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今日の一言 (バックナンバー) '2004年1~12月

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12/31(金) 事態が深刻であればあるほど抑圧や心の隠蔽工作が進行し、表面意識では自覚できないものとなる。
  この時、すべての現象を等価に見て、ありのままに気づいていく瞑想が物を言う。
  何も狙わず、受動性に撤して、意識に強く触れたものにサティを入れていくと、心が強く隠しているものは必ず浮上してくるだろう。

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12/30(木) 「私が嫌いな人々も幸せでありますように…」と慈悲の瞑想をしながら、一番で想起されてくるのは、長年に渡って憎み合ってきた隣人の顔だった。
  毎日慈悲の瞑想を続けながら、数ヵ月が過ぎた。
  ある日、ふと気づくと、その隣人が「私の親しい人々が幸せでありますように…」のグループにまぎれ込んでいたのだ、という。
  いつのまにか反応系の心が変ってきたのだ…。

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12/29(水) 実態がありのままに洞察されるだけで解決してしまう問題もある。
  ことの真相が理解された後に、間違っていた反応パターンを正しい方向に書き換える作業を繰り返さなければならないものもある。
  これを、反応系の心の修行という。

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12/28(火) サティの対象は、他人や外界の見物ではない。飽くまでも、一瞬一瞬の自分の心と体の現象である。
  気づく→観察する→洞察する…という展開で、自分自身の本当の状態が目の当たりになるにつれ、心の清浄道が極められていく…。

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12/27(月) 怨みも愛執も劣等感も自滅も…苦しい人生は、心が編集して作リ出した概念の世界に由来する。
  センセーションの実感にただ集中するだけでも、その妄想の世界を離れることができるが、ヴィパッサナー瞑想では、実感した事実に気づき、集中している事実に気づく自覚の心が伴っていく。
  <サティ>というこの気づきの心が、苦の世界を終滅させ、最清浄の心の状態に到達していく道だと、ブッダは説く。

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12/26(日) 出家であれ在家であれ、真剣に歩く瞑想をする修行者の姿は美しい…。
  一足一足のセンセーションに耳を傾けながら、微細な感覚の生滅変化にすべての注意を注いで、純粋に歩くことだけに専念している…。
  どのような人生を生きてきた人であれ、それぞれの心の中に作り出される妄想や概念の世界を潔く捨てようとしている姿が感動的だ。
  …年末年始の合宿が始まった。

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12/25(土) 実際に存在しているのに、否定して認めようとしないとき、心は抑圧するのに厖大なエネルギーを使ってしまう。
  ありのままにサティを入れて、自分の心に存在している不善心所を認めると、一瞬にして楽になれる。
  必死で抵抗していた心のバトルが終るからだ。

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12/24(金) どのような情況に置かれていようとも、静かな心、明晰な心、浄らかな心が、末来を開く智慧をもたらしてくれます。
  心を養うサティと慈悲の瞑想…。

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12/23(木) ヴィパッサナー瞑想に不可欠な3要素。 
  アタピー(a^ta^pi:熱意)・サティ(sati:気づき)・サンパジャニャー(sampajan~ n~a:正知;理解)。
  今、この一瞬の事象に気づくサティ…。その事象の本質を洞察するサンパジャニャー…。そのサティとサンパジャニャーを、現在の瞬間に留め続ける熱意と忍耐…アタピー。

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12/22(水) どんな現象も嫌うことなく、つかむこともなく、ありのままに受け容れて、ただ認知する…。
  受容的であること、無執着であることに、全力を傾け尽くすのだ。 
  「一所懸命、淡々と…」の秘訣は、正しくサティを入れ続けること…。

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12/21(火) 渇愛や執着に陥るまいとして、多くの人がやる気そのものを喪失する…。
  輝かしい結果が望めなければ、モチベーション(動機)が見失われてしまうのだ。
  熱意がなければ、修行が進むことはないだろう。
  欲しがらずに、執着の心も渇愛の心も起こさず、熱い努力精進のエネルギーを放たなければならない…。

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12/20(月) よく分からなければ、想像力で補完されるだろう。
  未知なるものが、妄想をかき立てるのだ。
  知り尽くしたものを手放すことはたやすく、苦を熟知すれば、苦の世界が捨てられる…。

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12/19(日) 「一切皆苦のこの世に誕生してくることは、意味のないことなのでしょうか?」
  「そんなことはありません。
  地獄や餓鬼は言うまでもなく、神々の世界に生まれても解脱するのは至難の業と言われます。
  人間に生まれたからこそ、ドゥッカ(苦)の真理をつぶさに悟って解脱することができる、というのが仏教の基本認識です。
  一切皆苦のこの世に生を享けなければ、聖なる修行を完成することはおぼつかないのです」

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12/18(土) 正義に、善行に、よい瞑想に執着するのも、煩悩に執着するのと同じ渇愛の心。
  悪しきものにも、善いものにも、囚われず、つかまず、一所懸命淡々と、全力で精進する。

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12/17(金) 執着する心がある限り、同じ体験は絶対に起きないだろう。
  それは、何もつかまず、何も狙わず、ただ淡々と観ていくだけの心に訪れるものなのだ。
  もう二度と起きなくてもよい、と諦めて、手放すことができたときに、その心に相応しい体験が起きる…。

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12/16(木) 素晴らしい瞑想体験をすると、それに執着する心が必ず生起するものだ。
  「…また同じ体験をしてみたい。…夢よ、もう一度!」
  と、無意識のうちに目標達成型や理想追求型の心になって、渇愛をエスカレートさせてしまう。

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12/15(水) 強烈な眠気がどうしても消えないまま、あと1時間半で今回の短期合宿も終る…という時点で、完全に諦めがついた。
  その瞬間、なんと昏沈睡眠は霧が晴れるように消失していった。
  良い瞑想に対する執着と渇愛が、執拗な昏沈睡眠の原因になっていたケースである。

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12/14(火) サティを入れて、マインドフルになる…。
  すべてを三宝に委ね切って、受動性に撤し切るのもよい。
  事の成否はどうでもよいのだ、ただなすべきことをなす、と腹をくくる…。

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12/13(月) その時点でどれほど真実であっても、次の瞬間にはあらゆるものが変化し、その次の瞬間にはさらに変化してしまう…。
  捨て去っても、情報はデータとして記憶に残る。
  ただ、その一瞬に集中する…。

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12/12(日) どれほど用意周到な準備ができたとしても、最後は心を空っぽにして、即興で
事にのぞまなければならない。

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12/11(土) 「…どうしても妄想が止まらないんです」
  「止めようとしないで、『サティを入れても妄想が止まらない状態』とサティを入れてください。
  止まってもいいし、止まらなくてもいいのです。どちらもただの状態だから、そうなんだ、と確認を続けていくのです」

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12/10(金) ものすごく一所懸命がんばっているが、本当は、どうでもよいのだ…。
  うまく行っても、行かなくても、無限の学びがあるし、良い結果も悪い結果も、所詮、等価ではないか…。

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12/9(木) …期待もしないし、諦めもしない…。

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12/8(水) 揺るぎない判断基軸が定まっていないと、一瞬の迷いが生じる。
  いかなる情況になろうとも、諸悪莫作・衆善奉行を貫く「信」を確立する…。

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12/7(火) 正確なサティが本当に入れば、事態がありのままに客観視されるだろう。
  現状を正しく把握すれば、最善手が閃く…。

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12/6(月) 執着の手を放すと智慧が出るのは分かっていても、事態の真っ只中にいるときには至難の業だ。
  サティがそれを可能にする…

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12/5(日) <今日の一言>がCDブックになりました。タイトルは【瞬間のことば】(朗読のCD2枚組セット ¥1,500)。メールでお申し込み頂ければ、翌日発送されます。近日中にジュンク堂池袋本店でもお求めになれます。きれいな本です。

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12/4(土) インストラクターとして長年、瞑想を教えてきたが、本当は、瞑想について最も多くのことを教えられてきたのは、こちらの方なのだ。
  誰よりも多くのことを学ばせて頂いた自負と感謝がある。
  瞑想を教え始めて10年…、かけがえのない歳月であった…。

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12/3(金) 自分自身を自ら律していくのに不可欠なのは、自己客観視である。
  エゴの想念世界にのめり込めば必ず失敗するだろう。
  一日に一回は内省的になって、自分の思考を対象化する。 
  ……サティを入れる。

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12/2(木) <ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい。おまえが、(わたしのやがては)腐敗してゆくこの肉身を見たからといって、それがいったい何になろう。ヴァッカリよ、ものごとの理法を正しく見る者は、わたしを見るのであり、わたしを見る者は、ものごとの理法を正しく見ることになるのです>【「病あつきヴァッカリ(相応部22・87)」中央公論社】

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12/1(水) 悪事をするのも、善行をするのも、一瞬一瞬の情報の処理の仕方と培ってきた心の反応パターンの所産である。愚かな意志が働き、あるいは浄らかな意志が働いて、反応行動の指令が発せられているが、そうした営みの全体に対して、「私が…」「彼が…」と特定の個人のイメージを作り上げるのはエゴ妄想(有身見)である。
  「人を見ず、法を見る」からこそ、賢者からも愚人からも等しく学ぶことができる…。

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11/30(火) <われ以外、みな師なり>という俚諺もある。
  発想を転換すれば、自分より劣った人や邪悪な人からも無限の学びを得ることができる…。

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11/29(月) よい師に巡り合えなかった己の不徳を愧(は)じ、後進の者に親切にし、情報の布施を心がける…。

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11/28(日) 自分が自分自身の師となって、自ら律していかなければならない。
  正見に基づく自分の意志とダンマのみを拠りどころに、世人の言葉に惑わされない…。

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11/27(土) よい師に巡り合えない人は、常に三宝に正しく導かれるよう痛切に祈る…。

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11/26(金) 心がグチャグチャになってくると何もしたくないし、何とかしようという気持ちも失せて固まってしまう。
  そんな時は、思い切って部屋の掃除をするとよい。善行はもっとよい。
  一番よいのは、「落ち込んでいる」「心がボロボロだ」「何もやる気がない」と現状を素直に認めて気づきを入れることです。
  …サティの瞑想をしましょう。

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11/25(木) 仏教をいくら知っていても、やっぱり貪ってしまうし、怒ってしまうし、悪口を言ってしまう…。
  心が本当に変わらなければ、今までと同じことを死ぬまで繰り返すでしょう。
  妄想を止めて、自分の心の状態を正しく知り、反応する心のパターンを組み替えなければならない。
  ……ヴィパッサナーの瞑想をしましょう。

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11/24(水) 何事においても、最も光ったものが発揮されるのは、思考が止まり、自我意識が超えられているときです。 
  ……瞑想しましょう。

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11/23(火) 善行の集積があれば、好ましい現象が多くなり、自然に人生の流れが良くなる。
  煩悩のエネルギーをほとばしらせて防御したり、攻撃的になる必要がなくなる……。

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11/22(月) 貪・瞋・痴の心は、生きていく情熱とエネルギーの源泉です。
  我執が強く、激しく貪って、よく怒る人の方が、ギラギラとたくましく生きていきます。
  ドゥッカ(苦)の種を大量に撒き散らしながら強者になる…という構造。

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11/21(日) 人は環境の影響を決定的に受けてしまう。
  ダンマの刺戟がなくなれば、いつの間にか世俗に染まり、ゆるやかに堕ちていく……。

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11/20(土) 「とは言うものの、食材も分からない未知の外国料理を前に、最適量の食事を摂るのは至難の業なのです。
  よい瞑想ができるために、このルーパに、最適量の食物を摂取することができますように。
  同じことが、この僧院のすべての瞑想者に起きますように。
  ……と、最後は、食前にただ祈るだけでした」

