 無明から混乱が生じる。
 妄想が、不安を恐怖にエスカレートさせる…。 

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3/24(木) 不安や怖れがあるとき、必ず心に混乱がある…。

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3/23(水) 一瞬、動揺したり、混乱して言葉を間違えたり、貪りや渇愛の心に流れそうになったり、最後まで完結できずにやり直したり、途中で眠気に襲われてしまったり…。
 言葉の意味と、その連想に対して、反射的に情緒的な反応が起きているのだ。
 優勢ならばサティを入れ、何もなければ慈悲の瞑想を続ける…。

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3/22(火) 慈悲の瞑想はサマタ系瞑想なので、実感を込め、言葉の意味に心から共感し、集中を徹底させるのが基本である。
 一方、慈悲の言葉を1行1行唱えながら、自分の心の微妙な心理的反応を観察すると、立派な心随観にもなる。

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3/21(月) 常に、必然の力で、起きるべきことが起きている…。
 諸々の因縁を読み解くことができなくても。

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3/20(日) 心に静かさが訪れると、落ち着きと安らぎの中に深い充足感が広がってくる。
 諸々の存在に感謝をしたくなり、優しさと慈しみがこぼれ出す…。
 …瞑想しましょう。

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3/19(土) 巻き込まれ、反応に反応を重ねていることに気づくことも、対象化することも、自己客観視することもできずに、ヘトヘトになっていく…。
 嫌悪、不満、批判、猜疑心、嫉妬、傲慢、後悔、自責、落ち込み、不安、怯え…。

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3/18(金) 好きなスポーツの後なら、どんなに疲れても、後味のよい爽やかさがないだろうか。
 …疲労感は、不善心所から来る。

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3/17(木) サティの連続状態が、無我の感覚に導いてくれる。
 瞬間定(カニカ・サマーディ)のレベルに達した高速度のサティが、激烈なまでにエゴレスの感覚を思い知らせてくれる。
ツ黴€ 涅槃に触れる一瞬の衝撃(道心)が、エゴ妄想の根本無明を破壊する…。

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3/16(水) 歯を削られる強烈な痛みを感じながら、非常な速さでサティが連続していた。
 …「音」→「(歯と器具が)触れた」→「振動」→「痛み」→「(患部の)イメージ」→「(子供時代の)連想」→「(焦げくさいような)臭い」→「(耐え がたい)激痛」→「熱感」→「(ガリガリという)音」→「(医師の)イメージ」→「(ミスタッチの)不安」→「(妄想→不安という)分析」→「(一瞬にし て不安感が消滅した)感動」→「(最悪の事態になったら、なったでよいではないか、という)達観」→「痛み」→「(ただの激痛だ)と思った」…
 エゴ感覚は、どこにもなかった…。

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3/15(火) 思考から生まれるものを、思考プロセスの中でどのように打ち消してみても、思考モードから出ることはできないだろう。
 思考の団子状態にならなければ、一時的にでもエゴが姿を消すのだという感覚を味わうことができる…。
 厳密なサティの連続状態…。

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3/14(月) いくら無我論を説かれても、生きる現場では「この私が…」「この私のもの…」とのめり込んでしまう…。
 輝かしい過去にも、忌まわしい悲痛な記憶にも、執着の手を放すことができない…。
 プライドが傷つき、我執に苦しみ、慢ゆえに墓穴を掘る…。

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3/13(日) 法として存在するものに命を賭けるなら、それもよいだろう。
 だが、まぶたに残る残像のような、ただの印象に過ぎないものに人生を左右されるのは愚かしくはないか…。

 ※3月18日からの短期合宿に女性のキャンセルがでました。

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3/12(土) 本当は3枚のファンが存在しているだけなのに、扇風機が回るのを見れば円形のディスクが実在しているとしか思えない。
 そのように、思考プロセスからエゴ妄想が生まれ、プライドが派生してくる…。

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3/11(金) つまらぬプライドを守ってはみたものの、なにを得、何を失ったのだろうか…と自問してみる。

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3/10(木) 独り犀の角のように歩め…というのは、利己主義になれ、という意味ではない。
 愚か者と付き合わないことと、人のためになるありとあらゆる善行を行うことは別のことである。
 自分のためにだけ生きている者は、枯渇する…。