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11/19(金) 「ミャンマー・シリーズ面白かったのですが、瞑想向きの小食というのは具体的にはどの程度なのですか」
  「おおざっぱには腹5分目か6分目。小食が過ぎれば、逆にエネルギー切れで意識水準が低下するので気をつけてください。栄養バランスがよく、しかも消化に負担がかからない状態がよいでしょう。量を控えて、多彩な品目を摂ると、体に透明感と充実感が訪れ、よい瞑想ができる可能性が高まります」

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11/18(木) <大食いをして、眠りをこのみ、夜も昼もころげまわって寝て、まどろんでいる人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、愚かにも、くりかえし母胎に入って(迷いの生活をつづける)>
<修行僧は堅く戒しめをたもって、諸の感官をよくつつしみ、食事についてもほどよい量を知り、めざめているときには心を統一し、気をつけている>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)25-13、6-6」岩波文庫】

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11/17(水) 瞑想の才能、頭の良さ、健康な体……等々、天与の資質にいくら恵まれていても、それだけで聖なる修行の完成に向かうことは難しい。
  人との出会い、情況の流れ、時の運、その他諸々の環境全体が円滑に展開し、多くの力に助けられるだけの徳(波羅蜜:善業の集積)がなければ、成功はおぼつかないだろう。
  仏教は、悪を避け(諸悪莫作)、善をなす(衆善奉行)ことに尽きるのだ。

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11/16(火) カナダ人比丘には、問われるままにかなりの情報を伝える結果になったが、何とかしてあげたいと心が動いたのは、むしろ修行を断念した隣人の比丘に対してであった。
彼の一貫して静かで控えめな態度や誠実さは印象が深く、最も好感を持った比丘の一人であった。
しかし、在家が比丘に対して頼まれてもいないアドバイスを申せる筈もなく、疎通し合う言葉もなければ、自然な展開で通訳が登場するような巡り合わせもなかった。
  いかんともし難い力で流れていく不運な展開ばかりであった…。

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11/15(月) 同じ時期に同じ僧院で出会った外国人同士だった。
  昏沈睡眠という共通の苦に直面していたある者は瞑想修行そのものを断念してしまい、またある者は順調に修行の流れに入った。
  その明暗を分けているものは、何なのだろうか…。

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11/14(日) その翌日から、彼の昏沈睡眠はピタリと止んだ。
  後日、瞑想のスタートラインに立てた感動を伝え、さらに要領の詳細を訊ねてきた。
  沈黙行を破られるのは疎ましかったが、流れに逆らわず、伝えるべきことを簡潔に伝えた。
  雨安居が終る頃には、彼の贅肉は落ち、静かな眼光と落ち着いた物腰の、別人のように変貌していた。

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11/13(土) ある日、待ち伏せていたカナダ人比丘に捕まって、訊ねられた。
  「あなたはいつもビューティフルに座っているが、瞑想の秘訣を教えてくれ」
  沈黙行に徹したかったが、やむなく手短に答えた。
  「あなたの食事の仕方では何年経とうが、昏沈睡眠はなくならないだろう。
  良い瞑想をしたければ、小食を心がけなさい…」

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11/12(金) 同時期にウ・パンディタ・サヤドウの認可を得て、カナダ人の青年が比丘になった。
  サティなどまったく入れずに、いつも楽しそうに食事をしていた彼の昏沈睡眠も半端なものではなかった。
  昼食後の座る瞑想では、舟こぎの前傾角度がしだいに深まり、座ったまま前方の床に頭突きを食らわせんばかりであった…。

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11/11(木) そんな基本的なことも知らず、いたずらに精進する無知が哀れであった。
  何回繰り返そうとも、一定量の酒を飲めば必ず泥酔状態になるように、過食した鈍重な身体条件からは鈍重な意識状態しか発生しないだろう。
  伝えてあげたい慈悲心に駆られたが、英語の喋れない彼とコミュニケーションする手立てはなく、修行の断念は彼の不徳のなせるところと見るほかはなかった。

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11/10(水) 彼の敗因は過食にあるのは歴然だった。
  瞑想で最も大事なポイントの一つは、身体の内部環境を整え、意識をクリアーに、鋭い透明な状態にキープすることである。
  彼のように痩せていて消化能力の脆弱なタイプは、特にこの点に留意して瞑想向きの小食を心がけなければならない。過食はルーパ(色法:身体現象)を鈍重に濁らせ、ナーマ(名法:精神現象)の働きを鈍化させる。

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11/9(火) まず悟りの第一段階である預流果になってから、比丘としての人生をスタートさせたかったのだろうか…。1年前には、そんな輝きが感じられた。
  そして、あの夜ごとの悲しい波動は、才能の限界を感じ、修行を断念する苦渋の決心を固めていくプロセスで発せられていたのだろう。
  だが、それは単なる無知に起因するもののように思われた。

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11/8(月) 数日後、隣人の比丘が食堂に近い小さなクーティに引っ越して行かれた。
  そのクーティの前を通ると、経典を暗誦し、ミャンマー語を勉強する大きな声が一日中聞こえ、その後、彼が禅堂に姿を見せることは二度となかった。

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11/7(日) 満天の星がギラギラと輝いて見えるほど森の闇は深く、静まり返ったクーティで瞑想に没頭できる情況に、至福と感謝を禁じ得なかった。
  そんな夜の静寂の中、思わず落涙感に襲われるほど悲しい波動が伝わってきた。
  次の夜も、その次の夜も「悲しさ」「落涙感」とサティを入れたが、その異様さを追求する思考は働かなかった。

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11/6(土) 翌年、パンディタラーマの同じ森林僧院の同じクーティで、3ヶ月の雨安居のリトリートに入った。 
  1年前の同じ隣人が黙々と瞑想修行を続けていたが、時間が止まっていたかのように、何ひとつ変わっていないのにショックを受けた。
  昏沈睡眠に襲われるパターンもまったく同じであった。
  懸命に努力なさってはいたが、夢を持っている気配も輝きも失われていた……。

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11/5(金) ひたすらサティを入れながら、森林の中の禅堂と食堂とクーティの3点を往来する日々であった。
  壁で仕切られた二世帯型クーティの隣人は、出家して間もないアジア系の比丘だった。
  経典関係の勉強は一切なさらず、納得がいくまで瞑想をする覚悟なのだと聞いていた。
  物静かで、コトリとも音を立てずに暮らす理想的な隣人であったが、禅定に入れる力はなく、昏沈睡眠に苦しむ姿をしばしば禅堂で目撃した。

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11/4(木) 思考を止めていく瞑想なので、帰国してしばらくは、言葉が出てこないもどかしさに不安がよぎった。言語脳のスイッチがoffになったまま固まってしまったのだろうか。
  しかし、一度エンジンがかかり始めるや、左右とも人脳コンピューターの処理速度が格段に良くなっているのに気づいて感動した。
  ヴィパッサナー瞑想は、頭がよくなります。

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11/3(水) ミャンマーの森林僧院の高楼(禅堂)から四方を眺めると、見渡す限りはるか地平線の彼方まで一面の樹林が拡がっている。起伏はなく、緑の海原のように、ただひたすら樹木が生い茂る圧倒的な広大さだった。
  雨季の3ヶ月、完全な沈黙行に徹して一日中、朝、眼を開いた瞬間から夜眠りに落ちるまで、サティを入れ続けていた…。

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11/2(火) 実体のない妄想ではあっても、いったん「自我」を確立しなければ、自我の解体作業に着手することも、無我に到ることもないだろう。
  まず戒を守り、徳を積み、反応系の心を浄らかにする努力を重ねて、人格の完成を目指す…。

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11/1(月) 好いことが続くのは嬉しい幸せなことだが、恐ろしい勢いで徳を消費しつつあるのだという実情…。
  幸福に有頂天になるのではなく、恵まれた自分の幸せをいかに分かち与えるか…という発想。
  物を、行為を、情報を、祈りを、優しい幸福な波動を…。

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10/31(日) 苦楽の受は一瞬に過ぎ去り、その印象は時間とともに限りなく変形しながら、やがて忘却の闇の彼方に消えていく。
  烈しく嫌った人も、心を震わせて好きになった人も、いつか、遠い夢のように思い出すことすらなくなるのだ。
  現象の世界とその経験の世界の消息を正しく洞察すれば、愛着も反撥も超えた捨(ウペッカ)の心で、<悲(カルナー)>が発振され<慈(メッター)>が発振される。

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10/30(土) 心に、身体に、苦受を受けることがこんなに辛いことなのだ、と知ることは、<悲(カルナー)>の瞑想をどれほど深いものにしてくれるだろう。
  誰からも救いの手を差し伸べられることなく、悲痛の叫びを上げている人間、動物、鳥、虫、魚…。

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10/29(金) 幸福に酔い痴れ、快感を貪っても、心は成長しないだろう。
  ドゥッカ(苦)を超克するときに、人の心は高められる…。
  ドゥッカ(苦)は素晴らしい教師なのだ、と考え、苦を受け容れていく…。

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10/28(木) <怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みの無いことによって静まるであろう。怨みにつれて次々と現われることは、ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は、怨みをつくらない。>【「ウダーナヴァルガ(感興のことば)13-14-12」岩波文庫】

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10/27(水) 最終結論が怒り系の心なら、それは正しい仏教的解決ではない。
  不和のまま疎遠になってしまえば、もう二度と会うことはないだろうが、心の中には一片の不善心所も残すことのないように努めるのがブッディストである。
  宿敵のように対立し合い傷つけ合った相手であっても、今世で出会えて互いの不善業を消去し合うことができたのだと感謝し、衷心から慈悲の瞑想を捧げる…。

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10/26(火) エレベーターで二人きりになった方の波動が暗く、硬かったので、気を入れて慈悲の瞑想をした。
  高速で上昇していく密室の雰囲気が、鉄板のバターが溶けるようにフワーッと和んだものに変わった。
  慈悲のエネルギーに突然巻き込まれて面食らっている気配を背後に感じながら、振り返らずに到着した階で降りた。 
  怒り系の波動と慈悲の波動が衝突した場合、ほぼ間違いなく慈悲が勝つものです。

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10/25(月) 調子が悪いときには、悪い状態をそのまま受け容れるのがよい。
  それで失敗したら、失うべきものを失えばよいのだ。
  何を失おうとも、それで生きていけないわけではない。
  「最悪の結果」を潔く引き受けていく覚悟があれば、道は開けてくる。

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10/24(日) いつ、どの時点からでも、人生はやり直せるし、やり直すべきだろう。
  輪廻は無限に続くのだから、時間はたっぷりある…。

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10/23(土) 事実の世界は、矢のように過ぎ去っていく…。
  心にふり積もっていく想いの世界…。

   ※24日の関西瞑想会は、メイシアターです。

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10/22(金) さて、一服したら、また始めよう…。

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10/21(木) <楽であろうと、苦であろうと、非苦非楽であろうとも、内的にも外的にも、およそ感受されたものはすべて、「これは苦しみである」と知って、滅び去るものである虚妄の事物に触れるたびごとに、衰滅することを認め、このようにしてそれらの本性を識知する。
  諸々の感受が消滅するが故に、修行僧は快を感ずることなく、安らぎに帰している。>【「スッタニパータ(ブッダのことば)3-12-738・739」岩波文庫】

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10/20(水) どこにも一瞬たりとも逃げ場のない、一切皆苦の世界構造の中で、知覚の瞬間に涅槃の残存印象がオーバーラップするような、不可思議な瞑想を聖者達は行っている。果定という。 
  この世は救いがたい悲惨な場所だが、生のシステム自体の根本苦(サンカーラ・ドゥッカ:行苦)が滅ぼされ、超克される道を示したところに、仏教の偉大さがある。

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10/19(火) ミジンコもゾウアザラシも人間もゴキブリも…、本能に組み込まれた反応パターンのままに苦受を避け楽受を求め続けて、とどのつまりは死んでいく…。
  闇には闇の世界があり、光には光の世界がある。その苦受の経験も楽受の経験も含め、対象を知覚し経験することそのものの中にドゥッカ(苦)を視る瞑想者たちもいる…。

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10/18(月) 過去のエネルギーが展開していく否応のない力に押しやられて、暗転していく流れもあれば、好転していく流れもある。
  抗しがたい宿業の力に翻弄されながらも、しかし、切に願うことがいつか必ず遂げられていくように、今、新たな自由意志で出力されていく力が、闇から光へ向かわせ、あるいは光から闇へと向かわせる…。

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10/17(日) その4年前、女性はもちろん在家の男性ですら入ることはできない、と言われるほど厳しいミートリガラの森林僧院で、初めてニャーニャナンダ長老にまみえることができたのも不思議なことであった。
  小さなクーティに3日間の滞在が許され、若い比丘の指導をさておいて、毎日長い時間、質問に答えてくださった。
  過去世の因縁なのか、宿業の力のようなものを想わざるを得なかった…。 

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10/16(土) パハンカヌワのひんやりした岩窟に、ニャーニャナンダ長老はおられた。
  「……大学で教鞭を取られ、将来を嘱望されていたのに、なぜ親の反対を押し切ってまで、出家されたのですか?」
  遠くを見るような眼差しでしばらく沈黙を続けてから、長老は答えられた。
  「……ただカルマがそうなっていたからです」

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10/15(金) 衣食住などの物質的基盤も、人の協力や助けも、正確な情報も、生きていくのになくてはならないものです。 
  ①物質のレベル、②身体労力のレベル、③情報のレベル、で善行をなし、徳を積むならば、末来によき果を得るでしょう。財施、身施、法施、と呼ばれる代表的なクーサラです。

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10/14(木) 特に悪くもないが、なんとなくしょぼくれて冴えないときには、思い切って大きなクーサラ(善行)をするとよい。
  瞬時に巨大な力が体にみなぎりみちわたっていくのを感じるだろう。
  法を拠りどころとして、正しく生きている者の自信…。

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10/13(水) 事実は変わらないが、心に知覚され経験される世界は千変万化する……。

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10/12(火) 人間の場合もロボットの場合も、環境と不調和を来たした瞬間、外界と摩擦を起こしている<自分>という存在が意識される。
  その結果、環境と巧く適合できなかったシステムの側の問題が明確になり、修正されていくだろう。
  人もロボットも、トラブルや不幸な出来事を通して学習し、成長する……。

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10/11(月) 凄まじいビル風に加速された暴風雨が襲来し、新宿住友ビルのフロント前では、川の急流が空中を真横に流れているかのような錯覚を覚えた。
  そんな台風直撃の中、朝日カルチャー講座は予定通り開講した。
  欠席された方も多かったが、中には前日、四国から飛行機で上京し受講された方もいて、その求道心に感銘を受けた。

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10/10(日) 美醜も優劣も賢愚も、貧富も貴賎も離合集散も…、この世のことはすべて、そうなるだけの原因と条件があってのことだ。
  因果のエネルギーの転変と生滅を、静かに達観する……。

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10/9(土) 他人と和解し、環境と和解し、自分の運命や境遇と和解し、自分自身と和解する……。
  お粗末であっても、程度が低くても、何も良いものがなくても、…今与えらているものを最高のものとして、受け容れていく…。

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10/8(金) これ以上、太りたくないのに、食欲旺盛で困ってる?
   お腹よりも、心が寒いのでは……。
  ①好きなものを腹一杯食べて、もういい、と満ち足りている状態……。
  ②体調がよく、心も澄み切って、諸々のクーサラ(善行)に静かに感動している状態……。
  ……①と②の、1時間後、数時間後、半日後、翌日……の気分は?

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10/7(木) いずれ必ず死ぬ身なのだから、自分はどうなってもよい……。
  人のため、世のため、ダンマのために自分の命のエネルギーを捧げることができるなら本望ではないか……。
  そんな心境になれれば、この世に怖れるものなど何もなくなるのでは…。

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10/6(水) 恐怖感に巻き込まれる?
  ……自分に囚われ過ぎていませんか。

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10/5(火) 芋虫が、ある日突然、蝶になるように、一気に今の自分とは違う人になりたい……。
そんな変身願望を感じたら、まず、今の自分を嫌っている度合い、現実逃避したい分量を調べてみる…。

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10/4(月) 何で愚かなことをしちゃうんだろう…と己の無明を嘆き、今度こそ正しくサティを入れるぞ、と決意を果てしなく繰り返しながら、徐々に、心が変わっていく……。

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10/3(日) 一瞬も止まることなく、古いものが壊れ、新しいものが生まれてくるのが、この世の基本システムだ。
  素粒子やクォークのレベルから銀河や宇宙規模に到るまで、存在は死と再生が繰り返されるエネルギーの変滅過程。
  仏教は、そのシステムからの解放を目指している……。

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10/2(土) 瞑想しよう……と思った瞬間、今の自分を客体化しようとする心が生まれている。
  この世のことに埋没し過ぎていなかっただろうか、という内省……。

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10/1(金) 久しぶりに瞑想してみようかな…と、休みながらでも、マイペースで続けていく……。

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9/30(木) トップアスリート達が完璧なパフォーマンスで金メダルを獲得するまでに、どのくらい失敗し、どれほどの修練を積んできていることだろう。
  瞑想を始めてまだ間もないのに、完璧なサティが入らない、まだ欲や怒りで心が汚れている……と、嘆くのですか。

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9/29(水) 不完全な者が、汚れた心をひとつひとつ浄らかにしながら、最清浄を目指して歩んでいるのです。
  悪い心が起きてしまうのも、間違いを犯すのも、仕方がないではないか。
  なんど失敗を繰り返そうとも、光を求め、浄らかさを目指して立ち上がっていく……。

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9/28(火) 修行が進まないのも、悟れないのも、とどのつまり波羅蜜(善業の集積)が足りないからである。修行も戒も不完全な者は、徳(=波羅蜜)を積むことによって道が開かれるという共通感覚…。
  総じて、テーラワーダ仏教の国々では、利他行が実によくなされている。

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9/27(月) 戒を具備する者は、無量の功徳を有する者であり、生きとし生けるものの幸いと利益をはかるものである。比丘たちよ、自ら身を滅ぼしてはならない、自殺してはならない、とブッダは説く。
  いわんや解脱した聖者は、世の人々の幸いと利益のためにのみ、残余の生涯を送る……。
  テーラワーダ仏教は自分の悟りだけを求め、他者への救済意志を持たない、などという批判は的外れと言わなければならない。

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9/26(日) 孤独でいては人は成長できない。
  人と人との本当の関係を築きあげていく努力が、人格を完成に導いていく。
  人格が揺るぎなく安定した者が、独り犀の角のように禅定を修し、静けさの究極を目指す……。

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9/25(土) <もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め>
<われらは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分よりも勝れたあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め>【「スッタニパータ(ブッダのことば)1-3-45、3-47」岩波文庫】

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9/24(金) <仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。>
<交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。>【「スッタニパータ(ブッダのことば)1-3-40、3-36」岩波文庫】

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9/23(木) 合宿が終り、起居をともにした瞑想者が次々と下山し、最後にスタッフをバス停に見送ると、 ただ一人の感覚が心身に広がっていく。
  道場に戻る一足一足の歩行に驚くほど緻密なサティが入る。ミャンマーやスリランカの森林僧院での修行感覚が甦る……。
  おしゃべりを止めよ、一人になれ、樹下で瞑想せよ、と説き続けたブッダの言葉を噛みしめる。

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9/22(水) 「自分自身に対する心からの慈悲の瞑想が、今朝、初めてできました。涙が止まりませんでした……」とレポートされた方がいる。
  歩く瞑想のコツが分かり、一片の思考も介入しないセンセーションへの没入が体験できたこと。一日中サティを入れ続ける合宿の原則通りに頑張ったこと。思考=エゴの干渉が一掃された理想的な心随観ができたこと。幼少期の原体験の意味が洞察されるほど深いレベルのサティができたこと……等々の要因が考えられる。

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9/21(火) テレビやCDをoffにして外側の環境を静かにすると、頭のなかを洪水のように流れている妄想に気づくだろう。
  身体動作のセンセーションを感じることに集中すると、その妄想の世界が一瞬にして消えていく。
  集中が極まって心が完全に静止する状態を体験すると、この世の猥雑さと混乱が耐えがたいものに感じられるのではないか…。
  静けさの究極を目指す…。

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9/20(月) 自分の心に浮いた言葉、口から出た言葉が、自分自身を浄めてくれる。
  自分の心に浮いた言葉、口から出た言葉が、自分自身を穢し、卑しい者にする。
  行為でも言葉でも想いでも、悪を避け、善をなし、静けさを目指す…。

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9/19(日) <世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。
  世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。>【「ダンマパダ(真理のことば)13-170」岩波文庫】

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9/18(土) どれほど大事なかけがえのないことであっても、過ぎ去ってしまえば、やがて遠い夢のような出来事になってしまう…。
  現象の世界とは、そういうものなのだ…。

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9/17(金) かけがえのないものを失ったら、その痛みをしっかり体験し記憶に留めておけばよい。
  痛みが伴わなければ、学ぶことのできないものもある…。

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9/16(木) 実際にやってみた人がいた。
  気まずい喧嘩別れをしたまま何年もの歳月が経ち、ほとんど忘れかけていた旧友のことがふと思い出されたのだ。
  万感を込めて慈悲の瞑想をしているうちに、目頭が熱くなり、涙が頬を伝っていた…。
  その夜、夕飯の片付けが終り子供たちを寝かしつけた頃、なんとまさにその友人から電話があり、驚喜したという。

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9/15(水) 今、大嫌いな人に無理矢理慈悲の瞑想をすると、逆に怒りの心が抑え切れなくなってしまうかもしれない。
  昔、大嫌いだったが、今はもう過去形になった人達への慈悲の瞑想は、純粋に幸せを願う心と赦しの実感をもたらしてくれるかもしれない。

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9/14(火) 今、大好きな人に対する慈悲の瞑想は、いつの間にか貪愛になってしまう危険性がある。
  もう二度と会うことはない懐かしい人達への慈悲の瞑想は、ウペッカ(捨)や友愛のバランスがちょうどよいかもしれない。

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9/13(月) よい縁もあり、悪い縁もある。
  成就しても、流れても、巨視的に見れば、どちらでもよいのだ。
  自分の心を汚さず、人の心も汚れさせずに、きれいに生きていけばよい…。

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9/12(日) 起きた事実を必ず対象化すること。
  真理に基づく正しい判断基軸を持つこと。 
  あとは悠々と流れに任せて、従い切っていけばよい。

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9/11(土) <見た><聞いた><考えた><考察した>…と、今経験している事象を客体視する努力が、エゴを対象化することに繋がっている。
  エゴ的な想いが出ても、その状態にサティを入れて、対象化する。
  サティの無限後退…。

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9/10(金) 「でも、サティが入らなければ普通に反応して、エゴに苦しむわけでしょう…」
  「心が根本的に変わるまで、サティを続けるのです。
  ありのままに気づこうとサティを入れる瞬間は、非エゴ的な心なのです。自己中心的な立場に固執する限り、サティは入らないでしょう?
  サティを繰り返していくと、心の反応パターンそのものが変わってくるのです」

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9/9(木) 「どうやってエゴの立場を離れるのですか?」
  「ヴィパッサナー瞑想で離れるのです。
  サティの心がある限り、サティ特有の客観性・無差別平等性が働きます」

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9/8(水) エゴの立場を離れれば、因縁の流れが見える。

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9/7(火) 事実の前で、妄想の甘美さが崩れていく。
  事実そのものが本当に甘美であっても、それは瞬時に変滅してしまう。
  (そんなことはあり得ないが)たとえ事実が変化しなくても、感動する心の方に飽きがくる。
  不満足性という名のドゥッカ(苦)…。