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3/9(水) 弱者は泣き叫び、強者もやがて年老いる…。
 生命原理に従って、自然に、ありのままに生きる限り、一切皆苦を知るだろう…。

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3/8(火) 抑制系の理性や知性は学習と反復で獲得しなければ身につかないが、貪・瞋・痴の煩悩や食欲・性欲などの本能行動は無努力で自然に発露する。
 遺伝情報と本能だけで生きる動物にとっては、煩悩を否定する「心の清浄道」など想像すらできない<反自然>なものに映るだろう…。

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3/7(月) 悪い環境に馴染んでいくのも、良心や抑制系の心を麻痺させるのも、ワガママになるのも天狗になるのも、貪・瞋・痴の煩悩で心を汚し人格を下落させていくのも、…堕ちていくのは、アッという間だ。

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3/6(日) 性格も心も、結局、変わらない…と諦めている人も多いが、揺るぎない決意があれば必ず変わっていく。
 そう信じて、がんばる…。

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3/5(土) 一切のものが無常の法則を受けて変滅していく。
 反応系の心に深く刷り込まれた反応パターンも必ず変わっていくが、時間がかかる…。

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3/4(金) 抑圧していた原因がつまびらかになるだけで終るものもある。
 新しい反応パターンを組み込む練習をしなければならないものものある。

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3/3(木) なぜイライラするのか、なぜ傲慢になるのか…。
 その由来が洞察されるならば、再浮上や蒸し返しはないだろう。
 承認し、理解し、納得して、手放す…。

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3/2(水) 強引な力づくで一点集中を高めれば、不善心所がねじ伏せられて、サマーディを起こすことができるかもしれない。
 それは、サマタの瞑想修行では手柄であっても、ヴィパッサナー瞑想では<一時的遮断>に過ぎない。
 煩悩と呼ばれる諸々の不善心所を削減し、心の清浄道を目指す…。

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3/1(火) 頑張って集中するので、サマーディ感覚が高まるのではない。
 心にわだかまるものが自然に手放され、不善心所モードが一掃されるからです。

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2/28(月) <この世で善いことをしたならば、安心しておれ。その善いことが、ずっと昔にしたことだとか、遠いところでしたことであっても、安心するがよい。人に知られず にしたことであっても、安心しておれ。それの果報があるのだから、安心しておれ。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)28-31」岩波文庫】

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2/27(日) 悲惨なドゥッカ(苦)の情況から脱出するためには、徳を積まなければならない。
 変滅してしまう幸福を維持するためには、徳を積み続けなければならない。
 瞑想修行に専念できる体制になっても、行き詰まれば、徳を積まなければならない。
 悟った人たちのすべての振舞いは、現象的には徳を積む行為と同じ善行以外の何物でもない…。

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2/26(土) よい瞑想ができるためには、心が静かになり、体がすっきりと整い、さらに、情況の流れがスムーズになり、外界の環境全体が整ってこなければならない。
 衆善奉行(多種多様のあらゆる善行)に撤し、徳を積む…。

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2/25(金) 心が静かになれば、赦すことができる…。

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2/24(木) 過去から解放されると、心に静けさが訪れる…。

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2/23(水) ドゥッカ(苦)に遭遇した者が、ドゥッカ(苦)を乗り超えていく過程に、心の成長がある。
 逃れようのない一切皆苦の世界にあって、その苦を終滅させていく道…。

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2/22(火) どうしようもないダメな人を嫌悪するのではなく、「あなたは、こういうことをしてはいけないよ」と、体を張って教えてくださっているのだ、と受け止める。
 自分自身のカルマを悪くしながら、反面教師として具体的な実例を身をもって示してくださっているのだから、心から感謝し、慈悲の瞑想をさせていただく…。

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2/21(月) <あさはかな愚人どもは、自己に対して仇敵に対するようにふるまう。悪い行いをして、苦い果実をむすぶ。>【真理のことば「(ダンマパダ)5-66」岩波文庫】

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2/20(日) 愚かな願望を叶えて、自滅していく人たち…。
 思い通りの結果を手中に収めて、悪化していく…。

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2/19(土) ストレスがゼロになってしまえば、かえってボケてしまうように、多少の不都合があった方がよいのだ。
 ハングリーな逆境や失敗がないと、深い学びが得られない。
 心を変えれば、マイナス要因がそのままプラスに変化する…。
 与えられたものに満足して、悠々と暮らす。