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9/6(月) 夢が現実になれば、そこには事実の世界がムキ出しになっている。

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9/5(日) まだ得ていないこの世の歓楽と幸福は、この上なく甘美に欲の心を魅惑する…。

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9/4(土) やがてサティが自動化してくるよ、車の運転のように。

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9/3(金) <生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人々には、この真理は実に覚りがたい>
  <諸々の聖者以外には、そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう>【「スッタニパータ(ブッダのことば)12-764・765」岩波文庫】

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9/2(木) <有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り、触れられるもの、考えられるものであって、好ましく愛すべく意(こころ)に適(かな)うもの、ーーー>
  <それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般に認められている。またそれらが滅びる場合には、かれらはそれを「苦しみ」であると等しく認めている> 
  <他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。解し難き真理を見よ。無智なる人々はここに迷っている>【「スッタニパータ(ブッダのことば)12-759・760・762」岩波文庫】

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9/1(水) 「でも、涅槃経の中でブッダは、『アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい…』と感想を述べた後、『この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ』と言ってるじゃないですか」
  「その一節はサンスクリット本に付加されたもので、パーリ語の聖典には存在しません。後世の誰かがブッダの言葉として書き加えてしまったのですよ」

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8/31(火) もしその内容が、人の命は甘美なものであり、人生は素晴らしいものである、というものであったなら、多くの世人に受け容れられるし、ブッダが躊躇うこともなかったのではないか…。

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8/30(月) なぜ悟りを開かれた直後のブッダは、人々に法を説くことを躊躇したのだろうか。
  曰く、
  「…貪りと瞋りに悩まされた人々が、この真理をさとることは容易ではない。
  これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、微細であるから、欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ」

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8/29(日) これらが難しければ、
  ①毎日必ず慈悲の瞑想をする。
  ②クーサラ(善行:利他行)を心がける。 
  ③一日10分間以上のサティの瞑想ノルマを果たす。
  時間はかかるが、これだけでも必ずジコチューは治っていきます。

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8/28(土) ①聞き上手になる努力をする。せめて人の話を聞き終ってから、自分の話をする。
  ②何事もまず人を立て、自分を後まわしにするクセをつける。
  ③相手の顔の中に入り、その眼に映っている世界を想像し、イメージしてみる。
  ④ロールプレイング(役割演技法)で、実際に相手の役を演じてみる。
  ⑤自分が掛けられた迷惑や被害を思い出したらすぐに中止して、自分が相手にかけてしまった迷惑だけを列挙するクセをつける。

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8/27(金) 「サティを入れ続ければいいんですね?」
  「サティだけでは半分です。
  心が本当に変わるためには、心の反応パターンそのものを組み変える訓練もしなければなりません」
  「例えば、どんな風にですか?」

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8/26(木) ジコチュー(自己中心的)の人は見込みがないということですか」
  「そんなことはありません。この世に変化しない物や心があるでしょうか」
  「では、どうすればいいのですか」
  「難しくてたとえ失敗しながらでも、サティを入れようとする一瞬一瞬の努力が自己客観視の能力を高めていきます。
  ジコチューは治る、ということです」

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8/25(水) 自己中心的でエゴの強い人には、ヴィパッサナー瞑想は難かしいでしょうね。
  妄想に巻き込まれ、なかなかサティが入らないのでは…。
  すべての現象を対象化し、自分自身を客観視していく瞑想だから。

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8/24(火) 毎日使うもので、隠れた部分ほど汚れていて、放置すればすぐに真っ黒になるもの…?
  それは、心とトイレでしょう。
  ヴィパッサナー瞑想は不善心に気づいてきれいにしていく、心の便所掃除です。

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8/23(月) 絶好調になれば、必ず欲が出るだろう。
  無欲になれる不調なときの方がよい瞑想ができる。

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8/22(日) 自分と他とを比較する「慢(マーナ)」という煩悩がある限り、コンプレックスが根絶やしになることはないだろう。
  比較と優劣意識の元凶であるエゴの息の根を止めなければならない。
  心と体の真実の状態をあるがままに洞察するヴィパッサナー瞑想によって。

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8/21(土) たとえ劣悪な現状であっても、外部に眼を転じる愚かさ…。
  エゴの視座をいったん離れて、コンプレックスそのものを直視し、その由来と原因を究明する。
  敗因の研究によってマイナスの札がプラスに変化するように、劣等も失敗も苦境も掛け替えのない財産になっていく…。

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8/20(金) 容姿も能力も生活環境も…、自分に与えられた条件はすべて必然の力でそうなったということ。
  自らが放った原因エネルギーが現象化し、変滅していく一連の流れがあるだけではないか。
  業の所産であることを理解し、丸ごと受容する覚悟ができれば、優劣の比較という発想が捨てられる。

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8/19(木) 悪くはないが、「補償」は飽くまでも補償であり、代償行為に過ぎないのではないか。
  劣等感そのものの根本解決はできるのか…。

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8/18(水) 家が貧しかったので…、勉強ができなかったので…、容姿に自信がなかったので…、兄や姉を見返してやりたかったので…。
  さまざまなコンプレックスが原動力になり、人は成功を収める。
  劣等感も悪くはないではないか…。

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8/17(火) もし他人との比較を止めることができれば…、もし不正確な自己イメージを持たなければ…、もしありのままの自分を潔く認めることができれば…、自信が生まれるよ。

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8/16(月) 自分を信じることができてもできなくても、その自分でやっていくしかないではないか…。

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8/15(日) 中心対象への集中がよくなれば、サマーディが高まってよい瞑想になるだろう。 集中が悪く、音や妄想など中心外へのサティが多くなれば、その瞬間の心の反応をよく見て心を随観する。
  集中がよくても悪くても、いい瞑想ができるということ。

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8/14(土) 認識が確定し、一度結論が出てしまえば、もうそれ以上よく観ようとはしない。
  一度決めつけてしまうと、それで固まってしまう、と言ってもよい…。

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8/13(金) 成功も失敗も所詮、ある立場から物を見ているこの世のことよ。
  ただ一連の事象の流れがある…。

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8/12(木) 人は必ず失敗するものだし、うまくいかないのは当たり前だ。
  その失敗から最高のものを学び、心を成長させていくのも当たり前だ。

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8/11(水) そしてその日の昼、食事の瞑想をしながらふと庭に眼をやった。
  向い側の人の陰になってよく見えないが、稲荷色のネコの背中のラインが眼に映った。
  「(ネコらしき動物を)見た」とラベリングした。
  食事が終って立ち上がった。もう一度、庭を見た。
  「(やはりネコだった)と確認した」とラベリングしたそうです。

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8/10(火) Uターンをして歩行瞑想の部屋の入り口に視線を投げかけると、Aさんの足とズボンが視界に入ってきた。
  「(Aさんだ)と思った」とラベリングした瞬間、嬉しくなり楽しい気持ちになった。
  「喜んでいる」とサティを入れたが、念のために顔を確かめるとBさんだった。
  「嫌悪」「蔑み」ととっさにラベリングしたが、愕然としたそうです。

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8/9(月) エゴの立場から自動的に思考が編集する概念世界…。それに反応して愛憎の業を作り、その結果を受け続けながら果てしなく繰り返す輪廻転生。
  心に仮作(けさ)されたヴァーチャルな世界と、法としての事実の世界とを識別する智慧が無明を破る…。

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8/8(日) 何事も、とどのつまりは知的理解に納められてしまうこの世だが、その思考を止めて、一日中サティを入れ続ける10日間合宿が始まった…。

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8/7(土) 水の存在を自覚している魚もいるのだろうか。
  水面を突き破って、水の外の世界を滑空する飛魚などはどうだろうか…。

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8/6(金) エゴの強い者がどうやって心をニュートラルに保つのか…。
  その技術を「サティ」と言う。

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8/5(木) エゴ感覚が弱まれば心は偏ることがなく、ニュートラルに保たれる。
  ニュートラルな視座からすべてを等価に観ていくならば、どんな事象も無限後退で次の心が対象化し続けるだろう。

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8/4(水) 心をニュートラルにすると、優勢に意識された現象に次々と注意を注ぐことができる。
  …こうして、ありのままの事実が浮び上がってくる。

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8/3(火) 本当に納得がいった上で諦めがつくと、心は解放されるだろう。
  何事も正しく理解する智慧が伴えば、事の成否を超えた達観に到る。

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8/2(月) ダンマに命を捧げ切ってしまえば、自分の身に起きるどのような出来事も法から来るものとして受け容れることができる。
  <信(saddha^)>が定まった者に、将来不安はない。

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8/1(日) 修行時代のアチャン・ウルパットが、とある寒村で一人托鉢に出た。鉢に得られたものはバナナ1本のみであった。
  今日食べるものがないのは、まったく問題にならなかった。
  明日もバナナ1本・・・と妄想しない限りは。

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7/31(土) 人を責めても、心の清浄道に資するものは何もない…。

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7/30(金) 本当は、いつだって最良のことが起きているのです!

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7/29(木) 心ゆくまで幸せになって、幸福の無常性と不満足性を思い知ると、静けさをめざすことができるかもしれない。
  悪を避け、善行を積み重ねて、幸せになる…。

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7/28(水) <時は過ぎ去り、昼夜は移り行く。
  青春の美しさは、次第にわれらを捨てて行く。
  死についてのこの恐ろしさに注視して、世間の利欲を捨てて、静けさをめざせ>【「サンユッタ・ニカーヤ(神々との対話)2-3-7」岩波文庫】

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7/27(火) 「変容すれば悟りなのですか?」
  「いいえ。そこからが本格的な修行です」
  「どのように?」
  「反応系の心が浄らかになる(変容)→純度の高いサティが持続する→瞑想全体がバージョンアップする(世俗諦<真理の世俗篇>から勝義諦<真理の究極篇>)→存在の本質洞察(無常・苦・無我の洞察)→離欲の普遍化→突然の超越→涅槃」

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7/26(月) 「どうすればいいのですか?」
  「心の随観をして、心をきれいにするのがやり方です」
  「どんなふうに?」
  「…事実に気づく(自分自身の現状に)→事実を認める→本質を理解する→納得する→完全な受容→(ダンマを拠りどころにした)正しい反応→反復→変容…」

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7/25(日) 純度の高いサティが持続しないのは、なぜか?
  集中力や持続力が弱いからだと考えがちだが、では、なぜ集中が破れてしまうのだろう。
  反応系の心に問題があるのです。 
  自己中心的だったり、好悪が激しかったり…。

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7/24(土) 敬愛する人よりも、虫が好かない人や侮蔑している人、眼中にない人…が、実は多くのことを教えてくれているのだ…という発想。
  まず好き嫌いや価値判断の凸凹をなくす作業をしないと、ありのままの如実智見は難しい。

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7/23(金) いちばん身近なところに、無言で法を説いてくれている人がいるよ…。

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7/22(木) 雷雨が襲来し、栗林の高木が一斉に、雨滴と風にザワザワとそよいだ。毎年、雨安居の時季にタイやミャンマーの森林僧院から見たスコールを思い出した。
  長いリトリートに入る暇はなくなったが、グリーンヒルの豊かな緑を打つ驟雨を眺めながら束の間の瞑想…。

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7/21(水) 「前に感じた感覚を無意識に追求していたり、同じ体験が起きることを期待していたり…。
  心はいつでも何かを狙って目的追求型になります」
  「悪いんですか?」
  「自分の見たいものを見ようとしている限り、あるがままの事実の世界は見えないのです」

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7/20(火) 瞑想などやらなくても生きてはいける…。

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7/19(月) 刺激を野放図に受け容れてしまえば、煩悩の反応を阻止するのは難しい。
反応系のプログラム変更が完了するまでは、情報の受容直後に気づきを入れて反射的反応を止めなければならない。

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7/18(日) だれも皆、間違いだらけの人生を生きてきたのだ。
  <無明>は、悲しい…。

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7/17(土) 言葉が単調に繰り返されていると、マンネリ化してきます。
  同じ言葉を機械的に連呼している状態になると、マントラ効果が出てきてしまうので、ラベリングが逆効果になることがあります。 
  言葉によって一瞬一瞬の認識が確定され、また確定の度合いが深まるところにラベリングの意味があります。

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7/16(金) 巨大なタイムスケールで見れば、願い事はいつの日か必ずかなうものである。
  かなったから、で、何なの?
  …ということです。

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7/15(木) 人生の目標に向かって、がんばって生きていく。
  達成されたら、また何か夢を見つけてがんばる…。
  それで幸せなら、まったく何の問題もない。
  …輪廻を続けよう。

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7/14(水) たとえ事実がありのままに記憶され、デフォルメ(変形)しなくても、現実は猛烈なスピードで変化し続けているよ。
  所詮、古い話じゃないですか…。

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7/13(火) 不正確に認知された事実が記憶に入り、記憶は必ずデフォルメ(変形)していく。
  その心の印象に反応を起こし、新たな意志決定がなされていく…。
  人生、何がなんだか、分かりませんね。

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7/12(月) 何事も時間が経てば、心の中で黒白が明確化してしまう。
  好悪・善悪・良否…極端化され単純化されていく。

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7/11(日) 今こそ因縁を解くべき時なのだと腹をくくる…。

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7/10(土) 巨大な苦しみであっても、必ずのり超えていけるよ。
  因果のエネルギーが転変する世界に、永続する状態はない。

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7/9(金) あまり心が汚れてきてしまうと、恐くてヴィパッサナー瞑想はできなくなるだろうね。
  自分の心を、ありのままに直視できますか?
  もういい、苦から解脱したいと心底から願うまで、堕ちていくしかないだろうね。

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7/8(木) テレビの画面を拭いたら、驚くほどきれいな画像が映し出された。
  毎日汚れていってるのに、真っ黒になるまで気づかない…。

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7/7(水) 過去に悪口を言ってきた者が、人から悪く言われるのは当たり前ではないか。
  自分は正しいと思っても、盲点になって見えなくなっている落ち度はなかっただろうか。
  悪口が聞こえてきたら、心を浄らかにしなさい、と言い難い欠点を指摘して下さっている天の声と受け止める…。

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7/6(火) 自己中心的なエゴの視座からは、人の痛みは何も見えない。

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7/5(月) 心から納得して執着が手放せたとき、解放がある。

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7/4(日) どんなものも、失うなら失ってもよいのだ、と腹がくくれていれば、怖いものがなくなるよ。
  所詮この世のことではないか、すべて変滅してしまうものばかりではないか、いずれ死ぬ日が来るではないか…。

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7/3(土) よい瞑想をしたければ、体の内部環境を整えなさい。
  血液がサラサラ流れている感覚、シーンとした体の透明感…。
  コツは、バランスのよい食事を腹6分目か7分目に。

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7/2(金) 自分に優しくね…。

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7/1(木) 瞑想をいくらやっても、心がきれいになったような気がしない?
  正しく実践しているなら、大丈夫です。
  心がきれいになればなるほど、かすかな汚れも気になり自分はまだまだ…と思うものです。

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6/30(水) 一本の因縁の糸で結び合わされている関係もあれば、多数の因縁が織り成されて強い絆を作っている関係もある。
  一つの因縁が解ければ終焉する関係もあり、束になった因縁がすべて解き切れるまで否応なく続く関係もあるということ…。

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6/29(火) 無量無数の死を経験してきたのに、無限に再生を繰り返している。
  未練が残り、執着があるならば、再生してまた続きをやるだろう。

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6/28(月) 金属ですら疲労していく。
  優しい関係も無傷のまま劣化していく…。

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6/27(日) 一人暮らしが寂しい…などと、何を仰るのですか?
  瞑想をするのに最高の環境ですよ。

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6/26(土) いくら努力してもなんの結果も出てこなければ、何かがおかしいだろうね。
  結果が出て来ないのには、それ相応の原因があるはずです。
  間違った努力をしていないか。
  間違ったやり方で、間違った方向にエネルギーを放っていないか…。

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6/25(金) 諦めれば、それで固まっていく。
  原因となるエネルギーを出力し続ける限り、いつか必ずその結果が実を結んでくる…。

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6/24(木) 人の心が変わるのは、一朝一夕にはいかないのです。
  長い時間かけて作られた癖を、反対のベクトルに矯正するのですから、潮の満ち干のように何度も寄せては返しながら変化していくものです。

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6/23(水) <一瞬一瞬の五蘊(色受想行識)の生と滅が、正しいサティで洞察されていくとき、彼は喜悦を味わい、不死(涅槃)を見る>【ダンマパダ 374】

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6/22(火) 思考の産物が排除されると、法として存在しているのは五蘊(色受想行識)だけという実感…。
  身体の現象(色法)は妄想ではなく、法として存在している。
  心の現象(名法)も法として存在し、いくつかの要素に分けられる。意識、感覚、知覚、反応…。
  思考が止まった状態で、法として存在する五蘊を洞察することが、仏教の無我論の修行現場…。

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6/21(月) 思考が浮かんだ瞬間に厳密なサティが入ると、思考の団子状態にならない。
  単発のイメージや思念がそのつど撃ち落とされる状態を、「思考を止める」という。
  思考が止まると、眼耳鼻舌身意の対象が次々と心にぶつかり、「現象」→「サティ」→「現象」→「サティ」の連続状態になる。
  これを法の直接知覚という。

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6/20(日) ①エゴがあるという感覚は、思考のプロセスから生まれてくるということ。 
  ②思考の産物であるエゴを、思考プロセスを働かせながら対象化するのは難しいということ。
  ③思考を止めて、瞬間の直観と洞察を働かせるサティの訓練が有効だということ。

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6/19(土) 双眼鏡を夢中で覗いている人のように、一人称の主観の世界にのめり込んでいて、自分を対象化できないのがエゴの特徴です。
  自我やエゴについていくら考察をしても、我執は弱まらないね。
  エゴの弱め方?
  ポイントが3つあります。

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6/18(金) 自己愛が強すぎると、誰とも心を通わせることができなくなるよ。

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6/17(木) カルマが展開していくときの勢いは強力なので、人は何度でも同じような生涯を繰り返す。
  同じような情況に直面しそのつど同じような業を作っては、延々と輪廻に輪廻を重ねていく。
  可変的なこの世ではあるが、強靭な決意のエネルギーで流れを変えない限り、成り行きに押しやられてしまう…。

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6/16(水) 人に知られず咲き、人に知られず散っていく花もある…。
  誰ひとり知る人がいなくても、意志的行為がある限り、業は発生するよ。

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6/15(火) <幻滅>…いい言葉ですね。
  サティを入れると、心に形成されていた幻が滅していく…。

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6/14(月) 自分のためにだけ生きていると、エネルギーが枯渇し、自分を食い潰していくだろうね。
人世のため、ダンマのために仕事をする時の、底知れないエネルギーが湧き上がってくる不可思議さ…。

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6/13(日) 嫌悪すべきドゥッカ(苦)の状態から逃れたい、無くしたい、と激しく抵し、葛藤していた心のエネルギーが突然、消滅したなら、どうなるだろう?
  情況をありのままに受け容れることができた瞬間、事態が一変するものだよ…。

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6/12(土) 楽受を満喫し、快感を貪ることで、心が成長するだろうか。
  ドゥッカ(苦)があるから心が成長し、ドゥッカ(苦)があるから解脱することができる。
  すべてが終わってみれば、必ずドゥッカ(苦)に感謝できるだろう、という発想…。

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6/11(金) 打つべき手は打ち尽くしてしまい、無力な己の限界に直面しながら、ただドゥッカ(苦)の状態から救い出されるように祈るしかなくなった時…。
  特定の個人の苦からの解放を願う心のエゴ性は弱められ、遠のき、心底から「生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように…」と祈り出す…。

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6/10(木) 泥沼に向かって闇雲に堕ちていく者に対して、あらゆる行為も説得も渾身の力を込めた慈悲の瞑想も…、もうやるべきことは本当にやり尽くして途方に暮れていた人が、日課の瞑想を了えた時にふと思いました。
  「ああ、そうなのだ。瞑想というものは自分のためにではなく、苦しんでいる人に修行の功徳を回向するためにするのだ…」
  心を揺さぶられたメールでした。

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6/9(水) 嘘をつく人、不実な人とは関わりを持たない方がよい。
  救ってあげたいという考えは立派だが、まず自分が朱に交わっても赤くならない境地に達することを考える…。

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6/8(火) もし浮かんだ雑念にサティを入れ、自覚して見送るならば、心に塵が積もらないよ。
  悪を避け善をなす原則を受け容れている心なら、浮かんだ事実にただ気づくだけで、後には何も尾を引かないのです。

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6/7(月) 気づかない間に嫌な情景が浮かび、悪い想念が繰り返し心を通過していく…。
  そのたびに微かに反応し、かすり傷や澱のようなものが心に残されていくのに自覚がない。
  こうして、いつともなしに、心が薄っすらと汚れていく…。

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6/6(日) 受け取ってしまったものは、何でも当たり前になる…。

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6/5(土) 情報は、瞬時に古くなるということです。
  人の心も、自分の心も、瞬時に変滅し、今はもう違ったものになっている。
  サティを入れ続け、一瞬一瞬、更新していく…。

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6/4(金) 事実をありのままに観なきゃ…、などといくら思っていても、結局、人は自分の心に形成される印象に基づいてしか生きていませんね。
  心に形成される印象は過去の凍結…。

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6/3(木) 何でも自分一人でやってきたように思ってしまうよね…。

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6/2(水) 無差別に受け容れられる心なら、等価に眺めることもできる。
  どんな現象にも淡々とサティの入る心には、苦が発生しない…。

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6/1(火) どんな不快な状態も丸ごと受け容れるぞと腹を括ると、サティはうまくいくよ。

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5/31(月) 「きついですね…」
  「過ぎ去ったことだ…。終わったことなのだ…。
  と、何度も呟いてみるのもいいですよ」

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5/30(日) 「…悔しさと怨む気持ち、自分自身に対する怒り。…やはり過去に捉われているんですね」
  「では、サラリと手放して現在のことに集中している人と、執念深い人はどちらが好きですか?と自分に訊いてみましょう」

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5/29(土) 「ひとの話のときには、苦受を受ける瞬間、過去の不善業が一つ消えたと考える発想は凄いと思いましたが、自分のことになると、なんでモヤモヤがなくならないのでしょう…」
  「また同じことをされたら、どうしよう…と、末来形の妄想をしてませんか?」

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5/28(金) 「相手の事情を思考で考えてみることはできても、怒りの方が強くなってしまう感じです」
  「…あなたを傷つけることで、その人は自分のカルマを悪くしながら、結果的にあなたの不善業エネルギーを現象化させて消す仕事をしてくれましたよね…」

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5/27(木) 「そうなのかもしれないと頭では分かるのですが、感情が納得していないのも分かるのです…」
  「感情が反応するのは、エゴの立場を離れていないからだね。
  傷つけた側の気持ちになってみる…。
  相手と自分の情況全体を第三者の眼で眺めてみる。
  向こうには向こうのどうしようもない事情があったし、そうしてしまうだけの必然の力が働いていたのですよ」

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5/26(水) 「事実が正確に洗い出されても、赦せないものは赦せないし、傷ついた心が何もなかったことにはならないです…」
  「業論を正しく理解して、すべては必然の力で起きたことなのだと理解してください。
  心が傷ついてしまったのは悲しいことだが、その出来事が起きた原因は、過去の自分自身にもあったのです」

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5/25(火) 「分かるのですが、どうしたらそうできるのですか?」
  「2つあります。
  1つは、サティの瞑想をして、常に事実のみに気づく訓練をする。
  過去のことは、正確な事実関係を洗い出し、検証する。
  もう1つは、エゴの立場を捨てる。
  我執があれば、たとえ客観的な事実であっても、どのようにでも歪んでしまう…」