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2/18(金) <『(施 しの食物を)得たのは善かった』『得なかったのもまた善かった』と思って、全き人はいずれの場合にも平然として還ってくる。あたかも(果実をもとめて)樹 のもとに赴いた人が、(果実を得ても得なくても、平然として)帰ってくるようなものである。>【ブッダのことば「(スッタニパータ)3-712」岩波文庫】

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2/17(木) 悪しき現象を嫌い、善き現象を好むのであれば、常に苦楽に一喜一憂しなければならない。
 反応系の心が不善心所にならないようによく気をつけて、何事もそれでよいと受け容れる…。

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2/16(水) 何事も、結局、身から出た錆なのだ、と、受け容れることができないだろうか。
ツ黴€ ドゥッカ(苦)の分量は激減するよ…。

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2/15(火) 自分のことばかりを考えている者は、怖れる…。

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2/14(月) <人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない。>【ブッダのことば「(スッタニパータ)4-6-8056-13」岩波文庫】

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2/13(日) 妄想する心のシステムが働いている限り、現実の事象をありのままに如実智見することはできない。
 心が欲望を生み出し、心が苦しみを生み出し、心が不満足を生み出し、心が存在の永続を願って無限に輪廻を繰り返す…。

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2/12(土)
 無言でプレッシャーをかけてくる父親に反撥することもできず、進学も就職も父親の期待を裏切らない進路を選んできたが、長年に渡って恨む心を募らせていた。
 その父親が亡くなり、改めて来し方を想い起こしてみると、父が具体的に何かを要求したことは一度もなく、すべて自分が勝手にそう思っていただけであったと気づき、愕然とした人がいる。
 父親はいつでも黙って学費を払い、生活費を仕送りしてくれていただけだった…。
 自分に苦しみを与える嫌な父親が、心の編集が変わった瞬間、別人のように変貌してしまったのだ。
 現実というものが分からなくなった…という。

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2/11(金)
 幸福を手に入れ、夢を成就し、何を達成しようとも、必ず不満足が発生してしまう心のシステム…。

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2/10(木) どれほどのドゥッカ(苦)を体験しようとも、今度こそは…と、この世の幸福原理に疑問を持たない人もいる…。

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2/9(水) 「豊かな国、日本から来たお方よ、あなたはなぜ、テーラワーダ仏教の瞑想修行をするのか?」とタイの老比丘が訊ねられた。
 「完璧な幸福の王子であったシッダールタ太子はなぜ王宮を捨て、鉢と衣だけの生活に入ったのでしょうか。
 …私は、私なりにドゥッカ(苦)を見たのです」

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2/8(火) なぜ苦しい現実に遭遇しなければならないのだろうか…。
 幸せの中にいるはずなのに、なぜ不満が多くなってしまうのだろう…。
 生起し、転変し、滅していく諸々の事象が、因果の法則に貫かれていることを理解しなければ、耐え切れないではないか…。

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2/7(月) 煩悩は力強く自然に発露するが、気をつけることも抑止することも努力なしにはできないことです。
 一切皆苦のシステムの中で苦を避けるためには、生命の自然に逆らって、マインドフルでなければならない。

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2/6(日) 貪・瞋・痴の煩悩も、喜怒哀楽の情動も、生命活動の基本を司る脳が司令塔として働いている。
 感情のおもむくまま欲望や嫌悪の煩悩に身を任せて、ドゥッカ(苦)の種を撒き散らすのは、なんと自然な命の振る舞いだろう。
 …一切皆苦の所以である。

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2/5(土) <修行僧が、心が高ぶりざわざわして、恣に怠りなまけて、外のことがらに心を向けているならば、戒めと精神統一と智慧とは完成しない。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)6-13」岩波文庫

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2/4(金) <それ故に、つねに戒めを守り、精神の統一を守るものであれ。真理を観ずることを学び、しっかりと気をつけて落ち着いておれ。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)6-9」岩波文庫

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2/3(木) サティを入れ、一時的な無我の感覚を繰り返し味わう。
 エゴ妄想と我論の認識が根底から組み換わるまで…。