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5/24(月) 「どうすればよいのでしょうか?」
  「現在のことも過去のことも、事実だけを材料にする。
  客観証拠のない憶測や伝聞、思い込みの要素はなかったか…」

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5/23(日) 捨てられないのだ。
  理解して、心が納得しなければ…。

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5/22(土) 傷ついた心は、誰にも癒すことができない。
  優しさも、慰撫も、心からの謝罪も、結局、役に立たないだろう。
  当人が過去に執着している心を捨てない限り…。

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5/21(金) 弱者の立場になったら、卑屈にならず、感謝と慈悲の瞑想を絶やさず…の修行です。

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5/20(木) 余計な心配をしていると、直観が鈍くなる。
  ブッダのダンマを受け容れた上で、即興で生きる…。

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5/19(水) そうなった時は、なった時です。
  石器時代にも、氷河の時代にも、そこで最善をつくしながら人は生きていました。
  …何とかなるものです。

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5/18(火) 「もう終息したと思っていた怒りが再浮上し、サティを入れても鎮まらなかったのですが、5/13の<今日の一言>に出ていたようにやってみました。すると残っていた怒りは完全に消え、心は芯から懺悔モードになりました」
  とレポートされた方がいました。
  へえ、役に立っているんだ、と嬉しくなりました。

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5/17(月) いささかも思考や妄想が介入しない直接知覚の状態で色法と名法を捉える。イメージや思考は浮上した瞬間にサティを入れ、団子状態に連鎖させない。
  法として存在している色法と名法の相関関係を知る…。

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5/16(日) 色法(Ru^pa:ルーパ)とは、身体現象の変化プロセス、名法(Na^ma:ナーマ)は心の変化プロセスを差します。
  変滅するプロセスとしての精神現象(ナーマ)と物理現象(ルーパ)の関係がゴッチャになって識別できない状態から、エゴ妄想や神妄想、魂妄想などが生まれてきます。

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5/15(土) 「眠気」とサティを入れても、全然消えない?
では、もう少し分析的に、生理的現象と心理的現象とに仕分けて、観察してください。
  ボーッとした感じやトロリとした眠気も、物理的な細胞レベルでの感覚と、心理現象として心の働きそのものが鈍くなっている感覚とは違うのです。
  色法の現象として捉え、名法の現象として捉える…。

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5/14(金) <怒らぬことと不傷害とは、つねに気高い人々のうちに住んでいる。怒りは悪人のうちにつねに存在している。― 山岳のように。>【「ウダーナヴァルガ(感興のことば)20-21」岩波文庫】

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5/13(木) 被害者意識がある限り、嫌悪系の心がどこかでくすぶるものだ。
  そんな時は、自分の側にわずかでも非はなかったか…と、加害者の要素を調べ、自己客観視と反省のモードに切り換える。
  エゴの立場を捨てれば、必ず懺悔要素が見つかるだろう。
  本気のお詫びモードになれば、怒りも怨みも完全に消えるはずです。

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5/12(水) 怒りを捨てたつもりでも、微かな怨みとなって残っているかもしれない。
  理論上は、怒りの対抗思念である慈悲を出力して払拭するのだが、それでもやっぱりなくならないかもしれない。
  どうすればよいのだろう…?

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5/11(火) 静かな心で、本当にそうしたいと思うなら、今がその時です。

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5/10(月) たとえ思わしくない結果であっても、誠実に、まことをつくし切っていけば、
やがてそのことが必ず実を結ぶ日が来る…。
  一点の曇りもない心で生きる…。

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5/9(日) 結果は、業の法則に従って来るべきものが来るだろう。

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5/8(土) なにごとも、ただ誠をつくせばよいのだ…。

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5/7(金) 「分かりますが、不快イメージや快楽イメージの刺戟で心が充血してしまうと、焼け石に水ですね」
  「欲望も嫌悪も、始まると、ええい、やっちゃえ、と思ってしまうんです」 
  「心は止めたくないのですから、サティという技術で対応するのです。<妄想><…と思った>とラベリングしていくのですよ」

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5/6(木) 「怒りたくないし、嫉妬もしたくない。欲望に振り回されるのも嫌なんです。
  …どうしたらいいのでしょう」
  「妄想を早い段階で止めることです」
  「嫌いな人のことも、好きな人のことも、考え出すと、途中で止めたくないんです」

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5/5(水) 問題は分かっているのだが、触れられたくない場合には、クーサラ(善行)をして心のトーンを変えるのがよいでしょう。
  事前に「私は今クーサラをやろうとしている」という意志をハッキリ自覚します。

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5/4(火) 探り出そうと追求しないことがポイントです。
  感じたらサティを入れるし、感じなければ捨て置け、です。
  優勢の法則に従って、はっきりした現象に気づくだけで、問題は必ず浮上します。 
  本音の心が気にしているのだから、姿を隠し切れないのです…。

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5/3(月) 自分が何に苦しんでいるのか分からないことも多々あります。
  何が問題で、何を嫌だと感じ、どんなストレスを受けているのかを、まず自覚することです。
  「…が不安」と明確に意識化されただけで、雲散霧消してしまったケースもあります。
  存在しているものを、ただ承認してあげる…。

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5/2(日) 心に怒りの波動があれば、何かと物が壊れやすくなるものです。
  対象を嫌い、破壊するエネルギーが出力されているからです。
  …物が壊れる時には、怒りの心がなかったか振り返ってみましょう。

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5/1(土) 腰の低い人の方が、よい慈悲の瞑想ができるのも同じことです。
  自分の非を詫び、せめてもの償いに幸せを祈らせて頂く…。
  そんな懺悔モードの時にも、よい慈悲の瞑想ができるものです。

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4/30(金) 「敬いの要素も必要なのですか?」
  「親が子供に対する場合、あるいは弱者や悪人、劣った者に対する慈悲の瞑想には、ややもすると強者が高みから憐れむようなニュアンスが混入しがちです。
  どんな相手であれ受け容れて尊重しているよ…という波動を明確にした方が、純粋な慈悲に近づくのではないかということです」

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4/29(木) 純粋な慈悲の瞑想ができるなら、どんな頑ななものも溶解させてしまうだろう。
  自分に好ましい結果を微塵も期待することなく、ただ相手に対する敬いと慈愛の波動が発振されている状態…。

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4/28(水) 愛を得ようと期待して慈悲の瞑想をしても、ダメでしょうね。
  慈悲の波動が出ていないのだから。
  伝わっていくのは、物欲しそうな愛執の波動…。

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4/27(火) 「うるさいな。今、ヴィパッサナー瞑想やってるところなんだ。静かにしろ!」
  「?!…(笑)」

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4/26(月) どんな悪いカルマも必ずのり超えていくことができる。
仏教のカルマ論を正しく理解すれば、そう信じることができる。

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4/25(日) 自分が惨めで不幸な人に思えたら、比較の対象を変えるとよいでしょう。

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4/24(土) 「サティは善心所じゃないと出来ないということを実感しました…」
  「不善心所のときに敢えてサティを入れようと努力すると、そこから善心所に変わっていきます…」

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4/23(金) 戒を守り八正道を実践する気があっても、マインドフルでなければ、今までの癖で反射的に反応してしまうだろう。
  サティを入れる…。

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4/22(木) 煩悩が発生してしまった場合には、4つのやり方で退けることができます。
  ①サティを入れる。
  ②五戒を守る決意と実行。
  ③八正道を実践する決意と実行。
  ④苦(ドゥッカ)と苦の原因を正しく理解する。
  禁止が心底から受け容れられると、心が諦めるので出なくなります。

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4/21(水) 「<嫌悪><落ち込み><凹んでいる>…とサティが入れば、どんな不善心所もそのまま見送られて、心が煩悩から守られますよね。
  …では、不善心所そのものが出てこないようにするには、どうすればいいのですか?」
  「徳を積むことでしょうね。クーサラ(善行)をする瞬間の心を繰り返すのが一番です」

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4/20(火) 批判したくなるのは、エゴに執着した貧しい心です。
  ダンマの側に立って眺め直しても、まだ批判したいだろうか?

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4/19(月) 批判する者もいれば、慈悲の瞑想をする者もいる…。

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4/18(日) 憎むべきものも、愛しいものも、存在したものは壊れていく…。
  そして魅力的なものが新たに登場し、嫌なものが生まれてくる。
  ものの無常を知った者が、愛に執着し、嫌悪感にこだわり続けるだろうか。

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4/17(土) 物も、人の心も、情況も、…すべてのものが変化するという事実を認められないことからくる苦しみ…。

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4/16(金) 「ありのままの状態というものは、すべからく法の本質を顕わにします。
  …ことさらに狙い過ぎると、狙ったものだけが観察されることになるし、それを狙っているのはエゴなので、エゴの超越の方向が出てきません」

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4/15(木) 「…集中を高めるコツはあるのでしょうか?」
  「テクニックはありますが、強引に目的を遂げてもあまり手柄ではありません。
  集中もサティの持続も、必要な条件が整えば自然にそうなります。
  集中が高まらないなら、その現状をありのままに観察していけばよいのです」

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4/14(水) 「…自分自身だけが可愛いのだと分かって、今さらながらショックでしたが、次の日起きてみると、なにか憑きものが落ちたように心が軽くなっていました」
  「本当は分かっているのに眼を背けて抑圧している場合などは、ただその事実に気づくだけで問題が解決してしまうものです。洞察だけで解放が起きる好例ですね」

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4/13(火) どんなことにも学びがあり、それによって成長できるのだ、という発想。
  腹をくくれば、のり超えられないことは何もないよ。
  最悪の事態から最高の学びを得る…。

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4/12(月) 骨折した箇所が癒えると、新しい骨組織が作られ健康な部分よりもかえって頑強になります。
  …心の傷が完全に癒されたならば、そのことでの賢者になるでしょう。

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4/11(日) 貪・瞋・痴のエネルギーでギラギラ生きている方々は、年年歳歳、体も心も汚れて老醜をさらすことになるでしょう。
  一方、若い頃よりも美しくなり、歳を取るにつれ輝きを増していく人たちもいる。
  彼らは善行をなす努力、欲望と怒りと身勝手なエゴを超克する努力を絶やさない…。

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4/10(土) 事実をありのままに認める潔さがあり、不善心所をなくしていく決意があれば、心は必ずきれいになっていく。

 ※本日、朝日カルチャー新シリーズ開講。明日、日曜日は代々木八幡で東京瞑想会です。

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4/9(金) 嫌な自分の姿が見えた瞬間、反射的に眼を背けたくなるものです。
  ありのままに、事実を認めることができない。
  在るものを認めないで、どうやって自己変革をするのか…。

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4/8(木) 居直れば、そのまま固まっていく。
  汚れた心の、お粗末な自分を容認してはいけない。
  清浄道は自己変革の道です。

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4/7(水) 戒律の厳密なテーラワーダの比丘は、在家の托鉢と供養でしか存在できない。
  比丘を支える在家の仏教徒が育たない限り、タイやミャンマーで修行する出家者が帰国してダンマを伝えることもないだろう…。

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4/6(火) タイで出家して8年になる日本人比丘の方が、グリーンヒル瞑想研究所を訪ねてこられた。
  一時出家ではなく、比丘として人生を全うされる方のようにお見受けした。
  瞑想についてのご質問が終ると、すぐに辞去された。
  バス停までお見送りする道すがら、私たちを見かけた6、7人の子供達が
  「お坊さん!お坊さん!…がんばってね!」
  と満面に笑みをたたえて手を振っていた…。

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4/5(月) ただ一人、自我(エゴ)を滅ぼす瞑想修行に入るまでに、人間関係の中で自我を確立する修行をし、我の強い人は我を手放す修行をする…。