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2/2(水) 純正のサティが入れば、五感六識のいかなる経験も対象化され、客体視される。
 「ありのまま」とも「如実智見」とも言われる。
 思考プロセスの産物であるエゴの感覚もエゴ的反応もない…。

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2/1(火) エゴの立場を離れて見ることができた瞬間、すべてがよく理解され、納得がいく。
 サティが入る一瞬一瞬…。

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1/31(月) 執着の手が離れた瞬間、諦めがつく。
 いや、諦めのついた瞬間、執着の手が離れる…。

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1/30(日) どんな山火事もいつかは消えるように、自然展開にまかせても、どこかで不善心の流れが善心所に変わるだろう。
 不善業のエネルギーを垂れ流すよりも、被害を最小限に食い止めた方がよいのではないか。
 …サティは、思考の流れを止める。

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1/29(土) 間違った心の反応パターンを形成してきてしまったのだから、反射的に反応行動を起こす前に、ワンクッション、ポーズを入れた方がよいのです。
 …サティの重要な役目のひとつです。

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1/28(金) ホームランのような劇的なサティの話を聞き及んで、よし、自分も…と皆がんばるのだが、ほとんどは空振りや凡打のサティばかりなのだ。
 ときどきセオリー通りの客体化ができ、事態が一変するようなクリーンヒットのサティも入るが、滅多にはない。
 練習とはそういうものだ。

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1/27(木) 因縁があって生まれ、因縁があって壊れる…。
 何事も因果の流れに従い切っていくならば、静かな心と慈しむ心が現れてくる…。

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1/26(水) 他人に対して慈悲の心が持てなかったのは、自分はあまり幸せではないのに、よそに幸せを持つ人がいるのだ、思っていたからだった。
 そんなとき<瞬間のことば>のCDを聞いて、なにごともドゥッカ(苦)になるというのは、衝撃的に感じた。
 何事もドゥッカだと分かれば、幸せにみえる他人に対しても本当に慈悲の気持が湧くように思えた…。
 …そんなメールを下さった方がいる。

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1/25(火) 受験でも、スポーツでも、演奏や演技のパフォーマンスでも、外側の何かがプレッシャーをかけてくるのではない。自分が勝手に緊張し、押しつぶされて自滅するだけなのだ。
 余計なことを考えず、ただ、今の仕事にだけ専念すればよいのだが、それが難しい。
 「無心になれ」「己に勝て」「空になれ」などと言われると、ますます難しくなる。
 …「現在の瞬間に気づく」サティの技術を試してください。 

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1/24(月) センター試験の自己採点結果が得点率88%だったと会員の受験生からメールがきました。
 「…試験まぎわ、最後に頼れるのは、サティですね。サティが無かったら、心配から不安に呑み込まれ、緊張とプレッシャーに押しつぶされていたに違いありません。
 サティを入れれば、試験場も、なんら特別な空間ではありませんでした。
 …本当に驚きました!」

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1/23(日) タテガミを風になびかせながらサバンナに雄叫びを上げるライオンのリーダーもいれば、他人の排泄物を後足でせっせと丸めて転がしていくフンコロガシもいる。
 対象の内容に反応しないで、どちらもただ「見た」とラベリングして眼識の確認で止めておく。
 客体ではなく、経験している主体(色受想行識)の本質を見極めていくのがヴィパッサナー瞑想です。

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1/22(土) 現象世界のいかなる存在も、無常・苦・無我の真理に貫かれている。
 だから、どれほどくだらないものに見えようとも、その中に万物の本質を洞察することができ、その時その場で、悟ることができる…。

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1/21(金) どんなにくだらない最低の状態に置かれていても、「よし、この場でサティを入れ続けるぞ」と決心した途端に、そこは聖なる修行の空間に変容する…。

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1/20(木) CDブックの感想を寄せてくれた方のメール。
 「…<瞬間のことば>の一行一行が心に沁み入りましたが、CDの朗読を聴くと、まったく別のものに接したような感動を覚えました。
 嫌なことが続いてモヤモヤした気持ちで帰宅しても、CDを聴き始めると、たちまち心が法の世界に入ってしまうことに驚きます」

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1/19(水) 早く早くと焦れば焦るほど、心は未来の断片的イメージの間を駈けめぐって、今、この瞬間の仕事に専念することができない。
 その結果、化粧のラインがはみ出たり同じものを2度取ったりミスが増え、ミスしたことに心はさらに焦って余計な情報処理がいや増しに増えていく。
 …サティを入れる。妄想が止まる。ラベリングの言葉に邪魔されて次の思考が出づらくなる。落ち着いてくる。仕事効率がよくなる。時間が短縮される…。

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1/18(火) いくら急いでも、起床→洗面→朝食→身支度→出勤…に必ず90分かかっていた人が、サティを入れながらすると、60分で済んでしまった。何度試しても同じだった。
 以来毎朝、余裕のコーヒ-を飲んで、落ち着いて出勤できるようになった、という報告。
 これまでに同様のレポートが何件もあります。

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1/17(月) <来ることも無く、行くことも無く、生じることも無く、没することも無い。住してとどまることもなく、依拠することも無い。― それが苦しみの終滅であると説かれる。>
<これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)26-25、29」岩波文庫

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1/16(日) <世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。>【真理のことば「(ダンマパダ)13-170」岩波文庫

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1/15(土) 抑圧していた負のエネルギーを解き放って、真の幸福を体験しなければならない。
 どのような状態も必ず変滅してしまう、無常の苦を悟るためには。
 この世のいかなる生存様式も、因果の拘束を免れることができないと悟るためには。

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1/14(金) トラウマやコンプレックスの原因になった事態がなぜ発生してしまったのか。
 我が身に起きたどのような凶事も、因果法則に貫かれた必然の出来事であったと理解しなければならない。
 事の因果を正しく理解し、納得がいけば、すべてを受容することができ、手放すことができるだろう。

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1/13(木) 過去の自分をすべて葬り去れるのではないかと期待して、いちずに悟りを求める人たちは多い…。
 離欲の究極に到達するためには、まず握り締めているコンプレックスを手放さなければならない。

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1/12(水) 知覚する一瞬一瞬にダイレクトなサティが突き刺さっていく状態になると、あるがままの法の世界が浮かび上がってくる…。
 その本質を洞察していく悟り系の仕事に着手する前に、ネガティブに評価していたものを、いったんポジティブなものに転換して反応系の心を補正する仕事をしなければならない。

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1/11(火) ポジティブに見るのも、ネガティブに評価するのも、所詮思考が作る判断の世界…。

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1/10(月) 在ってはいけないものであっても、事実、在るのだから、仕方がないではないか。
 事実は事実として、まず認めることができれば、<抑圧→無自覚>の構造は阻止される。

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1/9(日) 容姿、能力、性格傾向、境遇、過去に経験してしまった事柄…等々をネガティブに評価すれば、嫌悪、怒り、復讐、抑圧…などの煩悩反応が連鎖して自分の首を絞めるだろう。

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1/8(土) 自分の中のある部分を愛し、また別のある部分を嫌って拒絶しているのは、エゴ…。

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1/7(金) 自分自身を受容できないと、人に優しくはできません。

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1/6(木) 自己変革とは、傷ついた心が癒され、劣等感から完全に解放されることでもある。

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1/5(水) トラウマやコンプレックスを解消できないまま、人生を終えていく人も多い…。

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1/4(火) この世に、サティよりも大事なものなど、何ひとつとしてないのだ…。
 そう腹をくくれば、あらゆる事象を対象化して、サティを入れ続けることができる。

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1/3(月) 思考からくるものを排除し、在るものを在ると認めていく瞑想の威力。

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1/2(日) 一面の雪景色が眼に入った瞬間、「見た」とサティを入れた。眼識に「白い対象」が触れた事実だけが認知され、「雪」の概念がまったく形成されていない驚きがあった。
 すると、これまで歩行感覚にサティを入れながら、半ば無意識に足の概念を付着させていた事実に気づいた。さらに、この体験を誇らしく語りたい感覚に「自 己顕示欲」とサティを入れ、自己顕示欲を嫌っている自分に気づき、それが劣等感の否定からくることに気づくことができた…、という。

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1/1(土) 否認することに、なんと多くのエネルギーが費消されていることだろう。
ネガティブな感情や心をありのままに認めることができた瞬間、肩こりが消え、頭痛が消え、腰痛が雲散霧消していく事例がなんと多いことか。



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