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4/4(日) 二人でも、一人でも、エゴがあれば、うまくやれない。
  エゴがなければ、関係が充実し、孤独が充実する…。

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4/3(土) 心の通い合った優しい関係があり、豊かに自己完結した独りがある。

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4/2(金) 人間関係という地獄があり、孤独という地獄がある。

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4/1(木) <善からぬこと、己のためにならぬことはなし易い。ためになることで、しかも健全なことは、実に極めてなし難い。>【「ウダーナヴァルガ(感興のことば)28-16」岩波文庫】

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3/31(水) <善人は善をなし易い。悪人は善をなし難い。悪人は悪をなし易い。聖者は悪をなし難い。>【「ウダーナヴァルガ(感興のことば)28-17」岩波文庫】

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3/30(火) 善いことも悪いことも、業があれば、再び繰り返すのに絶好の環境がひとりでに整ってくる。
  「さあ、どうぞ…」と言わんばかりの情況…。
  闇から闇に向かうのはいと容易いことだが、全力を揮って光を目指す…。

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3/29(月) その昔、癩病になった王子は人の負担になるのを嫌って、王宮を出てひとり森に隠れた。
  妃は、宮廷生活の何不自由のない安楽さに未練があったが、悪臭を放つ醜い王子に添うことを選び、森の中で献身的に看護した。妃の類まれな徳の力は、奇跡的に王子の病を回復に導いた。
  宮殿に戻ると王子は晴れて王位に就いたが、たちまち妃の恩など忘れ去り、美しい踊り子達に現を抜かした…。
  「…これが、あなた達の前生譚の一つです」
とブッダは、パセーナディ王とマリーカ妃に語って、夫婦喧嘩をしていた二人の仲直りをさせた。
  「聖者を見るのが困難なように、恩を忘れない人に会うのは難しい…」

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3/28(日) 過去世で金細工師だった若者が仏弟子となった。ブッダがさらに溯って前生を見ると、その前の世も、そのまた前の世も金細工師の家に生まれること500回であったという。
  慣性の法則が働くのだろうか。人は同じような生涯を飽くことなく繰り返しているようだ。
  マリーカとパセーナディも、互いの輪廻のなかで幾たびも夫婦を繰り返していた…。

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3/27(土) 自分のランチをブッダにお布施できた嬉しさに、乙女マリーカは花園で歌っていた。マガダ国との戦から帰還するパセーナディ王はその歌声に惹かれ、花園に馬を入れた。するとマリーカは物怖じすることなく王に近づき、真っ直ぐに王の眼を見た。
  マリーカを見つめ返した王は、訊ねた。
  「結婚しているのか?」
  「いいえ」
  王は馬上にマリーカを乗せた。
  その日の夕刻、マリーカは城に入り、コーサラ国王パセーナディと結婚した。

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3/26(金) 自分にできる範囲のことをやればよい。
  悪を避けて善をなしていこう、と決心するだけでも、良い人生になっていくよ…。

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3/25(木) 多くの方が瞑想会に来られるが、一期一会で終ってしまう方も少なくない。
  苦をなくすシステムとしての仏教が、心の片隅にでも残ってくれれば…と願っている。

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3/24(水) 苦に叩かれて徳を積み、幸せを味わい尽くしてまた苦海に転落する…。

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3/23(火) 「どっちなんですか?」
  「苦難に立ち向かうのも、流れのままに従うのも、正しい方向を目指してさえいれば、どちらでもいいのです。
  事が成就するのに十分なカルマが準備されていたか否かで、難易度が決まるだけです。
  善い方向なら、諦めないで、がんばる…」

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3/22(月) 流れが悪くなったら、ゴリ押ししないで潔く撤退することだ。
  道ではない。
  しかし乗り超えて行かなければならない難所も必ずやって来るものだ。
  進むべきか。退くべきか…。

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3/21(日) 因果の鎖が永遠に続くのなら、いつの日か報いを受ける悪業を作らない方がいい。
  苦楽の出来事に一喜一憂し、無反応の静けさを保持できないのなら、貪らず、瞋らず…。

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3/20(土) 輪廻転生が受け容れられ、どんな出来事も因果関係の所産なのだと納得がいけば、この世に生まれた瞬間の恐るべき不平等にも納得がいくのではないか…。

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3/19(金) 今世のことだけを考えると、何も悪いことをしていない自分がなぜ、こんな理不尽な目に遭わなければならないのか分からないだろうね…。

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3/18(木) 【Web会】会員からのメール。
  「サティを入れることが、何を意味するのか、やっと納得できた気がしました。
  …サティで渇愛を切っていたのですね。それで苦がなくなるのですね」

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3/17(水) 欲望をコントロールして摂生をすれば、体が透明になる。
  慎重に悪を避け、善をなしていくと、心がきれいになる。
  心身が澄みきって瞑想が進めば、この世的な快楽を貪ることが厭になり、怒り系のエネルギーで心を汚すことが耐えがたくなる。
  思考の及ばない心の清浄を究めていくと、まばゆい光の感覚が過ぎり、完全な静けさに向かう…。

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3/16(火) 自分をごまかしながら安楽に暮らしたって、どうせ死ぬ日がくるではないか…。

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3/15(月) 損をしたって、真実を貫いた人生の方がいいよ。

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3/14(日) 誰とも争わず、自分自身とも和解する…。

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3/13(土) 自分の心で考え、他を拠りどころにしないということ。

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3/12(金) たとえ心から尊敬できる愛する人であっても、独りになって内省する時間がないと、自分を見失うだろうね。
  …瞑想しなさい。

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3/11(木) 正しい方向に向かって歩いてさえいればよい。
  一人でもよし、二人でもよし…。

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3/10(水) 幸せになりなさい。
  そして、どんな幸せも一時的なもので、結局壊れていくのだと、心底から納得がいったなら、ブッダの道に帰ってきなさい…。

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3/9(火) 幸福の王子だったシッダールタは、なぜ、王宮を捨て、出家遊行の人となったのか。
  一切皆苦のシステムの中で、だれもが自分のドゥッカ(苦)に直面しているという現状…。
  無疵な心がどこにあるだろう。
  命あるもののドゥッカ(苦)を真実に理解した者の心に、真正の慈悲の瞑想が発露する。

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3/8(月) 幸福の瞬間をしっかり体験すれば、人に対しても、命の営みをする全ての生きものに対しても、心から幸いを祈ることができるだろう。
  本当の慈悲の瞑想ができるためには、あなた自身が幸せでなければならない。
  「私が幸せでありますように…」

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3/7(日) 浄らかな言葉、聖なる言葉を語れば、自分の語る言葉に自分自身が清められていく…。

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3/6(土) 涅槃を目のあたりに見る唯一の道は、身受心法の4つの念住に則ってヴィパッサナー瞑想を続けることだ、とブッダは説く。(大念住経)

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3/5(金) どれほど純度の高いサティが連続しても、業を止滅させることはできない。
  不可思議な涅槃の力に因らなければ、能動的な心の振動も輪廻も、停止させることはできない…。

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3/4(木) 知覚対象が意識にぶつかった瞬間、どれほど微かであっても反応する心のエネルギーが動けば、業が発生し、地水火風の物理エネルギーが生存の状態を活性化させてしまう。
  仏教が目指しているのは、その業の止滅であり、迷いの生存からの解脱である。

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3/3(水) 雪片が音もなく舞い降りてくる春の寒空を見上げたとき、ある情景の記憶が浮かびかかった。その刹那、反射的に、微かにでも情動の心が動くか否かを凝視する観察の心が立ち上がっていた。
  痛切な悲しい記憶であったが、心に浮上した時にはすでに無反応で見送られ、心は微動だにしなかった。
  シーンと沈黙が鳴り響くかのような静けさがあった…。

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3/2(火) 何をどう言おうとも、分からない人には解らないのだ。
  聞く耳のない人には、心の中で慈悲の瞑想をしながら、沈黙する…。

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3/1(月) 冷酷な無視もあれば、慈愛に満ちた沈黙もある…。

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2/29(日) 無理をしない自然流で、ありのままの状態をただ観ればよいのです。
  ことさらのことをしなければ、心が気にしているところに自然に注意が向きます。
  問題を抱えていれば必ず浮上してきますので、現れたままに認知するんです。
  …答えもそこにあります。

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2/28(土) 「心に悩みがあると、とにかく悩んでいることを見たくないんで、必死で感覚に集中しようとするんですよ。でも、何もないと、なんで“膨らみ・縮み”感じるのか分かんなくて、苦しいです」
  「本当に心はどうしようもないのよ。問題があれば眼を背けようとするし、なければ刺戟を求めて遊びたがるし…」

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2/27(金) 先月リキマル(犬)が死んだ時に、眼が腫れるほど泣いたって?
  こないだはヒロ君に裏切られちゃった?
  やっぱり、ドゥッカ(苦)があるじゃないの…。
  フワフワしてると気づかないけど、本当は生きるのは、誰にとっても苦しいことなのよ。
  どうすればいいかって?…うん、とりあえず毎日10分間は瞑想しなさい。

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2/26(木) だいたい楽しいんだけど、本当は何をしてもどこか満たされないものがある?
  …妄想を止めない限り、そういう状態はなくせないんだよね。
  何不自由のない王子だったブッダも解脱系に行ってしまったじゃないの…。
  おおむね幸せなら、多少の不満足感には眼をつむって輪廻を続けようよ、徳を積みながら。

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2/25(水) 毎日楽しいので、関係ない?
  じゃあ、ずっと楽しいことが続くように、善いことだけを徹底してやろうよ。
  徳を積むんよ。

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2/24(火) 果てしなく繰り返される日々、果てしなく繰り返される生涯…。
  苦楽の浮沈を永遠に繰り返していく輪廻が心底嫌になった者は、解脱への揺るぎのない決意を固めるだろう。
  …そういう人が困難な道を最後まで歩き通す。

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2/23(月) 人は生涯に愛する家族を喪って何度も泣くだろうが、その涙をバケツに集めればいったい何杯分ぐらいになるものだろうか?
  「お前の長い輪廻(サンサーラ)の中で、愛する者の死に流した涙だけでも、4つの海よりもはるかに多いのだよ…」
  と、ブッダに説法されて預流果を得た女性もいる。

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2/22(日) ドゥッカ(苦)の真実をかいま見た洞察の智慧で天界に再生した王女も再び汚れたメス豚に輪廻し、阿羅漢と不還果になれる宿業をになった富裕な夫婦も遊び暮して乞食となり果て老いさらばえた…。
  古来から悟れる資質を持ちながらむざむざその機会を逸して、無限の輪廻を続ける者たち…。
  ブッダは、ただ仏の微笑(笑起心)を浮かべる。

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2/21(土) 人と人とが争うのも、嫉妬するのも、見下すのも、欲張るのも、落ち込むのも、自殺したくなるのも…、その元凶は、自我(エゴ)なんだよね。
  エゴを守るためにありとあらゆる悪がなされ、戦争までもが惹き起こされていく。
  その自我(エゴ)を滅ぼす悟りの修行までもが、エゴという妄想の産物によって断固として阻まれる。

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2/20(金) エゴがなくなれば純正の慈悲の瞑想ができるのだが、でも、慈悲の瞑想を繰り返すことによってエゴ感覚を弱めていくやり方が有効だろう。

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2/19(木) 眼の前に、弱者の状態で苦しんでいる生命があれば、助けてあげたいという心が立ち上がる一瞬がある。
  <悲(カルナー)>の心は、群れを作る多くの生物に本来的なプログラムだろう。
  次の瞬間、利害得失を思い量るエゴ反応が顔を出すものだが…。

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2/18(水) 自責の念に端を発している限り、エゴ性が残っているかもしれない。
自分が傷つけた人に対するような痛切さで、生きとし生けるもののドゥッカ(苦)を悲しむことができるだろうか…。
  できれば、純度の高い<悲の瞑想>がある。

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2/17(火) 自分は今までにどれだけの人の心を傷つけてきたのだろうか…。その痛みがいかばかりであったかを想えば、胸がつぶれそうになる。
  <悲(カルナー)>の原義には<うめき>の意味があるが、人の苦しみに共感し、うめきが洩れそうになるとき<悲の瞑想>が発露している…。

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2/16(月) <花の香りは風に逆らっていかない。栴檀香・タガラ香・マッリカー香もまた、風に逆らっていかない。しかるに、善き人たちの香りは風に逆らっていき、すべての方角に、善き人は香りを放つ>【「ダンマパダ54」講談社】

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2/15(日) <善き人たちに親しむべきである。そのような人たちに親しむ者の智慧は増大する。善き人たちに親しむならば、かれはあらゆる苦しみから脱れるであろう>【「テーリガーター214」講談社】

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2/14(土) <聖者(ブッダ)は、世の人々に教えて、善き友と交わることをほめたたえられた。善き友に親しむならば、愚者でも賢者となるであろう>【「テーリガーター213」講談社】

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2/13(金) 高みから見下すような憐れみは、慈悲の瞑想ではない。
  愚か者や悪人と出会ってしまったのも所詮、自分の過去の不善業による。深入りしないこともできたのに、抜き差しならぬ関係になったのは、自分の意志による選択の結果ではないか。
  …もしそんな己の不徳を恥じ、身を低めて祈ることができるならば、嫌悪が微塵も混入しない<悲>の瞑想ができる。

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2/12(木) 愚か者と付き合ってはならぬ、というのがブッダの教えだが、それでも伴に歩まなければならなくなったら、「お前はこうなるなよ」「こういうことを言ってはならないし、やってはいけないよ」という実例を示してくれている得難い反面教師だと思って、慈悲の瞑想をする。

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2/11(水) その流れになったなら、日々の言動がダンマに背いていないだろうか、とよく気をつけて、心を引きしめ、身を引きしめて堂々と生きていく…。

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2/10(火) 尊敬すべき法友(カラヤナミッタ)にめぐり会うことができたなら、なんと素晴らしいことだろう。
  だが、もしそれが因縁なら、何ものにも依存することなく、法のみを拠りどころに独り犀の角のように歩むのもよい…。

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2/9(月) 人と群れていれば、根拠のない安心感のようなものが醸し出されるが、後には虚しさが残るだろう。

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2/8(日) 孤独が切ないのですか?
  …では、ちょっと思考の流れを止めましょう。「考えた」とサティを入れ、心の状態に「孤独感」とサティを入れるのですよ。
  「寂しさ」「(どうして、私だけ…)と思った」「(将来への)不安」「切なさ」「感傷」「自己愛」「(愚かな妄想をして、思い通りにならないことからくる)絶望」…とラベリングしながら自分の状態を客観視してしまうのです。
  …どう?脱け出せましたか?

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2/7(土) カルマから解放される瞬間のために、カルマを理解し、正しく生きる。

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2/6(金) すべては因縁によるのだが、それは一つ一つの意志の集積であるカルマの総和によって形成されていく。
  今、何を選ぶのか…。その一瞬の意志があらゆる因縁を変化させていく第一歩です。
  仏教には、希望があるよ。

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2/5(木) <ひとびとは因縁があって善い領域(=天)におもむくのである。ひとびとは因縁があって悪い領域(=地獄など)におもむくのである。ひとびとは因縁があって完き安らぎ(ニルヴァーナ)に入るのである。このように、このことは因縁にもとづいているのである。>
【「ウダーナヴァルガ(感興のことば)26-9」岩波文庫】

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2/4(水) 瞑想の才能に恵まれ、正しい法と良き師に巡り会えても、徳(善行の集積)がないと悟れないのだ…。
  諸悪莫作(諸々の悪をなさず、解脱の妨げになるいかなる不善業も作らないこと)。
  衆善奉行(あらゆる善行をなし、解脱が成就するための環境設定に万全を期す)。

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2/3(火) 朝、眼を開いた瞬間から夜、眠りに落ちるまで、ダンマのみの生活に徹することができるのは、やはり合宿だね。
  どんなに大変でも、いざ合宿が始まってしまうと、この生活が最高だと思ってしまう。
  …なのですが、本の執筆のために5月末まですべての合宿を休むことにしました。

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2/2(月) 純度の高いサティが持続すれば、無我の感覚が分かるだろう。
  でも、サティが止まれば、またエゴが出る。
  サティの目的である<智慧>が生じなければ…。

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2/1(日) エゴをなくす修行をしているのに、本当に自分がなくなると思うと、たまらなく怖いのだ。

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1/31(土) 眼耳鼻舌身意から情報が心にぶつかった瞬間、感じたのは<私>、経験しているのは<私>と錯覚する心が生まれる。
  次々と事象を経験する心が生まれ、次々と反応する心が生まれ、その反応する心を次々と<私>だと錯覚する心が生まれる…。

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1/30(金) 電気を消した真っ暗な部屋で歩く瞑想を試みた人が、センセーション以外何も存在していないと感じた瞬間、「自分」が消されてしまったような恐怖に襲われたレポートがあります。

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1/29(木) 「自我感」は思考のプロセスから生まれる、と説明されてもピンと来ないだろうね…。

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1/28(水) 「傷ついたのは私だし、サティを入れているのも、私です」
  「は?」

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1/27(火) 「バカ!」と言われた瞬間、傷つく人がいる。怒って逆襲する人もいる。陰湿な怨みのエネルギーを溜め込む人もいる。瞬時にサティを入れて見送る人もいるし、心の中で慈悲の瞑想を返す人もいるだろう。
  傷ついているのは、誰がですか? 
  サティを入れているのは、誰…?

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1/26(月) 傷ついているのは、誰がですか?
  …自我が強いと、傷つきます。

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1/25(日) 『この私が…』と掴んだ瞬間、悲しみ、怒りに巻き込まれ、愛執にのめり込む…。

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1/24(土) 「…②は、どうなんでしょう」
  「どのようなカルマも、ただ苦受・楽受を一瞬、経験するだけで反応しなければ、立派な因縁の解き方です。
  言われ放し、やられ放し、でもいいではないか。
  捨(ウペッカ)の心で、淡々とサティを連続させていけますか?
  聖なる無関心…」

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1/23(金) 「ちょっと、難しそうですね」
  「①は、サマタ瞑想でもヴィパッサナーでも可能です。
事前に問題をインプットしてからサマーディ感覚を高め、頭の中を完全に沈黙させると、直観がヒラメいて正解が得られるでしょう。エゴに歪められた誤情報と直観とを見分けるポイントは、思考プロセスが停止し切っているか否かです」

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1/22(木) 「どういう風にですか?」
  「①心を静かにして、自分の内奥の声に耳を傾ける。エゴの意志ではなく、本心の声に従ってやるべきことをやる。
  ②私心を去り、情況の流れに淡々と従っていく。起きたことはことごとく受け取って、受動性に徹し切る。
  どちらも瞑想しなければできないことですが…」

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1/21(水) 良いカルマの出会いもあれば、悪しきカルマの引力で出会うこともある。愛憎並立は誰の身にも日常茶飯事なのだから、順縁と逆縁がもつれ合って錯綜としている場合もある。
  茨の道ではあっても、逆縁の部分はいつか必ず乗り超えなければならないだろう。

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1/20(火) あり余る才能を持ちながら、練習し過ぎて、関節を痛めてしまう選手もいる。
  無理なジャンプはしないが、ちょっと背伸びをする努力を続ける。
  中道で行く…。

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1/19(月) どんなスポーツも、ここまでやるのか…とギリギリまで頑張った人が優勝し、一流になる。
  汚れた心をきれいにし、人格を立派に成長させていく修行の方も、ちょっと見習いましょうか。

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1/18(日) 悪いカルマが現象化したならば、逃げないで解いた方がよいだろう。
  自分の作った因縁なのだから、解けないことはない。
  解消できるから、縁に触れたのだと考える。

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1/17(土) 自分のことばかり考えてコセコセしていた人でも、人世のために善いことをしよう、と思った瞬間、心が大きくなる。
  クーサラ(善行)が心をきれいにしてくれる。

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1/16(金) 心が汚れてきたら、瞑想をしなさい。
  悪い想いが心を駈け巡っていたのですから、想いの世界を離れるのです。
  それでもうまくいかなかったら、善いことをしなさい。

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1/15(木) いかなる事情があろうとも、仕返しや復讐をする愚かさ…。
  因果の流れが正しく見えている者にできることではない。

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1/14(水) 業(カルマ)の基本公式は、「今、出力する心のエネルギーが、末来に経験する事象を決定する」です。

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1/13(火) 負債返しなのだから、黙って耐え忍ぶのだという発想…。 
  私の不善業を消すことに協力してくれてありがとう、と感謝するプラス思考などはどうだろうか。

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1/12(月) だまされる、罵られる、失う、傷つけられる、イライラさせられる…。
不快な現象に苦受を受ける瞬間、その原因エネルギーが消滅したのだと見るのはいかがですか。

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1/11(日) 【Web会】会員からのメール。
  「合宿に参加し、ただ私なりに精一杯頑張っただけなのですが、瞑想に対する取り組み方が義務的に<やらなくては>から<やりたい>に変わってきました。
  心がとても穏やかです。
  以前だったら発生していた不善心も起こらなくなっていることがよくあります。そのとき不善心が無いことをサティで確認するのですが、すごい解放感があります。なにかが剥がれ落ちていくような感じです」

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1/10(土) この世の幸福を極めていたお釈迦さまは、なぜ出離したのでしょうか。
  完璧に幸福な環境に住していた釈迦族の王子達も次々と出家しました。
  生命の基本的な営みそのものの中に、構造的なドゥッカ(苦)が内在している…。

 ☆1月11日(日)は代々木八幡区民会館で一日瞑想会です。

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1/9(金) どんな夢も叶ってしまえば「ただの状態」だし、どんな幸福も一瞬の後には変滅してしまうじゃないの…。
  「幸福という名のドゥッカ(苦)」…「無常の苦」が分かってくれば、「一切皆苦」まであと一歩…。

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1/8(木) 業を作るのは意志のエネルギーだが、因果の帰結の仕方は複雑多様である。
  いかなる出来事も、森羅万象の一切との相関関係の中で生滅している…。

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1/7(水) 持続する意志は、いつか必ず遂げられる。

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1/6(火) 悟れなければ仕方がない、と世間に戻る人もおります。
  戻れるところはどこにもないと感じている人は、どれほど時間がかかろうが、悟れても悟れなくても、ただその道を行くしかない…。

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1/5(月) 自分に怒りを向けるのがダメなのですから、いわんや他人に対してもダメですよ…。

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1/4(日) 自己嫌悪や自己呵責をする瞬間、強烈な怒りと攻撃のエネルギーを放っています。
  怒りや責めさいなむ心が自分に向けられているだけで、出力されているのは怒り系の不善心エネルギーです。
  カルマが悪くなるのですから、そんな怖ろしいことは止めましょう。

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1/3(土) 人には決して言わないであろう罵りの言葉で、自分自身を嫌悪し責めてしまう方がおられます。
  人を罵るのも自分を罵るのも、正語を守る仏教徒のやるべきことではありません。
  人を傷つけてしまったなら懺悔をするように、痛めつけた自分の心に謝って、同じ過ちを繰り返さないようにしましょう。

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1/2(金) 親しい人に思いを込めて、心から慈悲の瞑想をして差し上げるように、自分に対しても優しい慈しみの心で接してあげましょう。

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1/1(木) 「納得のための調整ですか?」
  「見るべきほどのものを見てしまえば、熟した果実が落下するような自然さでこの世的なものを手放すことができるわけでしょう。
  それには、カルマを良くして取りあえずこの世の幸福状態を味わっておいた方がその仕事がやりやすいのではないかということです。





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